【古代】「阿波風土記」が裏付ける“邪馬台国四国説”…卑弥呼を連想させる徳島県の特徴、後継者とも関連が?at NEWSPLUS【古代】「阿波風土記」が裏付ける“邪馬台国四国説”…卑弥呼を連想させる徳島県の特徴、後継者とも関連が? - 暇つぶし2ch■コピペモード□スレを通常表示□オプションモード□このスレッドのURL■項目テキスト650:わははははは @阿波 651:名無しさん@1周年 19/07/14 08:47:40.67 VZkygutm0.net 卑弥呼の墓は祇園山古墳で、壹與の墓は平原古墳。三種の神器も出土しているし、 近くの神社は君が代ゆかりのさざれ石(細石)神社だし,小戸海岸、日向峠、 山門、能古乃島(おのころ島)志摩などの記紀に記載のある地名も近くにある。 652:名無しさん@1周年 19/07/14 08:48:37.07 kVnfydc30.net >>607 小豆島は音読みだからちょっと違うんじゃないの? 653:名無しさん@1周年 19/07/14 08:49:26.90 Y8dqOUX00.net >>628 出土品を見ると明らかに邪馬台国とは時代が違う 654:名無しさん@1周年 19/07/14 08:49:42.20 Yz0HtAod0.net >>623婆 >7世紀後半の状況を踏まえた改変で、彼女はあくまで畑(焼畑)の神なのだ。 だから、 弥生時代前期末から中期初頭(2400年~2300年ほど前)にかけて、西日本一帯で発生した大洪水を無視してはだめですよ。 灌漑水田稲作は壊滅です。 この洪水被害は大規模かつ広域的なもので、京都盆地や奈良盆地、岡山平野、博多平野、濃尾平野など広く西日本一帯で確認されている。 その大洪水により、阿波においては弥生時代中期初頭には各集落が小規模化し、一部で大柿遺跡の棚田がみられるが、縄文的な生業と地域社会へ回帰するような様相をみせるらしい。 弥生時代前期中葉に大規模化した灌漑水田稲作経営は、災害の影響もあって一段落したものと考えられている。 土器の植物種実圧痕観察(レプリカ法)により、弥生時代終了までイネに替わり、アワ・キビ・ヒエなどが主流であったようだ。 @阿波 次ページ最新レス表示レスジャンプ類似スレ一覧スレッドの検索話題のニュースおまかせリストオプションしおりを挟むスレッドに書込スレッドの一覧暇つぶし2ch