【古代】「阿波風土記」が裏付ける“邪馬台国四国説”…卑弥呼を連想させる徳島県の特徴、後継者とも関連が?at NEWSPLUS
【古代】「阿波風土記」が裏付ける“邪馬台国四国説”…卑弥呼を連想させる徳島県の特徴、後継者とも関連が? - 暇つぶし2ch500:名無しさん@1周年
19/07/13 13:05:48.68 cpGwpJpI0.net
>>483
なんだ、本人か。。。

501:名無しさん@1周年
19/07/13 13:06:58.56 ZZaQqOyA0.net
アホンダラケのミコト

502:婆
19/07/13 13:07:33.50 6/b4+FnV0.net
>>480
おお、重ね重ねありがとう。
つか、縦書きの本なのにページめくりは右矢印だったのね。
一生懸命ページを遡ってた…orz

503:名無しさん@1周年
19/07/13 13:08:25.92 DGqD70xH0.net
>>483
本人発見w

504:名無しさん@1周年
19/07/13 13:09:44.37 mGlCZyIJ0.net
仲哀神功遠征のプレイヤー
仲哀=ヤマトの王子、しかし危険地域に派遣される非有力王子、熊襲討伐の手柄を立てて有力王子になりたい
神功=新羅からの難民が土着した豪族である息長氏の娘、故郷新羅の奪還は実家氏族の夢
九州の神(有力者)=熊襲とも仲が良い、ヤマトとも仲が良い、ヤマトの九州進出の案内と相談役

仲哀、神功が九州到着
→九州の神と熊襲討伐について話し合い
→九州神は内心では熊襲を守りたい、だから矛先を新羅へとずらそうとする
→九州神の考えに、息長氏の娘である神功は同調、仲哀を説得しようとする
→仲哀はあくまで熊襲討伐にこだわる
→九州神が仲哀を暗殺
→九州神の部下である武内宿禰をお供につけて神功は朝鮮半島遠征

505:名無しさん@1周年
19/07/13 13:12:54.52 mGlCZyIJ0.net
朝鮮半島遠征に成功
手柄を持って神功は奈良に帰国する
朝鮮半島の征服地の統治実務は九州神の部下達が担うことに
これにより任那は二重統治の状態になり、その後の混乱の背景となった
任那四県割譲事件、磐井の乱、白村江の戦いなど

506:名無しさん@1周年
19/07/13 13:17:25.14 prbebl/f0.net
正確ではない事実について書いた書と、ただの小説を比較してるバカは何だろうな。

507:婆
19/07/13 13:18:16.91 6/b4+FnV0.net
>>480
なるほど、「欠く山」→「香久山」か。
記紀風土記の地名伝承って、中年オヤジが居酒屋で考えたとしか思えんw

508:名無しさん@1周年
19/07/13 13:19:12.48 ZZaQqOyA0.net
土器編年のやり直し
古墳編年のやり直し
炭素14編年のやり直しw
記紀編年のやり直しw
が必要

509:名無しさん@1周年
19/07/13 13:22:28.34 ZZaQqOyA0.net
いつもわからないのは
「同じ形式は同じ時代」というやつ
同じ形式であっても、相対的に早く生まれて広まった地域と、後れて受け入れた地域があるはず
また、リバイバルすることはなかったのか
素人の疑問

510:名無しさん@1周年
19/07/13 13:23:10.58 prbebl/f0.net
>>478
は?生活様式によるだろ。
なんで平地と有明海でそうなるかな?

511:名無しさん@1周年
19/07/13 13:37:14.90 MIap66PF0.net
>>493
もちろんそういう可能性はあるよ
出土品の分布は同じものがでれば出ない地域よりは交流があった可能性が高くなるというだけ
なんか違う理由が有っても


512:おかしくはない



513:名無しさん@1周年
19/07/13 13:46:41.67 XkMP2+St0.net
>>479
邪馬台国阿波説の鏑矢は、昭和39年に保田兵治郎が発表した「邪馬台国阿波在国説」であろうと思う。
その後、昭和49年に堤高数氏が「邪馬台国は阿波だった」という小説を発表して、一時注目された。
さらに、阿波1国に限定しない「邪馬台国四国山上説」を岡山県出身の郷土史家・大杉博が、昭和60年ごろからさかんに主張していた。
剣山の失われたアーク同様、四国にまつわる「古くて、しかも新しい問題」ではあるな。

514:名無しさん@1周年
19/07/13 13:50:23.75 YWqtWPPB0.net
>>491
漢字の当て字から改名ってのは割と多いからね
うちの地域だと平家関係で内裏って地名があったんだが江戸時代中期だったかに内裏は恐れ多いからって大里に変わった

515:名無しさん@1周年
19/07/13 13:54:17.89 DIrglCXF0.net
徳島はやたらと古墳が集中してあるらしいな。古墳=権力者?

516:名無しさん@1周年
19/07/13 13:56:12.93 ItBhnLZq0.net
卑弥呼は阿波踊りしながらうどんと鰹のたたきとみかんを食べていた説

517:名無しさん@1周年
19/07/13 13:57:30.46 EouGuutC0.net
ヒミコ0はクレオパトラベースで
淡路の将軍と国の命運を賭けたラブストーリー、戦争、マムシで自殺・・・!!

518:名無しさん@1周年
19/07/13 13:58:20.37 EouGuutC0.net
ちょっと華やかさに欠けるね

519:名無しさん@1周年
19/07/13 14:00:41.88 Wk0vxNdP0.net
>>493
1つ2つの土器の共伴で判断してるわけじゃない
型式変化が早い地域、遅い地域もあり、それも全部考慮されてる

520:名無しさん@1周年
19/07/13 14:00:57.23 YWqtWPPB0.net
>>498
逆に言えば古墳を作れる程度の豪族が割拠しててまとまりがなかったんだと思う。
古墳が権力の象徴って共通意識と情報交流や交易は瀬戸内通じてあったわけで、律令制度後ほどはど田舎ではなかっただろうし

521:名無しさん@1周年
19/07/13 14:11:50.08 AKxhYPl/0.net
また桃か?

522:名無しさん@1周年
19/07/13 14:17:08.62 prbebl/f0.net
畿内説とか、土地のことを全く考えない渡来人の発想だわ。

523:名無しさん@1周年
19/07/13 14:18:56.96 McgqciSp0.net
いよが疎開で何年かいってたとこかな
古代は年齢によって名前の読みが変わるので面倒くさいんじゃ

524:名無しさん@1周年
19/07/13 14:21:12.86 zAAQO6da0.net
>>22
あれは狂気を感じるレベルの大偽書だからな

525:名無しさん@1周年
19/07/13 14:21:15.75 XGSVDfDG0.net
>>1
国生み神話と邪馬台国って直結しないと思うんだけどなぁ…
全体からして無理がある

526:名無しさん@1周年
19/07/13 14:24:02.38 M5ffSdNS0.net
「明史日本伝」
日本は古来より王がおり、臣下では関白という者が最も尊いとされ
山城州の頭目、信長がこれになっていた。
ある日信長が猟に出ると木の下で眠る者がおり、跳ね起きて衝突しそうになった。
何者かと問い詰めると、名を平秀吉と言い薩摩州の奴隷で、雄健ですばしっこく口が上手かった。
信長はこれを悦び、馬の管理をさせ、「木下人」と名づけた。
後に重用され、信長のために策を尽くし、二十余州を切り取り、摂津州鎮守大将となった。
参謀に阿奇支なる者がおり、罪を得て、信長は秀吉にこれを討たせた。
にわかに信長は部下明智に殺される所となり秀吉は阿奇支をまさに滅した時に変を


527:聞き 部将行長らと共に勝ちに乗じて兵を還し、明智を誅したので威名は益々振るった。 信長の三子を廃し、関白を僭称し、信長の衆をことごとく収めたのが万暦十四年である。 「魏志倭人伝」もこのレベルだよ(邪馬台国 w)



528:名無しさん@1周年
19/07/13 14:27:33.29 cpGwpJpI0.net
>>509
なるほど、
全体的にみるとだいたい合ってるけど、
細かいところは全然違うなぁ
これよりも1000年古い魏志倭人伝なんだから正確性は期待できるわけないよな

529:名無しさん@1周年
19/07/13 14:39:00.85 BULvKB1p0.net
>>509
うわ~ なんかそれっぽい文体ですてき こういうのさらっと書けるの憧れるわ

530:名無しさん@1周年
19/07/13 14:43:07.96 ZZaQqOyA0.net
もちろん後漢書にも様々な誤解が含まれてる

531:名無しさん@1周年
19/07/13 14:43:30.94 ZZaQqOyA0.net
隋書はいうまでもない

532:名無しさん@1周年
19/07/13 14:45:23.32 qNiT3tV00.net
>>336
阪神高速湾岸線から西を見れば明石大門(あかしおほと)に架かる
明石海峡大橋の向こう側に沈む夕日が見える時がある。
留火之 明大門尓 入日哉 榜将別 家當不見
留火(ともしび)の 明石大門(あかしおほと)に入らむ日や
漕(こ)ぎ別れなむ 家(いへ)のあたり見ず(万 巻2 254番)
西国の田舎からヤマトへ帰ってくる時の歌
天離る 鄙(ひな)の長道ゆ 恋ひ来れば 明石の門より 大和島見ゆ  巻3-255
天離 夷之長道従 戀来者 自明門 倭(ヤマト)嶋所見 [一本云 家門當見由]
この歌のキーワードとして雑歌,作者:柿本人麻呂,羈旅,望郷,兵庫,地名,枕詞
が挙げられている。
夷=ひな は田舎という意味 魏志倭人伝に云う「夷守」と同じ
当時新羅の使者を接待した太宰府はド田舎だと云ってるwww。
倭(ヤマト) 天平宝字元年(757)以降は「大和」と書かれるようになった。
全く同じ短歌が訓仮名を交えること無くすべて音仮名で書き表されたのが次
麻射可流 比奈乃奈我道乎 孤悲久礼婆 安可思能門欲里 伊敝乃安多里見由
天離る鄙の長道を恋ひ来れば明石の門より家のあたり見ゆ(万第十五巻15-3608)
この歌のキーワードは遣新羅使,天平8年=736年,年紀,古歌,誦詠,異伝,柿本人麻呂,羈旅,地名,明石,兵庫,望郷,転用

533:名無しさん@1周年
19/07/13 14:50:34.71 qNiT3tV00.net
>>464
邪馬台国を滅ぼしたのが朝鮮系の神武一党だろ
九州説では

534:名無しさん@1周年
19/07/13 14:51:03.69 ZZaQqOyA0.net
道と門と見は訓仮名だな
どうでもいいことだが

535:名無しさん@1周年
19/07/13 15:03:54.39 KxUNU+o10.net
>>496
大杉氏は論理が飛躍しすぎていて、何回読んでも納得できないのが残念。

536:名無しさん@1周年
19/07/13 15:06:29.57 DGqD70xH0.net
>>515
畿内説の一つとして、出雲の国譲りの話は大物主を信仰していた男王が九州吉備系の女王(天照)に国を譲って�


537:、立したというのもある



538:名無しさん@1周年
19/07/13 15:10:09.40 XkMP2+St0.net
>>517
読み物としては面白いんだけどねーw
大杉の説に従えば、俺の実家はのまさに葦原中国の中心地域に建ってることになるんだが、何にもないただの田舎だぜ

539:名無しさん@1周年
19/07/13 15:13:27.44 qNiT3tV00.net
>>469
饒速日ビギハヤヒは天の磐舟に乗って大和に降臨=渡来した
ポリネシア、ミクロネシア系縄文人もしくは弥生人。
アマっていうのはミクロネシア諸語でカヌーの転覆防止用に船体と直角に
横に張り出した棒の先端に取り付けたfloat浮きのこと。
URLリンク(ja.wikipedia.org) アウトリガーカヌー参照
(h)URLリンク(detail.chiebukuro.yahoo.co.jp)
磐舟のイワはハワイ語で軍艦鳥Frigatebirdのこと。

540:名無しさん@1周年
19/07/13 15:36:08.05 zolPxPKb0.net
ひるこ様は長男じゃないのか?

541:名無しさん@1周年
19/07/13 15:46:07.35 IGCclCCS0.net
>>478
卑弥呼が死んで九州倭国連盟が再編になって九州北部の国々は近畿ヤマト連合に吸収合併された
九州倭国内部の大国であった伊都国や奴国を中心として、近畿ヤマト連合に参加した国々は筑紫国となった
最期まで抵抗をつづけた勢力は土蜘蛛として討伐された
その勢力がいた場所は山門とか言われてた場所かもしれない

542:名無しさん@1周年
19/07/13 15:51:22.43 jrGFuX2D0.net
>>407
鬼太郎ハウス!

543:名無しさん@1周年
19/07/13 16:16:50.53 ulXkGF740.net
魏志倭人伝の1000里だの100里だのってアテにならないね
あんな時代に正確な測量できるわけないんだから
ものすごく適当に書かれてると思うよ
だから実際は九州でも畿内でも四国でもないかもしれない
全く別の場所だよきっと

544:名無しさん@1周年
19/07/13 16:36:05.25 s86/ps1p0.net
邪馬台国は微妙だが天皇家のルーツは間違いなく徳島

545:名無しさん@1周年
19/07/13 16:42:02.54 zZfBWBTv0.net
延喜式祝詞の祈年祭の最後に忌部について触れられている
辞別きて、忌部の弱肩に太多須支取挂けて、持由麻波利仕へ奉れる幣帛を、神主・祝部等受け賜りて、事過たず捧げ持ちて奉れと宣る。

546:名無しさん@1周年
19/07/13 17:48:40.67 Q8FQoRBS0.net
>>450
はい、バーカ!w

547:名無しさん@1周年
19/07/13 18:21:11.88 qNiT3tV00.net
>>96
>巻向遺跡は・・・
>高床式の遺構ばかりで竪穴式の遺構が出てこないから・・・
饒速日ニギハヤヒが率いる物部氏などの先祖は
高床式建物で有名なパプア・ニューギニアから出発してマレーシア、ベトナム
(h)URLリンク(www.ab-road.net)
を経由して黒潮に乗ることに成功し
熊野もしくは紀伊水道、茅渟の海(=大阪湾)経由で大和に入った。
縄文人は中国人や東南アジア人より古い原始アジア人である
(h)URLリンク(imgur.com)
高床式建物は熱帯地方の高温多湿の地面から上がってくる水蒸気で
木造の建物が腐らないようにするための知恵だ。
神明造りの神社も高床式、正倉院も高床式。
高床式は夏に高温多湿となる日本の気候にマッチしている。
シンガポールの郊外東海岸の高層フラット=日本で言うマンションのグラウンド・フロアーは
吹き抜けで階段で1mほど登った処にエレベーターの入り口がある。
グラウンド・フロアーの吹き抜けは冠婚葬祭の会場として利用される。
朝鮮半島に熱帯、亜熱帯系高床式の建物があったらソースを貼り付けて呉れ。

548:名無しさん@1周年
19/07/13 18:25:20.01 U6m4Igfb0.net
邪馬台国論争収束どころかどんどん発散中
九州
奈良
滋賀
吉備
阿波 ←今ここ

549:婆
19/07/13 18:33:01.08 6/b4+FnV0.net
>>497
なるほどなあ。
「地名は言葉の化石」とか言うけど、こういう「良かれと思った」変更が厄介だ。
前に住んでた新潟には「飛田(ひた)」という地名があるけど、どうやらその由来は
奈良時代に全国の国分寺に併設された悲田院らしい。
「悲」の字を嫌ったんだろうけど、後世の人が見たらわけわからんw
>>511
突っ込まないぞw

550:名無しさん@1周年
19/07/13 18:44:59.44 b+MnzPgm0.net
旧唐書には、日本について
中国で伝承されてきた内容を記した「倭国伝」と
遣唐使を送ってきた大和政権が説明した内容を記した「日本国伝」の
2つの記述が書かれている
中国で伝承されてきた内容を記した「倭国伝」では、聖徳太子が派遣した遣隋使「小野妹子」の帰国に同行して
608年に大和に来た隋の「裴世清」が奈良のことを「邪靡堆を都としており魏志の邪馬臺である」と述べているように
奈良の天皇を頂点とする大和政権は、【親魏倭王】の末裔であるという認識だ
一方、遣唐使の帰国に同行して、632年に大和に来た唐の「高表仁」に、
【皇極天皇】「天豊財重日足姫尊(あめとよたからいかしひたらしひめのみこと)」が自ら説明した内容を記した「日本国伝」によると、
初代の国王は、高天原に生まれた天御中主尊(あめのみなかぬしのみこと)
32代目の国王の「彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえず の みこと)」までは九州の筑紫城に住んでいたが
「彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえず の みこと)」の【第4皇子の神武】が、大和にあったアマテラスの国、親魏倭王の「邪馬台国」を滅ぼして、大和に移り住んでのっとった
我々天皇を頂点とする大和政権は九州の海神の国「狗奴国」【漢委奴国】の末裔であるという認識だ

551:婆
19/07/13 18:49:33.72 6/b4+FnV0.net
>>528
そいや、新羅で高床式の家形土器が出土したとどっかで聞いた気がしてググったら、
URLリンク(books.google.co.jp)
が出て来た。これのp290ね。
こっちはたぶん中国南部からの伝搬だが、実は北方の
ギリヤークあたりでも高床式倉庫はあって、こっちが伊勢神宮の
神明造りの祖だとする説もあったらしい。
>>529
三河説が入っとらんぞ。やりなおし。

552:名無しさん@1周年
19/07/13 18:51:55.35 lIUCJExm0.net
なるほど 今まで見た中で一番説得力があるわ

553:名無しさん@1周年
19/07/13 19:03:28.62 Fx2YfkhT0.net
>>529
さきたま古墳邪馬台国説

554:名無しさん@1周年
19/07/13 19:04:23.39 b+MnzPgm0.net
>>531 つづき
中国で伝承されてきたように【親魏倭王】邪馬台国の末裔だと思ってやってきたのに、邪馬台国と戦争していた【漢委奴国】狗奴国の末裔の国だったんだから
そりゃあ、唐の使者の「高表仁」は、大和政権と口論となるし、あわてて唐に帰国するはずだ

555:名無しさん@1周年
19/07/13 19:51:12.18 YRdtx2jc0.net
樽悶はいい加減に邪馬台国スレをたて続けるのやめれって

556:名無しさん@1周年
19/07/13 19:55:00.73 CC/dVKVP0.net
四国、阿波説が好きならこっちに書いてこいよ
邪馬台国四国説 part3
スレリンク(history板)
バカの立てたスレだが、客が来ると喜ぶぞww

557:名無しさん@1周年
19/07/13 20:05:54.37 R2+gOzNL0.net
>>536
需要があるから建てたスレがすぐ埋まる
何が問題?

558:名無しさん@1周年
19/07/13 20:27:16.89 Mwpc/WsF0.net
三種の神器とは剣、鏡、勾玉の事を指し
.弥生時代後期に副葬品として三種の神器が全部揃って出土した古墳は総て福岡都市圏で
吉武高木遺跡(福岡市西区)三雲南小路遺跡(糸島市)井原遺跡(糸島市)
須玖岡本遺跡(春日市)平原遺跡(糸島市)の五カ所のみ。
古墳時代になったら奈良の遺跡でもようやく三種の神器が出土するようになった。

559:名無しさん@1周年
19/07/13 20:39:34.84 0uNzfRVf0.net
>“柑橘類のある土地であった”
>>1の椿町の近くに橘町があるねw 偶然だろうけどw

560:名無しさん@1周年
19/07/13 20:42:29.08 HgZPD2QA0.net
天皇家のルーツが阿波の方がインパクトあるな

561:名無しさん@1周年
19/07/13 20:44:26.71 ulXkGF740.net
柑橘系の土地といえば四国か和歌山だわな

562:名無しさん@1周年
19/07/13 20:45:14.16 9k7N9/+e0.net
比喩と妄想は違うぞ。
こんな話間に受けた研究する内容でもない。
きっちり遺跡を調査して物証から真実を見極めろ

563:名無しさん@1周年
19/07/13 20:50:50.80 ZlqE6Ssf0.net
ゴッドハンドが決め手何になるなw

564:名無しさん@1周年
19/07/13 21:05:27.17 Mwpc/WsF0.net
君が代の君とは天皇の事を指している訳では無く、福岡市東部を支配していた安曇族の
支配者安曇家を指している。君が代の元歌は志賀海神社の山誉め祭りの中で歌われている
志賀海神社と安曇族、安曇氏は天皇家にも仕えていたから天皇家がこの歌を気に入って
使いだしたのだろう。

565:名無しさん@1周年
19/07/13 21:09:45.37 U0LMC3Wi0.net
>>545
??ただのラブレターだろ、それも古今調の

566:名無しさん@1周年
19/07/13 21:13:44.22 pNbsP5Ys0.net
> しかも、不気味なことに、この遺跡の周辺には、ヒルコ神社が二十数箇所鎮座しているのだ
妖怪ハンター稗田礼二郎の出番か!?

567:名無しさん@1周年
19/07/13 21:13:54.54 g+u7lS79O.net
大体4つ国は、山が険しく瀬戸内沿いまで切り立ったとこで霧も深く空を見るには不適切な場所であり、何より徳島というのは大阪に近いもんで矢鱈商売っ気が強いだけの島流しの場所。

568:名無しさん@1周年
19/07/13 21:14:17.80 KxUNU+o10.net
>>534
時代が合わんでしょ。

569:名無しさん@1周年
19/07/13 21:33:33.09 qNiT3tV00.net
>>510
後漢書東夷伝を無視して
原典版魏志倭人伝じゃない宋版魏志倭人伝を盲信する九州バカが世の中を騒がせる

570:名無しさん@1周年
19/07/13 21:36:44.58 qNiT3tV00.net
>>507
古田教に感染した連中は今でも偽書だと認めないオカルト派

571:名無しさん@1周年
19/07/13 21:41:57.73 qNiT3tV00.net
>>524
邪馬台国はインドネシアのJava島にあった・
邪馬はジャバと読むのが正しい

572:婆
19/07/13 22:10:41.37 6/b4+FnV0.net
>>547
面白いなあ。
ヒルコ(エビス)神といえば、タブーを


573:犯した因果で産まれた不具の子だけど、 同時にアハシマ(あわしま)も産まれて、これも無かったことにされているんだよね。 一般的な解釈では「粟のように小さい島」なんだけど(ちなみに新潟県に実際に その名の島があるが、たぶん無関係)、これが阿波と結びつくのは不自然じゃない。 ところがその粟島神社も淡島神社も徳島では薄くて、同じく遺棄された兄弟の ヒルコ神の方を祀る社が多いと。



574:名無しさん@1周年
19/07/13 22:48:01.31 ZZaQqOyA0.net
>>550
原典版後漢書を見たんか?

575:名無しさん@1周年
19/07/13 22:58:09.24 B2+7LHW50.net
>>549
ボケつぶしいくない

576:名無しさん@1周年
19/07/13 23:14:40.44 ZZaQqOyA0.net
隋書だって「倭」国とは彫ってないしな

577:名無しさん@1周年
19/07/13 23:15:16.32 qNiT3tV00.net
>>554
URLリンク(29.pro.tok2.com)
↑の右ページ3行目から東夷伝倭の条が始まる。
左ページ終わりから2行目下から5字目
自女王國東度海千餘里至拘奴國 雖皆倭種而不屬女王 自女王國南四千餘里至侏儒國・・・
拘奴國=狗奴國が女王國の東の海を渡って千里の処にある
というのが宋版三国志魏志倭人伝と違う処。
URLリンク(29.pro.tok2.com)

578:名無しさん@1周年
19/07/13 23:31:18.21 ZZaQqOyA0.net
>>557
それいつのだよ
20世紀の印刷本かなんかじゃないのか?
聞いてるのは「原典」だ

579:名無しさん@1周年
19/07/13 23:35:55.20 myQ0wkVa0.net
>>538
九州のゴミ朝鮮人に需要があるだけだろ
死ねよアホボケカス

580:名無しさん@1周年
19/07/13 23:56:04.87 BSBPNWPQ0.net
邪魔大王国

581:名無しさん@1周年
19/07/14 00:09:31.05 RmfFzhvX0.net
しねぇっ

582:名無しさん@1周年
19/07/14 00:13:51.59 64ucNOeV0.net
>>1
どこいっきょん?

583:名無しさん@1周年
19/07/14 00:47:36.33 N2FM7TnzO.net
近畿なら魏史倭人伝に、人間の姿をしているが、で始まってんだよ。

584:名無しさん@1周年
19/07/14 01:37:55.26 R2XxCRNI0.net
倭 在帯方東南大海 中、依山島為国 。(魏略)
倭人在帯方東南大海之中、依山島為国邑。(魏志)
帯方より女 国に至る万二千余里。(魏略)
郡より女王国に至る万二千余里。(魏志)
自帶方至女国万二千余里(太平御覧・倭条)
百女国以北其戸数道里可得略載(翰苑)
自女三國以北其戸數道里可得略載(紹興版本魏志倭人伝)

と中国の歴史書なんかテキトーに孫引きして
もともと酷いシロモノだからな
こんなシロモノに書いてある数字をいちいち正確に真に受けるほうが
どうかしてるからな

つまり魏志倭人伝の数字をまにうけてるヤツは池沼

585:名無しさん@1周年
19/07/14 01:49:38.84 UX1BUAJC0.net
その魏略はどの本です見たんだよ

586:名無しさん@1周年
19/07/14 01:50:13.66 UX1BUAJC0.net
本です→本で

587:名無しさん@1周年
19/07/14 02:45:25.58 snkp7PMV0.net
わしが書いたから間違いないよ

588:名無しさん@1周年
19/07/14 03:47:32.37 EAKibEyf0.net
卑彌呼がほなけん言ってたかと思うとなんかねえ…

589:名無しさん@1周年
19/07/14 05:09:42.28 XGKbp6KD0.net
>伊予が卑弥呼の後継者「いよ(壹與)」と同じ発音
おいおい、阿波風土記は古田 武彦が溺愛した12世紀の改竄版魏志倭人伝を見て書いたのかよ
阿波県民の思考回路は時代考証が出来ない朝鮮人とそっくりじゃないかwwwww

590:名無しさん@1周年
2019/07/1


591:4(日) 05:46:19.48 ID:XGKbp6KD0.net



592:名無しさん@1周年
19/07/14 05:50:55.29 kVnfydc30.net
>>531
この天皇が説明した内容ってどこにあるの
wikisourceの旧唐書見ても無いんだけど

593:名無しさん@1周年
19/07/14 06:37:52.46 Yz0HtAod0.net
>『徳川実紀』「常憲院殿御実紀」巻39元禄12年4月29日条を読め
この『徳川実紀』「常憲院殿御実紀」巻39元禄12年4月29日条に、どうして阿波国の麻植郡や三好郡・板野郡が、唐突に登場するのだろうか?
「古代天子葬之場所有之由の候… 」 この記述から、徳川幕府は阿波国に古代天皇陵が存在することを知っていたことになる。
ちなみに、淡路島も阿波国だから。 念のため。   @阿波

594:名無しさん@1周年
19/07/14 06:55:37.05 0zecbCwx0.net
>>572
> ちなみに、淡路島も阿波国だから。 念のため。   @阿波
なんでそんな嘘を書く?淡路島は淡路国であって阿波国になったことは無い。
蜂須賀家が治める地では有ったが、あくまで二国扱い、洲本に城が存在していたが、一国一城令には違反していない、
なぜならあくまで二国だから。
蜂須賀家は阿波・淡路の二国を治める太守だった訳である。

595:名無しさん@1周年
19/07/14 07:21:28.74 R85ZR/Yt0.net
>>573
少なくとも延喜式では、間違いなく阿波国と淡路国は別々に書かれてるね。
古い神社の所在地でも調べれば一発でわかる。

596:名無しさん@1周年
19/07/14 07:26:04.38 Yz0HtAod0.net
畿内第V様式土器はあくまで、厚型重量弥生式土器。 そんなものの文化斉一性に意味はない。
文化的斉一性が見られるのは、軽量薄型丸底土器。 いわゆる「東阿波型土器」なのである。   
鮎喰川下流集落群では、弥生終末期には軽量薄型の土器が生み出される。
中・東部瀬戸内から大阪湾岸地域、淀川地域・山城地域に搬出された阿波を代表する土器であり、東阿波型土器と呼んでいる。
企画性が強く、器壁内面にヘラケズリと指頭圧痕を残す製作技法に特徴がある。土器製作専業集団によるものだろう。
類似技法による土器は讃岐・吉備に拡がり、薄型土器の南北軸を形成している。   @阿波

597:名無しさん@1周年
19/07/14 07:26:25.16 7dg2Ku2m0.net
>>70
なら九州の人が引っ越して住み着いたのが奈良ってことだよな

598:婆
19/07/14 07:29:17.62 In00/u2r0.net
>>569
対岸はトヨ(豊)の国だから、当たらずとも遠からじw
周防灘(豊前海)はトヨタマビメと神功皇后の世界だしね。

599:名無しさん@1周年
19/07/14 07:31:01.36 /VNzKkd20.net
中国人「違います」

600:名無しさん@1周年
19/07/14 07:32:05.26 pvTB8il00.net
日本側に裏付けるものがたくさんあるのはすごいね
これがいままでで一番ダントツ説得力が有るわw
ほかの畿内説だの九州説だのはなんの裏付けもないから興味もなかった

601:名無しさん@1周年
19/07/14 07:32:57.48 Yz0HtAod0.net
>>573
>なんでそんな嘘を書く?淡路島は淡路国であって阿波国になったことは無い。
卑弥呼の時代に、淡路国とか阿波国とか、そんな区別はない。  淡路島は鳴門の目と鼻の先だよ。 ワハハハハは   @阿波

602:名無しさん@1周年
19/07/14 07:36:35.32 XSKWBpy70.net
太平洋から上陸したなら可能性はあるけど
九州いくだろ普通w

603:名無しさん@1周年
19/07/14 07:37:17.48 Yz0HtAod0.net
>>573
淡路島は、倭国(阿波)の数ある 島嶼のひとつ。  ワハハハハは   @阿波

604:名無しさん@1周年
19/07/14 07:38:22.15 gcf+BC4fO.net
不気味なことに

605:名無しさん@1周年
19/07/14 07:44:19.99 Yz0HtAod0.net
「東征毛人五十國西服衆夷六十六國 渡平海北九十五國」
これはずばり、四国(阿波)を中心とした東・西・北の展開記述
東征毛人五十五國 =近畿以東(北関東含む)
西服衆夷六十六國 =西瀬戸内・九州
渡平海北九十五國 =東瀬戸内・山陰・北陸 
これは、倭国(阿波)から進出した忌部一族の開拓地域なのである。  @阿波

606:名無しさん@1周年
19/07/14 07:45:22.51 xz6zAt2X0.net
淡路島と徳島県本土が分断されてるのはそういう事実を抹殺するための方策とも言えるしね

607:名無しさん@1周年
19/07/14 07:49:24.41 VZkygutm0.net
三笠宮殿下も天皇家は博多湾岸が発祥の地とおっしゃられたそうだ。
偏見を持たずに素直に考えたらそう言う考えに行き着くのは自然の成り行き

608:名無しさん@1周年
19/07/14 07:53:06.37 lEuag29T0.net
ないわ

609:名無しさん@1周年
19/07/14 07:55:53.03 N2FM7TnzO.net
古墳の壁画にでも倭人の顔に鳴門の入れ墨でも入ってたら信じてやるよ

610:名無しさん@1周年
19/07/14 07:59:04.62 V6XaqR9d0.net
>>576
九州と奈良の間に四国の期間があるんだろう
でないと忌部の存在を説明できない

611:名無しさん@1周年
19/07/14 07:59:25.88 0zecbCwx0.net
>>580
その論理なら阿波国っていうくくり自体自体おかしいだろ、冷静になれよ。
俺が子供の頃習った徳島の歴史では阿波国成立前は、
北部吉野川周辺の「粟国」と徳島市南部以南の「長国」の二国があって、二つを合併して阿波国としたとあったが・・・。

612:名無しさん@1周年
19/07/14 08:02:00.01 V6XaqR9d0.net
国生みの矛でかき混ぜて・・は明らかに鳴門の渦を表してる
あと神武東征の珍(うず)彦は鳴門出身ってことだろ

613:名無しさん@1周年
19/07/14 08:02:05.34 2VBMRDUg0.net
>>582
単なる妄想やんけ

614:名無しさん@1周年
19/07/14 08:04:17.33 Pixh915S0.net
邪馬台国は畿内だと複数の偉い学者さんが言ってるんだが

615:名無しさん@1周年
19/07/14 08:04:32.56 N2FM7TnzO.net
お遍路でもわかるように、一歩踏み込むとちょっと別世界なんだよ。だから島流しやら墓地にしてた場所だろ。

616:名無しさん@1周年
19/07/14 08:04:44.68 w6wEw6nI0.net
>>553
阿波というと、鳴門からイメージして泡かと思っていたが、稲作伝来前の粟かもしれないですな。

617:名無しさん@1周年
19/07/14 08:06:55.96 Qg8ehSIr0.net
もうどこでもえーから不毛な論争にケリつけろやアホらしい

618:名無しさん@1周年
19/07/14 08:07:00.30 V6XaqR9d0.net
>>586
国生みは九州からはじまらない
九州から四国に移民し住み着いて
四国の人間が天皇を名乗り建国したんだろう

619:名無しさん@1周年
19/07/14 08:07:00.59 Yz0HtAod0.net
>>590
淡路島は鳴門の目と鼻の先。
淡路島は、倭国(阿波)の数ある 島嶼のひとつ。  ワハハハハは   @阿波

620:名無しさん@1周年
19/07/14 08:07:40.54 ycg4il5H0.net
実は邪馬台国は信長のように勢力拡大につれていくつも本拠を変えてた説

621:名無しさん@1周年
19/07/14 08:09:01.84 Yz0HtAod0.net
>>592
>単なる妄想やんけ

妄想もなにも、淡路島は鳴門の目と鼻の先。
淡路島は、倭国(阿波)の数ある 島嶼のひとつ。  ワハハハハは   @阿波

622:名無しさん@1周年
19/07/14 08:10:43.62 Y8dqOUX00.net
>>586
初代・神武天皇が福岡で即位したのは間違いなさそうだが
すぐに奈良に遷都してるし、出身が福岡かは微妙

623:名無しさん@1周年
19/07/14 08:11:00.25 Yz0HtAod0.net
>>586
>三笠宮殿下も天皇家は博多湾岸が発祥の地とおっしゃられたそうだ。
なんで九州に在る温泉への天皇行幸が、近年まで無かったのだろうか?
近年になるまで、九州には温泉が無かったのだろうか?
あとは、推して知るべし。   @阿波

624:名無しさん@1周年
19/07/14 08:13:27.26 N2FM7TnzO.net
神武が何時の時代かで奈良か近畿かなんだろうけど、元々奈良に居たのはナガスネヒコで土蜘蛛だからな。神武が裏切り者か、出雲にたぶらかされた、ナガスネヒコ(婿を半島からとってる)のどちらかだね。

625:名無しさん@1周年
19/07/14 08:15:20.42 Y8dqOUX00.net
>>602
温泉地じゃないからね。温泉しかないような田舎だと
温泉への天皇行幸と言うが、福岡だと温泉はメインじゃないからね、ついで温泉入るけど

626:名無しさん@1周年
19/07/14 08:16:04.90 2VBMRDUg0.net
>>601
即位したのは畝傍の橋原宮だろ?
代替わりしたって意味なら東征前だろうけどそれは宮崎。

627:名無しさん@1周年
19/07/14 08:17:43.37 vjTj6xXq0.net
>>552
それに一票

628:婆
19/07/14 08:19:24.45 In00/u2r0.net
>>595
粟(阿波)の国や、黍(吉備)の国や小豆の島なんかがあるよね。
九州の豊の国の豊(豊草)も里芋のことらしいし、難波は「魚(ナ)の庭」、
安芸の国は「飽食の国」の意味だそうな。
そのあたりの事情は、木村紀子「『食いもの』の神語り」(角川選書)によると、
 > 太古の人々は、自ら居住するクニが、いかに「食ひて活くべきもの」に
 > 困らない豊かな土地かを競って、その独自性を際立たせた名を国名にした。
てなことなんだと。

629:名無しさん@1周年
19/07/14 08:20:07.96 0zecbCwx0.net
>>598
確かに大毛島から淡路は目と鼻の先だが、違う国だった歴史はどう説明するん?
阿波と讃岐は峠一つ挟んで目と鼻の先だが、だったら同じ国なのか?
阿波と土佐は海沿いに歩けば大した難所も無く目と鼻の先だが、同じ国なのか?
池田から銅山川沿いに歩けばあっという間に伊予の国だが、だから何なの?

630:名無しさん@1周年
19/07/14 08:21:36.81 Yz0HtAod0.net
>>604
>温泉への天皇行幸と言うが、福岡だと温泉はメインじゃないからね、ついで温泉入るけど
それ、言い訳になった無いよ。 
九州には歴代天皇が居なかったってこと。  わははははは  @阿波

631:名無しさん@1周年
19/07/14 08:22:17.56 w6wEw6nI0.net
>>607
いい薀蓄、ありがとうございます。

632:名無しさん@1周年
19/07/14 08:24:28.14 Y8dqOUX00.net
>>603
日本と朝鮮と中国の歴史書を読むと漢委奴国王が神武天皇である。
初めて金印を授かった倭王を初代天皇としたのは納得がいくしね。
証拠
・日本で編纂された『新撰姓氏録』には神武天皇の兄は、新羅王の祖であると書かれている。
・『新羅本記』によると西暦57年、倭人の脱解尼師今が新羅王に即位した。
・『後漢書』によると西暦57年、倭奴国王が金印を授かった。
※西暦57年、金印を授かった神武が初代天皇になり、金印の威光によって神武の兄が新羅王に即位したと考えられる。
『新羅本紀』によれば、
新羅には朴氏・昔氏・金氏の3姓の王系がある。
昔氏の始祖が、西暦57年に新羅の王になった倭人の脱解尼師今である。
脱解尼師今は丹波国(京都)の出身だが
神武天皇は丹波国(京都)に近い奈良県橿原市に都を造った。
おそらく神武天皇も畿内出身

633:名無しさん@1周年
19/07/14 08:25:52.53 Yz0HtAod0.net
>>608
>確かに大毛島から淡路は目と鼻の先だが、違う国だった歴史はどう説明するん?
>阿波と讃岐は峠一つ挟んで目と鼻の先だが、だったら同じ国なのか?
あのねぇ、もうすこし、現代の感覚から脱却しないと、古代は語れないよ!
卑弥呼の時代に、阿波国も讃岐国も淡路国も、ない! 
みんな倭国(阿波)のうち。  @阿波

634:名無しさん@1周年
19/07/14 08:29:45.04 Yz0HtAod0.net
>>607
「阿波の神様 大宜都比売」
大宜都比売(大気都比売神、大宜津比売神、大気津比売神)は、日本神話に登場する女神。
名前の「オオ」は「多」の意味、「ゲ」は「ケ」の食物の意味で、穀物・食物・蚕の女神である。
『古事記』においては、「大宜都比売」は国産みにおいて伊予之二名島(四国)の中の「阿波国の名前」として初めて表れる。
阿波忌部は、海部(あまべ)とともに日本各地に進出して、麻、穀を植え、農業、養蚕、織物、製紙、建築、芸能などを伝えた祭祀


635:族、海民族、産業技術集団。  @阿波



636:名無しさん@1周年
19/07/14 08:33:00.06 xz6zAt2X0.net
『wa』国が『awa』国だったのは自然

637:名無しさん@1周年
19/07/14 08:33:23.92 0zecbCwx0.net
>>612
より古い時代のほうが、より細かく国が分かれていたと思うんだけど・・・。
@阿波さんの説だと倭国はかなりの大国になると思いますが、
具体的にどのぐらいの範囲を想定していますか?

638:名無しさん@1周年
19/07/14 08:36:53.73 x5mHC5sk0.net
ワシは「古代四国は流刑地」派。

639:名無しさん@1周年
19/07/14 08:37:21.32 Y8dqOUX00.net
九州王の年表
(紀元前2世紀) 奴国の吉武高木遺跡
(紀元前2~1世紀) 奴国の須玖岡本遺跡  
(紀元前1世紀の王・王妃墓) 伊都国の三雲南小路遺跡
(紀元1~2世紀の王墓)伊都国の井原鑓溝遺跡 ←遺跡調査によって漢鏡流通の核としての機能が停止してことが判明
(紀元2~3世紀の女王墓)伊都国の平原遺跡 ← 遺跡調査によって平原遺跡の衰退時期であることが判明(魏志倭人伝によると邪馬台国の一大率に支配されていた時期)
※『日本書紀』によると伊都国の王(九州王)は仲哀天皇の時代(4世紀頃)に完全に家来になった。 ←伊都国の九州王家滅亡

640:名無しさん@1周年
19/07/14 08:37:44.35 nSXw0DwK0.net
卑弥呼の駅

641:名無しさん@1周年
19/07/14 08:37:59.04 Yz0HtAod0.net
>>615
>@阿波さんの説だと倭国はかなりの大国になると思いますが、
卑弥呼の時代の倭国は、せいぜい阿波・讃岐・淡路・吉備ぐらいだろうね。   @阿波

642:名無しさん@1周年
19/07/14 08:40:52.84 0zecbCwx0.net
>>619
何処も水稲栽培には決して適地と言えない所ばかりですね。
灌漑に苦労しそうです。

643:名無しさん@1周年
19/07/14 08:42:43.02 Xr4OrL8c0.net
>>339
お前NGな

644:名無しさん@1周年
19/07/14 08:42:57.91 VZkygutm0.net
いわゆる、三種の神器とは剣、鏡、勾玉の事を指し
.弥生時代後期に副葬品として三種の神器が全部揃って出土した古墳は総て福岡都市圏で
吉武高木遺跡(福岡市西区)三雲南小路遺跡(糸島市)井原遺跡(糸島市)
須玖岡本遺跡(春日市)平原遺跡(糸島市)の五カ所のみ。
古墳時代になったら奈良の遺跡でもようやく三種の神器が出土するようになった。

645:婆
19/07/14 08:43:55.71 In00/u2r0.net
>>613
こっちは環太平洋焼畑文化圏の、ハイヌウェレ神話からやってきた女神だよね。
黒潮が洗う阿波国にやってきて居ついたのは、いかにもという感じだよね
(吉田敦彦「昔話の考古学」(中公新書))。
ただ、古事記の中では稲や養蚕までオホゲツヒメ起源にされているが、これは
7世紀後半の状況を踏まえた改変で、彼女はあくまで畑(焼畑)の神なのだ。

646:名無しさん@1周年
19/07/14 08:43:56.44 e52Z4Mpp0.net
ヤマトと邪馬台国の関係は知らんが
邪馬台国は近畿じゃない。邪馬台国は周囲5000里の島の中

647:名無しさん@1周年
19/07/14 08:44:33.37 Xr4OrL8c0.net
>>391
お前磐井を過小評価するなよ

648:名無しさん@1周年
19/07/14 08:44:50.77 Yz0HtAod0.net
>>620
弥生時代前期末から中期初頭(2400年~2300年ほど前)にかけて、西日本一帯で発生した大洪水を無視してはだめですよ。
灌漑水田稲作は壊滅です。 
この洪水被害は大規模かつ広域的なもので、京都盆地や奈良盆地、岡山平野、博多平野、濃尾平野など広く西日本一帯で確認されている。
その大洪水により、阿波においては弥生時代中期初頭には各集落が小規模化し、一部で大柿遺跡の棚田がみられるが、縄文的な生業と地域社会へ回帰するような様相をみせるらしい。
弥生時代前期中葉に大規模化した灌漑水田稲作経営は、災害の影響もあって一段落したものと考えられている。
土器の植物種実圧痕観察(レプリカ法)により、弥生時代終了までイネに替わり、アワ・キビ・ヒエなどが主流であったようだ。  @阿波

649:名無しさん@1周年
19/07/14 08:46:59.67 Yz0HtAod0.net
>>622
>いわゆる、三種の神器とは剣、鏡、勾玉の事を指し
その、「剣、鏡、勾玉」は倭国(阿波)の専売特許だよ。 


650:わははははは  @阿波



651:名無しさん@1周年
19/07/14 08:47:40.67 VZkygutm0.net
卑弥呼の墓は祇園山古墳で、壹與の墓は平原古墳。三種の神器も出土しているし、
近くの神社は君が代ゆかりのさざれ石(細石)神社だし,小戸海岸、日向峠、
山門、能古乃島(おのころ島)志摩などの記紀に記載のある地名も近くにある。

652:名無しさん@1周年
19/07/14 08:48:37.07 kVnfydc30.net
>>607
小豆島は音読みだからちょっと違うんじゃないの?

653:名無しさん@1周年
19/07/14 08:49:26.90 Y8dqOUX00.net
>>628
出土品を見ると明らかに邪馬台国とは時代が違う

654:名無しさん@1周年
19/07/14 08:49:42.20 Yz0HtAod0.net
>>623
>7世紀後半の状況を踏まえた改変で、彼女はあくまで畑(焼畑)の神なのだ。

だから、
弥生時代前期末から中期初頭(2400年~2300年ほど前)にかけて、西日本一帯で発生した大洪水を無視してはだめですよ。
灌漑水田稲作は壊滅です。 
この洪水被害は大規模かつ広域的なもので、京都盆地や奈良盆地、岡山平野、博多平野、濃尾平野など広く西日本一帯で確認されている。
その大洪水により、阿波においては弥生時代中期初頭には各集落が小規模化し、一部で大柿遺跡の棚田がみられるが、縄文的な生業と地域社会へ回帰するような様相をみせるらしい。
弥生時代前期中葉に大規模化した灌漑水田稲作経営は、災害の影響もあって一段落したものと考えられている。
土器の植物種実圧痕観察(レプリカ法)により、弥生時代終了までイネに替わり、アワ・キビ・ヒエなどが主流であったようだ。  @阿波

655:名無しさん@1周年
19/07/14 08:49:49.20 Xr4OrL8c0.net
>>624
それは「参問倭地」を誤読した良くある間違い。
参問は「アとイを比較する」と言う意味。
アが裸国、黒歯国でイが倭地。
つまり周旋五千余里は裸国、黒歯国のある島のこと。
もっと言うとハワイ島。

656:名無しさん@1周年
19/07/14 08:50:17.93 Xr4OrL8c0.net
>>614
不自然。

657:名無しさん@1周年
19/07/14 08:50:41.69 N2FM7TnzO.net
泡は奄美、沖縄のことだよ。記紀は、4世紀位に書かれた中国の磐古のほぼ写しに近い。伝説に信憑性はないがアレンジはしてるから丸きり信じたら、編集者の思うツボ、つうか奈良になるに決まってる。そう思わす為に書いてあんだから

658:名無しさん@1周年
19/07/14 08:50:56.77 Xr4OrL8c0.net
>>552
古代日本語では語頭に濁音は来ない。
間違い。

659:名無しさん@1周年
19/07/14 08:51:20.68 Yz0HtAod0.net
>>628
>卑弥呼の墓は祇園山古墳で、
「丹」の採れない北部九州に、卑弥呼が居るわけがない。   以上。   @阿波

660:名無しさん@1周年
19/07/14 08:52:35.10 Xr4OrL8c0.net
近畿パーが必死だけど、もうヨソ事言って誤魔化すしか手が無くなったのが良く分かるだろ?
www

661:名無しさん@1周年
19/07/14 08:52:55.74 V6XaqR9d0.net
>>624
四国だな
記紀で女神の国は四国だけ
素直に考えれば四国が女王国

662:名無しさん@1周年
19/07/14 08:54:06.79 BWyLjLkwO.net
>>613
忌部神社

663:名無しさん@1周年
19/07/14 08:54:22.15 Xr4OrL8c0.net
>>607
豊の国は違うなあ。
台与からだよ。

664:名無しさん@1周年
19/07/14 08:54:22.86 VZkygutm0.net
福岡県旧朝倉郡(上座郡、下座郡)にある式内社
麻弖良布( マテラフ)神社 美奈宣(ミナギ)神社
於保奈牟智(オホナモチ)神社
於保奈牟知神社は現在は大神神社で奈良の大神神社と同じで祭神は
大己貴命で大国主の事だから出雲大社の祭神と同じ。
字体から分かるように朝倉の於保奈牟智神社の方が奈良の大己貴神社よりも古い

665:婆
19/07/14 08:55:56.94 In00/u2r0.net
>>626
その洪水が本当かどうかは知らんけど、古事記冒頭の句を思い出した。
 > 国わか)して浮きし脂の如くして、クラゲなす漂へる時、
 > 葦牙の如く萌えあがる物によりて成れる神の名は、ウマシアシカビヒコヂの神。
まあ、全てを埋め尽くしたドロドロの氾濫原に葦が生えてきたのを見つけて、
ちょっと嬉しかったんだろうなとは思うw

666:名無しさん@1周年
19/07/14 08:56:02.58 Xr4OrL8c0.net
因みに、豊前の宇佐神宮はトヨを祀る神社ね。

667:名無しさん@1周年
19/07/14 08:56:55.56 0zecbCwx0.net
社伝によると阿波のとある神社は、伊勢から粟作りの技術を持った集団がやって来たと解釈できる記述が有るのよね。
神代レベルの記憶だと思われるんだが、この場合神代は、縄文後期ぐらいなのかな?

668:名無しさん@1周年
19/07/14 08:58:09.12 Xr4OrL8c0.net
>>617
伊都国の王は九州王なんかじゃ無いよ。

669:名無しさん@1周年
19/07/14 08:58:37.49 Yz0HtAod0.net
>>641
>大己貴命で大国主の事だから出雲大社の祭神と同じ。
【大国主神を祀る、全国唯一の式内社「八鉾神社�


670:v】 徳島県阿南市長生町に鎮座する「八鉾神社」。祭神は大己貴命。延喜式内社である。 この「八鉾神社」には四つの重要文化財が神宝として保管されている。 また「八鉾神社」自体も重要文化財に指定されているので、合計五つの重要文化財を持ち合わせている神社となる。 一つは「大己貴命 木造彫刻立像」 二つ目は「少彦名命 木造彫刻立像」 三つ目が「二品家政所 下文 」 四つ目が「附紺紙金泥法華経」である。 この八鉾神社、阿波では出雲の「杵築大社(出雲大社)」の元社であると伝えられている。 平安時代に記録される3132座の式内社の中に、これら八鉾神社や事代主神社・多祁御奈刀祢神社等の国譲りに遣わされた神達を祀る神社は、阿波にしかない。   @阿波 【大国主神を祀る、全国唯一の式内社「八鉾神社」】    https://blogs.yahoo.co.jp/noranekoblues/47852915.html?__ysp=44CM5YWr6Ym%2B56We56S%2B44CN44CR



671:婆
19/07/14 08:59:40.28 In00/u2r0.net
>>629
ううむ、木村先生の筆が滑ったのかしら…。
一応、wikipediaには「古代には『あずきしま』と呼ばれ」とは書いてあるな。

672:名無しさん@1周年
19/07/14 09:00:04.72 N2FM7TnzO.net
ウガヤは鵜飼のことかね?海鵜、水に潜りペリカンのように魚を取る民族。

673:名無しさん@1周年
19/07/14 09:02:19.56 w6wEw6nI0.net
>>644
鬼界カルデラの噴煙で(7500年前?)壊滅した阿波に、被害が軽かった伊勢からの移民がいたのかもしれませんね。

674:婆
19/07/14 09:03:07.16 In00/u2r0.net
>>631
記紀神話的には、稲を伝えたのはニニギだしなあ(というかアマテラスが持たせた)。
こっちはデメテル型神話と言うらしい。

675:婆
19/07/14 09:06:07.03 In00/u2r0.net
>>640, >>643
俺もそっちだと思ってた(竜宮出身のトヨタマビメはイモの女神じゃないもんねw)。
でも、木村先生の説の方が説得力があるなあと。

676:名無しさん@1周年
19/07/14 09:07:05.11 Y8dqOUX00.net
以前、色んな資料を調べて作った年表
西暦57年 福岡の奴国王が金印「漢委奴国王」を授かり、初代・神武天皇が誕生
107年 倭国王帥升等(6代・孝安天皇)が後漢に朝貢
177年 10代・崇神天皇が即位
179年 奈良県の三輪山西麓の瑞籬宮に都を移した。
181年 ニュージーランドのタウポ大噴火
181年 崇神5年、疾病の流行。『崇神紀』によると「倭国の人口の半分が死んだ」
181年  『後漢書』によると「空が黄色くなり太陽が覆われた。」 「6月に雹が降った。大きさは鳥の卵ほどもあった。」
182年 『後漢書』によると「井戸の中が凍ってしまった」異常気象を示す記述は2年続く
181~184年 倭国大乱
183年 モモソ姫の助言で大田田根子に大物主神を祀らせたら五穀豊穣となり疾病が治まった。
184年 疾病などの影響で崇神天皇が権威を失った。倭国を救ったスーパーヒーローのモモソ姫か大田田根子が女王・卑弥呼になった。
184年 黄巾の乱が勃発し、漢が衰退した。漢から授かった金印の権威消失。
198年(戊寅年) 崇神天皇が崩御した。
199年 12代・垂仁天皇が即位した(倭王ではなく女王・卑弥呼を補佐する役割)
202年 纒向珠城宮(纒向遺跡)に都を移した。
※『魏志倭人伝』によると官のトップは伊支馬(垂仁天皇の本名は伊久米),次席は弥馬升(垂仁天皇后の本名は日葉酢)
237年 垂仁天皇が崩御した。
238年 第12代・景行天皇が即位した。(女王・卑弥呼を補佐する役割)
238年 難升米と都市牛利が魏に朝貢した。卑弥呼が「親魏倭王」の金印を授かった。
248年 『三国志』によると女王・卑弥呼がついに亡くなった。
264年 景行27年、景行天皇の息子ヤマトタケルが熊襲討伐に成功。
266年 台与が晋に朝貢した。
※約100年間の天皇不在の空白期間
※卑弥呼と台与など女王の歴史を日本の歴史から消す代わりに架空の天皇である第13代天皇と第14代天皇と神功皇后を創作し空白期間を埋めた。
390年頃 第15代・応神天皇が即位した。
※学者の間でも応神天皇は新王朝が定説

677:名無しさん@1周年
19/07/14 09:07:12.02 2VBMRDUg0.net
>>641
大神神社の主祭神は大物主大神
配祀神が大己貴命と少彦名神
少なくとも大神神社では大物主と大国主は別々に祀らてる。

678:名無しさん@1周年
19/07/14 09:09:08.19 Y8dqOUX00.net
>>645
遺跡の規模が福岡よりも大きいので明らかに伊都国王が九州王だよ
魏志倭人伝にも代々の王が伊都国にいると書かれてるし

679:名無しさん@1周年
19/07/14 09:09:26.73 VZkygutm0.net
邪馬台国アンケート調査結果
「貴方は邪馬台国はどこにあったと思いますか?」
1.北部九州80%
2.判らない10%
3.奈良7%
4.興味が無い2%
5.徳島1% ←www

680:名無しさん@1周年
19/07/14 09:10:17.54 Xr4OrL8c0.net
>>654
間違い。

681:名無しさん@1周年
19/07/14 09:10:41.31 N2FM7TnzO.net
アマテラス、アマテラスと勝手に言うが、卑弥呼が太陽信仰だなんてひとつも書かれて無いぞ、そもそも古代中国は太陽信仰ではないし、中国海人の流れらしき卑弥呼は、陰陽に近いだろ。

682:名無しさん@1周年
19/07/14 09:12:04.98 Xr4OrL8c0.net
>>657
そうだけど、アマテラスは卑弥呼+トヨだとしか考えられ無いし、
卑弥呼は日の巫女の意味である可能性が高い。

683:名無しさん@1周年
19/07/14 09:13:09.63 2VBMRDUg0.net
>>657
卑弥呼は骨を焼いてたばーさん
暦のない邪馬台国に太陽信仰の巫女という設定自体があり得んのよね。

684:名無しさん@1周年
19/07/14 09:13:39.74 Xr4OrL8c0.net
>>659
あり得ないのはお前。

685:名無しさん@1周年
19/07/14 09:14:25.37 Y8dqOUX00.net
>>656
反論しなよw

686:名無しさん@1周年
19/07/14 09:14:39.11 Xr4OrL8c0.net
アマテラスは卑弥呼+トヨだとしか考えられ無いし、
卑弥呼は日の巫女の意味である可能性が高い。

687:名無しさん@1周年
19/07/14 09:16:31.33 2VBMRDUg0.net
>>660
少なくとも魏志倭人伝では、邪馬台国には暦がないと書かれているし、骨を焼いて吉兆を見るともある。
魏志倭人伝の邪馬台国の記述には、太陽信仰の巫女の素地がない。

688:名無しさん@1周年
19/07/14 09:16:35.65 N2FM7TnzO.net
俺は日向呼だと思うが、日の巫女でもいいが、伊勢神宮も明け方まで仕事してると言われるように、月読みで太陽の下の木星が重要なんだよ。

689:名無しさん@1周年
19/07/14 09:18:34.61 VfugHRjI0.net
>>40
決定権は中国の方にある
向こうで当時の邪馬台国の場所が書かれた地図が出てきたとき

690:名無しさん@1周年
19/07/14 09:18:50.11 Xr4OrL8c0.net
>>655
北部九州ってか筑紫平野ね。
御井かその周辺のどこか。
とにかく近畿パーが「ここは誰?私はどこ?」やってる
だけのことで、結論は出ている。
少なくとも卑弥呼の墓は御井の祇園山古墳で100%間違い無いし、
邪馬台国がそのすぐ周辺にあることもほぼ間違い無い。

691:名無しさん@1周年
19/07/14 09:19:40.45 Xr4OrL8c0.net
>>663
暦が無いなんて書いて無いだろ

692:婆
19/07/14 09:20:14.66 In00/u2r0.net
>>659
> 暦のない邪馬台国に太陽信仰の巫女という設定自体があり得んのよね。
この視点は鋭いかもしれない。
だけど一方、銅鏡祭祀は多かれ少なかれ太陽がらみのような気はする。
たとえば吉野ヶ里の建物は南向き、纏向では東向きだけど、
いずれにしても建物の入り口に立って民衆と向き合う人物は
日に照らされ、胸に下げた鏡は太陽の反射で人々の目を射ると。

693:名無しさん@1周年
19/07/14 09:21:05.75 Y8dqOUX00.net
>>663
「暦」はなかったかもしれないが稲作やってたんだから
当然、太陽の観測はしてたよ

694:名無しさん@1周年
19/07/14 09:21:48.76 Xr4OrL8c0.net
あと伊都国と邪馬台国を同一視するのいいかげん止めろ
伊都国が邪馬台国なわけが無いだろキチガイども
そんなもん奴国が実は邪馬台国だったとか言い出すのと大差無いわキチガイども

695:名無しさん@1周年
19/07/14 09:22:31.37 Xr4OrL8c0.net
>>668
全然するどくない

696:名無しさん@1周年
19/07/14 09:24:33.95 qMBRpwQD0.net
日本が国史を編さんするにあたって、各地方から風土記を提出させた。現存する物は
出雲風土記(大国主命の国ゆずり)位のもので、他は散逸してしまった。阿波風土記
なるものがどんな謂れが有るのかは不明だが、詳しく研究して紛い物じゃ無かったら
歴史の修正も進むんじゃないか・・・・・wwww

697:名無しさん@1周年
19/07/14 09:25:26.75 Xr4OrL8c0.net
魏志倭人伝に暦が無いなどと言う記述は無い。


 

698:名無しさん@1周年
19/07/14 09:26:35.31 0zecbCwx0.net
結局のところ金印の真贋は論争を棚上げするとして、奴国は今の博多辺りにあったという事だけが比較的確実?

699:名無しさん@1周年
19/07/14 09:27:10.17 0zecbCwx0.net
>>672
「阿波国風土記」な。

700:名無しさん@1周年
19/07/14 09:28:08.00 2VBMRDUg0.net
>>667
書いてるからちゃんと読め。
魏志倭人伝中にある、魏略の引用部分
魏略曰 其俗不知正歳四節 但計春耕秋収 為年紀

>>669
太陽の観測をしてたら、四節が導き出せるんだけど、それすら否定されてるからね。
暖かくなったら植えて、涼しくなる頃に収穫程度の感覚でやってたんだろう。

701:婆
19/07/14 09:30:08.26 In00/u2r0.net
>>674
奴国の王様は春日市に住んでたらしい。
URLリンク(www.city.kasuga.fukuoka.jp)

702:名無しさん@1周年
19/07/14 09:30:14.93 Y8dqOUX00.net
>>676
>太陽の観測をしてたら、四節が導き出せるんだけど、それすら否定されてる
否定されてないけど

703:名無しさん@1周年
19/07/14 09:31:56.19 Y8dqOUX00.net
>>674
金印の真贋は論争ってすでに本物ってことで決着ついてるよ

704:名無しさん@1周年
19/07/14 09:32:33.17 gY0Db4+qO.net
さらりとぶっ込みw

705:名無しさん@1周年
19/07/14 09:33:53.06 2VBMRDUg0.net
>>678
魏略曰 其俗不知正歳四節 但計春耕秋収 為年紀
正歳四節を知らず。
暦や四節(春分、夏至、秋分、冬至)を知らない。
春に耕して、秋に取り入れをして一年と数える。

706:名無しさん@1周年
19/07/14 09:33:58.11 Xr4OrL8c0.net
>>676
お前が良く読め。
魏志倭人伝に暦が無いなどと言う記述は無い。

707:名無しさん@1周年
19/07/14 09:35:18.58 Xr4OrL8c0.net
>>676
バカか。魏略にあるのは四季(それも中国式の四季区分)を知らないとあるだけ。

708:名無しさん@1周年
19/07/14 09:35:40.72 2VBMRDUg0.net
>>682
其俗不知正歳四節
正歳=暦

709:名無しさん@1周年
19/07/14 09:35:46.93 hODCru/s0.net
何処もかしこも邪馬台国
そんなに邪馬台国主張するなら日本全土が邪馬台国で良いじゃん

710:名無しさん@1周年
19/07/14 09:36:10.16 oRYgXP1e0.net
>>676
春夏秋冬の四節じゃなくて春秋で1年のサイクルとしてたという記述だから
暦がないというのは嘘
四半期決算じゃなくて上半期下半期決算だというだけ

711:名無しさん@1周年
19/07/14 09:37:53.30 Y8dqOUX00.net
銅鐸は太陽観測に使用されてたという説があるけど
銅鐸はもともと楽器だが、変質の少ない金属は太陽観測に適してるので
太陽観測に使われるようになったというのは納得がいく
卑弥呼が女王の時に
銅鐸による一般人の太陽観測を禁止して
卑弥呼が太陽観測を独占して権威に利用したのだろう
銅鐸文化が突然消滅したのはそういうことだ

712:名無しさん@1周年
19/07/14 09:38:24.49 gY0Db4+qO.net
ガラパコス暦はあるぞ!

713:名無しさん@1周年
19/07/14 09:38:29.74 oRYgXP1e0.net
>>684
中国の暦を知らないというだけ
日本独自の暦を使ってた
当たり前
言�


714:t尻だけで語りたいなら 邪馬台国には暦はなかったけどカレンダーはあったということにしよう



715:名無しさん@1周年
19/07/14 09:39:00.73 2VBMRDUg0.net
>>686
春の耕作と秋の刈り入れでワンセットの1年だと思うよ。
もしかしたら春の耕作で一年、秋の刈り入れで一年としたのかもしれないが、文面からは判別付きにくいのでなんとも。

716:名無しさん@1周年
19/07/14 09:39:17.98 Xr4OrL8c0.net
>>684
天文学系の知識が乏しかったから卑弥呼が太陽神では無かったってのはただの論理の飛躍。

717:名無しさん@1周年
19/07/14 09:39:37.29 gY0Db4+qO.net
これは暦がなかったでいいだろw

718:名無しさん@1周年
19/07/14 09:39:54.35 Y8dqOUX00.net
>>681
太陽観測をしてないとは書いてない
稲作してるのに太陽観測してなかったとかいうトンデモ説やめなよw

719:名無しさん@1周年
19/07/14 09:40:37.87 Xr4OrL8c0.net
>>692
現代我々が言う意味での暦は無いだろなw

720:名無しさん@1周年
19/07/14 09:41:13.63 7UsjviQc0.net
もうどこでもいいだろ
いつまで揉めてんだ

721:名無しさん@1周年
19/07/14 09:41:44.89 2VBMRDUg0.net
>>689
流石にそんなものまで想像しだしたら、なんでもアリになる。
卑弥呼=日巫女の結論ありきのこじつけとの批判は免れんよ?
例えば太陰暦以前の日本独自のカレンダーの刻まれた岩でもあれば、まだそうだよね。とは思えるが。

722:名無しさん@1周年
19/07/14 09:42:06.48 Xr4OrL8c0.net
>>695
もますな近畿パー

723:名無しさん@1周年
19/07/14 09:42:14.88 oRYgXP1e0.net
>>690
倍暦のことなんか言ってないよ
春と秋で気温が違うのに半期で1年なんて特別な理由がなけりゃしない
上半期下半期で1年とすると読むのが正しい

724:名無しさん@1周年
19/07/14 09:42:30.58 Xr4OrL8c0.net
>>696
こじつけはお前w

725:名無しさん@1周年
19/07/14 09:42:31.07 gY0Db4+qO.net
太陽神がトンデモだろよw

726:名無しさん@1周年
19/07/14 09:43:09.07 Xr4OrL8c0.net
>>685
黙っとけ近畿パーwww

727:名無しさん@1周年
19/07/14 09:43:41.40 Xr4OrL8c0.net
>>700
お前トンデモの近畿パーの悪口言いすぎ

728:名無しさん@1周年
19/07/14 09:43:44.24 2VBMRDUg0.net
>>691
卑弥呼に天文観測の証拠もなしに、太陽信仰をこじつけるよりかはまだマシだろう。

729:名無しさん@1周年
19/07/14 09:44:02.87 Xr4OrL8c0.net
>>684

天文学系の知識が乏しかったから

卑弥呼が太陽神では無かったってのは

ただの論理の飛躍。

 

730:名無しさん@1周年
19/07/14 09:44:19.50 Xr4OrL8c0.net
>>703
こじつけはお前w

731:名無しさん@1周年
19/07/14 09:44:27.14 Y8dqOUX00.net
>>696
それをこじつけとか言い出したら
全部こじつけになっちゃう

732:名無しさん@1周年
19/07/14 09:44:57.62 kVnfydc30.net
夏至や冬至の太陽の方向に神社や古墳が直線上に並ぶ例が沢山あるというのはどっかで読んだ
なので太陽観測はされてたと思うけどね

733:名無しさん@1周年
19/07/14 09:46:38.39 Xr4OrL8c0.net
>>684

天文学系の知識が乏しかったから

卑弥呼が太陽神では無かったってのは

ただの論理の飛躍。

そんなもん、倭人は里程を知らなかったから旅行はしなかったレベルのこじつけ。

 

734:名無しさん@1周年
19/07/14 09:47:32.59 Y8dqOUX00.net
近代的な施設のないところで稲作しろって言われたら俺らでも太陽観測するよなぁ

735:名無しさん@1周年
19/07/14 09:48:20.98 gY0Db4+qO.net
卑弥呼が太陽信仰してたって、どこにあんのよ?
太陽神とかいう話も聞いたことない

736:婆
19/07/14 09:50:32.35 In00/u2r0.net
>>707
レイラインについては、wikipediaの
 > 地図を開けば、遺跡が一列に並んでいるように見える直線を見つけることはそう難しいことではない。
が正しい気はするw
とは言うものの、>>668に書いたように吉野ヶ里の大型建物は正確に
南北線に沿っているし、精度の高い天測技術は持っていたんだろうね。

737:名無しさん@1周年
19/07/14 09:51:30.59 Xr4OrL8c0.net
>>710
無いよ。
ただ否定する根拠も無い。
それにアマテラスが卑弥呼+トヨなのは疑いない。

738:名無しさん@1周年
19/07/14 09:52:19.41 Xr4OrL8c0.net
>>711
おいおいウソを書くなw

739:名無しさん@1周年
19/07/14 09:53:20.37 Xr4OrL8c0.net
吉野ヶ里は雲仙岳を見ながら建物の配置を考えたことが
分かっている。
吉野ヶ里から雲仙岳は良く見える。
南北線では無い。

740:名無しさん@1周年
19/07/14 09:53:31.74 oRYgXP1e0.net
中国の暦は太陰暦、つまり月の満ち欠けをもとにしてるわけだから
これを使ってないということは太陽信仰に近づくよな
いずれにしろ暦を使ってないことは月の観測をしていないということであって太陽信仰を否定する材料にならない

741:婆
19/07/14 09:53:48.99 In00/u2r0.net
>>713
ウソじゃないぞ。妄想だ。

742:名無しさん@1周年
19/07/14 09:53:59.69 1ycLH08P0.net
狭い根性の捏造九州説愛好論者はなんにでも文句言う
まさにチョン

743:名無しさん@1周年
19/07/14 09:54:00.69 Y8dqOUX00.net
>>710
証拠はないけど、稲作地帯の王でヒ(日)のつく名前なら常識的には太陽信仰だね

744:名無しさん@1周年
19/07/14 09:55:04.16 gY0Db4+qO.net
>>712
断定口調でミスリードしてるだけじゃんかよ
なんだよ統一みたいな手口はさ

745:名無しさん@1周年
19/07/14 09:55:47.70 Xr4OrL8c0.net
>>717
お、激しい調子の必殺自己紹介ビーム来ましたね。
近畿パーの十八番。
いただきました。

746:名無しさん@1周年
19/07/14 09:57:13.98 Xr4OrL8c0.net
>>719
イミフだキチガイww

747:名無しさん@1周年
19/07/14 09:59:14.77 gY0Db4+qO.net
それこそ意味不明な一言レスに追い込んだわ
だいたい長文キチガイをここに追い込んだら
その前のレスが図星なんだよ

748:名無しさん@1周年
19/07/14 10:00:15.53 OKfz2/KF0.net
まだ言ってんのか
そもそも卑弥呼なんていたか分からんぞ
伝え聞いたような話しか残ってないし
卑弥呼の話はほとんど何も分からないのに台与になった途端に
存在を示す文献がわんさか残ってるのも普通に考えておかしい
卑弥呼なんていなかったと考えた方が納得できる

749:名無しさん@1周年
19/07/14 10:03:11.85 2VBMRDUg0.net
>>709
それは現代人の天文知識があるからだよ。
一番原始的なのは四季の移り変わり。

750:名無しさん@1周年
19/07/14 10:04:32.77 Z0Igj1u/0.net
まあ畿内よりは四国の方が可能性ある・・・か?

751:名無しさん@1周年
19/07/14 10:05:50.61 xCewhlnN0.net
四国は死国だから黄泉の国だよ。

752:名無しさん@1周年
19/07/14 10:06:18.48 oc9zvh9X0.net
魏志倭人伝の記述に基づくと邪馬台国は北九州のどこかにあった
近畿説は邪馬台国をヤマト国と読むと大和の国と音が一緒、という理由に基づく
近畿説も相当なトンデモだが、四国説は噴飯ものだ。

753:名無しさん@1周年
19/07/14 10:06:36.75 gY0Db4+qO.net
アマテル系が居たのはわかるけどさ
火が日になるのって、かなり時間がかかってるんだよなぁ
その前に肥に寄り道してるしさ

754:婆
19/07/14 10:06:59.58 In00/u2r0.net
太陽や月を眺めなくても大丈夫。
URLリンク(tenki.jp)

755:名無しさん@1周年
19/07/14 10:07:55.69 Y8dqOUX00.net
>>724
アホか。現代人の天文知識がなくても
農業やってたら太陽観測と水位の観測くらいするわ

756:名無しさん@1周年
19/07/14 10:13:48.47 sqwar7If0.net
四国は槨墓の本場だから100パーネーよ。

757:名無しさん@1周年
19/07/14 10:14:41.93 MBesT2zO0.net
剣山にアークがあるって話もあるしなw
四国こそが失われた10支族が移り住んだ土地
あと天の香久山はピラミッド

758:名無しさん@1周年
19/07/14 10:16:47.26 gY0Db4+qO.net
ま、日ユ同祖論がベースだとは思ったよ
またカルトがホコリを被った異説を持ち出して、刷り込みやってんな

759:名無しさん@1周年
19/07/14 10:20:03.45 2VBMRDUg0.net
>>730
水位とか言い出したww
日本の農業って今でもわざわざ太陽の観測なんてだれもやってないのよ?
四季の揺らぎがあり、毎年同じ日に田植えなんかできないから
気温、気候の肌感覚でやってるんよ?
それこそ山の雪解けや草木の発芽、川の水位でやってきた。
太陽の運行で農業とか、弥生人の農業は現代日本の農業よりも律儀だったんだな。

760:名無しさん@1周年
19/07/14 10:20:30.46 Yz0HtAod0.net
>>653
>少なくとも大神神社では大物主と大国主は別々に祀らてる。
【大国主神を祀る、全国唯一の式内社「八鉾神社」】
徳島県阿南市長生町に鎮座する「八鉾神社」。祭神は大己貴命。延喜式内社である。
この「八鉾神社」には四つの重要文化財が神宝として保管されている。
また「八鉾神社」自体も重要文化財に指定されているので、合計五つの重要文化財を持ち合わせている神社となる。
一つは「大己貴命 木造彫刻立像」
二つ目は「少彦名命 木造彫刻立像」
三つ目が「二品家政所 下文 」
四つ目が「附紺紙金泥法華経」である。
この八鉾神社、阿波では出雲の「杵築大社(出雲大社)」の元社であると伝えられている。
平安時代に記録される3132座の式内社の中に、これら八鉾神社や事代主神社・多祁御奈刀祢神社等の国譲りに遣わされた神達を祀る神社は、阿波にしかない。   @阿波
【大国主神を祀る、全国唯一の式内社「八鉾神社」】   
URLリンク(blogs.yahoo.co.jp)

761:名無しさん@1周年
19/07/14 10:22:59.06 Yz0HtAod0.net
>>654
>遺跡の規模が福岡よりも大きいので明らかに伊都国王が九州王だよ
その伊都国王を、筑紫忌部という。  @阿波

762:婆
19/07/14 10:23:04.86 In00/u2r0.net
>>734
あと、鳥(ウグイスとか)の初鳴きもあるね。
そんなこんなで季節が判るから、
日本神話には星の神々が少ないのかもしれない。

763:名無しさん@1周年
19/07/14 10:25:38.23 Yz0HtAod0.net
>>657
卑弥呼とは「天照大御神=大宜都比売」
男弟とは「月読尊」
卑弥弓呼とは「素戔嗚尊」 の3兄弟だよ。  
これが魏志倭人伝と記紀との整合性。   @阿波

764:名無しさん@1周年
19/07/14 10:28:20.55 Yz0HtAod0.net
>>666
>少なくとも卑弥呼の墓は御井の祇園山古墳で100%間違い無いし
少なくとも「丹」の採れない北部九州奴国(博多)に、卑弥呼が居るわけがない。   以上。   @阿波

765:名無しさん@1周年
19/07/14 10:31:14.22 gY0Db4+qO.net
阿波とか畿内説の別動隊みたいだな

766:名無しさん@1周年
19/07/14 10:33:17.12 Yz0HtAod0.net
>>672
>阿波風土記 なるものがどんな謂れが有るのかは不明だが、

※各地の風土記のうち、「天地初発より記された」風土記は、阿波国風土記のみである。
「阿波国風土記」  @阿波  
URLリンク(sites.google.com)
通説では、天皇家や建国の歴史とは何の関わりもないはずの阿波国、 何故、その地誌「阿波国風土記」で唯一、天皇の称号について書かれているのだろうか?
役人が天皇に献上する書である。 上記の天皇が阿波に関係なければ、風土記なんぞに書ける訳がないのである。 「お前、何書いとんねん!」で済まされる話ではない。 

767:名無しさん@1周年
19/07/14 10:34:11.07 MBesT2zO0.net
しかし「阿波風土記」って原本がなくなったりして謎に満ちているんだな。
邪馬台国はどうでもいいが。阿波風土記の原本みたいわ。

768:名無しさん@1周年
19/07/14 10:34:21.60 LDg8hf/K0.net
九州だと何か都合が悪いのかね?

769:名無しさん@1周年
19/07/14 10:39:17.98 +RFWTSw/0.net
四国行ったことあるけど、087の怪しいネオン街は、徳島だっけ?

770:名無しさん@1周年
19/07/14 10:39:18.06 Yz0HtAod0.net
>>674
>奴国は今の博多辺りにあったという事だけが比較的確実?
奴国は、奴国(二万戸) 田川辺り
奴国弥生遺跡 : 「上本町遺跡」・「下伊田遺跡」・「五徳畑ケ田遺跡」・「真崎遺跡」  @阿波

771:名無しさん@1周年
19/07/14 10:39:28.06 trTpoh160.net
水行陸行で、東シナ海に突き抜けるらしいけど、水行は常に沿岸沿いに距離を保ちながら九州北部or南部をぐるっと回ったたとしたら…って説はあるんかな?
三崎半島から四国上陸で阿波に至るってのはありそう
水行って、行先が見えないのに大海に漕ぎ出すって怖いと思う

772:名無しさん@1周年
19/07/14 10:43:32.99 ckwiuqHw0.net
古事記本みたら遠征とかで大和朝廷の天皇とかは瀬戸内海を東�


773:シによく動いているクセして 四国に関する話が出ないんだよな。



774:名無しさん@1周年
19/07/14 10:44:19.42 Yz0HtAod0.net
>>687
>銅鐸文化が突然消滅したのはそういうことだ

「銅鐸」は、全国で約400個出土していて、徳島県はその約1割を占める42個(29遺跡)が出土しています!!
古代史上、重要視されていない徳島県で、なぜこれほど多数出土するのでしょうか??
URLリンク(sueyasumas.exblog.jp)

775:名無しさん@1周年
19/07/14 10:44:24.48 1Q5OYGgT0.net
あるある!

776:名無しさん@1周年
19/07/14 10:45:57.36 Yz0HtAod0.net
銅鐸の出土数もさることながら、 銅鐸の出土遺跡の多さに驚かされる。
まさに、倭国(阿波)は、銅鐸王国。   @阿波

777:名無しさん@1周年
19/07/14 10:52:00.36 Yz0HtAod0.net
>>726
>四国は死国だから黄泉の国だよ。
倭国(阿波)は、「黄泉の国」でもあり、「常世の国」でもある。  @阿波

778:名無しさん@1周年
19/07/14 10:52:34.62 Z4Q2RcBy0.net
「銅鐸文化が突然消滅」
とか変な勘違いしてる人がたくさんいるがこれは誤解
銅鐸は各地でかなり消長に差がある
弥生時代後期後半辺りから統合されて次第にゆっくりと消えていく流れ

779:名無しさん@1周年
19/07/14 10:53:59.56 Yz0HtAod0.net
>>727
>魏志倭人伝の記述に基づくと邪馬台国は北九州のどこかにあった
いくら、言い張っても無駄。
「丹」の採れない北部九州に、邪馬台国が在るわけがない。   以上。   @阿波

780:名無しさん@1周年
19/07/14 10:54:42.12 XGKbp6KD0.net
吉野ケ里では楼観を描いた絵画土器が出土してないのに
(h)URLリンク(www.hyogo-c.ed.jp)
淡路市舟木遺跡から弥生土器、鉄器、砥石など出土
絵画土器の確認
平成28年度発掘調査出土土器の中から、土器の表面に線刻画を描いた
絵画土器の出土を確認しました。淡路島内では3例目の貴重な資料とな
ります。一辺が約3㎝×4㎝の破片であるため、絵の全容は不明ですが、
直線が交差する構図から、高床の建物が描かれている可能性が高いと考
えられます。
絵画土器は、土器の表面に線刻画を描いたもので、鹿や建物、鳥、人物
などが描かれる例が多く、弥生人の祈りを込めたお祀りに用いられたも
のと考えられています。
主なものとしては唐古鍵遺跡(奈良県田原本町)の高床の建物や鹿など
があります。淡路島では、いずれも弥生時代後期の例として、飛谷遺跡
(洲本市五色町)、五斗長垣内遺跡(淡路市)があり、今回の土器で3例
目となります。

781:名無しさん@1周年
19/07/14 10:56:35.27 Yz0HtAod0.net
>>731
>四国は槨墓の本場だから100パーネーよ。
「其山有丹」で、100パー 倭国(阿波)で決定済み。 ワハハハハは  @阿波 

782:名無しさん@1周年
19/07/14 10:58:21.33 Yz0HtAod0.net
>>740
>阿波とか畿内説の別動隊みたいだな
一緒にされると迷惑。  @阿波

783:名無しさん@1周年
19/07/14 11:01:03.84 UX1BUAJC0.net
阿波は泡ではない

784:婆
19/07/14 11:02:59.16 In00/u2r0.net
濡れ手で泡 ←間違いやすい言葉

785:名無しさん@1周年
19/07/14 11:03:20.39 Yz0HtAod0.net
>>747
>古事記本みたら遠征とかで大和朝廷の天皇とかは瀬戸内海を東西によく動いているクセして
なんで四国の道後温泉へ一番最初に景行天皇(12代)が行幸したのだろうか?
なんで近場の畿内に在る有馬温泉や白浜温泉への天皇行幸が、遠くて危険な渡海を要する四国の道後温泉より、ずっと遅れたのだろうか?
近場で安全な畿内に温泉が無かったのだろうか?
あとは、推して知るべし。   @阿波
なんで九州に在る温泉への天皇行幸が、近年まで無かったのだろうか?
近年になるまで、九州には温泉が無かったのだろうか?
あとは、推して知るべし。   @阿波

786:名無しさん@1周年
19/07/14 11:03:50.86 dFsK3yUq0.net
蘇我氏の館にあった書物にはそのへんが色々書いてあったんだろうか。

787:名無しさん@1周年
19/07/14 11:05:16.61 sqwar7If0.net
>>755
水銀は佐賀で取れるんだが。

788:名無しさん@1周年
19/07/14 11:05:29.08 5v3IAkDg0.net
うだつの町に実家あるけど、地元で邪馬台国の話など聞いたことないわ。
阿波でなく剣山だけど、宇宙人が基地にしていて、
イスラエルから物資を運んでたっていうほうが、まだ耳にする。
イスラエル大使が調査に来たとか新聞にに載ってたりするし。

789:名無しさん@1周年
19/07/14 11:07:59.69 8FiiLVAV0.net
>>652
ここから記紀をのぞいたらわかりやすそうだな
記紀はエピソードの断片をつまみ食いして捏ね繰り返したなろう小説だ

790:名無しさん@1周年
19/07/14 11:08:50.35 ckwiuqHw0.net
>>746
四国の西に突き出たあそこは三崎半島じゃなくて佐田岬半島な。
水行は沿岸沿いに海路の意味で、海を渡るとは明白に区別されてる。
倭人伝で女王国から東に海を渡ること1000里。そこにも倭人の国。
そう、豊後水道越えて四国西岸。八幡浜や宇和島あたり?
そこから南に侏儒国。女王国から4000里。距離は直線距離じゃないから足摺岬を大回りして高知?

791:名無しさん@1周年
19/07/14 11:09:42.69 trTpoh160.net
淡路島、四国、隠岐、九州、壱岐、対馬、佐渡
国生みがこの順なら、重要な順位もその通りだろう
淡路島が皇室のルーツで、その後地形、資源に恵まれた阿波を獲得し、その後イヨが伊予を得たとか

792:婆
19/07/14 11:09:52.58 In00/u2r0.net
>>762
> 阿波でなく剣山だけど、宇宙人が基地にしていて、
> イスラエルから物資を運んでたっていうほうが、まだ耳にする。
すげー! 人類存亡の危機やん。
邪馬台国論争とかどうでもよくなるなw

793:名無しさん@1周年
19/07/14 11:10:59.30 kVnfydc30.net
温泉ワロタ
ヤマトタケルとかの血なまぐさい時代に温泉基準で考えるのかよ
鉄の産地とかで論じなよ

794:名無しさん@1周年
19/07/14 11:15:57.30 Yz0HtAod0.net
>>762
>うだつの町に実家あるけど、地元で邪馬台国の話など聞いたことないわ。
これが、徳島県人の実体なんだよ。 無知はおそろしい。 もったいないことである。 こんなに宝がごろごろしているというのに。  @阿波

795:名無しさん@1周年
19/07/14 11:20:07.37 Yz0HtAod0.net
>>765
>淡路島、四国、隠岐、九州、壱岐、対馬、佐渡
そんな壮大な話じゃないんだよ。 これもアホの学者の妄想。
単なる、倭国(阿波)周辺の国々。 国々っていっても、集落群単位なんだよ。  @阿波

796:名無しさん@1周年
19/07/14 11:22:48.55 Yz0HtAod0.net
>>767
>ヤマトタケルとかの血なまぐさい時代に温泉基準で考えるのかよ
反論できないので、逃げてるの? わははははは  @阿波

797:名無しさん@1周年
19/07/14 11:24:04.23 Hdc9K8Xs0.net
おぉー新説って思ったのに
山口敏太郎の名前で萎えた

798:名無しさん@1周年
19/07/14 11:25:43.23 Yz0HtAod0.net
>>767
>鉄の産地とかで論じなよ
では、鉄の産地
「倭国(阿波)は鉄器王国」
倭国(阿波)では遺跡発掘が少ないにも関わらず、阿波一国だけで現在、阿波各地7か所の弥生時代鉄鍛冶炉遺構がある。  
「拝原東遺跡」・「光勝院寺内遺跡」・「矢野遺跡」・「名東遺跡」・「庄・蔵元遺跡」・「加茂宮ノ前遺跡」・「芝遺跡」

799:名無しさん@1周年
19/07/14 11:26:03.50 w6wEw6nI0.net
>>762
イスラエルというかユダヤ人は、何がしたいのか分からないが
沖縄でユダヤ教の儀式をしたりしている。
でも、歴史的に本当に関連があるかは全く不明だと思うよ。

800:名無しさん@1周年
19/07/14 11:32:04.79 Yz0HtAod0.net
阿波説は、逆立ち・し・て・い・て・ も、どの説にも負けない。  反論ある人は、はい、どうぞ。   @阿波 

801:名無しさん@1周年
19/07/14 11:35:32.10 6aw+l6ev0.net
幸福の科学 大川隆法が注目するやろうな。
幸福の科学の聖地は徳島だし

802:名無しさん@1周年
19/07/14 11:43:54.65 rzb038fm0.net
>>732
イスラエル大使が赴任するとまずは剣山に行くんだよな。

803:名無しさん@1周年
19/07/14 11:44:56.03 rzb038fm0.net
>>774
邪馬台国の東にも島が有って倭種が住んでいる。


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