19/07/03 00:39:33.67 azP2LQy10.net
とある研究者の見解
『ようやく安定した銅鉱石を入手して安定した銅鋳造が可能になったのは、西暦263年以降280年代に入ってからである。
そうなると、景初2年(西暦238年)に卑弥呼に下賜した100枚に銅鏡は、魏の時代というより漢時代に作られた漢王朝の「漢鏡」を提供したと考えるのが普通であろう。
黒塚古墳出土33枚銅鏡が中国のどこで生産されたか未だに公開されてないのは、おそらくは華中(揚子江周辺)製の銅・錫・鉛鉱石を使ったからであろうか、畿内説の論客にとっては益々不利になる結果となるからであろうか。
2世紀~3世紀初の「漢鏡」が畿内から出ない限り、「漢鏡」や「西晋鏡」など多くが出土する北九州に取って代わることはない。』
やはり畿内説の主張する銅鏡は、卑弥呼の時代とは無関係という、多くの学者の見解と一致していますねw