19/07/02 12:41:49.14 KWobmMGw0.net
だいたい卑しいって文字を日本が女王につけるわけがない
中国人が侮蔑的につけたんだろ
中国人が日本につけた倭というのもあまりいい意味ではなかったとかあるし
289:名無しさん@1周年
19/07/02 12:42:29.07 qP+ODIrr0.net
>>287
その「里」は何m計算で、その出展はどの資料?
290:名無しさん@1周年
19/07/02 12:43:42.86 66p34Kq/0.net
>>288
人偏がついているからマシだ
漢の時代の金印は人偏が無い
291:名無しさん@1周年
19/07/02 12:45:51.33 blFD7LrPO.net
邪馬台国が中国、出雲が新羅、畿内が百済だよ。
292:名無しさん@1周年
19/07/02 12:46:10.33 66p34Kq/0.net
>>289
ウィキだったかなあ
単里 約70m
293:名無しさん@1周年
19/07/02 12:46:28.63 +WnhYQj70.net
>>287
鵜呑みにすると、海の上を30日南下した時点で九州を飛び出してるんじゃね?
更に海の上を歩きで一月というマジキチ修行が待ってるしね。
294:名無しさん@1周年
19/07/02 12:48:14.81 66p34Kq/0.net
>>293
魏国の時代は短里だったらしい
295:名無しさん@1周年
19/07/02 12:48:43.78 qP+ODIrr0.net
>>292
それは、韓国-対馬の距離が千余里(=70km)だから
1里=70mで計算しよう、という九州説の補強理論
ただ、当時の中国の単位は1里=500m前後となっているので
その「単位が何メートルなのか」というところから、議論になってるのは、当然知ってるよね?
ちなみに、中国の当時の資料を見ても「1里=70m」のものは存在しないとされている
296:名無しさん@1周年
19/07/02 12:49:29.29 exrsSaxZ0.net
てか九州から1ヶ月も移動したら東京着いちゃうよw
297:名無しさん@1周年
19/07/02 12:51:31.07 d9omoNvo0.net
同じ魏志で韓国が4千里四方と書いてあるんだから、その比率に合わせればいいだけ。
298:名無しさん@1周年
19/07/02 12:52:45.26 66p34Kq/0.net
>>296
薩摩藩が江戸に参勤交代で行くには2か月かかったらしい
299:名無しさん@1周年
19/07/02 12:52:55.20 ypHV/ZTy0.net
ちなみに日本書紀に卑弥呼の記載はない
が、卑弥呼であると思われる人物の名前はある
卑弥呼というのはやはり中国で付けた勝手な名前
日本国内において卑弥呼というのは
おそらく言葉自体存在してなかった
そして本当の名前はすでに多くの人が知ってるアレだ
300:名無しさん@1周年
19/07/02 12:53:42.50 exrsSaxZ0.net
水行十日、陸行一月。
そもそも里で表記なんかしてないんだが
301:名無しさん@1周年
19/07/02 12:56:23.41 M4VPNUSS0.net
確かに大神神社は日本最初の最古の神社だけど、それと卑弥呼は関係ない思うよ?ルーツが違うやん
302:名無しさん@1周年
19/07/02 12:57:48.01 +WnhYQj70.net
>>294
多分レス先を間違えてると思うけど
魏の時代の一里は普通に434mだよ。魏本国ではね。
東夷伝の倭人条と韓条だけ縮尺が違うとするのが短里説。
303:名無しさん@1周年
19/07/02 12:58:16.07 3oOwdCTF0.net
アマテラスは卑弥呼を準えた神という説がある
卑弥呼は更に白山ヒメと関係あるかも
亀と瓜
胡瓜が大好物なのは河童
蜻蛉日記にはアマテラスは河辺に住む河伯とある
河伯は黄河の神、黄河文明の流れを引くのかな
崇神の代に創建されたと言われている白山比め神社
その神紋は三子持亀甲瓜花
亀甲が三重になっているが
三子持が気になる
崇神の前は、卑弥呼、男王、台与
304:名無しさん@1周年
19/07/02 12:58:22.09 KWobmMGw0.net
>>293
海行と陸行って縦列じゃなくて並列って説もあるな
つまり海で行ったら何日、陸から行ったら何日という意味で使ったと
魏志倭人伝とか良く知らんけど、そういう意見もあった
305:名無しさん@1周年
19/07/02 12:59:39.55 blFD7LrPO.net
デカイ古墳は廃止と天皇がいってんだから八世紀まで造ろうとしてたんだから、卑弥呼の時代にそんなもんは無いよ。それに卑弥呼と台与の墓には、越の女王だから必ず嫦娥の証のガマガエルがあるはず。無きゃ違うよ。
306:名無しさん@1周年
19/07/02 12:59:57.98 +WnhYQj70.net
>>304
投馬国までは水行しか記載がないから無理だね。
307:名無しさん@1周年
19/07/02 13:00:21.51 frCwzbf10.net
邪馬台国は熊本だよ
そして畿内政権に負けて滅んだ
308:名無しさん@1周年
19/07/02 13:01:07.65 KWobmMGw0.net
>>306
つまりは陸つずきではなかった可能性もあるということか
309:名無しさん@1周年
19/07/02 13:01:42.65 eJnXm2cX0.net
倭人伝を読む限りでは魏使は最低でも二回倭国を訪れている。最初は邪馬台国まで行って
卑弥呼に会っている、次に行った時には卑弥呼の死後で壹與が女王の時なので
狗奴国との戦争は終わり元々伊都国に住んでいたから伊都国までしか魏使は行かなかった
310:名無しさん@1周年
19/07/02 13:02:32.12 66p34Kq/0.net
帯方郡から唐津まで12000里
残り2000里
311:名無しさん@1周年
19/07/02 13:03:53.72 +WnhYQj70.net
>>308
船で10日が陸上だと一ヶ月
かなり険しい山越えかな?
九州南部には適合しそうな場所がないや
312:名無しさん@1周年
19/07/02 13:03:57.57 66p34Kq/0.net
>>307
熊本は違う
女を奴隷としか思ってないもっこす
313:名無しさん@1周年
19/07/02 13:04:57.33 fNU/qRgS0.net
邪馬台国は西都原だよ、これ以外に知られてないけど
314:名無しさん@1周年
19/07/02 13:06:32.69 +WnhYQj70.net
>>310
ゴールは唐津なんだな。
315:名無しさん@1周年
19/07/02 13:08:10.66 ebG2Bkst0.net
邪馬台国スレでID赤いのは九分九厘おじいちゃん
316:名無しさん@1周年
19/07/02 13:09:19.89 66p34Kq/0.net
>>314
船着き場なんだ
豊臣も出兵の時は唐津を選んだ
317:名無しさん@1周年
19/07/02 13:10:05.21 wt+yxve70.net
>>313
一応候補に入ってるから心配しないで。
対馬→壱岐の方角を南と書いている魏志倭人伝に従うと、
やはり邪馬台国は九州島のどこかになります。
この視点から見て南の方です。
URLリンク(i.imgur.com)
318:名無しさん@1周年
19/07/02 13:11:01.22 exrsSaxZ0.net
>>317
じゃあ次は1ヶ月間陸路進んでみようか
319:名無しさん@1周年
19/07/02 13:12:04.77 8q4Gxcxu0.net
>>316
唐津じゃなくて名護屋浦だよ
周辺には名護屋城や各大名の屋敷を築いた。
320:名無しさん@1周年
19/07/02 13:12:58.76 CskTrY5l0.net
卑弥呼はアマテラスだろう
祟りを恐れて都から遠ざけてんだから大和朝廷が騙して滅ぼした国だよ
321:名無しさん@1周年
19/07/02 13:13:04.43 +WnhYQj70.net
>>316
唐津だと壱岐島から短里でも500里ぐらいしかないやん?
322:名無しさん@1周年
19/07/02 13:14:49.16 NI5tFx410.net
>>254
これ何度も貼り付けてるが、関川氏一人が言ってるだけ
他の考古学者は支持してないので、学説としては否定されているのも同然
・関川編年だと畿内と九州で100年も年代差が生じるが、他の考古学者はそんなおかしな編年を支持していない
・畿内と九州の間に時空の歪みが生じてたのでなけば年代のズレはありえないので、考古学者が月間ムーみたいな説を支持するわけない
・纒向からも後漢鏡や刀剣類など出土している
・魏の年号が入った鏡も主に畿内周辺から出土する
・北部九州から出土する後漢鏡は2世紀までのもので、3世紀に編年される後漢鏡はほとんどない
・北部九州との関係でいえば、3世紀前半は畿内勢力の進出が始まった時期で、最終的に北部九州は畿内文化に塗りつぶされる
URLリンク(www.makimukugaku.jp)
まとめ
・畿内は魏との交流があった
・北部九州は畿内の傘下に入ろうとしていた
323:名無しさん@1周年
19/07/02 13:15:16.77 8q4Gxcxu0.net
7000里に水行20日
1000里+400里×2+1000里+300里×2+1000里に水行10日
500里+100里に陸行1日
ゴールは伊都国と奴国(女王国)
324:名無しさん@1周年
19/07/02 13:15:40.89 wt+yxve70.net
>>316
あの辺一帯の船着き場は多い。
唐津よりもっと呼子寄りの場所だよ。
URLリンク(i.imgur.com)
325:名無しさん@1周年
19/07/02 13:16:18.91 wdw+Y7lh0.net
まあ京都はお飾りだよな
国の始まりとしては奈良のほうが断然上
326:名無しさん@1周年
19/07/02 13:16:36.89 cHknRPat0.net
ヤマト=ヤマト
ばかばかしいほど簡単な事がこれまで錯綜してきたのは
卑弥呼が地場の出身ではないから、それだけの事だよ
女王国ってのが縄文系巫女・卑弥呼の故郷=天孫族の出身地を表わしてる記述が混在する
しかもヤマトまで足を運んだ皇帝の勅使が、
宗教戦争でまだら模様になった列島をヤマトまで様子見で行けるコースを採ったために
伊万里湾から有明海に出て九州の南を大回りして卑弥呼の故郷で状況把握と叱咤激励やった
ちなみに、唐津から糸島は歩いて行くもんじゃない。現地の地形知ってりゃ
馬鹿でも船を使う事くらい判る。帝国の使者を迎えて歩かせられる訳がない
本当に糸島まで行ったのなら船を使った
歩いたなら上記のコースを取った、二択
(実際には対馬が既に怪しいのはおいとく)
327:名無しさん@1周年
19/07/02 13:18:10.49 wt+yxve70.net
>>322
畿内説が発表する年代は畿内説ありきの年代。
本来は4世紀までの広範囲を含むんだぞ。
URLリンク(i.imgur.com)
328:名無しさん@1周年
19/07/02 13:19:14.12 +WnhYQj70.net
>>323
誰か解読して
329:名無しさん@1周年
19/07/02 13:19:23.17 PRtxoeV80.net
箸墓が3世紀半ばは無理があるんじゃね?
まあ、発掘させるべきとは思うが。
330:名無しさん@1周年
19/07/02 13:21:14.70 66p34Kq/0.net
>>324
呼子にきまってるじゃん
呼子も唐津市だから唐津と書いただけ
331:名無しさん@1周年
19/07/02 13:21:24.33 wt+yxve70.net
>>318
義務教育受けてないのか?
187名無しさん@1周年2019/07/02(火) 10:13:18.34ID:wt+yxve70
対馬→壱岐の方角を南と書いている魏志倭人伝に従うと、
やはり邪馬台国は九州島のどこかになります。
この視点から見て南の方です。
URLリンク(i.imgur.com)
サムネイル読み込み中···
陸行一月は陸行一日の転記まちがいであるというのが九州説です。
方角の東を南と勘違いしていたというのが畿内説の根拠です。
332:名無しさん@1周年
19/07/02 13:23:49.87 3oOwdCTF0.net
徳川の大阪城の下に豊臣の大阪城が眠っているように、
箸墓の下に誰かの墓があるかもしれない
333:名無しさん@1周年
19/07/02 13:24:13.76 Jmf9CqtK0.net
>>320
それが妄想では確かにいちばんしっくり来る
例えば邪馬台国が畿内説じゃなく伊勢説だったら
それもアリかなという気はしないでもない
334:名無しさん@1周年
19/07/02 13:25:34.03 PRtxoeV80.net
弥生の甕棺墓とか方形周溝墓の上に古墳が築かれることはままあるね。
335:名無しさん@1周年
19/07/02 13:26:55.95 66p34Kq/0.net
>>331
>方角の東を南と勘違いしていたというのが畿内説の根拠です。
それ京都大学の内藤が魏国が南と東を間違えてたという説
星も太陽もあるのに間違えるはずもない
中国でそれいったら国際問題になるからやめとけ
336:名無しさん@1周年
19/07/02 13:28:15.73 ITTkpz+C0.net
スレタイだけでカキコ
どうせまた一人で50レスとかして九州説が暴れてるんだろw
337:名無しさん@1周年
19/07/02 13:30:36.67 NI5tFx410.net
>>327
そもそも土器編年の話だ
それも北部九州との整合性を取って編年されている
そのグラフでも庄内式は3世紀かそれ以前になってるだろが
桃の種で測定した年代でも3世紀前半以前という結果が出た
338:名無しさん@1周年
19/07/02 13:30:48.53 wt+yxve70.net
>>335
昔の人ほど方角の認識は正確だよ。
方角を間違えるだなんてほんと有り得ないんだけどね。
それをごりごり押してるのが奈良の畿内説なんだよ。
339:名無しさん@1周年
19/07/02 13:32:06.20 XZM4XcoR0.net
なんであんなところに金印落ちてたんだろう?盗まれた?
340:名無しさん@1周年
19/07/02 13:32:26.04 PRtxoeV80.net
伝聞で書かれてるんだろ。
341:名無しさん@1周年
19/07/02 13:35:16.43 eJnXm2cX0.net
要するに邪馬台国は狗奴国との戦争の時だけに卑弥呼が暮らしていた臨時の首都で
平時は伊都国が首都だったと言う事だ。
342:名無しさん@1周年
19/07/02 13:36:44.44 LWw0LMKJ0.net
トヨちゃんがあのあとどうなったかだけでも知りたい
343:名無しさん@1周年
19/07/02 13:40:04.26 zIy7EaLx0.net
そもそもなんで魏が倭人の調査なんかしたのかと言えば、
交戦中だった呉国を挟撃するため。
海岸側から陽動作戦を展開するのに倭の立地は魅力的だった。
そこで調査した内容を倭人伝として纏めたのだけど、
情報が流出した場合の対策として距離は全て10倍にした。
だから全ての数字を10分の1にすれば九州島に無理なく収まる。
344:名無しさん@1周年
19/07/02 13:40:12.57 66p34Kq/0.net
>>338
奈良は全てが嘘八百
神武天皇が建国した以外は
聖徳太子もいなかったので今の教科書には載ってない
子供達は聖徳太子を知らない
法隆寺も大宰府からの移築
345:名無しさん@1周年
19/07/02 13:43:36.74 PRtxoeV80.net
まあ、結局は邪馬台国の正確な位置は親魏倭王の印でもでない限りわかりようがないし、
のちの朝廷が近畿に誕生したのは歴史的事実だし、
邪馬台国がどこかはどうでもいいっちゃどうでもいい。
学者も邪馬台国の位置はそれほど気に留めてないだろう。
346:名無しさん@1周年
19/07/02 13:44:06.51 zIy7EaLx0.net
魏としては挟撃の足掛かりとしての倭国なので、
九州島以外の日本列島にはそもそも興味が無いのです。
347:名無しさん@1周年
19/07/02 13:47:31.52 KWobmMGw0.net
>>345
天皇陵になってる古墳群発掘したらなんか出てこないのかねえー
あと一つ疑問なんだけど3種の神器のうち鏡だけが特別扱いで天皇すらも簡単に見れないってのはおかしい
剣と勾玉は天皇の住居にあるのに鏡だけは複製も作らずに伊勢神宮に保存してあるとか
複製でいいから見せてくれよ
348:名無しさん@1周年
19/07/02 13:50:15.25 wt+yxve70.net
今さらだが>>1
248年に卑弥呼が死に、そしてまた約千人の死者を出すほどの内乱が起きてるんだから、纏向にその痕跡が見られないのは矛盾しています。
349:名無しさん@1周年
19/07/02 13:50:54.35 IFM/2SI20.net
まあ奈良は奈良で違うと思うけどなあ
九州も違うと思うけど
奈良だったらさすがに天皇家が知らないというのはおかしいし
350:名無しさん@1周年
19/07/02 13:57:53.83 wfJQpmFg0.net
>>345
確かに。
戦前、主に天皇制の縛りが無くなり戦後にイデオロギーの連中が先鞭を付けた邪馬台国論争は、
新たな帝政をそういった連中が自由貿易とか経済ブロックとかで築こうとしている世界の流れに、もう時代遅れ。
逆に巻向遺跡がどういう政体から生まれその目的と成果はなんだったかが親帝政時代において重要になる。
351:名無しさん@1周年
19/07/02 14:01:54.06 Jmf9CqtK0.net
>>343
なるほどー
その説が正しいとすれば東を南と書いたり
ビミョーに間違えて書くのはあり得るね
自分もいま逐一追ってみて、国東半島までは
問題なかったけど、その先は海の中だから
????になってた
352:名無しさん@1周年
19/07/02 14:05:02.07 wt+yxve70.net
纏向は農耕をしていた形跡もなく大型建物(寄宿舎?)や土木用具が出土し、
焚き釜なども出土していることから「古墳造営の為の施設」と考える人もいる。
また、箸墓古墳の完成とともに集落が消滅しているように見える。
つまり箸墓古墳が3世紀というのが誤りであり、本当は4世紀なのだろう。
353:名無しさん@1周年
19/07/02 14:06:08.22 Jmf9CqtK0.net
さらに呉の敗軍が大型船で大挙して押し寄せ
九州に上陸からの~鉄器と武力で畿内を襲った
って話に繋がるわー
354:名無しさん@1周年
19/07/02 14:11:31.20 z22WrxWa0.net
邪馬台国 → ヤマト国 → 大和国
卑弥呼 → ヒミコ → 日巫女(御子、神子、皇女、親王)
355:名無しさん@1周年
19/07/02 14:16:14.55 wt+yxve70.net
>>354
『奈良文化財研究所名誉研究員の狩野久氏は、邪馬台国は本来
「崇敬な山の入り口」の意味の「山(やま)門(と)」だと
する説を紹介し「邪馬台国が九州にあった可能性は高い」
との見解を示した。』
356:名無しさん@1周年
19/07/02 14:16:41.46 66p34Kq/0.net
>>353
敗戦国の呉より以前に徐福
357:名無しさん@1周年
19/07/02 14:18:36.56 66p34Kq/0.net
>>355
まじか
金欲しくないんかね
358:名無しさん@1周年
19/07/02 14:21:13.80 Jmf9CqtK0.net
>>356
オッケーそれはまた別途ね
物部氏~出雲族は別ルートだと思うし
ただこの呉軍が記紀の「神武」だろうなってこと
&ほんとに天皇家のルーツなのかは別問題だし
359:名無しさん@1周年
19/07/02 14:23:03.60 d9omoNvo0.net
語尾にタイとかトと付くのが九州弁、やー、みーと付くのが奈良弁。
360:名無しさん@1周年
19/07/02 14:28:34.84 mphe997v0.net
専門学者が巻向遺跡は邪馬台国と言わなくなってきたな
361:名無しさん@1周年
19/07/02 14:37:57.68 +WnhYQj70.net
>>342
戦争状態なのに内輪揉めで1000人斬りして祭り上げられたお飾り。
何かあっても骨を焼いて決めるんだぜ?
まともに統治運営できたはずがない。
つまり狗奴国に蹂躙されて終わり。
362:名無しさん@1周年
19/07/02 15:12:51.59 2/bkOYHU0.net
>>352
>「古墳造営の為の施設」と考える人もいる。
現地の胡散臭い説明を聞かず、素直に自分の目で見ればそうとしか見えないだろうな。
なにか長期の事業でもやってたのかなって感じ。
363:名無しさん@1周年
19/07/02 15:14:43.54 blFD7LrPO.net
卑弥呼は白山とは、意味あるよ。会稽白山な。でも近畿とは関係ないよ、山裾が海に流れていく感じだから、だから北九州なんだよ
364:名無しさん@1周年
19/07/02 15:22:23.55 blFD7LrPO.net
この時代、海からの攻撃なんて考えてねえよ、奈良以降何人遣使が流されてると思ってんのよ。
365:名無しさん@1周年
19/07/02 15:25:25.98 exrsSaxZ0.net
>>331
あいにくエスパー教育は受けてないので
366:名無しさん@1周年
19/07/02 15:27:03.78 mX2t9yn90.net
九州説は物証がないから共通するものがない
全員が異なる空想物語を作ってるだけ
367:名無しさん@1周年
19/07/02 15:27:36.67 z22WrxWa0.net
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368:名無しさん@1周年
19/07/02 15:33:33.50 LWWiv/RY0.net
>>357
名誉研究員だから予算取ること考えなくても良いんじゃないの?
369:名無しさん@1周年
19/07/02 15:41:21.93 LWWiv/RY0.net
結局のところ「邪馬台国がどこにあるのか」について、学者さんは予算が欲しいから言ってるだけで、
考古学者も歴史学者もデータが少ないのでわからないってところが本音でしょ?
370:名無しさん@1周年
19/07/02 15:46:00.72 2/bkOYHU0.net
>>366
纏向の物証とは?
桃の種?
魏志倭人伝のどこに書いてあるの?
371:名無しさん@1周年
19/07/02 15:47:38.25 9vFJUfqc0.net
>>361
何かあっても公文書改ざんと隠ぺいで対処する
現在の政府よりマシで笑うwwww
372:名無しさん@1周年
19/07/02 15:48:26.96 S8qt1ez30.net
箸墓古墳は三世紀の初頭から中頃に作られたものだと結論づけられている
その規模も魏志倭人伝の記述に一致するし
箸墓古墳が卑弥呼の墓との説は信ぴょう性があるが
ちなみに邪馬台国が畿内にあったとしても、それが現在の天皇家に連なるとは限らないとは思っているが
373:名無しさん@1周年
19/07/02 15:52:06.50 xi5e4KIQ0.net
箸墓古墳は主体部を掘っていないので
結論は出せないが、周溝などから出る遺物は
すべて4世紀後半以降のもの
374:名無しさん@1周年
19/07/02 15:54:46.09 wt+yxve70.net
>>372
>箸墓古墳は三世紀の初頭から中頃に作られたものだと結論づけられている
それを言ってる人を探してるんだけど?
フェイクニュースは犯罪ですよね?
『白石太一郎は「箸墓古墳が卑弥呼の墓であることの
可能性は低い、というよりは証明しがたい。」と述べる
石野博信は3世紀後半とすれば台与の墓、
箸墓を寿陵と考える寺沢薫は壹与の墓説やミマキイリヒコ
(崇神)などの男王の墓説も浮上してこようと評価している。
奈良県立橿原考古学研究所自体は築造時期を
280~300年(±10~20年)と推定しており、
卑弥呼の没年とは年代的に矛盾する。
またC14炭素年代測定法による推定は100年程度古く
出ることがわかっており、この墓が卑弥呼の墓で
ある可能性は低くなっている。』
375:名無しさん@1周年
19/07/02 16:01:31.07 3oOwdCTF0.net
大市と言えば、神大市比売を思い出すな
大年神と宇迦之御魂神の母
崇神の代に建てられた廣瀬大社
【若宇加能売命】が祀られている
台与の時代に何が起きたのか?
376:名無しさん@1周年
19/07/02 16:03:02.91 3oOwdCTF0.net
崇神の代に建てられた廣瀬大社
【若宇加能売命】が祀られている
かなり重要な存在と思われる。一説によると稲荷神と関係あるとか
若、【ワカ】
インカ帝国では、【ワカ】は川や泉などと結びついた聖なる存在
アイヌ語で【ワッカ】は清らかな水
インカ帝国はy染色体ハプロタイプはQ系
殷もQ系だったらしい
日本にもQ系は1%弱いる
インティはインカ帝国の太陽神
殷の王族は太陽の末裔
殷の王はシャーマンであり鬼神を崇拝していた
稲荷はイネカ→インカ
廣瀬大忌神、稲荷は殷系の渡来人と関係あるのだろうか?
377:名無しさん@1周年
19/07/02 16:04:30.90 JqGKsdUw0.net
>>105 の続き
魏志倭人伝の黒歯国部分
女王國東渡海千餘里復有國皆倭種又有侏儒國在其南人長三四尺
去女王四千餘里又有裸國黒齒國復
在其東南船行一年可至參問倭地絶在海中洲嶋之上或絶或連周旋可五千餘里
区切りはこうでいいのか?
黒歯国までは4千里だな。前に1年と書いてしまった。ご免なさい
人長三四尺、背の低い集団がいたんだろな
裸国、南方の風俗を持ち続けていた集団がいたんだろうな
中洲嶋、これはどこになるのか・・・・
>>343
それなら日数距離も合点がいくな
378:名無しさん@1周年
19/07/02 16:18:50.46 +WnhYQj70.net
>>377
思いっきり騙されてるようだが、倭人伝として纏めたのは西普の時代になってからだからね?
379:名無しさん@1周年
19/07/02 16:46:51.94 YHajqo3A0.net
>>343
そのために都がある邪馬台国の方角を東ではなくわざと南にしたんだろう。
九州から先は日数だから距離を縮めたとは思えんな。
その日数が正しいとも言えないが。
380:名無しさん@1周年
19/07/02 16:50:13.06 ZN+a4iLE0.net
>>374
>フェイクニュースは犯罪ですよね?
箸墓は3世紀中頃から後半だから間違いなのは確かだが
それを置いておいても
今日の「おまえが言うな」の筆頭レスwwwwwwwwwwww
381:名無しさん@1周年
19/07/02 16:56:48.24 ypHV/ZTy0.net
卑弥呼は邪馬台国の女王となってるけど
魏志倭人伝をよく読めば邪馬台国じゃなく倭国の女王だという事がわかる
倭国の女王となれば天皇家、すなわち奈良となる
邪馬台国は九州にあったのかもしれんが
382:名無しさん@1周年
19/07/02 16:58:12.84 MkpZ42+Y0.net
なんか思いだけやん
まあ箸墓掘ってからにしよ
383:名無しさん@1周年
19/07/02 17:00:20.90 OnQEcUKI0.net
もう奈良でええやん
九州の町おこしレベルの話に付き合っても無駄無駄
384:名無しさん@1周年
19/07/02 17:01:41.96 pmpdT4dT0.net
大和国の最初の王であるニギハヤヒは三河県豊橋市出身の可能性が高い
ニギハヤヒの天孫降臨ルート
三河→伊勢→熊野→河内(天孫降臨)→大和(纒向)
石巻山は三輪山の奥の院であると大神神社の社伝に書いてある
神社の拝殿は三輪山の正面に向いていない、三輪山の南側にズレている
実は三輪山の奥の院、豊橋の石巻山(神山)に向いているわけだな
385:名無しさん@1周年
19/07/02 17:02:35.25 ypHV/ZTy0.net
結局九州は土器やらなんやらがちょろっと出てるだけで
何もない
距離がどうとか魏に一番近いのは九州だからとか
はっきり言って説得力0
386:名無しさん@1周年
19/07/02 17:09:07.22 I6eTMkR40.net
>>44
九州説に関わる宇佐八幡の創建者も大神氏
いずれにせよ大神は巻き込まれざるを得ない
387:名無しさん@1周年
19/07/02 17:10:25.53 hdoqlcYY0.net
奈良の歴史パねえ
388:名無しさん@1周年
19/07/02 17:10:56.25 MkpZ42+Y0.net
箸墓掘り隊
なんかは出てくるだろうし
389:名無しさん@1周年
19/07/02 17:12:45.28 9dV6YUnr0.net
>>385
全部根拠のない妄想やんけ
390:名無しさん@1周年
19/07/02 17:14:16.70 S8qt1ez30.net
>>374
出土した土器などの年代測定をすれば三世紀中ごろと考えて良いとされているが
391:名無しさん@1周年
19/07/02 17:15:43.08 I6eTMkR40.net
オオミワが九州ではオオガに変わった
その末裔の一つが賀来氏
392:名無しさん@1周年
19/07/02 17:16:28.00 EQ/2IJ+W0.net
九州や畿内以外のところで、邪馬台国の決定的証拠が発掘でもされたら、こいつら、どうすんだろ?
393:名無しさん@1周年
19/07/02 17:20:51.46 MkpZ42+Y0.net
土器は形式の変遷による編年は判るけど、土器そのものの焼成年代は、それを調べる方法を使用しない限り判らない
んで、最近はC14ばっかで土器自体の焼成年代なんて調べない
詰まらんなあ
394:名無しさん@1周年
19/07/02 17:22:23.08 +WnhYQj70.net
>>392
決定的証拠なんて物が存在しないから安心しろ
395:名無しさん@1周年
19/07/02 17:24:08.66 xLp4q4Ei0.net
箸墓が卑弥呼の墓なのはいい
だがまきむく遺跡の場所があかん
住宅街でどうしようもない
ニッカポッカ干してある団地まである
396:名無しさん@1周年
19/07/02 17:25:31.75 wt+yxve70.net
>>392
魏武王の印影がはっきり刻まれた「封泥」が東京で発見されたら、もう考古学者全員懲戒処分だなw
397:名無しさん@1周年
19/07/02 17:25:43.97 xLp4q4Ei0.net
>>383
しかし、やる気があって良い
桜井市にはやる気がまるでない
宝の持ち腐れや
398:名無しさん@1周年
19/07/02 17:26:17.09 FFHbeI+R0.net
邪馬台国でなくても纒向遺跡は重要
モモソ姫は大物主に嫁ぎ、大物主の一族の五十鈴媛は神武に嫁いだ
天孫族(九州?)と出雲族(大物主、大神氏)の政略結婚がこの国の始まり
399:名無しさん@1周年
19/07/02 17:27:30.33 +WnhYQj70.net
>>396
ただの粘土じゃん
真贋鑑定できるわけがない
400:名無しさん@1周年
19/07/02 17:28:04.35 /vVfU6qR0.net
水行の距離
URLリンク(i.imgur.com)
こうしてみると日本海ルートは候補から外れることがわかる
401:名無しさん@1周年
19/07/02 17:29:04.89 wt+yxve70.net
>>393
14Cじゃあ「2000~2500年前」とかなら言えるかもしれないが「240~260年」なんて文系未満の理系音痴じゃなきゃ言えない発言だなw
402:名無しさん@1周年
19/07/02 17:34:36.50 wt+yxve70.net
>>399
これぐらいハッキリしてりゃOKでしょ。
URLリンク(i.imgur.com)
403:名無しさん@1周年
19/07/02 17:39:58.02 VlifX1Cs0.net
出雲大社の社家の千家家はよく知られている
千家家は国譲り以後に出雲を管理した出雲臣族
大神神社の社家の高宮(こうのみや)家の末裔も現存しており
こちらは国を譲った出雲神族
大神氏は社家の本家筋は大神(三輪)ではなく高宮を名乗っているが
周辺地域に分散した分家の多くは三輪姓が多い
404:名無しさん@1周年
19/07/02 17:44:52.37 /EYk+B090.net
>>402
落雁みたいで美味しそう。
405:名無しさん@1周年
19/07/02 17:52:35.13 +WnhYQj70.net
>>402
陰影がはっきりしてるかどうかでは真贋はわからんよ。
後世に作られたものかどうかどうやって判断するん?
406:名無しさん@1周年
19/07/02 17:54:09.76 qP+ODIrr0.net
「ハッキリしてたらホンモノ」なら鑑定団いらんわな
407:名無しさん@1周年
19/07/02 18:00:22.58 MkpZ42+Y0.net
江戸時代には、親魏倭王の印章が入った本もあったりした
説明は何故か銅印になってたが
408:名無しさん@1周年
19/07/02 18:03:34.71 ZN+a4iLE0.net
>>405
だから出土状況が重要なんだよ
3世紀の墓から出土すれば、3世紀にはそこにあったことになる
409:名無しさん@1周年
19/07/02 18:10:40.08 MkpZ42+Y0.net
>>401
まあ14Cだと周りの土壌の有機物にも影響を受けるしね。。
410:名無しさん@1周年
19/07/02 18:23:06.73 +WnhYQj70.net
>>408
年代測定ってそんなに厳密じゃないだろ
411:名無しさん@1周年
19/07/02 18:28:24.19 7ENK8v4m0.net
科学的史学的には近畿
イデオロギー的には九州
団塊とその取り巻きの老害が死ぬまで古代史は動かせないのがね
412:名無しさん@1周年
19/07/02 18:51:46.43 blFD7LrPO.net
翰苑のこと言ってる人のように、多利思比孤は、台与の流れ、台与が倭をでかくしたもとだろ。5王がでかくなりすぎて、墓を探してたら、難波から上がってったとこが丁度良かったんだよ。近畿は墓苑、墓守が近畿の出自。
413:名無しさん@1周年
19/07/02 18:54:44.32 2/bkOYHU0.net
>>411
>科学的史学的には近畿
それ家学だろワロタw
414:名無しさん@1周年
19/07/02 18:59:19.07 y5v/HaZe0.net
>>412
おまえいつもいるが、誰にも理解できないことばっかり書いてるな
日本語が不自由すぎるんだよ
論理もめちゃくちゃだし
415:名無しさん@1周年
19/07/02 19:03:15.38 qP+ODIrr0.net
>>413
出土品の傾向をみると、その時代に畿内に「日本中と流通があった大きな国」があったのは間違いないだろ
それが邪馬台国かどうかってのが論点なわけで
逆に九州説ってのは、その時代に一体どこにどんな大きな国があったのかも不明で
日本中と流通があったという証拠もない
416:名無しさん@1周年
19/07/02 19:12:48.63 blFD7LrPO.net
ならほっとけよ、気にしなきゃいい。
417:名無しさん@1周年
19/07/02 19:16:24.94 8q4Gxcxu0.net
>>415
3世紀に渡来系弥生人が住んでいた範囲は北部九州地域だけ
その他の日本列島には縄文系弥生人
北部九州の国々の連合体が邪馬台国で
関西等の日本列島には縄文系弥生人の国があった。
418:名無しさん@1周年
19/07/02 19:18:37.27 qP+ODIrr0.net
>>417
ろくに出土品がない北九州に??
419:名無しさん@1周年
19/07/02 19:23:19.79 blFD7LrPO.net
大きな墳墓があるから卑弥呼だ、はないだろ、漢の金印貰ってる王もいるし、帥升もいるんだからね。普通に考えても段々でかくなるんだから5王が取り敢えず一番デカイだろ、卑弥呼は占い師だぜ、デカイ墓なぞ興味ないよ、それに嫦娥、墓にガマガエルがなきゃおかしい。
420:名無しさん@1周年
19/07/02 19:27:31.16 qP+ODIrr0.net
墓って自分がたてるんじゃなく、自分が死んだ後で誰かが建てるもんじゃね?
卑弥呼が墓に興味なくても、卑弥呼を奉ることで神格化してメリットを得る人間がいるなら、当然墓はデカくなる
あと、「占い師」かどうかはわからんだろう
占いをやってる=占い師、なら天皇だって占い師になるぞw
421:名無しさん@1周年
19/07/02 19:28:43.11 blFD7LrPO.net
翰苑にもしるしてあるだろ卑弥娥って。失礼出掛けてくる。
422:名無しさん@1周年
19/07/02 19:29:38.33 ZTgxervO0.net
あそこらへんはなにかある なんか隠している
423:名無しさん@1周年
19/07/02 19:31:21.90 s0PtVJbY0.net
URLリンク(ja.wikipedia.org)子殺し
日本
日本では、平安時代の『今昔物語集』に既に堕胎に関する記載が見られるが[1]、堕胎と「間引き」即ち「子殺し」が最
も盛んだったのは江戸時代である。関東地方と東北地方では農民階級の貧困が原因で「間引き」が特に盛んに行われ、
都市では工商階級の風俗退廃による不義密通の横行が主な原因で行われた。また小禄の武士階級でも行われた[2]。 江戸幕府
や諸藩は繰り返し堕胎と子殺し・間引きを非難したが、罰せられる事は希であり、大人の殺人と同等に扱われた例もない[3]。
「孝」を重視する儒教の影響が強かった日本では、「子は親の所有物」という考え方が根深く存在していた。仏教や神道
は出産に関わる事を禁忌としており、胎児や新生児に関して語る事は無かった[3]。また、赤ん坊は初宮参りという通過儀礼
を済ませる事によって産褥が終了し、人間社会の一員になるという一般認識があった[3]。乳児死亡率の高かった当時、
「七歳までは神のうち」という言葉が伝えられる地域があるように、子供を正式な人間と扱うようになる期間には地域によって違いがあった。
1908年制定の日本の明治刑法においては、子が親を殺す犯罪には尊属殺人罪という特例が適用され、通常の殺人罪よりも
極めて重い死刑又は無期懲役が課せられていたが、親が子を殺す犯罪には傷害致死罪が適用され、通常の殺人罪よりもむ
しろ軽い罪となることが多かった。これは、子の行動や法律行為を否応なしに制限できる「親権」や懲戒権を利用し、
「お仕置き」と称して激しい折檻で死に追いやったとしても、折檻時に殺意を持っていたかを判断するのは不可能であり、
結果として「行き過ぎた懲戒権の行使」として、殺意を持っていたとは見なされない為である。
424:名無しさん@13周年
19/07/02 19:33:18.23 zMjb+xA1V
考古学者って、基本ができてない単なる発掘バカとしか思えないwww 歴史考察の基本ができていない。「金印をもらったから大国のはず」みたいな幼稚な考えw 出土物から妄想を繰り広げるクセから抜けられない。畿内説は歴史観のない妄想。
425:名無しさん@1周年
19/07/02 19:34:58.88 HEPbcAL90.net
>>417
九州北部だけに15万戸もの建物とかそこに住む人間を詰め込めない。
1戸5人としても75万人は無謀。
426:名無しさん@1周年
19/07/02 19:35:39.68 s0PtVJbY0.net
URLリンク(ja.wikipedia.org)人身御供
概要
人身御供の行為は、特にアニミズム文化を持つ地域の歴史に広く見られる。人間にとって、最も重要
と考えられる人身を供物として捧げる事は、神などへの最上級の奉仕だという考え方からである。
日本
儺追祭(なおいまつり)の起源にまつわる話や、の人柱に関する記載、諏訪大社(長野県)の御柱に
まつわる伝説、倭文神社(奈良県)の大蛇伝説など、人身御供にまつわる話は数多く残されている。
御陵への殉死
中国の歴史書『三国志』の魏志倭人伝に、「卑彌呼以死大作冢徑百餘歩徇葬者奴婢百餘人」邪馬台国
の卑弥呼が死去し塚を築いた際に100余人の奴婢が殉葬されたとあり、『日本書紀』垂仁紀には、野
見宿禰が日葉酢媛命の陵墓へ殉死者を埋める代わりに土で作った人馬を立てることを提案したという
(埴輪の起源説話であるが考古学的には否定されている)記載が残っている。
男子の人身御供
多くの人身御供伝説では、生贄の対象が女性である場合が目立つ。しかし、中山や高木は生贄に男子の場合も紹介している。 [20]
何に生贄を捧げるか
「日本伝説の研究」では、自然現象の脅威に対する人々の崇拝の念と想像により、猛獣が人を捕ることを「神が
人身御供を要求するもの」と考えられた、と書かれている[21]。
水田と人身御供
松村武雄は「日本神話の研究」で、穀物の豊かな収穫を確保するための呪術として犠牲人を殺す民俗が行われ
ていたと述べている。また、水の神、田の神に実際に女性を生贄としてささげた習俗があると記している。[22]。
松村は同書で中島悦次の「穀物神と祭祀と風習」を紹介し、その中で柳田國男の「郷土誌論」を参考にした
「オナリ女が田植えの日に死んだというのは、オナリ女の死ぬことが儀式の完成のために必要であったことを意味する」との文章を引用している。
神隠しと人身御供
人身御供は、神が人を食うために行われるとも考えられているが、神隠しと神が人を食う事との関連を柳田國
男は自身の著書「山の人生」にて書いている。柳田によれば、日本では狼は山神として考えられており、イン
ドでは狼が小児を食うという実例が毎年あり、日本には狼が子供を取ったという話が多く伝わっているという。
これが山にて小児が失踪する神隠しの一つの所以であるとも考えられる[23]。
427:名無しさん@1周年
19/07/02 19:40:29.23 /WqxVj930.net
>>286
魏志倭人伝を疑ったら、そもそも大和=邪馬台国も成り立たなくなるし、箸墓=3世紀だとしてもだから何?って話になるが
428:名無しさん@1周年
19/07/02 19:44:30.68 qP+ODIrr0.net
>>427
魏志倭人伝はどこかに「嘘」もしくは「錯誤がある」のは常識だろ
429:名無しさん@1周年
19/07/02 19:45:50.22 YHajqo3A0.net
箸墓はヤマトトトヒモモソヒメが卑弥呼じゃね?という推論から卑弥呼の墓と言われてるだけだからな
モモソヒメが卑弥呼じゃなかったら成り立たない
430:名無しさん@1周年
19/07/02 19:54:27.17 /WqxVj930.net
>>295
「存在しないとされている」は不勉強
>>322
ガリレオ・ガリレイ「1人だから何」
431:名無しさん@1周年
19/07/02 20:14:36.14 /WqxVj930.net
>>408
そこが3世紀の墓であることを何で確定するか
>>415
流通があったら大きな国であるという理屈がわからない
432:名無しさん@1周年
19/07/02 20:19:21.43 EVWyz2Rx0.net
呉滅亡
稲作伝来
呉の太伯の末裔(約3世紀ごろ魏略)
古墳時代までの歴史は時が一致する
約2400年前の分銅(北九州は中国製しか確認されていない)が全てを語る
国内最古、石の分銅 大阪・亀井遺跡
URLリンク(www.youtube.com)
433:名無しさん@1周年
19/07/02 20:20:15.08 8q4Gxcxu0.net
>>418
鉄器、絹織物、硯
>>425
邪馬台国とは卑弥呼を共立した北部九州の国々の連合体
北部九州の国々の連合体全体で7万戸
1戸5人としても35万人は余裕で北部九州に収まる。
434:名無しさん@1周年
19/07/02 20:23:59.65 OeyVk1US0.net
>>417
>>431
イデオロギーで歴史を見るのは止めにしようぜ
435:名無しさん@1周年
19/07/02 20:24:01.00 HEPbcAL90.net
>>433
35万人でも無謀なことに変わりないが、まったく根拠のない計算だな。
奴国の2万戸とか、投馬国の5万戸をなかったコトにしてるのは察した。
436:名無しさん@1周年
19/07/02 20:26:04.61 /WqxVj930.net
>>428
「邪馬壹国と書いてあるけどウソで~す
>>434
イデオロギー抜きで物事を見ることはできないよ
437:名無しさん@1周年
19/07/02 20:26:17.19 OeyVk1US0.net
九州説は街起こしになってるから科学や統計的に否定されても唱える輩は消えないんだろうな
438:名無しさん@1周年
19/07/02 20:26:45.26 XXTGKdI70.net
>>436
低学歴?
439:名無しさん@1周年
19/07/02 20:29:30.88 /WqxVj930.net
「おもてなし」と「まちづくり」in桜井市
三輪山と箸墓古墳
440:名無しさん@1周年
19/07/02 20:31:10.33 h/+NV+oe0.net
そもそも邪馬台国がそんなに強大な国だったのかも分かってないのでは。
441:名無しさん@1周年
19/07/02 20:32:49.40 NI5tFx410.net
>>430
関川説をゴリ押ししたいなら、畿内と九州で100年も年代差が生じることを証明してくれ
普通の人間は幽霊もネッシーも実在しないと考えるし、2つの地点の間で時空の歪みが存在するなんて思わない
ホケノから実際に出土された後漢鏡や刀剣類が存在しないことにするマジックも証明してくれ
442:名無しさん@1周年
19/07/02 20:33:06.98 EVWyz2Rx0.net
北九州の出土品は中国製ばかりで地元のものがほとんど無いのよね
443:名無しさん@1周年
19/07/02 20:34:52.70 HEPbcAL90.net
>>437
邪馬台国が実際に町おこしになってるところなんてないやろ
444:名無しさん@1周年
19/07/02 20:37:06.45 Q/zg/sVA0.net
>ただ私は、この箸墓古墳からすぐ近くJR桜井線の巻向駅周辺に広がっている纏向遺跡こそ邪馬台国の王都だったと思っていますので、やはり陵墓は卑弥呼のものであるはずです。
なんの論理性もない文章だ
445:名無しさん@1周年
19/07/02 20:41:05.27 /WqxVj930.net
他地域のものが入ってて流通があったら大きな国
他地域のものが必要なくて地元でまかなえたら大きな国
中国産が必要なくて地元でまかなえたら大きな国
中国産のものが入ってて流通があったら大きな国
446:名無しさん@1周年
19/07/02 20:49:43.16 NI5tFx410.net
>>430
>「存在しないとされている」は不勉強
短里なんてものは、幽霊やネッシーと同次元の話で、空想の産物
そんなものが存在すると考えてるやつはただの電波
447:名無しさん@13周年
19/07/02 20:52:29.54 zMjb+xA1V
431
>(土器の)流通があったら大きな国であるという理屈がわからない
同感。土器はA⇒B⇒C・・・⇒Zと伝言ゲーム式に移転しただけで、遠国の土器がその遠国から出土地まで運ばれたはずという前提はおかしい。「動くもの」で歴史を語る場合の間違った推論だ。ヒスイや黒曜石のような軽いものですらこの推論は認められない。
448:名無しさん@1周年
19/07/02 20:52:25.19 NW0Nmh/C0.net
5chに住み着いている畿内説はこいつ一人しかいません。
↓
1 名前:1 ◆UiepmfCeDJqf [sage] 投稿日:2019/07/02(火) 19:19:18.17
邪馬台国論の鉄板、畿内説のスレです。
【骨 子】
・3世紀中葉には、古墳時代が開始していた。(◆10,FAQ10,43)
・古墳出現期段階で、近畿中央部を中心に列島規模の政治連合が形成され始めていた。(◆2,4~6)
・北部九州博多湾岸地域は、既にこの政治連合の傘下にあった。(◆7)
ゆえに、倭女王卑弥呼の都があったのは畿内である。
↑
この馬鹿妄想で自己暗示かけて更に妄想を発展さておき「畿内で確定だ」と豪語するかなり逝ってるやつ。
もう何年も仕事を貰えない永遠の非正規らしいw
449:名無しさん@1周年
19/07/02 20:56:31.94 /WqxVj930.net
「ここにほら、実際に使われてるじゃん」
「だね」
450:名無しさん@1周年
19/07/02 20:58:52.13 aLwzJ20W0.net
短方角ってのがあってね
東を南ということにするんだよ
って同じレベルだぞ。短里ってw
451:名無しさん@1周年
19/07/02 20:59:12.93 8q4Gxcxu0.net
奴国だけで2万戸なんだから
北部九州に7万戸は余裕だよ
投馬国は朝鮮半島南部だよ。
452:名無しさん@1周年
19/07/02 21:03:26.92 NW0Nmh/C0.net
畿内説は奈良が広いと思っているが現実はこれ
■可住地面積
奈良県 853(km2)
福岡県 2773(km2)
佐賀県 1332(km2)
熊本県 2732(km2)
■耕作可能な土地の面積
奈良盆地:450km2
河内平野:200km2
福岡平野:250km2
筑紫平野:950km2
中津平野:180km2
宮崎平野:800km2
7万戸を約30万人として700km2は必要。
奈良と河内を合わせても足りない。
453:名無しさん@1周年
19/07/02 21:06:20.27 NW0Nmh/C0.net
弥生時代における国々の分布密度は?
韓半島には大きくわけて馬韓・辰韓・弁韓の3国が存在していた。
そのうち百済の前身「馬韓」は約50国からなる連合国だった。
URLリンク(i.imgur.com)
倭国は30国からなる邪馬台国連合国はあるとも言える。
URLリンク(i.imgur.com)
454:名無しさん@1周年
19/07/02 21:08:14.11 /WqxVj930.net
龍谷大学本混一疆理歴代国都之図
「さすが、やっぱり長里で書くと韓半島ってこのくらいになるんかね」
「まだまだ足りないかもしれないね」
「長里で3回渡海して九州に上陸するには、このくらい離れるんかね」
「それにしても離れすぎの気が」
「伊都国奴国はどの辺なんだろうね」
「もうその時点で本州上陸してるよね」
「南へ南へと進んで畿内にたどり着くにはちょうどいい地図だね」
「だね
455:名無しさん@1周年
19/07/02 21:09:05.51 gbcZcrPv0.net
>>392
九州は証拠を重視しないだろ
456:名無しさん@1周年
19/07/02 21:11:31.69 NW0Nmh/C0.net
土器様式によって勢力圏を判断するという畿内説的思考で考えると、
東海政権がTOP政権となってしまう件www
■畿内説曰く
3世紀に入ると九州で畿内式土器が出現する。
これは畿内政権が北部九州を傘下においていた事を意味する。
■九州説曰く
それは畿内が北部九州に納品(献上)していた物であり、
逆に纏向では九州産の土器は出土しない。
畿内は北部九州の傘下にあったとも考えられる。
■東海説曰く
同時期の纏向遺跡からは東海式土器が大量に出土する。
これは纏向が東海政権の傘下にあった事を意味する。
457:名無しさん@1周年
19/07/02 21:13:11.28 gbcZcrPv0.net
>>448
これが全1病ってやつか
全てのレスが奥山に感じるという
458:名無しさん@1周年
19/07/02 21:14:19.91 NW0Nmh/C0.net
学者が畿内説を諦めたので無期限閉鎖としますw
ソース
読売新聞YOL
21.11.2018
邪馬台国の候補地?見学施設、財政難で建設延期 社会
奈良県桜井市は、邪馬台国の有力候補地として注目される纒向(まきむく)遺跡で、
2020年度中の完成を目指していた「ガイダンス施設」の建設延期を決めた。
財政難が原因。整備を進める史跡公園の核となる施設で、遺跡見学の拠点として
期待されていたが、新たな完成時期は未定だ。
459:名無しさん@1周年
19/07/02 21:15:37.26 NW0Nmh/C0.net
>>457
奥山くん、こんばんはw
460:名無しさん@1周年
19/07/02 21:16:35.05 NW0Nmh/C0.net
纏向こそ西日本を制するヤマト王朝ニダー!
■纏向遺跡出土土器の産地
伊勢・東海系:49%
北陸・山陰系:17%
河内系:10%
吉備系:7%
近江系:5%
関東系:5%
播磨系:3%
西部瀬戸内海系:3%
紀伊系:1%
思いっきり東日本政権やんw
461:名無しさん@1周年
19/07/02 21:20:33.29 gbcZcrPv0.net
>>442
弥生自慢の弥生詐欺
462:名無しさん@1周年
19/07/02 21:20:49.63 zIy7EaLx0.net
1里が500メートルで1短里が70メートルって考えるから分からなくなる。
全ての距離は情報の防衛のため10倍されて書かれている。
463:名無しさん@1周年
19/07/02 21:21:13.75 NW0Nmh/C0.net
畿内説は畿内説ありきで編年基準をずらせます。
箸墓古墳、ホケノ山古墳の年代は4世紀濃厚です。
■小型丸底土器出土
石野博信氏はホケノ山古墳について安本先生と
討論を行った際、ホケノ山古墳から4世紀後半の
小型丸底土器が出土したことを述べている。
小型丸底土器は庄内式土器末期から出現し、
布留式土器の重要構成要素となっている器種である。
ホケノ山古墳からは庄内式土器も出ているが、
それよりも新しい布留Ⅰ式土器が出土したことに
なるので、考古学の常識で判断すれば、古墳の年代は
布留Ⅰ式の時代と言うことになる。
石野博信氏は「ショックだった」と感想を述べている。
報告書を記述した橿原考古学研究所の研究部長は、
小型丸底土器は、発掘時に墓の上の方から落ちて
きたのではないかと、苦し紛れに書いている。
■箟被のついた銅鏃出土
また、石野氏はホケノ山古墳から箟被(のかつぎ)
のついた銅鏃が出土したことも述べている。
このタイプの銅鏃は比較的新しい時代の物で、
前期古墳の後半で布留Ⅰ式以降と考えられている。
■まとめ
ホケノ山古墳では5世紀の江田船山古墳と同じ
画文帯神獣鏡が出土している。
箸墓も木製輪鐙が出土しているのでこのあたり
一帯は4~5世紀頃の古墳群と思われる。
464:名無しさん@1周年
19/07/02 21:24:02.58 mX2t9yn90.net
九州説は学問を否定してるんだからエンタメ路線で頑張れ
465:名無しさん@1周年
19/07/02 21:26:59.83 4+oO13Mw0.net
>>462
誰が何のために?
466:名無しさん@1周年
19/07/02 21:27:38.75 NW0Nmh/C0.net
■ニュース
2001年12月
「箸墓の周濠から、馬具と布留1式土器が同時に出土した。」
奈良県桜井市箸中の箸墓古墳の周濠から、乗馬の 際に足を掛ける馬具、
木製の輪鐙(わあぶみ)が見つかり、桜丼市 教委は三十日、
「輪鐙は四世紀初めに周濠に投棄され たと推定され、国内最古の馬具
である可能性が高い」 と発表した。
■参考
・布留1式土器は4世紀。
・馬具研究史より
樋口隆康「鐙の発生について」は、中央アジアの騎馬民族に
鐙が出てくるのは7世紀以降であるが、中国では4世紀初頭の騎人俑に
足踏みとしてのみ利用された片側だけにつけられた鐙の存在を指摘し、
中国における鐙の発生を4世紀初頭と推定した。
■所見
中国ですら鐙は4世紀導入です。朝鮮半島最古の鐙は5世紀です。
なぜ4世紀初めの日本に鐙があるのでしょう???
■診断結果
ゴッドハンドですねw
467:名無しさん@1周年
19/07/02 21:28:21.39 MkpZ42+Y0.net
邪馬台国の出先機関である一大率があったとされる伊都国のあったとされる
糸島半島には
この時期(三世紀中あたりまで)ほとんど畿内の影響が見られない
(明確な畿内式の庄内式甕なんて三雲サキゾノ遺跡から出た一点だけ)
中国の刺史のよう、と言われた一大率が畿内政権から送り込まれた代官なら
もう少し畿内政権の影響が見られてもいいはずだが
遺跡から見る限り実際は、糸島への畿内系の浸透は、隣の福岡市より遅れている
ちょうど日本書紀で北九州や中九州、南九州が11代景行で支配された後
糸島が13代仲哀の時代に降った事に対応しているかのように
468:名無しさん@13周年
19/07/02 21:30:16.21 pj3rIzisW
何故か古事記に邪馬台国と卑弥呼が出てこないんだよね、、、
ヤマトなら出てくるはずだが謎だ。。。
469:名無しさん@1周年
19/07/02 21:28:35.28 NW0Nmh/C0.net
■箸墓古墳の年代
①四世紀の中ごろ(西暦350年前後)
関川尚功氏(元奈良県立考古学研究所員)
②三世紀のおわりごろ(西暦280年~300年ごろ)
寺沢薫氏(桜井市纒向学研究センター所長)
③三世紀の中ごろ(西暦250年前後)
白石太一郎氏(大阪府立近つ飛鳥博物館長)
④五世紀(西暦400年以降)
俺氏 輪鐙の年代と堆積層の堆積年数から推定
<年代変動予想>
③希望的観測結果
↓
②←今ココ
↓
①(2019年3Q)
↓
④(2020年1Q)
470:名無しさん@1周年
19/07/02 21:31:53.84 NW0Nmh/C0.net
ヤマト政権は渡来人の協力を得て、5世紀からスタートした政権です。
・ ~2世紀末: 唐古鍵遺跡
・2世紀末~3世紀半ば:不明(邪馬台国時代)
・3世紀半ば~4世紀半ば:纏向遺跡
・4世紀末~:↓奈良・高取
■最古の大壁建物跡か 奈良・高取の遺跡で発見
「建築年代は4世紀末~5世紀初めと推定され、
最古の大壁建物跡の可能性もある。
渡来人が入植を開始したのは5世紀後半と
考えられていたが、大幅に早まる可能性が出てきた。」
「同町では、朝鮮半島式の床暖房装置(オンドル)を
持つものを含めて約40棟見つかっている。」
「白石太一郎・大阪府立近つ飛鳥博物館名誉館長は、
建物の時期についてはさらに検討が必要としながらも、
(現場に)居館や祭祀施設など渡来系の人たちが
営んだ重要な施設があったことは間違いないとみている。」
URLリンク(www.sankei.com)
471:名無しさん@1周年
19/07/02 21:34:47.01 NW0Nmh/C0.net
なぜ3世紀の奈良から鉄が出土しないのか?
鉄の出土分布が3世紀の経済共同体を示しています。
URLリンク(i.imgur.com)
■考えられること
鉄の潤っていた九州と畿内は別国であった。
=一大率や大倭は畿内政権とは無縁である。
=魏志韓伝に出てくる「倭」には畿内は含まれていない。
■裏付け
実際、同時期の纏向遺跡からは九州産の土器が
出土せず、東海・伊勢地方のものが多数を占める。
■名言
もと歴博の館長もやった佐原真は、
「近畿圏では鉄は溶けやすいので、残っていないのだ」
とマジで答え、・・・
472:名無しさん@1周年
19/07/02 22:08:19.47 31Yt/kBl0.net
でもさ
ジャマだい!国
とかって名付けられてるじゃない
本当は、ヤマトって、おジャマ虫だったんじゃないの?
皇室は ちがうからね 新しいほうだから
473:名無しさん@1周年
19/07/02 22:31:39.17 h4dmGiTM0.net
今は淡路や彦根で邪馬台国の頃の
鉄器工房跡が見つかったりしてるしなぁ…
九州だけが先進してたって
イメージは今は少々合わないやね
最初の57年の金印の頃なら兎も角
その190年後だし卑弥呼が金印貰ったの
474:名無しさん@1周年
19/07/02 22:35:27.78 1ujkrHv00.net
今後邪馬台国がどこにあったかって証拠が出てくる可能性あるの?
475:名無しさん@1周年
19/07/02 23:09:49.62 4+oO13Mw0.net
>>462
魏志倭人伝の内容は、帯方郡でまとめられ洛陽に報告された魏国内の内部文書。
わざわざ偽装を施すよりも正確性こそが求められる。
仮に呉や蜀に属国を知らしめる目的で公表したなら、もっと精強な集団と書くだろう。
少なくとも占いオババが国のトップなんて書くはずがないし、後継者が13歳の占い娘で内戦状態などと書くはずがないし
鉄製武器が鏃の一部だけしかないなんて書くはずもない。
牽制目的なら
倭国では鉄が豊富に取れ製鉄も盛んで馬も多くいる。
食料も豊富で小さな国でも1万戸、大きな国では10万戸程度
巨大な王宮に男王が住まい、鉄の剣や矛を持った警護の兵が朝から晩まで厳重に警護している。
彼らの弓は強固で遠くまで飛び、遠方の的を鉄の鏃が鋭く貫く。
船の扱いに長け、大きな船を持ち集団で漁をする者たちもいる。
これくらい守らないと牽制にもならない。
476:名無しさん@1周年
19/07/02 23:28:55.09 NI5tFx410.net
>>470
>ヤマト政権は渡来人の協力を得て、5世紀からスタートした政権です。
日本人でないことをもう隠さなくなったなwww
日本で教育を受けてないことがバレバレ
その間抜けなこじつけも、>>199の人が論破してるだろうに
477:名無しさん@1周年
19/07/02 23:30:22.93 blFD7LrPO.net
帰って来たぞ。畿内説は、デカイ遺跡と方向違いしか根拠がないだろ、記紀に場所は書かれて無いだろ、巻向が卑弥呼の墓もしくは祭壇で大和がその流れなら祭るだろ、辻褄があってない学問とやらだよ、理由は解らないわけでもないけどね。邪馬台は北九州だよ。
478:名無しさん@1周年
19/07/02 23:43:37.41 Gzj51Eq30.net
>>460
2代目天皇以降嫁さんをもらったり、皇子がどこの豪族の祖になってるかというと、三重、愛知からだから結局その辺から同盟してったんだと思うよ。
だから土器が東海からになるんだと思う。
479:名無しさん@1周年
19/07/02 23:53:00.01 SWLnZmbh0.net
>>169
■倭國条 〜703年 (倭国時代末期・大和朝廷)
「倭國者,古倭奴國也。」
(倭国はいにしえの倭奴国である。)
■日本条 703年〜 (ヤマト政権時代・大和朝廷)
「日本國者,倭國之別種也。」
(日本国は倭国の別種の国号である)
倭国と呼んでいた国を今後は日本国と呼ぶという注記
新唐書
■日本國条 全部(大和朝廷)
「日本,古倭奴也。」
(日本はいにしえの倭奴である。)
何も問題ないな
480:名無しさん@1周年
19/07/02 23:55:53.84 NI5tFx410.net
>>471
>鉄の出土分布が3世紀の経済共同体を示しています。
これも日本人でない証拠
そんな珍説、どこの国で習ったんだ?
日本列島は鉄貧乏だった奈良発祥のヤマト王権により統一されたんだよ
九州もヤマト王権に飲み込まれる
これが意味するところは、弥生時代での鉄の量は国力とは関係ないし、首都の位置とも関係ないということ
実際、弥生時代の九州の鉄は大した量ではない
3世紀の畿内の古墳たった3基から出土した分だけで、余裕で上回る
ついでに言うと、そのグラフは相当古い
ホケノの鉄が反映されてないので、20年以上前のものだろう
意図的に古いものを見せて、九州優位に見せかけているんだろうけど
481:名無しさん@1周年
19/07/02 23:58:29.31 8q4Gxcxu0.net
>>471
鉄は国家なりですね
鉄の無い所に国家無し
482:名無しさん@1周年
19/07/02 23:59:44.30 8q4Gxcxu0.net
>>473
鉄の量が違うからね。
483:名無しさん@1周年
19/07/03 00:08:19.11 QzBT/M3P0.net
>>460
纏向は伊勢湾や濃尾平野の勢力の西への前進基地である新都。
崇神天皇はここの王で同時期に九州に卑弥呼がいた。
邪馬台国崩壊後の日向国からきた男に纏向の王位を奪われた。それが現在の天皇家?
484:名無しさん@13周年
19/07/03 00:19:43.33 /i7AVmeWl
倭人伝には邪馬台国のほかにも複数の王国の記述がある
他の国の例に漏れず日本も群雄割拠だったんだろ
栄枯盛衰やって、戦乱や飢饉やら疫病やらあってどこかの王国が勢力を寡占化していった
ちなみに奈良にできた大和政権といえども全国を一律に支配したわけではなく畿内の勢力に過ぎなかった
地方には幾多の小勢力が割拠しており戦乱の繰り返しだ
485:名無しさん@1周年
19/07/03 00:21:13.13 azP2LQy10.net
>>480
畿内の鉄の少なさは学者も認めている事実なんだよな。
お前の脳内妄想は何説なんだよ?www
「北部九州では紀元前1~2世紀、朝鮮半島から鉄の素材が入り、加工して流通するようになった。
弥生時代、倭で最初に本格的な金属器社会に入った地域だ。
初期の国家について「鉄が権力をつくる」との説を私は支持している。
ではなぜ鉄の一大生産地だった九州に比べ出土品も少ない近畿に大和政権ができたのか。」
松木 武彦(まつぎ・たけひこ) 大阪大文学部卒、同大学院博士課程単位取得。
専門は日本考古学。日本列島の古墳研究や考古学を通じた戦争、国家形成論などを研究。
2014年から国立歴史民俗博物館の研究部門教授。
486:名無しさん@1周年
19/07/03 00:22:00.25 azP2LQy10.net
>>479
奥山得意のチェリーピッキングwww
487:名無しさん@1周年
19/07/03 00:23:27.53 azP2LQy10.net
>>476
乾燥耳垢のチョン奥山にとっては都合がいいはずだが?www
[渡来系]乾燥耳垢
[縄文系]湿潤耳垢
以下、都道府県別の乾燥耳垢率
北海道:67.4%
宮城:65.6%
東京:67.6%
新潟:75.0%
長野:77.1%
愛知:81.3%
奈良:100%
大阪:94.7%
広島:74.7%
福岡:59.4%
488:名無しさん@1周年
19/07/03 00:25:48.62 azP2LQy10.net
学者いわく、畿内説の根拠である箸墓古墳は卑弥呼の墓ではありません。
研究者の年代観によって造営年代は若干の異同がある。
広瀬和雄はその時期を3世紀中期ないし後期としているが、
「魏志倭人伝にしたがうかぎり、箸墓古墳が卑弥呼の
墓であることの可能性は低い、というよりは証明しがたい」
と述べている
白石太一郎は3世紀中葉過ぎとしているが、
「3世紀半ばすぎというのは、卑弥呼は亡くなっているが、
その後継者である台与の時代である。」とも言っている
489:名無しさん@1周年
19/07/03 00:29:21.67 azP2LQy10.net
対馬→壱岐の方角を南とする魏志倭人伝に従い、
邪馬台国は九州島のどこかで確定ですね。
この視点から見て南の方角です。
URLリンク(i.imgur.com)
※畿内説とは、史書に書かれた道のりを一切無視しているそうです。
490:名無しさん@1周年
19/07/03 00:29:57.46 xTdGzZOG0.net
畿内説といった方が金になるんだろ?
491:名無しさん@13周年
19/07/03 00:33:39.18 /i7AVmeWl
>>490
どうしても畿内にある古墳や遺跡を日本の原初ルーツだと言ったほうが目に見える形で商業化できて都合がいいからなw
あと宮内庁が管轄してるからといってそれが天皇家ゆかりだとは限らない
天皇ルーツを学術的に暴かれないために研究から遮断してると見たほうがいい
492:名無しさん@1周年
19/07/03 00:34:01.85 azP2LQy10.net
ヤマト王権誕生の謎はすでに解決しています。
使えない小国ヤマト政権を立て直したのは渡来豪族の弓月君たちでした。
奈良豪族の使えなさはその後の天武の苦労を見ればよく分かるでしょうw
~2世紀;唐古鍵遺跡
~4世紀半ば:纏向遺跡
4世紀末~:弓月君降臨↓
最古の大壁建物跡か 奈良・高取の遺跡で発見
「渡来人が入植を開始したのは5世紀後半と考えられていたが、大幅に早まる可能性が出てきた。
大壁建物は、方形状の溝の中に多くの柱を立て、土などを塗って壁をつくり建築した住居。
同町では、朝鮮半島式の床暖房装置「オンドル」を持つものを含めて約40棟見つかっている。」
URLリンク(www.sankei.com)
493:名無しさん@1周年
19/07/03 00:35:17.92 azP2LQy10.net
>>490
5chで畿内説宣伝係を務める自演厨の奥山氏の場合、時給はゼロ円だそうですw
494:名無しさん@1周年
19/07/03 00:39:33.67 azP2LQy10.net
とある研究者の見解
『ようやく安定した銅鉱石を入手して安定した銅鋳造が可能になったのは、西暦263年以降280年代に入ってからである。
そうなると、景初2年(西暦238年)に卑弥呼に下賜した100枚に銅鏡は、魏の時代というより漢時代に作られた漢王朝の「漢鏡」を提供したと考えるのが普通であろう。
黒塚古墳出土33枚銅鏡が中国のどこで生産されたか未だに公開されてないのは、おそらくは華中(揚子江周辺)製の銅・錫・鉛鉱石を使ったからであろうか、畿内説の論客にとっては益々不利になる結果となるからであろうか。
2世紀~3世紀初の「漢鏡」が畿内から出ない限り、「漢鏡」や「西晋鏡」など多くが出土する北九州に取って代わることはない。』
やはり畿内説の主張する銅鏡は、卑弥呼の時代とは無関係という、多くの学者の見解と一致していますねw
495:名無しさん@1周年
19/07/03 00:51:04.87 PvLtEXja0.net
>>485
それで九州に統一政権ができたのかよwww
いったいどこの国でデタラメ日本史を学んできたんだ?
弥生時代の九州には国家を形成するほど十分な鉄がなかった
だから、鉄がもっと少なかった畿内に飲み込まれたわけだ
これが歴史的事実
日本の古代史の通説を認めない外国人が、日本史を捏造しようとしてるが無駄だよ
捏造は必ずバレる
496:名無しさん@1周年
19/07/03 00:53:08.00 PvLtEXja0.net
>>487
畿内説論者を誰でも奥山って人だと思い込むのは、脳に異常があると言わざるを得ない
497:名無しさん@1周年
19/07/03 00:54:43.23 azP2LQy10.net
>>495
はい、畿内政権はチョンなのがバレて追い返されましたw
■倭國条 ~631年の記事
倭國者,古倭奴國也。
(倭国はいにしえの倭奴国である)
※倭奴国=漢から金印を貰った国で、
倭国より古い時代の国名=北部九州
去京師一萬四千里,在新羅東南大海中。
(新羅の東南海に在り、郡から一万四千里)
※九州~山陰あたりか?
■日本条 701年~の記事(大和朝廷時代)
日本國者,倭國之別種也。
(日本国は倭国の別種である)
※畿内政権は倭国とは別物だと言い切ってる
日本舊小國,併倭國之地。
(小国だった日本が倭を併合した)
其人入朝者,多自矜大,不以實對,故中國疑焉。
(畿内人は嘘つきなので中国はこれを信用しない)
498:名無しさん@1周年
19/07/03 00:58:36.53 azP2LQy10.net
鉄剣や殉葬者の骨は溶けると言い張っていた畿内説の最期の頼みの綱
纏向遺跡で「カエルの骨」発見!
「カエルは祭祀の供物で、
祭りが終わった後に出席者が食べ、骨を穴に捨てた可能性がある。
URLリンク(www.sankei.com)
↑
奥山氏と同レベルの根拠なき妄想を語る考古学者www
499:名無しさん@1周年
19/07/03 00:59:27.66 PvLtEXja0.net
>>494
それ書いたのが研究者だと言うなら、きちんと名前を出せ
元の記事を読むと、仕事で中国に駐在してた云々とあり、
ただの古代史マニアが書いたデタラメの記事にしか見えないがwww
500:名無しさん@1周年
19/07/03 01:02:08.44 PvLtEXja0.net
>>497
チェリーピッキングは不正行為と同じ
九州説の卑劣さを象徴している
501:名無しさん@1周年
19/07/03 01:02:29.77 azP2LQy10.net
>>499
奥山氏の脳内説が最底辺である事実が濃くなる一方だなwww
502:名無しさん@1周年
19/07/03 01:07:10.54 PvLtEXja0.net
>>494
>やはり畿内説の主張する銅鏡は、卑弥呼の時代とは無関係という、多くの学者の見解と一致していますねw
しかし、こういう捏造を平気でやるって、自分が倫理観ゼロの人間だと晒してるようなものだぞ
九州の倫理観の欠如は理解不能
503:名無しさん@1周年
19/07/03 01:21:25.87 QzBT/M3P0.net
>>489
この地図、現実と方位ずれてるよね。
現実の南東がこの地図でいう南。
504:名無しさん@1周年
19/07/03 01:25:15.38 q8rERGqM0.net
奈良県が誇る日本最古の物5選
・大神神社
・吉野ロープウェイ
・生駒ケーブルカー
・三輪素麺
・神武天皇
505:名無しさん@1周年
19/07/03 01:30:24.20 bEMkloe6O.net
今の日本で公式の場で近畿とは関係ありませんと発表できる学者はいないんじゃない、首吊るようなもんだし。生口30人しか送れない、狗奴国何とかしてくれ、と頼みに行くような国がなんで巨大な遺跡があるんだよ。馬も車もないのにどうやって土処理すんだよ。説明してくれ
506:名無しさん@1周年
19/07/03 01:33:58.05 bEMkloe6O.net
論理的に
507:名無しさん@1周年
19/07/03 01:34:46.04 1UuM9nsr0.net
近畿に3世紀7万戸の住居跡なんて存在しねえよ。
3世紀最も人口が多かったのは北九州だけ
アホの近畿は朝鮮並みに歴史を捏造しようとするからタチが悪い
近畿は白村江の敗戦で逃げてきた百済人が作った僻地
508:名無しさん@1周年
19/07/03 01:36:04.33 ONAFj+oU0.net
>>504
神社もだけど寺も奈良からでは?
509:名無しさん@1周年
19/07/03 01:37:30.47 HqGqTCWg0.net
>>2
それ
510:名無しさん@1周年
19/07/03 01:43:35.49 1UuM9nsr0.net
銅鐸や土器にはトサカ付けた船を漕ぐ渡来人が描かれるがあれが邪馬台の武人だよ。
北九州に栄えた邪馬台は中国王朝系の兜や鎧を付けた屈強な大倭の武装集団。それは磐井の石像からも明らかで、対して近畿はそんな先端武装防具など存在しない。
511:名無しさん@1周年
19/07/03 02:40:49.40 zU/kNpRP0.net
>>87
仲間で奈良に集まったが、それぞれ戻る場所があったからだろ
それで各自、元いた場所に戻った
だがまたまた中世、東海にいた物部氏族が牙を向いた
三河の王たる源頼朝を王に据えてな
三河の源頼朝は、実は東海地方の物部氏族の力を借りて東国に武家政権を樹立した
物部氏族国造
参河国造
遠淡海国造
久努国造
珠流河国造
伊豆国造
久自国造
三野後国造
小市国造
風速国造
松津国造
末羅国造
熊野国造
源頼朝、関東御分国
三河国 (異説あり)
遠江国
駿河国
伊豆国
武蔵国
相模国
上総国
信濃国
越後国
伊予国
豊後国
下総国
512:名無しさん@1周年
19/07/03 02:44:26.73 zU/kNpRP0.net
それ以降、三河人に日本を牛耳られる700年の歴史を経るのであった
【三河最強伝説】
■源義家軍
総大将:源義家
本体:三河武士(郎党№1 兵藤正経 三河国住人、郎党№2 伴助兼 三河伴氏 三河国住人)
■源頼朝軍
総大将:源範頼(三河守)
本体:三河武士
■足利尊氏軍
総大将:足利尊氏(三河守護(但し当時は喪中))
本体:三河武士
■徳川家康軍
総大将:徳川家康(三河守)
本体:三河武士
■トヨタグループ
総大将:トヨタ自動車
本体:三河武士
513:名無しさん@1周年
19/07/03 03:34:42.25 z7lWrMEG0.net
>>43
古田武彦(元昭和薬科大学教授)が昭和46年に「邪馬台国はなかった」の
なかで、初めて「「邪馬壹国」は「邪馬臺国」のあやまりではなく
正しい表記である。」と発表したが
古田武彦が「邪馬壹国」と主張したのは
南宋紹煕本(1195~1200年)が根拠。
URLリンク(www.furutasigaku.jp)
しかし陳寿の死後約150年後に范曄によって書かれた後漢書巻85 東夷列伝 倭の部分では
邪馬「壹」国ではなく邪馬「臺」國と書かれている。范曄は陳寿の自筆本または写本を見て
魏志倭人伝を引用しただろうことは明らかだ。
梁書、北史、隋書は全部唐代に書かれたもので官撰正史で信頼性は高い。
それらが皆「一、壱、壹」ではなく「臺」としている。
隋書東夷伝は「邪馬臺」表記で邪馬堆(堆の中国音はtui=トゥイ、トイ、ツイ)と註釈を加えている。
昔から今まで「臺」が「一、壱、壹」と同じ発音になった例(ためし)は無い。
しかのみならず昔の日本語には「一、壱、壹」のようなit=イッという促音(詰まる音)が
無かったのは万葉集4500余首を読めば判ることだ。
もし万に一つ邪馬「臺」國ではなく邪馬「壹」国が正しければ
邪馬「壹」国は北九州ではなく雄大な「富士の山」が直接見える範囲内にある。
514:名無しさん@1周年
19/07/03 04:13:22.47 z7lWrMEG0.net
>>487
縄文人の特徴は湿った耳垢だけじゃないんだが
二重まぶた
ウインクができる
肌にシミができやすい
515:名無しさん@1周年
19/07/03 05:38:35.73 pNZM37xF0.net
>>398
そこだね
奈良や近畿が大事なのはそのあたり
この国の皇統・根幹に関わる話はそこだらう
邪馬台国の文明(海洋系)はそこが滅ぼしたから
本来は連続性はないんだけど
神話という形で話をむりくり繋げたことで
いろんな妄想を生んでしまっているのかと
516:名無しさん@1周年
19/07/03 06:22:59.15 z7lWrMEG0.net
縄文人は熱帯からやってきたので太陽光線の紫外線から肌を守るために
日光性黒子=シミが出来やすかった
URLリンク(imgur.com)
URLリンク(www.daiichisankyo-hc.co.jp)
517:名無しさん@1周年
19/07/03 06:42:16.07 z7lWrMEG0.net
>>504
飛鳥寺
柿の葉寿司
吉野葛
森野旧薬園(宇陀市)
(h)URLリンク(www.morino-kuzu.com)
518:名無しさん@1周年
19/07/03 06:48:51.45 1TVkmOuc0.net
証拠がない限り何とでも言えるというものでもないし
何を証拠と見なすかということもフリーハンドではないが
何かがあれば何かが無条件に確定するというものでもない
519:名無しさん@1周年
19/07/03 06:54:28.91 1TVkmOuc0.net
ヴィシー政府は、フランスの別種也。
520:名無しさん@1周年
19/07/03 07:16:39.56 FZnPEh1N0.net
>>507
九州だけに人がいたとするソースは?
現在の歴史人口学界隈では、実在する弥生時代の遺跡の数や規模から
関東、東海、近畿、九州で遜色なく人がいたとされてる訳だが、それをひっくり返すだけのソースはあるんよね?
521:名無しさん@1周年
19/07/03 07:19:17.37 m8qmevYu0.net
まあ箸墓掘ってからにしようぜ
522:名無しさん@1周年
19/07/03 07:25:50.61 QZi52sFs0.net
>>503
あれ?畿内説は90度傾けてたけど
523:名無しさん@1周年
19/07/03 07:25:52.21 gp7NFXvH0.net
>>513
至 豆 いずれもトゥ だ
つまりヤマトゥ
大和だ
524:名無しさん@1周年
19/07/03 07:32:34.94 qyR6T5z50.net
>>523
大和はダーワ。
ヤマトは山門。
525:名無しさん@1周年
19/07/03 07:40:02.55 gp7NFXvH0.net
>>524
ダーワなんか言うかよ
ヤマトだ
526:名無しさん@1周年
19/07/03 07:42:35.52 4xHagF3L0.net
東遷説でいいよ
527:名無しさん@1周年
19/07/03 07:50:36.04 qyR6T5z50.net
邪馬国が現代の八女市なら、これより南に邪馬台国がある。
528:名無しさん@1周年
19/07/03 07:50:57.15 1TVkmOuc0.net
>>520
近畿っていっても畿内じゃないだろ
529:名無しさん@1周年
19/07/03 08:01:26.41 f9+AcKfO0.net
前スレの泉屋なんちゃらのクソ論文は笑ったな。あれでも本人達は科学やってるつもりだからな。
530:名無しさん@1周年
19/07/03 08:11:10.96 5D3Ju5QU0.net
>>518
そもそも論文書けないのが九州説
バカの壁
不正のオンパレード
531:名無しさん@1周年
19/07/03 08:18:16.82 f9+AcKfO0.net
クソ論文を何報書いても無駄
532:名無しさん@1周年
19/07/03 08:22:25.71 KNM2wFTx0.net
>>504
吉野ロープウェイは、会社の名前は『吉野ケーブル』なんだよな。ややこしい。
533:名無しさん@1周年
19/07/03 08:24:13.51 KNM2wFTx0.net
>>514
あと、ワキガもあったって話を聞いた事がある。
534:名無しさん@1周年
19/07/03 08:27:25.68 Bq7RwfLp0.net
基本だが近畿説は、魏志倭人伝を普通に解釈して無理がある
535:名無しさん@1周年
19/07/03 08:30:35.28 vpchXJt50.net
古代殷王朝の王墓からは、多数の人骨が発見されている
王の死後、一個師団を丸ごと殉死させたのよ
日本の古墳からは、こうした痕跡は発見されていないが
実際のとこ、これで殉死が無かったと断言する事は難しい
火山性土壌の日本では酸性で、長い間に骨まで溶けてしまうからな
人骨ってのはなかなか残らないのよ
中国でも周の頃には殉死は少なくなっているし。
秦の頃には兵馬俑のような日本で言うところの埴輪で代用されていた
この兵馬俑と同じものは唐の時代にもあったが、かなり形骸化されて
掌に乗るような小さな人形となっていた
まあ、こうして考えると、古代に殉死が行われたってのは魏志倭人伝の記述に
「卑彌呼以死大作冢徑百餘歩徇葬者奴婢百餘人」とあったように考えられるが
時代が下ると、中国の影響もうけて行われなくなってきたのだろう
536:名無しさん@1周年
19/07/03 08:38:41.54 pNZM37xF0.net
邪馬台国の場所はどこであれ
ともかく「海洋系」てことこがポイントなのに
近畿説はそこの主張が弱いんだよね
ともかく邪馬台国からの連続性にこだわってて
だから海洋系に主眼を置いた九州説は説得力があった
けど自分がよくよく原典を見ていて気付いたのは
>人々は朱や丹を体に塗っている。 ていう部分
辰砂の生産性を考えると九州より近畿エリアの方が
より可能性が高いのではと思った次第
537:名無しさん@13周年
19/07/03 08:56:03.77 pbB3CajUw
重篤な「日本スゴイ、スゴイ病」患者の集団である畿内説狂信集団の言説を真に受けてはいけないw 非論理と妄想の極みであり、耳を傾ける価値すらないwww
538:名無しさん@1周年
19/07/03 08:55:46.06 1TVkmOuc0.net
吉野ヶ里の出土遺物にも普通に朱が使われている
吉野ヶ里に限らない
539:名無しさん@1周年
19/07/03 09:02:18.55 m8qmevYu0.net
倭人伝には
有屋室 父母兄弟�息異處
(屋根や部屋があり、父母兄弟は別の場所で寝たり休んだりする)
というのが倭人の風俗としてあるが
これに該当するのは、花弁型縦穴式住居しかない
(中央の縦穴の周りに、花弁のように部屋がある形式の縦穴式住居)
そしてそれは基本的に九州にしかない。倭人伝の風俗は南方ぽいと言われるが、この辺りもそうかも知れない
540:名無しさん@1周年
19/07/03 09:05:59.68 KNM2wFTx0.net
>>538
地名で『丹生(にう・にゅう)』ってあったら、辰砂のとれるところらしいね。でも、
体に塗って大丈夫だったのかな。水銀だからね。
541:名無しさん@1周年
19/07/03 09:07:54.61 1TxW/yVx0.net
>>504
東大寺とか法隆寺とかはどちらかと言うと恥なの?
542:名無しさん@1周年
19/07/03 09:09:48.60 WEpcKQWI0.net
>>538
北九州にもないわけじゃないみたいだけどね
それに伊勢の鳥居は朱塗りじゃないし
ただ言えるのは、やはりこのあたりの歴史は
相当にドロドロと入り組んでるなってことだね
543:名無しさん@1周年
19/07/03 09:11:50.12 14z07q8R0.net
蛙の骨、桃の種、木製の鞘
これだけの物的証拠が出たので、邪馬台国は奈良だと断言できる
考古学は物的証拠が全てなのだよ
勝負あり(´・ω・`)
悔しいなら、九州説の学者たちよ、柿の種を探すんだ! (`・ω・´)
544:名無しさん@1周年
19/07/03 09:13:25.27 m8qmevYu0.net
丹生なら佐賀にもある(有明海に注ぐ塩田川沿いには丹生神社もある)
この川に近い虚空蔵山からは一応丹が取れたりしたとか
545:名無しさん@1周年
19/07/03 09:21:00.29 YQ9KTzNn0.net
九州説は捏造をやめろ
議論以前の問題
546:名無しさん@1周年
19/07/03 09:21:17.08 +qkGWUgJ0.net
>>544
松浦から佐世保あたりだと生水銀も出るような鉱脈だね。
徐福が喜びそうなw
547:名無しさん@1周年
19/07/03 09:23:10.82 wNetPbHF0.net
>>536
海洋系なのかな?
かつて水人たちが大魚や水鳥の害を避けるために入れ墨をしていたが今では飾りになったとしているが、書かれている内容は稲作や養蚕してる農耕民族そのものだろ
548:名無しさん@1周年
19/07/03 09:25:07.64 m8qmevYu0.net
>>546
佐世保の相浦白玉山で生水銀、らしいね
徐福歓喜やw
確か筑後川下流に徐福の像もあったし、行ってたりするかな?w
549:名無しさん@1周年
19/07/03 09:30:59.96 1TxW/yVx0.net
>>504
三重県も結構すごいよ
・粥見井尻遺跡の土偶
・墨書き土器
・金剛證寺(創建)
・城之越遺跡 湧水庭園
・丹生鉱山
・花窟神社
550:名無しさん@1周年
19/07/03 09:35:05.57 WEpcKQWI0.net
>>547
民族~民俗がだよ>海洋系
宗教のスタイルはいわゆる古神道といわれる
女性シャーマンが司るアミニズムだったり
磐座信仰や自然崇拝などの類
大陸系の文化風習とは明らかに異なる
551:名無しさん@1周年
19/07/03 09:40:33.27 WEpcKQWI0.net
出雲族の信仰はいわゆる大陸系の流れで
そこが古代ユダヤとかムー的なかんじのやつ
(テキトー)
552:名無しさん@1周年
19/07/03 09:44:53.14 IUrau9G70.net
>>547
邪馬台国が海洋系なのかはわからんが、九州安曇氏なんかは海洋系で有名だね。
3世紀頃にはそれこそ日本各地を盛んに移動してたようで、その痕跡となる銅環の腕飾りなんかが
色んな所から出土してて、奈良県の唐古鍵遺跡からも出土してる。
九州邪馬台国は、自分たちの殻に閉じ籠もってて、その輪には入ってなかったみたいだけどね。
553:名無しさん@1周年
19/07/03 09:56:44.15 z7lWrMEG0.net
>>521
オマエが掘ってこい
554:名無しさん@1周年
19/07/03 10:00:15.72 mGU9l/Zc0.net
邪馬台国だの卑弥呼だのヘイトスピーチで訴えられるぞ!
555:名無しさん@1周年
19/07/03 10:18:06.38 wNetPbHF0.net
>>550
魏志倭人伝には卑弥呼が鬼道で衆を惑わすとあるからアニミズムではないと思う。
556:名無しさん@1周年
19/07/03 10:24:36.88 CLjNmw390.net
>纏向遺跡は7万戸の邪馬台国に相応しい巨大集落である
纏向遺跡は住居跡がほとんど見当たらず閑散としており、発見されたのは大型の建物が4棟程度なので7万戸は有り得ない。
せいぜい神社の原型+古墳造営の土木事務所といった味方の方が妥当だが、引っ込みがつかずゴッドハンドでゴリ押し中。
ちなみに畿内説は、周辺含め住居跡が多数発見された吉野ヶ里遺跡に対し、7万戸にしては規模が小さ過ぎると指摘していた。
当時の人々の生活痕で見ると、纏向は比較にならないほど小規模である。
(一部では宴会場と言われている)
557:名無しさん@1周年
19/07/03 10:25:46.55 vpchXJt50.net
倭人は何人もの妻がいたとの記載があるが
実際は一夫多妻というより、多夫多妻であったと考えた方がよい
結婚って概念はあったのだろうが
非常に緩く、複数の妻や複数の夫が当時の男女にはいたのだろう
558:名無しさん@1周年
19/07/03 10:26:49.71 737S9bFv0.net
URLリンク(www.icr.co.jp)
数年前に見に行ったときは野っぱらだったのに、なんでこんなクソみたいな整備するんだよ。平城宮跡も同じことしてるだろ
559:名無しさん@1周年
19/07/03 10:27:24.65 bEMkloe6O.net
新唐書には神武の前にウガヤフキアエズがいる、そこで大友能直の奈良のナガスネヒコと衝突して新羅と手を組んだ国賊なので滅ぼした、で奈良へ遷都したという話もないとは言えない。
560:名無しさん@1周年
19/07/03 10:34:00.53 7AeBx8S40.net
魏志倭人伝だから、邪馬台国は九州にあったんだよ
奈良に邪馬台国があったなら
倭志魏人伝となるな
561:名無しさん@1周年
19/07/03 10:37:36.36 jnugQv0x0.net
あ、どっちでもいいや
562:名無しさん@1周年
19/07/03 10:46:56.48 WEpcKQWI0.net
>>555
えっと鬼道てシャーマン的な呪術でしょ
イメージとしては沖縄に残るスタイルに近いかと
wiki先生↓
卑弥呼に関する「魏志倭人伝」のこの「鬼道」の記述から、卑弥呼は呪術を司る巫女(シャーマン)のような人物であり、邪馬台国は原始的な呪術国家とする見方がある。
一方で、弟が政治を補佐したという記述から、巫女の卑弥呼が神事を司り、実際の統治は男子が行う二元政治とする見方もある[2]。
563:名無しさん@1周年
19/07/03 10:47:57.16 +qkGWUgJ0.net
大和王権の正史である記紀に明記されていない時点で無関係。
失敗に終わった大和初の朝貢記録も記載されていない事から、都合の悪い事は記述しなかったものと考えられる。
ということは、邪馬台国の存在は大和王権にとって都合の悪いものだったのかもしれない。
狗奴国こそが大和王権の源じゃないのかな?
564:名無しさん@1周年
19/07/03 10:58:35.15 WEpcKQWI0.net
近畿説の人がこだわってる「邪馬台国」って
実際は饒速日の国(出雲系)なんだと思うよ
邪馬台国(卑弥呼)≠饒速日 なのだけど
混同してるからアマテラスは実は男だったとか
話がますますややこしくなる
565:名無しさん@1周年
19/07/03 11:04:22.31 z7lWrMEG0.net
>>525
>>524
「倭」と「和」は発音が同じだ。
「唐」や「宋」は国号の前に「大」を前置きして「大唐」や「大宋」と自称した。
玄奘(=西遊記の三蔵法師)の著作に「大唐西域記」というのがあるし
古田武彦が「邪馬台国はなかった」を捏造した時に見た宋版「魏志倭人伝」が出版された時代に
国家公務員選抜試験の際に書かなければいけない正字、
絶句や律詩を作る時に従わなければいけない平仄や正音を示した
韻書の広韻も「大宋重修広韻」と「大」の字が付いてる。
中国文献でも「大倭」と記録されている。
二十世紀に成立した「大」韓民国は時代錯誤のお笑い草