【奈良】大和の地こそ邪馬台国に相応しい 箸墓古墳と纒向遺跡、大神神社at NEWSPLUS
【奈良】大和の地こそ邪馬台国に相応しい 箸墓古墳と纒向遺跡、大神神社 - 暇つぶし2ch200:名無しさん@1周年
19/07/02 11:11:58.53 +WnhYQj70.net
>>198
壱岐から77~80キロだと
東方向だと宗像市あたりなのよな。
西側だと五島列島まで行っちゃうけど。
中々にいい土地に着く

201:名無しさん@1周年
19/07/02 11:18:00.96 Jmf9CqtK0.net
宗像大社は出雲(スサノオ)との関連性と
さらには伊勢(アマテラス)との絡みもあるしね←@記紀
祭祀跡を見た感じも海洋系と思われるし
ここは伊勢の原住民と同じ系統な感じがするのよね

202:名無しさん@1周年
19/07/02 11:18:11.02 3oOwdCTF0.net
畿内から環濠が消えていく1世紀後半~2世紀中頃の、守山の伊勢遺跡、巨大銅鐸のあった祭祀遺跡
政治の中枢の誕生を示す遺跡だろう
国作りが進み平和で豊かな時代が到来したんだろう
中国の建築様式やレンガ、出雲や北陸の建築様式の建物など各地の特徴を持った建物跡が出土している。
おそらく首長たちが集い、祭祀を行い政治が行われていたと推測できる。
面白いことに伊勢遺跡の全盛期に同時代の墓が周辺に認められないんだよね。政治の中枢であるが墓がない、国会のような年に1回首長たちが集う祭祀の場であった可能性がある。
神無月に出雲に神々が集う言い伝えがあるが、伊勢遺跡の伝承だった可能性もある。
伊勢遺跡の祭祀は夜に行われていたと言われている。
夜の食国を治めたのは月夜見
農作業に使う暦を作って、首長たちに伝えていたのかもしれない
魏志倭人伝の魏略からの引用に女王国には暦がないという記述は興味深い
万葉集の奈良時代後半の歌を読むと、月やホトトギス時鳥の来訪の期待感が、次第に高まっていくのが感じられる
桓武朝で神代の王統が復活したのだろうか?

203:名無しさん@1周年
19/07/02 11:19:36.10 3oOwdCTF0.net
倭国大乱前に存在した畿内の国は滅ぼされたのだろうか?
畿内にあった銅鐸とヒスイの勾玉の集落
弥生時代末期に営みが終焉
貴重な勾玉が放置されている

池上曽根遺跡は、日本最大の井戸や弥生最大の大神殿、鉄工房もあった弥生時代にかなり栄えた集落。6cm大の巨大勾玉が出土
大阪は他にも高槻市成合遺跡、東大阪市鬼虎川遺跡、四条畷市城遺跡、高宮八丁遺跡
など、きりがないほどヒスイ勾玉が見つかっている。
奈良の唐古・鍵遺跡、褐鉄鉱に納められた巨大勾玉が見つかっている。貴重な勾玉が放置されていた。
これらの集落の人々はどうなってしまったのだろうか?
仁徳天皇の治世、再び勾玉が大ブームになる。
弥生時代の勾玉勢力と何か関係があるのだろうか?

204:名無しさん@1周年
19/07/02 11:19:45.60 G4LAslbA0.net
ふさわしいってw
そりゃヤマト王権の首都なんだからふさわしいだろうけど
それと事実は何の関係もない
今の東京を見て「ヤマト王権の首都は東京だったに違いない」
と叫んでるようなもんだよこれw

205:名無しさん@1周年
19/07/02 11:22:11.39 3oOwdCTF0.net
鎮魂歌
卑弥呼→台与の頃を歌ったものだろうか?
邪馬台国、初期のヤマト政権は、石器作りや狩猟を生業にしていた勢力が主体だったことが窺える
また、「フル」、「アチメ」という言葉は大和言葉では意味が分からないが、朝鮮語では「流れる」「朝日」という意味になる
石上神宮の布留の謂れは、刀が【流れてきて】布で受け止めたら留まったというもの
初期のヤマト政権は、朝鮮半島と日本列島を行き来していた日本海側の勢力も関係していたのかもしれない
纒向遺跡の外来系土器から推測すると、初期のヤマト政権は東海山陰吉備が主体の征服王朝だったと考えられる
【アチメ】 オオオオ オオオオ オオオオ
 天地ニキ揺ラカスハ サ揺ユラカス 神ワカモ 神コソハ キネキコウ キ揺ラナラハ
アチメ オオオオ オオオオ オオオオ
 【石ノ上】 【布瑠】社ノ 【太刀】モガト 願フ其ノ児ニ 其ノ奉ル 
アチメ オオオ オオオ オオオ
 【猟夫】ラガ 持タ木ノ【真弓】 奥山ニ 御狩スラシモ 弓ノ弭見ユ
アチメ オオオ オオオ オオオ
 上リマス【豊日霎】カ 御魂欲ス 本ハ金【矛】 末ハ木矛
アチメ オオオ オオオ オオオ
 【三輪山】ニ アリタテルチカサヲ 今栄エデハ 何時カ栄へム
アチメ オオオ オオオ オオオ
 吾妹子ガ、【穴師】ノ山ノ山ノ山モト 人も見ルカニ 深山カ縵為ヨ
アチメ オオオ オオオ オオオ
 魂筥ニ 【木綿】取リシデワ 魂チトラセヨ 御魂上リ 魂上リマシシ神ハ 今ゾ来マセル
アチメ オオオ オオオ オオオ
 御魂ミニ 去マシシ神ハ 今ゾ来マセル 魂筥持チテ 去リクルシ御魂 魂返シスナヤ

206:名無しさん@1周年
19/07/02 11:25:53.16 l9xVNelj0.net
>>203
銅鐸が消えたのと鳥居の出現って時期近い気がする

207:名無しさん@1周年
19/07/02 11:26:43.15 3oOwdCTF0.net
悲しいことだが、奈良は倭国大乱で侵略され、外部勢力=ヤマト政権が畿内を支配する拠点にされた

208:名無しさん@1周年
19/07/02 11:28:00.85 d9omoNvo0.net
>>203
後漢時代に倭国100ヶ国だったのが魏の時代には30ヶ国に減ってるね。
しかしその30国は女王に属した国の事であって、畿内も狗奴国のように分裂していただけだと思うよ。

209:名無しさん@1周年
19/07/02 11:28:34.90 3oOwdCTF0.net
確認できる最古の鳥居は四天王寺創建の時に作られた鳥居かな

210:名無しさん@1周年
19/07/02 11:29:27.75 66p34Kq/0.net
>>206
銅鐸は生贄の儀式に使われていたが
天皇家が禁止したのでゴミのように捨てられた

211:名無しさん@1周年
19/07/02 11:29:29.92 l9xVNelj0.net
>>207
戦争の痕跡ないし
例のやつらのいつものだまし討ちだろな

212:名無しさん@1周年
19/07/02 11:29:59.11 3oOwdCTF0.net
当時の日本列島の大部分は殷文化の影響が強かったんだろう
獣の肩甲骨を使った卜占、動物や人の生贄、殉葬、酒を使ったトランス状態で神託をきく、太陽神の末裔、
邪馬台国の記述や纒向遺跡の祭祀遺構に合致する
殷では女性は巫女として政治に参加し、戦争の最前線で活躍するなどその地位は非常に高く、飲酒は神事であった
桃の種は大量の酒を作った跡だろう
卑弥呼のいた邪馬台国、ヤマトは戦争の最前線
纒向遺跡は、対狗奴国の前線基地
南河内、和泉の狗奴国と争っていたんだろう

213:名無しさん@1周年
19/07/02 11:30:56.09 3oOwdCTF0.net
>>210
嘘はあかんで
銅鐸の時代、生贄の痕跡などない

214:名無しさん@1周年
19/07/02 11:31:46.10 66p34Kq/0.net
>>207
倭国大乱に奈良とか全く関係ない
戦傷遺体も出てこない

215:名無しさん@1周年
19/07/02 11:33:36.65 66p34Kq/0.net
>>213
銅鐸と生贄は諏訪大社に残っている
奈良(出雲)の祖先だ

216:名無しさん@1周年
19/07/02 11:33:45.46 d9omoNvo0.net
纏向遺跡は九州とは無縁で何故か東日本と密接な関係を持っている。
邪馬台国は東日本とは疎遠だったはずなのに。
逆に九州と無縁だと外交も無かったと考えられる。
纏向は編年に失敗してるんじやね?
新しい時代の遺跡だと感じるぞ?

217:名無しさん@1周年
19/07/02 11:34:36.39 3oOwdCTF0.net
愛知の朝日遺跡の変遷は興味深い
弥生時代末期畿内で起きた変化がいち早く起きていた
元々、銅鐸、木棺、玉作り勢力だったが、紀元前後銅鐸が埋葬され、甕棺など日本海側と共通点が見られる勢力に変わったみたいだな

218:名無しさん@1周年
19/07/02 11:35:56.40 YHajqo3A0.net
畿内の巻向のあたりは大神神社を中心に大物主(大国主)の拠点だったが、どこかのタイミングで天孫系に替わっている。
いわゆる国譲りは確実にあった。
魏志倭人伝の邪馬台国は畿内が国津神系から天孫系に替わる前か後か。
前なら九州、後なら畿内だと思う。

219:名無しさん@1周年
19/07/02 11:36:55.03 d9omoNvo0.net
>>217
木棺といえば纏向近くのホケノ山古墳。
被葬者は東海の人かな。

220:名無しさん@1周年
19/07/02 11:37:20.00 ypHV/ZTy0.net
いや、あきらかに奈良で確定なんだけど
九州勢が、なにか一つでも土器やら出ようもんなら
全て卑弥呼に無理やり繋げて、ほらー!ってやってる
九州といえば朝鮮人、日本の歴史の原点とも言える邪馬台国卑弥呼と挑戦を
九州に邪馬台国があったという既成事実を作って繋げたいだけ
あまりにも考えが浅い
そしてその朝鮮人よりさらに頭の悪い九州勢は踊らされてるわけ

221:名無しさん@1周年
19/07/02 11:37:46.78 Jmf9CqtK0.net
桃の種とかいうのは中国っぽいよね
あんまり日本土着という感じがしない
コメの方がむしろ東南アジアルートで伝わった
海洋系の先住民からあったものだと思う
まあもっとも、大陸系の稲作の影響も大きかった
とは思うけど

222:名無しさん@1周年
19/07/02 11:38:07.61 66p34Kq/0.net
>>216
まいつから誰が改名したのか知らんが
纏向?ありゃ太田遺跡だ
ふざけるな

223:名無しさん@1周年
19/07/02 11:39:29.60 7GBhuC/U0.net
邪馬台国なんて大したkとないじゃん
大和のがずっとすごい
話が逆になってる

224:名無しさん@1周年
19/07/02 11:39:54.36 66p34Kq/0.net
>>221
ははい
日本で一番古い桃の種は長崎

225:名無しさん@1周年
19/07/02 11:41:13.30 66p34Kq/0.net
>>223
当たり前じゃないか
大国主だぞ

226:名無しさん@1周年
19/07/02 11:44:40.76 wt+yxve70.net
>>218
4世紀末に大陸譲りの統治ノウハウ持つ渡来人を得た畿内が大物主の賛同を得て改革に踏み切った。
~2世紀末 唐古・鍵遺跡
--- 3世紀末 邪馬臺国消滅時期 ----
3~4世紀半ば 纏向遺跡
4世紀末~天孫降臨↓
産経新聞(2018.11.28)
最古の大壁建物跡か 奈良・高取の遺跡で発見
URLリンク(www.sankei.com)
~ 大陸から来た渡来人の重要施設とみられる国内最大級の ~
建築年代は4世紀末~5世紀初めと推定され、最古の大壁建物跡の可能性もある。
渡来人が入植を開始したのは5世紀後半と考えられていたが、大幅に早まる可能性が出てきた。
~ 省略
白石太一郎・大阪府立近つ飛鳥博物館名誉館長(考古学)は、建物の時期についてはさらに
検討が必要としながらも、「(現場に)居館や祭祀施設など渡来系の人たちが営んだ重要な
施設があったことは間違いない」とみている。

227:名無しさん@1周年
19/07/02 11:45:49.12 CRoK6gBZ0.net
卑弥呼=天照大神にしたいんだろ

228:名無しさん@1周年
19/07/02 11:46:07.74 8q4Gxcxu0.net
火の国旅情
阿蘇は火の山 空の涯 何を祈って吐く煙
遠い神代の 愛の詩
邪馬台の国に ながれている ながれている ふるさとよ

229:名無しさん@1周年
19/07/02 11:46:13.30 grzmktxl0.net
元祖邪馬台国
本家邪馬台国
邪馬台国本店
すきにしたらいいのに

230:名無しさん@1周年
19/07/02 11:48:42.67 8q4Gxcxu0.net
>>187
3世紀の日本に陸行一月も出来る道は整備されていないからね
陸行一日の誤記だよね。

231:名無しさん@1周年
19/07/02 11:48:54.97 Jmf9CqtK0.net
>>227
まあ安易にそんな感じだよね
そこらへんは記紀でテキトーに曖昧に誤魔化して
テキトーに天皇の先祖ってことにしちゃった感じ

232:名無しさん@1周年
19/07/02 11:52:47.11 l9xVNelj0.net
>>227
考古学者がラノベ作家より低脳なんだよなあ

233:オレンジ・エア
19/07/02 11:54:22.20 GEX1xZe+0.net
箸墓古墳は大物主の塚、モモソ姫は殉葬された

卑弥呼の塚は久留米御井の祇園山古墳

234:オレンジ・エア
19/07/02 11:55:48.99 GEX1xZe+0.net
相応しいとか歴史を願望で語ってはならない
畿内説は詐欺師軍団である

235:名無しさん@1周年
19/07/02 11:56:33.78 /p7LxJl/0.net
ヤマタイ国はMaritime nationだったから、
オキナワの辺りにありました・・・って魏志倭人伝にも書いてあるでしょ?

236:オレンジ・エア
19/07/02 11:57:53.25 GEX1xZe+0.net
万二千里=陸行1月水行10日

237:名無しさん@1周年
19/07/02 11:58:21.15 Jmf9CqtK0.net
奈良=大物主=出雲族ていう説も興味深いけど
三輪山に関しては大物主以前から信仰の山で~
ていうのはあるわけだ
まず大事なのはその時代の話だよね

238:名無しさん@1周年
19/07/02 11:58:43.71 wt+yxve70.net
2~3世紀初頭の鉄はまさに国の財力を示す指標です。
■魏志韓伝より
國出鐵韓濊倭皆従取之,諸市買皆用鐵如中国用銭,又以供給二郡
(国には鉄が出て、韓、濊、倭がみな、従って
これを取っている。 諸の市買ではみな、中国が
銭を用いるように、鉄を用いる。 また、楽浪、
帯方の二郡にも供給している。)
 
■重要事項
・3世紀頃は鉄は通貨として使えるほど貴重だった。
・九州では武器や農具に鉄を利用していた。
・しかしこの時代の畿内からは鉄が出土していない。
URLリンク(i.imgur.com)
■推測されること
・畿内は取りに行ってない
・畿内は九州に鉄を分けてもらえなかった
・伊都国に置かれた一大率は畿内とは無関係
 
■結論
・北部九州と畿内の関係は希薄だった。
・一大率は畿内政権とは無関係だった。
・畿内は倭国の一部ではなかった。
 
■関連
 纏向では九州産、半島産の土器が出土していない。
 もと歴博の館長 佐原真いわく、
「近畿圏では鉄は溶けやすいので、残っていないのだ」
とマジで発言して・・・・

239:オレンジ・エア
19/07/02 11:59:41.18 GEX1xZe+0.net
桃の種は徐福が持ってきた

240:名無しさん@1周年
19/07/02 12:00:02.28 66p34Kq/0.net
>>235
中国語では「シュマイドゥ」

241:名無しさん@1周年
19/07/02 12:03:01.91 wt+yxve70.net
畿内説と論議するのも馬鹿馬鹿しい。
史書には博多湾から南の方角と記されています。
また翰苑(第30巻のみ大宰府天満宮に残る:唐の張楚金の編纂)
が引用している「廣志」には、邪馬臺国の場所が記されています。
URLリンク(i.imgur.com)
邪は伊都に届き、傍らは斯馬國に連なる。
廣志曰く、倭国東南陸行五百里、到る伊都国。
又南、至る邪馬嘉(臺)国。
※伊都国は福岡県糸島市,福岡市西区と言われている

242:名無しさん@1周年
19/07/02 12:03:15.31 YHajqo3A0.net
>>226
平和的な国譲りではないと思うよ。
大国主は出雲に送られ、銅鐸は破壊され埋められた。
祭祀が明らかに替わってる。
ただ大国主が国譲りの条件に高層の天之御舎を作らせる力の持ち主で、出雲に流された後もその力を天孫系は無視できなかったようだけどね。

243:オレンジ・エア
19/07/02 12:03:33.55 GEX1xZe+0.net
佐賀の邪馬台国は琉球と交流があった

244:オレンジ・エア
19/07/02 12:05:06.40 GEX1xZe+0.net
銅鐸は敵の襲来を知らせる鐘である

245:名無しさん@1周年
19/07/02 12:05:57.21 eJnXm2cX0.net
延喜式神名帳には奈良の大神神社は大己貴神社と記載があり、筑前町の大神神社は
於保奈牟智神社と記載がある。奈良の大神神社の御神体は三輪山で筑前町の御神体は
大己貴命(大国主命)だな。御神体が違うのに神社の名前が同じ、どうしてか分かるかな?
因みに大国主命は大きな名前だから大名持ち(おおなもち)が訛って於保奈牟智となり
大己貴と変化した訳だ。

246:名無しさん@1周年
19/07/02 12:06:27.22 66p34Kq/0.net
>>243
佐賀の吉野ヶ里遺跡って日本で唯一の環濠集落?
魏志倭人伝に出てくる
だが

247:オレンジ・エア
19/07/02 12:07:01.44 GEX1xZe+0.net
地祇は出雲王朝
天神は九州王朝
天孫は畿内王朝

248:名無しさん@1周年
19/07/02 12:09:47.68 wfJQpmFg0.net
>>226
高取は記紀に寄れば半島南端の安羅の人達が来てるんじゃなかったか?
この安羅人、日本では東漢と漢字訓する。
広開土王碑では任那・加羅・百済を救援する倭と組んで大暴れしている。
それと吉野方面は、強兵一族が多いね。隼人の一派もその一つ。

249:名無しさん@1周年
19/07/02 12:10:19.47 kXqi08XY0.net
>>纏向遺跡が邪馬台国の王都で、初期大和王権は何らかの形でそれを実質的に引き継いだ(乗っ取った)のではないかと私は考えています。事実、纏向遺跡も箸墓古墳の完成の後、建物群が廃絶されていますので、何らかの権力の移行があったのではないかと想像しています。
矛盾点を想像で飛び越えるw

250:名無しさん@1周年
19/07/02 12:11:56.64 YjHN/XCU0.net
魏志倭人伝に邪馬台国は帯方郡から一万二千里で東側に海と書いてある。
畿内の可能性はゼロ

251:オレンジ・エア
19/07/02 12:12:52.44 GEX1xZe+0.net
邪馬台国は天神の九州王朝

252:名無しさん@1周年
19/07/02 12:13:46.20 Ptz9nQID0.net
>>48
あのさ、
やまと(邪馬台=九州)は、漢代からの歴史的権威になってた訳。
配下の奴国に朝貢させ、列島内で権威を確立してた。
「倭人」というナウいアイデンティティを持ち、東国の田舎もんとは違った。
漢末の混乱期、倭国大乱が起き、奈良がその権威を引き継いだ
(というか滅ぼして権威を奪った)。

253:名無しさん@1周年
19/07/02 12:13:47.51 exrsSaxZ0.net
>>238
伊都国がプレヤマトのことを知ってたら両立してしまうんじゃね?知ってたか知らなかったという遺跡からわからないことは証明しようがない。
取引したのは伊都国、奴国確定でいいと思うよ

254:名無しさん@1周年
19/07/02 12:14:37.70 YjHN/XCU0.net
奈良県立橿原考古学研究所の関川 尚功は、魏志倭人伝によると、卑弥呼は魏に頻繁に使いを送り、
また魏からも使いや軍人が渡ってくるなど半島や大陸と活発に交流していたが、
纒向遺跡の搬入土器は北九州由来のものは非常に少なく、また半島や朝鮮との交流を示す漢鏡、後漢鏡や刀剣類などが北九州で大量に出土しているのに対し、
纒向遺跡ではまったく出土していないことから、
魏志倭人伝にみる活発な半島や朝鮮との交流は証明されておらず、纒向遺跡は邪馬台国の遺跡で無いとしている。

255:名無しさん@1周年
19/07/02 12:15:10.41 /WqxVj930.net
>>100
何事かを証明するためには机上の考察が必要
というのは歴史考古文系理系関係ない

256:名無しさん@1周年
19/07/02 12:17:07.88 qP+ODIrr0.net
>>250
そもそもそれを言うなら、「魏志倭人伝の通りに」いくと、海の上に邪馬台国があったことになるやん?
畿内説も九州説も「都合よく捻じ曲げて解釈した」結果だろ?

257:名無しさん@1周年
19/07/02 12:17:57.12 qP+ODIrr0.net
>>254
その理屈でいうと、九州説もなくなるんだよなあ

258:名無しさん@1周年
19/07/02 12:18:05.70 Ptz9nQID0.net
>>252訂正。間違えた ><
>>48
あのさ、
やまと(邪馬台=九州)は、漢代からの歴史的権威になってた訳。
配下の奴国に朝貢させ、列島内で権威を確立してた。
「倭人」というナウいアイデンティティを持ち、東国の田舎もんとは違った。
漢末の混乱期、倭国大乱が起き、奈良が新覇権国となるが、
やまと(邪馬台)は、権力なき権威として存続しつづけ、
4Cの華北混乱期、奈良がやまと(邪馬台)を滅ぼし、
その権威を引き継いだ(というか奪った)。

259:名無しさん@1周年
19/07/02 12:18:17.08 Wt+MHque0.net
大化の改新の時に新しい日本が始まっていて
それ以前の歴史は全てウソもありえるからね
古墳を調査させたくない人たちはそれに気づいてるんだろうね

260:オレンジ・エア
19/07/02 12:19:13.68 GEX1xZe+0.net
九州王朝は魏
畿内王朝は呉

261:名無しさん@1周年
19/07/02 12:20:56.35 exrsSaxZ0.net
そもそも魏志倭人伝の舞台はどう見ても伊都国だろ。邪馬台国行ってねえし

262:オレンジ・エア
19/07/02 12:21:30.63 GEX1xZe+0.net
大化は畿内王朝元号
それ以前は九州王朝元号

263:オレンジ・エア
19/07/02 12:23:16.85 GEX1xZe+0.net
>>261
そうですね

264:名無しさん@1周年
19/07/02 12:23:58.45 8q4Gxcxu0.net
>>257
何で?

265:名無しさん@1周年
19/07/02 12:25:20.22 +WnhYQj70.net
>>262
大化より前の元号なんてあるの?
~~天皇即位何年って記述はあるけど。

266:名無しさん@1周年
19/07/02 12:25:54.11 xybiBoJr0.net
>>1
相応しいかどうかじゃないだろ?
実際にあったのかどうかだ

267:名無しさん@1周年
19/07/02 12:26:52.61 MU4KJRIM0.net
どっちでもいいけど九州説論者はいつも必死

268:名無しさん@1周年
19/07/02 12:27:21.91 vMwSG7vq0.net
よくわからんが、大和の属国が九州にいくつもあったんじゃないの?

269:名無しさん@1周年
19/07/02 12:27:34.20 8q4Gxcxu0.net
3世紀時点では未だ関西には渡来系弥生人はおらず
当時の関西は縄文系弥生人の世界で鉄器や文字も無い
九州では渡来系弥生人である倭人の国々が連合体を形成していたんだ。

270:オレンジ・エア
19/07/02 12:29:19.38 GEX1xZe+0.net
>>265
畿内王朝は九州元号を認めていません

令和は万葉集の大宰府の宴から、九州王朝の元号(ふむふむ

271:名無しさん@1周年
19/07/02 12:29:45.43 3oOwdCTF0.net
>>269
君は意図的に反対のことばかり言っているな
唐古鍵遺跡の弥生時代中期の木棺墓から出土した頭蓋骨は大陸系の特徴が強かった

272:オレンジ・エア
19/07/02 12:31:13.30 GEX1xZe+0.net
畿内厨は助成金がかかってるから必死w

この守銭奴め

273:名無しさん@1周年
19/07/02 12:31:27.23 8q4Gxcxu0.net
開始年(西暦) 元号名 読み 干支 天皇年代
517 継体 けいたい 丁酉 継体11年
522 善化(善記) ぜんこ 壬寅 継体16年
526 正和 しょうわ 丙午 継体20年
531 殷倒(教到) えんとう(きょうとう) 辛亥 継体25年
536 僧聴 そうちょう 丙辰 宣化 1年
541 同要(明要) ずうよう(みょうよう) 辛酉 欽明 2年
552 貴楽 きらく 壬申 欽明13年
554 結清(法清) けちしょう(ほうしょう) 甲戌 欽明15年
558 兄弟 きょうだい 戊寅 欽明19年
559 蔵和(蔵知) ぞうわ(ぞうち) 己卯 欽明20年
564 師安(師要) しあん(しよう) 甲申 欽明25年
565 和僧(知僧) わそわ(ちそわ) 乙酉 欽明26年
570 金光 こんこう 庚寅 欽明31年
576 賢接(賢稱) けんしょう 丙申 敏達 5年
581 鏡當(鏡常) きょうとう(きょうじょう) 辛丑 敏達10年
585 勝照 しょうしょう 乙巳 敏達14年
589 端政(端改) たんしょう(たんかい) 己酉 崇峻 2年
594 従貴(告貴) 甲寅 推古 2年
601 煩転(願転) 辛酉 推古 9年
605 光元 乙丑 推古13年
611 定居 辛未 推古19年
618 倭京 戊寅 推古26年
623 仁王 癸未 推古31年
629 聖徳(聖聴) しょうとく 己丑 舒明 1年
635 僧要 乙未 舒明 7年
640 命長 庚子 舒明12年
647 常色 丁未 孝徳 3年
652 白雉 はくち 壬子 孝徳 8年
661 白鳳 はくほう 辛酉 齊明 7年
684 朱雀 すざく 甲申 天武12年
686 朱鳥 しゅちょう・あかみとり 丙戌 天武14年
695 大化 たいか 乙未 持統 9年

274:オレンジ・エア
19/07/02 12:33:16.59 GEX1xZe+0.net
>>271
徐福集団の末裔である

275:名無しさん@1周年
19/07/02 12:33:47.98 eJnXm2cX0.net
卑弥呼の宮殿は頑丈な警備がされていたと記載がある、つまり卑弥呼は戦争責任者と
して狗奴国との紛争地の近くに暮らしていたからいつ何時敵が攻めてくるかも知れない
ので警備を厳重にしていた訳だ。古代の天皇は女性といえども戦いの先頭たって
兵士達を鼓舞していた訳だ、神功皇后を描いた絵も神功皇后が率先して刀を振り上げている
纏向のような戦乱の跡形も無い所は卑弥呼の宮殿では無いぞ。

276:名無しさん@1周年
19/07/02 12:34:26.66 8q4Gxcxu0.net
>>271
外観ではなく核DNAの調査とC14で年代を決定する必要がありますね。

277:名無しさん@1周年
19/07/02 12:34:30.48 66p34Kq/0.net
>>269
弥生人何かなかた
日本に漂着すれば縄文人がすぐさま殺してたとか
いるとすれば敗戦後にきた人達

278:名無しさん@1周年
19/07/02 12:34:33.79 qP+ODIrr0.net
>>264
30ほどの小国家に分裂していて、そのなかで女王がおさめていた、という話だが
出土品がその近辺のものしか存在しない
他の地域との交流が一切なかったとしか思えない
それに対して奈良は出土土器の2割近くが他地域からの搬入土器で
しかも、その出土時が九州から関東まで広範囲
「出土物」でみるなら、九州説は潰れるだろ

279:名無しさん@1周年
19/07/02 12:34:50.36 KWobmMGw0.net
邪馬台国ってかいてヤマト国って読むんじゃないの?
卑弥呼の後の女王は台与ってかいてトヨじゃなかった?
邪馬台って中国の当て字やろ?

280:名無しさん@1周年
19/07/02 12:36:15.05 Wt+MHque0.net
むかしから一つなぞなのが
何であんなでかい古墳が埋もれてわからなくなるんだろうね
狭い日本のしかも首都のあるような場所で
世界ではそういうのってあっても紀元前の何とか文明のレベルでしょ
つまり中国みたいに前の王家は抹殺する歴史があったんじゃないかね
古墳の中は荒らされ放題とか
そういうの知られたくないから公にしないとか

281:名無しさん@1周年
19/07/02 12:36:54.88 /WqxVj930.net
煤効果も海洋効果も無視します

282:名無しさん@1周年
19/07/02 12:37:23.23 66p34Kq/0.net
邪馬台国はあったかどうか知らんが
博多湾で金印が出てきたのは事実
魏国の前の漢の国や

283:名無しさん@1周年
19/07/02 12:38:05.40 KWobmMGw0.net
卑弥呼って字も当て字で、名前じゃなくて妃巫女とかの敬称かもしれんし

284:オレンジ・エア
19/07/02 12:38:35.90 GEX1xZe+0.net
>>278
魏志倭人伝には畿内の話など一切でてこない

285:名無しさん@1周年
19/07/02 12:39:01.23 +WnhYQj70.net
>>270
で、九州王朝の元号ってなに?

286:名無しさん@1周年
19/07/02 12:39:18.69 qP+ODIrr0.net
>>284
そうだな
魏志倭人伝を鵜呑みにしたら、九州でも畿内でもなく「海の上に存在する邪馬台国」にたどり着くからな

287:名無しさん@1周年
19/07/02 12:41:01.38 66p34Kq/0.net
>>286
それはない
魏国は単里を使っていたので九州北部でおさまる

288:名無しさん@1周年
19/07/02 12:41:49.14 KWobmMGw0.net
だいたい卑しいって文字を日本が女王につけるわけがない
中国人が侮蔑的につけたんだろ
中国人が日本につけた倭というのもあまりいい意味ではなかったとかあるし

289:名無しさん@1周年
19/07/02 12:42:29.07 qP+ODIrr0.net
>>287
その「里」は何m計算で、その出展はどの資料?

290:名無しさん@1周年
19/07/02 12:43:42.86 66p34Kq/0.net
>>288
人偏がついているからマシだ
漢の時代の金印は人偏が無い

291:名無しさん@1周年
19/07/02 12:45:51.33 blFD7LrPO.net
邪馬台国が中国、出雲が新羅、畿内が百済だよ。

292:名無しさん@1周年
19/07/02 12:46:10.33 66p34Kq/0.net
>>289
ウィキだったかなあ
単里 約70m

293:名無しさん@1周年
19/07/02 12:46:28.63 +WnhYQj70.net
>>287
鵜呑みにすると、海の上を30日南下した時点で九州を飛び出してるんじゃね?
更に海の上を歩きで一月というマジキチ修行が待ってるしね。

294:名無しさん@1周年
19/07/02 12:48:14.81 66p34Kq/0.net
>>293
魏国の時代は短里だったらしい

295:名無しさん@1周年
19/07/02 12:48:43.78 qP+ODIrr0.net
>>292
それは、韓国-対馬の距離が千余里(=70km)だから
1里=70mで計算しよう、という九州説の補強理論
ただ、当時の中国の単位は1里=500m前後となっているので
その「単位が何メートルなのか」というところから、議論になってるのは、当然知ってるよね?
ちなみに、中国の当時の資料を見ても「1里=70m」のものは存在しないとされている

296:名無しさん@1周年
19/07/02 12:49:29.29 exrsSaxZ0.net
てか九州から1ヶ月も移動したら東京着いちゃうよw

297:名無しさん@1周年
19/07/02 12:51:31.07 d9omoNvo0.net
同じ魏志で韓国が4千里四方と書いてあるんだから、その比率に合わせればいいだけ。

298:名無しさん@1周年
19/07/02 12:52:45.26 66p34Kq/0.net
>>296
薩摩藩が江戸に参勤交代で行くには2か月かかったらしい

299:名無しさん@1周年
19/07/02 12:52:55.20 ypHV/ZTy0.net
ちなみに日本書紀に卑弥呼の記載はない
が、卑弥呼であると思われる人物の名前はある
卑弥呼というのはやはり中国で付けた勝手な名前
日本国内において卑弥呼というのは
おそらく言葉自体存在してなかった
そして本当の名前はすでに多くの人が知ってるアレだ

300:名無しさん@1周年
19/07/02 12:53:42.50 exrsSaxZ0.net
水行十日、陸行一月。
そもそも里で表記なんかしてないんだが

301:名無しさん@1周年
19/07/02 12:56:23.41 M4VPNUSS0.net
確かに大神神社は日本最初の最古の神社だけど、それと卑弥呼は関係ない思うよ?ルーツが違うやん

302:名無しさん@1周年
19/07/02 12:57:48.01 +WnhYQj70.net
>>294
多分レス先を間違えてると思うけど
魏の時代の一里は普通に434mだよ。魏本国ではね。
東夷伝の倭人条と韓条だけ縮尺が違うとするのが短里説。

303:名無しさん@1周年
19/07/02 12:58:16.07 3oOwdCTF0.net
アマテラスは卑弥呼を準えた神という説がある
卑弥呼は更に白山ヒメと関係あるかも
亀と瓜
胡瓜が大好物なのは河童
蜻蛉日記にはアマテラスは河辺に住む河伯とある
河伯は黄河の神、黄河文明の流れを引くのかな

崇神の代に創建されたと言われている白山比め神社
その神紋は三子持亀甲瓜花
亀甲が三重になっているが
三子持が気になる
崇神の前は、卑弥呼、男王、台与

304:名無しさん@1周年
19/07/02 12:58:22.09 KWobmMGw0.net
>>293
海行と陸行って縦列じゃなくて並列って説もあるな
つまり海で行ったら何日、陸から行ったら何日という意味で使ったと
魏志倭人伝とか良く知らんけど、そういう意見もあった

305:名無しさん@1周年
19/07/02 12:59:39.55 blFD7LrPO.net
デカイ古墳は廃止と天皇がいってんだから八世紀まで造ろうとしてたんだから、卑弥呼の時代にそんなもんは無いよ。それに卑弥呼と台与の墓には、越の女王だから必ず嫦娥の証のガマガエルがあるはず。無きゃ違うよ。

306:名無しさん@1周年
19/07/02 12:59:57.98 +WnhYQj70.net
>>304
投馬国までは水行しか記載がないから無理だね。

307:名無しさん@1周年
19/07/02 13:00:21.51 frCwzbf10.net
邪馬台国は熊本だよ
そして畿内政権に負けて滅んだ

308:名無しさん@1周年
19/07/02 13:01:07.65 KWobmMGw0.net
>>306
つまりは陸つずきではなかった可能性もあるということか

309:名無しさん@1周年
19/07/02 13:01:42.65 eJnXm2cX0.net
倭人伝を読む限りでは魏使は最低でも二回倭国を訪れている。最初は邪馬台国まで行って
卑弥呼に会っている、次に行った時には卑弥呼の死後で壹與が女王の時なので
狗奴国との戦争は終わり元々伊都国に住んでいたから伊都国までしか魏使は行かなかった

310:名無しさん@1周年
19/07/02 13:02:32.12 66p34Kq/0.net
帯方郡から唐津まで12000里
残り2000里

311:名無しさん@1周年
19/07/02 13:03:53.72 +WnhYQj70.net
>>308
船で10日が陸上だと一ヶ月
かなり険しい山越えかな?
九州南部には適合しそうな場所がないや

312:名無しさん@1周年
19/07/02 13:03:57.57 66p34Kq/0.net
>>307
熊本は違う
女を奴隷としか思ってないもっこす

313:名無しさん@1周年
19/07/02 13:04:57.33 fNU/qRgS0.net
邪馬台国は西都原だよ、これ以外に知られてないけど

314:名無しさん@1周年
19/07/02 13:06:32.69 +WnhYQj70.net
>>310
ゴールは唐津なんだな。

315:名無しさん@1周年
19/07/02 13:08:10.66 ebG2Bkst0.net
邪馬台国スレでID赤いのは九分九厘おじいちゃん

316:名無しさん@1周年
19/07/02 13:09:19.89 66p34Kq/0.net
>>314
船着き場なんだ
豊臣も出兵の時は唐津を選んだ

317:名無しさん@1周年
19/07/02 13:10:05.21 wt+yxve70.net
>>313
一応候補に入ってるから心配しないで。
対馬→壱岐の方角を南と書いている魏志倭人伝に従うと、
やはり邪馬台国は九州島のどこかになります。
この視点から見て南の方です。
URLリンク(i.imgur.com)

318:名無しさん@1周年
19/07/02 13:11:01.22 exrsSaxZ0.net
>>317
じゃあ次は1ヶ月間陸路進んでみようか

319:名無しさん@1周年
19/07/02 13:12:04.77 8q4Gxcxu0.net
>>316
唐津じゃなくて名護屋浦だよ
周辺には名護屋城や各大名の屋敷を築いた。

320:名無しさん@1周年
19/07/02 13:12:58.76 CskTrY5l0.net
卑弥呼はアマテラスだろう
祟りを恐れて都から遠ざけてんだから大和朝廷が騙して滅ぼした国だよ

321:名無しさん@1周年
19/07/02 13:13:04.43 +WnhYQj70.net
>>316
唐津だと壱岐島から短里でも500里ぐらいしかないやん?

322:名無しさん@1周年
19/07/02 13:14:49.16 NI5tFx410.net
>>254
これ何度も貼り付けてるが、関川氏一人が言ってるだけ
他の考古学者は支持してないので、学説としては否定されているのも同然
・関川編年だと畿内と九州で100年も年代差が生じるが、他の考古学者はそんなおかしな編年を支持していない
・畿内と九州の間に時空の歪みが生じてたのでなけば年代のズレはありえないので、考古学者が月間ムーみたいな説を支持するわけない
・纒向からも後漢鏡や刀剣類など出土している
・魏の年号が入った鏡も主に畿内周辺から出土する
・北部九州から出土する後漢鏡は2世紀までのもので、3世紀に編年される後漢鏡はほとんどない
・北部九州との関係でいえば、3世紀前半は畿内勢力の進出が始まった時期で、最終的に北部九州は畿内文化に塗りつぶされる
URLリンク(www.makimukugaku.jp)
まとめ
・畿内は魏との交流があった
・北部九州は畿内の傘下に入ろうとしていた

323:名無しさん@1周年
19/07/02 13:15:16.77 8q4Gxcxu0.net
7000里に水行20日
1000里+400里×2+1000里+300里×2+1000里に水行10日
500里+100里に陸行1日
ゴールは伊都国と奴国(女王国)

324:名無しさん@1周年
19/07/02 13:15:40.89 wt+yxve70.net
>>316
あの辺一帯の船着き場は多い。
唐津よりもっと呼子寄りの場所だよ。
URLリンク(i.imgur.com)

325:名無しさん@1周年
19/07/02 13:16:18.91 wdw+Y7lh0.net
まあ京都はお飾りだよな
国の始まりとしては奈良のほうが断然上

326:名無しさん@1周年
19/07/02 13:16:36.89 cHknRPat0.net
ヤマト=ヤマト
ばかばかしいほど簡単な事がこれまで錯綜してきたのは
卑弥呼が地場の出身ではないから、それだけの事だよ
女王国ってのが縄文系巫女・卑弥呼の故郷=天孫族の出身地を表わしてる記述が混在する
しかもヤマトまで足を運んだ皇帝の勅使が、
宗教戦争でまだら模様になった列島をヤマトまで様子見で行けるコースを採ったために
伊万里湾から有明海に出て九州の南を大回りして卑弥呼の故郷で状況把握と叱咤激励やった

ちなみに、唐津から糸島は歩いて行くもんじゃない。現地の地形知ってりゃ
馬鹿でも船を使う事くらい判る。帝国の使者を迎えて歩かせられる訳がない
本当に糸島まで行ったのなら船を使った
歩いたなら上記のコースを取った、二択
(実際には対馬が既に怪しいのはおいとく)

327:名無しさん@1周年
19/07/02 13:18:10.49 wt+yxve70.net
>>322
畿内説が発表する年代は畿内説ありきの年代。
本来は4世紀までの広範囲を含むんだぞ。
URLリンク(i.imgur.com)

328:名無しさん@1周年
19/07/02 13:19:14.12 +WnhYQj70.net
>>323
誰か解読して

329:名無しさん@1周年
19/07/02 13:19:23.17 PRtxoeV80.net
箸墓が3世紀半ばは無理があるんじゃね?
まあ、発掘させるべきとは思うが。

330:名無しさん@1周年
19/07/02 13:21:14.70 66p34Kq/0.net
>>324
呼子にきまってるじゃん
呼子も唐津市だから唐津と書いただけ

331:名無しさん@1周年
19/07/02 13:21:24.33 wt+yxve70.net
>>318
義務教育受けてないのか?
187名無しさん@1周年2019/07/02(火) 10:13:18.34ID:wt+yxve70
対馬→壱岐の方角を南と書いている魏志倭人伝に従うと、
やはり邪馬台国は九州島のどこかになります。
この視点から見て南の方です。
URLリンク(i.imgur.com)
サムネイル読み込み中···

陸行一月は陸行一日の転記まちがいであるというのが九州説です。
方角の東を南と勘違いしていたというのが畿内説の根拠です。

332:名無しさん@1周年
19/07/02 13:23:49.87 3oOwdCTF0.net
徳川の大阪城の下に豊臣の大阪城が眠っているように、
箸墓の下に誰かの墓があるかもしれない

333:名無しさん@1周年
19/07/02 13:24:13.76 Jmf9CqtK0.net
>>320
それが妄想では確かにいちばんしっくり来る
例えば邪馬台国が畿内説じゃなく伊勢説だったら
それもアリかなという気はしないでもない

334:名無しさん@1周年
19/07/02 13:25:34.03 PRtxoeV80.net
弥生の甕棺墓とか方形周溝墓の上に古墳が築かれることはままあるね。

335:名無しさん@1周年
19/07/02 13:26:55.95 66p34Kq/0.net
>>331
>方角の東を南と勘違いしていたというのが畿内説の根拠です。
それ京都大学の内藤が魏国が南と東を間違えてたという説
星も太陽もあるのに間違えるはずもない
中国でそれいったら国際問題になるからやめとけ

336:名無しさん@1周年
19/07/02 13:28:15.73 ITTkpz+C0.net
スレタイだけでカキコ
どうせまた一人で50レスとかして九州説が暴れてるんだろw

337:名無しさん@1周年
19/07/02 13:30:36.67 NI5tFx410.net
>>327
そもそも土器編年の話だ
それも北部九州との整合性を取って編年されている
そのグラフでも庄内式は3世紀かそれ以前になってるだろが
桃の種で測定した年代でも3世紀前半以前という結果が出た

338:名無しさん@1周年
19/07/02 13:30:48.53 wt+yxve70.net
>>335
昔の人ほど方角の認識は正確だよ。
方角を間違えるだなんてほんと有り得ないんだけどね。
それをごりごり押してるのが奈良の畿内説なんだよ。

339:名無しさん@1周年
19/07/02 13:32:06.20 XZM4XcoR0.net
なんであんなところに金印落ちてたんだろう?盗まれた?

340:名無しさん@1周年
19/07/02 13:32:26.04 PRtxoeV80.net
伝聞で書かれてるんだろ。

341:名無しさん@1周年
19/07/02 13:35:16.43 eJnXm2cX0.net
要するに邪馬台国は狗奴国との戦争の時だけに卑弥呼が暮らしていた臨時の首都で
平時は伊都国が首都だったと言う事だ。

342:名無しさん@1周年
19/07/02 13:36:44.44 LWw0LMKJ0.net
トヨちゃんがあのあとどうなったかだけでも知りたい

343:名無しさん@1周年
19/07/02 13:40:04.26 zIy7EaLx0.net
そもそもなんで魏が倭人の調査なんかしたのかと言えば、
交戦中だった呉国を挟撃するため。
海岸側から陽動作戦を展開するのに倭の立地は魅力的だった。
そこで調査した内容を倭人伝として纏めたのだけど、
情報が流出した場合の対策として距離は全て10倍にした。
だから全ての数字を10分の1にすれば九州島に無理なく収まる。

344:名無しさん@1周年
19/07/02 13:40:12.57 66p34Kq/0.net
>>338
奈良は全てが嘘八百
神武天皇が建国した以外は
聖徳太子もいなかったので今の教科書には載ってない
子供達は聖徳太子を知らない
法隆寺も大宰府からの移築

345:名無しさん@1周年
19/07/02 13:43:36.74 PRtxoeV80.net
まあ、結局は邪馬台国の正確な位置は親魏倭王の印でもでない限りわかりようがないし、
のちの朝廷が近畿に誕生したのは歴史的事実だし、
邪馬台国がどこかはどうでもいいっちゃどうでもいい。
学者も邪馬台国の位置はそれほど気に留めてないだろう。

346:名無しさん@1周年
19/07/02 13:44:06.51 zIy7EaLx0.net
魏としては挟撃の足掛かりとしての倭国なので、
九州島以外の日本列島にはそもそも興味が無いのです。

347:名無しさん@1周年
19/07/02 13:47:31.52 KWobmMGw0.net
>>345
天皇陵になってる古墳群発掘したらなんか出てこないのかねえー
あと一つ疑問なんだけど3種の神器のうち鏡だけが特別扱いで天皇すらも簡単に見れないってのはおかしい
剣と勾玉は天皇の住居にあるのに鏡だけは複製も作らずに伊勢神宮に保存してあるとか
複製でいいから見せてくれよ

348:名無しさん@1周年
19/07/02 13:50:15.25 wt+yxve70.net
今さらだが>>1
248年に卑弥呼が死に、そしてまた約千人の死者を出すほどの内乱が起きてるんだから、纏向にその痕跡が見られないのは矛盾しています。

349:名無しさん@1周年
19/07/02 13:50:54.35 IFM/2SI20.net
まあ奈良は奈良で違うと思うけどなあ
九州も違うと思うけど
奈良だったらさすがに天皇家が知らないというのはおかしいし

350:名無しさん@1周年
19/07/02 13:57:53.83 wfJQpmFg0.net
>>345
確かに。
戦前、主に天皇制の縛りが無くなり戦後にイデオロギーの連中が先鞭を付けた邪馬台国論争は、
新たな帝政をそういった連中が自由貿易とか経済ブロックとかで築こうとしている世界の流れに、もう時代遅れ。
逆に巻向遺跡がどういう政体から生まれその目的と成果はなんだったかが親帝政時代において重要になる。

351:名無しさん@1周年
19/07/02 14:01:54.06 Jmf9CqtK0.net
>>343
なるほどー
その説が正しいとすれば東を南と書いたり
ビミョーに間違えて書くのはあり得るね
自分もいま逐一追ってみて、国東半島までは
問題なかったけど、その先は海の中だから
????になってた

352:名無しさん@1周年
19/07/02 14:05:02.07 wt+yxve70.net
纏向は農耕をしていた形跡もなく大型建物(寄宿舎?)や土木用具が出土し、
焚き釜なども出土していることから「古墳造営の為の施設」と考える人もいる。
また、箸墓古墳の完成とともに集落が消滅しているように見える。
つまり箸墓古墳が3世紀というのが誤りであり、本当は4世紀なのだろう。

353:名無しさん@1周年
19/07/02 14:06:08.22 Jmf9CqtK0.net
さらに呉の敗軍が大型船で大挙して押し寄せ
九州に上陸からの~鉄器と武力で畿内を襲った
って話に繋がるわー

354:名無しさん@1周年
19/07/02 14:11:31.20 z22WrxWa0.net
 
邪馬台国 → ヤマト国 → 大和国
卑弥呼 → ヒミコ → 日巫女(御子、神子、皇女、親王)

355:名無しさん@1周年
19/07/02 14:16:14.55 wt+yxve70.net
>>354
『奈良文化財研究所名誉研究員の狩野久氏は、邪馬台国は本来
「崇敬な山の入り口」の意味の「山(やま)門(と)」だと
する説を紹介し「邪馬台国が九州にあった可能性は高い」
との見解を示した。』

356:名無しさん@1周年
19/07/02 14:16:41.46 66p34Kq/0.net
>>353
敗戦国の呉より以前に徐福

357:名無しさん@1周年
19/07/02 14:18:36.56 66p34Kq/0.net
>>355
まじか
金欲しくないんかね

358:名無しさん@1周年
19/07/02 14:21:13.80 Jmf9CqtK0.net
>>356
オッケーそれはまた別途ね
物部氏~出雲族は別ルートだと思うし
ただこの呉軍が記紀の「神武」だろうなってこと
&ほんとに天皇家のルーツなのかは別問題だし

359:名無しさん@1周年
19/07/02 14:23:03.60 d9omoNvo0.net
語尾にタイとかトと付くのが九州弁、やー、みーと付くのが奈良弁。

360:名無しさん@1周年
19/07/02 14:28:34.84 mphe997v0.net
専門学者が巻向遺跡は邪馬台国と言わなくなってきたな

361:名無しさん@1周年
19/07/02 14:37:57.68 +WnhYQj70.net
>>342
戦争状態なのに内輪揉めで1000人斬りして祭り上げられたお飾り。
何かあっても骨を焼いて決めるんだぜ?
まともに統治運営できたはずがない。
つまり狗奴国に蹂躙されて終わり。

362:名無しさん@1周年
19/07/02 15:12:51.59 2/bkOYHU0.net
>>352
>「古墳造営の為の施設」と考える人もいる。
現地の胡散臭い説明を聞かず、素直に自分の目で見ればそうとしか見えないだろうな。
なにか長期の事業でもやってたのかなって感じ。

363:名無しさん@1周年
19/07/02 15:14:43.54 blFD7LrPO.net
卑弥呼は白山とは、意味あるよ。会稽白山な。でも近畿とは関係ないよ、山裾が海に流れていく感じだから、だから北九州なんだよ

364:名無しさん@1周年
19/07/02 15:22:23.55 blFD7LrPO.net
この時代、海からの攻撃なんて考えてねえよ、奈良以降何人遣使が流されてると思ってんのよ。

365:名無しさん@1周年
19/07/02 15:25:25.98 exrsSaxZ0.net
>>331
あいにくエスパー教育は受けてないので

366:名無しさん@1周年
19/07/02 15:27:03.78 mX2t9yn90.net
九州説は物証がないから共通するものがない
全員が異なる空想物語を作ってるだけ

367:名無しさん@1周年
19/07/02 15:27:36.67 z22WrxWa0.net
 
【社会】「卑弥呼の鏡」は「魔鏡」 3Dプリンターで復元し確認
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368:名無しさん@1周年
19/07/02 15:33:33.50 LWWiv/RY0.net
>>357
名誉研究員だから予算取ること考えなくても良いんじゃないの?

369:名無しさん@1周年
19/07/02 15:41:21.93 LWWiv/RY0.net
結局のところ「邪馬台国がどこにあるのか」について、学者さんは予算が欲しいから言ってるだけで、
考古学者も歴史学者もデータが少ないのでわからないってところが本音でしょ?

370:名無しさん@1周年
19/07/02 15:46:00.72 2/bkOYHU0.net
>>366
纏向の物証とは?
桃の種?
魏志倭人伝のどこに書いてあるの?

371:名無しさん@1周年
19/07/02 15:47:38.25 9vFJUfqc0.net
>>361
何かあっても公文書改ざんと隠ぺいで対処する
現在の政府よりマシで笑うwwww

372:名無しさん@1周年
19/07/02 15:48:26.96 S8qt1ez30.net
箸墓古墳は三世紀の初頭から中頃に作られたものだと結論づけられている
その規模も魏志倭人伝の記述に一致するし
箸墓古墳が卑弥呼の墓との説は信ぴょう性があるが
ちなみに邪馬台国が畿内にあったとしても、それが現在の天皇家に連なるとは限らないとは思っているが

373:名無しさん@1周年
19/07/02 15:52:06.50 xi5e4KIQ0.net
箸墓古墳は主体部を掘っていないので
結論は出せないが、周溝などから出る遺物は
すべて4世紀後半以降のもの

374:名無しさん@1周年
19/07/02 15:54:46.09 wt+yxve70.net
>>372
>箸墓古墳は三世紀の初頭から中頃に作られたものだと結論づけられている
それを言ってる人を探してるんだけど?
フェイクニュースは犯罪ですよね?
『白石太一郎は「箸墓古墳が卑弥呼の墓であることの
可能性は低い、というよりは証明しがたい。」と述べる
石野博信は3世紀後半とすれば台与の墓、
箸墓を寿陵と考える寺沢薫は壹与の墓説やミマキイリヒコ
(崇神)などの男王の墓説も浮上してこようと評価している。
奈良県立橿原考古学研究所自体は築造時期を
280~300年(±10~20年)と推定しており、
卑弥呼の没年とは年代的に矛盾する。
またC14炭素年代測定法による推定は100年程度古く
出ることがわかっており、この墓が卑弥呼の墓で
ある可能性は低くなっている。』

375:名無しさん@1周年
19/07/02 16:01:31.07 3oOwdCTF0.net
大市と言えば、神大市比売を思い出すな
大年神と宇迦之御魂神の母
崇神の代に建てられた廣瀬大社
【若宇加能売命】が祀られている
台与の時代に何が起きたのか?

376:名無しさん@1周年
19/07/02 16:03:02.91 3oOwdCTF0.net
崇神の代に建てられた廣瀬大社
【若宇加能売命】が祀られている
かなり重要な存在と思われる。一説によると稲荷神と関係あるとか
若、【ワカ】
インカ帝国では、【ワカ】は川や泉などと結びついた聖なる存在
アイヌ語で【ワッカ】は清らかな水
インカ帝国はy染色体ハプロタイプはQ系
殷もQ系だったらしい
日本にもQ系は1%弱いる
インティはインカ帝国の太陽神
殷の王族は太陽の末裔
殷の王はシャーマンであり鬼神を崇拝していた
稲荷はイネカ→インカ
廣瀬大忌神、稲荷は殷系の渡来人と関係あるのだろうか?

377:名無しさん@1周年
19/07/02 16:04:30.90 JqGKsdUw0.net
>>105 の続き
魏志倭人伝の黒歯国部分
女王國東渡海千餘里復有國皆倭種又有侏儒國在其南人長三四尺
去女王四千餘里又有裸國黒齒國復
在其東南船行一年可至參問倭地絶在海中洲嶋之上或絶或連周旋可五千餘里
区切りはこうでいいのか?
黒歯国までは4千里だな。前に1年と書いてしまった。ご免なさい
人長三四尺、背の低い集団がいたんだろな
裸国、南方の風俗を持ち続けていた集団がいたんだろうな
中洲嶋、これはどこになるのか・・・・
>>343
それなら日数距離も合点がいくな

378:名無しさん@1周年
19/07/02 16:18:50.46 +WnhYQj70.net
>>377
思いっきり騙されてるようだが、倭人伝として纏めたのは西普の時代になってからだからね?

379:名無しさん@1周年
19/07/02 16:46:51.94 YHajqo3A0.net
>>343
そのために都がある邪馬台国の方角を東ではなくわざと南にしたんだろう。
九州から先は日数だから距離を縮めたとは思えんな。
その日数が正しいとも言えないが。

380:名無しさん@1周年
19/07/02 16:50:13.06 ZN+a4iLE0.net
>>374
>フェイクニュースは犯罪ですよね?
箸墓は3世紀中頃から後半だから間違いなのは確かだが
それを置いておいても
今日の「おまえが言うな」の筆頭レスwwwwwwwwwwww

381:名無しさん@1周年
19/07/02 16:56:48.24 ypHV/ZTy0.net
卑弥呼は邪馬台国の女王となってるけど
魏志倭人伝をよく読めば邪馬台国じゃなく倭国の女王だという事がわかる
倭国の女王となれば天皇家、すなわち奈良となる
邪馬台国は九州にあったのかもしれんが

382:名無しさん@1周年
19/07/02 16:58:12.84 MkpZ42+Y0.net
なんか思いだけやん
まあ箸墓掘ってからにしよ

383:名無しさん@1周年
19/07/02 17:00:20.90 OnQEcUKI0.net
もう奈良でええやん
九州の町おこしレベルの話に付き合っても無駄無駄

384:名無しさん@1周年
19/07/02 17:01:41.96 pmpdT4dT0.net
大和国の最初の王であるニギハヤヒは三河県豊橋市出身の可能性が高い

ニギハヤヒの天孫降臨ルート
三河→伊勢→熊野→河内(天孫降臨)→大和(纒向)

石巻山は三輪山の奥の院であると大神神社の社伝に書いてある
神社の拝殿は三輪山の正面に向いていない、三輪山の南側にズレている
実は三輪山の奥の院、豊橋の石巻山(神山)に向いているわけだな

385:名無しさん@1周年
19/07/02 17:02:35.25 ypHV/ZTy0.net
結局九州は土器やらなんやらがちょろっと出てるだけで
何もない
距離がどうとか魏に一番近いのは九州だからとか
はっきり言って説得力0

386:名無しさん@1周年
19/07/02 17:09:07.22 I6eTMkR40.net
>>44
九州説に関わる宇佐八幡の創建者も大神氏
いずれにせよ大神は巻き込まれざるを得ない

387:名無しさん@1周年
19/07/02 17:10:25.53 hdoqlcYY0.net
奈良の歴史パねえ

388:名無しさん@1周年
19/07/02 17:10:56.25 MkpZ42+Y0.net
箸墓掘り隊
なんかは出てくるだろうし

389:名無しさん@1周年
19/07/02 17:12:45.28 9dV6YUnr0.net
>>385
全部根拠のない妄想やんけ

390:名無しさん@1周年
19/07/02 17:14:16.70 S8qt1ez30.net
>>374
出土した土器などの年代測定をすれば三世紀中ごろと考えて良いとされているが

391:名無しさん@1周年
19/07/02 17:15:43.08 I6eTMkR40.net
オオミワが九州ではオオガに変わった
その末裔の一つが賀来氏

392:名無しさん@1周年
19/07/02 17:16:28.00 EQ/2IJ+W0.net
九州や畿内以外のところで、邪馬台国の決定的証拠が発掘でもされたら、こいつら、どうすんだろ?

393:名無しさん@1周年
19/07/02 17:20:51.46 MkpZ42+Y0.net
土器は形式の変遷による編年は判るけど、土器そのものの焼成年代は、それを調べる方法を使用しない限り判らない
んで、最近はC14ばっかで土器自体の焼成年代なんて調べない
詰まらんなあ

394:名無しさん@1周年
19/07/02 17:22:23.08 +WnhYQj70.net
>>392
決定的証拠なんて物が存在しないから安心しろ

395:名無しさん@1周年
19/07/02 17:24:08.66 xLp4q4Ei0.net
箸墓が卑弥呼の墓なのはいい
だがまきむく遺跡の場所があかん
住宅街でどうしようもない
ニッカポッカ干してある団地まである

396:名無しさん@1周年
19/07/02 17:25:31.75 wt+yxve70.net
>>392
魏武王の印影がはっきり刻まれた「封泥」が東京で発見されたら、もう考古学者全員懲戒処分だなw

397:名無しさん@1周年
19/07/02 17:25:43.97 xLp4q4Ei0.net
>>383
しかし、やる気があって良い
桜井市にはやる気がまるでない
宝の持ち腐れや

398:名無しさん@1周年
19/07/02 17:26:17.09 FFHbeI+R0.net
邪馬台国でなくても纒向遺跡は重要
モモソ姫は大物主に嫁ぎ、大物主の一族の五十鈴媛は神武に嫁いだ
天孫族(九州?)と出雲族(大物主、大神氏)の政略結婚がこの国の始まり

399:名無しさん@1周年
19/07/02 17:27:30.33 +WnhYQj70.net
>>396
ただの粘土じゃん
真贋鑑定できるわけがない

400:名無しさん@1周年
19/07/02 17:28:04.35 /vVfU6qR0.net
水行の距離
URLリンク(i.imgur.com)
こうしてみると日本海ルートは候補から外れることがわかる

401:名無しさん@1周年
19/07/02 17:29:04.89 wt+yxve70.net
>>393
14Cじゃあ「2000~2500年前」とかなら言えるかもしれないが「240~260年」なんて文系未満の理系音痴じゃなきゃ言えない発言だなw

402:名無しさん@1周年
19/07/02 17:34:36.50 wt+yxve70.net
>>399
これぐらいハッキリしてりゃOKでしょ。
URLリンク(i.imgur.com)

403:名無しさん@1周年
19/07/02 17:39:58.02 VlifX1Cs0.net
出雲大社の社家の千家家はよく知られている
千家家は国譲り以後に出雲を管理した出雲臣族
大神神社の社家の高宮(こうのみや)家の末裔も現存しており
こちらは国を譲った出雲神族
大神氏は社家の本家筋は大神(三輪)ではなく高宮を名乗っているが
周辺地域に分散した分家の多くは三輪姓が多い

404:名無しさん@1周年
19/07/02 17:44:52.37 /EYk+B090.net
>>402
落雁みたいで美味しそう。

405:名無しさん@1周年
19/07/02 17:52:35.13 +WnhYQj70.net
>>402
陰影がはっきりしてるかどうかでは真贋はわからんよ。
後世に作られたものかどうかどうやって判断するん?

406:名無しさん@1周年
19/07/02 17:54:09.76 qP+ODIrr0.net
「ハッキリしてたらホンモノ」なら鑑定団いらんわな

407:名無しさん@1周年
19/07/02 18:00:22.58 MkpZ42+Y0.net
江戸時代には、親魏倭王の印章が入った本もあったりした
説明は何故か銅印になってたが

408:名無しさん@1周年
19/07/02 18:03:34.71 ZN+a4iLE0.net
>>405
だから出土状況が重要なんだよ
3世紀の墓から出土すれば、3世紀にはそこにあったことになる

409:名無しさん@1周年
19/07/02 18:10:40.08 MkpZ42+Y0.net
>>401
まあ14Cだと周りの土壌の有機物にも影響を受けるしね。。

410:名無しさん@1周年
19/07/02 18:23:06.73 +WnhYQj70.net
>>408
年代測定ってそんなに厳密じゃないだろ

411:名無しさん@1周年
19/07/02 18:28:24.19 7ENK8v4m0.net
科学的史学的には近畿
イデオロギー的には九州

団塊とその取り巻きの老害が死ぬまで古代史は動かせないのがね

412:名無しさん@1周年
19/07/02 18:51:46.43 blFD7LrPO.net
翰苑のこと言ってる人のように、多利思比孤は、台与の流れ、台与が倭をでかくしたもとだろ。5王がでかくなりすぎて、墓を探してたら、難波から上がってったとこが丁度良かったんだよ。近畿は墓苑、墓守が近畿の出自。

413:名無しさん@1周年
19/07/02 18:54:44.32 2/bkOYHU0.net
>>411
>科学的史学的には近畿
それ家学だろワロタw

414:名無しさん@1周年
19/07/02 18:59:19.07 y5v/HaZe0.net
>>412
おまえいつもいるが、誰にも理解できないことばっかり書いてるな
日本語が不自由すぎるんだよ
論理もめちゃくちゃだし

415:名無しさん@1周年
19/07/02 19:03:15.38 qP+ODIrr0.net
>>413
出土品の傾向をみると、その時代に畿内に「日本中と流通があった大きな国」があったのは間違いないだろ
それが邪馬台国かどうかってのが論点なわけで
逆に九州説ってのは、その時代に一体どこにどんな大きな国があったのかも不明で
日本中と流通があったという証拠もない

416:名無しさん@1周年
19/07/02 19:12:48.63 blFD7LrPO.net
ならほっとけよ、気にしなきゃいい。

417:名無しさん@1周年
19/07/02 19:16:24.94 8q4Gxcxu0.net
>>415
3世紀に渡来系弥生人が住んでいた範囲は北部九州地域だけ
その他の日本列島には縄文系弥生人
北部九州の国々の連合体が邪馬台国で
関西等の日本列島には縄文系弥生人の国があった。

418:名無しさん@1周年
19/07/02 19:18:37.27 qP+ODIrr0.net
>>417
ろくに出土品がない北九州に??

419:名無しさん@1周年
19/07/02 19:23:19.79 blFD7LrPO.net
大きな墳墓があるから卑弥呼だ、はないだろ、漢の金印貰ってる王もいるし、帥升もいるんだからね。普通に考えても段々でかくなるんだから5王が取り敢えず一番デカイだろ、卑弥呼は占い師だぜ、デカイ墓なぞ興味ないよ、それに嫦娥、墓にガマガエルがなきゃおかしい。

420:名無しさん@1周年
19/07/02 19:27:31.16 qP+ODIrr0.net
墓って自分がたてるんじゃなく、自分が死んだ後で誰かが建てるもんじゃね?
卑弥呼が墓に興味なくても、卑弥呼を奉ることで神格化してメリットを得る人間がいるなら、当然墓はデカくなる
あと、「占い師」かどうかはわからんだろう
占いをやってる=占い師、なら天皇だって占い師になるぞw

421:名無しさん@1周年
19/07/02 19:28:43.11 blFD7LrPO.net
翰苑にもしるしてあるだろ卑弥娥って。失礼出掛けてくる。

422:名無しさん@1周年
19/07/02 19:29:38.33 ZTgxervO0.net
あそこらへんはなにかある なんか隠している
 

423:名無しさん@1周年
19/07/02 19:31:21.90 s0PtVJbY0.net
URLリンク(ja.wikipedia.org)子殺し
日本
日本では、平安時代の『今昔物語集』に既に堕胎に関する記載が見られるが[1]、堕胎と「間引き」即ち「子殺し」が最
も盛んだったのは江戸時代である。関東地方と東北地方では農民階級の貧困が原因で「間引き」が特に盛んに行われ、
都市では工商階級の風俗退廃による不義密通の横行が主な原因で行われた。また小禄の武士階級でも行われた[2]。 江戸幕府
や諸藩は繰り返し堕胎と子殺し・間引きを非難したが、罰せられる事は希であり、大人の殺人と同等に扱われた例もない[3]。
「孝」を重視する儒教の影響が強かった日本では、「子は親の所有物」という考え方が根深く存在していた。仏教や神道
は出産に関わる事を禁忌としており、胎児や新生児に関して語る事は無かった[3]。また、赤ん坊は初宮参りという通過儀礼
を済ませる事によって産褥が終了し、人間社会の一員になるという一般認識があった[3]。乳児死亡率の高かった当時、
「七歳までは神のうち」という言葉が伝えられる地域があるように、子供を正式な人間と扱うようになる期間には地域によって違いがあった。
1908年制定の日本の明治刑法においては、子が親を殺す犯罪には尊属殺人罪という特例が適用され、通常の殺人罪よりも
極めて重い死刑又は無期懲役が課せられていたが、親が子を殺す犯罪には傷害致死罪が適用され、通常の殺人罪よりもむ
しろ軽い罪となることが多かった。これは、子の行動や法律行為を否応なしに制限できる「親権」や懲戒権を利用し、
「お仕置き」と称して激しい折檻で死に追いやったとしても、折檻時に殺意を持っていたかを判断するのは不可能であり、
結果として「行き過ぎた懲戒権の行使」として、殺意を持っていたとは見なされない為である。

424:名無しさん@13周年
19/07/02 19:33:18.23 zMjb+xA1V
考古学者って、基本ができてない単なる発掘バカとしか思えないwww 歴史考察の基本ができていない。「金印をもらったから大国のはず」みたいな幼稚な考えw 出土物から妄想を繰り広げるクセから抜けられない。畿内説は歴史観のない妄想。

425:名無しさん@1周年
19/07/02 19:34:58.88 HEPbcAL90.net
>>417
九州北部だけに15万戸もの建物とかそこに住む人間を詰め込めない。
1戸5人としても75万人は無謀。

426:名無しさん@1周年
19/07/02 19:35:39.68 s0PtVJbY0.net
URLリンク(ja.wikipedia.org)人身御供
概要
人身御供の行為は、特にアニミズム文化を持つ地域の歴史に広く見られる。人間にとって、最も重要
と考えられる人身を供物として捧げる事は、神などへの最上級の奉仕だという考え方からである。
日本
儺追祭(なおいまつり)の起源にまつわる話や、の人柱に関する記載、諏訪大社(長野県)の御柱に
まつわる伝説、倭文神社(奈良県)の大蛇伝説など、人身御供にまつわる話は数多く残されている。
御陵への殉死
中国の歴史書『三国志』の魏志倭人伝に、「卑彌呼以死大作冢徑百餘歩徇葬者奴婢百餘人」邪馬台国
の卑弥呼が死去し塚を築いた際に100余人の奴婢が殉葬されたとあり、『日本書紀』垂仁紀には、野
見宿禰が日葉酢媛命の陵墓へ殉死者を埋める代わりに土で作った人馬を立てることを提案したという
(埴輪の起源説話であるが考古学的には否定されている)記載が残っている。
男子の人身御供
多くの人身御供伝説では、生贄の対象が女性である場合が目立つ。しかし、中山や高木は生贄に男子の場合も紹介している。 [20]
何に生贄を捧げるか
「日本伝説の研究」では、自然現象の脅威に対する人々の崇拝の念と想像により、猛獣が人を捕ることを「神が
人身御供を要求するもの」と考えられた、と書かれている[21]。
水田と人身御供
松村武雄は「日本神話の研究」で、穀物の豊かな収穫を確保するための呪術として犠牲人を殺す民俗が行われ
ていたと述べている。また、水の神、田の神に実際に女性を生贄としてささげた習俗があると記している。[22]。
松村は同書で中島悦次の「穀物神と祭祀と風習」を紹介し、その中で柳田國男の「郷土誌論」を参考にした
「オナリ女が田植えの日に死んだというのは、オナリ女の死ぬことが儀式の完成のために必要であったことを意味する」との文章を引用している。
神隠しと人身御供
人身御供は、神が人を食うために行われるとも考えられているが、神隠しと神が人を食う事との関連を柳田國
男は自身の著書「山の人生」にて書いている。柳田によれば、日本では狼は山神として考えられており、イン
ドでは狼が小児を食うという実例が毎年あり、日本には狼が子供を取ったという話が多く伝わっているという。
これが山にて小児が失踪する神隠しの一つの所以であるとも考えられる[23]。

427:名無しさん@1周年
19/07/02 19:40:29.23 /WqxVj930.net
>>286
魏志倭人伝を疑ったら、そもそも大和=邪馬台国も成り立たなくなるし、箸墓=3世紀だとしてもだから何?って話になるが

428:名無しさん@1周年
19/07/02 19:44:30.68 qP+ODIrr0.net
>>427
魏志倭人伝はどこかに「嘘」もしくは「錯誤がある」のは常識だろ

429:名無しさん@1周年
19/07/02 19:45:50.22 YHajqo3A0.net
箸墓はヤマトトトヒモモソヒメが卑弥呼じゃね?という推論から卑弥呼の墓と言われてるだけだからな
モモソヒメが卑弥呼じゃなかったら成り立たない

430:名無しさん@1周年
19/07/02 19:54:27.17 /WqxVj930.net
>>295
「存在しないとされている」は不勉強
>>322
ガリレオ・ガリレイ「1人だから何」

431:名無しさん@1周年
19/07/02 20:14:36.14 /WqxVj930.net
>>408
そこが3世紀の墓であることを何で確定するか
>>415
流通があったら大きな国であるという理屈がわからない

432:名無しさん@1周年
19/07/02 20:19:21.43 EVWyz2Rx0.net
呉滅亡
稲作伝来
呉の太伯の末裔(約3世紀ごろ魏略)
古墳時代までの歴史は時が一致する
約2400年前の分銅(北九州は中国製しか確認されていない)が全てを語る
国内最古、石の分銅 大阪・亀井遺跡
URLリンク(www.youtube.com)

433:名無しさん@1周年
19/07/02 20:20:15.08 8q4Gxcxu0.net
>>418
鉄器、絹織物、硯
>>425
邪馬台国とは卑弥呼を共立した北部九州の国々の連合体
北部九州の国々の連合体全体で7万戸
1戸5人としても35万人は余裕で北部九州に収まる。

434:名無しさん@1周年
19/07/02 20:23:59.65 OeyVk1US0.net
>>417
>>431
イデオロギーで歴史を見るのは止めにしようぜ

435:名無しさん@1周年
19/07/02 20:24:01.00 HEPbcAL90.net
>>433
35万人でも無謀なことに変わりないが、まったく根拠のない計算だな。
奴国の2万戸とか、投馬国の5万戸をなかったコトにしてるのは察した。

436:名無しさん@1周年
19/07/02 20:26:04.61 /WqxVj930.net
>>428
「邪馬壹国と書いてあるけどウソで~す
>>434
イデオロギー抜きで物事を見ることはできないよ

437:名無しさん@1周年
19/07/02 20:26:17.19 OeyVk1US0.net
九州説は街起こしになってるから科学や統計的に否定されても唱える輩は消えないんだろうな

438:名無しさん@1周年
19/07/02 20:26:45.26 XXTGKdI70.net
>>436
低学歴?

439:名無しさん@1周年
19/07/02 20:29:30.88 /WqxVj930.net
「おもてなし」と「まちづくり」in桜井市
三輪山と箸墓古墳

440:名無しさん@1周年
19/07/02 20:31:10.33 h/+NV+oe0.net
そもそも邪馬台国がそんなに強大な国だったのかも分かってないのでは。

441:名無しさん@1周年
19/07/02 20:32:49.40 NI5tFx410.net
>>430
関川説をゴリ押ししたいなら、畿内と九州で100年も年代差が生じることを証明してくれ
普通の人間は幽霊もネッシーも実在しないと考えるし、2つの地点の間で時空の歪みが存在するなんて思わない
ホケノから実際に出土された後漢鏡や刀剣類が存在しないことにするマジックも証明してくれ

442:名無しさん@1周年
19/07/02 20:33:06.98 EVWyz2Rx0.net
北九州の出土品は中国製ばかりで地元のものがほとんど無いのよね

443:名無しさん@1周年
19/07/02 20:34:52.70 HEPbcAL90.net
>>437
邪馬台国が実際に町おこしになってるところなんてないやろ

444:名無しさん@1周年
19/07/02 20:37:06.45 Q/zg/sVA0.net
>ただ私は、この箸墓古墳からすぐ近くJR桜井線の巻向駅周辺に広がっている纏向遺跡こそ邪馬台国の王都だったと思っていますので、やはり陵墓は卑弥呼のものであるはずです。
なんの論理性もない文章だ

445:名無しさん@1周年
19/07/02 20:41:05.27 /WqxVj930.net
他地域のものが入ってて流通があったら大きな国
他地域のものが必要なくて地元でまかなえたら大きな国
中国産が必要なくて地元でまかなえたら大きな国
中国産のものが入ってて流通があったら大きな国

446:名無しさん@1周年
19/07/02 20:49:43.16 NI5tFx410.net
>>430
>「存在しないとされている」は不勉強
短里なんてものは、幽霊やネッシーと同次元の話で、空想の産物
そんなものが存在すると考えてるやつはただの電波

447:名無しさん@13周年
19/07/02 20:52:29.54 zMjb+xA1V
431
  >(土器の)流通があったら大きな国であるという理屈がわからない

  同感。土器はA⇒B⇒C・・・⇒Zと伝言ゲーム式に移転しただけで、遠国の土器がその遠国から出土地まで運ばれたはずという前提はおかしい。「動くもの」で歴史を語る場合の間違った推論だ。ヒスイや黒曜石のような軽いものですらこの推論は認められない。

448:名無しさん@1周年
19/07/02 20:52:25.19 NW0Nmh/C0.net
5chに住み着いている畿内説はこいつ一人しかいません。

1 名前:1 ◆UiepmfCeDJqf [sage] 投稿日:2019/07/02(火) 19:19:18.17
 邪馬台国論の鉄板、畿内説のスレです。
【骨 子】
・3世紀中葉には、古墳時代が開始していた。(◆10,FAQ10,43)
・古墳出現期段階で、近畿中央部を中心に列島規模の政治連合が形成され始めていた。(◆2,4~6)
・北部九州博多湾岸地域は、既にこの政治連合の傘下にあった。(◆7)
ゆえに、倭女王卑弥呼の都があったのは畿内である。

この馬鹿妄想で自己暗示かけて更に妄想を発展さておき「畿内で確定だ」と豪語するかなり逝ってるやつ。
もう何年も仕事を貰えない永遠の非正規らしいw

449:名無しさん@1周年
19/07/02 20:56:31.94 /WqxVj930.net
「ここにほら、実際に使われてるじゃん」
「だね」

450:名無しさん@1周年
19/07/02 20:58:52.13 aLwzJ20W0.net
短方角ってのがあってね
東を南ということにするんだよ
って同じレベルだぞ。短里ってw

451:名無しさん@1周年
19/07/02 20:59:12.93 8q4Gxcxu0.net
奴国だけで2万戸なんだから
北部九州に7万戸は余裕だよ
投馬国は朝鮮半島南部だよ。

452:名無しさん@1周年
19/07/02 21:03:26.92 NW0Nmh/C0.net
畿内説は奈良が広いと思っているが現実はこれ
■可住地面積
 奈良県 853(km2)
 福岡県 2773(km2)
 佐賀県 1332(km2)
 熊本県 2732(km2)
■耕作可能な土地の面積
 奈良盆地:450km2
 河内平野:200km2
 福岡平野:250km2
 筑紫平野:950km2
 中津平野:180km2
 宮崎平野:800km2
7万戸を約30万人として700km2は必要。
奈良と河内を合わせても足りない。

453:名無しさん@1周年
19/07/02 21:06:20.27 NW0Nmh/C0.net
弥生時代における国々の分布密度は?
韓半島には大きくわけて馬韓・辰韓・弁韓の3国が存在していた。
そのうち百済の前身「馬韓」は約50国からなる連合国だった。
URLリンク(i.imgur.com)
倭国は30国からなる邪馬台国連合国はあるとも言える。
URLリンク(i.imgur.com)

454:名無しさん@1周年
19/07/02 21:08:14.11 /WqxVj930.net
龍谷大学本混一疆理歴代国都之図
「さすが、やっぱり長里で書くと韓半島ってこのくらいになるんかね」
「まだまだ足りないかもしれないね」
「長里で3回渡海して九州に上陸するには、このくらい離れるんかね」
「それにしても離れすぎの気が」
「伊都国奴国はどの辺なんだろうね」
「もうその時点で本州上陸してるよね」
「南へ南へと進んで畿内にたどり着くにはちょうどいい地図だね」
「だね

455:名無しさん@1周年
19/07/02 21:09:05.51 gbcZcrPv0.net
>>392
九州は証拠を重視しないだろ

456:名無しさん@1周年
19/07/02 21:11:31.69 NW0Nmh/C0.net
土器様式によって勢力圏を判断するという畿内説的思考で考えると、
東海政権がTOP政権となってしまう件www
■畿内説曰く
3世紀に入ると九州で畿内式土器が出現する。
これは畿内政権が北部九州を傘下においていた事を意味する。
■九州説曰く
それは畿内が北部九州に納品(献上)していた物であり、
逆に纏向では九州産の土器は出土しない。
畿内は北部九州の傘下にあったとも考えられる。
■東海説曰く
同時期の纏向遺跡からは東海式土器が大量に出土する。
これは纏向が東海政権の傘下にあった事を意味する。

457:名無しさん@1周年
19/07/02 21:13:11.28 gbcZcrPv0.net
>>448
これが全1病ってやつか
全てのレスが奥山に感じるという

458:名無しさん@1周年
19/07/02 21:14:19.91 NW0Nmh/C0.net
学者が畿内説を諦めたので無期限閉鎖としますw
ソース
読売新聞YOL
21.11.2018
邪馬台国の候補地?見学施設、財政難で建設延期 社会
奈良県桜井市は、邪馬台国の有力候補地として注目される纒向(まきむく)遺跡で、
2020年度中の完成を目指していた「ガイダンス施設」の建設延期を決めた。
財政難が原因。整備を進める史跡公園の核となる施設で、遺跡見学の拠点として
期待されていたが、新たな完成時期は未定だ。

459:名無しさん@1周年
19/07/02 21:15:37.26 NW0Nmh/C0.net
>>457
奥山くん、こんばんはw

460:名無しさん@1周年
19/07/02 21:16:35.05 NW0Nmh/C0.net
纏向こそ西日本を制するヤマト王朝ニダー!
■纏向遺跡出土土器の産地
伊勢・東海系:49%
北陸・山陰系:17%
河内系:10%
吉備系:7%
近江系:5%
関東系:5%
播磨系:3%
西部瀬戸内海系:3%
紀伊系:1%
思いっきり東日本政権やんw

461:名無しさん@1周年
19/07/02 21:20:33.29 gbcZcrPv0.net
>>442
弥生自慢の弥生詐欺

462:名無しさん@1周年
19/07/02 21:20:49.63 zIy7EaLx0.net
1里が500メートルで1短里が70メートルって考えるから分からなくなる。
全ての距離は情報の防衛のため10倍されて書かれている。

463:名無しさん@1周年
19/07/02 21:21:13.75 NW0Nmh/C0.net
畿内説は畿内説ありきで編年基準をずらせます。
箸墓古墳、ホケノ山古墳の年代は4世紀濃厚です。
■小型丸底土器出土
石野博信氏はホケノ山古墳について安本先生と
討論を行った際、ホケノ山古墳から4世紀後半の
小型丸底土器が出土したことを述べている。
 小型丸底土器は庄内式土器末期から出現し、
布留式土器の重要構成要素となっている器種である。
 ホケノ山古墳からは庄内式土器も出ているが、
それよりも新しい布留Ⅰ式土器が出土したことに
なるので、考古学の常識で判断すれば、古墳の年代は
布留Ⅰ式の時代と言うことになる。
 石野博信氏は「ショックだった」と感想を述べている。
 
報告書を記述した橿原考古学研究所の研究部長は、
小型丸底土器は、発掘時に墓の上の方から落ちて
きたのではないかと、苦し紛れに書いている。
 
■箟被のついた銅鏃出土
また、石野氏はホケノ山古墳から箟被(のかつぎ)
のついた銅鏃が出土したことも述べている。
このタイプの銅鏃は比較的新しい時代の物で、
前期古墳の後半で布留Ⅰ式以降と考えられている。
■まとめ
ホケノ山古墳では5世紀の江田船山古墳と同じ
画文帯神獣鏡が出土している。
箸墓も木製輪鐙が出土しているのでこのあたり
一帯は4~5世紀頃の古墳群と思われる。

464:名無しさん@1周年
19/07/02 21:24:02.58 mX2t9yn90.net
九州説は学問を否定してるんだからエンタメ路線で頑張れ

465:名無しさん@1周年
19/07/02 21:26:59.83 4+oO13Mw0.net
>>462
誰が何のために?

466:名無しさん@1周年
19/07/02 21:27:38.75 NW0Nmh/C0.net
■ニュース
 2001年12月
 「箸墓の周濠から、馬具と布留1式土器が同時に出土した。」
 奈良県桜井市箸中の箸墓古墳の周濠から、乗馬の 際に足を掛ける馬具、
 木製の輪鐙(わあぶみ)が見つかり、桜丼市 教委は三十日、
 「輪鐙は四世紀初めに周濠に投棄され たと推定され、国内最古の馬具
 である可能性が高い」 と発表した。
 
■参考
・布留1式土器は4世紀。
・馬具研究史より
 樋口隆康「鐙の発生について」は、中央アジアの騎馬民族に
 鐙が出てくるのは7世紀以降であるが、中国では4世紀初頭の騎人俑に
 足踏みとしてのみ利用された片側だけにつけられた鐙の存在を指摘し、
 中国における鐙の発生を4世紀初頭と推定した。
■所見
 中国ですら鐙は4世紀導入です。朝鮮半島最古の鐙は5世紀です。
 なぜ4世紀初めの日本に鐙があるのでしょう???
■診断結果
 ゴッドハンドですねw

467:名無しさん@1周年
19/07/02 21:28:21.39 MkpZ42+Y0.net
邪馬台国の出先機関である一大率があったとされる伊都国のあったとされる
糸島半島には
この時期(三世紀中あたりまで)ほとんど畿内の影響が見られない
(明確な畿内式の庄内式甕なんて三雲サキゾノ遺跡から出た一点だけ)
中国の刺史のよう、と言われた一大率が畿内政権から送り込まれた代官なら
もう少し畿内政権の影響が見られてもいいはずだが
遺跡から見る限り実際は、糸島への畿内系の浸透は、隣の福岡市より遅れている
ちょうど日本書紀で北九州や中九州、南九州が11代景行で支配された後
糸島が13代仲哀の時代に降った事に対応しているかのように

468:名無しさん@13周年
19/07/02 21:30:16.21 pj3rIzisW
何故か古事記に邪馬台国と卑弥呼が出てこないんだよね、、、
ヤマトなら出てくるはずだが謎だ。。。

469:名無しさん@1周年
19/07/02 21:28:35.28 NW0Nmh/C0.net
■箸墓古墳の年代
①四世紀の中ごろ(西暦350年前後)
 関川尚功氏(元奈良県立考古学研究所員)
 
②三世紀のおわりごろ(西暦280年~300年ごろ)
 寺沢薫氏(桜井市纒向学研究センター所長)
③三世紀の中ごろ(西暦250年前後)
 白石太一郎氏(大阪府立近つ飛鳥博物館長)
④五世紀(西暦400年以降)
 俺氏 輪鐙の年代と堆積層の堆積年数から推定
<年代変動予想>
③希望的観測結果

②←今ココ

①(2019年3Q)

④(2020年1Q)

470:名無しさん@1周年
19/07/02 21:31:53.84 NW0Nmh/C0.net
ヤマト政権は渡来人の協力を得て、5世紀からスタートした政権です。
・    ~2世紀末: 唐古鍵遺跡
・2世紀末~3世紀半ば:不明(邪馬台国時代)
・3世紀半ば~4世紀半ば:纏向遺跡
・4世紀末~:↓奈良・高取
 
■最古の大壁建物跡か 奈良・高取の遺跡で発見
「建築年代は4世紀末~5世紀初めと推定され、
最古の大壁建物跡の可能性もある。
渡来人が入植を開始したのは5世紀後半と
考えられていたが、大幅に早まる可能性が出てきた。」
「同町では、朝鮮半島式の床暖房装置(オンドル)を
持つものを含めて約40棟見つかっている。」
 
「白石太一郎・大阪府立近つ飛鳥博物館名誉館長は、
建物の時期についてはさらに検討が必要としながらも、
(現場に)居館や祭祀施設など渡来系の人たちが
営んだ重要な施設があったことは間違いないとみている。」
URLリンク(www.sankei.com)

471:名無しさん@1周年
19/07/02 21:34:47.01 NW0Nmh/C0.net
なぜ3世紀の奈良から鉄が出土しないのか?
鉄の出土分布が3世紀の経済共同体を示しています。
URLリンク(i.imgur.com)

■考えられること
鉄の潤っていた九州と畿内は別国であった。
=一大率や大倭は畿内政権とは無縁である。
=魏志韓伝に出てくる「倭」には畿内は含まれていない。
■裏付け
実際、同時期の纏向遺跡からは九州産の土器が
出土せず、東海・伊勢地方のものが多数を占める。
■名言
もと歴博の館長もやった佐原真は、
「近畿圏では鉄は溶けやすいので、残っていないのだ」
とマジで答え、・・・

472:名無しさん@1周年
19/07/02 22:08:19.47 31Yt/kBl0.net
でもさ
ジャマだい!国
とかって名付けられてるじゃない
本当は、ヤマトって、おジャマ虫だったんじゃないの?
皇室は ちがうからね 新しいほうだから

473:名無しさん@1周年
19/07/02 22:31:39.17 h4dmGiTM0.net
今は淡路や彦根で邪馬台国の頃の
鉄器工房跡が見つかったりしてるしなぁ…
九州だけが先進してたって
イメージは今は少々合わないやね
最初の57年の金印の頃なら兎も角
その190年後だし卑弥呼が金印貰ったの

474:名無しさん@1周年
19/07/02 22:35:27.78 1ujkrHv00.net
今後邪馬台国がどこにあったかって証拠が出てくる可能性あるの?

475:名無しさん@1周年
19/07/02 23:09:49.62 4+oO13Mw0.net
>>462
魏志倭人伝の内容は、帯方郡でまとめられ洛陽に報告された魏国内の内部文書。
わざわざ偽装を施すよりも正確性こそが求められる。
仮に呉や蜀に属国を知らしめる目的で公表したなら、もっと精強な集団と書くだろう。
少なくとも占いオババが国のトップなんて書くはずがないし、後継者が13歳の占い娘で内戦状態などと書くはずがないし
鉄製武器が鏃の一部だけしかないなんて書くはずもない。
牽制目的なら
倭国では鉄が豊富に取れ製鉄も盛んで馬も多くいる。
食料も豊富で小さな国でも1万戸、大きな国では10万戸程度
巨大な王宮に男王が住まい、鉄の剣や矛を持った警護の兵が朝から晩まで厳重に警護している。
彼らの弓は強固で遠くまで飛び、遠方の的を鉄の鏃が鋭く貫く。
船の扱いに長け、大きな船を持ち集団で漁をする者たちもいる。
これくらい守らないと牽制にもならない。

476:名無しさん@1周年
19/07/02 23:28:55.09 NI5tFx410.net
>>470
>ヤマト政権は渡来人の協力を得て、5世紀からスタートした政権です。
日本人でないことをもう隠さなくなったなwww
日本で教育を受けてないことがバレバレ
その間抜けなこじつけも、>>199の人が論破してるだろうに

477:名無しさん@1周年
19/07/02 23:30:22.93 blFD7LrPO.net
帰って来たぞ。畿内説は、デカイ遺跡と方向違いしか根拠がないだろ、記紀に場所は書かれて無いだろ、巻向が卑弥呼の墓もしくは祭壇で大和がその流れなら祭るだろ、辻褄があってない学問とやらだよ、理由は解らないわけでもないけどね。邪馬台は北九州だよ。

478:名無しさん@1周年
19/07/02 23:43:37.41 Gzj51Eq30.net
>>460
2代目天皇以降嫁さんをもらったり、皇子がどこの豪族の祖になってるかというと、三重、愛知からだから結局その辺から同盟してったんだと思うよ。
だから土器が東海からになるんだと思う。

479:名無しさん@1周年
19/07/02 23:53:00.01 SWLnZmbh0.net
>>169
■倭國条 〜703年 (倭国時代末期・大和朝廷)
「倭國者,古倭奴國也。」
(倭国はいにしえの倭奴国である。)
 
■日本条 703年〜 (ヤマト政権時代・大和朝廷)
「日本國者,倭國之別種也。」
(日本国は倭国の別種の国号である)
倭国と呼んでいた国を今後は日本国と呼ぶという注記
新唐書
■日本國条 全部(大和朝廷)
「日本,古倭奴也。」
(日本はいにしえの倭奴である。)
何も問題ないな

480:名無しさん@1周年
19/07/02 23:55:53.84 NI5tFx410.net
>>471
>鉄の出土分布が3世紀の経済共同体を示しています。
これも日本人でない証拠
そんな珍説、どこの国で習ったんだ?
日本列島は鉄貧乏だった奈良発祥のヤマト王権により統一されたんだよ
九州もヤマト王権に飲み込まれる
これが意味するところは、弥生時代での鉄の量は国力とは関係ないし、首都の位置とも関係ないということ
実際、弥生時代の九州の鉄は大した量ではない
3世紀の畿内の古墳たった3基から出土した分だけで、余裕で上回る
ついでに言うと、そのグラフは相当古い
ホケノの鉄が反映されてないので、20年以上前のものだろう
意図的に古いものを見せて、九州優位に見せかけているんだろうけど

481:名無しさん@1周年
19/07/02 23:58:29.31 8q4Gxcxu0.net
>>471
鉄は国家なりですね
鉄の無い所に国家無し

482:名無しさん@1周年
19/07/02 23:59:44.30 8q4Gxcxu0.net
>>473
鉄の量が違うからね。


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