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『李朝実録』によれば, 1556年4月1日, 朝鮮で倭人が反乱を起こそうとしているという情報を入手した対馬島主・宗氏が朝鮮朝廷に報告した。
首謀者のなかには中国人もおり, 彼は「五峯」と名乗り, 倭人を率いて明を襲撃すると称している。
前期倭寇は食糧の他に人々を捉え, これを奴隷として使役したり売却したりしたと述べた。
後期倭寇はさらに大規模な奴隷貿易を行っている。
中国東南部の江南・淅江。福建などを襲撃し人民を拉致した倭寇は対馬・松浦・博多・薩摩・大隅などの九州地方で奴隷として売却した。
これらの奴隷は, 牛馬の飼育や薪取り, 水汲みなどの仕事をさせられた。
さらに彼らの一部はポルトガル商人によってマカオに転売され, そこから東南アジア・インドに送られていった。
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