【奈良】ヤマト王権誕生の礎、唐古・鍵遺跡 埋文センター長が本執筆、邪馬台国の最有力候補地「纒向遺跡」との関係など考察★5at NEWSPLUS
【奈良】ヤマト王権誕生の礎、唐古・鍵遺跡 埋文センター長が本執筆、邪馬台国の最有力候補地「纒向遺跡」との関係など考察★5 - 暇つぶし2ch387:名無しさん@1周年
19/05/20 12:40:08.71 LD/p5x6G0.net
崇神=神武は昔からよく言われてるよね

388:名無しさん@1周年
19/05/20 12:40:25.98 J0phCex50.net
>>367
天照大神にすり寄ってくるなよ。
卑弥呼は卑弥呼で別系統。これが九州説のうっとうしがられる理由。

389:名無しさん@1周年
19/05/20 12:40:30.69 OQb5QTrR0.net
>>362
記録なんておそらく倭の五王の頃くらいからある。倭の五王のことが書かれた剣が埼玉の
さきたま古墳群からみつかってるし。

390:名無しさん@1周年
19/05/20 12:40:37.14 k6qakKSB0.net
>>368
中国と渡りあい交易を確保した卑弥呼は英雄だよ
その恩恵と関係なさそうな畿内は知らんけどw

391:名無しさん@1周年
19/05/20 12:41:21.97 rKecSZkE0.net
近畿に3世紀以前から大陸と交易した痕跡なんてないし文字すらも存在しない。鉄武器も所有を禁じられ石器しか持てなかった場所で王権なんてあるわけないだろ。
普通に奴隷しかいねえよ

392:名無しさん@1周年
19/05/20 12:41:27.84 J0phCex50.net
>>369
8世紀は白村江の時代なんだが。4世紀の時点で支配層が大陸系から大和系に入れ替わった。

393:名無しさん@1周年
19/05/20 12:41:28.95 QxtrzDUg0.net
>>372
弥生時代に関西に日食がないんだよな

394:名無しさん@1周年
19/05/20 12:42:19.69 eb8yeeN60.net
>>376
え?初代の征夷大将軍ですら大陸系なのに?

395:名無しさん@1周年
19/05/20 12:42:40.53 cBGEjJvy0.net
>>367
弥生時代末から古墳時代に掛けて渡来人が日本列島に大勢移住して来て
それまで日本列島に住んで居た縄文系弥生人と混血してこの時期に日本人が誕生したことがDNAの研究で判明した
邪馬台国=大和王権は時期的に成立しない。

396:名無しさん@1周年
19/05/20 12:43:02.33 PAOiRRdx0.net
>>376
大和王権の中核は全員大陸系だろ?アホ

397:名無しさん@1周年
19/05/20 12:43:46.30 oiqFvJhp0.net
>>78
三種の神器の元となった発掘品が福岡県の古墳から出てるんだな

398:名無しさん@1周年
19/05/20 12:43:48.35 J0phCex50.net
>>378
おいおい。あれはもっとあとの時代のまさに渡来人ですよ。
征夷大将軍は天皇の僕です。日本のことを少しは理解しましょう。お里が解りますよ。

399:名無しさん@1周年
19/05/20 12:43:53.33 OQb5QTrR0.net
>>375
三重の熊野から秦の半両銭が見つかっている

400:名無しさん@1周年
19/05/20 12:44:30.27 cBGEjJvy0.net
>>375
関西に住んでたのは毛人だな

401:名無しさん@1周年
19/05/20 12:45:19.34 HC9OPBK20.net
>>379
時期までは判明してねえよ
DNA鑑定した縄文人の出た礼文島がどこにあるのかしらねえのか

402:名無しさん@1周年
19/05/20 12:45:25.15 k6qakKSB0.net
この3世紀って圧倒的に中国が強いわけで
その中国に堂々と渡り合った九州の女王が皇帝(司馬氏)の印象に強く残った
だから正史にほぼ初めて詳しい倭人条を入れてくれた
この外交成果はすごいものだね

403:名無しさん@1周年
19/05/20 12:45:42.98 thbKnVg/0.net
>>379
邪馬台国=大和王権は3世紀末に東遷したとするならば説明がつく
逆にそうじゃないと4世紀から畿内が急に文明化した理由が説明できない
そうすると初代天皇は崇神ということになってネトウヨが激怒するかもしれんが
まぁ何らかの北九州勢力が3世紀末にかなり流れてきたんだろう

404:名無しさん@1周年
19/05/20 12:45:50.47 rKecSZkE0.net
3世紀大陸と交易できたのは
一大率が置かれた伊都国な
当然外交できる語学のある人物はいたし
近畿にそんな官職はねえよ

405:名無しさん@1周年
19/05/20 12:45:52.48 IjUymDC40.net
>>327
多分当時の邪馬台国が九州だとしたら畿内よりも半島方面の勢力拡大を狙うんじゃないかな
当然交易で利益を得る方が美味しかったはずだしな

406:名無しさん@1周年
19/05/20 12:46:43.40 OQb5QTrR0.net
>>381
そう。つまり北九州は前漢や後漢と交流があり遺跡には後漢の遺物が副葬されている。
しかし、三国時代になると魏と畿内の関係にシフトする。
これは、中国と交流する中央がシフトしたと考えられる。

407:名無しさん@1周年
19/05/20 12:47:21.91 thbKnVg/0.net
>>389
3世紀に半島に侵攻したら中国への謀反になるぞ?
あの司馬懿がぶちきれる

408:名無しさん@1周年
19/05/20 12:47:52.51 qqOAvlwp0.net
邪馬台国は阿蘇の中 噴火で滅んだ 命からがら逃げだしたのが宇佐に社を構えた
そういう事にしておくわ

409:名無しさん@1周年
19/05/20 12:4


410:8:14.39 ID:k6qakKSB0.net



411:名無しさん@1周年
19/05/20 12:48:30.15 ApUp0u630.net
邪馬台国は3世紀後半に狗奴国に負けて滅んだ

412:名無しさん@1周年
19/05/20 12:48:51.47 cBGEjJvy0.net
>>385
弥生人のDNAで迫る日本人成立の謎(前半)
URLリンク(www.youtube.com)
弥生人のDNAで迫る日本人成立の謎(後半)
URLリンク(www.youtube.com)
判明したんだよ。

413:名無しさん@1周年
19/05/20 12:48:59.56 Nx79QLlFO.net
そもそも発展は海沿いから、北九州には王国はあったろう、もし近畿にもあったんなら、それはアメリカと同じで東と西に分かれただけ、近畿に別の渡来人が集まった。3、4世紀は単なる土人よ、近畿は日本国になってから、旧唐書は新種あらわる。

414:名無しさん@1周年
19/05/20 12:50:12.24 rKecSZkE0.net
近畿にいたのは下戸か生口だよ。

415:名無しさん@1周年
19/05/20 12:50:44.34 4LyBy+dj0.net
倭国大乱の九州を平定した卑弥呼が九州にいたのは間違いない
そうじゃなきゃ倭国大乱を平定できない

416:名無しさん@1周年
19/05/20 12:51:23.55 8bZvBqmo0.net
そもそも奈良行くのに
北部九州を何十キロも歩かされて
日本海や瀬戸内海を船で行くって考えが愚の骨頂なんだよ
直接行けや
誰が言い出したんやこんなアホ理論

417:名無しさん@1周年
19/05/20 12:52:37.93 fxHO5npc0.net
九州北部は一大卒管轄下
卑奴母離という共通した官も置かれている
属領だよ
倭国大乱で瀬戸内海の勢力が進出して支配下に置いたんだよ
そして卑弥呼共立に吉備が参加
間接的に奈良の邪馬台国が支配する構図になったんだよ
諦めろ

418:名無しさん@1周年
19/05/20 12:52:54.15 rKecSZkE0.net
関門がサンドウェーブで塞がってたから
瀬戸内海には入れないよ

419:名無しさん@1周年
19/05/20 12:54:31.32 HC9OPBK20.net
>>395
縄文人遺伝子のサンプルになってるのが礼文島って北海道の北の端の島から出た
取り残されたような最新の縄文人
日本全体で見たら遺伝上の各種系統との混血は紀元前でもおかしくないわい

420:名無しさん@1周年
19/05/20 12:55:09.55 4LyBy+dj0.net
>>400
吉備国が強大化するのは4世紀以降
3世紀の吉備は原始時代

421:名無しさん@1周年
19/05/20 12:55:10.88 k6qakKSB0.net
>>400
ムーで読んだの?

422:名無しさん@1周年
19/05/20 12:56:03.93 eBExlt7F0.net
纏向遺跡は予想よりも五十年以上後に作られた可能性が高いとなれば邪馬台国とは
全く無関係の施設になってしまうな。

423:名無しさん@1周年
19/05/20 12:56:17.44 rKecSZkE0.net
まあ古代九州と山口は繋がってたってことだ

424:名無しさん@1周年
19/05/20 12:58:15.52 4LyBy+dj0.net
そもそも畿内説の連中はなぜ北九州の豪族が畿内の女王を共立すると思えるのかが理解できない
女王に会いに行って帰ってくるだけでも数ヵ月かかる

425:名無しさん@1周年
19/05/20 12:59:35.80 OQb5QTrR0.net
>>405
50年以上遅いと言われてたのは80年代以前の古臭い歴史認識で、80年代からの科学的な年輪年代法で
箸墓古墳は250年頃という結果がはっきりと出ている。

426:名無しさん@1周年
19/05/20 12:59:58.15 WaexAVQk0.net
>>405
なぜ突然4世紀頃から発展したんだろう

427:名無しさん@1周年
19/05/20 13:01:17.27 IjUymDC40.net
>>391
当時まだ公孫氏から接収したばかりで安定してなかったし、魏は伝統的に水軍弱くてボロ負けだったからわざわざ侵攻してくるかね?
事実しばらくして晋に代替わりしたら中央の半島への力は弱まったし
それに半島全体を領有とかではなく、交易拠点の港とか島嶼部を押さえるのだったらやってもおかしくなかった
当時の倭は半島南部から北部九州にかけての海洋国家だったと推測してるから

428:名無しさん@1周年
19/05/20 13:01:27.35 k6qakKSB0.net
逆に言うと福岡の女王国が熊襲との争いでめちゃめちゃになったから
朝鮮交易ルートの再確立がどの国でも死活問題になった
そこで4世紀初頭に朝鮮をめぐる覇権争いが起きたんだろね
任那(金海)が崇神65年に崇神に朝貢したのは重要だよ
もっとも当時の4世紀の畿内の崇神に朝鮮征伐すると軍事力は無理だろうから
まずは吉備や東海と組んだんでしょね
それの後にいよいよ朝鮮貿易の本拠地である北九州を攻めたと

429:名無しさん@1周年
19/05/20 13:01:48.95 fxHO5npc0.net
九州北部は吉備に征圧された
奈良は東海山陰に征圧された
九州北部は一大卒が設置され属領に、
奈良は卑弥呼が都を置き民は支配下に置かれた

430:名無しさん@1周年
19/05/20 13:01:57.36 OQb5QTrR0.net
>>407
畿内の女王を共立したのではなく、北九州の王の娘を共立して邪馬台国の王にしたのかもしれない。
それは、東海や関東の勢力が強大化していて対抗するためには奈良が適地だと認識したからであろう。

431:名無しさん@1周年
19/05/20 13:02:57.11 jUJYgKKC0.net
>>408
ゴタクはいいからさっさと掘れよw
掘ってみなきゃわからんだろ?w

432:名無しさん@1周年
19/05/20 13:02:58.83 FoicLN130.net
 大和(大倭)とは、邪馬台国の読み名である。小倭があり、大倭があり、倭が人偏に矮なので、
大和とした。唐から日本といって、疑われたからだ。
 邪馬台国は、大和にあったというのは、東遷後。つまり、倭(小と大)が合併した。

433:名無しさん@1周年
19/05/20 13:03:02.00 XN9sTMCa0.net
ここの九州説のやつらのソースは邪馬台国の怪みたいな素人同好会だし
学者の文献や論文なんか読もうとしないもんな
だから30年前、40年前のふるーい年代観を持ち出してきて、最新の学術研究にイチャモンをつける

434:名無しさん@1周年
19/05/20 13:03:05.23 8bZvBqmo0.net
>>406
それ縄文時代じゃね?
たかが2000年ででっかい船通れるような
あんな海になるもんなの?

435:名無しさん@1周年
19/05/20 13:04:00.78 YjFH5ebU0.net
>>11
X一大国
○一丈国
宋版魏志倭人伝の種本は隷書体で書かれていた。
隷書体の「支」は「丈」とよく似た形だ。
隸辨という隷書辞典に「以支為支別作丈以別之」
別作丈以別之=丈のように書いてはいけない。以てこれを別のものとする。
と書いてある。
//dict.variants.moe.edu.tw/variants/rbt/word_attribute.rbt?quote_code=QTAxNzE1

436:名無しさん@1周年
19/05/20 13:04:05.63 VKUvhMgf0.net
>>413
意味がわからん
どういうこと?
ちなみに3世紀の東海地方とかなんもなかったぞ?
関東に関しては野蛮な全身毛だらけの縄文人がイノシシ追っかけてるような地域

437:名無しさん@1周年
19/05/20 13:04:51.86 fC2FVLu30.net
>>152
中国からしたらわざわざそんな僻地行かないわな
そっちから挨拶くるならまだしも
外交能力無いから無視されてたんだろ
だから中国も九州の記述しか残してない

438:名無しさん@1周年
19/05/20 13:05:19.75 x6rQbai00.net
>>413
3世紀の関東の強大勢力ってなんだよwww
もう無知はレスするなよ恥ずかしいwwwwwwwww

439:名無しさん@1周年
19/05/20 13:06:19.31 cBGEjJvy0.net
>>408
年輪年代法で分かるのは材料の木の年代、建物の作られた年代は分からない
250年頃以後に造られたのは判明してるんだよ。

440:名無しさん@1周年
19/05/20 13:07:06.11 rKecSZkE0.net
>>417
今でも掘らないと砂が堆積する海峡なんだよ。
北海道の函館と同じ
そもそも穴門とも言われ史書には陸の下を海流が通っていたとも言われてる

441:名無しさん@1周年
19/05/20 13:07:33.11 ps40Ns2M0.net
>>422
箸墓から建造時の木材が見つかったとか聞いたことが�


442:ネい



443:名無しさん@1周年
19/05/20 13:08:22.52 jP2hR6yH0.net
>>416
邪馬台国の特徴は魏との関係性
大きな国だろうが日本中の土器が集まっていようが魏との遺物一つの方が重要なのでは
畿内説は「大きな遺跡が発見されたー」ってだけで魏関係が全くない

444:名無しさん@1周年
19/05/20 13:08:36.41 k6qakKSB0.net
中国から見ると楽浪から朝鮮南岸(任那)とおり金海から対馬、糸島、筑紫
これ全部女王国とその友好国だからすいすい安全に気軽に行ける
しかし南九州だの吉備だのその更に向こうの奈良だの危険過ぎて行けないわな
決死の覚悟てか帰って来れないしw

445:名無しさん@1周年
19/05/20 13:08:45.94 OQb5QTrR0.net
>>422
墓を作るのに古い木材を使い古すのは考えられない。伊勢神宮でも一定の間隔でまっさらなのに
建て替えている。式年遷宮とかいうやつ。

446:名無しさん@1周年
19/05/20 13:10:09.85 HC9OPBK20.net
>>417
むしろ縄文時代は海進期というのがあってもっと広かったと思うぞ

447:名無しさん@1周年
19/05/20 13:10:30.03 X0x1nnOm0.net
>>217
皇后は和珥の津から新羅征伐に向った。新羅王は恐れてすぐに降服し年毎の朝貢を誓い、それを知った高麗・百済も西蕃として朝貢することを誓った。

448:名無しさん@1周年
19/05/20 13:10:44.40 2FFixhkh0.net
畿内説のアホどもが
九州の豪族が畿内の女王を共立するわけないだろ
片道一ヶ月以上かかる所にいる占い師がそんなに九州で有名になってたのか?

449:名無しさん@1周年
19/05/20 13:11:43.76 XN9sTMCa0.net
>>425
そういうデタラメ情報は邪馬台国の怪みたいな素人同好会から得られたものだろ?
ちゃんと学者が書いた本を読みなって

450:名無しさん@1周年
19/05/20 13:11:55.91 X0x1nnOm0.net
>>39
荒田別・鹿我別を将軍として卓淳に遣り、百済とともに新羅を討ち、七国を平定した

451:名無しさん@1周年
19/05/20 13:12:40.42 X0x1nnOm0.net
>>47
時比利・辟中・布彌支・半古の四邑も自然と降服した。
62年新羅が朝貢しなかったので、襲津彦を派遣し新羅を討った。

452:名無しさん@1周年
19/05/20 13:13:04.34 Q0GP82Gx0.net
3世紀終わり頃の畿内に土器コレクターの資産家がいたのか知らんが
そんなもの邪馬台国とはなんの関係もない
そもそも九州の土器が殆ど見つかってないし話にならん

453:名無しさん@1周年
19/05/20 13:13:39.43 jUJYgKKC0.net
ちょっと引用。
参考になるかな?w
「箸墓古墳の前方部北側には、古墳築造に従事した人たちが日常的に使用していた土器類が多量に出土している。
発掘を担当した寺沢薫氏は、その年代を西暦280〜300年頃とされている。」
「歴史学者、京都教育大学名誉教授の和田 萃氏は
これまで、箸墓古墳について240〜248年に亡くなった邪馬台国の女王卑弥呼の墓とする
見解がよく知れれているが、土器の年代から1〜2世代後の人物の墓となる。日本書紀によれば、
生前から山陵を築いたとされるのは仁徳天皇のみである。
『魏志倭人伝』によれば、卑弥呼の宗女(同族の女性 姪か)である台与(とよ)を立てて王とし、
国中が遂に定まったと見える。しだがって台与の可能性がむしろ大きくなったとみるべきだろう。
と述べている。」

454:名無しさん@1周年
19/05/20 13:14:20.18 X0x1nnOm0.net
>>54
高麗人、百済人、任那人、新羅人がそろって来朝した。このとき武内宿禰に命じて韓人に池をつくらせた。

455:名無しさん@1周年
19/05/20 13:14:25.00 Z37VAxj20.net
URLリンク(i.imgur.com)

456:名無しさん@1周年
19/05/20 13:14:40.1


457:3 ID:i4AVlFtD0.net



458:名無しさん@1周年
19/05/20 13:15:21.23 k6qakKSB0.net
>>435
最近は畿内派でもトヨ説にシフトしてるようだね

459:名無しさん@1周年
19/05/20 13:15:44.36 OQb5QTrR0.net
>>421
倭の五王の時代にさきたま古墳群などがあるなら、それに抵抗する勢力はそうとうなもの
さきたま古墳群
URLリンク(tabi-rin.com)

460:名無しさん@1周年
19/05/20 13:16:02.67 8bZvBqmo0.net
>>423
そうなんや
勉強になります。ありがと

461:名無しさん@1周年
19/05/20 13:16:29.47 JIVBzwHe0.net
何度もいうが畿内が軍事強国化したのは4世紀後半から
3世紀の畿内勢力が倭国大乱の九州に侵攻するのは不可能
卑弥呼は100%畿内にいなかった

462:名無しさん@1周年
19/05/20 13:18:04.75 YjFH5ebU0.net
>>39
邪馬台国九州説は万2千里を細工しないと成立しない
テーマパーク吉野ケ里遊園地の楼観は唐古鍵遺跡出土の土器の線刻画を基に
捏造した
吉野ケ里遊園地に卑弥呼の時代楼観が有った証拠は無いw

463:名無しさん@1周年
19/05/20 13:18:10.72 X0x1nnOm0.net
>>388
百済阿花王が亡くなった。天皇は直支王に国に帰り王位を継ぐようにいい、東韓の地を賜った。8月、平群木菟宿禰と的戸田宿禰を加羅に派遣し新羅を討った。

464:名無しさん@1周年
19/05/20 13:18:11.14 fDsIXmaH0.net
>>440
時代が200年近くずれてるぞアホwww

465:名無しさん@1周年
19/05/20 13:19:19.13 k6qakKSB0.net
仮にトヨだとしても悪鬼のように攻めてくる狗奴(熊本)をどう防いだんやろか
奈良から福岡に号令するのって1ヶ月はかかりそうやね
ぼやぼやしてると福岡全滅だよ

466:名無しさん@1周年
19/05/20 13:19:33.29 X0x1nnOm0.net
>>211
11年この年、新羅人が朝貢した。
12年7月、高麗国が鉄の盾と鉄の的を貢上した。
17年9月、新羅が朝貢しなかったので、的臣の祖の砥田宿禰と小泊瀨造の祖の賢遺臣を派遣してその理由を訊くと、新羅人はすぐに貢献した。
53年5月、新羅が朝貢しなかったので、上毛野君の祖の竹葉瀨を派遣してその理由を訊いた。重ねて竹葉瀨の弟の田道を派遣し、新羅軍を潰した。

467:名無しさん@1周年
19/05/20 13:19:56.23 4DOvUJkz0.net
>>8
焚書な。

468:名無しさん@1周年
19/05/20 13:21:01.00 X0x1nnOm0.net
>>397
58年10月、呉国と高麗国がともに朝貢した。
42年正月、新羅王は天皇が亡くなったと聞き、調船80艘・楽人80人を貢上した。
百済の池津媛は天皇にそむき石川楯と密通した。天皇は怒り夫婦を焼き殺した。

469:名無しさん@1周年
19/05/20 13:22:13.56 zyFh/MZK0.net
>>446
仮に邪馬台国が畿内で箸墓古墳をトヨだとするなら狗奴も奈良県南部か和歌山の勢力にしないとw

470:名無しさん@1周年
19/05/20 13:22:39.08 CGRceLci0.net
>>387
魏志倭人伝良く読め。
倭国大乱(3C頭?)で、卑弥呼を倭国盟主・邪馬台の女王に「共立」し和議。
要するに、邪馬台が負け、男王禁止=覇権放棄を受諾。(覇権は奈良へ?)
よって、東遷なり在京なり、邪馬台が実際に大和朝廷に繋がる可能性は、ない。
4世紀、華北崩壊の隙に、邪馬台は滅ぼされ、奈良にその名と権威を奪われた。
東遷神話は、九州やまと(邪馬台)からの権威簒奪を正統化する為の作話。

471:名無しさん@1周年
19/05/20 13:23:08.92 k6qakKSB0.net
>>450
うむむw

472:名無しさん@1周年
19/05/20 13:23:27.55 HC9OPBK20.net
>>438
今の朝廷の意味は官僚機能が充実してるって事だから
全国にボコボコ古墳があること自体


473:が矛盾する しかもヤマトの古墳の方が古いと主張すればするほど後から 俺でもそんなの作れるわと張り合う各地の王族が多かったという事になる 王権だね



474:名無しさん@1周年
19/05/20 13:23:40.26 OQb5QTrR0.net
>>442
倭国大乱は2世紀です

475:名無しさん@1周年
19/05/20 13:24:20.95 X0x1nnOm0.net
>>358
百済加須利君は適稽女郎が殺されたので、女ではなく弟の軍君を日本へ送ることにした。軍君は孕んでいる加須利君の婦を妻に求め許された。6月、孕んだ婦が筑紫の各羅嶋で児を産んだので嶋君といった。すぐに船で百済に送らせた。これが武寧王である。
天皇は吉備上道臣田狭の妻を手に入れるため田狭を任那国司にした。

476:名無しさん@1周年
19/05/20 13:25:15.92 OQb5QTrR0.net
東海勢力は銅鐸文化圏であり邪馬台国の範囲内。狗奴国はそれよりも東とみるべき。

477:名無しさん@1周年
19/05/20 13:25:31.94 wbOwRII90.net
>>451
景行天皇やヤマトタケルや仲哀天皇が九州で戦ったのは熊襲
4世紀時点ですでに邪馬台国は滅亡してたのでは?

478:名無しさん@1周年
19/05/20 13:25:37.46 X0x1nnOm0.net
>>181
新羅は天皇に背き、高麗と好を修めていたが、ようやく新羅王は高麗の偽りを知り、任那王に日本府の救援を頼んだ。

479:名無しさん@1周年
19/05/20 13:26:34.84 VSztDPwF0.net
>>454
じゃあなおさら無理じゃん
畿内には二世紀の武器なんか皆無だし

480:名無しさん@1周年
19/05/20 13:26:53.84 X0x1nnOm0.net
>>169
任那王は膳臣斑鳩・吉備臣小梨・難波吉士赤目子に勧めて新羅を救いに往かせた。膳臣らは高麗軍を大破した。

481:名無しさん@1周年
19/05/20 13:27:18.89 YjFH5ebU0.net
>>402
礼文島より前に三内丸山遺跡出土の縄文人の歯から抽出した核ゲノムでDNA分析結果が出てる。
その結果縄文人は東アジアで非常にユニークな存在で
パプア・ニューギニア人と同じnodeから別れた。

482:名無しさん@1周年
19/05/20 13:27:22.77 utH6MKxr0.net
>>456
卑弥呼の時代
東海より東には原始人しか住んでない

483:名無しさん@1周年
19/05/20 13:29:20.62 k6qakKSB0.net
倭国大乱も朝鮮貿易の争いな気もする
時系列があれだが、後漢と仲良しのイト国あるいは奴国(福岡)が朝鮮貿易を独占
それに関与できないが腕力だけはある狗奴(熊本)が福岡を攻める
こんな構図だったのじゃね
ちなみに九州では2世紀鉄器を工具農具でどんどん使ってたから鉄の独占は大問題だったかと

484:名無しさん@1周年
19/05/20 13:30:14.48 X0x1nnOm0.net
>>347
天皇は紀小弓宿禰・蘇我韓子宿禰・大伴談連・小鹿火宿禰らに、新羅は歴代臣を称し朝貢してきたが、
新羅に天罰をおこなうようにと命じた。
紀小弓宿禰の子、紀大磐宿禰は新羅に行き威命をふるった。

485:名無しさん@1周年
19/05/20 13:30:16.92 +TmqkcF20.net
北部九州の磐井は王家で独立国なの
認めてる
磐井の範疇

486:名無しさん@1周年
19/05/20 13:30:25.05 AyrMTwx30.net
>>463
まあそこに畿内勢力が割り込む隙間はないわな
邪馬台国畿内説とかマジで意味わからん
狂ってるわ

487:名無しさん@1周年
19/05/20 13:31:44.92 k6qakKSB0.net
>>466
その頃畿内は良くて青銅器だもんね

488:名無しさん@1周年
19/05/20 13:31:59.39 X0x1nnOm0.net
>>379
高麗王は、百済国は日本国の官


489:家として久しく仕えているので逐除はできない、といった。 百済文斤王が亡くなった。天王は末多王を百済国の王とした。



490:名無しさん@1周年
19/05/20 13:33:17.49 YjFH5ebU0.net
歴史秘話ヒストリアによると卑弥呼は琵琶湖畔の集落で開催された部族長会議で邪馬臺国女王に推挙された。
邪馬臺国九州説は時代遅れ。

491:名無しさん@1周年
19/05/20 13:34:01.65 X0x1nnOm0.net
>>30
>>465
筑紫国の兵士500人を派遣し、国に護送した。これが東城王となった。
この年、百済の調賦はいつもより多かった。
筑紫の安致臣・馬飼臣らが水軍を率いて高麗を撃った。

492:名無しさん@1周年
19/05/20 13:34:19.07 k6qakKSB0.net
>>469
またすごいの出してきたなw

493:名無しさん@1周年
19/05/20 13:35:10.19 PsubEgq20.net
>>469
そこに九州の豪族はいたの?いなかったの?

494:名無しさん@1周年
19/05/20 13:35:21.19 NSHSm5PF0.net
確かに毛野は未開だったけど、
それよりも数倍未開の韓人でも帯方郡を攻撃したりしてるからなぁ

495:名無しさん@1周年
19/05/20 13:36:35.96 X0x1nnOm0.net
>>396
海外の諸蕃が遣使進調した。
阿閉臣事代は命をうけ、使いとして任那に行った。
日鷹吉士が高麗からもどり、工匠須流枳・奴流枳らを献上した。
百済が麻那君を派遣して進調した。
百済王が斯我君を派遣して進調した

496:名無しさん@1周年
19/05/20 13:37:16.84 YjFH5ebU0.net
>>467
五斗長垣内遺跡と出土品
://kuniumi-awaji.jp/heritage/07gossakaito/

497:名無しさん@1周年
19/05/20 13:39:32.54 YjFH5ebU0.net
>>442
卑弥呼の時代は平和だった

498:名無しさん@1周年
19/05/20 13:39:36.94 7PtFwlxQ0.net
倭国大乱の2世紀に畿内の国が楽浪郡や帯方郡と国交を結ぶのは無理

499:名無しさん@1周年
19/05/20 13:39:38.72 oC59HqNu0.net
>>463
その鉄をもたないクナがどう戦ったかだよね。

500:名無しさん@1周年
19/05/20 13:40:24.90 A1SUHYKP0.net
>>476
重要なのは卑弥呼が擁立された2世紀の畿内の軍事力

501:名無しさん@1周年
19/05/20 13:40:39.66 oC59HqNu0.net
>>457
熊襲が九州にある時点で
邪馬台国も九州にあったということだよね

502:名無しさん@1周年
19/05/20 13:41:07.22 HC9OPBK20.net
>>461
日本人のベースになってる縄文人が氷河期にでもやってきて
温かい火山に寄り添って狩猟採取生活でそれこそ1万年前から全土にいたのは別に否定してない
なので大陸で秦の統一など混乱が起きた頃から
西の方では紀元前には混血が始まっていておかしくないという話
>>379の言うような古墳時代にとかいうのは最近過ぎるという事

503:名無しさん@1周年
19/05/20 13:41:21.64 X0x1nnOm0.net
>>154
百済王が下哆唎国守穗積押山臣に、加羅の多沙津を百済朝貢の経由港に請うた。
この月、近江毛野臣を安羅に派遣し、新羅に対し南加羅・[口彔]己呑を建てるようにいった。
この月、任那にいる毛野臣に、任那と新羅を和解させるよう命じた。毛野臣は熊川にいて新羅(王佐利遲)と百済の国王を呼んだ。

504:名無しさん@1周年
19/05/20 13:41:38.45 Jw6Vpbpr0.net
なんでもかんでも
邪馬台国に結びつけようとするのは
どうかと思う。

505:名無しさん@1周年
19/05/20 13:42:09.65 Cutks+9C0.net
青銅の武器を持って片道1月以上かけて畿内から九州に殴り込んでもボコられて終わり
しかもその青銅の武器すらも殆ど見つかった無い
これが畿内説の現実

506:名無しさん@1周年
19/05/20 13:42:13.63 k6qakKSB0.net
崇神て皇女を大物主に嫁がせたりすごい苦労してる
実は蛇で皇女は死亡
これがモモソヒメ
日本中に号令する大王が皇女を蛇神に差し出すかなあ
実は奈良の田舎で土人(土蜘�


507:=jの懐柔に必死で苦肉の策じゃねーのか



508:名無しさん@1周年
19/05/20 13:43:36.18 Jw6Vpbpr0.net
>>484
そのうち銅鐸武器説が出てきそう

509:名無しさん@1周年
19/05/20 13:44:32.90 X0x1nnOm0.net
>>484
百済が下部脩徳嫡徳孫・上部都徳己州己婁らを派遣し、いつもの調を貢上した。
高麗・百済・新羅・任那が遣使貢献した。
百済聖明王が扶南の財物と奴二口を献上した

510:名無しさん@1周年
19/05/20 13:44:47.50 zEUfoUnj0.net
巻向って九州の土器が殆ど見つかってないんだよな
2世紀3世紀の畿内って九州と殆ど交流がなかったんじゃないの?

511:名無しさん@1周年
19/05/20 13:45:22.72 jUJYgKKC0.net
>>486
最近は桃の種を使った説が出てたw

512:名無しさん@1周年
19/05/20 13:45:24.73 OQb5QTrR0.net
>>466
畿内ではなく、出雲が切り込んだんでしょ。はっきり言うと、岡山、山陰、丹後、但馬、淡路島、
あたりには朝鮮半島から鉄を作る集団が断続的に渡ってきて豪族化していた。
ヤマタノオロチの伝説も鉄穴流しの跡だろうと言われている
鉄穴流し 砂鉄を採取するための溝
URLリンク(www.sanin-chuo.co.jp)

513:名無しさん@1周年
19/05/20 13:46:40.73 Q5eCRi1h0.net
どうせヤマト王権は倭人伝の黒歯国が裸国という現実wwwwwwwwwwww
崇神天皇は歯が黒いフルチンだったんじゃねーのか?wwwwww

514:名無しさん@1周年
19/05/20 13:48:34.41 Q5eCRi1h0.net
>>490
出雲で鉄の生産が始まったのってかなり後の時代だぞ

515:名無しさん@1周年
19/05/20 13:50:32.23 xBa+z3vN0.net
>>490
時代が全くマッチしてない件

516:名無しさん@1周年
19/05/20 13:53:29.78 Khw6Luug0.net
当時の九州の豪族が未開な畿内の女王に従うわけがない
当時の九州はどこも軍事強国

517:名無しさん@1周年
19/05/20 13:54:54.41 PWSYW2g80.net
畿内説はファンタジー過ぎる

518:名無しさん@1周年
19/05/20 13:55:11.46 pKsjW0Cy0.net
古代邪馬台国100王朝は剣山で復活する!!!!!!!!

519:名無しさん@1周年
19/05/20 13:56:08.56 X0x1nnOm0.net
>>494
津守連を百済に派遣し、任那の下韓にある百済の郡令城主を日本府に附けるようにいった
百済が中部奈率掠葉礼らを派遣し、調を献上した。
百済が前部徳率真慕宣文・奈率奇麻らを派遣し、救軍を乞うた。

520:名無しさん@1周年
19/05/20 13:57:04.15 0Jh424mb0.net
>>491
日本人とは思えない発言
九州説には外国人が相当混じってるだろ?

521:名無しさん@1周年
19/05/20 13:57:06.49 +VTlmWPH0.net
>>485
そのモモソは瀬戸内海では神扱いされてるけどな。これは箸墓が吉備や阿波の影響がみられる点からも証明済み。
モモソの父親は出雲で半島の土地をぶんどったとめた書かれている。
だから九州説のチョンはモモソが卑弥呼と認められないだよw

522:名無しさん@1周年
19/05/20 13:58:37.92 Jw6Vpbpr0.net
>>489
マジかよ
桃の種は当たったら痛そうだなw

523:名無しさん@1周年
19/05/20 13:59:07.18 +VTlmWPH0.net
>>498
最近もTBSが邪馬台国の番組で中国人使ってやらかしたからな、マジで九州説は工作目的だよ。

524:名無しさん@1周年
19/05/20 14:01:31.88 HC9OPBK20.net
北陸~九州辺りの各国の連帯のようなものはあったと思うがな
姫川流域や富山東部海岸産の翡翠が縄文時代から確実に流通してる訳だし

525:名無しさん@1周年
19/05/20 14:02:25.47 LNs/98jV0.net
>>499
モモソ姫の父親天皇もその父親天皇
九州に大遠征して勝ったなんて日本書紀のどこにもかかれていない件

526:名無しさん@1周年
19/05/20 14:03:39.58 u+PvnszS0.net
>>502
纏向遺跡から九州の産品は見つかってない
九州を通らずに朝鮮半島の帯方や楽浪と国交してたの?

527:名無しさん@1周年
19/05/20 14:05:01.39 N


528:DKMc6iZ0.net



529:名無しさん@1周年
19/05/20 14:05:40.42 HC9OPBK20.net
>>504
お前の頭の中の日本地図どうなってんだよ
北陸~九州は日本海側だけで繋がるだろうが

530:名無しさん@1周年
19/05/20 14:06:05.84 BOB1Bmrf0.net
>>228
魏志倭人伝を読め
倭国は牛も馬も羊もいないと書いてある

531:名無しさん@1周年
19/05/20 14:07:28.18 +TmqkcF20.net
筑紫王朝を滅ぼしたのが壬申の乱
だと思うのが妥当

532:名無しさん@1周年
19/05/20 14:07:32.57 XN9sTMCa0.net
>>498
九州説のやつらの書き込みみても、日本の学校で教育を受けた人ではなさそうなもの多いしな

533:名無しさん@1周年
19/05/20 14:07:51.62 X0x1nnOm0.net
>>485
>>503
百済は上部徳率科野次酒・杆率礼塞敦らを派遣し、軍兵を乞うた。
百済が上部奈率科野新羅・下部固徳汶休帯山らを派遣し、援軍の派遣、亡くなった的臣の代わりの派遣、そして弓馬を乞うた
百済が下部杆率将軍三貴・上部奈率物部烏らを派遣して救兵を乞うた

534:名無しさん@1周年
19/05/20 14:09:25.14 2k4yHiqi0.net
>>506
纏向からは九州の遺物が見つかってないし
九州の大乱をめるために必要な武器も見つかってない
そもそも帯方郡と国交があったなら大陸の遺物が見つかるはずだがそれも皆無
なぜこれで邪馬台国の跡だとか言えるのだろうか
わけがわかりません

535:名無しさん@1周年
19/05/20 14:10:12.04 jUJYgKKC0.net
>>509
どこの学校にも通ったことのない畿内説にはそう見えるんだろうよw

536:名無しさん@1周年
19/05/20 14:11:09.85 CGRceLci0.net
>>457
4世紀のどの時点で邪馬台が滅ぼされたかは不明だが、
4世紀下旬には、大和朝廷は三韓征伐に出ているから、
その前には、邪馬台を滅ぼし、熊襲も黙らせてるはず。

537:名無しさん@1周年
19/05/20 14:11:19.19 hBPILeLT0.net
纏向から九州の土器や財宝が見つからなかったのは致命的だね
これでよく畿内の女王を九州の豪族が共立したとかほざけるな

538:名無しさん@1周年
19/05/20 14:11:54.13 X0x1nnOm0.net
>>270
百済が下部杆率汶斯干奴を派遣し、竹斯島の兵士の派遣を要請。
余昌は敵に囲まれたが、弓の名手・筑紫国造の働きによって逃げることができた。

539:名無しさん@1周年
19/05/20 14:13:15.13 ZMJ6ddc80.net
>>513
違う違う仲哀天皇は熊襲にボコられて九州平定を諦めてる

540:名無しさん@1周年
19/05/20 14:13:26.50 +VTlmWPH0.net
>>511
巻向は邪馬台国の跡ではなく、邪馬台国の卑弥呼の祭祀場の跡だからなw

541:名無しさん@1周年
19/05/20 14:13:50.39 X0x1nnOm0.net
>>283
百済世子恵が帰国するとき、大量の兵器・良馬を与え、阿倍臣・佐伯連・播磨直を派遣して、筑紫国の水軍を率い、護衛して国に送った。別に筑紫火君を派遣して、勇士一千を率いて、彌弖まで護送した。港の路の要害の地を守らせた

542:名無しさん@1周年
19/05/20 14:14:10.71 k6qakKSB0.net
>>517
などと妄想を

543:名無しさん@1周年
19/05/20 14:14:45.97 VOoT03h80.net
>>517
んじゃさっさと邪馬台国のあとを見つけろよ畿内説www

544:名無しさん@1周年
19/05/20 14:14:57.29 HC9OPBK20.net
まぁw皇帝が下賜したモンが確実に卑弥呼に届いて喜んだとかの記述はないわなw

545:名無しさん@1周年
19/05/20 14:15:13.09 X0x1nnOm0.net
>>230
新羅が彌至己知奈麻を派遣して調賦を献上した
新羅が久礼叱及伐干を派遣して調賦を献上した

546:名無しさん@1周年
19/05/20 14:15:47.71 hJqXftou0.net
>>519
纏向のあたりに、
「ここは邪馬台国です」と書かれた看板でも出土したのかね?

547:名無しさん@1周年
19/05/20 14:16:25.50 gFPqTNrF0.net
そもそも畿内全域から2世紀3世紀の九州の土器がほぼ見つかってないんだよ
>>517
諦めろよ往生際が悪いぞ

548:名無しさん@1周年
19/05/20 14:16:38.84 +VTlmWPH0.net
>>503
出雲地方の伝承では孝霊天皇が月支国の大船団と戦った。
弥生時代の吉野ヶ里より遥かにデカい

549:名無しさん@1周年
19/05/20 14:17:38.74 ha5xuvra0.net
>>517
武器もない
九州や大陸の土器もない
こんな国がどうやって倭国大乱を鎮圧したのやら

550:名無しさん@1周年
19/05/20 14:17:50.00 Gm+deWbH0.net
>>103
漢倭奴=アイヌ

551:名無しさん@1周年
19/05/20 14:18:58.07 X0x1nnOm0.net
>>526
大将軍紀男麻呂宿禰は兵を率いて哆唎を出て、副将河辺臣瓊岳は任那に行った。紀男麻呂は新羅を破り百済に入った。

552:名無しさん@1周年
19/05/20 14:20:54.38 +VTlmWPH0.net
>>524
別に見つかる必要は何もないだろw
卑弥呼は鬼道使い、戦闘とは無縁だぞ。

553:名無しさん@1周年
19/05/20 14:21:13.28 +TmqkcF20.net
ヤマトタケルは九州倭王武がモデルで
武の娘が神功皇后
神武天皇のモデルも九州倭王武
九州倭王武は大阪を支配した
が神功皇后の後は政権交代して
磐井になった

554:名無しさん@1周年
19/05/20 14:21:37.66 vUoUE+m70.net
>>525
考霊天皇の時代にやっと出雲や吉備までしか領土が広がってないと推定されるね
倭国大乱の舞台の九州ははるか彼方だぞ?
ましてや帯方郡はさらに遠い

555:名無しさん@1周年
19/05/20 14:22:13.97 X0x1nnOm0.net
>>530
新羅が遣使して調賦を献上した
新羅が奴氐大舎を派遣して、前と同じ調賦を献上した
序列が百済の下だった

556:名無しさん@1周年
19/05/20 14:22:59.15 YjFH5ebU0.net
>>484
青銅の武器は青銅鐸、青銅鏡にリサイクルされた。
天皇家の三種の神器のひとつに鏡が入ってるのは卑弥呼以来の伝統。
青銅器は錆びて青さび色になってるが鋳造直後は金ピカなのだ。
唐古鍵からそう遠くない柳本の黒塚古墳から33枚の三角縁神獣鏡33面が出土した。
道教の道士も森や山に入る時必ず鏡を携行した。
中国語の妖精=日本語の妖怪変化が現れた時鏡に映せば
妖怪変化の正体が判るから。
支那の諺に「猪八戒照鏡子」という謎掛けがある。
「裡外不是人=鏡の内も外も人間じゃない」と解く。
その心は「這裡也対不起、那裡也対不起」こちらにも申し訳ないし、あちらにも申し訳ない。
つまり「板挟み」の状態であることを表わしている。

557:名無しさん@1周年
19/05/20 14:23:17.67 LnNRWYdS0.net
>>529
その鬼道とやらは500キロ以上離れた九州の戦乱を静める力があったの?
魔法使いかよw

558:名無しさん@1周年
19/05/20 14:24:06.13 WwuFnGgm0.net
>>533
青銅の武器では鉄で武装した九州の軍には勝てない

559:名無しさん@1周年
19/05/20 14:24:55.86 X0x1nnOm0.net
>>535
大将軍大伴連狭手彦を派遣し、兵数万をもって高麗を伐った。狹手彦は百済の計をもって高麗を打ち破った。

560:名無しさん@1周年
19/05/20 14:26:10.41 1oblOEG10.net
>>466
アホや
博多あたりだと中華朝鮮の属国のまま
だから畿内に日本独自の王国を作ったんだろ
その流れで大和朝廷、仁徳天皇に繋がるんだわ

561:名無しさん@1周年
19/05/20 14:26:16.69 YjFH5ebU0.net
>>504
朝鮮半島東海岸から竹島群島が見えるから
竹島群島はウリの領土だという下朝鮮人と同じ発想だなwww

562:名無しさん@1周年
19/05/20 14:26:29.73 0p0I+mFX0.net
畿内で鉄が見つからないのは帯方郡と交流がなかった何よりもの証

563:名無しさん@1周年
19/05/20 14:27:14.21 1cWZwzKB0.net
邪馬台国の最有力が奈良とか頭おかしいのか

564:名無しさん@1周年
19/05/20 14:27:16.35 HC9OPBK20.net
>>527
というか
漢 委奴 国王
漢が委る奴の国王でいいだろ
「親魏倭王」印が卑弥呼に送られたって倭人伝に書いてあるから委は倭やなって意味不明すぎだろ
福岡は奴国でいいんだよ文字違うんだから倭は関係ない

565:名無しさん@1周年
19/05/20 14:27:24.85 k6qakKSB0.net
>>533
中国ですぐ買える鏡で他の豪族もいっぱい持ってる

566:名無しさん@1周年
19/05/20 14:27:39.67 ApWTIqKK0.net
>>537
畿内に独自の王国があったのか知らんが
それは邪馬台国とはなんの関係もない国なんですけど?

567:名無しさん@1周年
19/05/20 14:28:03.08 uCkrN4f60.net
>>19
アホ過ぎ 一字もクソもない 名前が短かっただけで

568:名無しさん@1周年
19/05/20 14:28:41.72 WgchqWuM0.net
>>535
3世紀中頃から4世紀初頭にかけては鉄で武装したはずの北部九州の軍が負けちゃうのだから面白いねw

569:名無しさん@1周年
19/05/20 14:29:15.06 I0aeRORb0.net
>>4
古代君、日本の歴史には失われた150年が二度ほど逢ってだな
どーも森衛星にワープしていた見たいなんだ

570:名無しさん@1周年
19/05/20 14:29:36.73 v2+abV800.net
>>461
パプアニューギニア、もといオーストロネシアのハプロタイプOと
縄文人Dのそれは遠く離れているのだが。Oといえば、漢民族もミクロネシアも
台湾原住民系も含み、漢民族に至っては形質が北方系になっている。
それでも南方系のハプロタイプだ。
縄文人が南方系かどうかは分からんが、寒冷地に分布しながら形質が変わらなった。
年代的にも、アジアに到達した最初の人類の一つで、O系統はずっとあとにアジアに来た。

571:名無しさん@1周年
19/05/20 14:29:56.19 +VTlmWPH0.net
>>534
宗教の力とはそういうもんだろw
戦闘は北部九州、瀬戸内海や日本海沿岸でやるから畿内は無問題。
モモソや孝霊伝承でもそうなってるからなw

572:名無しさん@1周年
19/05/20 14:30:17.42 NDz/XxM30.net
>>545
いつ負けたの?
4世紀後半になっても大和朝廷の軍は九州の軍に負けて敗走してるけど?

573:名無しさん@1周年
19/05/20 14:30:17.51 k6qakKSB0.net
>>545
直接任那から鉄の仕入れに成功したんでしょね
崇神65 任那が朝貢

574:名無しさん@1周年
19/05/20 14:30:40.59 uCkrN4f60.net
>>8
アホやろお前 当時の朝鮮半島 ほぼほぼ中国漢人領土やないか

575:名無しさん@1周年
19/05/20 14:30:43.73 0Jh424mb0.net
単発IDで似たような書き込みが異常に続いてるけど、
ニュー速+名物の複数回線で自演か

576:名無しさん@1周年
19/05/20 14:30:46.37 1oblOEG10.net
そもそも邪馬台国は倭の中の小国の1つに過ぎない
邪馬台国が後の大和王権に繋がるわけじゃない

577:名無しさん@1周年
19/05/20 14:31:09.31 izO0GZkg0.net
>>548
え?考霊天皇は九州まで到達できてないが?

578:名無しさん@1周年
19/05/20 14:31:16.21 X0x1nnOm0.net
>>508
>>549
新羅が遣使進調した
百済が遣使進調した
天皇は皇子と大臣に任那のことを怠らないようにといった。

579:名無しさん@1周年
19/05/20 14:31:42.59 k6qakKSB0.net
>>553
そもそも中国が言う倭国とは女王国(九州)のことじゃね

580:名無しさん@1周年
19/05/20 14:31:46.30 BOB1Bmrf0.net
『旧唐書』を見る限り、「倭国」と「日本」は
別の国と考えざるを得ません。なぜなら、
『旧唐書』「東夷伝」には「倭国」と「日本」
と、別々の条が建てられているからです。
それでは、『旧唐書』「倭国伝」にはどう描か
れているかというと、次のようになっています。
倭国は古の倭奴国なり。京師を去ること 一万
四千里、新羅東南の大海の中にあり、 山島に
依って居る。
東西は五月行、南北は三月行。世ヽ中国と通ず。
其の国、居るに城郭なく、木を以て柵を為(つく)
り、草を以て屋を為る。四面に小島、五十余国
あり、皆焉(こ)れに附属す。
其の王、姓は阿毎氏なり。一大率を置きて諸国
を検察し、皆これに畏附す。官を設くる十二等
あり。その訴訟する者は、匍匐して前(すす)む。
地に女多く男少なし。すこぶる文字あり、俗、
仏法を敬う。並びに皆跣足なり。幅布を以てそ
の前後を蔽(おお)う。貴人は錦帽を戴き、百姓は
皆椎髻(ついけい)にして冠帯なし。婦人の衣は
純色、裙を長くして腰に襦、髪を後に束ね、
銀花長さ八寸なるを佩ぶること、左右各々数枝
なり、以て貴賤の等級を明かにす。衣服の制は
、すこぶる新羅に類す。
貞観五年、使を遣わして方物を献ず。太宗その
道の遠きを矜(あわれ)み、所司に勅して歳ごとに
貢せしむるなし。また新州の刺使高表仁を遣わ
し、節を持して往いてこれを撫せしむ。表仁、
綏遠の才なく、王子と礼を争い、朝命を宣べず
して還る。
二十二年に至り、また新羅に附し表を奉じて、
以て起居を通ず。

これは、明らかに「日本(=大和)」ではあり
ません。地理的に、大和は「四面に小島、五十
余国あり、皆焉(こ)れに附属」している「山島」
国家ではありません。むしろ、これは、九州を
表していると考えられます。

581:名無しさん@1周年
19/05/20 14:31:48.49 +1bvgL5k0.net
>>64
倭人伝にあるあの行程の記述、本当に張政のレポートが元資料か?

582:名無しさん@1周年
19/05/20 14:31:58.36 +VTlmWPH0.net
>>539
でも紀伊半島に丹はあるから倭人伝の記述に 問題無しw

583:名無しさん@1周年
19/05/20 14:32:08.70 HC9OPBK20.net
>>544
まぁ奴ではなく委奴かもしれんけどな
漢が右側にドーンと書いてあって
真ん中に委奴
左に国王
って判子だし

584:名無しさん@1周年
19/05/20 14:32:40.55 YjFH5ebU0.net
>>539
鉄は貴重な資源だからリサイクル
淡路島五斗長垣内遺跡
弥生時代後期(すなわち卑弥呼の時代)の鉄器生産遺跡。古代国家成立に重要な役割を果たした鉄器文化を
畿内に先駆けて取り入れたことを示す遺跡。大規模な工房跡や多数の鉄器が出土

585:名無しさん@1周年
19/05/20 14:32:41.19 QtFHbqdS0.net
>>555
卑弥呼の時代に百済なんぞ存在してない

586:名無しさん@1周年
19/05/20 14:32:57.82 pwTng22W0.net
福岡の伊都国近くに二見ヶ浦がある
それは伊勢にある二見ヶ浦より立派
そしてその二見ヶ浦の近くに「志摩」という地名がある
これは伊勢の近くにある志摩と同じ感じ
伊都周辺の人が畿内へ移動したんだろうな

587:名無しさん@1周年
19/05/20 14:33:10.67 1oblOEG10.net
>>543
なぜ大阪の堺に世界最大の古墳があるんだ??
何で九州にはないのか
良く考えて勉強してくれ

588:名無しさん@1周年
19/05/20 14:33:18.50 k6qakKSB0.net
イトは糸島郡
金印が出た場所だね

589:名無しさん@1周年
19/05/20 14:33:48.81 k6qakKSB0.net
>>564
また4世紀からワープっすか

590:名無しさん@1周年
19/05/20 14:34:01.79 KhIapHQZ0.net
>>561
百歩譲ってリサイクルしたとしても
畿内には九州の土器や朝鮮半島の土器がない

591:名無しさん@1周年
19/05/20 14:34:09.17 +VTlmWPH0.net
>>554
阿蘇一宮は何故か孝霊の創建とかなw

592:名無しさん@1周年
19/05/20 14:34:22.88 fC2FVLu30.net
>>439
邪馬台国って答えだけ根拠無く決めてるから年代に合わせ


593:てコロコロ答え変えるぜ!



594:名無しさん@1周年
19/05/20 14:35:13.61 DVVITM6K0.net
>>564
は?堺の古墳は卑弥呼の時代よりも二百年後だぞ死ねよ

595:名無しさん@1周年
19/05/20 14:35:23.80 X0x1nnOm0.net
>>567
>>557
新羅が遣使進調した。あわせて多々羅・須奈羅・和陀・発鬼の四つの邑の調を進上した。
新羅が枳叱政奈末を派遣して進調した。
新羅が安刀奈末・失消奈末を派遣して進調した

596:名無しさん@1周年
19/05/20 14:35:27.00 BOB1Bmrf0.net
『旧唐書』「日本伝」には、倭国との関係について、次のように書かれてあります。
日本国は倭国の別種なり。
その国日辺にあるを 以て、故に日本を以て
名とす。
或いは曰う、「倭国自らその名の雅ならざるを
悪(にく)み、改めて日本となすと。
或いは云う、『日本は旧(もと)小国、倭国の地を
併せたり』と。
その人、入朝する者、多く自ら 矜大(きょうだい)、実を以て対(こた)えず。
故に 中国焉(こ)れを疑う。
又云う、『其の国の界、東西南北各々数千里
あり、西界南界は咸(み)な大海に至り、東界北界は 大山ありて限りをなし、山外は即ち毛人の国なり』、と」

ここでの「日本」は、「近畿天皇家」と解釈
してよいでしょう。「神武天皇」以来、「万世
一系」の大和王朝です。
日本は倭国の「別種」であり、また、「小国」
と呼ぶ人もいたようです。
そして、肝心なことは、倭国は「世ヽ中国と通
ず」とありますが、日本にはそのような痕跡が
ないことです。
つまり、「邪馬台国」や「和の五王」は、近畿
天皇家とは無縁の話ではないか、ということが
考えられます。(『古事記』や『日本書紀』に
も、推古天皇の頃までの間、中国に正式な使者
を送ったとする記録は、ない。尚、『新唐書』
には「日本は用明天皇の頃に初めて中国と国交
を持った」という意味のことが書かれてある)

597:名無しさん@1周年
19/05/20 14:35:27.57 k6qakKSB0.net
>>569
まあトヨにしても奈良にいるわけなく普通に福岡でしょね

598:名無しさん@1周年
19/05/20 14:35:38.31 ee2iX61g0.net
>>319
へぇ~~!!

599:名無しさん@1周年
19/05/20 14:36:21.22 HC9OPBK20.net
>>564
仁徳天皇記にある通り難波の堀江の開削と茨田堤という河川工事して土砂が出たのを積んだからだろ
よく考えるまでもない

600:名無しさん@1周年
19/05/20 14:37:02.44 hJqXftou0.net
>>573
卑弥呼と台与は親子じゃないのになw
万世一系とは矛盾するのに畿内説ってそういう部分は気付かないんだよな

601:名無しさん@1周年
19/05/20 14:37:49.06 1oblOEG10.net
>>570
二百年前に畿内に古代王権があったからこそ大阪に仁徳天皇陵があるんだよ
お前が死んどけ

602:名無しさん@1周年
19/05/20 14:38:06.75 LasE/lKl0.net
>>564
まーた卑弥呼の時代とは全く違う時代背景のものを出してきよったわ
畿内説の人って例外なく弥生時代の知識がない

603:名無しさん@1周年
19/05/20 14:38:14.78 X0x1nnOm0.net
>>572
>>573
天皇は百済に紀国造押勝と吉備海部直羽嶋を派遣して日羅を呼んだ。
百済国王は日羅を惜しんで承知しなかった。
この年、再び吉備海部直羽島を百済に派遣し日羅を呼んだ。
百済国王は天朝を畏れて敢えて勅に背かなかった

604:名無しさん@1周年
19/05/20 14:38:30.60 BOB1Bmrf0.net
>>576
www 墓穴って奴か!

605:名無しさん@1周年
19/05/20 14:38:48.96 fC2FVLu30.net
>>338
九州の滅びた国のシャーマンの墓なんかとっくに潰されてるわな

606:名無しさん@1周年
19/05/20 14:39:02.29 YjFH5ebU0.net
>>527
「倭奴」は漢代の漢字音で「をみな」「をうな」と読める。
奈良時代の万葉集や平安時代中期に作られた和名類聚抄には
「ん」を表わす万葉仮名がない。
「をみな」「をうな」が後の時代に「をんな」「おんな」と変化した。

607:名無しさん@1周年
19/05/20 14:39:11.00 hJqXftou0.net
>>577
その墓を作るときに、その周辺が空き地だったからだろ
人がいっぱい住んでたら、用地交渉大変だぞ

608:名無しさん@1周年
19/05/20 14:39:32.28 k6qakKSB0.net
>>576
とにかく有名人は纒向にいてほしい、いやいるはずだ
もはや学問でなくオカルトですわ

609:名無しさん@1周年
19/05/20 14:40:12.82 NGQDoRoc0.net
ある時期(三世紀後半)から畿内が鏡祭祀全盛になったことは確かだけどそれ以前があまりにも何もない
唐子鍵はその穴を埋める遺跡だけど、どう考えても弥生の連合センターで銅鐸文化
これが俺が畿内説から九州説に鞍替えした理由
もっと根元的な祭祀の痕跡があったら畿内説に戻ってやってもいいけどね
天照や女王文化、それに鏡祭祀の発祥は間違いなく九州文化

610:名無しさん@1周年
19/05/20 14:40:25.35 LasE/lKl0.net
>>577
畿内に古代王権があった=邪馬台国が畿内にあった

これが畿内説の頭の悪い証明
4世紀の時点で大和朝廷は九州を平定できてないのは日本書紀を見ても明らかだろ?
倭国大乱は九州の大乱だぞ?
大和朝廷と邪馬台国はなんの関係もない

611:名無しさん@1周年
19/05/20 14:40:43.34 +TmqkcF20.net
記紀で神功皇后以前は
九州倭国の歴史
のパクり

612:名無しさん@1周年
19/05/20 14:41:06.40 1oblOEG10.net
>>583
九州も空き地だらけだぞ
日本国中空き地だらけだ
なぜ大阪に仁徳天皇陵があるのか
答えはそれだ

613:名無しさん@1周年
19/05/20 14:41:34.72 41Xfvtmo0.net
>>577
九州説の人も畿内にそれなりの勢力があったのは否定してない
だがそれを邪馬台国だと言ってしまうのは無理がありすぎる

614:名無しさん@1周年
19/05/20 14:42:10.82 hJqXftou0.net
>>588
東遷説っていう奴だろうなぁ

615:名無しさん@1周年
19/05/20 14:42:25.01 wYIZNzKP0.net
>>588
だから仁徳天皇陵は5世紀な?
卑弥呼は2世紀後半から3世紀前半

616:名無しさん@1周年
19/05/20 14:42:25.72 BOB1Bmrf0.net
>>584
どうせ、金目当てでしょ?
まあ、金目で研究者達が畿内説を唱えるのはわかるけど、
5ちゃんで、畿内説を唱える人は頭オカシイ

617:名無しさん@1周年
19/05/20 14:42:26.06 pwTng22W0.net
邪馬台国は滅びたのよ
武力でなく卑弥呼の占いで国や周辺の村々をまとめてただけだから
卑弥呼がいなくなれば終わり
だから文献等もロクに残ってない
昔の巫女の墓なんて後世で大事にされるわけもない
畿内のヤマトは別物で無関係

618:名無しさん@1周年
19/05/20 14:43:03.57 X0x1nnOm0.net
>>587
>>592
>>586
紀男麻呂宿禰・許勢猿臣・大伴囓連・葛城烏奈良臣を大将軍とし、
二万余の軍をもって出向いて筑紫に軍を構え、
吉士金を新羅に、吉士木蓮子を任那に送った

619:名無しさん@1周年
19/05/20 14:43:34.74 v2+abV800.net
崇神天皇の時代が、邪馬台国とヤマト王権の交代時期にあたるのは間違いない。
記紀によればモモソヒメはそれよりも3代も前の人物にあたる。
彼女の弟が吉備を征伐し、ヤマト王権の傘下に入れている。これをどう考えたらよいか分からない。
邪馬台国の立場の不安定さを鑑みれば、吉備のような大国を征伐するような戦は起こせようがない。
吉備征伐は、崇神天皇以降の出来事と思えるのだが。
崇神天皇、邪馬台国から政権を奪い、国内を整えようというときに半島に手を伸ばして朝貢までさせている。
このあたりの変動が本当に分からない。

620:名無しさん@1周年
19/05/20 14:43:34.79 HC9OPBK20.net
>>577
奈良なんて場所に居たらダメだってんで
難波に都作ってそれからようやく水運に力を入れてるから
そしたらヤマトは栄えて奈良に固執しなかった仁徳天皇って偉大だなとなった
つまり奈良は周辺に影響持つのに出クソ過ぎて民家から米を炊く煙も見えない程困窮してたから
遷都し仁徳天皇陵ができたと少なくとも日本の正史には書いてある

621:名無しさん@1周年
19/05/20 14:43:37.64 mx51VKMt0.net
>>593
日本書紀を見る限り4世紀の九州は熊襲に支配されてたようだしそうなんだろう

622:名無しさん@1周年
19/05/20 14:44:12.78 1oblOEG10.net
>>586
じゃなぜ仁徳天皇陵みたいな墓は大阪でしか造れなかったんだ?
なぜ九州にないのか

623:名無しさん@1周年
19/05/20 14:44:31.88 fC2FVLu30.net
>>577
こいつ頭悪すぎて笑えない

624:名無しさん@1周年
19/05/20 14:44:44.23 oKXiI+6t0.net
>>595
卑弥呼の時代の吉備は九州からするとかなりの弱小国
なぜなら鉄の武器がないから

625:名無しさん@1周年
19/05/20 14:44:58.29 GxdS293X0.net
>>88
7万戸にリアリティを感じられる根拠こそ知りたいわ

626:名無しさん@1周年
19/05/20 14:45:00.90 VGJB6O6r0.net
ウンコが『旧唐書』を唱えた

627:名無しさん@1周年
19/05/20 14:45:10.07 BOB1Bmrf0.net
>>593
滅びたというよりは、唐の時代には
再び奴国が朝貢を始めてるから、奴国に
飲み込まれて消滅したんじゃね?

628:名無しさん@1周年
19/05/20 14:45:25.64 YjFH5ebU0.net
>>576
万世一系なら壬申の乱、南北朝の対立は起こらなかっただろうな。
オマエだけだよ万世一系を信じてるのはw

629:名無しさん@1周年
19/05/20 14:45:56.38 jUJYgKKC0.net
九州でよく出土する硯が何を意味するのか?
「奴国が、文字文化もある重要な場所だったことを示す史料になる」
URLリンク(www.nishinippon.co.jp)
「弥生時代中期中ごろから後半(紀元前2世紀末~前1世紀)に石製の硯を製作していたことを示す遺物が、
 北部九州の複数の遺跡にあったことが、柳田康雄・国学院大客員教授(考古学)の調査で明らかになった。」
URLリンク(mainichi.jp)
同時期の畿内は土器造り、墓づくりに専念する土人だったのか?
畿内遺跡において政府機能を有した根拠を示す出土品は無し。
畿内説の根拠といえば何ちゃらの一つ覚えの土器だが、土器で政治は出来ないからw

630:名無しさん@1周年
19/05/20 14:46:23.69 qw92ZMMI0.net
>>598
卑弥呼と同じ時代のあの曹操の墓ですら質素なんだが?
戦乱の九州で無駄にでかい墓を作る金があるなら武器を買いそろえるわ

631:名無しさん@1周年
19/05/20 14:46:52.61 VGJB6O6r0.net
奈良に固執しなかった仁徳天皇って偉大ニダ
結局、奈良に戻るんですけどね

632:名無しさん@1周年
19/05/20 14:47:08.60 8bZvBqmo0.net
委奴国(イトコク)
が糸島の可能性はないのかな?

633:名無しさん@1周年
19/05/20 14:47:28.88 VGJB6O6r0.net
曹操の墓ですら質素ニダ
曹操自身がそうしろと言ったから

634:名無しさん@1周年
19/05/20 14:47:29.53 GxdS293X0.net
>>40
余りにも無茶な記述が多いので信憑性ゼロと判断してたが、張政の記述をさっ引いて考えれば良いのね成程

635:名無しさん@1周年
19/05/20 14:47:33.19 hJqXftou0.net
>>604
万世一系を信じてるアホだから邪馬台国は畿内に存在しないといけないというおかしな考えになるんだろうに
俺は万世一系とは無関係に
邪馬台国は九州に存在したと考えてる
EU連合と同じだ
EU諸国の一つに後の畿内大和政権となる小国が含まれてるという単純な話だ

636:名無しさん@1周年
19/05/20 14:48:26.45 5uC7m1wh0.net
>>598
徳川家康や豊臣秀吉の墓を見に行け
自ずと答えが見えてくる

637:名無しさん@1周年
19/05/20 14:48:27.95 fC2FVLu30.net
>>597
もともと狗奴国にいつ負けてもおかしくない状態だったし、狗奴国=熊襲かね?

638:名無しさん@1周年
19/05/20 14:48:46.45 uCkrN4f60.net
邪馬台国東遷説が正しいらしい 笠置山、三輪、田原など被ってる名前多すぎ 地理的配置も似てるよ 諦めて欲しいね

639:名無しさん@1周年
19/05/20 14:49:08.88 VGJB6O6r0.net
魏志じゃ、奴国はスルー
別物に変わったしまったか、邪馬台国の方が重要なんで無視したか

640:名無しさん@1周年
19/05/20 14:49:14.11 X0x1nnOm0.net
>>611
百済王が王子阿佐を使わして朝貢した
新羅が孔雀一羽を貢上した
百済が駱駝一匹・驢一匹・羊二頭・白雉一羽を貢上した

641:名無しさん@1周年
19/05/20 14:50:13.05 VGJB6O6r0.net
大和王朝九州征服説が正しいらしい 笠置山、三輪、田原など被ってる名前多すぎ 地理的配置も似てるよ 

642:名無しさん@1周年
19/05/20 14:50:35.98 0KUhuNme0.net
>>609
そうそう

643:名無しさん@1周年
19/05/20 14:50:39.21 +1bvgL5k0.net
>>111
あったとすれば、でなくあった。
間違いなく舟で海からそこまでいけた。
隋の時代の使者も飛鳥近くまで船旅だし、仏教伝来の地も桜井市。

644:名無しさん@1周年
19/05/20 14:50:55.55 0KxPoPFM0.net
旧唐書のヤマト人と日本人が喧嘩を始めたって記述はどうなの?

645:名無しさん@1周年
19/05/20 14:51:03.65 HC9OPBK20.net
>>607
そこからは完全に半島から来た都市建設様式になるニダウェーハハハ
こうですかね

646:名無しさん@1周年
19/05/20 14:51:14.56 BOB1Bmrf0.net
>>615
倭国大乱で相当体力を消耗したんだろう

647:名無しさん@1周年
19/05/20 14:51:50.74 uCkrN4f60.net
九州は楽浪郡で中国の官位もらって部下になってたからでかい墓作る気にはならんでしょ
つまり仁徳天皇陵とは死皇帝並みの巨大な墓作ってるのは トライゲートしても 中国の 報告ラスト

648:名無しさん@1周年
19/05/20 14:51:53.59 YjFH5ebU0.net
>>607 天智天皇も近江に都を構えた。
>>608
「奴」をトやドと読むのは李淵が建国した唐王朝の長安の漢字音
時代錯誤も甚だしい。
時代考証が出来ないのは朝鮮人と邪馬臺国九州派www

649:名無しさん@1周年
19/05/20 14:52:32.78 hoeISABz0.net
まぁ邪馬台国と大和朝廷は別の国だわな

650:名無しさん@1周年
19/05/20 14:52:33.04 k6qakKSB0.net
>>597
なるほど

651:名無しさん@1周年
19/05/20 14:53:09.29 XN9sTMCa0.net
>>601
正確な数字でなく、そんなの目安で十分
それなりの広域でまとまった文化圏のところを探すだけ

652:名無しさん@1周年
19/05/20 14:53:40.75 pwTng22W0.net
今の天皇の三種の神器の「勾玉・刀剣・鏡」
これらが祭祀などで使われてて、それら3つが出土されたのって九州北部が中心って本当?

653:名無しさん@1周年
19/05/20 14:53:55.63 uCkrN4f60.net
仁徳天皇陵とか始皇帝陵並みの巨大な墓作ってるのは 渡来系としても 元々中国なら国家を運営していた 王侯につながる超有力な一族だったと思う

654:名無しさん@1周年
19/05/20 14:54:10.45 ok8/kg0m0.net
2世紀の畿内には鉄の武器がない
これでは九州の倭国大乱の鎮圧は不可能

655:名無しさん@1周年
19/05/20 14:54:14.85 45le8wmB0.net
倭国大乱の鉄剣を捨てて卑弥呼の時代に移行したんだから、3世紀半ばに武器は減っていたでしょう。
その状況で戦争が勃発したら、女王国に属さなかった鉄剣崇拝国は簡単に勝てたはず。

656:名無しさん@1周年
19/05/20 14:54:58.27 VGJB6O6r0.net
半島の都市建設様式?
ウンコ新羅は、条坊制施行としたが、地積がないわね
左:理想 右:現実
URLリンク(www.nabunken.go.jp)

657:名無しさん@1周年
19/05/20 14:54:58.46 1oblOEG10.net
>>596
それこそ日本という国が出来た瞬間だな
要するに博多あたりに王国があると朝鮮半島と目と鼻の先、いつ攻め滅ぼされてもおかしくない
だからこそ畿内に王国を造った
しかしながら貿易は大陸半島とやりたい
そう考えると瀬戸内海を過ぎて大阪湾にたどりつく
国を繁栄させるには大阪が適切だと仁徳天皇は考えたのだろう

658:名無しさん@1周年
19/05/20 14:55:28.96 NGQDoRoc0.net
そもそも
渡来系弥生民である出雲系は内陸縄文人と同化し土着
一方北九州の倭国も渡来系弥生民が多いとされる
だが海人系は北九州弥生民と結び付いた縄文系倭人の可能性が高く、得意とする航海術と沿岸移動で拠点を転々とした
これらの畿内で結び付いた勢力は混成倭人といっても良い民族的融合を果たしたのだと思っている
その証拠に純度の高い大陸文化があまり見られず当時から独特のガラパゴス化が始まっているw

659:名無しさん@1周年
19/05/20 14:55:33.23 HC9OPBK20.net
>>617
征服した敗者の地名を移植しないでしょ
リスペクトするなり気を使ってるから地名を近畿に移植してる
倭国の首都はヤマトであるべきって事で
元々の愛着がある地名も捨てて引き受けるってのは割と謙虚だと思うけどな

660:名無しさん@1周年
19/05/20 14:55:35.94 k6qakKSB0.net
>>610
そもそも2通りの記事を合わせたと昔から言われてるよね
信用できるのは女王国内(北部九州)で
そっから先は女王国の役人も敵国であるから伝聞でしょね

661:名無しさん@1周年
19/05/20 14:55:37.37 uCkrN4f60.net
>>617
アホやろ どちらが先かぐらい日本の考古学者も分かってるよ?

662:名無しさん@1周年
19/05/20 14:56:15.40 WgchqWuM0.net
>>549
伝統的祭祀であり、民族のアイデンティティーでもある墓の形態が他の地域のものに置き換わるのは、
別の国に負けて支配者が変わった立派な証拠だよ
それとその証拠は?>4世紀後半になっても云々
記紀なんて創作話は証拠にはならんからね

663:名無しさん@1周年
19/05/20 14:56:42.32 X0x1nnOm0.net
>>629
境部臣を大将軍とし、穗積臣を副将軍とし、新羅を撃ち、五つの城を攻め落とした。
新羅王は多々羅・素奈羅・弗知鬼・委陀・南迦羅・阿羅々の六城を割いて降服した。
新羅は遣使貢調し、以後毎年の朝貢を誓った。

664:名無しさん@1周年
19/05/20 14:56:47.46 0Zi6pa8m0.net
>>631
なぜ倭国大乱が起きてた九州の豪族が往復に何ヵ月もかかる未開な軍事弱国の畿内の女王を共立したんですか?
そんな連合だと簡単に裏切るやつが現れると思うんですけど?

665:名無しさん@1周年
19/05/20 14:56:52.58 uCkrN4f60.net
東遷説で決着か ついに

666:名無しさん@1周年
19/05/20 14:58:17.30 BOB1Bmrf0.net
>>641
東遷だと、九州に攻め込む理由がない

667:名無しさん@1周年
19/05/20 14:58:33.35 VGJB6O6r0.net
往復に何か月もかかるニダとか言われても・・・
結果、そうなってるじゃん

668:名無しさん@1周年
19/05/20 14:58:34.32 k6qakKSB0.net
>>633
そうかもしれないがちょっと違うんじゃね
仁徳の頃は朝鮮はそんなに強くない
防衛に必死になるのは白村江で負けてからだと。

669:名無しさん@1周年
19/05/20 14:59:07.81 DW7rup2q0.net
吉野ヶ里遺跡というのは、当時、大陸からやって来た建築職人とその営業使節で構成された建棟使が開いた今で言うところの巨大な住宅展示場だよ。
関東か東北のエラい先生が言っていた。
当時は海を渡ってやって来た使節団をいきなり都に入れたりせずに、離れた地に一定期間逗留させて、人となりを見て安全保安上の策とした。
都入りを許される場合であっても、全員を入れるのではなく、特に許された数名が控えの官吏と共に都に入れたのだ。
必然、この地に逗留する事になるが、その時の住居としても役立った訳だ。もちろん、目的は建築を通じた交易だが、自然発生的に生まれた吉野ヶ里ニュータウンは、当時の支配層にも好評を得たと言うのが真相なんだよ。

670:名無しさん@1周年
19/05/20 14:59:22.86 HC9OPBK20.net
>>637
少なくとも纏向の東から大和は3世紀過ぎるまで湖の下だからな

671:名無しさん@1周年
19/05/20 14:59:44.99 1oblOEG10.net
>>617
それが正しいだろうな

672:名無しさん@1周年
19/05/20 15:00:46.92 mbRnP9Sb0.net
>>638
じゃあ天皇家を神格化するための日本書紀に九州平定という歴史的大事実を書かなかったのはなぜなんだよ
4世紀時点で九州平定出来てたなら
4世紀後半の仲哀天皇が熊襲に負けただの
ヤマトタケルが熊襲と戦っただの
景行天皇が熊襲征伐に遠征しただの
書かないだろ

673:名無しさん@1周年
19/05/20 15:01:08.58 X0x1nnOm0.net
>>634
>>648
大興王が、黄金三百両を貢上した。
新羅は沙[口彔]部奈末北叱智を派遣し、
任那は習部大舎親智周智派派遣し、ともに朝貢した。

674:名無しさん@1周年
19/05/20 15:01:21.04 WgchqWuM0.net
>>646
纏向の東から大和は湖???
纏向の東は山地で、纏向も大和の領域だが

675:名無しさん@1周年
19/05/20 15:02:06.13 v2+abV800.net
ヤマト朝廷で陵墓を作るのは吉備や出雲の部民だ。姓で分かる。
邪馬台国の滅亡、ヤマト王権の誕生、巨大陵墓の出現、3代前に服属されられた吉備、
銅鐸系祭祀(これも吉備出雲の力が大きい)の消滅・・・3世紀の倭国で何が起こった。

676:名無しさん@1周年
19/05/20 15:02:19.43 1oblOEG10.net
>>644
朝鮮が強くなかったとか後世の人間が言える事で当時の人らは1番の脅威だったわけだ
朝鮮半島が

677:名無しさん@1周年
19/05/20 15:02:46.24 zyFh/MZK0.net
神武東征は日向出身の豪族が後々朝廷内で力をつけてルーツを書き換えた説

678:名無しさん@1周年
19/05/20 15:03:15.41 WgchqWuM0.net
>>648
蘇我が国書などの公文書を焼いちゃったからだろ?
いずれにしても記紀は記念物的創作物だから意味がない
考古学の話をしているのだから、考古学で返せ

679:名無しさん@1周年
19/05/20 15:04:30.77 jUJYgKKC0.net
>>617
TBS見てなかったのか?w
倭人文化において地名は地形に影響されていた。
同じ倭人の住む領域なら、同じような地名が散見されるのは当たり前。
地名移設論なんてちょっとオカルトに近いぞw

680:名無しさん@1周年
19/05/20 15:04:34.79 HC9OPBK20.net
>>650
反対だったな西な、西、必死に?マークなんて付けなくても知ってんだろ?
東じゃねーよ西の盆地の大半が湖の底で地名はそれが無くなって付けたんだよ
って言ってくれればいいのに

681:名無しさん@1周年
19/05/20 15:04:49.84 BOB1Bmrf0.net
>>645
矢が刺さった遺体とか首の無い遺体とか
物騒な住宅展示場だなwww

682:名無しさん@1周年
19/05/20 15:04:58.20 k6qakKSB0.net
>>652
というか倭の五王は朝鮮を侵略してるほうだよ
この頃危機感を感じたかなあと。

683:名無しさん@1周年
19/05/20 15:05:28.99 +1bvgL5k0.net
>>241
三韓征伐は高句麗との戦いの記述ないけど
好太王碑では北上してきた倭国軍を撃退したと書かれてるんだよな。
要するに新羅には勝ってるが高句麗には負けてる。
高句麗軍の軍馬の力を思い知らされ、大和朝廷はこれを契機に馬を技術導入した?


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