【奈良】ヤマト王権誕生の礎、唐古・鍵遺跡 埋文センター長が本執筆、邪馬台国の最有力候補地「纒向遺跡」との関係など考察★5at NEWSPLUS
【奈良】ヤマト王権誕生の礎、唐古・鍵遺跡 埋文センター長が本執筆、邪馬台国の最有力候補地「纒向遺跡」との関係など考察★5 - 暇つぶし2ch2:名無しさん@1周年
19/05/20 07:24:36.01 hcjIGs2r0.net
歌謡曲を愚弄してAKBエグザばっかり流してきたせいでこの体たらくなのに、結局懐メロ歌謡曲にすがるマスゴミ死ねよ

3:名無しさん@1周年
19/05/20 07:27:31.33 9aISZXRi0.net
琉球王朝=邪馬台国説が個人的に好きだが

4:名無しさん@1周年
19/05/20 07:28:27.89 NYpzkbvb0.net
ヤマトの諸君

5:名無しさん@1周年
19/05/20 07:30:56.03 chzC/SH10.net
ここって纒向と直線距離で5kmぐらいの極近隣やね
古代大和王権の母体みたいな所だったんかな

6:名無しさん@1周年
19/05/20 07:38:31.54 3aKdTTA20.net
藤田三郎 : 1957年、奈良県生まれ。同志社大学大学院文学研究科修士課程修了。現在、田原本町教育委員会事務局文化財保存課課長

7:名無しさん@1周年
19/05/20 07:41:12.01 5apTDWIS0.net
>>3
琉球だと流石に朝鮮半島を経由して魏に朝貢するより、呉に向かった方が楽じゃないかな?

8:名無しさん@1周年
19/05/20 07:47:05.23 oUofH1/I0.net
卑弥呼の時代って中国だと三国志で争い続きだった時代だし、この間は交易どころじゃなかったんだろう。
日本に関する書物もあったろうけど炎書で消えたのかもな。
日本て2000年近く遡ると文字も無い祈祷文化なんだから本当よくぞここまで発展したわ。

9:名無しさん@1周年
19/05/20 07:50:41.82 d9NpUKbY0.net
伊勢を支配してたのはアメノホアカリ系というか饒速日系というか、ニニギ系じゃない
持統天皇まで天皇は伊勢に入ることもできなかった。
斎宮ができるまでは斎王と言う人質が伊勢のどこかに幽閉されていた。

10:名無しさん@1周年
19/05/20 07:51:41.92 k6qakKSB0.net
纒向何も出ないから田原本に切り替えたい
でも何もない纒向で巨額予算は決定ww

11:名無しさん@1周年
19/05/20 07:55:37.56 vuXUEx9/0.net
人は記憶型と思考型に大別できる

────────確定
対馬国 (対馬)
一大国 (壱岐)
────────九州北部
末廬国 (又渡一海千餘里)
伊都国 (東南陸行五百里)
奴国 (東南至奴國百里)
不弥国(東行至不彌國百里)
────────不明
投馬国  (南に水行二十曰)
邪馬台国 (南に水行十日、陸行一月)

12:名無しさん@1周年
19/05/20 08:00:11.14 BOB1Bmrf0.net
後漢の頃 奴国
魏の頃 邪馬台國 & 伊都国
唐の頃 奴国
奴国が邪馬台国と伊都国を飲み込んじゃたのかな?

13:名無しさん@1周年
19/05/20 08:04:31.93 vZccBxbV0.net
>>10
巻向の巨額予算って何?
どこから出てるの?どこが出してるの?誰が使ってるの?
何に使ってるの?
地元民だが、どこを見渡してもそんな形跡はないんだけど、いったいどこにあるの?
教えてほしいなあ。

14:名無しさん@1周年
19/05/20 08:06:16.25 DRkrMUfK0.net
>>12
今も博多>久留米だしね

15:名無しさん@1周年
19/05/20 08:06:45.48 BOB1Bmrf0.net
>>13
マスコミ集めて、カエルの骨の発表会見とか?

16:名無しさん@1周年
19/05/20 08:07:21.82 5apTDWIS0.net
>>12
そう。
邪馬台国は滅んだから見つからない。
若しくは見つかってはいるが、邪馬台国を証明できる物証が見つかってない。
桃の種やカエルの骨、硯、鉄器、どれにしても、間違いなく邪馬台国だと言い切れるだけの説得力がない。
卑弥呼が貰ったとされる親魏倭王の金印がでるのが一番無難。
若しくは少し弱いけど、径100歩(130m)程度の円墳に殉葬者100人分の人骨の埋まった墓かな。

17:名無しさん@1周年
19/05/20 08:12:57.38 k6qakKSB0.net
>>16
いやいや邪馬台国どころか全然人のいない建物跡地が纒向だよ
地面掘ってるのが正直無駄

18:名無しさん@1周年
19/05/20 08:18:30.99 BOB1Bmrf0.net
>>16
奴国が巨大化したなら、後の磐井の乱にも
通じるしな

19:名無しさん@1周年
19/05/20 08:28:10.13 Fs46vSFL0.net
>>12
まあ「奴国」は読み間違いの可能性が高いのだよな。
「奴国」は、国名自体は「奴」となるが、
しかし、古代中国では、一文字国家は、中国王朝のみに許される。
では、倭と同様に奴という国も、中国からそれなりの国家として認められたものであったか?
それはない。「奴」という、「奴隷」を意味する文字を、一文字国家に使うことはない。

20:名無しさん@1周年
19/05/20 08:28:31.32 k6qakKSB0.net
邪馬台国はそのまま九州の強国で残ったんだろね
多分福岡だ

21:名無しさん@1周年
19/05/20 08:33:45.71 1tlO71k2O.net
普通に朝廷に征服されてる

22:名無しさん@1周年
19/05/20 08:39:11.59 DRkrMUfK0.net
奴国で2万戸   博多
投馬国で5万戸  日向国都萬
邪馬台国で7万戸 筑紫川久留米
地形的に考えるとここだろうね

23:名無しさん@1周年
19/05/20 08:46:39.22 YjFH5ebU0.net
大和(ダイワ)と書いて何故「ヤマト」と読むか
邪馬臺(広東方言でイェーマートー(古漢語でヤマド)と発音)と万葉仮名=漢語の意味を無視し現地の発音に近い音読みで表わしたから

24:名無しさん@1周年
19/05/20 08:47:08.39 d3mUgxKE0.net
URLリンク(ja.wikipedia.org)
奈良時代の人口


25: 筑前 8万~11万  <奴国で2万戸   博多     変化なしか微増 日向 3万~4万  <投馬国で5万戸  日向国都萬   あり得ない 筑後 5万~7万  <邪馬台国で7万戸 筑紫川久留米  あり得ない



26:名無しさん@1周年
19/05/20 08:48:48.23 5apTDWIS0.net
>>18
そうやね。
邪馬台国って魏志倭人伝に書かれた100年未満の短命集団でしかないと思うよ。

27:名無しさん@1周年
19/05/20 08:48:54.47 d3mUgxKE0.net
URLリンク(ja.wikipedia.org)
757年(天平宝字元年(8月18日改元))、橘奈良麻呂の乱直後に「大倭国」から「大和国」への
変更が行われたと考えられている。このとき初めて「大和」の用字が現れた。

28:名無しさん@1周年
19/05/20 08:50:20.97 cN9HCSZx0.net
肥後肥前を含めんと人口は足りんよね
弥生末期から奈良時代の人口推移が
近畿は激増、九州は微増って話もあっから
古いデータだと検証難しい

29:名無しさん@1周年
19/05/20 08:50:24.16 DRkrMUfK0.net
>>24
時代と共に人口は変化するけどね

30:名無しさん@1周年
19/05/20 08:52:37.04 d3mUgxKE0.net
筑紫国造
URLリンク(ja.wikipedia.org)筑紫国造
『日本書紀』によれば、大彦命(孝元天皇(第8代天皇)の皇子で、四道将軍の一人)が
筑紫国造など計7族の始祖であるという。
『先代旧事本紀』の「国造本紀」によれば、成務天皇(第13代天皇)の時代に阿倍氏
(姓は臣)の同祖である大彦命の5世孫にあたる人物が初代筑志国造(または筑紫国造。)に
任命されたという。この人物の名の表記については同じ「国造本紀」でも「田道命」と記すもの
(度会延佳神主校正鼇頭旧事紀)と「日道命」と記すもの(前田侯爵家所蔵安貞年間古写本
・佐伯有義氏所蔵別本所引清魚県主本所引イ本)と「曰道命」と記すもの(神宮文庫本)がある。
『古代豪族系図集覧』の系図は大彦命―武渟川別命(四道将軍)―大屋田子命―田道命
となっており、これに従えば田道命は大彦命の5世孫ではなく曽孫(3世孫)となる。

31:名無しさん@1周年
19/05/20 08:53:07.94 k6qakKSB0.net
筑紫君磐井の家の古墳は継体天皇に次ぐぐらいの大きさ
貿易で大儲けし磐井が邪馬台国の後継者だったんだろね
これだと八女ったいのジョークが本当になるw

32:名無しさん@1周年
19/05/20 08:54:18.54 fxHO5npc0.net
唐古・鍵遺跡のスレやのに九州の話ばかりやなw

33:名無しさん@1周年
19/05/20 08:55:27.43 d3mUgxKE0.net
時代と共に人口は変化するけどね
URLリンク(ja.wikipedia.org)
税収の集まる大和が一番人口が多くなる
大和 17万~33万

34:名無しさん@1周年
19/05/20 08:58:03.80 DRkrMUfK0.net
最後まで大和朝廷に反乱したのが筑紫だから
何かしらの因縁があったんだろうね
邪馬台国VS狗奴国
狗奴国と大和朝廷が結んで 邪馬台国&出雲を支配下に置いたってのが考えられる

35:名無しさん@1周年
19/05/20 08:59:25.83 DRkrMUfK0.net
>>32
シャーマンの時代には畿内はさほどの米の収穫できてない
仁徳とかまで頑張って頑張って治水やら開拓してる

36:名無しさん@1周年
19/05/20 09:00:36.17 dFZHnazu0.net
「卑弥呼」とは時代が異なるけど、大和には女系の豪族がいたらしい。
ひょっとしたら、男系を維持できなくて女系になっただけかもしれないけど。

37:名無しさん@1周年
19/05/20 09:01:01.15 k6qakKSB0.net
隋唐のときには中国側も分からなくなってるので
3世紀の後半、トヨのときに崩壊始まり、4世紀か5


38:世紀に大和朝廷に組み込まれたんだろね 4世紀に大和朝廷が朝鮮を激しく侵略してるので このとき既に大和朝廷に組み込まれたとも言えそうだ 国際情勢に詳しい旧邪馬台国の貴族は、気軽に出兵するド田舎王権をアホと思っただろうね



39:名無しさん@1周年
19/05/20 09:02:05.03 d3mUgxKE0.net
磐井の息子、筑紫葛子
URLリンク(ja.wikipedia.org)
子の葛子は死罪を贖うことを求め、糟屋屯倉(旧筑前国糟屋郡付近、現在の福岡県糟屋郡・
福岡市東区付近に比定)を朝廷に献じたという。

40:名無しさん@1周年
19/05/20 09:07:38.06 d3mUgxKE0.net
気軽に出兵、筑紫国造
気軽に反乱起こした磐井は誅殺
鞍橋君
URLリンク(ja.wikipedia.org)
欽明天皇15年(554年)に内臣に率いられ百済への援軍として朝鮮半島に渡った一団の
一人と考えられ弓を得意とした。
しかしこの戦いは百済の敗北に終わり、百済の聖明王は奇襲を受け殺害され、その王子
余昌(のちの威徳王)も新羅兵に包囲されてしまうが、このとき陣中にあり進み出でた
筑紫国造が矢をつぎつぎと放ち敵の包囲を射ち破ったことで、余昌たちは間道から脱出
することに成功したという。
その弓の威力はすさまじく、敵の騎兵の鞍橋(馬鞍の前後に付くアーチ)を射抜いてさらに
鎧にまで矢が通る程であった。戦後この活躍にちなみ余昌より鞍橋君という尊名を贈られた。
福岡県鞍手郡鞍手町の「くらで」は「くらじ」が訛ったものとされ、飯盛山にある鞍橋神社では
鞍橋君が祀られている。

41:名無しさん@1周年
19/05/20 09:07:38.35 MMGyCTBI0.net
 
邪馬台国畿内説は、否定証明済み。
卑弥呼の居た三世紀半ばは西日本は近畿や吉備や出雲などの有力な豪族が割拠し、緩やかに連合していた時代で、どの勢力も他の勢力を軍事的に統括出来ずに居た。
これは古代日本史の完全な定説で、誰も異を唱えるものなど居ない。
しかし、邪馬台国の命令で奴国などの北部九州を軍事的に統括していた伊都国は北部九州にある。
つまり、近畿に邪馬台国があったと主張することは、近畿は自分の周辺すら軍事的に統括出来ずに居るのに、中国地方をすっ飛ばして北部九州は軍事的に統括出来たと主張することになる。
これはバカが言う説であり、もはや学問の体を成していない。
邪馬台国畿内説は立論の段階で失敗しており、学説として成立していないただのファンタジー。
はい、論破w

42:名無しさん@1周年
19/05/20 09:07:50.14 5apTDWIS0.net
以下は俺個人の勝手な解釈なので、気にいらん人はスルーして欲しい。
魏志倭人伝の文章って、最初の帯方郡の使者梯儁の報告書と、二人目の張政の報告書、魏の公文書を繋ぎ合わせて一つにし
陳寿と裴松之が注釈をつけてるわけだけど、魏志倭人伝のどの部分が誰の記述なのか?と言う研究をされている方もいる。
その研究の結果では、最初の使者梯儁の書いた部分では、伊都国止まりで邪馬台国まで行ってないという説がある。
魏志倭人伝の「世有王 皆統属女王国」は梯儁の報告書。
なので、伊都国に女王卑弥呼が出向いたと解釈してもいいはず。
伊都国は交通や防衛の要所であり、迎賓館的な建物や設備もあったんだろう。
で、次の使者である張政が、続きの投馬国や邪馬台国までの報告を上げてるので、直接女王之都まで行ったんだろう。
ただ張政は真面目に報告してないと思われるフシが多々ある。
というのも、女王国傘下の各国の戸数の記載で梯儁が訪れた国々は千戸~四千戸程度なのに、張政の記述に変わると、いきなり数万戸が連発される。まともに確認してない可能性が高い。
邪馬台国の細かな描写や裸国や黒歯国についても張政の記述であり、余りアテにならない適当な事を書いている可能性が高い。

43:名無しさん@1周年
19/05/20 09:08:06.89 MMGyCTBI0.net
>>31
しょーがねーじゃん嘘なんだから。

44:名無しさん@1周年
19/05/20 09:08:52.97 MMGyCTBI0.net
>>11
猿に不明なだけ。
それは解決済み。

45:名無しさん@1周年
19/05/20 09:09:19.60 MMGyCTBI0.net
>>40

スルーで。

46:名無しさん@1周年
19/05/20 09:09:39.30 fxHO5npc0.net
住吉さんとか神功皇后に与してるし、別に九州はヤマト政権と対立してはいないけど
九州云々言う奴らは分断工作をしたいだけやろな

47:名無しさん@1周年
19/05/20 09:10:51.87 MMGyCTBI0.net
>>44
イミフだよキチガイw

48:名無しさん@1周年
19/05/20 09:11:41.04 k6qakKSB0.net
>>40
伝聞というか女王国の役人に聞いたんだろね
役人がとても多い国と女王国は描写されておりちゃんとした行政機構があるので
使者も行政との聞き取りがメインでしょう

49:名無しさん@1周年
19/05/20 09:12:24.42 MMGyCTBI0.net
魏志倭人伝は、
1. 伊都国基点の放射読み。
2. 陸行一月は陸行一日の単なる写し間違い。
これで決着ついてる。邪馬台国は卑弥呼の時代は筑紫平野の御井。

50:名無しさん@1周年
19/05/20 09:14:17.56 DwAfLHBd0.net
月曜日の朝なのに、あいかわらずスレチやってんのねw
夜中も寝たのかよ。
ちょっとくらいテーマを絞って考えられんのかね。
たとえば「鳥装のシャーマン」について語ってみ。

51:名無しさん@1周年
19/05/20 09:15:04.02 MMGyCTBI0.net
>>48
お前NGな。

52:名無しさん@1周年
19/05/20 09:15:11.87 lpyG0NsA0.net
>>13
奈良市より南側はマジで金が無さそうだよな。
旅行したときホテルが無くて、奈良駅まで戻ったわ。

53:名無しさん@1周年
19/05/20 09:15:24.85 W1h4luAm0.net
ここって九州の馬鹿が集まってるだけで
否定されてる同じ話を何回も
馬鹿じゃないのか?
学会で発表してこいよカス

54:名無しさん@1周年
19/05/20 09:16:32.82 MMGyCTBI0.net
畿内説がネタであることが証明されてしまっている以上、
それこそがこのスレの本筋。

55:名無しさん@1周年
19/05/20 09:16:54.35 MMGyCTBI0.net
ここって近畿の馬鹿が集まってるだけで
否定されてる同じ話を何回も
馬鹿じゃないのか?
学会で発表してこいよカス

56:名無しさん@1周年
19/05/20 09:17:23.69 MMGyCTBI0.net
  
邪馬台国畿内説は、否定証明済み。
卑弥呼の居た三世紀半ばは西日本は近畿や吉備や出雲などの有力な豪族が割拠し、緩やかに連合していた時代で、どの勢力も他の勢力を軍事的に統括出来ずに居た。
これは古代日本史の完全な定説で、誰も異を唱えるものなど居ない。
しかし、邪馬台国の命令で奴国などの北部九州を軍事的に統括していた伊都国は北部九州にある。
つまり、近畿に邪馬台国があったと主張することは、近畿は自分の周辺すら軍事的に統括出来ずに居るのに、中国地方をすっ飛ばして北部九州は軍事的に統括出来たと主張することになる。
これはバカが言う説であり、もはや学問の体を成していない。
邪馬台国畿内説は立論の段階で失敗しており、学説として成立していないただのファンタジー。
はい、論破w

 

57:名無しさん@1周年
19/05/20 09:18:30.10 k6qakKSB0.net
4世紀になると八王の乱で晋がボロボロになり
吉林に引っ込んでいた高句麗が再び強大化
これで朝鮮は戦国になるから倭人側もこれに翻弄されるようになる
朝鮮問題をめぐり大和朝廷が九州に介入するようになったんじゃねーかな
出兵するとき九州を通るのでここを押さえておかないと朝鮮に睨みが効かない

58:名無しさん@1周年
19/05/20 09:18:31.43 DwAfLHBd0.net
マッチョとフェミニストのツンデレ議論じゃありまいし
近畿vs九州とか、そのうち他スレであがるから、ちょっとは我慢しろよw
唐古・鍵スレなんだから、せめて吉野ヶ里とかカウンターパートで語れやw

59:名無しさん@1周年
19/05/20 09:20:27.07 dFZHnazu0.net
九州の人は「九州北部」ではなくて「北部九州」と言うんだね。

60:名無しさん@1周年
19/05/20 09:21:09.53 k6qakKSB0.net
>>50
おれも同じ経験あり
まず奈良駅周辺で押さえないと何もない

61:名無しさん@1周年
19/05/20 09:21:32.84 MMGyCTBI0.net
近畿の人はただのバカなんだね。

62:名無しさん@1周年
19/05/20 09:23:19.22 DwAfLHBd0.net
やまとはくにの まほろば たたなづく 青がき 山ごもれる 大和しうるはし

63:名無しさん@1周年
19/05/20 09:23:50.10 tVv5AY5c0.net
>>57
それはない。

64:名無しさん@1周年
19/05/20 09:30:07.05 bFc5Otlm0.net
>>56
スレタイにヤマト王権と邪馬台国とあるから荒れるのは当たり前の話
唐子鍵だけでは持たないから話膨らますために元からそう書いてるのが一番の諸悪の根源
新発見の報告記事じゃないから唐子鍵について話すこと何もないし

65:名無しさん@1周年
19/05/20 09:32:45.30 k6qakKSB0.net
崇神65年に任那が崇神に朝貢とある
この任那は、後に新羅が大きくなったときは全羅南道が任那だが
この時代はむしろ慶尚南道が任那の中心だったようで
使いは金官加羅(金海市)から来たようだね
崇神の即位は、はっきりしないが仮に250年と大分早くすると、この時期は八王の乱が終わった頃だ
激動の朝鮮にある任那が、畿内で大成功した崇神をバックにつけたいのは当然だろう
逆に言うとそれまで任那を保護してたであろう女王国のパワーは大分低下してたと思われる
その理由は卑弥呼がいないと争い収まらずの体質でトヨの治世もうまく行かなかったのだろうね

66:名無しさん@1周年
19/05/20 09:33:18.16 5apTDWIS0.net
>>46
女王国の役人が話を盛ったのか、張政が盛ったのかわからんけど
張政の記述部分はかなり怪しいと思う。
■梯儁の報告
 対海国 千余戸
 一大国 三千許家
 末盧国 四千余戸
 伊都国 千余戸
■張政の報告
 奴国 二万余戸
 不弥国 千余家
 投馬国 五萬余戸
 邪馬壱国 七万余戸
奴国、投馬国、邪馬壱国がとんでもなく盛られてる可能性が高い。
魏志倭人伝に、誰が見てもやや眉唾な記載が見受けられる部分が他にもあると思う。
邪馬台国が100歳オーバーのご長寿大国だったり
卑弥呼が婢千人に世話をさせたりもそうだし
侏儒国の身長70~90cmの人だったり
船で一年もかけていく裸国や黒歯国だったり
この辺が全部張政の報告書から書き写された部分。

67:名無しさん@1周年
19/05/20 09:34:42.28 EMndnxyBO.net
当時は気温低下で海面が下がり、朝鮮半島から福岡までかなり近く、中華としては自分の国と思って領土拡大をしていたようだ
四季があり豊作になるので血眼になって九州を群雄割拠で支配した
と言ってもすぐに中国本土に帰れる東シナ隣接の北九州2県福岡佐賀を領土にしたがった
福岡佐賀は百以上の国
そこから南は隣接していないので狗奴国など別の国として置かれたようだ
朝献で認定の王ではない本土リアル王家が宮崎から瀬戸内海を渡り奈良に住んだように、大分宮崎は政治に直接関わらない皇帝が山の奥地にひっそり暮らしていたと推定される
卑弥呼は首を獲られないよう阿蘇山の麓に匿われたという説もある
国の混乱を避ける為、娘三代に渡り阿蘇山から奈良の山奥にという可能性は十分にある
あと歴史学者には朝鮮が数百年の自治しか歴史がないのに合わせ日本の歴史を朝鮮に合わせようと繰り下げている人がかつていたので注意

68:名無しさん@1周年
19/05/20 09:35:52.83 WK0xqiTS0.net
畿内説は畿内にあった方が邪馬台国の価値が上がる、と考えているだけだからな
纏向が邪馬台国と関係がある証拠は何もない

69:名無しさん@1周年
19/05/20 09:39:51.68 tVv5AY5c0.net
里数も日数も倭人の単位だ


70:よ。 魏志韓伝と倭人伝に共通した単位があったんだろう。 とりあえず里と表記しただけで。 一般的な短里説には俺も否定的。 あと、暦を持たない倭人が言うところの二十日や一月も同様かと思う。 中国の使者は伊都国または不彌国で聞いた話をまとめただけだろよ。



71:名無しさん@1周年
19/05/20 09:40:26.44 OQb5QTrR0.net
>>50
マキムクあたりには何もないけど、大きい駅前にはなんかあるのでは?
天理とか桜井とか大和八木とか

72:名無しさん@1周年
19/05/20 09:40:57.09 IrwGtTC40.net
なんで「大和朝廷」が「ヤマト王権」になったん?
「ヤマト王権」って書いてある古文書でも発見されたの?
(´・ω・`)

73:名無しさん@1周年
19/05/20 09:41:24.82 DwAfLHBd0.net
しかし吉野ヶ里の見捨て方も大概だと思うなw
弥生時代なんだから弥生時代の実相に沿って思考を養うべしw

74:名無しさん@1周年
19/05/20 09:42:28.69 wEHFkNE80.net
>>23
九州倭国に対して、近畿の大ワ国だから大和と書いてヤマトと読む
字面が気に入らなかったから大連合の結成を機に大ワと書くようにしたんだな

75:名無しさん@1周年
19/05/20 09:42:32.93 VZuuR2ay0.net
●「日本人とユダヤ人の先祖は同じである」という説を日ユ同祖論という。これを最初に言い出したのは、日本人でもユダヤ人でもなく、スコットランド人のノーマン・ マクラウドという人物が言い出した説である。

 このノーマン・マクラウドなる人物のことはよくわからない。一説にはイギリスでは売買を商っており、日本や韓国では宣教師として活動ながら「イスラエルの失われた十支族」を探していたという。

 マクラウドが日ユ同祖論を展開したのは、イギリスに元々あった「イギリス・ユダヤ人同祖論」を日本とユダヤに当てはめたものであるらしい。
内容は、日本の天皇、宮家、公家の儀式とユダヤ教の儀式が似ているからというものであった。
ちなみにアメリカの黒人は「イスラエルの失われた十支族」である説。
ネイティブアメリカンは「イスラエルの失われた十支族」である説。
韓国人は「イスラエルの失われた十支族」などなど世界中にあるらしく、特にめずらしいものではないようだ。

 日本の場合、ノーマン・マクラウドの講演を聞いた日本のキリスト教指導者数人が、明治から昭和初期にマクラウドの説をさらに解釈を加えて日ユ同祖論を作っていったらしい。

 なぜか?

 明治~戦前の日本はまだまだ二等国だと思っており、なんとか一等国に欧米のキリスト教国に思ってほしかったのである。そして日本は偉大な国であり、神の国であると日ユ同祖論者は口をそろえる。

 例えば、「日本は神の国である。ゆえに蒙古襲来の神風から日清日露戦争にいたるまで負け知らずであったのは、我々日本人がユダヤ人と同じく神に選ばれた民だからだ」

 とか、「旧約聖書に数か所「日の出る所から、その沈む所まで」という聖句があるが、この中の「日の出る所」とは地球の中央であるエルサレムから一番東にある「日いずる国」である日本のことだ」

 とか、『日本は神に選ばれた国であり、日本民族は神に選ばれた民族である』といういわゆる神国ニッポンの皇国イデオロギーと同じなのである。

76:名無しさん@1周年
19/05/20 09:42:53.39 VZuuR2ay0.net
●ユダヤ人は日本人のことをどう見ているのか?
ユダア人研究でも有名な神戸女子学院大学の内田樹教授によると『エンサイクロペディア・ジュダイカ』という、全26巻におよぶ英語で書かれた百科事典がある。
『エンサイクロペディア・ジュダイカ』は文字通り『ユダヤ人の百科事典』という意味で、その厖大な百科事典に、日本についてのことがどれくらい記されているかというと、0.009%、ページ数にしてわずかに2ページ程度であるという。

 日ユ同祖論に熱心な日本人には申し訳ないが、イスラエルを含む英語圏のユダヤ人は、日本や日本人にほとんど、あるいは実質この程度しか関心がない。

 Wikipediaによると、一時滞在も含めて日本に住んでいるイスラエル国籍者は802名 (2005年末)であるそうな。
ユダヤ系アメリカ人など他国のユダヤ人を含めると2000人ほどいるらしいが、極めて少ないといっていいだろう。
よって日本にユダヤ教のシナゴーグ(集会所)もほんの数か所しかなく、そして開国してからあまりユダヤ人は日本に住みつかず、
もっといえば第二次世界大戦前に日本に横浜や神戸、長崎にあったユダヤ人コミュニティーも、戦後になるとみんなアメリカに移住しちゃってなくなってしまうありさま。

 どうやらほとんどのユダヤ人にとって、日本については関心もなく、また世界のあらゆるところに移り住んだユダヤ人だけど日本はあまり魅力的ではないのかも知れない。

77:名無しさん@1周年
19/05/20 09:43:22.21 VZuuR2ay0.net
◎日ユ同祖論の年代矛盾。
ダビデの星がユダヤの象徴になったのは十七世紀から(イエズス会製)。
伊勢神宮のダビデの星がある石灯籠の設置は戦後。
ユダヤ・カバラで生命の樹理論の元型ができたのは12世紀(盲人イサク)から。
クリスチャン・カバラ(生命の木中心)は15世紀にピコが創始。
◎日ユ同祖論の方位矛盾。
メルカトル図法は方位が不正確。
方位が正確な正距方位図法ではイスラエルの東北の果てが日本であり、東の果てならニューギニア島あたり。
聖書が根拠の失われた十支族に考古学的証拠なし。
イスラエル中心の正距方位図 ↓
URLリンク(ronbarak.tumblr.com)
◎日ユ同祖論は縦書きの漢字とヘブライ語(横書き)の子音表記を無視。
公にしない支配者層の文章ですら漢字と漢字の変形(仮名)。
漢字否定の為に神代文字を捏造。
ヘブライ語は子音表記で母音記号(ニクダー)がないと正しい読みは不明。
都合よく読めばどんな言語とでも同祖論を作れる。
◎日ユ同祖論は仏教と道教を無視。
本地垂迹説(神の正体は仏)で神の実体を否定する仏教が国教(寺が神社を管理)。
天皇も側近も仏教徒。
日本語に仏教用語は多いが神道用語は少数。祇園は仏教用語。
昔の神道=和風道教。神道・神器・天皇は道教用語。
天皇は道教最高神・天皇大帝(北極星)の略。
◎日ユ同祖論はユダヤ教の最重要教義を無視。
神道は多神教で安息日がなく(十戒=最重要事項違反)、
バルミツバ(13歳でする成人式)もない。
祇園は仏教用語。シオン祭というユダヤ教の祭りは存在しない。

78:名無しさん@1周年
19/05/20 09:43:38.84 VZuuR2ay0.net
RiekoPiano@RiekoPiano • 7月23日
ユダヤ教徒の妻ですがシオン祭などというのは見た事も聞いた事もないですね。日本独自の都市伝説です。そもそも7月1日がロシュハシュナでシオン祭の初日という記事もありましたが今年のロシュハシュナは9月24日から26日です。
RiekoPiano@RiekoPiano • 7月23日
ネタとしては青森のキリストの墓


79:と同じで面白いなあとは思うのですが(笑)、世界のどこにいても伝統行事を大切にしているユダヤ教徒に話したら「なんじゃそりゃ」と笑ってました。ユダヤ教の行事カレンダーも7月は空白です。 RiekoPiano@RiekoPiano • 7月24日 何度も言いますがシオン祭と言うもの自体が存在しないのです。ユダヤ人は古代の行事伝統をすべて大事に今でも行っている民族ですがそのユダヤ人たちの間でこのような祭りが存在しないのです RiekoPiano@RiekoPiano • 7月24日 シオン祭で検索してみてください。祇園祭に関連する記事以外何も出てきません。本当に存在する、あるいは存在したものなら、たとえユダヤ教やユダヤ人の文化の記事として必ず英語か日本語でみつかります。それが何もないのです。 RiekoPiano@RiekoPiano • 7月24日 ユダヤ人たちは、世界のどこにいても、その多くが子供の時からヘブライ語を学び、自分たちの民族の歴史や伝統をしっかりと教え込まれます。そのための学校も必ずあります。その彼らが「シオン祭?何それ?そんなもんないよ」と言っているのです。 RiekoPiano@RiekoPiano • 9月5日 それで、伝統をこの上なく大事にして何千年も多くの行事を続けているユダヤ人たちが知らないシオンの祭典って何ですか? ユダヤ人の祭り http://www5f.biglobe.ne.jp/~jesus/NT-intro_festivals.htm ユダヤ教  ━ ユダヤのお祭り http://myrtos.co.jp/info/judaism03.php 👀Rock54: Caution(BBR-MD5:1341adc37120578f18dba9451e6c8c3b)



80:名無しさん@1周年
19/05/20 09:43:59.64 jFR5Wqx30.net
朝廷としての形が整ったのがもっと後だという話とか?

81:名無しさん@1周年
19/05/20 09:45:03.29 k6qakKSB0.net
>>67
魏・晋からすると女王国の中心部の産業と軍事力をチェックしたいわけで
それより遠い周辺部や域外は正直大体でかまわんからな
北部九州、特に福岡がどんな国力かチェックできれば目的は果たせるわけだ

82:名無しさん@1周年
19/05/20 09:46:08.63 OQb5QTrR0.net
>>66
大和=邪馬台国の根拠となるファクトが多いから。
・日数の問題。北九州から水行1月陸行1月の遠いところにある
・魏の年号の書かれた鏡が出土する
・邪馬台国と大和の地名が似ている、もしくは同じ
・アマテラスの神話と卑弥呼の類似性
・畿内における銅鐸文化から三種の神器への変遷

83:名無しさん@1周年
19/05/20 09:49:04.63 jFR5Wqx30.net
>>76>>69
ちなみに天皇と言い出したのは天智天皇あたりで、それ以前は大王だったらしいぞ。

84:名無しさん@1周年
19/05/20 09:49:07.43 k6qakKSB0.net
>>78
日向生まれの神武の祖先天照大神が卑弥呼だと
自動的に卑弥呼は九州の人になっちゃうぞ
まあそれで正しいけどな

85:名無しさん@1周年
19/05/20 09:49:39.69 wEHFkNE80.net
>>78
土佐日記では土佐から京までですら55日かかってるぞ

86:名無しさん@1周年
19/05/20 09:52:52.31 jFR5Wqx30.net
>>81
四国なんて全域が修験場みたいなもんなんだから歩くだけで大変。

87:名無しさん@1周年
19/05/20 09:52:58.97 J0phCex50.net
>>64
いいかげんのレベルもひどすぎ。
九州しかいってないとすると、
そのときに大きな勢力だった出雲も大和も完全に無視してるわけだ。
無視できないから、そのへんの話を絡ませて話を盛ったんだろうよ。
一部の真実と手近な写真で捏造する現代のメディアみたいな話じゃないか。
まあ、出雲や大和にいくのは無理でしょう敵対して


88:たんだから。 それが上層部に報告できないからこういう報告書になったと。 そのレベルだから、西晋ははその後20年で滅んだんだと言うしかない。



89:名無しさん@1周年
19/05/20 09:54:42.48 cyb7aLbr0.net
日本民法の父、穂積陳重の『法窓夜話』を現代語に完全改訳。
法律エッセイとして異例のベストセールスを続けた名著を
手軽に読みやすく。短編×100話なので気軽に読めます。
法窓夜話私家版 URLリンク(pesc.pw)
(続)法窓夜話私家版 URLリンク(pesc.pw)
kew

90:名無しさん@1周年
19/05/20 09:55:31.74 jFR5Wqx30.net
>>83
ていうか、あくまで邪馬台国からの朝貢の返礼としての
使者なんでしょ? 九州まで行くまでも大変なのに、
そこからまた大変な出雲や畿内まで行く必要はないよね。

91:名無しさん@1周年
19/05/20 09:55:52.50 o2Ba7YDb0.net
近畿の弥生遺跡で九州の土器片初確認 奈良の唐古・鍵遺跡 瀬戸内海通じて交流か
URLリンク(www.sankei.com)
弥生時代を代表する集落跡の「唐古(からこ)・鍵(かぎ)遺跡」(奈良県田原本町)から出土した土器片が、
同時代中期中ごろ(約2200年前)に九州北部で作られた土器と判明し、町教委が15日、発表した。
同遺跡を含む近畿の弥生時代の遺跡から九州の土器が確認されたのは初めて。
専門家は「瀬戸内海を通じて直接交流があった可能性がある」としている。
玖(すぐ)式と呼ばれる土器の破片で、甕(かめ)の口縁部(こうえんぶ)にあたる。
長さ13センチ、幅5・3センチ。昭和63年に出土し、今回、土器の再整理作業中に確認された。
須玖式土器は、筑前(ちくぜん)地域(福岡県)で出土する弥生時代中期の土器。
口縁部をL字形に折り曲げ、赤く彩色する特徴がある。

紀元前2~3世紀に唐古・鍵で筑紫で作られれた玖式土器がみつかってる
いたのか神武

92:名無しさん@1周年
19/05/20 09:56:00.64 DwAfLHBd0.net
海流に乗れるルートと、そうでない海路があるってことだろ。

93:名無しさん@1周年
19/05/20 09:56:00.94 XN9sTMCa0.net
>>40
>最初の帯方郡の使者梯儁の報告書と、二人目の張政の報告書、魏の公文書を繋ぎ合わせて一つにし
この仮定がおかしいのでは?
「郡使往来常所駐」という記述があるので、伊都国に常駐した役人からの情報がメインと思われる
伊都国に常駐した役人を無視してしまったから、梯儁が伊都国止まりという非現実的な仮説を作らなければならなくなった
それに、張政が報告した戸数が信用できないと決めつける理由が不明
行程については魏略との共通部分もあるので、過去の文献か報告書が存在したことは確かだろう
黒歯国は山海経からの引用であろうし、身長三、四尺の人間の国だの信憑性の低い記述も寄せ集めだろう

94:名無しさん@1周年
19/05/20 09:56:23.38 k6qakKSB0.net
>>83
東アジアの辺境全域をほぼ初めて記録した晋は大したもんだよ
短い期間なのに史書はちゃんと編纂してる
日本側の記録のグダグダとはえらい違いだ

95:名無しさん@1周年
19/05/20 09:56:47.64 EMndnxyBO.net
そうそう、イスラエルなど中東多民族国家から、内乱で逃げてきたグループが数万人いる
大陸からは中央アジアから中国本土に攻め入り、
海からはインド経由で中国南部ベトナム、そして日本に渡ってきた
当時は中国人と違い航海技術がすごく、何千km1万kmと普通に航海していたことがわかっている。
ヤシの葉のいかだ等のレベルではなく本格的大型船
中国の歴史も日本の歴史も中東頭脳集団の来襲をもっと考えると人口急増の説明が付かない
そもそも孔子も顔が真っ白で必ずフードを被っていたことから白人説が強く、
日本の武将でも明らかに南欧や中東顔と見られる人がいる

96:名無しさん@1周年
19/05/20 09:57:53.76 J0phCex50.net
>>85
行く必要が無くても記述すらないってのは報告書としては下の下。
いかにも九州の酋長が倭の国の女王のようなニュアンスで嘘つきも確定。
たんに朝貢してる国が倭の国を支配してると報告したかっただけ。

97:名無しさん@1周年
19/05/20 09:58:21.11 tVv5AY5c0.net
>>78
わざわざ史書の描写と関係のない盆地にこじつけるセンスがわからんな。
また前方後円墳や土器に関する記述は史書にも記紀にも無い。
三世紀に奈良がヤマトと呼ばれていた痕跡も無い。

98:名無しさん@1周年
19/05/20 09:58:31.76 DwAfLHBd0.net
>「(唐古・鍵は)情報量の多い遺跡だと知ってほしい」
>近畿の弥生時代の遺跡から九州の土器が確認されたのは(唐古・鍵が)初めて。

99:名無しさん@1周年
19/05/20 10:00:16.30 k6qakKSB0.net
>>91
そもそも倭人の範囲が九州を中心にしての一円と認識してるので何も変ではない
まだ日本に統一王朝がない3世紀の話だ
よく分からん九州以外はよく分からんていで書いてる

100:名無しさん@1周年
19/05/20 10:01:46.49 yN6PRSwX0.net
ヤマト運輸…

101:名無しさん@1周年
19/05/20 10:01:47.23 o2Ba7YDb0.net
伊都国や奴国あたりで須玖式土器ってのが弥生中期に作られてて
唐古・鍵でそれがみつかった
邪馬台国の時代よりかなり昔から交流があったんだろう

102:名無しさん@1周年
19/05/20 10:02:26.64 J0phCex50.net
>>94
倭の国は大和朝廷の前進でしょう。実際にそう名乗ってますよ。
だから日本書紀にもだれのことをいってるんだ?
九州方面を平定したのは神功皇后だから彼女のこと?ってなはなしになる。
九州方面は滅ぼされたのだから、倭の国だったかどうかも怪しい。

103:名無しさん@1周年
19/05/20 10:02:37.65 IjUymDC40.net
>>7
呉は台湾方面に侵略して奴隷狩りをしていた
もしかしたら琉球まで来ていたという説もある
それであれば呉と敵対する魏と同盟しようとしたとすればあり得る
と、妄想

104:名無しさん@1周年
19/05/20 10:05:00.42 fC2FVLu30.net
>>82
つまり邪馬台国は四国で決定だな!

105:名無しさん@1周年
19/05/20 10:05:08.93 k6qakKSB0.net
そもそも魏や晋の使者や役人は女王国の予備知識があるんだよ
公孫氏は漢人貴族で、楽浪には漢人役人がいる
そこにいつも貿易に来てたのが女王国なのだから最初からよく知ってる訳だ
その公孫氏を征服した魏も引き継ぎで当然知ってるだろね
突然未開国を踏破したように思うのがそもそも間違いじゃ

106:名無しさん@1周年
19/05/20 10:05:47.67 tVv5AY5c0.net
>>96
もとは同じ渡来人なんだから似たような様式文化を持っていても何ら不思議ではない。

107:名無しさん@1周年
19/05/20 10:06:57.31 vZccBxbV0.net
>>50
大阪人が日帰りで来るところだから、宿はいらないんだよ。

108:名無しさん@1周年
19/05/20 10:08:34.63 IjUymDC40.net
>>97
違う
後漢の頃の金印を見ても
漢委奴国王印となっていて
委(倭)は当時の日本全域、もしくは民族名として用いられてたことがわかる
宗主国/民族名/国名/位
というこの構成の印璽は他の国で発見された印璽でも認められている構成だ
つまり倭とは日本全体、また日本に住む民族の総称

109:名無しさん@1周年
19/05/20 10:10:06.88 DRkrMUfK0.net
>>63
畿内説の人は時系列がわかってない
崇神のときには既に大神神社やら檜原神社があったわけで
邪道での時代からはずいぶん違うんだよね

110:名無しさん@1周年
19/05/20 10:10:11.83 bFc5Otlm0.net
>>98
孫権は東方へ派兵したが琉球にすらたどり着けなかったので
送った部下を殺したぐらいだからそれは絶対にないな

111:名無しさん@1周年
19/05/20 10:10:41.53 tVv5AY5c0.net
>>103
その時代の倭奴国が倭の極南界。

112:名無しさん@1周年
19/05/20 10:10:46.11 k6qakKSB0.net
>>103
それはイトと読むんじゃね

113:名無しさん@1周年
19/05/20 10:10:55.93 J0phCex50.net
>>103
そうすると、出雲の記述も大和の記述もないって言うのは酷い報告書だなw

114:名無しさん@1周年
19/05/20 10:10:59.52 vZccBxbV0.net
>>54
そういう意味では、同じ時代に九州にも強力な都市なんか存在していないけどなw
吉野ヶ里が栄えたのはもっと前の時代だ。

115:名無しさん@1周年
19/05/20 10:11:52.03 rKecSZkE0.net
弥生時代近畿に顕著な建築物は高床式倉庫と神殿と祭祀場
この三つが揃う場所は邪馬台の属国として確定の場所
魏志にある通り、地方に派遣された大倭監視地域で
倉庫が租税用、神殿は大倭監視団の赴任施設、祭祀場は市場。
現地人も賦役調達用の人畜。
近畿に大倭と言う皮肉にも地方派遣管理者がヤマトとしての名を残すのは自虐史観でしかない

116:名無しさん@1周年
19/05/20 10:12:44.49 o2Ba7YDb0.net
穏やかな瀬戸内海を使っての交易はかなり昔からやってたんじゃないか
大阪平野に河内湖とか河内湾てのがあったとすれば
唐古・鍵のかなり近いところまで船をつけられる

117:名無しさん@1周年
19/05/20 10:12:57.59 k6qakKSB0.net
>>108
ほかにこんなのありの中に入ってんじゃね
もちろん女王国と呼べるのは九州だけね

118:名無しさん@1周年
19/05/20 10:13:22.78 DRkrMUfK0.net
>>99
今も未開の地の死国は黙って
すれの無駄遣い

119:名無しさん@1周年
19/05/20 10:14:27.58 IjUymDC40.net
>>107
後漢当時の文書で人偏を省くのは他の文書でも多く見られるので伊都国と混同したとは考えにくい

120:名無しさん@1周年
19/05/20 10:16:10.79 cEIMJh0A0.net
>>106-107
倭奴国っていうのは倭国を貶めた言い方
だから倭国の中の奴国でも倭奴という国でもましてや伊都国でもない

121:名無しさん@1周年
19/05/20 10:17:24.07 J0phCex50.net
>>112
当時の倭国では最大級の遺跡が出てる国ですよ。それを小国扱いして、
九州の女酋長を倭国の女王扱いとか嘘つきもたいがいにしろというレベル。
日本海沿岸にある出雲のことも知らないとかならレベル低すぎ。
ようは朝貢国以外はなかったことにしたかったんだろうと。
それが、滅ぼされてしまったときは西晋もなくなってたと。
だからおまえらはこうなったんだという話し。

122:名無しさん@1周年
19/05/20 10:17:38.51 k6qakKSB0.net
>>114
イトは対馬貿易最前線の要衝だよ
とはいえ仮に倭の奴と読むと仮定すると福岡にある奴国が最高クラスの金印の資格があるほどの強大国となるわな
いずれにせよ九州の話だよね

123:名無しさん@1周年
19/05/20 10:18:07.38 IjUymDC40.net
>>108
だから倭の奴の国ではなく親魏倭王とした段階で扱いが違う
倭の中の奴国の王ではなく、魏の同盟国である倭全土の王という扱いだ
出雲とか大和はそれに含まれる泡沫扱いだった

124:名無しさん@1周年
19/05/20 10:18:50.64 EMndnxyBO.net
紀元前二千年に建てられた夏は実権は倭人で揚子江の南に稲作を全農民に指導した
日本の九州にも伝えられていた可能性が濃厚で(弥生以前の出土が続いている)、
九州から華南、ベトナムまでの一大王国だった可能性がある
後年、魏や漢が日本を次々政権や国が替わっても倭としたのはその名残かも知れない
呉が越に滅ぼされた時と、周の王家が襲われた時�


125:ノ日本の歴史記述があるのはその一族の亡命だろう 九州と畿内なのは、王家の分裂 宮崎大分から舟を出し瀬戸内海を行けば大阪に着く 四国の南の太平洋だと、不思議と伊豆半島には着かず房総に漂着する 房総南部に中国の地名が多いのは、百済高句麗新羅の悪人を流したというだけでなく、 本土を離れ亡命した中国高官がそこに着いて住んだ可能性も高い 一先ず戦乱の中で、王家は九州から紀伊半島に移住したのは間違いないだろう 王家は周のリアル王家なので卑弥呼など党首王とは違う血統王家



126:名無しさん@1周年
19/05/20 10:19:47.89 J0phCex50.net
>>118
泡沫とかw現実はどっちが泡沫国なんだという話w

127:名無しさん@1周年
19/05/20 10:19:55.47 IjUymDC40.net
>>117
つまりは後漢の時代から九州には大陸から認められる強国があり、中心地だったという証明
その時代の大和は僻地

128:名無しさん@1周年
19/05/20 10:21:39.96 J0phCex50.net
>>121
それがアッサリ葬り去られたのが現実の歴史です。弱すぎ。

129:名無しさん@1周年
19/05/20 10:21:46.56 k6qakKSB0.net
>>121
その時代はまさに田原本で農業や畜産してた頃だねぇ
土台比較にならんわなぁ

130:名無しさん@1周年
19/05/20 10:22:47.96 ochUTQN/0.net
>>109
金印与えられる国が存在してたけどな

131:名無しさん@1周年
19/05/20 10:25:27.00 tVv5AY5c0.net
>>121
強国かどうかじゃなくて礼儀を知る国があるのに驚いたんじゃないかな。
あとは魏の顔の広さをアピールするネタという位置づけかと。

132:名無しさん@1周年
19/05/20 10:25:39.61 uFthr2Kh0.net
ヤマト王権の人たちってやっぱなんでやねーんとか喋ってたん?

133:名無しさん@1周年
19/05/20 10:27:47.25 J0phCex50.net
>>125
礼儀=朝貢
解りやすい。賄賂だな。
磐井君よく頑張ったねくらいのレベルが九州勢力w

134:名無しさん@1周年
19/05/20 10:27:53.83 rKecSZkE0.net
出雲は近畿共通の銅鐸が出土することから
大倭統括の一大率以下大人階級が置かれた可能性はある

135:名無しさん@1周年
19/05/20 10:29:30.22 k6qakKSB0.net
>>127
向こうから10倍ぐらい返礼品もらえるんだけどねえ

136:名無しさん@1周年
19/05/20 10:30:41.61 k6qakKSB0.net
ちなみに遣隋使遣唐使も朝貢貿易なのだが
国士サマ的には存在しないのかも

137:名無しさん@1周年
19/05/20 10:35:11.29 +tosfWe50.net
>>12
邪馬台国は雲仙の大噴火で滅亡したと言う説もある
雲仙の大噴火で西日本で大飢饉が発生して、大戦乱勃発
飢饉と戦乱をさけ東へ逃げた人々が奈良で国を再建し大王となり
長い年月をかけ西日本を平定
と妄想してる

138:名無しさん@1周年
19/05/20 10:36:05.35 J0phCex50.net
>>129
乞食だったわけだw
出雲は手強かったから和平した。九州は弱くて何かあると中国に泣きつくのび太だから平定したw

139:名無しさん@1周年
19/05/20 10:36:24.10 LrkvhzOx0.net
北部九州のほうが太陽信仰みたいな原子的宗教感。

140:名無しさん@1周年
19/05/20 10:36:51.15 J0phCex50.net
のびたじゃねえか、スネ夫かなw

141:名無しさん@1周年
19/05/20 10:36:52.64 k6qakKSB0.net
そもそも朝貢というのは超大国中国と周囲が折り合いを付けるための大事な外交
過去王朝は異民族との戦いで疲弊して死んでたわけで
如何にして異民族との戦争を避けて仲良くするかが皇帝の最重要テーマだった
そこで定期的に贈答品を交換したり留学生など人事交流すれば
戦争にはなりにくいやろとの知恵だね
聖徳太子も律令制で国造りするには強大な隋との折り合いが必要だから
十七条憲法とほぼ同時に遣隋使という朝貢貿易を開始したわけだ

142:名無しさん@1周年
19/05/20 10:36:56.02 bFc5Otlm0.net
>>128
出雲は吉野ケ里遺跡と共通の銅鐸も見つかってるし
銅鐸のほとんどは自分たちで作ってるから
大和や九州とは別の勢力だと思う
どちらかに属すほど弱い勢力じゃない

143:名無しさん@1周年
19/05/20 10:37:09.89 IjUymDC40.net
>>125
中華の王朝ってのはけっこう異民族に気を使ってた
周の頃は天子が異民族に拉致、殺害されてるし、漢の時代も異民族対策に皇族を嫁入りさせたりした
国内的にはは冊封体制に組み込んだように見せても現実に上から目線とは限らない
ちゃんと相手の国力も見て対応を考えている

144:名無しさん@1周年
19/05/20 10:40:47.26 B1QXggTG0.net
>>88
ところが「郡使往来常所駐」は陳寿の注釈と言われている部分。

145:名無しさん@1周年
19/05/20 10:41:18.71 J0phCex50.net
>>135
遣唐使が朝貢無茶苦茶w
「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す」

146:名無しさん@1周年
19/05/20 10:44:30.91 cBGEjJvy0.net
>>124
既に1世紀には北部九州には漢から金印を授与されるくらいの有力な国が存在していた
「漢委奴國王」印は倭奴国の王の証であり倭奴国が漢に朝貢する際には上奏文を封泥して贈った
魏は漢から帝位を禅定されたので魏まで有効な印であったが
魏に朝貢すると魏は新しい印を倭に授けた
倭の魏に対する最初の朝貢まで「漢委奴國王」印は使われたと考えられ
「漢委奴國王」印の発見された北部九州に邪馬台国は在ったと考えられる。

147:名無しさん@1周年
19/05/20 10:45:02.15 NBE8z+gR0.net
何が出土すればヤマト朝廷だと確定できるのかすらわかってないからな。
論争があるから面白いとも言える。

148:名無しさん@1周年
19/05/20 10:45:11.07 tVv5AY5c0.net
>>139
そんな奴が邪馬台国の末裔だとは思えないよな。
卑弥呼の時代で既に文書を使えたんだから、朝貢の仕方ぐらい伝えられていたはずだし。
やはりヤマトは別種だな。

149:名無しさん@1周年
19/05/20 10:46:16.15 k6qakKSB0.net
>>139
激怒させて返書が行方不明のあれねw
実際にはどうだか知らないがもし事実ならド田舎政権の大失策だろね
ちなみに遣隋使が朝貢貿易であるのは事実で、向こうの史書にも朝貢に来たと書かれておるぞ

150:名無しさん@1周年
19/05/20 10:46:21.57 EMndnxyBO.net
貝塚や遺跡からすると、縄文時代までの日本の先住民は関東平野に圧倒的に多く、
関東人は中東・東欧・モンゴル系の北方移民が主力で、冬季の食糧から北日本からも南下して関東定住
縄文末期からの地球規模の寒冷化で大陸からの九州移民が増え、九州だけは中国大陸の延長
九州の戦からの移民が紀伊半島へ
そして平安時代の源平合戦で大量に東へ移住
鎌倉幕府がモンゴル遊牧民の末裔の説は根強く、北条足利もモンゴル王朝との交易
その影響で戦国時代の戦闘力に

151:名無しさん@1周年
19/05/20 10:46:38.91 J0phCex50.net
>>142
そうだよ。少なくとも魏志倭人伝に書かれている邪馬台国など大和朝廷とは無関係。
滅ぼす対象だったから。神功皇后が骨の髄まで根絶やしにした。

152:名無しさん@1周年
19/05/20 10:47:36.71 J0phCex50.net
>>143
しかし、唐の手下になったことなど日本にはないw
怒らせたら怖いとかだから当時の九州勢力は軟弱だったわけだ。
鉄器振り回しても勝てないw

153:名無しさん@1周年
19/05/20 10:48:28.58 k6qakKSB0.net
>>146
遣唐使も朝貢だよ
知らんかった?

154:名無しさん@1周年
19/05/20 10:49:27.45 DRkrMUfK0.net
>>116
ひとまず九州と近畿とは別立てで考えたらいいんじゃない
九州は地の利があったから魏と交流してたんだから
その時期に畿内になにかしらの豪族がいててもおかしくないが
魏には記述がないだけ

155:名無しさん@1周年
19/05/20 10:49:39.74 J0phCex50.net
>>14


156:7 必死すぎw



157:名無しさん@1周年
19/05/20 10:50:33.12 k6qakKSB0.net
>>149
というか遣唐使が朝貢とも知らんかったのか
まじで国士サマすげえな

158:名無しさん@1周年
19/05/20 10:50:44.40 tVv5AY5c0.net
>>146
遣唐使はヤマト政権だろ。

159:名無しさん@1周年
19/05/20 10:50:55.31 J0phCex50.net
>>148
なにがしらじゃなくて、当時としては最大級で最高級のレベルの発見が続いてるわけだが。
それを見落としてたとか、バカにも程がある。

160:名無しさん@1周年
19/05/20 10:51:01.42 cBGEjJvy0.net
>>138
魏志倭人伝は公孫氏の帯方郡が残した資料と魏使が残した資料を基に書かれている
距離を測ったのは公孫氏の帯方郡の役人で日数で報告したのは魏使
「郡使往来常所駐」は公孫氏の帯方郡の残した資料からだよ
公孫氏の帯方郡からは度々使者が訪れ里数まで計測していたんだ。

161:名無しさん@1周年
19/05/20 10:51:52.05 IjUymDC40.net
>>132
出雲は地勢的には今でも変わらないけど特に力があるわけではなかったが、大陸との交易路を邪馬台国に押さえられた近畿勢力には大陸とのもう一つの交易路として有益だった
それで同盟を組んで勢力を整えた
近畿勢力は長い間日本海ルートで交易を行った
のちに武烈で皇統が途絶えたあとに引き継いだのが越から来た継体だったのもこの交易ルートの利権と無関係ではないはず
そしてこの交易利権の旨味をよく知ってる継体が命じてすぐさま九州王朝、磐井をだまし討ちして交易利権を独占し日本の趨勢が確定した

162:名無しさん@1周年
19/05/20 10:53:38.96 k6qakKSB0.net
>>153
公孫氏の方が正しいだろね
公孫氏は朝鮮全域自分のものと思ってたふしがあり
地元とその隣接する倭(九州)には重大な関心があったはず

163:名無しさん@1周年
19/05/20 10:54:38.39 J8CBAwwQ0.net
売国左翼の佐藤浩市を起用している反日企業を叩き潰そう!
佐藤浩市を起用している反日企業はこの三社です

CM キャノンマーケティングジャパン
CM 三井住友信託銀行
CM コカ・コーラ『特選 綾鷹』
そりゃ売国左翼より愛国者の方が圧倒的多数派なのは当然であって、
ああいう大作映画のプロモーションで国民の圧倒的多数派を敵に回す佐藤浩市という低能左翼が愚かすぎる
ああいう大作映画の製作には何億とかかる
1つの企画をダメにしてしまった佐藤浩市の責任は重い。
リスク高すぎて二度と起用されないのではないか?
国民は永遠に佐藤浩市は下劣な売国左翼だという事を忘れないよ
業界の売国左翼がほとぼりが冷めたらまた起用しようとしても無駄だよ
過去の売国左翼言動も次々に発掘されている売国奴の佐藤浩市。
こんなの起用する企業も同罪

佐藤浩市、しんぶん赤旗の日曜版に出ていたことが判明 父親も… ネット「赤組とズブズブなら納得」「リテラや朝日新聞だけじゃなく…
スレリンク(seijinewsplus板)
佐藤浩市さん「この島国では残念ながら個人が自由に発言できる状況にはない」「日本はいま右翼化している」
URLリンク(www.moeruasia.net)

.+9027+987

164:名無しさん@1周年
19/05/20 10:54:50.38 XN9sTMCa0.net
>>138
糸島三雲から楽浪土器が大量に出てるんだから何十年もの間往来があったのは確実だよ

165:名無しさん@1周年
19/05/20 10:54:52.42 J8CBAwwQ0.net
5chは既に在日チョンに買収されているのをご存知ですか?

URLリンク(irohamatumae.blog.jp)
2chの譲渡先、5chの代


166:理人弁護士は通名のしばき隊員 5chの商標出願の代理人=原田學植 (趙學植) https://i.imgur.com/kw1SVwB.jpg そして、在日チョンのバックに居るのは売国政党の立憲民主党です 在日チョンが5chを買収して、売国左翼や在日チョンにとって有利な世論誘導しようと企んでいます 5chのあらゆる板でジャップがどうのとかほざく、日本人卑下する奴とか、「アベは売国奴だー アベは統一協会だー」みたいな頓珍漢な政権批判するレスが異様に増えたと思いませんか? 売国政党の立憲民主党の支持母体の一つは在日韓国人組織の民団です そいつらが5chを買収した在日チョンの背後にいます。↓民団と連動して動いている売国政党の立憲民主 在日チョンの帰化議員がワンサカいる売国政党の立憲民主党 ↓ 「竹島は日本の領土ですよね?」立民・白真勲(ハク・シンクン)議員を再直撃! 徴用工判決には「コメントできない」連発… 在日韓国人組織の民団は立憲民主党の支持母体の一つ。売国政党の立憲民主に絶対に気を許してはならない ↓ 在日本大韓民国民団の中央本部新役員と意見交換 - 立憲民主党 蓮舫、95年に雑誌で「日本人でいるのはそれが都合がいいからです。いずれ台湾籍に戻そうと思っています」 ネット「これが立民副代表」 安倍さんより以前は日本の保守派政治家はみんな親韓派だった 安倍さんが政界の保守派を改革してくれたんだよ だからチョンは安倍さんを引きずり降ろそうと必死。 5chの運営がチョンに買収されていると、とっくにバレている以上、完全記者制というシステム止めるべき チョンに買収されている運営が全てのスレ立てをコントロールするとかありえない . . 627957



167:名無しさん@1周年
19/05/20 10:55:21.31 J0phCex50.net
>>150
それは勝手に中国が言ってるだけw冊封など存在しませんね。

168:名無しさん@1周年
19/05/20 10:56:14.86 cBGEjJvy0.net
>>117
当時の倭は朝鮮半島南部と北部九州を有する国だから
伊都国、奴国は貿易と言うよりは流通の中心地だ。

169:名無しさん@1周年
19/05/20 10:56:21.72 tVv5AY5c0.net
>>152
畿内の纒向遺跡は最大級だとかやたら誇示するが、人が生活していた形跡はごくわずかしか見られないんだよ。
しかも三世紀の日本は小国だったんだから。
畿内は小国だったが故に、九州や出雲に対抗すべく、渡来豪族をスカウトしてヤマト政権を強化したとも考えられる。

170:名無しさん@1周年
19/05/20 10:57:54.68 rKecSZkE0.net
>>136
銅鐸は家畜につける鈴からの派生であり
権力と言うよりも人畜の証
邪馬台の奴隷統括機関としての出雲に管轄者は置かれたかもしれんが、それが出雲と言う邪馬台とは独立した別国家ではなく、近畿統括府的なもの。
鉄武器製造も一大率の監視下にあり許されていない

171:名無しさん@1周年
19/05/20 10:58:10.20 k6qakKSB0.net
>>157
楽浪は文化先進地で貿易中心だもんね

172:名無しさん@1周年
19/05/20 10:59:11.54 cEIMJh0A0.net
>>142
倭王武の遣使から遣隋使まで100年以上たってんだぞ

173:名無しさん@1周年
19/05/20 10:59:41.08 cBGEjJvy0.net
>>157
魏使は2回しか来てないから距離の計測まではしていない <


174:br> 里の長さも1里80mと魏の里とは異なってるからね。



175:名無しさん@1周年
19/05/20 10:59:49.42 k6qakKSB0.net
>>161
人がほぼいないガラガラ都市だったんやな
後進国でデカイ建物にこだわるのに似てる

176:名無しさん@1周年
19/05/20 10:59:50.01 J0phCex50.net
>>161
ハイハイwその小国に滅ぼされたんですね。
九州王朝とか。単に中国の属国だろw
魏志倭人伝の作者も飲めや歌えやのハーレムだったに違いない。

177:名無しさん@1周年
19/05/20 11:00:59.17 k6qakKSB0.net
>>167
3世紀前半の小国奈良とやっとで理解したようだね

178:名無しさん@1周年
19/05/20 11:01:24.44 rKecSZkE0.net
>>161
纏向は市場であり都市では無いからな。
単に近畿諸国の租税を統括してたに過ぎん

179:名無しさん@1周年
19/05/20 11:02:03.58 EMndnxyBO.net
戦前から東京大学には、朝鮮半島が日本より下にされるのが面白くなくて、
中国からの文化伝来に必ず「朝鮮半島経由で」と全く文化に関係ない出先機関を主語に含ませたり、
朝鮮半島の歴史が千年程度しかないのに合わせ、日本の歴史も何とか遅らせて、
国のあった弥生時代を大陸からの移民に制圧されて出来た古代と話を創作していることに注意

180:名無しさん@1周年
19/05/20 11:03:11.19 tVv5AY5c0.net
>>169
妄想癖と言われそうなぐらい詳細な妄想だな。

181:名無しさん@1周年
19/05/20 11:05:03.63 k6qakKSB0.net
>>170
3世紀の朝鮮は先進地なんだよね
漢人貴族(公孫氏)と更には皇帝(司馬氏)が経営してた時期だからね
後に4世紀になると高句麗の強大化で戦乱だらけになるから疲弊するけどね

182:名無しさん@1周年
19/05/20 11:06:09.36 J0phCex50.net
>>168
悔し紛れか、バカにされてるのにきがつけw
卑弥呼=女衒 だったってことだろ。魏志倭人伝が言ってるのはw
これが卑弥呼などという卑しい名前をつけられて喜んでる連中のレベル。

183:名無しさん@1周年
19/05/20 11:06:30.60 Xy5YYGm60.net
倭人が鉄を掘りに来てるって記述もあるが
飢えた倭人が難民になって来てるっていう記述もあるんで
飢饉は普通にあっただろうねえ
江戸時代でも何回もあったんだから
そして飢えは戦いや反乱のきっかけになりやすい

184:名無しさん@1周年
19/05/20 11:06:46.15 rKecSZkE0.net
>>171
そもそも大市と呼ばれ、人の住んだ形跡がない場所を
都とする方が妄想だろ。

185:名無しさん@1周年
19/05/20 11:07:15.37 k6qakKSB0.net
>>173
3世紀の前半の小国奈良と気付けて良かったじゃん
2ちゃんも役に立つなあ

186:名無しさん@1周年
19/05/20 11:07:25.92 XKI1gmjc0.net
昔の都は固定じゃないから、人が少なくても不思議じゃないが

187:名無しさん@1周年
19/05/20 11:07:56.88 chzC/SH10.net
>>8
>日本て2000年近く遡ると文字も無い祈祷文化なんだから
なんか頭悪そう
そんな事言ってたらアメリカはどうなるんだよww

188:名無しさん@1周年
19/05/20 11:08:23.08 BiT1nJrA0.net
>>1
>ヤマト王権
大和のことは「ヤマト」とカタカタで書くのに、なぜ邪馬台は漢字のままなのか?

189:名無しさん@1周年
19/05/20 11:08:33.90 k6qakKSB0.net
>>177
しかし100年に渡り、人がほぼいないてのもなあ
本当に王都か疑問やね

190:名無しさん@1周年
19/05/20 11:08:40.21 rKecSZkE0.net
>>177
人が少なくて都とは呼ばない。
いい加減隷属した場所だと白状しろ

191:名無しさん@1周年
19/05/20 11:08:57.56 J0phCex50.net
>>176
女衒の分際で、天照大神にすり寄ってくるな。まずこれ。頭に擦り込んでおけw

192:名無しさん@1周年
19/05/20 11:09:35.61 EQH+cPNV0.net
奈良に美味いものなし、

193:名無しさん@1周年
19/05/20 11:09:36.76 tVv5AY5c0.net
>>175
纒向は大集落とアピールしてるそ。
ちゃんと確認してね。
また邪馬台国7万戸は纒向しかあり得ないという人もいる。
畿内説はちょっと注意


194:力散漫だね。



195:名無しさん@1周年
19/05/20 11:10:33.82 k6qakKSB0.net
>>184
住居跡地が少ない件は?

196:名無しさん@1周年
19/05/20 11:12:18.84 rKecSZkE0.net
>>184
租税取り立ての管理者を迎え入れる施設と考える方が普通だが、何故都にしたがるのか

197:名無しさん@1周年
19/05/20 11:12:33.52 GPuGUfcm0.net
てゆうかさ、未だに九州説なんか言っている奴は頭わいているの?

198:名無しさん@1周年
19/05/20 11:12:57.37 aRKsbOjb0.net
>>69
ヤマト王権ってかなりグレードダウンした印象だな
またトンキン学者が古代史における近畿サゲ狙ってるのかな

199:名無しさん@1周年
19/05/20 11:13:50.97 jUJYgKKC0.net
>>186
>租税取り立ての管理者を迎え入れる施設と考える方が普通
妄想絶好調やなw
見たんか?w

200:名無しさん@1周年
19/05/20 11:15:11.99 XKI1gmjc0.net
昔の都は固定じゃないから、人が少なくても不思議じゃないが
崇神天皇 磯城瑞籬宮 奈良県桜井市金屋 纏向遺跡
垂仁天皇 纒向珠城宮 奈良県桜井市穴師
景行天皇 纒向日代宮 奈良県桜井市穴師
成務天皇 志賀高穴穂宮 滋賀県大津市穴太
仲哀天皇 行宮のみ
応神天皇 磐余若桜宮 奈良県桜井市池之内
仁徳天皇 難波高津宮 大阪府大阪市

201:名無しさん@1周年
19/05/20 11:15:18.88 HmOW9xr/0.net
宅配便のスレかと思った

202:名無しさん@1周年
19/05/20 11:15:35.53 k6qakKSB0.net
建物は出るが住居は少ないってのはどういう都市なんかね
そもそも王都なら商人や工人であふれかえるものやで

203:名無しさん@1周年
19/05/20 11:17:21.05 HV/AjV1I0.net
唐古・鍵遺跡とヤマト王権はそりゃ関係あるだろ
大きな戦乱の跡もないし
問題は畿内と出雲、吉備、北部九州などとの関係

204:名無しさん@1周年
19/05/20 11:18:30.02 XKI1gmjc0.net
>王都なら商人や工人であふれかえるものやで
ウンコもぐもぐの先入観
行政か祭祀用の都市だろ
崇神天皇 磯城瑞籬宮 奈良県桜井市金屋 纏向遺跡
垂仁天皇 纒向珠城宮 奈良県桜井市穴師
景行天皇 纒向日代宮 奈良県桜井市穴師
成務天皇 志賀高穴穂宮 滋賀県大津市穴太
仲哀天皇 行宮のみ
応神天皇 磐余若桜宮 奈良県桜井市池之内
仁徳天皇 難波高津宮 大阪府大阪市
履中天皇 磐余稚桜宮 奈良県桜井市池之内

205:名無しさん@1周年
19/05/20 11:18:40.15 k6qakKSB0.net
ちなみに鎌倉とかだと計画的に設計し
重臣の屋敷町やら商店集合地やら創っておるな
100年も王都だった纒向からはなんで出てこんのか

206:名無しさん@1周年
19/05/20 11:19:05.38 HC9OPBK20.net
>>179
日本の和語、大和言葉に対応する正式文字はかなだから
平安以降国語として漢字の用法も整備されていくまでは漢字は単なる当て字
邪馬台は大陸の文字としての史料表記

207:名無しさん@1周年
19/05/20 11:19:09.46 rKecSZkE0.net
>>189
いやそういう痕跡だろ。
桃や蛙を供えたり、まるで神を崇めるような祭祀用具
それだけ強大な権力者が赴任してたってことだろ。
魏志にあるように諸国は一大率に管理されてた恐れてたんだし

208:名無しさん@1周年
19/05/20 11:19:25.74 NRvFLXqo0.net
邪馬台国と大和朝廷は別
邪馬台国はすぐに滅びた

209:名無しさん@1周年
19/05/20 11:19:54.90 jUJYgKKC0.net
また生活痕の少ない纏向大集落の件かw
住居の少ない大集落とは?
www

210:名無しさん@1周年
19/05/20 11:20:56.41 8PdLdLs70.net
>>199
基礎がない掘っ立て小屋なら跡が残らん

211:名無しさん@1周年
19/05/20 11:21:52.08 k6qakKSB0.net
>>200
しかし住んでれば遺物が出るよね

212:名無しさん@1周年
19/05/20 11:22:52.70 vnRc8GIq0.net
箸墓古墳を造るくらいの人員動員できたわけだからな
それなりの国力がある国があったんだろう

213:名無しさん@1周年
19/05/20 11:22:56.89 tVv5AY5c0.net
畿内説はあまりに想像し過ぎ。
桃や蛙を祭祀用具と位置づける根拠もわからんね。

214:名無しさん@1周年
19/05/20 11:23:33.05 XKI1gmjc0.net
代毎に都は変わるのに、一般庶民がついてこれるわけがない
行政・祭祀要員だけでしょ
崇神天皇 磯城瑞籬宮 奈良県桜井市金屋 纏向遺跡
垂仁天皇 纒向珠城宮 奈良県桜井市穴師
景行天皇 纒向日代宮 奈良県桜井市穴師
成務天皇 志賀高穴穂宮 滋賀県大津市穴太
仲哀天皇 行宮のみ
応神天皇 磐余若桜宮 奈良県桜井市池之内
仁徳天皇 難波高津宮 大阪府大阪市
履中天皇 磐余稚桜宮 奈良県桜井市池之内
反正天皇 丹比柴籬宮 大阪府松原市上田

215:名無しさん@1周年
19/05/20 11:23:51.87 KlNtPQ9F0.net
畿内から九州の倭国大乱を鎮めるのは不可能

216:名無しさん@1周年
19/05/20 11:24:56.76 bBLBb4AZ0.net
収租賦有邸閣 國國有市 交易有無 使大倭監之
のちに「やまと」に当てられる大倭が使われてるんだから纏向はこれでしょ
倭国より大きな領域を統括する機関だから大倭と名付けた
九州倭国が派遣して租税を徴収するのだから九州の土器が出ないのは当たり前だわな

217:名無しさん@1周年
19/05/20 11:24:56.85 J0phCex50.net
>>184
祭祀用の施設だけで国レベルの規模だっただけだろw

218:名無しさん@1周年
19/05/20 11:24:59.25 CMfOpDep0.net
>>204
そもそも都には庶民も住むはずというのが根本的な間違い

219:名無しさん@1周年
19/05/20 11:25:00.95 XKI1gmjc0.net
現実は、畿内から九州を征服することができた

220:名無しさん@1周年
19/05/20 11:25:23.63 jUJYgKKC0.net
>>202
箸墓は馬具が出土してたから、馬を使ったと言われてたぞw

221:名無しさん@1周年
19/05/20 11:25:44.41 rKecSZkE0.net
纏向の水路からして、権力者は川から入場し
大市を開き租税と賦役の人畜を九州へ運んだんだろうな。
つまり纏向は伊都国の一大率から大倭が派遣されてたんだよ

222:名無しさん@1周年
19/05/20 11:25:45.15 k6qakKSB0.net
そもそも箸墓古墳の造営時期が問題じゃね
あれだけの労働者を動員するのに住居も生活遺物も少ないってのはちょっと考えにくい
もともと箸墓古墳って4世紀なのをぐいぐいワープさせて今は250ぐらいだっけ
これだと閑散とした纒向で造営したちゅう不可解な年代になる

223:名無しさん@1周年
19/05/20 11:27:31.36 CMfOpDep0.net
>>212
今田んぼのあるところに埋まってるんだろ?
纏向遺跡周辺って一面田園だが調査されてないし

224:名無しさん@1周年
19/05/20 11:28:05.51 zyFh/MZK0.net
朝鮮出兵の戦利品を持ち帰ったりして時代考証無茶苦茶になってそう

225:名無しさん@1周年
19/05/20 11:28:59.89 jUJYgKKC0.net
>>208
じゃあ纏向は人の済まない都だったという結論でいいんだな?
ここの畿内説論者には考古学者も興ざめだろうなw

226:名無しさん@1周年
19/05/20 11:29:16.08 2s53vGQ+0.net
>>214
朝鮮出兵?なんの話してんだよアホ朝鮮人

227:名無しさん@1周年
19/05/20 11:29:24.24 LVNoKM9I0.net
日本古代史
縄文時代、勝者は条件の良い場所に住み、敗者は開拓者となり、人口は適当に分布していた
やがて文明が進み船が開発され半島から渡来人がやってくるようになる
彼らがリーダーシップをとったか、技術者として迎え入れられたかは分からないが、
彼らの上陸地点が他と比べ飛躍的な発展をはじめる
その上陸地点とは、九州北部である
その発展繁栄する国の中の一つに、邪馬台国はあった

228:名無しさん@1周年
19/05/20 11:29:35.05 k6qakKSB0.net
>>213
150回調査しても見つからんとw

229:名無しさん@1周年
19/05/20 11:30:01.81 J0phCex50.net
>>215
ひとがいないのに、大きな施設が造れるとか。
当時の人は建設重機をもってた凄い人達だったという認識でいいんだなw

230:名無しさん@1周年
19/05/20 11:30:20.83 KS7dWhUA0.net
>>218
周辺の調査隈無くやってんの?

231:名無しさん@1周年
19/05/20 11:31:26.32 k6qakKSB0.net
重機はないが馬はいたようでアブミが出るんでしょw

232:名無しさん@1周年
19/05/20 11:31:56.69 J0phCex50.net
>>221
それで騎馬民族説かw大笑い

233:名無しさん@1周年
19/05/20 11:32:20.14 LLvZR4sp0.net
例えば今の皇居とかほぼ人すんでないやん
それと同じだろ?

234:名無しさん@1周年
19/05/20 11:32:39.12 rKecSZkE0.net
>>219
大倭が九州から来ると
銅鐸鳴らして周辺の集落に音で知らせ
奴隷招集したんだろう

235:名無しさん@1周年
19/05/20 11:32:49.09 k6qakKSB0.net
日本に馬がいない3世紀だがどういうことかねぇ

236:名無しさん@1周年
19/05/20 11:33:03.74 o47Kzs+z0.net
別に当時の日本を代表するクニであったわけではなく、有力国のうち魏と交流が深かったところ
というだけだから

237:名無しさん@1周年
19/05/20 11:33:28.07 XN9sTMCa0.net
>>215
何で、「庶民が住まない」と書かれてるのを「人が住まない」に歪曲するの?

238:名無しさん@1周年
19/05/20 11:34:38.37 v8d1FopS0.net
>>225
3世紀に馬がいなかったとは言い切れない
朝鮮半島から軍事用の馬を輸入してた可能性が高いよ?

239:名無しさん@1周年
19/05/20 11:34:54.87 rKecSZkE0.net
銅鐸鳴らして市の招集に応じない者は斬首されてたんだろうな

240:名無しさん@1周年
19/05/20 11:35:02.58 jUJYgKKC0.net
>>218
ほんと何十年も掘ってこれかよ?ってレベルだw
>>219
当時の建設重機=馬だなw

241:名無しさん@1周年
19/05/20 11:36:50.40 tVv5AY5c0.net
>>228
中国の馬具でも4世紀以降だぞ?

242:名無しさん@1周年
19/05/20 11:36:58.74 vomNVVr20.net
>>202
古墳って田んぼの中とかに多いよね
一説によると農地開拓の際に出た残土の再利用と言われてる
田舎行くと古墳っぽく盛られた土が田んぼの中にたまに見られる
ああいうのにちょっと手を加えて石室つけただけなんじゃないの?
それ考えると文化の違いってーか、必ずしも強大な国力の象徴とも言えない気がする

243:名無しさん@1周年
19/05/20 11:37:13.99 rKecSZkE0.net
斬首で晒し首の絵は土器や銅鐸に刻まれてるし
諸国が恐れるわな

244:名無しさん@1周年
19/05/20 11:37:21.27 g1Rtgxah0.net
>>225
馬がいないって根拠はなんなの?
邪馬台国は漢や魏と国交があったのに馬を導入しないわけがないだろ?

245:名無しさん@1周年
19/05/20 11:37:46.41 U25zMUb50.net
当時の建設重機=朝鮮奴隷

246:名無しさん@1周年
19/05/20 11:38:49.54 J0phCex50.net
>>230
さっさと巣に帰れw

247:名無しさん@1周年
19/05/20 11:40:16.13 tVv5AY5c0.net
>>234
そら、5スレ目で言う言葉じゃないよ。

248:名無しさん@1周年
19/05/20 11:41:20.00 y8peCW+m0.net
>>8
中東や中央アジアはどうなったんですかねぇ?

249:名無しさん@1周年
19/05/20 11:42:05.41 k6qakKSB0.net
ウムウム朝鮮の馬を3世紀の箸墓古墳に使用とww

250:名無しさん@1周年
19/05/20 11:43:12.62 pz82lCsI0.net
畿内から戦乱中の北九州を素通りして帯方郡や楽浪郡と外交するとか現実的だったの?

251:名無しさん@1周年
19/05/20 11:43:59.25 U25zMUb50.net
記録上、本格的に馬が導入されたのは、神功皇后の頃
三韓征伐で新羅が土下座して、馬飼を献上したのが始まり

252:名無しさん@1周年
19/05/20 11:46:14.32 W5HpXGd80.net
たぶん日本は、まだ弥生時代だったんだと思う
ヤマト王朝も実在するか怪しいし
パプアニューギニアか何かと間違えたんだろう

253:名無しさん@1周年
19/05/20 11:46:41.23 NGQDoRoc0.net
>>240
出雲勢力の協力があれば可能
日本海→関門海峡あたりから対馬に渡るルートをとる場合
実際その方面から九州の前方後円墳は分布を始めているね

254:名無しさん@1周年
19/05/20 11:46:44.10 HV/AjV1I0.net
畿内と出雲、北部九州の関係が良好でないと、大陸との交易はなかなか難しい
ヤマト王権の時代には朝鮮に進出しまくりなことをみると、それまでにはゆるい連合ができていたんだろう

255:名無しさん@1周年
19/05/20 11:46:45.34 J1RURJuN0.net
>>240
鉄が見つかってるのは専ら北九州で
畿内からは鉄が見つかってない
つまり帯方郡と国交してたのは畿内ではなく北九州で間違いない
あと鉄は軍事力に直結するから鉄がない畿内が九州と対等に外交するのは無理

256:名無しさん@1周年
19/05/20 11:47:33.24 k6qakKSB0.net
通常4世紀か5世紀に馬が渡来してると思うが
既に250年と畿内説だと比定する箸墓古墳に馬を使ったら大発見だねえww

257:名無しさん@1周年
19/05/20 11:47:50.17 W5HpXGd80.net
大和朝廷って、8世紀頃にできたんじゃないかね

258:名無しさん@1周年
19/05/20 11:47:59.33 LVNoKM9I0.net
邪馬台国の頃には既に半島と交流があったわけだから、馬も入ってた可能性はあるが、
大量にか、というと、どうも
本格的な物資のやりとりはもう少し後ではなかろうか

259:名無しさん@1周年
19/05/20 11:49:00.53 xlF52Bec0.net
>>248
鉄も輸入してるはずだが3世紀の畿内には鉄がない

260:名無しさん@1周年
19/05/20 11:49:20.81 JcMUhfEQ0.net
クロネコ…♪

261:名無しさん@1周年
19/05/20 11:49:47.97 tVv5AY5c0.net
>>239
半島で発掘された馬具で最古の物が5世紀のものだそうで。
4世紀に中国で馬具開発→5世紀に半島で馬を活用
→3世紀に畿内に馬導入???

262:名無しさん@1周年
19/05/20 11:49:55.45 HC9OPBK20.net
>>213
2世紀頃の纏向は三輪山と奈良湖(或いは大和湖)のほとりの間と言える場所だから
あの辺の古代ヤマト集落は湖と山の恵みで生きていた集落
纏向から盆地の中心、大和辺りに向かっては何も無くて当然
反対の三輪山方面の東側に向かっては箸墓等があるので
奈良湖の畔の纏向周辺~箸墓、三輪山の範囲で発展してたのがヤマト
3世紀以後に灌漑したらしく奈良湖は無くなって行くので
今の大和の中心地に達したのですら下手したら4世紀
巨大古墳もいきなり古墳を作ったのではなく奈良湖を処理する工事で出た土砂を利用している
まぁそうすると日本で最初に大規模土木工事をしたとされるのは仁徳天皇な訳で
あれれーおっかしいぞー
な部分があったりする
奈良盆地の中心に向かっては今でも池だらけ

263:名無しさん@1周年
19/05/20 11:50:01.97 gp+Fwdk/0.net
3世紀の畿内って未開の地だろ?

264:名無しさん@1周年
19/05/20 11:50:41.92 J0phCex50.net
>>245
しかし、鉄を遠い戦地まで運んで武器とするのも無理。
よって北九州勢力の勢力地内でしか発見されない。専ら防衛用。
そのうち大和勢力も鉄を手にして九州を制圧。

265:名無しさん@1周年
19/05/20 11:51:09.29 k6qakKSB0.net
はっきり言えば馬の使用を50年チートしないと箸墓古墳の築造と合わなくなる
そもそも箸墓古墳が4世紀初頭なんじゃね

266:名無しさん@1周年
19/05/20 11:51:48.31 k6qakKSB0.net
>>251
そうか5世紀だね

267:名無しさん@1周年
19/05/20 11:51:57.01 HV/AjV1I0.net
吉備を中心に本格的なタタラ製鉄が行われる前は、鉄の武器は刺すことだけに有効だったようだな
古代の刀はあまり切れないから、それほど優位だったわけでもないという

268:名無しさん@1周年
19/05/20 11:52:30.28 jUJYgKKC0.net
畿内説にとって誤差100年は3年ぐらいの感覚だからなww
わけわからんくなるだろ?w

269:名無しさん@1周年
19/05/20 11:52:51.07 a3eZwEZE0.net
>>16
というか、畿内説ってのが政治的なもんだしな
「其死、有棺無槨、封土作冢」や、
「卑彌呼以死、大作冢、徑百餘歩、殉葬者奴婢百餘人」を満たす墓は、
現在のところ、久留米の祇園山古墳以外には全くありません。

270:名無しさん@1周年
19/05/20 11:52:59.37 LVNoKM9I0.net
なんでもかんでも畿内がはじまり、とすることには相当無理があるようだな

271:名無しさん@1周年
19/05/20 11:53:39.81 WPVIQbJ00.net
鉄もない畿内が九州に遠征してどうやって勝つの?
当時の情勢を見る限り畿内から帯方郡と外交するなんて無理でしょ?

272:名無しさん@1周年
19/05/20 11:53:56.01 OQb5QTrR0.net
台与は記紀では崇神天皇の娘の豊鍬入姫命(トヨスキイリヒメ)として描かれている。
天照大神の伝承を託された巫女とされている。
卑弥呼の次の女王が台与だとするならこれは矛盾する。崇神天皇は聖徳太子的な摂政の
役割になってしまう。

273:名無しさん@1周年
19/05/20 11:54:25.25 o2Ba7YDb0.net
建武中元二年 倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫 倭國之極南界也 光武賜以印綬
57年に朝貢した人物は王ではなく大夫で倭国の端の国の者 印を授かる
安帝永初元年 倭國王帥升等獻生口百六十人 願請見
107年の朝貢は倭國王帥升が自ら行った
57年に奴国は倭国の一部で
倭国の中心は奴国ではないどこかでそこに倭王が存在していた可能性

274:名無しさん@1周年
19/05/20 11:54:54.57 U25zMUb50.net
どうやって勝つニカ?
少なくとも、結果は明らかじゃん

275:名無しさん@1周年
19/05/20 11:55:13.82 OQb5QTrR0.net
>>261
共立された連合国だっつってんじゃん。何回言わせんの?

276:名無しさん@1周年
19/05/20 11:55:28.95 a3eZwEZE0.net
>>260
【稲作の分布】古代は九州のほうが圧倒的に大きい。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
旧国 『延喜式』出挙稲数(束)
◆畿内 2,087,126
山城 424,070
大和 554,600
河内 400,954
和泉 227,500
摂津 480,000
◆西海道 5,990,581
筑前 790,063
筑後 623,581
豊前 609,828
豊後 743,842
肥前 692,589
肥後 1,579,117
日向 373,101
大隅 242,040
薩摩 242,500
壱岐 90,000
対馬 3,920
延喜式は10世紀だから、古代3世紀ごろはもっと差が大きいんじゃない
弥生時代の農業生産はおそらく畿内全域と九州で10倍くらいは差があったでしょう。
九州に7万戸でも畿内には7000戸とかでしょう。
畿内の狭い見識を九州や他の地方に当てはめて論じています。

277:名無しさん@1周年
19/05/20 11:55:45.05 jFR5Wqx30.net
>>257
そもそも太刀よりも槍や薙刀、弓矢なんかが主な武器だった感じだもんな。

278:名無しさん@1周年
19/05/20 11:55:55.02 FhUr2uQN0.net
>>257
青銅の剣と鉄の剣が戦っても勝負にならないほど青銅の剣は弱い
しかも3世紀の畿内からは青銅の剣すら見つかってない
軍事国家が集まってた九州に遠征するなら相当な武器の生産が必要なのにそれがないっていうのが致命的

279:名無しさん@1周年
19/05/20 11:56:20.17 a1nR9+bD0.net
邪馬台国=日本だから、「日本のどこに日本があるのか」みたいな話だなw
あとマキムクは人の居住がなさすぎ。
「無人都市マキムク」が邪馬台国だったって、なんじゃそりゃw

280:名無しさん@1周年
19/05/20 11:57:10.15 jUJYgKKC0.net
>>263
そういう想像を重ねた長ったらしい苦しい言い訳が必要となるのが畿内説の常ww

281:名無しさん@1周年
19/05/20 11:57:11.34 FhUr2uQN0.net
>>265
だからなんで九州から何百キロも離れた未開の地の軍事外交弱国を共立するんだよ
意味わからんわ

282:名無しさん@1周年
19/05/20 11:57:27.35 OQb5QTrR0.net
>>261
荒神谷遺跡のこのおびただしい銅剣の量を見よ!
URLリンク(www.izumo-kankou.gr.jp)
北九州を平定した後に卑弥呼に国を譲り出雲へ引きこもった大国主が封印したもの。

283:名無しさん@1周年
19/05/20 11:57:28.82 k6qakKSB0.net
>>257
引っ張り強さの問題じゃね
青銅だと鉄鋼の半分ぐらいだよ

284:名無しさん@1周年
19/05/20 11:57:52.32 XN9sTMCa0.net
>>261
その鉄がない畿内に九州は飲み込まれたのが現実の歴史なんだよ
九州説の人はこういう義務教育レベルの日本の歴史を知らなかったり
九州王朝悦カルトみたいに教科書で書かれてる古代史のすべてを否定するか、どち


285:らか




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