19/05/16 20:47:21.38 u0NG1+Wz0.net
映画制作側が反体制とか言うこと自体
日本の芸術文化がまだまだ遅れていることを露呈してしまった。
本来なら、弾圧されて、反体制や権力者を揶揄すれば、処刑されたり、首をはなられたり、
命の危険がある中で、反体制、反権力の映画をコッソリ作り、生命や財産などかけて反抗するところに歴史の足跡があり
後世の者たちが、その反骨精神に、芸術と歴史の一側面を感じ取るもの。
それを何しても、この平和で自由な時代に、命がけでも何でもない、ぬるま湯の時代に、
民衆迎合型のへつらい権力者のしかも、持病などを揶揄したり笑いものにするのは
反骨でも、反体制でも、反権力でもない。
もう令和になるのに反骨ゴッコおよび、反権力ゴッコのオナニーで、満足する日本映画界および、
本来ならその感覚のずれを指摘するはずの映画批評家の反骨ゴッゴの擁護、
すなわち、業界権力のすり寄り迎合にはもっと失望した。
タダのイジメに近い下衆の笑いと次元の低い芸術とはおよそ呼べないモノだろうw
しかもその、反権力ゴッコをさも自分の誇りの様に自慢げにマスコミに語る監督、スタッフ、俳優、評論家、マスコミの次元の低さよww
やっぱ感覚が、日本じゃない国の感覚であることは否めない。
それは、日本の伝統である時代劇を排除しているところからもその一端は垣間見える。
日本文化の破壊だw
日本の映画業界は黒澤明以降、シロアリの様に食いつぶされ、感覚がずれているのかもしれない。悲しい限りだ。