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即位67年冬10月5日。河内の石津原(イシツノハラ=和泉国大島郡石津郷=現在の大阪府堺市石津町)に天皇は行き、
陵地(ミサザキノトコロ=墓所)を定めました。18日に陵(ミサザキ=墓)を築き始めました。
この日に鹿が、たちまち野の中から現れて、走って、役民(エタミ=墓作りの仕事をしている民)の中に入って倒れて死んでしまいました。
その死んでしまったことを不思議に思って、その鹿の傷を調べてみました。
百舌鳥(モズ)が耳から飛び出して飛んで行きました。耳の中を見ると、ことごとく食い割って肉が剥げていました。
それでその場所を名付けて、百舌鳥耳原(モズノミミハラ)といいます。これはその所以です。