暇つぶし2chat NEWSPLUS
- 暇つぶし2ch711:名無しさん@1周年
19/05/16 23:17:24.81 UdGjiL6L0.net
>>642
魏が戦争に勝って、倭が朝貢できるようになって
実際に朝貢にきたから大喜びしたんだよ
それまで国交無かったんだよ

712:名無しさん@1周年
19/05/16 23:18:16.04 7bYOw5O10.net
箸墓は考古学的に卑弥呼と時代合わないんだろ

713:名無しさん@1周年
19/05/16 23:19:33.43 flJ6U0FB0.net
>>688
畿内では相手を滅ぼす為の武器が出土しない。
だから前方後円墳の広がりを根拠に霊感商法で九州を丸め込んだ、というのが真の畿内説のはずだが?

714:名無しさん@1周年
19/05/16 23:21:02.11 UdGjiL6L0.net
>>683
前方後円墳は後円部のもが墓で前方部は祭祀スペース
当時の人々は後円部だけしか墓と認識してない
箸墓の大きさは径100歩で合ってる

715:名無しさん@1周年
19/05/16 23:21:18.90 wfxSjdYX0.net
武器が出土しないのは武器買う財力が無いせいやろな
当時の鉄器ははるばる朝鮮から原鉄を輸入してるので
ド田舎僻地じゃ買えないよ

716:名無しさん@1周年
19/05/16 23:21:45.28 hRoMkA450.net
前方後円墳の成立時期がな
箸墓を三世紀半ばに持っていくのはちとやりすぎな気はする

717:名無しさん@1周年
19/05/16 23:22:06.93 pZUs0nH60.net
>>679
箸墓作れる権力に匹敵する強大なクニが東国にあったわけだ
見つかるといいねえw

718:名無しさん@1周年
19/05/16 23:22:19.91 wfxSjdYX0.net
>>694
という解釈で箸墓をタイムワープさせたんだろねぇw

719:名無しさん@1周年
19/05/16 23:23:44.57 UdGjiL6L0.net
>>698
???
箸墓は3世紀だろ

720:名無しさん@1周年
19/05/16 23:24:12.67 MVq9kav60.net
○九州に、奴国等+投馬国+邪馬台国+狗奴国は、人口的に入らない。(>>649
○行程記事の方位は、九州上陸直後からほぼ90度間違っている。行程記事の方位は絶対ではない。(>>662
○倭の五王(安東大将軍倭国王)の墓が3段築成なので、4段築成の箸墓は親魏倭王卑弥呼の墓である。(>>668
以上より、奴国=博多湾、投馬国=出雲、邪馬台国=畿内、狗奴国=東海地方に比定される。
ちなみに隠岐には『都万(ツマ)』という地名が残る。これはかつて『投馬国』の領域であったことの痕跡。
日本では地名は1000年で90%くらい残存する。支配者が代わってもそんなには変わらない。
信長が美濃を岐阜にしたのは強権による例外ケース。
投馬国=都万、邪馬台国=ヤマト、狗奴国=久努(クド)※遠江の古名
のように、地名も上記の比定を補強する。

721:名無しさん@1周年
19/05/16 23:24:31.26 wfxSjdYX0.net
ちなみに箸墓は300メートルぐらいだっけ
百歩ではちと無理があるで

722:名無しさん@1周年
19/05/16 23:25:04.84 35LSfFc90.net
気候的に九州北部は無いわ
九州なら宮崎以外有り得ん

723:名無しさん@1周年
19/05/16 23:25:22.12 ktQgp6BB0.net
豊玉姫の伝承なども興味深い
神武の祖母であり山幸彦と結ばれる逸話から垣間見られるのは、別系統の一族が融合することにより子孫が王となるまでに発展して行く経緯
これは流通と祭祀の一族である倭国系海人族と、稲作を地盤としたクニを重視する民の権力者が融合したことを物語っていると思うんだよな

724:名無しさん@1周年
19/05/16 23:25:55.27 tU+KB79e0.net
>>657
そうなると邪馬台国は久留米とか田川とか直方とかだな。

725:名無しさん@1周年
19/05/16 23:26:28.49 FN9L2pbp0.net
畿内は方形周溝墓で朝鮮小銅鐸から銅鐸は派生だから
朝鮮人奴隷の開拓地

726:名無しさん@1周年
19/05/16 23:28:36.43 flJ6U0FB0.net
唐に朝貢した使者が言ってるな。
(旧唐書)日本舊小國
むかしの日本(畿内)は小国だったと。
畿内説の言う強大な大和政権、とは矛盾するな。
(旧唐書)其人入朝者,多自矜大,不以實對,故中國疑焉。
朝貢にきた日本人は態度がデカくて不誠実なので中国は疑った。

727:名無しさん@1周年
19/05/16 23:29:01.13 HkSc7Gce0.net
>>694
高さが問題なんだよ見上げるようなものは古代中国でも墳
冢とは記されない箸墓は立派だと誉めそやすのは良いが
逆にそれが古代中国の史料の文法と記述が矛盾する

728:名無しさん@1周年
19/05/16 23:29:08.05 7bYOw5O10.net
畿内説論者の無理矢理な箸墓卑弥呼墓説は笑いを通り越して呆れる
これだけで畿内説の胡散臭さがわかる

729:名無しさん@1周年
19/05/16 23:29:08.85 UdGjiL6L0.net
>>701
箸墓は後円部のみが墓で径約150メートル
約百歩(約150メートル)と完全に一致してるよ

730:名無しさん@1周年
19/05/16 23:29:12.43 qOKbolEL0.net
>>692
合わん。前方後円墳はもう皇室の時代。
箸墓がいくら古くなっても卑弥呼の墓とは思えない。
最後の王として台与がヤマト式に葬られたかもしれないが。
普通に皇女の墓だと思う。信じられないほど手厚く葬られた皇女だが。
記紀には該当する記述はないし。良く分からん。

731:名無しさん@1周年
19/05/16 23:29:29.28 1SGzAAk90.net
>>697
あれ?
マジで知らんの?
三世紀初頭に大規模な入植があって強大な勢力があったんよ北関東に
北陸ルートでヤマトを経由せずに大陸との交易もやっててな

732:名無しさん@1周年
19/05/16 23:29:56.39 TNyUaato0.net
>>702
宮崎は土が悪いから植物が育ちにくい

733:名無しさん@1周年
19/05/16 23:32:03.76 UdGjiL6L0.net
>>707
これは珍しい意見なのでソースほしいな
中国の歴史書では前方後円墳は全部「家」と書いてあるのか?
違うだろ

734:名無しさん@1周年
19/05/16 23:32:53.63 UdGjiL6L0.net
>>711
そんな国ないよ

735:名無しさん@1周年
19/05/16 23:33:47.55 flJ6U0FB0.net
>>708
箸墓の根拠は大きさ100歩だけ。
殉葬者100名という記述は無視してるよね。
都合の悪い記録は無視するんだよ畿内説は。

736:名無しさん@1周年
19/05/16 23:34:07.73 UdGjiL6L0.net
>>692
箸墓は考古学的には3世紀の可能性もあり時代は合ってるだろ

737:名無しさん@1周年
19/05/16 23:34:12.58 MVq9kav60.net
>>668
>>697
日本の歴史において、
美濃+尾張+東海の勢力は、近畿の権力に対抗可能な最大のライバル。
例えば狗奴国、大海人皇子、信長+秀吉など。
邪馬台国(畿内)に対抗した狗奴国が東海の勢力であることに、
何も不思議なことはない。
日本地図を見れば、近畿に対抗可能な一番近くの巨大平野(=大人口地帯)は、
美濃+尾張+東海のあの辺りであることは歴然。

738:名無しさん@1周年
19/05/16 23:34:33.82 hRoMkA450.net
>>712
日本最大級の西都原古墳群や、その周りにも幾つか古墳群があるし
宮崎市には最初期の前方後円墳がある生目古墳群もある。大きさもそれなりに大きい
今はただの陸の孤島だが、当時の宮崎にはそれだけの古墳を作れるだけの生産力はあったんだろ

739:名無しさん@1周年
19/05/16 23:35:46.41 UdGjiL6L0.net
>>710
ただの皇女のわけない。
物的証拠(四段築成)もあるので当時の人々は
箸墓に眠る女性は、天皇よりも偉いと認識してたのは間違いない

740:名無しさん@1周年
19/05/16 23:35:52.85 7bYOw5O10.net
後円部が墓だろうがつながってるのに前方に触れないわけあるか
大きさ語るなら尚更だ
卑弥呼の墓は円墳
前方後円墳な時点で卑弥呼の墓ではありえない
さらに時代すら違う
箸墓を卑弥呼墓だとぬかす馬鹿は信用に値しない
畿内説全てが胡散臭くなるレベル

741:名無しさん@1周年
19/05/16 23:36:06.96 FtLFpWcj0.net
>>704
弥生時代の末期、入れ墨の風習は吉備や尾張だが
九州ではほとんど確認できない
ちなみに入れ墨の風習は倭人一般のこととして書かれており、邪馬台国の場所とは直接関係ない
入れ墨の記述が正しければ、倭国の範囲は本州を含むことが確実になる

742:名無しさん@1周年
19/05/16 23:36:46.02 flJ6U0FB0.net
>>718
宮崎平野なんかも十分候補だと言えるでしょう。
ただし南海トラフの津波で全て消えてしまったかも。

743:名無しさん@1周年
19/05/16 23:37:54.75 vY2ngWKQ0.net
>>715
殉葬百人無視してないぞ
記紀によると、崇神が殉葬を始めて垂仁で止めさせたとある
日本において数少ない殉葬の可能性があるのが百襲姫の墓なんだよ

744:名無しさん@1周年
19/05/16 23:38:43.89 1SGzAAk90.net
>>714
毛野国のベースだが…
東国を知らん人本当に多いな
サキタマ以前は下手すりゃ東北より影が薄い

745:名無しさん@1周年
19/05/16 23:38:57.67 k3sbxKis0.net
>>709
現状卑弥呼の墓とする根拠なし
誰の墓かもわかっていない
まずちゃんとそこを踏まえよう
卑弥呼ありきでいくら考えてもダメ
それは学問と呼ばない

746:名無しさん@1周年
19/05/16 23:38:58.79 Fmp0IcKF0.net
>>657
知識も無いし興味も無いし劣化漢字の簡体字だし
魏志倭人伝を記した地に今居る人の言だからと特に重視するものではないね
魏志倭人伝を記した時代の中国人は今の中国の何処にもいない

747:名無しさん@1周年
19/05/16 23:39:41.15 flJ6U0FB0.net
>>723
中を見たんですか?

748:名無しさん@1周年
19/05/16 23:40:34.06 iIAalovEO.net
畿内説=詭弁術になってるなw

749:名無しさん@1周年
19/05/16 23:40:49.94 hRoMkA450.net
倭人伝には、倭人の家の造りとして
父母兄弟は異なる場所で寝起きしている、という記述があるが
これに該当しそうな花弁型縦穴式住居というのがある(真ん中の部屋の周りに、花弁のように部屋がある)
この形式の住居は、ほぼ九州のみ。宮崎が確か一番多い

750:名無しさん@1周年
19/05/16 23:41:01.21 wfxSjdYX0.net
日本書紀にはこうあり、ドデカイ墓を人民総出して日夜作ったのが分かる
どう見ても箸墓に居るのはモモソヒメだよ
爰倭迹々�命、仰見而悔之急居急居、此云菟岐于、則箸撞陰而薨。
乃葬於大市。
故時人號其墓謂箸墓也、
是墓者、日也人作、夜也神作、故運大坂山石而造、
則自山至于墓、人民相踵、以手遞傳而運焉。

751:名無しさん@1周年
19/05/16 23:42:20.20 UdGjiL6L0.net
>>720
>後円部が墓だろうがつながってるのに前方に触れないわけあるか
そりゃ墓の説明した倭人が後円部のみを墓と認識してるんだから。
魏の使者は箸墓の


752:完成(魏の滅亡後に完成)は見てないだろうし



753:名無しさん@1周年
19/05/16 23:42:21.75 FtLFpWcj0.net
殉葬は記紀でも倭人伝でも記述してるから実際にあったんだろうな
だが日本ではその証拠はどこにもない

754:名無しさん@1周年
19/05/16 23:42:26.01 3cao6dMU0.net
邪馬台国の起源は朝鮮

755:名無しさん@1周年
19/05/16 23:42:31.56 OFL3Mzhj0.net
>>720
箸墓の江戸時代の絵図は円墓で描かれてるよ。
つまり前方後円墳なんて最近の呼称に過ぎないのわかってる?

756:名無しさん@1周年
19/05/16 23:43:10.37 Up0S2Aw10.net
>>699
馬具(あぶみ)が出てるから4世紀半ば~

757:名無しさん@1周年
19/05/16 23:44:09.02 wfxSjdYX0.net
アブミを百年ワープさせれば畿内説に

758:名無しさん@1周年
19/05/16 23:44:39.34 PLrsC0ua0.net
>>263
宮崎と言っても都城の方でしょう?
西都原の博物館に隼人の盾を置いたり
片寄った方がいらっしゃる

759:名無しさん@1周年
19/05/16 23:44:39.77 7bYOw5O10.net
>>734
卑弥呼墓論者がそれほざいてたけど最初から前方後円墳だったことが証明されて恥かきました

760:名無しさん@1周年
19/05/16 23:44:45.19 yq26txGt0.net
邪馬台国の時代に記す技術があればなあ

761:名無しさん@1周年
19/05/16 23:44:47.75 tU+KB79e0.net
>>706
ウェーハッハッハ

762:名無しさん@1周年
19/05/16 23:44:48.04 Up0S2Aw10.net
>>717
南じゃないな、やり直し!www

763:名無しさん@1周年
19/05/16 23:44:48.19 OFL3Mzhj0.net
>>730
その大坂山辺りにヤマダイなんて集落名が、奈良時代には残っていたのも無視出来ないからな。

764:名無しさん@1周年
19/05/16 23:44:54.60 flJ6U0FB0.net
>>734
前方後円墳に改造したのかな?
そういえば神武の墓は明治時代に造られたんだっけ。

765:名無しさん@1周年
19/05/16 23:45:21.19 UdGjiL6L0.net
>>725
根拠は沢山あるだろう
箸墓のある場所(大王の墓があるべき位置)
箸墓の形状(天皇陵より格上の形状)など

766:名無しさん@1周年
19/05/16 23:46:03.90 OFL3Mzhj0.net
>>738
君はもしかしたら日本語が理解出来ない人かw

767:名無しさん@1周年
19/05/16 23:47:14.73 MVq9kav60.net
>>710
3世紀には、まだ大王も天皇もいなければ、大王家(大王を出す血筋の家柄)も存在していない。
8世紀の記紀の編纂時に、奈良盆地や河内平野の大昔の有力者たちを、
全部天皇家の先祖と言うことにし、なおかつ男系直系にして無理やりつないだ。
欠史八代その他の架空の天皇は、ストーリー上の辻褄を合わせるために創造されたフィクション。
3世紀頃は、ヒメ王(祭祀担当) > ヒコ王(実政治担当)の二元支配体制がデフォで、
日本書記ではただの皇女にされているモモソヒメも、そのモデルになった人物がヒメ王であっても全く不思議はない。

768:名無しさん@1周年
19/05/16 23:47:27.39 Up0S2Aw10.net
西暦230頃に、近畿から九州に跨る
中央集権国家が有ったとか畿内説は
馬鹿丸出しだなwww

769:名無しさん@1周年
19/05/16 23:47:40.86 UdGjiL6L0.net
>>706
『旧唐書』をちゃんと読め
『旧唐書』倭国・日本国伝
日本國者、倭國之別種也。以其國在日邊、故以日本為名。或曰:倭國自惡其名不雅、
改為日本。或云:日本舊小國、併倭國之地。其人入朝者、多自矜大、不以實對、
故中國疑焉。
(日本語訳)
日本国は、倭国の別種なり。
その国は日の出の場所に在るを以て、故に日本と名づけた。あるいは曰く、倭国は
自らその名の雅ならざるを憎み、改めて日本と為した。あるいは日本は昔、小国だっ
たが倭国の地を併せたという。
そこの人が入朝したが、多くは自惚れが大にして不実な対応だったので、中国はこれ
を疑う。
(わかりやすくまとめ)
日本の使者は異なる3つの説明をした。
A 倭国が日本に改名した。
B 日本と倭国は完全に別の国である。
C 日本は小国だったが倭国を併合した。
日本の使者は不誠実でウソをついているようなので
中国は日本の使者の話を信用しなかった。

770:名無しさん@1周年
19/05/16 23:48:02.48 I4CXIAlL0.net
記紀に卑弥呼の記述がないのは当然
卑弥呼が魏と関係持ってても畿内にいる勢力はそんなこと把握してないだろ
現に近畿に住んでる人たちに聞くが
俺がいま九州で何をしているか分かるか?当ててみろよ

771:名無しさん@1周年
19/05/16 23:48:47.63 wfxSjdYX0.net
そしてこれほど人民に慕われ崇神に数々の予言をしたモモソヒメだが
魏には使節を送ってないしそもそも諸国に号令もしてない
要するにドデカイ墓は奈良土民独特な信仰で
モモソヒメと卑弥呼は別人と。

772:名無しさん@1周年
19/05/16 23:50:12.86 sC5RTkPt0.net
邪馬台国は近畿だよw

773:名無しさん@1周年
19/05/16 23:50:21.05 OFL3Mzhj0.net
>>743
単純に丸い部分が目につくから円墓として描いていたに過ぎないんだよ。
形状は俯瞰して見なきゃなんの事か判らんから。
墳丘形状の細分化作業なんてごく最近だ。

774:名無しさん@1周年
19/05/16 23:50:49.71 Up0S2Aw10.net
>>750
宮崎の都城市辺りにデカい古墳群を作ってた
勢力が奈良に進出したんだろうな
古事記とも一致するし

775:名無しさん@1周年
19/05/16 23:51:00.43 hRoMkA450.net
モモソヒメの時代だと、まだ崇神天皇が四道将軍を出して勢力を伸ばしてる段階な気はする
西海道は吉備や出雲あたりまでじゃないか

776:名無しさん@1周年
19/05/16 23:51:25.30 FFdSK+vT0.net
>>702
2018年 猛暑日(最高気温35℃以上)、真夏日(最高気温30℃以上)、熱帯夜(最低気温25℃以上)日数、年最高気温
   猛暑 真夏 熱帯夜
東京 12日 68日 42日 39.0℃
大阪 27日 74日 53日 38.0℃
福岡 16日 75日 54日 38.3℃
佐賀 36日 82日 53日 38.4℃
長崎 *7日 65日 56日 37.2℃
熊本 41日 85日 45日 38.1℃
大分 14日 71日 39日 37.3℃
宮崎 *0日 61日 34日 34.9℃
鹿児 *7日 84日 65日 36.3℃
他スレからのコピペ
宮崎の気候は特殊

777:名無しさん@1周年
19/05/16 23:51:33.93 7bYOw5O10.net
>>745
江戸時代の人が円墳って言ってた!が考古学的に何の証明になるのかも理解できてない人に言われてもな
お前には日本語より勉強しなきゃいけないことがあるな

778:名無しさん@1周年
19/05/16 23:52:09.96 1SGzAAk90.net
>>748
そもそも日ノ本は今でいう青森県南部地方にいた勢力の名乗ってた国名だからな
倭国とも大和とも本来は別だった

779:名無しさん@1周年
19/05/16 23:52:38.55 Up0S2Aw10.net
>>751
根拠も無しに言い続ける近畿論者www
嘘も言い続けると真実になるってか?www

780:名無しさん@1周年
19/05/16 23:53:18.55 HkSc7Gce0.net
>>713
三国志に
「山に因りて墳を為し、冢は棺を容るるに足る」
というのがあるんだよ
これは詳しくないけど前漢の周礼でも
「漢律に曰く、列侯の墳は高さ四丈、関内侯以下庶民に至るまで各々差あり」
というのがあるそうで高さが記されていて基準になってるのがわかる
調べると当時の1丈は大凡男性の身長、2m無いくらいというので30mもある箸墓はちゃんと「墳」に当たる
まぁ皇帝陵なんかに比べりゃ小さいけど箸墓くらいなら十分諸侯の墳といって良い規模で
実際、朝貢して魏の諸侯の位置ではあるし魏との関係的には良好なのでワザワザ「冢」に貶められる意味もない
むしろ他の記述的には結構優�


781:ウれてるくらいなので ここも盛って「墳」として貰えても良さそうなくらいだが記述は「冢」 その辺を考えると倭人伝の記述としては言うほど大きな物ではないよと書かれていると言っていい



782:名無しさん@1周年
19/05/16 23:53:19.54 UdGjiL6L0.net
>>750
モモソ姫は、天照大神と並ぶ「最高神」の大物主神の妻だよ
『日本書紀』の中でもめっちゃ偉い

783:名無しさん@1周年
19/05/16 23:53:30.24 8epLqDKm0.net
インチキ年代測定で100年時代を遡らせても大したもん出ないなら
ヤマト政権成立は考古学がいうよりもかなり遅かったかもな
そういえば古墳時代の鉄器の出土量と分布の資料とか見かけないね
弥生のはよく見かけるけど
タブーなんかな?

784:名無しさん@1周年
19/05/16 23:53:34.64 flJ6U0FB0.net
>>749
>卑弥呼が魏と関係持ってても畿内にいる勢力はそんなこと把握してないだろ
旧唐書における日本国の使者のしどろもどろな応対がそれを物語っている。
もしかすると畿内はこの時に邪馬台国の歴史を知ったのかもしれない。
改めて記録文献の重要さを感じた天武は国史の作成を指示した。

785:名無しさん@1周年
19/05/16 23:53:37.35 E6frTuGy0.net
>>749
神功皇后のとこに、ほんのり注釈ついてるけどねw

786:名無しさん@1周年
19/05/16 23:53:50.02 TNyUaato0.net
>>718
あそこいらへんはシラス台地なんだよ

787:名無しさん@1周年
19/05/16 23:53:59.72 bahKV9ZO0.net
諸説ありSP
それに出ていた九州説の中国人学者というふれ込みの3人中2人は華東師範大学の同僚
臧克和教授は中国?言文学系で歴史学は専門ではない
二、主要科研成果
(一)著作
《?用?文解字》(合作),上海古籍出版社,2012年。
《中国石刻》??(主?),南方日?出版社,2011年。
《?魏六朝隋唐五代字形表》,(主?),南方日?出版社,2011年。
《中国?体字大系(隶?卷)》(主?),上海?画出版社,2010年。
《?帛与学?》(独著),大象出版社,2010年。
《中古?字流?》(独著),???范大学,2008年。
専門は古代の「文字」
陳長琦教授は歴史文化学院で、とりあえず歴史学が専門だけど
あくまで専門は古代中国史で、六朝史
いわゆる南朝が専門で倭と通行のあった魏、西晋には詳しくない
論著目録
1)陳長琦:《六朝政治》,南京出版社,2010年
2)陳長琦:《中国古代国家与政治》,文物出版社,2002年
3)陳長琦主?:《中国政治制度史》,高等教育出版社,2001年
4)陳長琦:《?国秦?六朝史研究》,広東人民出版社,1997年
5)陳長琦:《?晋南朝政治史稿》,河南大学出版社,1992年
三人目は、周徳望 Te-wang Chou博士で、博士号は持っているけれど
大学の教授ではない
「相關何處?論日本邪馬台國研究中的自我認識」という論文を書いているので、
残りの二人よりは詳しいけれど、この論文中に「邪馬台国大研究」のウェブページが
引用されているところを見ても、独自研究をしている訳でもない
そして、「不在中國?日本漫畫中的起源意識與現代身?」のような、日本のマンガでの
中国の描かれ方の論文なんかも書いてる

788:名無しさん@1周年
19/05/16 23:55:14.02 flJ6U0FB0.net
>>755
現代の東京、大阪、福岡はヒートアイランド現象がある

789:名無しさん@1周年
19/05/16 23:55:17.06 OFL3Mzhj0.net
>>750
モモソは瀬戸内海諸国では海人の神扱いだけどな。だから箸墓の祭祀様式が吉備


790:辺りの影響下からなのも、伝承の正確さを証明してるだろう。 更にいうとモモソの別名が日女命、ヒミコと書いてある資料がある以上はモモソは卑弥呼だとしか言いようがないのだがw



791:名無しさん@1周年
19/05/16 23:55:27.91 I4CXIAlL0.net
>>763
注釈付けただけでも偉いわ
中国の文献を無視せず
ちゃんと参考にしたってことを残してるわけだし

792:名無しさん@1周年
19/05/16 23:56:13.02 6lk1Y23p0.net
♪いまにみていろ 邪魔大王国
全滅だ!

793:名無しさん@1周年
19/05/16 23:56:17.77 k3sbxKis0.net
>>744
じゃあ論文にしなさい
全く相手にされないから
あるべき場所ってのがひどい
そんなもの誰が決めたんだ
いいはればなんでも根拠になるのかよ

794:名無しさん@1周年
19/05/16 23:57:24.33 wfxSjdYX0.net
纒向を掘らなければあっこに繁栄する王都があったと言い張れたのにな
10年掘っても何も出ない寒いド田舎で畿内説も冷え切った

795:名無しさん@1周年
19/05/16 23:57:43.31 qVtzxmxs0.net
>>1 馬鹿だな埼玉にあったんだよ

796:名無しさん@1周年
19/05/16 23:57:54.32 yq26txGt0.net
卑弥呼が女王になる前ものすごい雨が降り続いてたのがわかってんだよね?
よくわかるなあ

797:名無しさん@1周年
19/05/16 23:58:03.38 hRoMkA450.net
>>764
桜島からは結構離れてるし、鹿児島あたりのシラスとは違い過ぎるだろ

798:名無しさん@1周年
19/05/16 23:58:24.49 I4CXIAlL0.net
「ヤマト」ってネーミングセンスが意味不明
「山の入り口」って意味らしいがなんでそんなんを国名にしたw?
山なんて日本中にいくらでもあるし
そんな重要な場所でもないだろw

799:名無しさん@1周年
19/05/16 23:58:27.11 flJ6U0FB0.net
畿内説がこれだけ持ち上げてる箸墓だが、中を確認して馬具が出てきたらどうするんだろう?

800:名無しさん@1周年
19/05/16 23:58:31.94 UdGjiL6L0.net
>>761
インチキじゃないけどな
何を根拠にインチキと言ってるの?
まさか安本説?安本は明らかに科学的な知識ないよ

801:名無しさん@1周年
19/05/16 23:58:52.69 FtLFpWcj0.net
>>765
あれだけ日本史の知識がないのは、専門外だったわけか

802:名無しさん@1周年
19/05/16 23:59:28.40 OFL3Mzhj0.net
>>756
アホ、一般的に少なくとも前方後円墳的に捉えていた訳ではない証明になる訳だがw

803:名無しさん@1周年
19/05/16 23:59:53.18 TNyUaato0.net
>>774
ワイは子供のころからあそこいら辺に住んでいたから良く判る

804:名無しさん@1周年
19/05/17 00:00:08.40 SAlwFd1l0.net
>>767
そんな寝言言う暇があったら、魏志倭人伝に
倭人は鉄を使ってるとあるのに、奈良から
鉄が出てこないのはなんで?www

805:名無しさん@1周年
19/05/17 00:00:21.83 N9STTrT70.net
>>776
問題ないと思うけど?
魏の偉い軍人の張政が訪れたことになってるから
その時に軍馬は連れてきたはず。

806:名無しさん@1周年
19/05/17 00:01:32.48 ZvXC7idN0.net
>>768
日本書紀は中国向けというか対外用に書かれているから、当時手に入った史書は頑張って読んだんだなーってのは、わかるよ。

807:名無しさん@1周年
19/05/17 00:01:35.19 FeMbKINi0.net
>>762
そういう理由で「ウチら実は邪馬台国の末裔ですねん」って権威付けで嘘ついた説もあるよな

808:名無しさん@1周年
19/05/17 00:01:44.31 Kj2X9QDm0.net
仁徳天皇陵の工数の見積もりが
680万人日
箸墓古墳の体積は仁徳天皇陵の1/50。
よって箸墓古墳の築造の工数は13.6万人日
つまり箸墓古墳は
千人の労働者で136日あればできる。

809:名無しさん@1周年
19/05/17 00:01:44.76 4mhbYJYK0.net
>>755
「温暖」というのは当然冬のことだろうな

810:名無しさん@1周年
19/05/17 00:01:52.90 OzrMuks00.net
>>782
中国最古の馬具は4世紀だったはずだが?

811:名無しさん@1周年
19/05/17 00:01:56.79 DJt9hO680


812:.net



813:名無しさん@1周年
19/05/17 00:02:34.70 N9STTrT70.net
>>775
アホ?
三輪山そのものが御神体なんだが
山の入口だったら御神体の入り口だよ

814:名無しさん@1周年
19/05/17 00:02:41.03 OzrMuks00.net
>>784
当時ならやりかねないね

815:名無しさん@1周年
19/05/17 00:03:43.68 Zze391ML0.net
>>715
殉葬しても、日本書記の垂仁紀28年の記事にあるように、
『倭彦命を葬った時に、近習の者全員を陵の境界に生き埋めにしたのだが、死にきれずに昼夜泣き呻く声が響いた。
 やがて力尽きて腐臭が漂い、犬や鳥が集まって腐肉を喰った。垂仁天皇はこれに心を痛めて殉葬のしきたりを止めさせた』
(日本書記全訳(上巻):宮崎豊穂訳:ほおずき書籍より抜粋、一部口語化)
のような殉葬の仕方だと、人骨は後世まで残らず散逸する。
石の棺に入れて深く埋葬してさえも、人骨は1500~2000年後まで完全には残らない。
まして地表近くで死体を放置して犬や鳥に喰われる状況では、
100人を殉死させても、その痕跡は現代まで残らない。
したがって箸墓の周辺で殉葬痕跡が見つからなくても、倭人伝記事との齟齬は生じない。

816:名無しさん@1周年
19/05/17 00:03:54.28 SAlwFd1l0.net
>>782
えっと、www
張政の頃、馬具は中国にも無いんですけどw

817:名無しさん@1周年
19/05/17 00:04:40.54 DJt9hO680.net
>>787
現状最古の、なんて話は出土品で一変するよ。
そもそも倭に馬がいないのなら、倭人以外が往来していた証拠にしかならんだろw

818:名無しさん@1周年
19/05/17 00:05:05.33 h9v5Vnf00.net
>>789
お前、畿内説かよお~?
九州のヤマトのことを言ってるんだよ

819:名無しさん@1周年
19/05/17 00:05:12.66 SAlwFd1l0.net
>>782
ま、近畿論者の知識はこの程度だろwww

820:名無しさん@1周年
19/05/17 00:05:52.94 MjyN/Pat0.net
大物主という大スターの嫁(正確には預言をつたえる霊能者で斎宮)であるモモソヒメの地位は高い訳だよ
これは天皇が土着信仰に非常に配慮してる東征直後の実情なのであろうな
以後これほど地位の高い皇女はほぼいないのは支配が確立して土着信仰に配慮する意味が薄れたからだろうな
いずれにせよ全国に号令し政治外交の中心であった卑弥呼とは大幅に違う
全国区のアナウンサーと奈良地元テレビのアナウンサーぐらいの差がある

821:名無しさん@1周年
19/05/17 00:06:14.91 h9v5Vnf00.net
日本に馬がいつ、そしてどのルートから来たかは明らかになってるの?

822:名無しさん@1周年
19/05/17 00:06:17.36 FJw+aSId0.net
新しい証拠が出たわけでもないのに絞り込まれたとか言う意味あるのか?

823:名無しさん@1周年
19/05/17 00:06:39.49 YIge2LWw0.net
>>649
久留米市の古い地名がツマなんだと

824:名無しさん@1周年
19/05/17 00:07:05.96 SAlwFd1l0.net
>>793
中国に馬具が出来たのが4世紀の半ばなんだがwww
やっぱ、理解出来てなかったかwww

825:名無しさん@1周年
19/05/17 00:07:22.91 OzrMuks00.net
>>793
3世紀に比定された墓で馬具が出たのは箸墓だけ。
そしてその馬具が中国様を差し置いて最古の馬具だという事になっている。
これ以上歴史を狂わせるのはやめてください。

826:名無しさん@1周年
19/05/17 00:07:25.82 egzzYe8L0.net
>>746
邪馬台国の滅亡はある種の革命ではないかと思う。
前方後円墳は箸墓以前にも例はなくはないが、3世紀の後半に突如として
こんな巨大な墳墓が出現し、銅鐸は遺棄されて役割を忘れられた。
形式・文化のかたちとして、前方後円墳はその年代がいつのものであれ邪馬台国のものではないと思う。
初期ヤマト王権に世襲による継承はなかったかもしれないが、箸墓の中の人は邪馬台国滅亡後の人物かと。

827:名無しさん@1周年
19/05/17 00:07:27.95 KmbX9hLW0.net
九州のほうが自然な考えだよな

828:名無しさん@1周年
19/05/17 00:07:56.50 FeMbKINi0.net
>>779
だから、この場合江戸時代の一般論に何の意味があるんですかねえ?
考古学的に最初から前方後円墳なんですけど
作った当時の人間が前方に意味を見出してないなら最初からただの円墳で作るわアホ

829:名無しさん@1周年
19/05/17 00:08:44.77 DJt9hO680.net
>>794
九州のヤマトなんて明らか大和朝廷との境界線、の意味だよw
そこが対抗勢力との境界線だという意味な。
山地ですらない奈良の大和は字でもわかるように八島の真ん中、だからヤマトだ。常識問題。

830:名無しさん@1周年
19/05/17 00:09:05.14 gy4wfYLv0.net
>>780
西都原の平野のあたりは沖積平野で、基本的に河川(一ツ瀬川)の堆積物だろ
シラスがあるとしても、古墳群がある台地やらの方だろな
(あまり生産に適しておらず、かつ台地で上が広かった為に
古墳を置くのに適していた、と判断されたのかも。実際そこに集中している)

831:名無しさん@1周年
19/05/17 00:09:56.29 FeMbKINi0.net
>>790
もし邪馬台国がヤマト読みだとしたら、邪馬台国の外交成果を奪いとろうとしてヤマトを名乗った可能性はあるよね

832:名無しさん@1周年
19/05/17 00:10:01.47 G9KB4yt60.net
>>800
鐙は副葬物で302年のものが出てるから成立はそれより前だろうな

833:名無しさん@1周年
19/05/17 00:10:34.32 AwngoyoL0.net
邪馬台国が畿内なら出雲や吉備の記述があってもいいのに何の記述も無いなw

834:名無しさん@1周年
19/05/17 00:10:51.41 MjyN/Pat0.net
>>805
そもそも大和ではなくて倭と書いてヤマトと呼んでいた
大倭でもいい

835:名無しさん@1周年
19/05/17 00:11:33.23 Y3TVyCCL0.net
纏向は本当に邪馬台国関連のものが出てこなくて地元の人も参ってる
他に有力な候補があるわけでもなく研究体制も細って
何十年後かには畿内説は自然消滅するかもとまで言われる始末
でも最後に箸墓を何とか調査できればという一縷の望みだけでモチベーションを保ってる状態

836:名無しさん@1周年
19/05/17 00:11:43.20 N9STTrT70.net
>>801
箸墓の周辺から馬具出ただけだろ
箸墓の中から出たみたいに言うなよw

837:名無しさん@1周年
19/05/17 00:12:07.16 CHobl3kp0.net
>>742
大坂山を検索してみたが、福岡と奈良にあるのな
また福岡の地名が奈良についてるパターンか
福岡の地名、奈良につきすぎ

838:名無しさん@1周年
19/05/17 00:12:14.05 v/8kDU1R0.net
あれだろ、埼玉にあったんだよ

839:名無しさん@1周年
19/05/17 00:12:20.12 s/453/++0.net
>>781
淡路に弥生後期最大規模の鉄工所がありましたよ
その頃の近畿は九州と違い大きな戦争無かったから鉄製の鏃が大量に出る方がおかしい
卑弥呼の墓の痕跡が九州に全く無い以上中心は別にあり九州は邪馬台国の一部に過ぎなかったんだよ

840:名無しさん@1周年
19/05/17 00:13:00.82 OzrMuks00.net
>>807
あり得る。
もしくは邪馬台国の事を本当によくわからず、自分たちの事だと勘違いしていたのかもしれない。
なんせ昔は文字を知らなかった畿内�


841:セから。



842:名無しさん@1周年
19/05/17 00:13:11.99 DJt9hO680.net
>>804
本当に頭大丈夫かよw
前方後円墳なんて分類は、後世専門的に研究する学者の視点だ。
倭人伝を記して書いたのは当時の土木専門家でも研究者でもない。漠然と円墓部分を見て認識していたに過ぎないだろw
本当にアホばっかり、九州説の連中はw

843:名無しさん@1周年
19/05/17 00:14:26.37 ab8mdbud0.net
>>810
「倭」は中国での呼称

844:名無しさん@1周年
19/05/17 00:14:29.46 6uLVsWTk0.net
奈良だろうね

845:名無しさん@1周年
19/05/17 00:14:33.66 N9STTrT70.net
>>814
埼玉は雄略天皇の時代に奈良に侵略されたんだよ。
邪馬台国時代は、記録が残ってないだけで埼玉には倭国とは別の国があったはず

846:名無しさん@1周年
19/05/17 00:14:50.33 egzzYe8L0.net
>>809
魏志では邪馬台国(七万戸)に次ぐ大国として投馬(五万戸)国が言及されている。
中国地方のどこかではないかと思うが。
東征途上の神武が安芸と吉備に足かけ20年近く逗留しているね。

847:名無しさん@1周年
19/05/17 00:15:50.00 SAlwFd1l0.net
>>820
確かにサキタマ古墳群は立派な古墳群だ
10回以上行ったわ

848:名無しさん@1周年
19/05/17 00:15:52.47 gy4wfYLv0.net
前方後円墳の成立には吉備の勢力がかなり関わっているのは確か
そもそも前方後円墳の原型と言われる陸橋付円形周溝墓が瀬戸内から畿内に広まってる(前2世紀から2世紀にかけて)
神武東征でも吉備に何年か留まってから畿内に進出しているし
邪馬台国以前に東征があったんじゃないか、とも思えるな

849:名無しさん@1周年
19/05/17 00:16:28.54 MjyN/Pat0.net
卑弥呼の外交威光を朴りたいがためにあえてヤマトと号した
十分有り得そうな見方だ
奈良のど僻地の出身じゃ隋唐に舐められてしまう
もっとも隋唐ではちゃんと違いを認識してたようだw
しかしそれでも記紀にウソは書かない矜持だけは有った
魏との10年に渡る濃密な友誼を一切記紀に書いてない
これだけは正直だと褒めていい

850:名無しさん@1周年
19/05/17 00:17:23.56 sFpnsruu0.net
>>805
江戸時代から九州の山門(やまと)と言われてるけど?
境界線て...
おまえもうだまれよ

851:名無しさん@1周年
19/05/17 00:17:43.33 OzrMuks00.net
>>812
まるで中を見たかのような発言を繰り返す畿内説はどうよ?

852:名無しさん@1周年
19/05/17 00:18:37.89 DJt9hO680.net
>>813
やっぱりアホ、大坂山なんて地名検索しないとわからないレベルの奴が九州説なんだなw
京都も有名だし四国にもある。
だが大坂山のヤマダィなんて集落名は一ヶ所しかないからな。
和泉にあるのはオオタタネコとも縁のある弥生集落の近くだ。

853:
19/05/17 00:19:07.05 l3YUMrhXO.net
邪魔台国はどこに、、、
鋼鉄ジーグを投入して滅ぼさないと。

854:名無しさん@1周年
19/05/17 00:19:11.32 SAlwFd1l0.net
>>815
お前は魏志倭人伝って読んだこと無いだろう?

855:名無しさん@1周年
19/05/17 00:19:25.57 MjyN/Pat0.net
アブミが一番下から出るのはナンデだ
逆ゴッドハンドで埋めたのか

856:名無しさん@1周年
19/05/17 00:19:36.11 CAYsAxNR0.net
陳教授・・・倭人伝の欠陥はキョリ
「議事倭人伝はいくつかの時代の資料の融合した可能性が濃厚」
そもそも三国志は「魏 呉 蜀 」のあとの西晋の時代に書かれた物だがそれより古い漢の時代の記述が混在している
倭人伝は部分部分で矛盾しています・・一人の人物が書いたものではない
倭人の整合性のなさが端的なのは
・・不弥国まではキョリで記述されてるが、突然、日数に変る ・・・・距離と日数と伝情報を与えた人物や書物は違う物であろう
このことから異なる時代から融合した可能性が


857:高い 正確性よりわかった情報を寄せ集めて書いたのが倭人伝であると陳教授は言う



858:名無しさん@1周年
19/05/17 00:20:24.05 N9STTrT70.net
>>826
箸墓と関係性の深い黒塚古墳は発掘調査されてるけど
難升米が授かったとされる旗と思われるU字金具が出土してるね

859:名無しさん@1周年
19/05/17 00:20:49.42 DJt9hO680.net
>>825
江戸時代ってバカかw
少なくとも奈良時代以前の話だぞ。

860:名無しさん@1周年
19/05/17 00:20:59.48 SAlwFd1l0.net
>>826
所詮は畿内説www

861:名無しさん@1周年
19/05/17 00:21:03.68 g6JLD0ET0.net
こういう論争は、あと皇室と関係あるかないかの政治的な争いだから水掛け論

862:名無しさん@1周年
19/05/17 00:21:23.31 OzrMuks00.net
>>830
土器もしかり。
様々な時代の土器が出土しても、必ず古い方で編年するのが畿内流。

863:名無しさん@1周年
19/05/17 00:21:58.96 g6JLD0ET0.net
日本の皇室が千年続いたと認めたくない
そうなると慎重になる
あとは水掛け論

864:名無しさん@1周年
19/05/17 00:22:10.85 gy4wfYLv0.net
大倭って呼称は倭人伝にも出てくる
(国々にある市場の監視人として)
大和国は元々大倭国だったし
仮に九州に邪馬台国があったとした場合、邪馬台国から畿内に派遣された大倭が
邪馬台国に反旗を翻して滅亡させ、その後倭の正統を名乗ったりした、なんて可能性も
ヤマト政権はかつての部下が下剋上した、なんて事だったりしても面白い

865:名無しさん@1周年
19/05/17 00:22:24.61 CHobl3kp0.net
>>827
大坂山が魏志倭人伝となんか関係あるのかよwどうでもいいわ
地名をパクってるって言っちゃ悪いな、
九州から関西に入植した人らが地名そのまま
持ってきたんだろうなって例が多すぎて本当驚く
伊都なんかモロだよね

866:名無しさん@1周年
19/05/17 00:22:35.51 g6JLD0ET0.net
だから皇室と関係あるか調べてあげるからちょっと古墳をという暴論が出てくる

867:名無しさん@1周年
19/05/17 00:22:55.07 OzrMuks00.net
>>832
畿内でU字金具と呼ばれる馬蹄の事かな?

868:名無しさん@1周年
19/05/17 00:23:26.16 R8KEaBn30.net
魏志倭人伝に徒歩一ヶ月で邪馬台国に作って書いてあるのに
九州で徒歩一ヶ月もかかる場所なんてないだろ

869:名無しさん@1周年
19/05/17 00:23:32.01 SAlwFd1l0.net
>>832
あとは桃の種とカエルの骨だっけ?

870:名無しさん@1周年
19/05/17 00:25:01.68 CHobl3kp0.net
畿内説のやつは
この前朝日新聞がスクープした世紀の大発見
「三角縁神獣鏡が洛陽から発見」
について一切言わんのな
すごいじゃないかーあれーwww
ついに出たー中国からーwwww

871:名無しさん@1周年
19/05/17 00:25:18.90 N9STTrT70.net
>>843
桃の種とカエルの骨って中国でも神聖なものだからな

872:名無しさん@1周年
19/05/17 00:25:52.90 8DpN/h3b0.net
水行十日・陸行一月 → 北部九州の範疇の中に邪馬台国の所在地は絞り込まれる
こいつ脳に欠陥でもあんのか

873:名無しさん@1周年
19/05/17 00:25:55.50 DJt9hO680.net
そもそも邪馬なんて漢字を中国人が充ててる時点で本当の意味がわからない奴は考古学語るなよw
東にある倭で邪馬なんて名前の国を作る時点で普通は理解出来るだろ。
卑弥呼が鬼道使いだとヒントもくれてるのに。
そんな場所は三輪山辺りしかあり得ない。
いつまでも九州説なんて寝言いってんじゃねーよ

874:名無しさん@1周年
19/05/17 00:26:28.79 SAlwFd1l0.net
>>842
徒歩で、中国地方を歩いたんなら
広島や岡山はガン無視かよwww

875:名無しさん@1周年
19/05/17 00:26:44.08 BumkM06j0.net
モノなんてどうでもいい
記述に誤りがあったりするし
正確であるはずがない
勢力図に当てはめるべきだよ

876:名無しさん@1周年
19/05/17 00:27:26.28 OzrMuks00.net
>>847
祭祀でカエルを使うとはどこにも書いてないな。

877:名無しさん@1周年
19/05/17 00:27:38.84 SAlwFd1l0.net
>>844
皮肉っすなwww

878:名無しさん@1周年
19/05/17 00:27:49.67 s/453/++0.net
>>829
そっくりそのまま返すわw

879:名無しさん@1周年
19/05/17 00:28:09.63 Wl+OPwS10.net
九州説はボコボコにされてるなー

880:名無しさん@1周年
19/05/17 00:28:48.44 I6mIOD/R0.net
ヤマト王権ってちっとも強そうじゃないのに武器作りまくりの出雲や気性荒そうな九州を制圧出来た経緯が気になる

881:名無しさん@1周年
19/05/17 00:29:08.77 SAlwFd1l0.net
>>853
これが朝鮮人の「精神勝利」って奴かwww

882:名無しさん@1周年
19/05/17 00:29:10.50 DJt9hO680.net
>>839
福岡も博多も他所からもってきたのに?
ちなみに奈良盆地の古い地名は殆ど吉備縁の地名なの知ってるかな?
そういう知識のない奴はいつまでも九州説なんてボケたじいさんみたいな事言ってりゃいいw

883:名無しさん@1周年
19/05/17 00:29:38.69 Wl+OPwS10.net
>>850
カエルを使うのは珍しくないからね
中国でも神聖な儀式でカエル使われてたし

884:名無しさん@1周年
19/05/17 00:29:41.05 gy4wfYLv0.net
倭人伝を見る限りでは、女王国は伊都国の南だしな
畿内ではどうしても方向が合わない。
ただ、といっても方角は結構いい加減な気はする
(末盧国から東南に伊都国、となってるが、東、もしくは東北東だし)
ただ半島での方角は大体合ってるのがややこしい

885:名無しさん@1周年
19/05/17 00:30:06.47 ZvXC7idN0.net
>>811
纏向学という学問に置き変わったんじゃ?w

886:名無しさん@1周年
19/05/17 00:30:18.15 MjyN/Pat0.net
>>845
イワシの頭もだっけ

887:名無しさん@1周年
19/05/17 00:30:22.44 zmMiPAeB0.net
邪馬台国はしらんが、高天が原なら今の朝鮮半島にあったって聞いた事がある(´・ω・`)

888:名無しさん@1周年
19/05/17 00:30:42.54 edZwJ5q/0.net
>>842
クマソタケルの例にもあるが戦争中だろうが飲ミニケーションするのが習い
大事な客人が来たとなれば尚の事
一日歩いて宴会して次の日はお休みで移動日は最高でも半分だな

889:名無しさん@1周年
19/05/17 00:31:05.21 Wl+OPwS10.net
>>858
魏志倭人伝を見る限りでは
北部九州から水行30日だから
北部九州はありえないよね

890:名無しさん@1周年
19/05/17 00:31:08.44 SAlwFd1l0.net
>>858
末盧は呼子の辺りだから東南でドンピシャ

891:名無しさん@1周年
19/05/17 00:31:34.99 CHobl3kp0.net
>>851
皮肉なんてとんでもない!
なんであの世紀の大発見を畿内説派が話し合わないのかと疑問なのよ
中国人発見者なんか、あまりの大発見に戦慄しすぎたのか
三角縁の発見年すら二転三転してるんだぞ
あああ何故この世紀の大発見を畿内説に生かさないのか馬鹿者どもめー

892:名無しさん@1周年
19/05/17 00:31:57.10 VKIudoLM0.net
>>850
カエルは生贄として今でも諏訪大社で使うよ
奈良は元々大国主が治めていた出雲
物部氏が秦氏に国を譲った事に反旗を翻して
長野に移動した民が諏訪大社を建立した

893:名無しさん@1周年
19/05/17 00:32:05.50 MjyN/Pat0.net
>>859
纒向に何もないと確認する学問か

894:名無しさん@1周年
19/05/17 00:32:07.24 +fnocLZ00.net
>>824
九州から西日本は大和朝廷の勢力下なんだから
大和朝廷が北九州出でも何の問題もない
大和朝廷が大和で延々と続いてきたとする必要なんて何もない

895:名無しさん@1周年
19/05/17 00:32:33.82 gy4wfYLv0.net
>>861
スサノオが高天原から半島に降り立ったが
ここは土地があかん、て言って移動してるからそれは無いかと

896:名無しさん@1周年
19/05/17 00:32:38.31 OzrMuks00.net
中国様がわざわざ2つに分けて記録を残してくれているのに。
(旧唐書 倭國条)
倭國者,古倭奴國也。
倭国は昔の倭奴国である。
(旧唐書 日本条)
日本國者,倭國之別種也。
日本国は倭国の別種である。

897:名無しさん@1周年
19/05/17 00:33:20.98 OzrMuks00.net
>>866
いつの時代の話?
3世紀でお願いします。

898:名無しさん@1周年
19/05/17 00:33:32.32 nGYoVRQ10.net
>>813
大阪山の近くに知り合い居るけど大阪の名は昔から
呼ばれていて名前の由来なんか聞いた事ないって言ってた
で、その山の麓には神功皇后を祭った鏡山大神社があるんだよ
で国道には旦那の名前を模した長さ数キロの仲哀トンネルがある
反対側の麓には御所ヶ谷神籠石があってそこに景光天皇の祠がある
そもそも景行天皇が都を置いてたから京都郡と呼ばれているんだけどね

899:名無しさん@1周年
19/05/17 00:33:45.71 MjyN/Pat0.net
>>870
ちゃんと認識してるわサスガだ

900:名無しさん@1周年
19/05/17 00:33:49.13 gy4wfYLv0.net
>>864
呼子の辺りだと丁度東くらいになるかな

901:名無しさん@1周年
19/05/17 00:33:56.35 SAlwFd1l0.net
>>868
中央集権国家の成立が大幅に早まるな
なんで日本史を書き換えないんだろうなwww

902:名無しさん@1周年
19/05/17 00:33:57.54 CHobl3kp0.net
>>811
この辺りの
URLリンク(www.city.sakurai.lg.jp)
後始末をどうつけるか、生暖かく見守っていこう

903:名無しさん@1周年
19/05/17 00:34:11.51 ISc6NemO0.net
宮崎で北郷ていうと島津家臣の末裔か

904:名無しさん@1周年
19/05/17 00:35:05.07 M1i4zYJY0.net
まだやってたのかw
ちなみに日ユ同祖論は景教な
当時のキリスト教はほぼユダヤ教だから
ニッポン=ニップル
飛鳥=アッカド
神宮=ジグラッド
異端認定された景教がペルシャに逃げてそれがシルクロードを通って日本にきて
かなりの影響力を持った集団になった
聖徳太子が実在の人物か知らんがあれはキリストのパクリ
ペルシャ=シュメールだからね
スメラミコ=シュメールの王って意味
だから皇室のひとはICUに行くのさ

905:名無しさん@1周年
19/05/17 00:35:22.84 DJt9hO680.net
>>858
北部九州の南の平野部に海人の集落なんてない。また女王国という位なら国神が女性でないとだめ。そんな場所は瀬戸内海しかない。
海人の里といえばこの辺りしかない。
方角だって中国人の認識で丹が出て鬼道使いが修めるヤマなんて国は南、漠然とそう考えていただけの話。

906:名無しさん@1周年
19/05/17 00:35:45.39 OzrMuks00.net
>>876
吉野ケ里や唐子鍵でもここまでは暴走しなかったよな。

907:名無しさん@1周年
19/05/17 00:35:46.34 CHobl3kp0.net
>>872
大坂なんかは適当にどこの土地でもついてそうな名前だよね
奈良の伊都について聞いてみたいわ

908:名無しさん@1周年
19/05/17 00:35:47.45 BgKV5quJ0.net
結局、九州説って証拠が何もないんだね

909:名無しさん@1周年
19/05/17 00:36:02.99 sFpnsruu0.net
>>833
江戸時代の本居のりながさん知らないんだね
ここでは君以外全員知ってる基本情報な
恥ずかしいだろ、もうだまれ
話にならないから消えてくれ

910:名無しさん@1周年
19/05/17 00:36:22.25 I6mIOD/R0.net
>>870
倭奴国って金印のとこだよな
めっちゃ普通に正解書いててくれてるやん

911:名無しさん@1周年
19/05/17 00:37:25.79 SAlwFd1l0.net
>>882
畿内説よりはある
畿内説は魏志倭人伝と何一つ整合性が取れない

912:名無しさん@1周年
19/05/17 00:37:32.30 0KLmgDq30.net
邪馬台国なんてない大和があっただけ

913:名無しさん@1周年
19/05/17 00:37:37.78 MjyN/Pat0.net
>>884
福岡だね
まあいつから倭人がいたともしれぬ最古級の大都会だもんね

914:名無しさん@1周年
19/05/17 00:37:57.34 v/8kDU1R0.net
勝負を決めるような発見って
なにか想定されているのか?
相手がもう二度と反論してこないような

915:名無しさん@1周年
19/05/17 00:37:57.35 S7g5oG6f0.net
佐賀から福岡の地下に眠ってるな
発展する


916:前に発掘すべきだった



917:名無しさん@1周年
19/05/17 00:38:28.83 NzGDWa/L0.net
>>844
>すごいじゃないかーあれーwww
>ついに出たー中国からーwwww
三角縁神獣鏡が大陸から出ないから国産に決まってる、というのはミスリード
三角縁神獣鏡の編年の研究も進んでいるが、最も古い舶載鏡とされるものは
三角縁神獣鏡ではなく斜縁神獣鏡だ
大分類としては三角縁神獣鏡だが、実は三角縁になっていない
そして大陸でも斜縁神獣鏡は出土例が複数あるし特別に珍しいものでもない

918:名無しさん@1周年
19/05/17 00:38:35.79 gy4wfYLv0.net
>>879
海人だとか国神が女性ってのはよく判らんが
景行記には北部九州の女性の長が結構出てくるし
女神も出てくるぞ

919:名無しさん@1周年
19/05/17 00:38:54.09 M1i4zYJY0.net
ジグラッドで検索してみろ
ほぼ伊勢神宮が出てきてビビるぞ

920:名無しさん@1周年
19/05/17 00:39:37.97 CHobl3kp0.net
>>880
関西にこうやられちゃ、よその地域は大人しくなるしかないわなw
戦後からずっと関西はこんな調子で、
三角縁神獣鏡なんかも「卑弥呼が中国からもらった鏡です!」と
歴史に興味ない人間にまで浸透するように大声で長年叫び続けたもんな
三角縁神獣鏡は結局その後国産鏡であろうとオチがついたが
なんで関西人はロクに調査しないうちから叫び始めるかね?
調査して確認とってから主張しないから赤っ恥なんだぞ

921:名無しさん@1周年
19/05/17 00:40:00.67 OzrMuks00.net
>>884
そう。
しかも新羅の東南あたりにあると書いてある。
つまり東征中で出雲あたりまで勢力を拡大していると思われる。
神武東征は倭奴国東征という意味かもしれない。

922:名無しさん@1周年
19/05/17 00:40:40.29 u/b15w7+0.net
鹿男に聞け

923:名無しさん@1周年
19/05/17 00:40:47.35 NzGDWa/L0.net
>>887
>まあいつから倭人がいたともしれぬ最古級の大都会だもんね
紀元前から1世紀くらいまでは羽振りがよかったんだけどね
肝心の2世紀末から3世紀の頃には完全に畿内の協力勢力で、
土器様式から首長墳墓の形式まで畿内様式を取り入れている

924:名無しさん@1周年
19/05/17 00:40:52.83 N9STTrT70.net
>>870
意味わかってる?
唐の時代は倭国の都は大和だから
倭奴国(筑紫)から倭国(大和)に遷都したってことだぞ

925:名無しさん@1周年
19/05/17 00:41:44.39 OzrMuks00.net
>>888
魏王の印を使った封泥。

926:名無しさん@1周年
19/05/17 00:41:54.51 DJt9hO680.net
>>881
一番資料として古い大坂山は二上山の麓なのははっきりしてるぞ。
しかもそこは神功皇后の母親の集落の近くだ。
鉱物資源の豊富な場所でサヌカイトで有名。
つまりここでも石器時代から讃岐と縁が深い。

927:名無しさん@1周年
19/05/17 00:42:44.80 KOXdV1Q+0.net
心の中に生きる幻なのか イン 邪馬台国 イン邪馬台国 

928:名無しさん@1周年
19/05/17 00:43:08.93 Zze391ML0.net
糸島市の平原(ひらばる)遺跡は、画像で見た瞬間に、
『これは卑弥呼の墓ではありえないな』と分かる。
(卑弥呼以死 大作冢 徑百餘歩 徇葬者奴婢百餘人『倭人伝』)
※古代中国の距離単位である歩(ぶ)は、左右の歩みを合わせて1歩とし、
 1歩=6尺。1尺=24.2cm(三国(魏・蜀・呉)・西晋)
 100歩は145.2m。ちなみに箸墓古墳の後円部直径は約150m。
そもそも海に面した糸島市では『陸行一月』の説明がつかない。

929:名無しさん@1周年
19/05/17 00:43:41.27 OzrMuks00.net
>>897
意味わかってる?
分かってないから日本国の使者はしどろもどろになってるんだよ。

930:名無しさん@1周年
19/05/17 00:44:27.04 N9STTrT70.net
>>888
もう充分、物的証拠が揃ってるし
学者の99%は畿内説と言われてるからすでに勝負はついてるのでは
あとはこのスレみたいにトンデモ説(九州説)と
村おこしのために九州説を頑張ってる人もいる

931:名無しさん@1周年
19/05/17 00:44:32.40 MjyN/Pat0.net
ブラタモリ博多では市街中心部の道路直下の遺跡を紹介
解説の学者が掘ってるとその下に別の遺跡が出るので
今同じ場所で3つ目だか4つ目で全然終わらんと解説してたわ
纒向の寒い調査してる学者が聞いたらショック死しそうだな

932:名無しさん@1周年
19/05/17 00:44:38.23 DJt9hO680.net
>>891
女性の長なんて紀伊半島にも沢山いるよ、しかも確実に海人の郷だし丹山の総本山だ。

933:名無しさん@1周年
19/05/17 00:44:48.31 EUmRKl4S0.net
邪馬台国=やまと国
卑弥呼=火の巫女または日御子
どう考えても大和国 つまり奈良。
議論のための議論は無駄

934:名無しさん@1周年
19/05/17 00:44:50.31 YSwKqr1t0.net
群馬じゃ駄目なんですか?

935:名無しさん@1周年
19/05/17 00:45:39.85 SAlwFd1l0.net
奈良から九州まで跨る、大帝国の邪馬台国と
いい勝負してた狗奴国はどんだけの大帝国だったん?

936:名無しさん@1周年
19/05/17 00:45:39.87 N9STTrT70.net
>>902
日本国の使者がしどろもどろになったのは
真実を話したら殺されるかもしれないからでしょ

937:名無しさん@1周年
19/05/17 00:45:50.42 3S8zSqkx0.net
2000年後に俺の書いた営業日報が唯一の文献として
東京都はどこにあったか?っていう議論に・・・(笑)

938:名無しさん@1周年
19/05/17 00:45:57.27 VKIudoLM0.net
>>871
だから神武がやってくる以前からいたんだよ
物部氏が
下手したら漢の時代からいたかもしれない

939:名無しさん@1周年
19/05/17 00:46:00.87 Hb6bHWfQ0.net
 
現代人が決める傲慢さに気づけ!
 

940:名無しさん@1周年
19/05/17 00:46:50.61 SAlwFd1l0.net
奈良から九州まで跨る、大帝国の邪馬台国と
いい勝負してた狗奴国はどんだけの大帝国だったん?
邪馬台国の南にあったんでしょ?

941:名無しさん@1周年
19/05/17 00:47:02.80 MjyN/Pat0.net
>>909
いにしえの卑弥呼の国に偽装した使節だもんね

942:名無しさん@1周年
19/05/17 00:47:33.47 gy4wfYLv0.net
>>896
卑弥呼の時代だと、北部九州は在地の西新式のあるところに、畿内の庄内式が
入り出してきた時代では
庄内式の年代をどこに置くかだが、大体は三世紀半ばより少し前あたりから
三世紀終盤までと見なすんじゃ
九州の庄内式は畿内の中盤のものあたりから伸びてくるから
三世紀半ばあたりから畿内の九州への進出が始まるように見えるが

943:名無しさん@1周年
19/05/17 00:48:18.54 VKIudoLM0.net
>>913
菊池家で検索
菊池家の末裔の人が自ら熊襲とブログに書いていた

944:名無しさん@1周年
19/05/17 00:49:23.09 sFpnsruu0.net
>>884
かんのわのなのこくおう
と習ったが"いとこく"のようだな

945:名無しさん@1周年
19/05/17 00:49:36.10 OzrMuks00.net
>>916
熊本だって候補なのにね。
すっかり狗奴国になりきってる。

946:名無しさん@1周年
19/05/17 00:50:08.03 N9STTrT70.net
>>914
アホ?
「倭」っていう中国様が考えた漢字はカッコ悪から
「日本」にしたって断言すると殺されるかもしれないからだよ

947:名無しさん@1周年
19/05/17 00:50:39.30 OzrMuks00.net
>>917
さすがにそれは無い。

948:名無しさん@1周年
19/05/17 00:51:10.65 XN0FJEfZ0.net
ファンタジー

949:名無しさん@1周年
19/05/17 00:51:51.19 nGYoVRQ10.net
>>907
だから自信持ってバンバン情報をお出ししろよ
九州人にとって古代群馬の情報なんかほとんど入ってこないんだから

950:名無しさん@1周年
19/05/17 00:51:52.56 I6mIOD/R0.net
>>887
倭人どころか大陸の人間も住んでそう
>>894
日本が唐に朝貢した時邪馬台国の存在をよく分かってなかったとしたらその後出雲伝承のように征服していったのかね?

951:名無しさん@1周年
19/05/17 00:52:04.92 OzrMuks00.net
>>919
倭という字が気に食わないと言ったから隋書では文字を変えてくれている。
話せばちゃんと聞いてくれるのに。

952:名無しさん@1周年
19/05/17 00:52:25.43 SAlwFd1l0.net
>>920
今の那珂川市あたりの国だろ
奴→那

953:名無しさん@1周年
19/05/17 00:53:12.15 MjyN/Pat0.net
>>915
それにそもそも庄内式っていろんな地方で作られてるのでそもそも支配権とは関係がない
単なる優れた新製法でしょね
ダイソンあるからイギリス領みたいな奇天烈な論理やで

954:名無しさん@1周年
19/05/17 00:55:10.40 nGYoVRQ10.net
>>920
漢 委奴国王
かん の いとこくおう
結構有力な説だぞ

955:名無しさん@1周年
19/05/17 00:55:12.85 OzrMuks00.net
>>926
ほんとそれ。
一応仏教やってる日本はチベットの属国だとか言ってるようなもんだね。

956:名無しさん@1周年
19/05/17 00:55:34.40 ZvXC7idN0.net
>>913
畿内なら、まず魏に交戦報告する必要ないよねw九州まで掌握してる大帝国なら吉備や出雲からの援軍の方が近いもの。
倭人条だけしか読んでないと、地政学を完全無視になってしまう。

957:名無しさん@1周年
19/05/17 00:55:43.26 edZwJ5q/0.net
>>847
魏の時代「邪」にオカルト的な意味はない
秦始皇帝の地方制定以降他ならぬ古代中国には琅邪郡、琅邪国という地名が唐代まである
有名な諸葛亮孔明は琅邪諸葛氏だし
書聖王羲之等を排出する琅邪王氏はクソ名門貴族

958:名無しさん@1周年
19/05/17 00:56:54.95 edZwJ5q/0.net
>>861
高間ヶ原だから中原の事だよ
クッソ広い原野

959:名無しさん@1周年
19/05/17 00:57:15.36 N9STTrT70.net
>>917
かんのわのなのこくおう と習ったが
かんいわのこくおう と読むのは確実
いとこく と読むわけない

960:名無しさん@1周年
19/05/17 00:58:36.43 N9STTrT70.net
>>927
ないわ
海外からも似た印が出土して
いとこく説と金印偽物説は消滅したわ

961:名無しさん@1周年
19/05/17 00:59:03.72 MjyN/Pat0.net
まあ先進大都会の福岡が金印に相応しいのは当然だろなあ
カエル祭りで王都を決める阿呆はいないやろ

962:名無しさん@1周年
19/05/17 01:00:49.50 VKIudoLM0.net
>>934
金印には人偏がついてない
漢の時代は猿扱いだったのかもね

963:名無しさん@1周年
19/05/17 01:00:52.31 AZcOzv0+0.net
>>929
いや連合でしょ中央集権な訳ないじゃん
魏に援軍頼んでる訳じゃなくて
連合内での立場を固めたいから倭国王を認めて欲しいってことでしょ

964:名無しさん@1周年
19/05/17 01:01:04.76 g0+bOKQx0.net
邪馬台国までの総距離が12000里で帯方郡から狗邪韓国までで7,000里使ってる
しかも壱岐に入ってからは国内での移動は4000里しかない
どう考えても九州周辺

965:名無しさん@1周年
19/05/17 01:01:21.03 N9STTrT70.net
>>924
そのケースとは全然違うだろ
中国様が考えた「倭」は雅ではないってことは
中国の国柄とセンスは下品だってことだぞ
殺されちゃうよ

966:名無しさん@1周年
19/05/17 01:02:04.75 g6JLD0ET0.net
あとはどこにあるかじゃなく、天皇と関係あるかないかの争い
天皇と関係ないなら畿内でもいいわけだよ

967:名無しさん@1周年
19/05/17 01:02:43.32 MjyN/Pat0.net
>>936
そう云う小さい話しじゃないよ
高句麗が暴れると鉄の輸入ルートが混乱して困るからでしょね
まさに鉄こそ国家ナリ

968:名無しさん@1周年
19/05/17 01:03:13.06 3phtLRqH0.net
>>905
女酋長は北部九州や和歌山にいたけど
北部九州のは殆どが土蜘蛛とされて皇軍に討たれたし
和歌山の女酋長の名草戸畔と新城戸畔は神武天皇に成敗された
預言者のようなまじない師のような卑弥呼のような前時代の名残か

969:名無しさん@1周年
19/05/17 01:03:18.48 g6JLD0ET0.net
皇室が今度は卑しい弥呼と当て字されてるから心情的に認める事はしない

970:名無しさん@1周年
19/05/17 01:03:26.23 edZwJ5q/0.net
>>935
委ねるだろ

971:名無しさん@1周年
19/05/17 01:03:39.96 N9STTrT70.net
>>934
先進大都会だけど
福岡の遺跡は3世紀�


972:ノは衰退してるよ



973:名無しさん@1周年
19/05/17 01:05:01.65 nGYoVRQ10.net
>>933
>海外からも似た印
その海外印は具体的に漢字で何て書かれてるんよ?
それと真贋説と奴国と読むか委奴国と読むかは別問題

974:名無しさん@1周年
19/05/17 01:05:25.13 VKIudoLM0.net
>>940
鉄か
むかし糸島の志摩歴史資料館に行ったら
砂鉄で鉄を作っていたと書いてあった
いつの時代なのか見るの忘れた

975:名無しさん@1周年
19/05/17 01:05:56.56 Zze391ML0.net
>>937
倭人伝の行程記事に記された距離に、精度はない。
海上であれば、広めの海峡を渡れば『ひと声1000里』。
陸上であれば、近くは『100里』。少し遠くは『500里』。
このパターンしかない。
12000里と言うのは世界の果てと言う意味の概念的な距離であって、
そこから順番に引き算して、不彌國から先にあと何里残っているか考えることに、
意味はない。

976:名無しさん@1周年
19/05/17 01:07:10.70 gy4wfYLv0.net
>>926
北部九州の庄内式は、まず那珂八幡古墳(最初期の前方後円墳)の周りあたりから始まって
そこから徐々に広まっているように見えるから
単なる新技術の伝搬には止まらず、畿内勢力の浸透の一つのようにも見なせる気はする
ただ、編年からしても浸透が始まった時期は早くても三世紀半ばくらいにしか見えない感じはある
当時の福岡は今の天神やら中洲やら博多駅辺りは海で
中心も3つくらい(若干東の那珂八幡古墳あたり、福岡市と春日市の境、いわゆる奴国のあたり、福岡市の西新から山側の早良あたり)
になってたのでは、なんて思える。そこで畿内と九州勢力が色々被っていた気はする

977:名無しさん@1周年
19/05/17 01:07:47.39 SAlwFd1l0.net
>>944
3世紀こそ九州が絶頂期だったんじやね?
硯の工房とかも発見されてるし

978:名無しさん@1周年
19/05/17 01:07:53.17 gotPrLro0.net
新羅書を見ても九州北部なのは明らかだろう

979:名無しさん@1周年
19/05/17 01:08:56.99 gotPrLro0.net
>>906
東征というのは頭にないのか

980:名無しさん@1周年
19/05/17 01:09:01.49 ZvXC7idN0.net
>>936
じゃあ張政は何しに来たんだ?w

981:名無しさん@1周年
19/05/17 01:09:14.73 +fnocLZ00.net
>>932
かんいわのこくおう?

982:名無しさん@1周年
19/05/17 01:11:43.08 g0+bOKQx0.net
>>947
精度はなくても帯方郡から狗邪韓国までの7,000里で大体の割合が分かるだろ

983:名無しさん@1周年
19/05/17 01:11:52.00 SAlwFd1l0.net
>>953
漢が認めた倭の「奴」という国の国王

984:名無しさん@1周年
19/05/17 01:13:50.11 edZwJ5q/0.net
>>942
卑は元々は人を使う支配するという意味
使われる人の事となって卑しいという意味になったが
姿を隠して託宣で人を使うとされてるヒミコとしては機能、権能を表すだけの当て字とも考えられる
まぁもっとも魏の頃にどうだったかまでははっきりしないけど

985:名無しさん@1周年
19/05/17 01:14:23.32 nGYoVRQ10.net
>>947
だね
狗邪韓国~対海、対海~一大、一大~末盧
距離の違う3つの海峡を全て1000里で統一している

986:名無しさん@1周年
19/05/17 01:15:08.59 gy4wfYLv0.net
倭人伝だと、張政は
塞曹掾史、張政等を遣わし、因って詔書、黄幢をもたらし、難升米に拝仮し、檄を為(つく)りて之を告諭す。卑弥呼以て死す。冢を大きく作る。
だから、難升米に檄文で言い含めて、卑弥呼を殺害したんじゃないか、なんて思えてくるな

987:名無しさん@1周年
19/05/17 01:16:13.91 sT3cT+iB0.net
北部九州つまり、半島のことだな

988:名無しさん@1周年
19/05/17 01:17:24.56 VKIudoLM0.net
>>956
中国は南の野蛮人で南蛮とよんだりするので
故意で邪とか卑を使ったと思う

989:名無しさん@1周年
19/05/17 01:18:13.7


990:5 ID:SAlwFd1l0.net



991:名無しさん@1周年
19/05/17 01:21:27.33 jzT+rfFQ0.net
んなもんは無かった、が一番合理性がある

992:名無しさん@1周年
19/05/17 01:22:02.11 +e3b7A/X0.net
>>906
み(御)の字が名前の中に入ることはないの。必ず頭に付く。
巫女=御子(神様の子)だから、日巫女の可能性ない。

993:名無しさん@1周年
19/05/17 01:22:37.76 VKIudoLM0.net
>>962
それはできない
三国志は中国の正式な歴史書

994:名無しさん@1周年
19/05/17 01:23:35.54 SAlwFd1l0.net
>>957
卑弥呼の墓 径100步も嘘臭い
「立派な墓を作った」をそう言った臭い
実際に径100歩てはなかった?

995:名無しさん@1周年
19/05/17 01:25:14.77 g6JLD0ET0.net
日本のなかでも黒歴史であるのは確か

996:名無しさん@1周年
19/05/17 01:26:29.30 7hhCnjSZ0.net
ID:OzrMuks00
ID:SAlwFd1l0
今日のコークリ君
朝にはID変えるかもしれないが

997:名無しさん@1周年
19/05/17 01:28:14.48 SAlwFd1l0.net
>>967
と単発IDで申しておりますwww

998:名無しさん@1周年
19/05/17 01:29:36.15 IvWAJha70.net
九州王朝説・多元王朝説 
弥生中期から卑弥呼の時代はもとより7世紀にいたるまで、ヤマト王権のみならず、日本列島内において様々な勢力圏、連合独立地域自治権、が存在していた、
という多元王朝説が古田武彦らによって1970年代以降提唱され、かつては歴史愛好家などから一定の支持を得たこともあったが、 
存在している文献資料の検討や古墳をはじめとする考古資料から、現時点において、学界は「この説は信憑性に欠けている」としている。
なお、これをさらに発展させ、九州王朝のみが存在したとする九州王朝一元説や、大和に王朝は存在せず、本来は豊前の王朝だったとする豊前王朝説、
九州王朝と東北王朝のみが存在し、大和は東北王朝の支配下にあったとする東北王朝説もあるが、多元王朝説論者も含めて学界からは無視されている。

999:名無しさん@1周年
19/05/17 01:29:42.43 SAlwFd1l0.net
>>967
追い詰められると、こう言う事しか言えなくなるのが畿内説www

1000:名無しさん@1周年
19/05/17 01:30:53.56 g6JLD0ET0.net
これおもしろいのは、真相にせまると
黒歴史で否定したい勢力が
考古学的な検証ができないと言って否定する

1001:名無しさん@1周年
19/05/17 01:31:34.61 gotPrLro0.net
いつも熱いな
ニュー速プラスの邪馬台スレ

1002:名無しさん@1周年
19/05/17 01:32:21.25 g6JLD0ET0.net
答え出てるんだよな、皇室に関係ある豪族でさ

1003:名無しさん@1周年
19/05/17 01:33:58.05 UPGgHC4m0.net
まあ最後のフロンティアだし熱くなるわな

1004:名無しさん@1周年
19/05/17 01:34:02.23 SAlwFd1l0.net
>>969
うん。むしろ有象無象の王朝が湧いて出たと
考える方が自然なのに、無理矢理 大和朝廷に、
繋げる方が無理がある

1005:名無しさん@1周年
19/05/17 01:34:56.31 N9STTrT70.net
>>949
実際に衰退してるんだが
遺跡調査で伊都国が首都機能を失うのが1~2世紀頃
筑紫が中心国で無くなるのが1~2世紀頃

1006:名無しさん@1周年
19/05/17 01:35:27.41 vXiBosMm0.net
来日した当時の中国の使者が「東」を「南」と間違えたと思われてる
畿内説の学者は特に

1007:名無しさん@1周年
19/05/17 01:35:27.72 MjyN/Pat0.net
卑弥呼が使節を遣わした頃、公孫氏、高句麗、魏が三つ巴で激闘を初めて断続的10年以上続いたんだよ
だから卑弥呼は鉄の交易ルートである朝鮮での大国魏の庇護が必要になった
そもそも�


1008:Sの中継基地である楽浪は魏の出先があるから当然だが 当時は鉄の安定輸入が心配されたわけである こういう朝鮮情勢を考えないで倭国で見るから視野の狭い見方になる 現代で言えば油田地帯でドンパチしてるようなもん



1009:名無しさん@1周年
19/05/17 01:36:02.43 VKIudoLM0.net
>>973
皇室関係ないよ
卑弥呼は神武東征以前のはなし

1010:名無しさん@1周年
19/05/17 01:36:20.01 SAlwFd1l0.net
>>976
最先端技術の文字に関連する硯が出てきてるのに「衰退」とかwww

1011:名無しさん@1周年
19/05/17 01:36:52.51 gotPrLro0.net
九州北部にあった邪馬台國が衰退してきたので、機内の王権が一気に畳み掛けて統合したんだろう
支那が知るとややこしいことになるので邪馬台の名を借りてヤマトと名乗り本州統合して日本
唐書みたら大体読める
日本=ヤマトってなんぞな?って当時の支那も疑ってる

1012:名無しさん@1周年
19/05/17 01:37:12.12 IvWAJha70.net
律令制が整った時代になってもの
まだ(朝廷の公民にすらなってない)土人しかいない場所から
どうやって東征するわけ? マジで
九州説の池沼たちがなにいってるのか分からない
日向という地名も景行天皇になるまで、そんな地名すら存在しない

1013:名無しさん@1周年
19/05/17 01:37:55.73 SAlwFd1l0.net
>>977
太陽か登る方向が東なんて古代人なら常識だろ
古代人舐めすぎwww

1014:名無しさん@1周年
19/05/17 01:38:06.37 IvWAJha70.net
日向と名付けたのは熊襲討伐した景行天皇
熊襲討伐するまえに景行天皇は美濃でセックス三昧だった
神武東征とかウンコ九州の宮崎は一切関係ない
九州北部はすでに大和朝廷が支配してないと
美濃から熊襲征伐になんかいけるワケがないからな

1015:名無しさん@1周年
19/05/17 01:38:28.59 N9STTrT70.net
>>980
衰退してるよ
さすがに北部九州の遺跡調査の結果くらい読んだほうが良いよ

1016:名無しさん@1周年
19/05/17 01:38:43.00 +e3b7A/X0.net
>>944 >>949
そりゃそうだ。3C頭、漢滅亡期に起きた倭国大乱で、邪馬台は負け、
男王(=剣を持つ王)を禁止、つまり覇権を取り上げられた。(魏志倭人伝から)
その昔、スサノオ(宗像)が天照(邪馬台)に覇権を取り上げられたのと同じだ。
(スサノオの剣を天照が噛砕き、宗像三女神が生まれる。同じだ。)
3C頭から奈良の天下だ。邪馬台は名目だけの盟主、権力無き権威となった。
4C、華北が混乱し朝貢秩序が消えると、奈良はやまと(邪馬台)を滅ぼす。
しかし、やまと(邪馬台)は、漢代の長きに渡り覇権国で列島内で歴史的権威
が確立していたが故に、奈良は「やまと」の名と権威を受け継ぐしかなかった。
その意味において、やはり天皇の「祖先」は、天照(=邪馬台)なのである。
(※ 天照は、後世、卑弥呼の実話をモチーフに、邪馬台の象徴とし作られた。)

1017:名無しさん@1周年
19/05/17 01:38:48.96 IvWAJha70.net
コレが定説
低学歴知恵遅れの九州説の珍説なんかだれも相手にしてないワケ
時間と空間の設定―神武東征と即位―  そのカムヤマトイワレヒコは
よき地をもとめて日向から大和へと東征し、磐余宮で即位して初代の神
武天皇となる。これは地上における大和という地理的な特定地点の由来
を説明する物語である。ここで最重要の主題は、 神話から歴史への転換、
つまり、人間としての神武天皇という存在の位置づけである。そして
もう一つが現実的な空間的地理と時間的年代の設定である。時間につい
ては天孫降臨から一七九万二七四〇年余が経過したといい、東征の開始
の年を「是年、太歳甲寅」とし出発の日を「冬十月丁巳朔辛酉(五日) 」
としている。そして、橿原宮に即位した神武天皇元年が、辛酉年の正月
庚辰の朔(西暦への換算では紀元前六六〇年)としているのである。空
間については、出発地を九州の日向として瀬戸内海を通過し浪速、河内
から紀州へと旋回して熊野から大和の東部山中の菟田に出てそこから西
方に向かって大和盆地へ入る、という地理的関係を設定している。
ここで重要なのは大和盆地という現実的な王権発祥の土地であり、出
発地の日向については神話的な構成の産物にすぎないという点である。
先の一七九万二七四〇年余という時間が歴史時間として虚構であるとす
るならば、同時にこの日向という空間と地理も神話的な構成によるもの
である。それは、 『日本書紀』第9段の天孫降臨の一書〔1〕で、天孫
降臨の地が「筑紫の日向の」高千穂のクジフル峯であるといい、 『古事
記』でも同様で、 さらに「此地は韓国に向ひ、 笠沙の御前を真木通りて、
朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり、故、此地は甚吉き地。 」と表現
されていることからも明らかである。 「筑紫の日向の」小戸の橘の檍原
に至りまして、という言い方は、三貴神の誕生を記す『日本書紀』第5
段の一書〔6〕でも、『古事記』でも同じくみられる表現であり、この「筑
紫の日向の」という表現こそが重要な伝承である。その筑紫は地名であ
り日向はその筑紫における太陽信仰に関連する呼称である。それについ
て現実上の日向国という地理的認識を与えたのは、国郡制などが整備さ
れたのちのことであり、記紀編纂の最終段階であった可能性が高い。つ
まり、一七九万二七四〇年余という時間と日向という空間とは現実の時
間と空間ではなくまだ神話の中での伝承情報と考えるべきなのである。


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