19/05/16 16:55:38.43 Up0S2Aw10.net
■出土した「鐙(あぶみ)」
わたしが当初から指摘し続けている纏向遺跡と
近畿説をつなぐ「弱点」があります。それは、
卑弥呼の墓だと一部の人が強調する纏向遺跡内
の「箸墓(はしはか)古墳」の周辺の堀から出
てきた「鐙(あぶみ)」です。これは騎馬によ
る戦闘の際に用いられた兵士の足かけで、4世
紀中ごろ以降の大陸の文化です。
しかし、魏志倭人伝の中で示される邪馬台国は
3世紀。鐙と年代が合いません。
鐙があるということは、この古墳や宮殿跡が
邪馬台国時代のものでなくなる「物的証拠」に
ほかなりません。つまり、この遺跡は4世紀の
ヤマト王権のものか、または邪馬台国とは別の
有力な国が近畿にあったと考える方が自然なの
です。わたしは、ここのところを繰り返し指摘
しているのですが、一向に反論が返ってきませ
ん。九州説を唱えるわたしへの批判を記した本
なども出ていますが、やはりこの事実には触れ
ていないのです。鐙の存在は、近畿説にとって
致命的とも言える事実なのです。
致命的なもんが出土するというwww
まあ、纒向を3世紀にしようとしたゴットハンドがバレてきている