19/05/16 02:52:54.42 xgcydVfc0.net
必ずしも脚本や監督が全てではないだろうしね
役者のアイデアや個々アレンジが味となり人物に深みを与える
監督や役者やスタッフ皆で造り上げるものだ
それオッケーとするのは監督だろう
ストレスに弱くお腹を下してしまうっていう設定にしたことは人格に味や深みを与える演出のナイスなアイデアだよね
無意識に我が国の総理大臣を連想させるし、映画の世界観を自分の国のことのように疑似体験できる要素にもなる
しかも、私達に近い等身大の親しみのある総理として人物形成されるわけだ
その総理が重圧の中、成長し活躍するんだよね
グッドアイディアだと思うけどね
ただ映画作品となると右や左だけじゃなく近隣諸国に配慮し、
敵は伏せるところは伏せて近隣諸国との関係に気遣いしちゃう日本人の民族性が出ていてるよね(悪改)
悪口だと批判している人がいるけど、、、、、
例えば、安倍が同姓愛者とする
映画の首相を同姓愛者にしたら安倍首相や同姓愛者を馬鹿にしているということになるのかな?
同姓愛者が首相として活躍することは彼らに勇気を与えることにもなるでしょうしね
あとね、佐藤浩市の設定変更の想いはね
佐藤自身は体制側(権力側、大きな巨人)に抵抗があると
だからストレスでお腹を壊すという世間で身近な精神的症状である下痢に変更
これは権力側の人間を世間の人々と同じ等身大の人物にしたわけだよ
それは我々の国民一人一人が首相であるということを意識させたいのだよ
日本は民主主義国家だ!決して首相は雲の上のではない!首相の決断は我々の決断なのだ!とね
そういう想いを込めてこの作品を観てもらえばというメッセージを含めたのコメントだろうね