【宮崎】邪馬台国はどこにあったのか、考古学者・北郷泰道さん講演 「北部九州の範疇の中に邪馬台国の所在地は絞り込まれる」★4at NEWSPLUS
【宮崎】邪馬台国はどこにあったのか、考古学者・北郷泰道さん講演 「北部九州の範疇の中に邪馬台国の所在地は絞り込まれる」★4 - 暇つぶし2ch393:名無しさん@1周年
19/05/15 11:53:34.64 JO70nMoG0.net
日本人よ、
歴史の真実を知ろう
●邪馬台国=ヤマト国
 九州・西日本を中心とし、青森までの日本海沿岸地域、
 および、群馬、埼玉までの内陸部に広がっていた
 和人(倭人)の豪族が作った様々なクニの連邦国家のこと
●邪馬台国はどこ? なんて質問は範囲が広すぎて意味がない
 日本列島の地図をみながら、日本はどこにあるの?
 って聞いてるのと同じだから
●ヤマト国の中心は出雲王朝
 年に一回、日本全国からクニの代表者が集まって会議をしていた
 それが「神在月」の由来
 国津神(クニツカミ)とは、そうした豪族一族を指す
●日本神話の基本構造に、天津神と国津神との争いと和解がある。
 実際、外部からの侵略者(天津神)とヤマトは戦争し、国津神は敗北。
 和解というよりは、降伏した上でのの和平交渉である
●要するに、太平洋戦争に負けてアメリカの言いなりになったように、
 大昔の日本(ヤマト)は、天津神との戦争に負けて、以降ずっと、
 天津神の支配を受けることとなった
●太平洋戦争後、アメリカの指導のもとに
 宗教、歴史教科書、憲法が新しいものになったように、
 天津神は
 ・天照大神を頂点とする国家神道の創始
 ・日本書紀、古事記の編纂
 ・大宝律令の制定
 を行い、日本の権力構造をすっかり変えてしまった
●そう、すなわち、天津神とは
 唐の女帝 則天武后をトップとする唐の軍勢、唐の官僚たちである。
 武則天の幼名は「照」である。
 古今東西の占星術においては太陽とは男性のシンボルなのに、
 神道だけは太陽神が女神なのは則天武后を神とする為に他ならない。
 そして、則天武后の傀儡として作られたのが天武天皇。
 ちなみに「天皇」という単語そのものが武則天のアイデアである。
 なぜ「天」の文字が多用されるのか?
 すべては武則天に由来する。
●則天武后が失脚し、唐は滅んでしまった。
 唐の官僚たちは日本に移住し、朝廷権力の中枢を支配し続けた。
 それが藤原氏。
 
●「邪馬台国論争」というバカげた話題が延々と続いている原因は
 出雲王朝を虐殺し、日本を乗っ取ったことを隠すために、
 様々な偽装、欺瞞工作が藤原氏によって行われたから。

邪馬台国とは、要するに、日本国そのものなのだ


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