19/05/15 10:42:48.56 x0eqKJ0j0.net
>>307
>>307
318:名無しさん@1周年
19/05/15 10:44:13.81 x0eqKJ0j0.net
九州倭国では最後は奴国と邪馬台国との違いは分からなくなっている。
融合したんだろうなと考えるのは自然なこと。
319:名無しさん@1周年
19/05/15 10:44:41.78 e1Gnkf2e0.net
>>308
日本の考古学者は自分の脳内説しか信用できないらしい。
320:名無しさん@1周年
19/05/15 10:45:21.13 XTWl33dT0.net
邪馬台国は九州連合のことで、のちに畿内連合に征服されたんじゃねえの。魏志倭人伝は九州の話で、魏の使いも対立してた畿内までは行けなかったとも考えれる
321:名無しさん@1周年
19/05/15 10:45:21.17 x0eqKJ0j0.net
>>311
キチガイイミフw
322:名無しさん@1周年
19/05/15 10:45:59.90 x0eqKJ0j0.net
>>312
大体そんな感じだね。
323:名無しさん@1周年
19/05/15 10:46:25.67 r6/rHtfk0.net
>>302
妄想じゃねーよ
画文帯神獣鏡って後漢鏡が近畿中心で出土してんだよ
324:名無しさん@1周年
19/05/15 10:46:30.74 diLEOZHj0.net
もしこの時代にタイムスリップして写真とか撮れたら楽しいだろうなぁ
325:名無しさん@1周年
19/05/15 10:46:33.97 mYje+xWh0.net
>>301
すまん間違ったな
長脛彦勢力圏を迂回して東に行って西から入って戦う事にしたのに
長脛彦やら八十梟帥やら神武の手勢を壊滅させた熊野の大熊やら敵だらけで分断されている
更に東の伊勢から援軍が何故来るのか?だな
326:名無しさん@1周年
19/05/15 10:47:50.85 e1Gnkf2e0.net
>>310
だからそれは個人的想像だろ?
その畿内脳的思考はやめよう。
327:名無しさん@1周年
19/05/15 10:48:07.07 4JDRsQ2t0.net
纏向遺跡には関東から瀬戸内までの土器が出土したからここが卑弥呼の宮殿跡と
言っているようだが、卑弥呼の時代は南の狗奴国との戦争真っ最中で卑弥呼の
宮殿の周囲も警備兵が守っていたと記載がある、戦争中にいろんな国の使者が来て
会議などする訳は無い、纏向遺跡は平和な時代の遺跡だぞ。
328:名無しさん@1周年
19/05/15 10:48:18.41 x0eqKJ0j0.net
熊襲だって球磨(狗奴国)+囎唹(=隼人=妻国=投馬国)で
両者は元々敵対国どうし。
奴国と邪馬台国が最後のどん詰まりでは融合しちゃったんだろうなと考えるのは別に自然なこと。
329:名無しさん@1周年
19/05/15 10:49:32.90 x0eqKJ0j0.net
>>318
お前必死だなww
330:名無しさん@1周年
19/05/15 10:50:17.54 E3vbrypd0.net
九州北部が日本で一番最初に規模の大きい稲作を始めた
そこから全国各地にひろまって豪族になったのは本当だから
ヤマト国と尾張氏の祖先は共通てことにしたかったんじゃないかな
そして出雲は昔は別格だったことにした
331:名無しさん@1周年
19/05/15 10:50:20.68 e1Gnkf2e0.net
>>320
根拠薄すぎ。
どこかにそれを匂わす記録でもあるのか?
お前畿内説に移れよ。
332:名無しさん@1周年
19/05/15 10:50:40.26 erX8Raw40.net
ID:x0eqKJ0j0
この近畿パー連呼の荒らしはいろんな意味で九州説の代表格だな
333:名無しさん@1周年
19/05/15 10:51:00.55 VoaeM2ok0.net
>>194
自分は伝承にはなにか意味があるのでは
と思っちゃうほうだから
箸でホトを突いて死んだっていうのがなにを意味してるのか気になるところだけど(当時箸はなかった?)
おそらく大往生ではなく悲劇的な死に方をした姫なんだろうと思う
もともとの身分やカリスマ性に同情か贖罪か鎮魂か そんなのが加算されて
大きく作られたんじゃないかと想像する
334:名無しさん@1周年
19/05/15 10:51:12.88 x0eqKJ0j0.net
東から近畿日本に責め立てられてたんだから、
分裂してる場合じゃ無い、しょうがないから融合して共闘しようと考えたのはごくごく自然な想像。
近畿パーの妄想とは全然違う次元のこと。
335:名無しさん@1周年
19/05/15 10:51:33.36 0C31jYI+0.net
ようこそ邪馬台国って書かれた看板が出てくるまで論争続けるんだろ
良い商売だわ
336:名無しさん@1周年
19/05/15 10:51:44.35 x0eqKJ0j0.net
>>323
根拠が薄いのはお・ま・え。
wwwwwww
337:名無しさん@1周年
19/05/15 10:52:01.30 x0eqKJ0j0.net
>>324
涙拭けよ近畿パーwww
338:名無しさん@1周年
19/05/15 10:52:06.76 E9YbqaBy0.net
こんな、いやいや倭国にやってきて、実際にいくの面倒だからって
てきとーに出張報告書書いちゃっただけなのに
それを根拠にあーだこーだいわれて書いた役人も困惑してるよ、きっと。
おめーら、自分たちで、国の場所ぐらい資料残しとけやってね。
339:名無しさん@1周年
19/05/15 10:52:24.08 x0eqKJ0j0.net
>>327
お前近畿パーの悪口言うなよ。
340:名無しさん@1周年
19/05/15 10:53:08.72 x0eqKJ0j0.net
>>330
お、知的障害起こしましたか近畿パーさん。
341:名無しさん@1周年
19/05/15 10:53:35.06 E9YbqaBy0.net
>>332
ん? 近畿パーってなに?
342:名無しさん@1周年
19/05/15 10:54:13.08 x0eqKJ0j0.net
>>333
涙拭けよ近畿パーww
343:名無しさん@1周年
19/05/15 10:54:17.23 xZi6FDGs0.net
>>315
畿内で見つかってる画文帯神獣鏡は三国志時代の呉地域の南方系の鏡だと
畿内説の学者が言ってるが何を勝手にねつ造してるんだよ
URLリンク(www.sankei.com)
344:名無しさん@1周年
19/05/15 10:55:19.09 E9YbqaBy0.net
ん?? なんだろか、変な言葉でいきってるキチガイの集まるスレだったか…
345:名無しさん@1周年
19/05/15 10:55:22.80 u5SiXyUP0.net
テクノロジーが進んでた中国に近い朝鮮、朝鮮に近い九州が栄えるのは至極当然
中国朝鮮から文字、稲作、鉄器、服、履物などがジャップランドに渡ってきたんだから
346:名無しさん@1周年
19/05/15 10:55:36.80 Axa2KMS80.net
>>293
邪馬台国という国名は、
倭人伝での卑弥呼印綬の際の梯儁による呼称 としてしか歴史に登場しないが、
大和朝廷の九州筑紫平定というのは、
当時の手法として戦闘破壊虐殺よりは、調略が主体であり
13歳の壹與が、朝廷にお輿入れw みたいな形の方が、現実性が高い。
統一王朝に所属することで筑紫の君というような、
地位と名前、領地の安堵を得るという事。
これによって
統一首都、纏向建設、壹與の墓は箸墓というのは、時系列的に有り得る訳だが、
それでも、邪馬台国は筑紫であることは、三国志という文献に有る通り、なのである。
347:名無しさん@1周年
19/05/15 10:56:04.00 x0eqKJ0j0.net
畿内説は学説として成立していないことは証明済み。
あきらメロンwww
348:名無しさん@1周年
19/05/15 10:56:29.59 r6/rHtfk0.net
>>317
高倉下が尾張氏や渡会氏と同族だからだよ
所謂アマノホアカリ系の人たちだよ。
饒速日もそう。
349:名無しさん@1周年
19/05/15 10:56:31.92 x0eqKJ0j0.net
>>336
変な言葉でイキるなよキチガイw
350:名無しさん@1周年
19/05/15 10:57:52.09 mYje+xWh0.net
>>312
別に敵対はしてないと思うぞ単純に畿内ヤマトが力を付けて存在感がでてきて
これまでは協議かなんかで卑弥呼だとか名前の判らん男王だとかトヨだとか王に決めてたけど
ヤマトが倭を主導するするようになっていく
倭国は熊襲との戦いに援軍を求めてるけど
ヤマトも熊襲征伐はしてる
この辺は景行天皇やヤマトタケルの行幸の辺りだと思うけど
地元の姫達を嫁にしたり頼みや要請を聞いたりしながら征伐してるので
九州に対して突出した権力者って感じではない
ヤマトは倭国の軍事担当、将軍のような立ち位置だったのではないかな
351:名無しさん@1周年
19/05/15 10:58:11.64 E9YbqaBy0.net
>>341
??
ID確認してレスしろよな? 変なヤツおおいな最近。。
352:名無しさん@1周年
19/05/15 10:58:19.46 x0eqKJ0j0.net
>>342
攻めて滅ぼされたんだよキチガイw
353:名無しさん@1周年
19/05/15 10:58:50.00 x0eqKJ0j0.net
>>343
お前とかなw
354:名無しさん@1周年
19/05/15 11:00:22.97 r6/rHtfk0.net
>>335
そのホームページの鏡はたまたま220年のやつだけどさ
最盛期は後漢時代だそうだよ。
355:名無しさん@1周年
19/05/15 11:00:49.90 NVkDlMvF0.net
>>207
箸墓は「四段築成」
崇神天皇陵は「三段築成」
箸墓のほうが格上の形状で
当時の人々は崇神天皇よりもモモソ姫のほうが偉いと認識していたのは間違いない
356:名無しさん@1周年
19/05/15 11:01:41.29 x0eqKJ0j0.net
とりあえず、畿内説は学説として成立していない、
立論の段階で失敗してしまっており、学説になり得ていない。
これは証明済み。
357:名無しさん@1周年
19/05/15 11:04:03.61 u5SiXyUP0.net
朝鮮が七支刀授けたってんだから
近い九州だろ
358:名無しさん@1周年
19/05/15 11:05:21.75 mYje+xWh0.net
>>340
それは流石に最終的にそういう事になったって部分だと思うけどね
布都御魂や金鵄ピカーで大勝利と同じ神話的部分
359:名無しさん@1周年
19/05/15 11:06:26.72 NVkDlMvF0.net
>>348
デマ流すのやめような
99%の学者は畿内説だぞ
360:名無しさん@1周年
19/05/15 11:07:48.05 e1Gnkf2e0.net
>>342
しかし、ヤマト王権の根拠が不明。
畿内説もそこが知りたいわけで。
環壕集落の時代に武器も持たずに広域を統治するノウハウはなかったはず。
畿内説は祭祀で統一したなどと言い出すが、後のヤマト政権にもそんな面影はない。
記紀にもそんな話は記されていない。
361:名無しさん@1周年
19/05/15 11:08:50.63 JO70nMoG0.net
●豆知識
どうして、「日本」はニッポン、ニホン.
2つの読み方があるの?
↓
「日本」の中国式発音(音読み)が ディップォン で ニッポン となり、
さらに、江戸っ子が短縮して ニホン と言うようになった
ちなみに、西洋訛りになっものが ジパング
え!? そんなこと、
チコちゃんが言ってたから知ってるって?
じゃあ、歴史の真実は知ってる?
●真実
「日本」と書いて ヤマト と発音するのが正しい
邪馬台国=ヤマト国 がそう決めた
当時の中国王朝にもそう伝えたのだが
中国人が勝手にニッポンと音読みしてしまった
しかし、日本国内なら引き続き ヤマト を
使い続ければ良いだけなのに、何故、
日本人が自らニッポンと言うようになったのか?
それは、ヤマト朝廷(ヤマト王権)が中国王朝に
乗っ取られてしまったからに他ならない
我々ほとんどの日本人は和人(倭人)で
出雲王朝を頂点とする和人豪族の連邦国家ヤマト
の末裔である
ところがしかし、昔々、中国が唐の時代、
唐軍に攻め込まれ、侵略され、出雲王朝は滅亡した
その出来事をホンワカしたおとぎ話にしたのが
「国譲り神話」である
「相撲をとって負けたから譲ることにした」
とか、そんな馬鹿な話、あるわけないだろ?
ヤマトは唐軍による武力侵攻をうけ、
日本の支配権を唐の官僚達に奪われてしまった
だから「日本」は ヤマト と訓読みすべきなのに
音読み(中国読み)の ニッポン になってしまった
日本はジパングでもないし、ニッポンでもない
ヤマトなんだよ
362:名無しさん@1周年
19/05/15 11:11:11.68 xZi6FDGs0.net
>>346
畿内から見つかってるのはほとんど三国志時代の画文帯神獣鏡だぞ
特にホケノのやつが有名だろ
後漢の時代の鏡なら北九州のほうが遥かに多いし
なぜそんなすぐばれる嘘をつくのかよく分からん
363:名無しさん@1周年
19/05/15 11:11:26.86 2W8eTF9i0.net
>>222
つまり仁徳天皇は九州に居たんだ
浪速も九州内の浪速で関西の難波とは別の場所。
364:名無しさん@1周年
19/05/15 11:13:38.63 NVkDlMvF0.net
>>352
倭人伝でも卑弥呼は非常に宗教色の強い人物だろ
武力で制圧したのなら王は軍人系の男のはず
365:名無しさん@1周年
19/05/15 11:14:25.43 tbDXanGd0.net
箸墓は掘られるべきであります。
つかさっさと掘れ
何かは出てくるだろ
366:名無しさん@1周年
19/05/15 11:15:12.46 mYje+xWh0.net
>>352
王権自体はどこにでもあっただろう
古墳なんか正直日本全国に腐るほど有るそれらは全部所謂「王」ってもんだろう
四道将軍の派遣だとか戦争の大規模化だとか複雑化の為に
統治者として集権して行ったのが畿内ヤマトで最終的に残っていったというだけで
367:名無しさん@1周年
19/05/15 11:16:06.38 7K/42EfH0.net
邪馬台国なんてなかったが正解だと思うわ。
368:名無しさん@1周年
19/05/15 11:18:51.13 NVkDlMvF0.net
>>357
「皇族の墓」と認定されてない古墳は発掘調査できる。
箸墓や崇神天皇陵と関係性が深い黒塚古墳からは
難升米に授けられたとされる黄幢と思われる金具が発掘されている
369:名無しさん@1周年
19/05/15 11:19:51.12 r6/rHtfk0.net
>>354
AC100年代前期から流入していると言われているよ。
画文帯神獣鏡は畿内勢力がおもに収集した鏡だよ。
だから九州から100年ごろには東遷してきて、九州とは違ったものを独自に収集したと思うんだが
370:名無しさん@1周年
19/05/15 11:22:22.44 2W8eTF9i0.net
>>275
小学生にも分かる様に説明してあげると
邪馬台国は北部九州全域のことで女王の都が伊都国
邪馬台国の中に奴国や伊都国などの都市国家があった。
371:名無しさん@1周年
19/05/15 11:23:05.42 mYje+xWh0.net
異物的には三角縁神獣鏡とか長野でも見つかってるから北陸でもおかしか無いないけどね
勾玉にされてる翡翠も取れる新潟の姫川産が広範囲に与えられて珍重されてる訳だし
372:名無しさん@1周年
19/05/15 11:24:26.47 NVkDlMvF0.net
九州から発掘される鏡は主に漢の時代の鏡で
畿内から発掘される鏡は主に魏の時代(邪馬台国時代)の鏡なのも
畿内が邪馬台国である物的証拠だよな
九州の鏡流通の核としての機能は 1~2世紀頃に失われてるし
明らかにこの頃に九州北部から畿内に権力が移ってる
373:名無しさん@1周年
19/05/15 11:24:38.67 N+I/pzho0.net
>>362
そんな大掛かりな大国があったはずなのに
何故一つの物証もでてこないの??
374:名無しさん@1周年
19/05/15 11:27:08.48 kv6o4UWp0.net
>>359
私もあれが正しいと思う。
それ以外ないと思うんだな。
375:名無しさん@1周年
19/05/15 11:28:33.89 NVkDlMvF0.net
>>362
『日本書紀』によると仲哀天皇時代(4世紀頃)に
伊都国王が完全に家来になり伊都国王の歴史は終わった。
古墳を調査すると伊都国が中心国としての機能を失ったのは
1~2世紀で邪馬台国の可能性はない
376:名無しさん@1周年
19/05/15 11:29:30.04 tbDXanGd0.net
>>360
箸墓は皇族の墓だが、ちょっと前に宮内庁が許可出して、ちょろっと調査�
377:ヘしてる が、あんなんじゃ足りない。ガンガン掘るべき。主体部は盗掘されてるかもだが 何かは出てくるはずや!
378:名無しさん@1周年
19/05/15 11:30:03.92 VyrEc7UG0.net
>>335
画文帯神獣鏡がすべて呉系とは書かかれていないんだが
その記事にある画文帯環状乳神獣鏡と重列式神獣鏡が呉系ってだけだよ
嘘はダメ
379:名無しさん@1周年
19/05/15 11:31:11.81 E3vbrypd0.net
527年 磐井の乱
朝鮮半島南部を攻めようとした大和王権軍の進軍を
筑紫(福岡県)を国造として治めていた磐井さんが邪魔して鎮圧されちゃう
660年 百済滅亡
661年 百済復興のために斉明天皇(天智天武のお母さん)が
朝倉橘広庭宮(福岡県朝倉市)に住むがそこで崩御
663年 天智天皇が母の意志を告ぐが白村江で唐に大敗
世間の声 なにやってんの だから反対したのに
大和王権には九州特に福岡県に気を遣わないといけない理由があった
380:名無しさん@1周年
19/05/15 11:31:16.73 9/y0rOFA0.net
中国と交渉したのは伊都国
邪馬台国なんてものは伊都国の人が喋っただけでどこにあろうが伊都国の人の思惑を想像するしかない。
381:名無しさん@1周年
19/05/15 11:32:26.06 xZi6FDGs0.net
>>361
畿内に画文帯神獣鏡が流入したのは3世紀以降だろ
それ以外の後漢の鏡についての話だというなら別だが
382:名無しさん@1周年
19/05/15 11:32:34.08 +LKoF29u0.net
>>367
筑前風土記の記録に、伊都郡の県主が大歓迎したという記録があるな
383:名無しさん@1周年
19/05/15 11:33:28.16 r6/rHtfk0.net
鏡の出土数が九州と近畿で入れ替わるのがAD150くらいでしょ
384:名無しさん@1周年
19/05/15 11:34:00.59 SKM8QdeS0.net
どうでもいいからToLoVeるに伊代たん出せよ
385:名無しさん@1周年
19/05/15 11:34:07.20 e1Gnkf2e0.net
>>356
わかる。
そうなるよね。
じゃあその宗教はどこからきたのか?
その宗教が伝わった痕跡は?
そして何故記紀には記されていないのか?
どう考えても卑弥呼政権とヤマト政権は別物としか見えない。
邪馬台国=畿内政権=ヤマト政権という畿内説は妥当ではない。
386:名無しさん@1周年
19/05/15 11:36:47.64 NVkDlMvF0.net
>>376
>その宗教が伝わった痕跡は?
箸墓や纏向遺跡の御神体は奈良の三輪山で
昭和天皇や上皇様も訪れてるよ
387:名無しさん@1周年
19/05/15 11:37:37.42 tbDXanGd0.net
鏡は作成年代と埋葬年代が一致するかどうかかな
埋葬者の日常品を埋葬したとすれば、手に入れてから時間が経って埋葬してる可能性も
手に入れたものをすぐ埋葬なんて勿体ないw
388:名無しさん@1周年
19/05/15 11:38:34.34 N+I/pzho0.net
>>376
宗教がどこからきたのか、とか
宗教が伝わった痕跡がないとダメ、とか
何故記紀には記されていないのかの理由を出せ、とか言い出したら
九州説も成立しなくなるんだけど?
389:名無しさん@1周年
19/05/15 11:39:09.47 r6/rHtfk0.net
画文帯神獣鏡は九州が鏡集めを止めた後AD100年ごろから作られ始めた鏡だから
390:名無しさん@1周年
19/05/15 11:39:15.69 xZi6FDGs0.net
>>369
いや三国志時代の呉地方の南方系の鏡だと記事で書いてあるだろ
鏡のモチーフが南部の江南系で
橿原考古学研究所河上氏が呉と交流してたのではと
391:名無しさん@1周年
19/05/15 11:40:05.54 NVkDlMvF0.net
>>274
卑弥呼が女王になったのはAD184頃からなのでピッタリ一致してるじゃん
392:名無しさん@1周年
19/05/15 11:45:05.21 N+I/pzho0.net
物証みると近畿説が有力になってくるんだよな、結局
393:名無しさん@1周年
19/05/15 11:46:24.13 xGm7Ap4b0.net
>>381
三国志の時代に蜀の孔明が北伐をしてた時期
呉の孫権はたん州と交易したって記述があるんだよな
台湾ー日本とかその辺じゃないかと思ってる
日本から漢、魏と交流があったなら
呉の水軍技術を使って台湾、日本と交易ができるよな
394:名無しさん@1周年
19/05/15 11:46:43.27 XDt8WWdX0.net
>>376
三輪山周辺は昔から宗教色の極めて強い場所だろ。水銀朱の出土する場所という時点で否定出来る要素は何もない。
三輪山はそもそも美和山でもあり倭の象徴の山。神武天皇が神の娘を求めたのも三輪山だろ。
395:名無しさん@1周年
19/05/15 11:46:47.63 Hm5VIa4k0.net
>>249
いい台与
396:名無しさん@1周年
19/05/15 11:47:43.51 mYje+xWh0.net
>>376
邪馬台国は祭祀国家的であるのは卑弥呼が指導した間違い無いし
今国名に該当する地名自体がイマイチ無いってのは地名ではなかったからだろう
それが記紀にも出てこないのに最高神格現在も信仰されるあるヤハタ神、宗教国八幡国が邪馬台国
でも天照の祭祀官であるヤマト王が奉る訳にもいかないので
宇佐を建ててあげて宗教と現実的な政治の分離がなされて
倭国そのものになったヤマトに九州が同化した
そういう意味では邪馬台国は滅びたしヤマト王権は倭国そのものだし
神武を始めとして万世一系のヤマト王の系図もまぁまぁ嘘じゃない
こんな所だろう
397:名無しさん@1周年
19/05/15 11:48:43.52 +LKoF29u0.net
筑前風土記によると、怡土県主の五十迹手が、神功皇后を同祖(天日槍)だといって歓待してる
伊都と大和には既に血縁があったということだろう
398:名無しさん@1周年
19/05/15 11:50:22.63 4JDRsQ2t0.net
纏向に卑弥呼が居て関東から瀬戸内の国と交流していたならば敵対する狗奴国を潰すくらい
簡単じゃ無いか、しかし倭人伝では勝負がつかない戦いになっていると記載がある
関東から瀬戸内の邪馬台国連合に太刀打ち出来るような強大な狗奴国はどこにあるんだろうか?
399:名無しさん@1周年
19/05/15 11:51:19.94 xZi6FDGs0.net
>>380
だから畿内に入ってきたのは3世紀以降だろ
纒向学研究センターがそう発表してる
URLリンク(www.sankei.com)
画文帯神獣鏡は最古級の古墳とされる桜井市のホケノ山古墳や、
天理市の黒塚古墳など3世紀代の古い古墳から出土
400:名無しさん@1周年
19/05/15 11:52:07.86 xGm7Ap4b0.net
>>383
物証って世界の学者の学説で人類が誕生したのがアフリカだとなってるけどな
人間がどうやってアフリカからアメリカ経由してあの太平洋を手漕ぎボートで日本に来れるんだ?
ちなみに氷河期とか中国大陸ですら年中氷の世界
アラスカ、北方領土経由で日本とかまずありえない(食べる物が無いから)
赤道直下をアフリカ~インド~インドネシア~台湾~日本って経由が一番納得できる
赤道直下を海流に乗ってな。食べたのか貝類、魚
アメリカ大陸から太平洋を手漕ぎボートで経由して近畿から九州とかありえん
そんな事言うならお前がまず日本、アメリカを手漕ぎボートで横断できるか証明しろよ
どう考えても九州から近畿じゃないとおかしい
401:名無しさん@1周年
19/05/15 11:53:34.33 2W8eTF9i0.net
>>367
記紀は8世紀に書かれたもので信頼性は低いからな
>>373
そんな事もあったのかなくらいの話だな。
402:名無しさん@1周年
19/05/15 11:53:34.64 JO70nMoG0.net
日本人よ、
歴史の真実を知ろう
●邪馬台国=ヤマト国
九州・西日本を中心とし、青森までの日本海沿岸地域、
および、群馬、埼玉までの内陸部に広がっていた
和人(倭人)の豪族が作った様々なクニの連邦国家のこと
●邪馬台国はどこ? なんて質問は範囲が広すぎて意味がない
日本列島の地図をみながら、日本はどこにあるの?
って聞いてるのと同じだから
●ヤマト国の中心は出雲王朝
年に一回、日本全国からクニの代表者が集まって会議をしていた
それが「神在月
403:」の由来 国津神(クニツカミ)とは、そうした豪族一族を指す ●日本神話の基本構造に、天津神と国津神との争いと和解がある。 実際、外部からの侵略者(天津神)とヤマトは戦争し、国津神は敗北。 和解というよりは、降伏した上でのの和平交渉である ●要するに、太平洋戦争に負けてアメリカの言いなりになったように、 大昔の日本(ヤマト)は、天津神との戦争に負けて、以降ずっと、 天津神の支配を受けることとなった ●太平洋戦争後、アメリカの指導のもとに 宗教、歴史教科書、憲法が新しいものになったように、 天津神は ・天照大神を頂点とする国家神道の創始 ・日本書紀、古事記の編纂 ・大宝律令の制定 を行い、日本の権力構造をすっかり変えてしまった ●そう、すなわち、天津神とは 唐の女帝 則天武后をトップとする唐の軍勢、唐の官僚たちである。 武則天の幼名は「照」である。 古今東西の占星術においては太陽とは男性のシンボルなのに、 神道だけは太陽神が女神なのは則天武后を神とする為に他ならない。 そして、則天武后の傀儡として作られたのが天武天皇。 ちなみに「天皇」という単語そのものが武則天のアイデアである。 なぜ「天」の文字が多用されるのか? すべては武則天に由来する。 ●則天武后が失脚し、唐は滅んでしまった。 唐の官僚たちは日本に移住し、朝廷権力の中枢を支配し続けた。 それが藤原氏。 ●「邪馬台国論争」というバカげた話題が延々と続いている原因は 出雲王朝を虐殺し、日本を乗っ取ったことを隠すために、 様々な偽装、欺瞞工作が藤原氏によって行われたから。 邪馬台国とは、要するに、日本国そのものなのだ
404:名無しさん@1周年
19/05/15 11:57:08.86 +LKoF29u0.net
大王があちこち移動してたから朝倉橘広庭宮なんてのがあったわけで、北部九州から何か出てきてもそれほど不思議ではないんだよな
405:名無しさん@1周年
19/05/15 11:57:50.40 VyrEc7UG0.net
>>381
だから「モチーフ」は江南系と書かれてるんだろ
画文帯神獣鏡は華北系と江南系の両方がある
実際、ホケノから出た画文帯同向式神獣鏡は華北での出土が多い
406:名無しさん@1周年
19/05/15 11:58:16.81 e1Gnkf2e0.net
>>387
たとえば、もっとホタテを探してそれらが出来た順序なんか示せないのかな?
407:名無しさん@1周年
19/05/15 11:58:19.49 r6/rHtfk0.net
>>390
三世紀の古墳に埋められるためには、その50年くらい前には入手したと思う。
408:名無しさん@1周年
19/05/15 11:58:44.97 Hm5VIa4k0.net
>>241
神武の東征は神武天皇という個人が一代で行ったのではない、
つまり九州の国にいた人たちが数代をかけて大和へ移った伝承
という可能性もなきにしもあらず。
例えば邪馬台国がもともと甘木(朝倉)地方にあったとして、
そこから英彦山あたりを越えて豊の国の中津へ移動し、そこ
から船で北上して本州に渡ったという流れかもしれない。
つまり天孫降臨ではなく、邪馬台国の一族(だから台与の国)
が(芦原の)中津(国)へと降臨したのだとも考えられる。
409:名無しさん@1周年
19/05/15 11:59:27.33 VyrEc7UG0.net
>>381
>さらに中国北部の魏以外にも、倭と密接な関係があった朝鮮半島を経由し、
>中国南部の呉などと交流した可能性も「否定できない」とみる。
こう書かれているだろ
ヤマト王権は魏と交流していたし、呉とも交流していた可能性があるということ
410:名無しさん@1周年
19/05/15 11:59:59.91 XTWl33dT0.net
畿内では銅鐸が多いから、鬼道で祭りやってたんだろ。卑弥呼さんが
411:名無しさん@1周年
19/05/15 12:01:11.57 kv6o4UWp0.net
学会ってとこが、近畿で固まってるのは大人の事情なんじゃないかな。
412:名無しさん@1周年
19/05/15 12:03:46.63 mYje+xWh0.net
まぁ沢山の人がいる都市があったとしても
日本は基本的に平安時代まで竪穴式住居だから九州だと跡は灰で埋まってる
中国の様に機能や人間を集めて固定するしっかりした
都市計画を始めるのはヤマト王権ですら飛鳥だし
首都=とにかく大都会って中国のイメージは必ずしも当てはまらないかな
ワシントンよかNYが都会みたいなもんで
ついでに漁民が主って季節で移動する可能性のある狩猟採取な国民性なら尚更
413:名無しさん@1周年
19/05/15 12:04:44.22 r6/rHtfk0.net
>>400
卑弥呼が擁立されたくらいから銅鐸やめたんだけどな
414:名無しさん@1周年
19/05/15 12:05:22.39 2W8eTF9i0.net
>>393
それ君の妄想だね。
●邪馬台国=北部九州地域の国家
和人(倭人)の豪族が作った様々なクニの連邦国家のこと
倭人の勢力は朝鮮海峡両岸。
●倭王武が領土を拡大したと上表
●倭は高句麗と朝鮮半島の覇権を争う
●倭の領土の任那が滅亡し日本列島に引き上者が増える。
●人口増加で倭人の勢力圏(福岡市の日向峠付近)から神武が東征に出発し関西の豪族を打倒し植民
大和朝廷の基礎を作る。
●白村江の戦で倭国が敗れ倭国衰退。
●倭国の内乱に乗じて大和朝廷が帝位を簒奪、記紀の編纂。
415:名無しさん@1周年
19/05/15 12:06:23.42 IkZBvXYU0.net
神話が全て史実ではないとしても、史実を一部反映してる可能性は高いだろ。
トロイ戦争だって史実だったんだし。
神武が東征して大和政権を作ったんだから、やっぱり九州に邪馬台国があったんだろ。
416:名無しさん@1周年
19/05/15 12:07:01.55 +LKoF29u0.net
銅鏡・・・未だ三種の神器として伊勢に祭られている
銅鐸・・・諏訪に鉄鐸がいまだに残ってる
甲骨占い・・・未だ天皇家に残っている
蛙・・・諏訪に蛙を用いた神事がいまだに残ってる
桃・・・桃の節句として、いまだ各地に神事が残っている
こう考えると、古代からそのまま残ってる神事って多いな
417:名無しさん@1周年
19/05/15 12:07:32.42 tbDXanGd0.net
世界遺産になった、九州だがヤマト政権と縁の深い宗像大社の発掘物が公開されてるが
ほぼ四世紀以降の文物なんよな
少なくともここの祭祀の面からみたら、三世紀から北部九州を抑えてたという感じではない
当時は祭祀はかなり重要とは思うが、、
418:名無しさん@1周年
19/05/15 12:08:19.37 ur+4Szpq0.net
魏志倭人伝には九州以外の説地を明する記述がどこにもない。
わかるだろ?
419:名無しさん@1周年
19/05/15 12:08:22.93 XTWl33dT0.net
>>405
大和政権って政権だから、当然国もあるじゃん。それが邪馬台国って可能性もあるじゃん
420:名無しさん@1周年
19/05/15 12:09:18.69 e1Gnkf2e0.net
まあ九州だろうが畿内だろうが、同じ倭人として戦争をなくそうと努力してるところが賢いなあと思う。
どこかのアホ議員と違って。
421:名無しさん@1周年
19/05/15 12:10:49.87 VyrEc7UG0.net
>>407
大陸への航路が沖ノ島経由になったのは4世紀後半からだね
3世紀は博多湾貿易の時代
422:名無しさん@1周年
19/05/15 12:11:02.39 +LKoF29u0.net
>>407
強力な中央集権はもっと後の話だから、卑弥呼のころは広域連合みたいなものでしょうな
423:名無しさん@1周年
19/05/15 12:13:32.21 XTWl33dT0.net
結局魏志倭人伝は魏志九州人だったわけね
424:名無しさん@1周年
19/05/15 12:15:40.38 tbDXanGd0.net
>>411
沖ノ島はかなり小さいし、周りも崖ばかりで当時だとデカい船を付けれそうな港もない
位置関係から、神秘的な感じはあるが(だから神域になった)
貿易の中継には使えないだろな。実際、隋の時代も使者は壱岐対馬ルートだしな
425:名無しさん@1周年
19/05/15 12:17:01.31 r6/rHtfk0.net
まあ運が悪かったんだと思う。
本当にちょうど考古学的には東遷があった時期と卑弥呼の時代がピッタリ重なってしまったから九州か大和か完全に分からなくなってしまった。
426:名無しさん@1周年
19/05/15 12:21:06.72 VyrEc7UG0.net
>>408
戸数7万戸の大国が九州のどこあるんだ?
従者1000人が仕える宮殿が九州のどこにあるんだ?
径100歩の大きな墓が九州のどこにあるんだ?
3世紀に丹を産出する山が九州のどこにあるんだ?
3世紀に入れ墨の風習が九州のどこにあるんだ?
427:名無しさん@1周年
19/05/15 12:21:15.08 mYje+xWh0.net
>>413
邪馬台国は台与の時代に翡翠の勾玉と思われるものを朝貢してるので
日本海側で翡翠産地の新潟西部の姫川のある北陸までは恐らく倭だよ
北陸辺りが邪馬台国でも面白いけどね
428:名無しさん@1周年
19/05/15 12:22:16.38 mYje+xWh0.net
>>416
灰で埋まったに決まってんだろ
平安時代まで日本は竪穴式住居だぞ
429:名無しさん@1周年
19/05/15 12:26:01.35 4JDRsQ2t0.net
邪馬台国と狗奴国の戦いが勝負がつかんと言う事は戦力が互角だったからだ
弥生時代鉄鏃出土数(鉄鏃とは鉄製の矢じりの事)
東北**1 群馬*21 千葉*63 東京*37 長野*27 石川*55 福井*32
滋賀*13 京都112 大阪*40 兵庫*92 奈良**4 和歌山**5
岡山104 広島*79 山口*97 鳥取*46 島根*30 香川*36 愛媛*25 高知*53
福岡398 佐賀*58 長崎*29 熊本339 大分241 宮崎100 鹿児島**3
福岡県(邪馬台国) 熊本県(狗奴国)の出土数がほぼ同じ、つまり
互角の戦力と言える。
430:名無しさん@1周年
19/05/15 12:27:27.06 GtFSDc5a0.net
>>355
それは無理があるな
仁徳天皇に縁のある地域が大阪平野に他にもいっぱいある。
宮や陵やモズの由来やらね。
431:名無しさん@1周年
19/05/15 12:28:28.33 mYje+xWh0.net
>>419
流石に出土した分だけで比較すんのはどうかと思うけどもな
432:名無しさん@1周年
19/05/15 12:29:22.73 GtFSDc5a0.net
>>398
そこまで話を作り出すと何でも言えてしまう。
邇邇芸の天孫降臨、饒速日命はメソポタミアから飛来したって言ってるのと変わらんよ?
433:名無しさん@1周年
19/05/15 12:31:43.74 ur+4Szpq0.net
>>416
だから、九州以外に「確定した情報」がどこにかいてあるの?
九州では考えずらいのかもしれないけど、そういったあいまいな情報は植民地にされないよう盛った話であることも考えられるだろ。
今のところ「確定した情報」は九州のみ
434:名無しさん@1周年
19/05/15 12:35:17.89 p+f906kL0.net
邪馬台国は九州にあったけれど、後年になって畿内の大和朝廷に跡形もなく滅ぼされたって事でしょう
それが一番整合性がとれている
435:名無しさん@1周年
19/05/15 12:37:16.88 98oCFgty0.net
>>97
日没と日食が重なるって最悪の組み合わせだな
次の太陽が昇るか不安になるんじゃ無いか?
436:名無しさん@1周年
19/05/15 12:38:22.74 VyrEc7UG0.net
>>423
なんだその屁理屈はw
「伊都国や奴国が九州にあるから邪馬台国も九州に決まってる!!!」っていう屁理屈にしか見えないが
437:名無しさん@1周年
19/05/15 12:40:26.79 r6/rHtfk0.net
>>424
東遷してから親元を滅ぼすってなんか変な感じもするけど
アメリカがイギリスを滅ぼすようなもので
438:名無しさん@1周年
19/05/15 12:40:50.23 ur+4Szpq0.net
>>426
いやいや、そういうことではない。
九州から畿内まで相当な距離があるのに
魏志倭人伝の記述の中で、九州以外の場所を特定できる記述が一つもないのはおかしいという理論。
439:名無しさん@1周年
19/05/15 12:41:05.23 PGAmFKJ70.net
>>404
倭王武の上奏文を見る限りは、その倭王の国が九州から起きたものとは考えにくいんだけどね
その倭が邪馬台国と必ずしも同じとは思ってないけど
440:名無しさん@1周年
19/05/15 12:46:05.54 98oCFgty0.net
日本神話の根の国とか黄泉比良坂を朝鮮半島南岸と捉えると面白いな
素戔嗚とか大国主とか中央を追われた神様は大抵黄泉の国を治めてるし
黄泉の国から戻ったイザナギが福岡の小戸で禊いだのも地理的に頷ける
441:名無しさん@1周年
19/05/15 12:46:12.32 N5vThyd20.net
>>408
魏志倭人伝には北部九州から水行30日の場所にあると書いてある
邪馬台国が北部九州になかったことがわかるだろ?
442:名無しさん@1周年
19/05/15 12:48:07.52 DuuEixNw0.net
>>408
郡使は常に伊都国に留まると書いてあるのだから、邪馬台国が伊都国より東であろうがも南であろうが、
伊都国よりも先には行っていない可能性が非常に高い
伊都国までは比較的詳細に書いてあるのに、それ以降は何故か日数で、ほぼ省略されているしな
弓遵たちは伊都国に滞在して、印綬等を倭国側の役人に渡し、倭王という臨時の官爵@を与えて、それ
に対する上表文をもらいうけ帰っただけなんだろうと思う
@「拝仮」とは臨時の官爵を与えるという意味
つまり宮殿や墓を見たというのは、あくまでも伊都国で見聞きしたものを郡使が報告したもの、女王国の
ものとして書き換えただけなのだと思う
443:名無しさん@1周年
19/05/15 12:50:37.13 atbppNux0.net
>>1
何がどうなってれば特定できるんだ?
444:名無しさん@1周年
19/05/15 12:50:45.17 22ycApAK0.net
>>416
いくら必死で並べ立てても
九州以外の記述はないのだから無駄
近畿は空想願望
学問の要素ゼロ 虚無
445:名無しさん@1周年
19/05/15 12:51:53.03 N5vThyd20.net
>>404
説得力ない
中国の歴史書でも倭国は奈良が首都だからな
446:名無しさん@1周年
19/05/15 12:51:53.59 VyrEc7UG0.net
>>428
魏志倭人伝は魏志邪馬台国伝でもなければ、邪馬台国旅行記でもない
基本的に倭人一般の情報は邪馬台国の位置の特定には使えない
ただし、九州に入れ墨や丹がなければ、倭国の範囲は本州も含むということになる
ついでいうと九州説が否定される決定的な理由は、邪馬台国が倭国の盟主の国という一番重要な記述に矛盾してるからだ
3世紀中頃での日本列島の盟主の国はヤマト国
447:名無しさん@1周年
19/05/15 12:51:57.63 GtFSDc5a0.net
>>424
畿内勢力よりも前に、熊襲に征服されたのではないかな?
日本書紀に出てくる九州勢力は熊襲。つまり九州南部出身の勢力。
九州北部の邪馬台国やその連合体は、狗奴国と戦争状態だと魏に訴えている。
狗奴国が女王国の南にあったことは魏志倭人伝にも書いてあるわけだから、九州南部の勢力に滅ぼされたと取るほうが無難。
十二代景行天皇の時に、熊襲征伐が行われており、仲哀天皇&神功皇后よりも2代前の出来事なわけだから
景行天皇の熊襲征伐は3世紀後半に行われたと思われる。
3世紀中頃に卑弥呼から壱与に代替わりしてるわけだけど、その後熊襲に征服されたとすると辻褄は合う。
448:名無しさん@1周年
19/05/15 12:54:14.26 VyrEc7UG0.net
>>434
それなら九州だと特定できるものを示してみろ
449:名無しさん@1周年
19/05/15 12:55:39.18 N5vThyd20.net
>>437
倭国と熊襲の国境付近と思われる
吉野ケ里遺跡は3世紀後半に一度衰退してるから
一致してるね
450:名無しさん@1周年
19/05/15 12:56:01.51 h4hx6qNm0.net
>>387
>邪馬台国は祭祀国家的であるのは卑弥呼が指導した間違い無いし
邪馬台国は卑弥呼が指導した祭祀国家的であるのは間違い無いし
なんか読んでてムズムズしたから思わず横槍指摘しちまった
とにかく落ち着いて書こう
451:名無しさん@1周年
19/05/15 12:57:29.61 N5vThyd20.net
>>434
いくら必死に九州説を主張しても
邪馬台国は北部九州から水行30日の場所にあるのだから
邪馬台国が北部九州にあった可能性はゼロ
452:名無しさん@1周年
19/05/15 12:59:28.65 ur+4Szpq0.net
>>431
それはあいまいな情報でしかない。
どこから
453:どこまでが水行20日なのか そもそも海を渡るときはそんな記述ではなかったんじゃないかとか 九州を出発点として船で20日なら、どこにも寄らずに船で移動なんてできるのか? かなり怪しい情報でしかない。 俺が求めてるのは。九州以外の地を示す確かな情報。
454:名無しさん@1周年
19/05/15 12:59:30.44 e1Gnkf2e0.net
>>440
想像し過ぎだw
想像は推測とは別物だから注意w
455:名無しさん@1周年
19/05/15 13:00:37.46 N5vThyd20.net
>>442
自説に都合の悪い記述は怪しい情報にするな
456:名無しさん@1周年
19/05/15 13:01:16.21 mYje+xWh0.net
>>436
江戸時代は盟主として万事差配してる徳川が天皇なのか?
違うだろ
457:名無しさん@1周年
19/05/15 13:04:14.92 GyP9niCr0.net
応神が九州邪馬台国の子孫、古代史で多重人格の何役もこなす神功皇后に応神の母役(邪馬台国の女王)を押し込んで、東征したのは応神と母親。
母親は卑弥呼自身か卑弥呼の子孫か。
三輪桜井勢力を倒して難波の宮設立。
つまり仁徳以下は九州邪馬台国直系で武烈あたりまで続く。
458:名無しさん@1周年
19/05/15 13:04:46.93 VyrEc7UG0.net
>>445
魏志倭人伝を否定し妄想でっちあげてイチャモンつけてるだけだな
倭国に権力と権威の二重構造があったなどと書かれていない
捏造は不可
459:名無しさん@1周年
19/05/15 13:05:19.13 NVkDlMvF0.net
>>442
日本側の資料の『延喜式』だと
畿内から北部九州まで舟で1ヶ月と書いてあるから
畿内説だと水行30日は信用できる情報だね
460:名無しさん@1周年
19/05/15 13:06:32.62 Jg6WAg7R0.net
学界では畿内説確定だろ
九州説はもはやトンデモでしかない
461:名無しさん@1周年
19/05/15 13:06:55.65 XDt8WWdX0.net
>>428
倭に丹山があるなら普通に考えて四国東南部か
紀伊半島が舞台になる。
しかもそこは冬温暖で海人の里だろ、九州の要素なんて倭人伝ではむしろ少ない。
そもそも火山の記述がないのも九州南部である可能性も消える。
462:名無しさん@1周年
19/05/15 13:07:39.72 mYje+xWh0.net
倭国は女王国、邪馬台国の女王卑弥呼が女王をやってて他の国もあるって区別されて
書いてんだから2重どころか多重に権力構造があるのが前提だわ
あと隼人族は入れ墨だかペイントで身体に文様入れてるわな
463:名無しさん@1周年
19/05/15 13:08:17.11 Hm5VIa4k0.net
>>406
ちなみに亀卜は紀元前の古代中国から続く風習だね
464:名無しさん@1周年
19/05/15 13:10:03.70 XDt8WWdX0.net
>>446
神功皇后の生まれは葛城地方で確定してるのだが。
母親は葛城高額姫という、二上山の麓の集落だよ。
465:名無しさん@1周年
19/05/15 13:10:18.15 XTWl33dT0.net
>>404
大和朝廷って国だと思うんだけど、それが、邪馬台国の可能性もあると思うんだ。
466:名無しさん@1周年
19/05/15 13:11:10.78 e1Gnkf2e0.net
>>449
日本の考古学会という捏造前科持ちより、九州と判断した中国の学者の方が信頼されるのは仕方ないな。
467:名無しさん@1周年
19/05/15 13:11:57.56 bgmHv4dK0.net
越前説はどうなった?
468:名無しさん@1周年
19/05/15 13:12:13.29 XTWl33dT0.net
>>424
九州弱いな w
469:名無しさん@1周年
19/05/15 13:12:58.81 XDt8WWdX0.net
>>424
それは自分の知識範囲内で整合性がとれているだけ。考古学や各種資料とは全く矛盾してるよ。
470:名無しさん@1周年
19/05/15 13:13:22.01 GtFSDc5a0.net
>>439
せやねん
畿内説を取ると、どうしても記紀との整合性が取れない問題にぶつかる。
神功皇后の三韓討伐は大陸側の記録にもあるからずらしようがない。
大規模な環濠集落があろうと、桃の種が出土しようと、それは畿内の大和王権の勢力のものではあっても、邪馬台国や卑弥呼と結びつける必要はない。
ではどう考えればいいか?
近い時代の記紀の熊襲征伐と魏志倭人伝の狗奴国との戦争から考えると、狗奴国に滅ぼされた取るのが一番楽。
卑弥呼がアマテラスで、畿内に東遷したとか色々ファンタジーな空想を繰り広げても、やっぱり記紀との整合性が取れない。
もし記紀と整合性を持たせたファンタジーをやるとすると、九州北部の女王国は、大和王権の九州の出先機関であって
南部の熊襲が反抗してきたから景行天皇が討伐に向かったとは取れないこともない。
471:名無しさん@1周年
19/05/15 13:17:48.15 XTWl33dT0.net
>>431
北部九州から水行30日ってことは、海を越えて四国や中国地方にある可能性もあるんじゃない
472:名無しさん@1周年
19/05/15 13:19:06.10 lXFDZh7X0.net
>>449
おまえそれしか書けんのかwww
理由をかかなきゃ
473:名無しさん@1周年
19/05/15 13:19:24.65 XDt8WWdX0.net
>>459
整合性なら九州南部辺りの狗奴国が徐々に邪馬台国ことヤマトの主権を握ったで何の問題もない。
女王国なら国神が女性名の瀬戸内海周辺国で問題ない。
ヤマト生まれ、瀬戸内海の女神でもあるモモソヒメが卑弥呼の実像に一番近いのは事実だろ。
474:名無しさん@1周年
19/05/15 13:20:03.96 JGw4Tuui0.net
>>35
周回遅れレスとかいつもバカにしてる
ザラコクみたいだなw
よほど悔しかったかw
475:名無しさん@1周年
19/05/15 13:21:49.23 gvk4Z9rm0.net
実際に行ったわけじゃなくて又聞きで書かれてるんだろこれ
しかも現代の雑誌で言えば隅に載ってるコラム並みの扱い
残ってる記録が乏しいからこういうのに過剰にすがってるだけ
日本の歴史書で卑弥呼や邪馬台国に該当するものすら特定されてない
なのになぜ魏志倭人伝だけ神聖視するの
476:名無しさん@1周年
19/05/15 13:22:18.68 FBV7Pl1j0.net
まぁいずれにしても、九州は日本の中心地であったこともなく現在までずっと辺境の地であり続けたってのは間違いない
477:名無しさん@1周年
19/05/15 13:22:57.32 ur+4Szpq0.net
>>444
いやいや、日本語を正確に理解してくれ。
魏志倭人伝の記述の中に、九州以外の地を確定させる情報がどこにもない。
九州の国についてはちょこちょこ書いてあるのに
九州から畿内まではあまりにも長い移動で、そんな記録の残し方がありえるだろうか?
そもそも、交流の目的が畿内なら、九州を陸行する必要はなく、
不彌國から畿内へ継続して移動しているとは考えにくい。
なぜ南至投馬國からは距離表示がなくなり、九州以外の地を示す確かな情報がひとつもないのか?
別に九州以外を完全否定してるわけではないのでもっと客観的な反論してくれ。
478:名無しさん@1周年
19/05/15 13:23:00.77 XDt8WWdX0.net
更にいうとモモソヒメには別名で日女命、ヒミコという記述が丹波籠神社にはっきり残っているのに、何を今さら九州説とか主張する
バカがいるんだよw
479:名無しさん@1周年
19/05/15 13:23:10.65 RcJiPuAk0.net
>>459
まさか2600 年信じてるの?
ビリーバー?
150歳w
480:名無しさん@1周年
19/05/15 13:25:04.66 XTWl33dT0.net
邪馬台国が九州にあったとしても、後で、畿内の大和朝廷からボコボコにされて滅亡するという悲しいシナリオ
481:名無しさん@1周年
19/05/15 13:25:31.50 XDt8WWdX0.net
>>466
倭に丹山がある、丹生神社の存在に弥生時代の丹の鉱山、採掘跡とも紀伊半島から四国東南部を指してるだろ。
九州なら火山の記述もないとダメ。
482:名無しさん@1周年
19/05/15 13:27:21.18 VyrEc7UG0.net
>>466
だ・か・ら・魏志倭人伝は魏志邪馬台国伝でもなければ、邪馬台国旅行記でもない
と言ってるだろ
なんで、邪馬台国旅行記前提で考えるんだよ
483:名無しさん@1周年
19/05/15 13:29:32.28 PGAmFKJ70.net
>>470
丹生神社って九州にもあるよね
484:名無しさん@1周年
19/05/15 13:30:44.48 yg8vKW4Q0.net
東征したのは邪馬台国ではないだろう
女王国の流れが東征したとは考えられない
女王国はかなり衰退したか滅びた
東征したのは投馬国や伊都国の連合だろう
奈良の地名は九州の地名が付けられているからね
485:名無しさん@1周年
19/05/15 13:31:56.32 E3vbrypd0.net
むかしから半島と日本でどちらが古いかを争った
日本は紀元前660年からの皇紀
朝鮮は紀元前2333年からの檀紀で
朝鮮が捏造をよりひどくすることでで勝ったが
日本はいざなぎとかいざなみを登場させてうやむやにした
486:名無しさん@1周年
19/05/15 13:32:41.51 +LKoF29u0.net
斎王が女王の流れを組む伝統なんだろうけど、平安時代には形骸化してきていたようだな
487:名無しさん@1周年
19/05/15 13:33:09.40 mYje+xWh0.net
>>467
中央構造線にそって丹はでるんだよなぁ
その採取に従事してた丹生氏は広がって最後は伊勢丹生氏が最大勢力になったが
中央構造線沿いに移動して最終地点が伊勢ならスタートは九州でもおかしくない
488:名無しさん@1周年
19/05/15 13:34:48.76 VyrEc7UG0.net
結局、畿内説と九州説では、探してる国そのものが違うんだよな
九州説では、倭人一般の風習の記述に近い国を探してるんだろ?
ただし、その国は倭国の盟主の国でもないし、30ヶ国の連合を形成してた国もないし
7万戸の国でもないし、伊都国や奴国を傘下に収めてもいないし、魏との交流もどうでもいい
つまり、九州説では雑魚の国を一生懸命探してるわけだ
ご苦労なことだw
489:名無しさん@1周年
19/05/15 13:35:22.90 +LKoF29u0.net
>>449
白石太一郎氏なんかも邪馬台国論争自体はもう終わっていると断言している
今問題になってるのは、卑弥呼の時代の九州と畿内の関係
490:名無しさん@1周年
19/05/15 13:35:53.45 RcJiPuAk0.net
>>469
そもそもヤマタイではなくヤマト。
ヤマトの国はどこにあるのだろう
ヤマトがどこかわからないふりするための畿内説キナイ読み。
九州説と大和説の2択なんだけど
ヤマト1択だわな
491:名無しさん@1周年
19/05/15 13:36:08.25 cY0ugDWw0.net
じゃあなんで堺や奈良にあんなに古墳群があるあるんだよwww
492:名無しさん@1周年
19/05/15 13:37:33.32 mYje+xWh0.net
>>477
そらそうだ日本の王朝なんか今の宮家に繋がる一族でしょで誰でも知っとるような話
そこにない邪馬台国ってなんだって話してんだからな、ホントにアホなのかなw
493:名無しさん@1周年
19/05/15 13:38:17.88 GtFSDc5a0.net
>>462
いや、それだと整合性はとれないよ。
いつ畿内に入ったか?実在する機内の史跡との整合性は?
>>468
信じてないから、ずらしてる。
が、大凡の出来事はあったと思う。
2600年を信じてるなら、邪馬台国の魏への朝貢の時期は、きっちり仲哀天皇が崩御して、神功皇后が摂政だったんだよ。
BC660年に神武天皇が即位してから、各天皇の即位と退位の期間を加算していくと、仲哀天皇が崩御したのがAD200年
神武天皇が摂政になったのがAD201年、崩御したのがAD267年にあたる。
まぁ違うと言うことはわかってるからね?
494:名無しさん@1周年
19/05/15 13:39:18.97 Mf+hPZ3r0.net
邪馬台国連合は大和朝廷に征服されて存在は神話に吸収されたとして連合国家制圧出来るなんて大和朝廷強過ぎない?
495:名無しさん@13周年
19/05/15 13:42:23.04 Zm5DDHjup
>>391
>人間がどうやってアフリカからアメリカ経由してあの太平洋を手漕ぎボートで日本に来れるんだ?
はあ? アンタ、ユーラシア大陸というのを知らないのか? アフリカ、アジア、ヨーロッパは一つの塊だよw 太平洋を越えてアメリカから日本に来る必要なんか1ミリもないわwww 小学校からやり直せよwww
496:名無しさん@1周年
19/05/15 13:41:40.03 mYje+xWh0.net
>>480
古墳なんか全国に腐るほどある
東京都ですら20はある今まで工事の為に無くなった数も入れたら奈良でも5位には入らない
497:名無しさん@1周年
19/05/15 13:43:23.11 XTWl33dT0.net
>>485
さすがに、5位には入るだろうな。
498:名無しさん@1周年
19/05/15 13:44:05.79 RcJiPuAk0.net
>>483
ロジカルに考えろ中卒
そのまま同一ヤマト
499:名無しさん@1周年
19/05/15 13:44:13.11 yl+hBpfQ0.net
>>431
それなら瀬戸内海を通って近畿まで行ったんだろうね
いくら古代でも九州から中国四国に渡るのにそんなにかからない
500:名無しさん@1周年
19/05/15 13:44:42.09 q2Qg9kcu0.net
奈良とかいってるバカいて草はえるわ
501:名無しさん@1周年
19/05/15 13:44:46.06 DuuEixNw0.net
>>485
>>480が言ってるのは3~5世紀の巨大古墳の数であるのは明らかだね
横穴式までいれたらそりゃ腐るほどあるねw
502:名無しさん@1周年
19/05/15 13:45:44.73 +LKoF29u0.net
九州と畿内が明確に対立したのは継体天皇の時代の磐井の乱。
ただ、これは百済派と新羅派の争いという側面もある
503:名無しさん@1周年
19/05/15 13:46:14.98 2EzbtHd20.net
>>486
平成28年度 周知の埋蔵文化財包蔵地数(古墳・横穴)
※現存と消滅を合算した数です
1位)兵庫県:18851
2位)鳥取県:13486
3位)京都府:13016
4位)千葉県:12765
5位)岡山県:11810
なんだってさ
504:名無しさん@1周年
19/05/15 13:46:42.48 hLGg3AzD0.net
>>480
捕虜が沢山いたから
505:名無しさん@1周年
19/05/15 13:47:05.45 XTWl33dT0.net
>>492
へー、兵庫は意外だよ
506:名無しさん@1周年
19/05/15 13:48:39.91 VyrEc7UG0.net
古墳の数だけ自慢して何の意味があるんだ?
大型古墳でないと無意味だろが
小さい古墳がいっぱいあったって、それは家来がいっぱいいただけw
507:名無しさん@1周年
19/05/15 13:49:35.64 mYje+xWh0.net
>>486
ヤマト王権が確立してる分少ないぞ基本天皇皇后の墓を一代ごとに作ってるだけだから
近い同時代で乱立してるところもある
508:名無しさん@1周年
19/05/15 13:51:51.72 mYje+xWh0.net
>>490
畿内も2~3世紀に限りゃ同じだわ
大体発掘調査もまったく進んでない時代推定すらしてない古墳も国内には山の様にある
509:名無しさん@13周年
19/05/15 13:54:41.83 Zm5DDHjup
>>485
>古墳なんか全国に腐るほどある(中略)奈良でも5位には入らない
奈良云々は置いといて、古墳については古代史研究者が大げさに言い募っているような気がする。古墳に見えるが実は河道付け替えで残された旧河川堤防に過ぎないようなものが沢山あるかもしれない。鳥居がないものについてはその可能性大だと思う。
510:名無しさん@1周年
19/05/15 13:54:15.71 XTWl33dT0.net
>>495
確かに w
511:名無しさん@1周年
19/05/15 13:55:31.46 mYje+xWh0.net
>>495
だから最後に偉くなったのがヤマトってだけw
日本中で王様が当たり前に墳墓建ててるもんだから真似して
最後にイキってマウント取るのにクソデカイ古墳建てるようになったこれが自然な考え
クソデカイ古墳を最初に作って他が真似してるって考えの方がトンデモだわw
512:名無しさん@1周年
19/05/15 13:55:36.34 XTWl33dT0.net
>>483
大和朝廷は最強でっせ。無敵のパワーを天より授かったからな
513:名無しさん@13周年
19/05/15 13:57:09.85 Zm5DDHjup
>>498
(続き)墓とされる物についてやたら掘るのは死者への冒涜だし、祟りがあるかもしれないという恐怖心もあるだろうが、非破壊検査の手法を使って調べれば、実は墓じゃなかったみたいなものがかなりあると思ってる。
514:名無しさん@1周年
19/05/15 13:56:04.92 ur+4Szpq0.net
>>470
九州内でも丹砂の採取はできる、古代に採掘した証拠は見つかってないが、九州以外であるという確実な証拠にはならない。
515:名無しさん@1周年
19/05/15 13:56:29.22 RcJiPuAk0.net
日本人ならヤマトの国がどこにあるかわからないふりするとか意味不明だよな
1000年の京のミヤコ
その前の800年のヤマト奈良盆地
516:名無しさん@1周年
19/05/15 13:58:26.59 jc2SseHa0.net
517:前方後円墳は西日本の広い地域でほぼ同時に始まっているが、仮にそれが畿内発だとして 畿内の銅鐸祭祀の終了は自主的で、九州の前方後円墳の受け入れが強制だという理由は何だろうか
518:名無しさん@1周年
19/05/15 13:59:01.88 yl+hBpfQ0.net
>>483
文字の無かったヤマトが中華の帝に朝貢して、当て字で付けられたのが「邪馬台国」なんだろ
それから数世紀経って、日本も漢字を操るようになって、この漢字の当て方は酷いよなと気付いたんだよ
だから新たに「大和」に漢字を代えて、朝貢も止めたという推測ができる
中華の帝からすれば漢字を代えて朝貢しなくなった反逆国だから歴史も記さなくなったとかじゃないかな
519:名無しさん@13周年
19/05/15 14:02:18.89 Zm5DDHjup
歴史学といういまだ極めて低レベルの学問は、今後最新科学技術の手法を取り入れた調査方法によってこれまでの定説が次々に覆されていくように思ってる。2ちゃんでも常に異常に盛り上がるのは、今の低レベル歴史学に対する反感が強いからだろうねwww
520:名無しさん@1周年
19/05/15 14:00:02.41 RcJiPuAk0.net
>>423
北九州から1ヶ月以上離れた場所がミヤコ
521:名無しさん@1周年
19/05/15 14:02:02.77 DuuEixNw0.net
>>497
残念ながら、各都道府県市町村が遺跡範囲確定のために徹底調査しているので、山の様にはないよ
地下埋没古墳は今後も多く発見される可能性は高いけど、どうしたって、地上の巨大古墳には規模や副葬品の量質も及ばないし
それはともかく、何故3~5世紀の巨大古墳が多いのか?という問題をすり替えちゃ駄目だな
522:名無しさん@1周年
19/05/15 14:04:44.41 XTWl33dT0.net
魏志倭人伝が九州人伝だったなら、邪馬台国は九州にあるよな。一方、畿内には、さらに大きな国があったが、それに魏の使いは気付かずに帰ってしまった
523:名無しさん@1周年
19/05/15 14:07:26.48 VyrEc7UG0.net
>>503
もう魏志倭人伝の邪馬台国に関する記述をことごとく無視して、九州だと言い張ってればいいんじゃね
もちろん物証もなしで
524:名無しさん@1周年
19/05/15 14:09:59.84 eO84yvOy0.net
>>510
魏志倭人伝の日本の記述なんて適当だぞ
無知は恥
525:名無しさん@1周年
19/05/15 14:10:36.65 mYje+xWh0.net
>>509
ホントの玄室の副葬品まで掘ってる古墳なんか総数に比べりゃ全然ないよ
古墳の上面から出る埴輪とか見て年代推定してるだけだで
まぁ数代に渡って儀式の場とかになってたら判らん話
526:名無しさん@1周年
19/05/15 14:12:07.26 /ZLvcgbx0.net
雄略を直接示すと思われる同時代の資料は複数あるのに、
もっと有力者っぽい応神・仁徳の直接の資料がないんだろ。
527:名無しさん@1周年
19/05/15 14:12:15.92 +z6rMfpU0.net
ちょうど卑弥呼時代の画文帯神獣鏡が九州にあんまりないというがちょっとつらいんじゃないだろうか?
528:名無しさん@1周年
19/05/15 14:12:43.50 mYje+xWh0.net
>>506
唐代までは琅邪郡って地名が当の中国にあったくらいで当時は別に酷い字でも無いけどな
邪の文字の意味は邑
529:名無しさん@1周年
19/05/15 14:15:49.83 DuuEixNw0.net
>>513
埴輪も修復や追葬があるのは確かだが、それは既に発掘が終わっている古墳から、
副葬品の年代と埴輪の年代がかけ離れている例を上げないと無意味だね
530:名無しさん@1周年
19/05/15 14:19:51.16 xZi6FDGs0.net
>>511
531: といっても畿内にも何も物証ないけどな 第一人者の寺沢さんですら桃の種と花粉としか言ってない しかもどちらも倭人伝と全く関係なく同年代というだけで何の証拠にもなってない 畿内説のトップの学者が忘れてる物証が他に何かあるなら教えて
532:名無しさん@1周年
19/05/15 14:21:23.92 HboKHwhm0.net
先週くらいにやってたBSの番組では中国の文献学者は九州説で一致していたな
あと中国の学者に言わせれば距離の事をいくら議論しても答えは出ないからサッパリ忘れろとも
533:名無しさん@1周年
19/05/15 14:22:10.40 mYje+xWh0.net
>>517
そのとおりw
もっと全国的に遺跡発掘と内部の年代推定が全国的に進まないと古墳での文化拡散の推定なんか無意味って事だよw
特に奈良に先にクソデカイ墓を作ったから周りに拡がったなんてトンデモはもっと物証詰まないと証明できないww
どうしたって塚から始まって巨大化して終局点が巨大古墳って方が自然なんだからw
先にクソデカ古墳を作ったなんて不自然な方を証明しないとwww
534:名無しさん@1周年
19/05/15 14:24:12.85 VyrEc7UG0.net
>>518
さっきの産経新聞の記事でも
寺沢薫所長は「ホケノ山古墳の鏡は、王権(大王)が中国との交流の中で入手した鏡。」
と言ってるじゃん
535:名無しさん@1周年
19/05/15 14:27:29.77 m7WLWRGH0.net
熊本のピンク石を丹山と勘違いした説を言ってみる
536:名無しさん@1周年
19/05/15 14:27:42.66 jc2SseHa0.net
自分が想定するのは、16世紀のスペインと新大陸の関係。
本国での地位は軍人でしかないコンキスタドール(征服者)が新大陸では「白い神」として絶大な権力を握るなか
成立したばかりのスペイン王は内紛もあり、新世界におけるコンキスタドールほどの権力はない。
インカ帝国を滅ぼしたピサロが4人の兄弟と海を渡ったというのも偶然だが面白い
537:名無しさん@1周年
19/05/15 14:30:58.60 4BJkIrgL0.net
>>43
南方からやってきた外来の人種だったからじゃないか。突然漂着してきたから降ってきたとでも思ったんじゃないの?いつのことだかわからないけど。
538:名無しさん@1周年
19/05/15 14:33:59.54 tbDXanGd0.net
丹なら嬉野近くでも出るでよ
丹生神社もある
539:名無しさん@1周年
19/05/15 14:34:38.43 xZi6FDGs0.net
>>521
それ中国と言っても呉との交流の話で倭人伝にある魏との交流の話ではないだろ
画文帯神獣鏡が呉のものなんだと畿内説の学者が言ってるんだから
ただ呉と倭が交流してたという話は三国志の呉志で否定されてるから
それも結局妄想でしかないんだけどな
540:名無しさん@1周年
19/05/15 14:35:51.38 D3i2zULu0.net
>>1
安倍「ジャップの先祖は朝鮮人って判明したからもうどうでもいい」
541:名無しさん@1周年
19/05/15 14:38:02.61 VyrEc7UG0.net
>>526
ホケノのは華北系の画文帯だとレスしただろ
壊れたテープレコーダーとは会話にならん
542:名無しさん@1周年
19/05/15 14:40:51.93 DuuEixNw0.net
>>520
各地において、道路建設や圃場整備などの理由で、地下に埋まった古墳や地上に遺る古墳の発掘調査は非常に多く行われており、
それらの成果から既に専門家たちによって埋葬施設や副葬品や埴輪などの編年も含めた研究は進んでいるので、まるで無意味ではないよ?
一度きちんと勉強してみるとよい
>>526
何も書かれていないだけのことで、否定はされていないね
『呉書』は、魏を受け継いだ西晋の官僚が書いているわけだから、
魏が冊封関係を持たせた範囲の国による朝貢記事が正統でない国(呉や蜀)の記事に載せるはずがないんだよね
543:名無しさん@1周年
19/05/15 14:41:25.51 GbXgMF0h0.net
>>450
火山の記述がないから九州じゃないとかどんな発想だよ
じゃあ桃の種の記述なんかないからあれは卑弥呼の鬼道には関係ないな
544:名無しさん@1周年
19/05/15 14:41:27.12 mYje+xWh0.net
>>524
寒いからだよ高千穂は火山だから温かい
日本書紀には神武が東征を思い立った段には
「天祖ニニギが天降って179万2470余年になる」
なんてとんでもない数字が出てくるがまぁかなり大幅に差し引いて氷河期だったんだろう
545:名無しさん@13周年
19/05/15 14:42:23.41 Zm5DDHjup
鏡のような動産は転々と人づてに移動して来たはずなので、その物によって作成者と保有者の間に何らかの関係があったに違いないと思うのは「関係妄想」なんだよw 俺が常に「歴史は『ブラタモリ』に学べ」と言うのは、「動かないもので歴史を語れ」ということ。
546:名無しさん@1周年
19/05/15 14:42:30.68 +z6rMfpU0.net
普通丹生といったら伊勢だけどなあ
真珠も海人も斎王も
547:名無しさん@13周年
19/05/15 14:49:28.82 r679imIRz
>>1 多分、大分県の耶馬日田英彦山国定公園あたりが邪馬台国なんだろう。
548:名無しさん@1周年
19/05/15 14:51:59.74 Axa2KMS80.net
>>519
番組は見ていないけど、真実に近づいてるような話と感じる。
陳寿は、帯方郡から女王まで満二千里という嘘を採用した。ムー大陸が必要であるwww
また、水行20日、水行10日、陸行一月という暗号とも思える曖昧表現も併用した。
ただし、里程に関して、対馬ー壱岐間が千里、韓が方可4千里
という定義が与えられていることで、九州北部三分の一に有ることが決定している。
これは、
中国皇帝の権威付けとなる、辺境国家の朝貢冊封、東夷伝序文に語られる
雖 夷狄之邦 而 俎豆之象 存中國 失禮 求之四夷 猶信
故 撰次 其國列 其同異 以 接前史 之所未備焉
によって、魏が九州の小国の朝貢を大倭王の朝貢と間違えていたこと
この真実を 暗にぼかすための筆法であったと言える。
この陳寿のぼけによって、九州ローカル王の卑弥呼を
大倭王であるから、奈良に無ければならない、
250年付近の大倭王の存在は考古学的に奈良に発見されている
と、言う理由で倭人伝の嘘にさらに嘘を頓珍漢に塗り重ねたのが畿内説なのである。
549:名無しさん@1周年
19/05/15 14:53:00.24 mYje+xWh0.net
>>533
斎王つっても天照を宮中の外に祀り始めたの崇神天皇で
今の伊勢が出来たのすら次代の垂仁天皇
4世紀入っちゃうよ
550:名無しさん@1周年
19/05/15 14:53:10.47 FYqcluDS0.net
結局、決定的な出土品がでるまで不明なんだよな
史料だけだと適当過ぎて絶対決められない
同時期の西方のクシャン王朝のラバタク碑文みたいなのが発見されるのを待つしかない
中国史料にあったたくさんの謎がかなり解明されたし
551:名無しさん@1周年
19/05/15 14:53:34.53 hLGg3AzD0.net
>>535
魏の使者が間違えていたとか嘘報告したとか言っている時点でお前病気
552:名無しさん@1周年
19/05/15 14:54:14.04 2EzbtHd20.net
>>533
地元の近くに丹生地名があれば、そっちが普通になるんじゃね?
553:名無しさん@1周年
19/05/15 14:54:34.68 hLGg3AzD0.net
>>537
鏡が出ている時点で畿内説最有力は変わらない
554:名無しさん@1周年
19/05/15 14:55:58.69 GbXgMF0h0.net
>>519
史記で殷軍70万の軍勢とか趙軍40万生き埋めとか
かなり誇張されて書かれているのから分かるように
古代では正史でも数字はいい加減に書いてあるものって
中国の学者さんはしっかり理解しているよな
555:名無しさん@1周年
19/05/15 14:56:30.92 tbDXanGd0.net
親魏倭王の印綬か、その封泥が見つかればかなり決定的だろうがなあ
江戸時代にはどこで作ったか知らんが、「親魏倭王」の印影が出回ったりしてたがw
556:名無しさん@1周年
19/05/15 14:57:54.45 xZi6FDGs0.net
>>529
そうじゃなくて三国志に呉の孫権が東方に軍事遠征させたけど
台湾にたどり着くのが精いっぱいで倭どころか沖縄すら行けなかったとあるだろ
それで呉と倭の直接交流は完全に否定されてる
557:名無しさん@1周年
19/05/15 14:58:49.05 VyrEc7UG0.net
>>535
なかなかやるなー
畿内説ではこんなに面白いフィクション小説は書けないわ
558:名無しさん@1周年
19/05/15 14:58:55.77 +LKoF29u0.net
>>542
魏から送られた旗(黄幢)らしきものは黒塚古墳から出てるけど決め手には欠けるんだよな
559:名無しさん@1周年
19/05/15 14:59:27.58 G66YObT80.net
丹生なんて珍しい地名じゃないんだわ
丹生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
特記以外の読みは「にゅう」。
大字・町丁
丹生 (尾花沢市) - 山形県 尾花沢市 に所在。
丹生 (美浜町) - 福井県 三方郡 美浜町 に所在。
丹生 (多気町) - 三重県 多気郡 多気町 に所在。
丹生 (下市町) - 奈良県 吉野郡 下市町 に所在。(にう)
丹生 (印南町) - 和歌山県 日高郡 印南町 に所在。
丹生 (有田川町) - 和歌山県 有田郡 有田川町 に所在。(にう)
丹生 (大分市) - 大分県 大分市 に所在。
560:名無しさん@1周年
19/05/15 15:00:05.45 N+I/pzho0.net
>>391
「九州説の仏性は何ひとつありません」ってことでおk?
561:名無しさん@1周年
19/05/15 15:03:56.39 mYje+xWh0.net
>>547
まぁ仏教伝来以前だからな
562:名無しさん@1周年
19/05/15 15:04:01.11 tbDXanGd0.net
>>545
あれはどうなんだろう。あの墓が難斗米の墓だとしたら完璧だが
ただ黒塚古墳の画文帯神獣鏡は、江南産ぽい鏡ではあるが
563:名無しさん@1周年
19/05/15 15:14:09.06 ur+4Szpq0.net
魏が畿内と交流するのに、九州へ寄港することはあっても陸行はしないはず
ましてや、関西への上陸地点や、邪馬台国周辺のことを詳細に記録するはず。
なので、もし畿内説が正しいなら、九州の記述と、水行20日以降の記述は全く別物と考えないと整合性が取れない。
なんでそうなったのか、水行1月陸行1月もの間、邪馬台国周辺の国々のことはなぜほとんど触れられてないのか?
そこんところは畿内説ではどうなってんの?
564:名無しさん@1周年
19/05/15 15:14:44.56 Axa2KMS80.net
>>538
自郡至女王國 萬二千餘里
というのを、魏における里程を知る魏使が間違える訳は無く
三国志編者の陳寿が、東夷伝に倭人条を記述する上においてのみで、
わざと里程道理について、女王国の位置をぼかした
という以外には考えられない という話である。
565:名無しさん@1周年
19/05/15 15:19:59.82 GbXgMF0h0.net
>>535
陳寿のボケというか確信犯だと思うけどね
倭国の朝貢はいわば司馬氏の功績となっているわけだから忖度したんだよ
西の大国大月氏に対して東の大国邪馬台国を演出した
蜀出身の陳寿が西晋で生き残っていくのに主の機嫌を
大いに損ねることは書けなかったと思う
566:名無しさん@1周年
19/05/15 15:21:16.83 hLGg3AzD0.net
>>551
日本人が正しく魏国の使者に話すという前提がそもそもおかしいわけでw
567:名無しさん@1周年
19/05/15 15:24:15.74 +LKoF29u0.net
>>550
�
568:}紫発山陰経由丹波→畿内なら陸行のつじつまはあう
569:名無しさん@1周年
19/05/15 15:25:12.34 RsmYlteu0.net
九州のヤマト国に日の巫女が居て後に近畿に移り大和王権になった説 まあただの俺のたわごとだがな
570:名無しさん@1周年
19/05/15 15:29:42.61 Axa2KMS80.net
>>552
確信犯ではあるけれど、東夷の地理を知る官僚などには
韓が帯方の南方可4千里? そんな大国土が、朝鮮半島のどこにあるんだよwww
ま~た、皇帝への忖度が? 行程ゴマすり野郎、って、バレてると思うんだけど・・・
571:名無しさん@1周年
19/05/15 15:29:59.47 DuuEixNw0.net
>>543
それは始皇帝が徐福に欺されたのと同じく、孫権がいかに無能で愚かであるかを説明したいがためにいれた文であって
派遣と責任者の処刑がまんま史実であるとは思えないね
衛?と諸葛直に独立傳はなく、他に一切出てこないしね
仮に史実だとしても、彼らはあくまでも中国の伝説上の土地である夷洲と亶洲を求められたのであって、最初
から倭国や沖縄のある方向を目指したとも限らない(日本を基準として考えてはいけないね)し、
その大きさもわからないのだから、どれだけの準備してどれだけの日数を航海したのかもわからない
それを根拠として、倭や沖縄に到着できなかったから否定されているとはならないと思うよ
ただし、私も呉と畿内の直接的な交流はなかったと思っているけど
畿内や東日本に入ってくる呉の遺物は、呉と交流のあった公孫氏からもたらせた可能性が高いと思う
倭国と公孫氏は冊封関係にあっただろうし、呉は何度か使者を船で公孫氏まで送っているしね
572:名無しさん@1周年
19/05/15 15:30:31.92 ur+4Szpq0.net
>>554
山陰経由だとしても、自前の船をおいていかず、伊都から船で北九方面へ向かうはず。
筑紫経由てなんだよw
573:名無しさん@1周年
19/05/15 15:33:38.24 9CK95HCy0.net
>>324
こいつは日本人のことを猿と言ってるから100%チョンだよ
九州ってこんなのばっか
574:名無しさん@1周年
19/05/15 15:36:38.87 CIibKn8B0.net
神武天皇の東征もおかしいよね攻めるほうも守るほうも天氏だから
575:名無しさん@1周年
19/05/15 15:42:43.93 GbXgMF0h0.net
>>556
だからもし東夷の地理を知る官僚にバレたからってそれでどうなるのって話
当時の行政のドロドロした出世競争、裏側事情なんか分かりっこないだろ
576:名無しさん@1周年
19/05/15 15:43:53.28 /OO4PuXS0.net
邪馬台国 定期
577:名無しさん@1周年
19/05/15 15:49:08.77 SYsp/k8Y0.net
>>25
「ここはどこだ?」
「山たい」
「そうか、ヤマタイというのか」
578:名無しさん@1周年
19/05/15 15:49:36.06 xZi6FDGs0.net
>>557
中国北東部や朝鮮半島を通じた呉との交流は可能ではあったかもしれないが
結局一番欲してるのは魏との交流の形跡だろう
呉との交流の可能性は古代史においては重要でも邪馬台国とは無関係で終わってしまう
だからなぜ畿内説の人たちがそんなものにこだわるのかが不思議でしょうがない
藁にもすがる思いで関係ないものにも考察の手を広げてるだけならそれは科学ではないな
579:名無しさん@1周年
19/05/15 15:52:16.84 AKcjPG610.net
奈良に決まってんじゃん
証拠しかないよ
580:名無しさん@1周年
19/05/15 15:56:43.50 GbXgMF0h0.net
>>565
モモの種とカエルの骨か
581:名無しさん@1周年
19/05/15 15:57:57.73 MZqIMJxf0.net
邪馬台国は九州と、近畿の両方にあったんだろう。それなら、畿内説も九州説もうまく噛み合う
582:名無しさん@1周年
19/05/15 16:00:52.28 ZCM8C/6b0.net
邪魔大王国に拘る理由が分からなくなってきた
日本人のルーツを探る為?それともヒミカの復活を阻止する為?
583:名無しさん@1周年
19/05/15 16:02:01.64 hLGg3AzD0.net
>>568
考古学会で金になるコンテンツだから
584:名無しさん@1周年
19/05/15 16:04:38.07 tiab/a7j0.net
>>540
魏志倭人伝の記述を否定できない限り、
鏡は何の助けにもならないのよ。
大乱で負けて形だけの倭国盟主に落ちた邪馬台国の姿が
描かれてるんだから。そして卑弥呼の死後も復権成らず。
それが機内か? 笑えるw
585:名無しさん@1周年
19/05/15 16:05:25.28 FYqcluDS0.net
近畿でも九州でもどっちしてもちょっと大きい程度の集落でそんなたいそうなものではないはず
ただ、確定されればテーマパーク、名物お土産品、観光、会社名、学校名なんかで使える効果は大きいか
586:名無しさん@1周年
19/05/15 16:13:28.28 hLGg3AzD0.net
>>570
邪馬台国→大和国→日本って進化しているだろう
587:名無しさん@1周年
19/05/15 16:16:14.70 tiab/a7j0.net
>>571
その発想が間違い。それはずっと前の国の起こりの時期。
邪馬台国の時期には、もうれっきとした領域国家だよ。
九州の北半分程度が支配下。
最初の盆地の「クニ」から筑紫平野を支配下に収め、
その生産力でのし上がり、博多の港を支配下に入れ、
漢代には朝貢・鉄貿易を独占し、列島の覇権「国」になった。
魏志倭人伝にあるのは、大乱で負けて、覇権を失った姿だ。
奈良が新たな覇権国になったということだな。
588:名無しさん@1周年
19/05/15 16:22:09.46 ZCM8C/6b0.net
>>569
見付けたら第一人者になれるし、そこの発掘や観光にも繋がるか
鋼鉄ジーグや鋼鉄神ジーグも盛り上がるし
超音波検査やX線検査の要領で見付けられないもんかねぇ
589:名無しさん@1周年
19/05/15 16:23:50.31 pl4idMqh0.net
邪馬台国の周りの国名は九州だよな
でも四国説もあり
590:名無しさん@1周年
19/05/15 16:24:28.71 HboKHwhm0.net
>>563
これ中国の文献学者に言わせるとマジなんだって
邪馬台国も大和も山に大いに関係があるから発音が似てる
591:名無しさん@1周年
19/05/15 16:24:55.88 Tmm3B0ed0.net
六甲山系 イガヤ南尾根
592:名無しさん@1周年
19/05/15 16:25:45.24 MZqIMJxf0.net
畿内の邪馬台国は後に大和朝廷となり、九州の邪馬台国が太宰府になったんだろう。
593:名無しさん@1周年
19/05/15 16:26:57.53 Axa2KMS80.net
倭人伝に記録された、魏使の来日は2回だけである。
247年張政は、倭人船に便乗してきて伊都までで旅は終了駐留させられている。
糸島北西岸から5百里を歩かされて、博多湾に隣接する伊都に来た。
238年から247年の間に魏は、公孫氏と韓王朝を滅ぼしているので
日本が、この魏の査察官には、軍事的に博多湾を見せなかったのかもしれないが
この行程の間で、直系150mの卑弥呼の墓を見ている、という面もある。
この卑弥呼の墓は対外的はったりで作った、日本初の張りぼて古墳と考えて良い。
伊都は 丗有王皆 統屬女王國 郡使 往來 常所駐
卑弥呼に属する王は皆伊都を往来していたので、
張政は、壹與と難升米に檄を告諭して、仕事は終えた。
帰国便は、倭大夫率善中郎將掖邪拘等二十人 の船。
238年は魏の将校遣建中校尉梯儁が軍船で九州上陸後、
陸行一月という謎の行軍で卑弥呼宮で、印綬を行っている。
この時は、漢四郡を攻略した直後で、韓の支配はまだだが、
238年の返礼であり皇帝の使者として、魏の軍船で未知の他国に来ているわけで
博多から中津辺りに陸行して、別の船に乗り換えは無いw
魏使が畿内に入った説に有り得るのは、確かに日本海ルートのみである。
辻褄が合うかと言えば、方角も道里も無茶苦茶では辻褄も糞もない。
卑弥呼宮は九州内に有った、が、道里つじつまが合う。