19/05/14 15:34:46.59 nqGPlocZ0.net
>>130
>しかし、今年(2007年)になって相次いで大豆の出土品が発掘され、大豆の歴史に新しい光が集まっています。
>そのひとつは、熊本大学の小畑弘己准教授らのグループが見つけたもので、従来の定説であった弥生前期よりもさらに1000年古い、縄文時代後期の中ごろとされるもので、約3,600年前のものと推定されています。
>彼らは土器などの表面や内部に残された植物の種子の跡を型にとって顕微鏡で観察するという「レプリカ法」を用いて調べていました。
>この方法で、長崎県大野原(おおのばる)遺跡、熊本県三万田(みまんだ)遺跡から出土した縄文時代後期から晩期にかけた土器4点から大豆の痕跡を発見したのです。
>さらに、その痕跡から、それらは栽培種であったことが明らかにされています。
>彼らはすでに土器の痕跡から穀物を食べるコクゾウムシを見つけており、縄文時代後期中ごろには稲と大豆がわが国に入ってきたのではないかと推測しています。
> ところが、その直後に山梨県北杜(ほくと)市にある酒呑場(さけのみば)遺跡から出土した縄文時代中期の土器から大豆の圧痕が見つかったと発表されたのです。
>これは山梨県立博物館の研究グループなどによって確認されたもので、熊本大学の小畑先生が発表したものよりもさらに1500年ほど前に遡る、約5000年前の大豆ということになります。
>このグループもやはり「レプリカ法」で出土した土器などを観察していたもので、酒呑場遺跡から出土した土器の取っ手から大豆の痕跡を発見し、
>大豆特有の「へそ」も確認しています。また、同時に稲作が行われていた痕跡も見られており、稲作と大豆栽培がセットになって広がっていったことも確認されています。
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