19/05/05 23:46:06.31 7QWcVfCB0.net
>>389
江戸の昔から地方民は大変だな
元禄の飢饉 1691年~1695年による弘前藩領内・津軽一円の餓死者は20万人にも及んだ
宝暦の飢饉 1755~1757にかけて東北地方を襲った飢饉。現在の岩手・宮城の両県にわたる範囲で約5万ないし6万人の餓死犠牲者が出たとされる
天明の大飢饉(1781~89年)餓死者の数は、仙台藩で20~30万人、盛岡藩で6万人、津軽藩で8万人余、南部藩で6万5000人、八戸藩で3万人余に及んだ
弘前藩では農民の3分の1が死亡
天保の飢饉 1830年代の天保3年~10年の連続凶作 天保4年、秋田藩の人口はおよそ40万人、うち死者が10万人
津軽藩では餓死者13万人
江戸市民の胃袋を満たす為に
地方の農民が働き米作りをして
飢饉になっても藩は江戸に米を売り
地方の領民は餓死してた