19/05/04 16:47:22.57 Cp//nath0.net
>>718 >>719 >>727 >>728 >>729 >>737
解雇規制・解雇法理がなくなると日本がますます悪くなるという連呼する連中に限って、労使の関係の正常化に反対している
使用者側、労働者側、政府が互いに譲りあって取引(解雇自由化と失業給付、教育、その等のバーター取引)することが他国では慣例となっている。だが労組は経営側を一方的に悪と断罪し、議論や取引を一切許さず問答無用で反対するから
どうしようもなくなった国や使用者側が、派遣、偽装請負、偽装出向を使うことにし、労組も組合員の社会主義的な雇用利権を守るために部外者(アウトサイダー)である非正規等を犠牲することを許容した
(さらに連合の構成員自体が差別的なパワハラ・セクハラを行う事例も報告されている)
儒教的な組織を家族、上長が父親で部下が息子とする価値観が普遍的なものだと持て囃す風潮があったのは、こうした状況の下では儒教価値観と社会主義が合体する事が都合が良かったに過ぎない
「労働組合は、元々賃金の高い層で力が強いのがふつうなので、結局は低賃金労働者
を犠牲にして高賃金労働者の賃金を上げる結果を招く。要するに労働組合は雇用を歪
めてあらゆる労働者を巻き添えにし、弱い立場の労働者の雇用機会を減らし、労働階
級の所得を一段と不平等にしてきたのである。」(フリードマン)
最大の犠牲者は一部の連中の利権ゲームに人生を振り回された大多数の国民であるが、世の風潮が儒教化したことで趣味や専門を極める人間や生き方・道が
軽視されたことで本質的な意味での努力から来る革新の苗が枯れたことが利権ゲーム以上に痛かった
整理解雇無効判決から40年近くかけ競争力が下がっていく停滞を産み、時代が激変しつつある現代では社会主義的・儒教奉公的な働き方が致命傷となりつつある