19/04/28 23:24:37.80 WrWkznDI0.net
>>73
その2回目というのは、南宋が滅んだ後に行われたのだが、
沈没船から鋤やら鍬が見つかったワケやな。つまり旧南宋の連中を日本に移住させて
「捨てる」ツモリだったワケやな。
フビライは、趙良弼という女真人から報告を受けているワケやね。すなわち
> 「臣は日本に居ること一年有余、日本の民俗を見たところ、荒々しく獰猛にして
> 殺を嗜み、父子の親(孝行)、上下の礼を知りません。その地は山水が多く、
> 田畑を耕すのに利がありません。その人(日本人)を得ても役さず、その地を得ても
> 富を加えません。まして舟師(軍船)が海を渡るには、海風に定期性がなく、
> 禍害を測ることもできません。これでは有用の民力をもって、無窮の巨壑
> (底の知れない深い谷)を埋めるようなものです。臣が思うに(日本を)討つことなきが良いでしょう」
と、まぁまずまず日本側の実情を言い当てているように感じられるし、
ならばフビライは日本の実情を知っとった可能性が高いワケやな。
にも拘わらず出兵したということは、まるっと降った范文虎あたりの南宋軍を厄介払いというか、
日本列島にまるっと廃棄する予定だったということやろな。
1回目にせよ2回目にせよ、コクリあるいはマンジ(蛮子)が主力ということだが、
マンジについては、まるっと大元ウルスに降伏して、ダボついてしまった
余計者というワケやな。
因みに、大元ウルス治下で、征東行省(征東等処行中書省)というのが設けられたが、
当初は日本征伐専門の部署のようなもので、コクリの王が「次官」に就いたりしたという。言ってみれば、コクリというのは、大元ウルスの出先機関のようなもので、
コクリ王が積極的に日本征伐を主張したということは、日本征伐というのは
出先機関の要請だったという見方も出来るということやな。
日本征伐が無くなった後の征東行省は、コクリ地域の統治機構のようになって
コクリ王が「長官」に任ぜられるようにもなったという。