19/04/28 06:41:28.08 K5xeZPW+0.net
石破茂
民営化したのは、私が議員になった翌年の1987年。
中曽根内閣で、運輸大臣は鉄道が大好きな橋本龍太郎先生でした。
しかし当時はバブル時代で、高金利という前提で基金をつくったから、ここまで低金利になって持続するわけがない。
高度経済成長を前提にして設計された民営化だったのだろうと、今となっては思います。
―結果、7つの会社に分割されました。
北海道、四国、九州のいわゆる三島会社には無理があったんでしょうね。
特に北海道はあまり電化されてないし、冬場は雪も多い。
そういうところを重いディーゼルカーがぶっ飛ばす。
そりゃ線路が傷みますよ。人はいないから乗らないし。最初からきつかったですよね。
―では何をしたら?
いすみ鉄道の鳥塚社長がよく言っていますけど、「乗って残そう○○線」で残ったものはひとつもない。
地元の人に、用事もないのに乗れと言ってもムリです。