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参 - 商工委員会 - 9号 昭和63年04月26日
○政府委員(飯塚幸三君)
筑波に移転いたしましたのは、先生御承知のように昭和五十四年度、私どもの場合は昭和五十四年度で、概成の最終段階で
ございました。したがいまして、まだ周辺の施設等が必ずしも十分でない点がございましたが、その後約十年近くもう経過して
おりますし、またつくば万博もございました関係で周辺の状況が非常に整備をされてまいったと思います。
また、工業技術院の研究センターに限って申し上げますと、当初からスポーツ施設とかあるいは住居等につきまして十分な
配慮をしたつもりでございまして、おかげさまで関係方面の御理解も得まして、最近では研究者は非常に快適な環境で研究
が進めてまいれるようになってきたというふうに申し上げられると思います。
○政府委員(飯塚幸三君)
難しい御質問かと存じますが、まあ非常に集中力を集めまして常時研究をしているわけでございますが、やはり張り詰めた中
にも若干のもちろん余裕というものが御指摘のように必要だと考えるわけでございます。やはり学会で発表するとか、そういう
ような、期日が迫っておるとかあるいは国際会議に提出をするというふうなことで、もう夜を徹して実験を進めるというふうなこと
がございますし、やはりそういう集中的な力を発揮するということが研究者には大事であると私、個人的には理解しております。
○政府委員(飯塚幸三君)
外国人研究者との交流でございますが、これについては私どもも積極的に進めていく必要があると思います。また、そのため
に昭和六十三年度におきましては招聘制度を新たに設けたわけでございます。既に多くの外国人研究者が例えば筑波の研究
センターでは働いておりますけれども、一層その内容について拡充してまいりたいと思いますし、また先生先ほど御指摘のよう
に、創造的な研究を発想する上で必要な環境というようなものも筑波では相当程度そろっておるかというふうに思っております。