19/04/10 05:52:39.55 MeRXlR8G0.net
>>22
東北は、ずっと可哀そうだよね
弘前藩では天明の飢饉で農民や町人の3分の1が餓死したとされてるが
収穫された米が江戸や大阪に送られ換金されてた
弘前藩は多数の餓死者を出した、その年に40万俵を江戸に送っている
仙台藩も幕府への手伝い普請の負担で借金を抱え藩は、百姓条目で農民が米を食べる事を禁じ
収穫された米は、ほぼ江戸に送られていた
元禄の飢饉 1691年~1695年による弘前藩領内・津軽一円の餓死者は20万人にも及んだ
宝暦の飢饉 1755~1757にかけて東北地方を襲った飢饉。現在の岩手・宮城の両県にわたる範囲で約5万ないし6万人の餓死犠牲者が出たとされる
天明の大飢饉(1781~89年)餓死者の数は、仙台藩で20~30万人、盛岡藩で6万人、津軽藩で8万人余、南部藩で6万5000人、八戸藩で3万人余に及んだ
弘前藩では農民の3分の1が死亡
天保の飢饉 1830年代の天保3年~10年の連続凶作 天保4年、秋田藩の人口はおよそ40万人、うち死者が10万人
津軽藩では餓死者13万人
江戸市民の胃袋を満たす為に
東北地方の農民が働き米作りをして
飢饉になっても藩は江戸に米を売り
東北地方の領民は餓死してた