【宗教】「天皇制が性差別などのあらゆる差別をつくり出している」 日本聖公会、日本キリスト教会など「政教分離」訴え声明★8at NEWSPLUS
【宗教】「天皇制が性差別などのあらゆる差別をつくり出している」 日本聖公会、日本キリスト教会など「政教分離」訴え声明★8 - 暇つぶし2ch2:名無しさん@1周年
19/03/11 04:40:26.03 VKaO1fm10.net
また毛の話してる

3:名無しさん@1周年
19/03/11 04:42:27.28 kplUk+Tf0.net
>>1
立て乙
しかし前スレコピペ連投凄かったな
いつも天皇家やキリスト教関連スレは荒れるけれど

4:名無しさん@1周年
19/03/11 04:42:49.53 QW2w+mcR0.net
>>1
いやいや、おまエラキリスト教が政教分離云々吐かす方がブーメランだろ

5:名無しさん@1周年
19/03/11 04:43:18.60 kHVDwCRW0.net
>>1
吉田松陰が育てた陽明学徒の維新勢力は禁門の変で賊軍・朝敵となり、さらに天皇親政運動を封殺しており、陽明学徒はその時々の情勢に応じて天皇の利用を流動的に使い分ける傾向がある
陽明学は経典を軽視する傾向が顕著なため、これに驚きはない
そのため陽明学徒には経典も含めて外部から見た道徳的な制約は存在しないが、朱子学徒は事実・現実を無視した儒教序列妄想に強烈な執着を持つ
朱子学水戸藩は内紛と内部粛清でぼろぼろになり、儒教道理等には眼中にさえない陽明学徒テロリスト兼反乱軍(元賊軍)・一揆軍部隊長が政権を奪取したのは合理的必然であると言ってよい
URLリンク(ja.wikipedia.org)陽明学
経書の地位低下
心を外的な規範から解放した結果、六経などの経書を尊び学ぶ姿勢が減退していくことになる。王陽明自身は「吾が心に省みて非なれば、孔子の言といえども是とせず」
と言い切ってはいても、未だ経書への姿勢は謙虚さがあった。しかしその弟子、就中高弟と言われる者でも生涯に読んだ経書は四書だけといわれる人が陽明学派から出て
くるようになる。かくして経書はその聖性を減じていき、六経は単なる歴史に過ぎないという解釈が生まれた。これは清代考証学の一派である黄宗羲ら浙東史学から章学誠
を経て、章炳麟へ受け継がれていった。
元田永孚が宮中や教育を朝鮮朱子学で汚染したのに対して、反朱子学である陽明学を学んだ西郷隆盛の西南戦争(第二維新、第二革命と北一輝は名付ける)の例もある
陽明学を学んだ革命愛好家・趣味的革命研究家である北一輝は、明治維新革命の延長(長州は朝敵であったため明治維新と皇道派との整合性はないので延長ではない)
であると皇道派の将軍に売り込むためか、または朱子学的だった世相を考慮して天皇親政を掲げた
一方で窮乏していた貧民層を救うために、明らかに肥大しすぎた皇族資産の凍結・徴収といった皇室・皇族が嫌悪する政策(しかし否定すれば皇族に理は失われる)
を提案しているが、これは皇族サイドの欲やエゴにはマイナス要因としかならず、権力者・序列主義への忠誠が全てに優先される朱子学的思想から逸脱したことで、
信じがたい非礼、として皇族や宮中を激怒させたことは容易に想像できる
天皇親政という朱子学思想(建前)と、弱者救済や改革といった陽明学思想(本音)が混在する倒錯は、賊軍・朝敵となっても力と流血で全てをひっくり返して権力を奪取する(明治維新、足利尊氏等)
という軍事クーデターとの相性は最悪でありニ・二六事件は必然的に失敗した。また北一輝のような目立ちたがりやの革命愛好家・革命オタクが関わり表に出張ると情報が外部に漏れて時宜を見失うことで失敗しやすくなる

6:名無しさん@1周年
19/03/11 04:43:24.04 9sytri3/0.net
んなもんまずカトリック教会に言えよ

7:名無しさん@1周年
19/03/11 04:43:28.54 ucieSiar0.net
1乙

8:名無しさん@1周年
19/03/11 04:43:38.24 kHVDwCRW0.net
>>5
天皇親政運動を明治天皇の意向を受けて主導した元田永孚による朝鮮朱子学から生まれた国学を用いた天皇儒教権威の強化によって、
戦前は神風神話・神明に加護された神州不滅思想のような神話が生まれた
結果として無様な敗戦をきっする前までは天皇になにか超人的な力(超能力や霊力)があると期待していた宗教的風潮があったと見られるが、戦後に神国神話は
敗戦という現実によって粉砕されごく一部の狂人しか信じるものはいない
URLリンク(ja.wikipedia.org)神州不滅
江戸時代
江戸時代末期、藤田東湖は「神州誰君臨、万古仰天皇」と述べ、「支那」は革命を主体とする国家で王朝交代があるので「正気観念」にも変動があるが、
日本は万世一系の皇室を頂いて永遠に変わらないので「正気観念」にも変動が無く、そこに日本民族の特徴があるとした[1]。藤田東湖は「正気」とは
一般的には道義、特殊的には忠義であるし、更に「正気」の粋を集めた「神国日本」のその皇風が世界に広がり、皇室の御聖徳は太陽にも等しい、とした[1]。
藤田東湖の「正気歌」は吉田松陰や、明治の広瀬武夫にも影響を与えた[1]。平田篤胤の思想と、この水戸学の勤皇思想が混ざり、幕末に「神州不滅」の思想
が巻き起こった[2]。
明治以降
大日本帝国憲法では、日本は万世一系の天皇が統治し、天皇は神聖と明記された。
昭和および太平洋戦争終結時迄は、軍部によって「神国日本」「神州不滅」など、民族主義、精神主義、宗教などの傾向を持つスローガンが広く使用された。
また「神州不滅」の理由として、日本は神国であるから国家の危機の場合には元寇と同様に神風が吹く、とも説明され、神風特別攻撃隊も組織された。

9:名無しさん@1周年
19/03/11 04:43:58.71 kHVDwCRW0.net
>>8
>北一輝は、日蓮主義者だったんでしょ。
北一輝は戦前の日蓮主義とは距離があるし、石原莞爾ほど低能ではない
印象としては日蓮宗というよりは日本版(劣化)マニ教の信者に見える
北一輝の著作を見ると(社会・共産主義を否定した上での)社会進化論、超人進歩史観に関する論考と、日本人の古代中世儒教土人社会と西洋の人権の対立をどう解消するかの論考が大半を占めるため、
仏・大宇宙・個人融合観、天理教蔑視といった点が日蓮宗要素となるぐらいで、石原莞爾のような霊感商法的なところはない
北のアメリカ(それと南京政府)と組んで、英国の植民地を解放するプランは、石原莞爾のような上位者の意向に合わせるだけの欧州出羽守には発想さえ難しい
そもそも北一輝は天皇機関説側の人間であり、天皇本仏論を信じているとは考え難い。ニ・二六事件の天皇親政はどう考えても明治天皇が乗り出したような親政とは真逆で
天皇に新憲法を入れさせた後は、天皇から権力・余剰財産を剥奪する道筋にしか見えない。これは青年将校にも大なり小なり共通した思想であった可能性はある
初期の北一輝の社会主義というのは、法の下の平等や、誰にでも国民の権利があるから社会主義というトンデモな定義なので、北の思想では明治維新初期も社会主義になる
だから純正社会主義は、どう考えても社会主義ではない。西郷隆盛は北一輝的には社会主義者となってしまう
証明なしで言葉の定義上から自己理論を導出していくのが北一輝に見られる特徴であり、北一輝の趣味である革命研究、それと西郷隆盛の第二革命は掘り下げるが
定量的な政治経済理論には関心があるとは言えず、ある意味日本人らしい儒教土人的理論軽視、エビデンス軽視は北一輝にも見られる
URLリンク(ja.wikipedia.org)磯部浅一
磯部、北らによると、日本は明治維新革命以来「天皇の独裁国家ではなく」「重臣の独裁国家でもなく」「天皇を中心とした近代的民主国」であったのだが、
「今の日本は重臣と財閥の独裁国家」としている。そしてその大義を理解しなかった昭和天皇を獄中から「御叱り申して」いた[5]。
磯部・村中・北・西田は、銃殺時に「天皇陛下万歳」は唱えなかった[6]。

10:名無しさん@1周年
19/03/11 04:44:14.48 kHVDwCRW0.net
>>9
北一輝の問題点は日蓮宗であったことでなく、辛亥革命に参加したエキスパートを名刺代わりにしていたのに肝心の革命技術において名前倒れだったことだ
また日蓮宗がクーデターで今後用いられる可能性はほぼゼロに近い。なぜなら神風・神洲伝説は終わったのであり、日本は極東の弱小国に戻り、
確固とした説のないチャラい教義の島国カルトで有力国との関係を維持・構築するのは不可能だからだ
二・二六事件の将校のうち少数が北一輝との師弟関係的なもので、北一輝の思想は参考程度だったと考えるほうが現実的だろう
青年将校は窮乏する社会との関わりから得た義憤やルサンチマンは持っていたとしても指針がなかった
北一輝は革命オタクとして明治維新の第三革命(失敗した西郷隆盛の第二革命のやり直し)を提供したわけだが、青年将校側に必要なのは大まかな枠組みではな
く失われた明治維新のノーハウであり、それを埋められるのは、辛亥革命に参加した北一輝しかいない
しかし北一輝はあくまで辛亥革命のサポーターであり、外国人である北一輝は当事者・責任者とは言えないし、本物の革命家である孫文は
米国式の信奉者であるため、北一輝とは相容れない。孫文を批判しているが、孫文ほどの能力が北一輝にあったかは疑わしい
北一輝の過剰評価・過剰な名声が合わさったことで、二・二六事件はおかしな方向にいった
小手先的に天皇親政を掲げるのは、朝鮮朱子学土人の心を安心させる一時的効果しかない。明治維新の例でいえば最悪の状況では朝廷に射撃・砲撃をしたり、
長州や薩摩は裏で天皇を毒殺しかねないほどの危険人物を揃えていた (実際に実行したかは知らないが最後まで長州討伐にこだわった孝明天皇のヒ素暗殺説もある)、
足利尊氏や鎌倉幕府は島流しにして差し替えるぐらいの緊迫感があるのに、 北一輝の天皇親政論には合理主義が徹底されているとは言えない
名前の通り「一揆(一輝)」であれば徳政令や米の配給・分配、フランス革命であればパンという明確なゴールがあるため、分かりやすかったが、
大風呂敷をたたんで限定的な直訴でもなく、いまいち悪目立ちばかりして、青年将校の足を引っ張っていた感も拭えない
二・二六事件は今後軍事クーデターがおきる際の失敗例として研究対象となることは間違いないが、北一輝と青年将校が明治維新の事例を踏襲していたのならば
真っ先にやるべきことは余計な政治テロは一切せずに皇居への進軍と、堀によって囲まれ脱出しにくい旧江戸城・皇居の包囲と皇室の身柄確保、さらに皇居を人質にとって他軍の介入排除および統制派の殺処分だ
そして身の危険を感じても天皇が新憲法に同意しない場合は孝明天皇コースとなる

11:名無しさん@1周年
19/03/11 04:44:36.69 kHVDwCRW0.net
>>10
強気だった山内容堂や老中も身の危険を感じるや服従したため、孝明天皇コースの確率はほぼゼロと見て良い
ようは薩長のように覚悟を見せれるかがクーデターの鍵と言える
長州や薩摩ならこれぐらいは平気でやるだろう
つまり薩長・足利尊氏ほどリアリズムに徹しきれない時点で敗北は確定していたということだ
長州や過去の幕府の例でいえば朝敵・賊軍になった方がクーデター側が一致団結しやすいのだから、皇居に対しての攻撃を躊躇すべき合理的理由が見つからない
皇居の電気・電話を遮断し、水道さえも止めて外部から隔絶させれば、天皇が偶然に砲撃で死んでも外からは分からない
逆に近衛兵が狂って天皇を殺したことにして、傀儡にできる若年の新天皇を即位させてもクーデターは成功する
明治維新の教訓を全く踏襲しなかったのが、二・二六事件だと言って良い

12:名無しさん@1周年
19/03/11 04:44:56.19 kHVDwCRW0.net
>>11
明治維新の序章となった尊王攘夷は水戸朝鮮朱子学が巻き起こした狂騒は宮家や公家、門閥一族・宗族にとっては最初で最後の復権チャンスだった
葵の御紋の権威は維新戦争での敗戦で失われたが、菊の御紋や血筋で全ての欲望が満たすことができる時代は無様で悲惨な敗戦と共に終わった
門閥貴族の特権意識で戦後資本主義を生きるのは大変な困難だったろうが、それでも縁故資本主義の日本では何のバックもいない貧乏人に比べれば遥かに生きやすかったことだろう
しかしその門閥のアドバンテージも日本の豊かさの源泉であった技術競争力の低下によって経済が崩壊する見込みのある現在では無効となる見込みであり、従来の利権を守ろうとすればするほど
あらがいようのない運命・対流によって深い沼に引きずり込まれ徐々に落ちて、もがき苦しんで死ぬことになる
URLリンク(ja.wikipedia.org)水戸黄門
この講談話の始まりについては、一橋慶喜を将軍職に就けるため、父である水戸斉昭が裏で動いて、水戸徳川家は「天下の副将軍」であるという話を世間に広めようとしたのだという説がある。
しかしながら光圀が正すのは局所々における役人の不正であり、時には身分制度の掟で結ばれない恋人同士に粋なはからいを示すことなどはあるが、身分制度の矛盾を根本的に正す社会改革にまで踏み込んだ対応を試みようとすることはない。
印籠で平伏するような人間は今の時代いないし、存在しない権威を振り回して暴れたり、洗脳やビジネスツールとして低能を信じさせるための詐欺に使う内質は幼児退行であり、現実逃避に過ぎない
悔しいなら門閥・貴族の一族が本気を見せて日本の経済や競争力を回復させれば良いだけだが、そんな実力がないのは本人達が重々承知しているだろう
なぜ安定して繁栄してきた日本が不運に見舞われ、失敗し続け、衰退中かということだが、それは国民を家畜にしてきたからだ。自由と正義を自ら放棄するような国民は自ら考えることをやめて家畜化され、
上位者である無能で下劣な品性しかない門閥や宮家の残りかすである愛国自慰廃棄物を模倣する。二言目に忠君や国体を連呼するような無能依存体質が下の重層的身分階層に下方伝播・伝染するという至極当然な道理に過ぎない
つまり底辺まで腐りきった儒教的衰退と言える
皮肉なのはアメリカは真剣に日本人が自由を持ち人間としての尊厳を取り戻せるよう願っていたことであり、それが実現すれば門閥一族は一定の権威を保つことも可能だったかもしれないことだ
しかし所詮は飼いならされた家畜しか望まない儒教政府では限界があり、自らの無能という印籠紐によって首がしまって窒息寸前という実に同情が不可能な醜態をさらしているのが現在の状況だ
国難時の力の源泉は皇室や国体の失われた権威ではなく、優れた武器と金となる。それを誰よりも持っているのは言うまでもなくアメリカであり、日本がアカく染まって中国の属国となり日本の血の中国人化が進む前に
アメリカは介入するだろう

13:名無しさん@1周年
19/03/11 04:44:59.75 BWTz2HG+0.net
なんだよキリスト新聞て。

14:名無しさん@1周年
19/03/11 04:45:15.17 WSCV2hD30.net
>>1
韓国系の団体だな
こいつらこそ宗教を政治利用してる張本人
いっとくけど天皇制は宗教ではない

15:名無しさん@1周年
19/03/11 04:45:19.24 kHVDwCRW0.net
>>12
明治維新の前哨戦において薩摩藩は勅令と軍を使い幕府老中の(殺害)脅迫・強要をして要求をのませたという(文久の変)
さらに小御所会議では優勢な論を展開した山内容堂に対して殺害をほのめかして黙らせた。この当時、勅令・勅書はヤクザ顔負けの強引で理不尽な要求を
押し通すための恐喝・脅迫に使用された小道具だったが、長州は平気で朝敵・賊軍となり戦争を継続し薩摩も裏で強力をしているため勅書など全く意にかいしないものが多くいたということだ
今なら勅書など発行しても銃弾・爆発物で消し飛ぶ、頑張って劣化楠正成を探そうとしても勅書程度に自らの人生を振り回され、生命の危険のリスクをとるのは相当な知恵遅れだけだろう
科学的軍事理論を学んだ連中に勅書などは到底通用する理屈ではなく、血統世襲理論で印象は最悪になるので効果はむしろマイナスとなる
山内容堂や老中の例でも分かる通り武家の名門・門閥一族は自らの命が危機に瀕すると見るや下級武士の脅迫に対してあっけなく屈する腰抜ばかりで、名門の誇りもあったものではない
薩摩藩と長州藩の強さは青白い顔の名門では思いつきさえしない、下級武士ならではの脅迫や暗殺、テロを平気でやってみせる決断力と実行力にあった
つまり薩長の物理的脅迫は現代でも十分に通じる表現方法だということだ
だが薩長の下級武士も道徳面では特権に安住して腐敗しきった公家よりはおそらくマシだった。そして没落する上級武士を横目に下級テロリスト武士が栄達し実権を握ったのは
武士どころか下民出身の伊藤博文と山県有朋という有様だった
URLリンク(ja.wikipedia.org)猪熊事件
公家衆乱行の発覚
左近衛権少将・花山院忠長は、ある時後陽成天皇の寵愛深い広橋局(武家伝奏・大納言広橋兼勝の娘)に懸想した。
そこで宮中深くまで出入りを許されていた歯科医の兼安備後(妹の命婦讃岐も宮中に仕えていた)に仲介を頼んで文通を始め、
それをきっかけとして二人で逢瀬を重ねていた。その話を漏れ聞いた猪熊は、俄然興味を持ち、かねてから懇意の飛鳥井雅賢
をはじめ、言葉巧みに他の公卿・女官をも誘い出し、様々な場所で乱交を重ねることとなった。
しかし、このように大人数の乱行が発覚しないわけはない。飛鳥井には恨みを含む女性がいた

16:名無しさん@1周年
19/03/11 04:45:40.44 kHVDwCRW0.net
>>15
朱子学を教育勅語に編み込んで日本人を朝鮮朱子学で洗脳した元田永孚に先駆けて日本国内に李氏朝鮮の朱子学を復元した壮大な社会実験は水戸藩で行われた
朝鮮人的思考形態を持つ陸軍統制派によってさらに拡大運用された結果として集団パニック症候群が大量に発生した。現代の愛国烈士の姿は天狗党に被る
URLリンク(ja.wikipedia.org)天狗党の乱
天狗党の発生
こうして権力を得た一派は


17:、反対派から「一般の人々を軽蔑し、人の批判に対し謙虚でなく狭量で、鼻を高くして偉ぶっている」ということ で、天狗党と呼ばれるようになった。これに対して斉昭は、弘化2年(1845年)10月に老中阿部正弘に対し、江戸では高慢な者を「天狗」と 言うが、水戸では義気があり、国家に忠誠心のある有志を「天狗」と言うのだと主張している[3]。とはいえ、天狗党という集団はその内部 においても盛んに党争と集合離散を繰り返しており、それぞれの時期においてその編成に大きな差異が見られる。まず天狗党は後述する 「勅書」返納問題において鎮派・激派に分裂したうえ、さらに激派内でも根拠地別に筑波勢・潮来勢などの集団があってそれぞれ独自に動 き回っていたことから、『水戸市史 中巻(五)』においては、一味の総称である天狗党の呼称を、最終的に京へ向かって西上した集団に 限定して使用している[2]。 大発勢の出陣と那珂湊の戦い 江戸の水戸藩邸を掌握した諸生党に対し、激派・鎮派は領内の尊攘派士民を下総小金(千葉県松戸市)に大量動員し、藩主慶篤に圧力をかけ 交代したばかりの諸生党の重役の排斥を認めさせ[15]、水戸藩邸を再び掌握した。しかし、市川らによる水戸城占拠の報に接し、国元の奪還 を図ることとなった[16]。そこで、在府の慶篤の名代として支藩・宍戸藩主の松平頼徳が内乱鎮静の名目で水戸へ下向することとなり、執政 ・榊原新左衛門(鎮派)らとともに8月4日に江戸を出発した。これを大発勢という[17][18]。これに諸生党により失脚させられていた武田耕 雲斎、山国兵部らの一行が加わり、下総小金などに屯集していた多数の尊攘派士民が加入して1000人から3000人にも膨れ上がった。 投降 関東において天狗党がもたらした惨禍を目の当たりにしていた意尊らはこの光景に激怒し、加賀藩から引渡しを受けるとただちに天狗党員 を鰊倉(鰊粕の貯蔵施設)の中に放り込んで厳重に監禁し、小四郎ら一部の幹部達を除く者共には手枷足枷をはめ、衣服は下帯一本に限り、 一日あたり握飯一つと湯水一杯のみを与えることとした。腐敗した魚と用便用の桶が発する異臭が籠る狭い鰊倉の中に大人数が押し込められ たために衛生状態は最悪であり、また折からの厳寒も相まって病に倒れる者が続出し20名以上が死亡した。 この時捕らえられた天狗党員828名のうち、352名が処刑された。1865年3月1日(元治2年2月4日)、武田耕雲斎ら幹部24名が来迎寺境内に おいて斬首されたのを最初に、12日に135名、13日に102名、16日に75名、20日に16名と、3月20日(旧暦2月23日)までに斬首を終え、他 は遠島・追放などの処分を科された。 乱後 天狗党降伏の情報が水戸に伝わると、水戸藩では市川三左衛門ら諸生党が中心となって天狗党の家族らをことごとく処刑した。 水戸学を背景に尊王攘夷運動を当初こそ主導した水戸藩であったが、藩内抗争は他藩にも例を見ないほどの凄惨な殲滅戦となって人材のことご とくを失ったため、藩出身者が創立当初の新政府で重要な地位を占めることは無かった。



18:名無しさん@1周年
19/03/11 04:45:55.64 kHVDwCRW0.net
>>16
なぜ水戸藩だけが戦前日本の集団中庸パニック症候群に酷似した状況に陥ったかだが、幕府に近い大藩というだけでなく名門中の名門、
門閥の血筋の藩主と藩士達が主導する正統学問の中心という自負と特権意識による藩内序列、血統序列のマウンティング抗争が勃発したからだろう
その根本原因は朝鮮朱子学・神道と結び合わさったのが原因と推定できる
伊藤博文、山県有朋は名門どころか社会の底辺出身であり朱子学の身分差別からは這い上がるべきでない下民であったし、さらに賊軍・朝敵になった後は初期の(上級武士による)朱子学色は払拭され陽明学ないし西洋的リアリズムで
軍事クーデターによって国体も含めて政権をひっくり返すという意識が芽生えたわけであり、尊皇攘夷もあっさり捨て、政権奪取後の天皇親政運動も封殺した
薩摩も逆賊・朝敵である長州と同盟をする点において大義名分からかけ離れ、幕府を滅ぼすことに熱中し、王政復古より幕府の滅亡を優先し政治的協議でなくリスクの高い内戦を選んだ
福沢諭吉「我が国の人民は,数百年の間,天子あるを知らず、唯これを口碑に伝ふるのみ。維新の一挙以て政治の体裁は数百年の古に復したりと称すと雖も、王室と人民との間に至密の交情あるに非ず」
維新以前は天子の認知度は低かったが、廃藩置県があっさり通った段階で五箇条の御誓文は忘れ去られており、明治天皇と宮中、側近の天皇親政運動(五箇条の御誓文とは全く正反対の儒教原理主義)はその流れを象徴した
現実は伊藤博文と山県有朋は、世襲カリスマである明治天皇の意向をいつでもひっくり返す軍事力を持つだけでなく、国民と皇室が疎遠な事を理解して、大義名分論の天皇親政を退けた現実主義者だったと言える
伊藤や山県の死後、薩長では天皇や側近に薄気味悪さを感じさせる(怯えさせる)ような人材を輩出しておらず、教育勅語で元田永孚(熊本藩の上級武士出身)がしかけた時限爆弾に
よって国論の儒教化・朝鮮朱子学化の圧力が急速に強まっていくことになる。朝鮮朱子学の暴走の歯止めとなっていた明治の元勲が消えたことで、止め金が失われたわけだ

19:名無しさん@1周年
19/03/11 04:46:38.42 kHVDwCRW0.net
>>17
民度マックスの水戸藩士達は些細な差で内ゲバを起こし、フランス革命に匹敵する凄惨な同士討ちをした(3歳の幼児を処刑)
内紛・内ゲバの経緯を見ると、水戸藩士は見事なまでに朝鮮人の特徴である中庸徳を会得しており、まさに日本国に現出した朝鮮・中華が水戸藩だったと言える
徳川光国の主導による「大日本史」の編纂の過程において国学が生まれ、水戸藩は神道・国学・朱子学研究の中心地となり、
明治維新に先んじて廃仏毀釈を行うことになる
会沢安あたりは神道からの大義名分論を導き出し、今日の(朝鮮朱子学に洗脳された)愛国烈士の教祖のような存在だろう
弘道館は他にも神道系の国学者を輩出しており、大政奉還・王政復古のプランは水戸藩の貢献が大きいが、同時に内紛による
熾烈な虐殺事件は儒教中庸の強さを証明している
藤田東湖の尊皇攘夷と、元田永孚・佐々木高行の天皇親政は、朱子学をルーツにする点において同祖と言え
国体(天皇を頂点とする国家体制)を作ったのも水戸藩や朱子学者であり、朝鮮朱子学をベースに儒学の官学化を推進し神道と儒学を融合した林羅山からの伝統と認めることができる

20:名無しさん@1周年
19/03/11 04:46:45.28 WSCV2hD30.net
また寒河江伝説がコピペしてるのか

21:名無しさん@1周年
19/03/11 04:46:55.34 c96RS88H0.net
>>1
日本のキリスト教徒には朝鮮人が多いからなw
差別と偏見にまみれてるのはてめえらなんだよ
宗教とか本当に糞だねw

22:名無しさん@1周年
19/03/11 04:47:06.41 kplUk+Tf0.net
ところで
バチカンの聖職者によるレイプ裁判どうなったの?
なんでこのキリスト教徒は聖職者によるレイプ事件は批判しないの?

23:名無しさん@1周年
19/03/11 04:47:10.00 kHVDwCRW0.net
>>18
明治天皇は儒教的専制君主となるよう積極的に動いていた時期があった(大久保の暗殺後に政治空白が生まれ宮中での天皇親政運動が強まる)
明治天皇とその側近である侍補グループの天皇親政運動は五箇条の御誓文や維新革命後の政治体制に反する存在となった為に伊藤博文が介入した。最終的に軍の支持を受けた伊藤
の封殺案に抵抗する術はなく、侍補は廃された。宮中グループはその後も教学聖旨によって儒教君主化を企んだが伊藤博文はこれも頓挫させた
「〔明治13年〕11月3日(東京)天皇誕生日。この国の人民がその君主に寄せる関心の程度が低い有様をみることは情けない。
警察の力で,家々に国旗を立てさせねばならないのだ。自発的にやるものは、ごく少数だろう」(エルヴィン・フォン・ベルツの日記より)
憲法の制定後は明治天皇の権力はさらに制限され、親政の希望は失われたが、伊藤博文は傀儡となった天皇の権威を最大限利用すべく動き
最終的には西欧におけるキリスト教の役割となることを期待し、操り人形の前提で天皇崇拝を強化した
明治天皇の信任が厚かった宮中グループも、朝鮮朱子学による天皇儒教権威の強化、儒教的・絶対的な天皇中心主義が教育勅語に組み入れられたことで満足(侍補達の権威アップ)し、その後はおとなしくなった
https ://ja.wikipedia.org/wiki/明治天皇
若い頃(とりわけ明治10年代)には、侍補で親政論者である漢学者・元田永孚や佐々木高行の影響を強く受けて、西洋の文物に対しては懐疑的であり、また自身が政局の主導権を掌握しようと積極的であった時期がある。
教育に関しては儒学を基本にすべしとする元田の最大の理解者でもあり、教育行政のトップに田中不二麿や森有礼のような西洋的な教育論者が任命されたことには不快感を抱いていた。特に明治17年(1884年)4月下旬に森が文部省
の顧問として御用掛に任命されることを知ると、「病気」を口実に伊藤(宮内卿兼務)ら政府高官との面会を一切拒絶し、6月25日まで2か月近くも公務を放棄して引籠もって承認を遅らせている。
https ://ja.wikipedia.org/wiki/機務六条
宮中側は明治天皇が儒教に基づいた東洋的な専制君主として「天皇親政」を行うべきであると主張し、明治天皇への帝王教育もその路線で行ってきた。これは将来的には天皇を西洋的な立憲君主として近代国家の中枢に据えようとす
る太政官の方針と矛盾したものであった。このため、岩倉や伊藤らは侍補を廃止して親政路線を停止しようと図ったが、明治天皇自身が元田永孚・佐々木高行ら侍補に心を寄せて彼らを私的なブレーンとして遇し、彼らが期待する君主像を実現させようと試み�


24:ス。 1879年(明治12年)3月10日、明治天皇が「勤倹の聖旨」を公布して政府の財政路線を批判し、続いて元田に「教学聖旨」を執筆させて教育政策を批判した。伊藤らは天皇と宮中側の関係を改めさせようとしたが、急速に立憲制が確立することで 公家出身の門地に依存してきた自分の地位が危うくなることを危惧した三条や岩倉は、元田や佐々木らの宮中側勢力を完全に抑えることには消極的で、大隈財政末期の外債発行問題などでは宮中側と連携して太政官側を動かそうとする動きも見せたのである。 https ://ja.wikipedia.org/wiki/伊藤博文 お雇い外国人であったドイツ人医師のエルヴィン・フォン・ベルツは『ベルツの日記』の中で、伊藤が会議の席上、半ば有栖川宮威仁親王の方を向き、「皇太子に生まれるのは、全く不運なことだ。 生まれるが早いか、到るところで礼式の鎖にしばられ、大きくなれば、側近者の吹く笛に踊らされねばならない」と言いながら、操り人形を糸で踊らせるような身振りをして見せたことを紹介している。



25:名無しさん@1周年
19/03/11 04:47:30.79 5Fc1vi+L0.net
差別の当たり屋か

26:名無しさん@1周年
19/03/11 04:47:36.04 kHVDwCRW0.net
>>22
伊藤博文は百姓、山県有朋は奉公人の出身と記憶しているが、明治維新の長州閥に限定すれば大規模な身分変動があったことになる
足利尊氏のように賊軍・朝敵になってから政権を奪取したりする例はあるが、百姓・奉公人の血筋からの出世では豊臣秀吉以来と言えるだろう
王政復古・明治維新後には公家や宮家が権勢を振るう可能性があったが、権力を得たのは伊藤博文と山県有朋を筆頭にテロリスト兼反乱軍(元賊軍)・一揆軍部隊長のような指折りの危険人物
ぞろいであったため明治天皇や側近・皇族・公家を差し置いて実権を握ったのは長州・薩摩の勢力となった。伊藤博文と山県有朋は天皇親政運動を封殺して天皇から実権を剥奪したが
元田永孚や公家からの圧力を受け教育勅語において妥協をしている
伊藤や山県の死後、薩長では天皇や側近に薄気味悪さを感じさせる(怯えさせる)ような人材を輩出しておらず、教育勅語で元田永孚(熊本藩の上級武士出身)がしかけた時限爆弾に
よって国論の儒教化・朝鮮朱子学化の圧力が急速に強まっていくことになる。朝鮮朱子学の暴走の歯止めとなっていた明治の元勲が消えたことで、止め金が失われたわけだ
儒教・朱子学は短期的に社会を安定させる効果と、長期的に停滞をおこし社会を過激な動乱に導く滅びの笛であり、定期的に動乱の渦に国が呑まれていくことになる
URLリンク(ja.wikipedia.org)元田永孚
朱子学的な大義名分論を日本の現実社会に徹底化して、修身と治国の一体化を図ると共に皇室への崇敬を一種の「国教」として確立することを
目指した元田の「政教一致」路線は、教育勅語を通じた天皇制国家の確立によって実現されていく。

27:名無しさん@1周年
19/03/11 04:47:54.73 WzGkZ9pl0.net
ほんとのキリスト教?ちゃんと認知されてる?

28:名無しさん@1周年
19/03/11 04:47:58.81 kHVDwCRW0.net
>>24
北一輝が西郷隆盛の信奉者であったことを考えると、儒教君主の天皇親政とは考えにくいため、本音は別のところにあったのかもしれない
しかし明治天皇が儒教君主になろうと天皇親政運動をしていたことを北一輝が知らない可能性もある
ある意味では伊藤博文・山県有朋が明治天皇の親政の希望を断ったのも事実ではあるし、プロイセン・ドイツ流の国家主義はカルテル経済のハリボテであったので
両名に対する批判はもっともであるが、伊藤博文が傀儡として天皇を利用せず、明治維新が天皇親政に向かおうとした場合は、薩長や雄藩の軍人によって国体(天皇を中心とする国家体制)が消滅していた可能性もゼロではない
URLリンク(ja.wikipedia.org)孝明天皇
その後、幕府・一会桑・薩摩藩・長州藩等の諸藩・公家・志士達の権力を巡る争奪戦に巻き込まれていくと、孝明天皇自身
の権威は低下していくことになった。
1865年(慶応元年)、攘夷運動の最大の要因は孝明天皇の意志にあると見た諸外国は、艦隊を大坂湾に入れて条約の勅許を
天皇に要求したため、天皇も事態の深刻さを悟って条約の勅許を出すこととした。だが、この年には実際には宮中のみに留
まったものの西洋医学の�


29:ヨ止を命じるなど、保守的な姿勢は崩さなかった[注 2]。 このような状況の中で、次第に公武合体の維持を望む天皇の考えに批判的な人々からは、天皇に対する批判が噴出するよう になる。第二次長州征伐の勅命が下されると、大久保利通は西郷隆盛に宛てた書簡で「非義勅命ハ勅命ニ有ラス候」と公言[5]し、 岩倉具視は「国内諸派の対立の根幹は天皇にある」と暗に示唆して、「孝明天皇が天下に対して謝罪することで信頼回復を果た し、政治の刷新を行って朝廷の求心力を回復せよ」と記している[6]。こうした中で1866年10月8日(慶応2年8月30日)には、 天皇の方針に反対して追放された公家の復帰を求める廷臣二十二卿列参事件が発生し、その後薩摩藩の要請を受けた内大臣・近衛忠房 が天皇が下した22卿に対する処分の是非を正そうとしたことから、天皇が近衛に対して元服以来の官位昇進の宣下をしたのは 誰か、奏慶(御礼の参内)は何処で行ったのかと糾弾する書簡を突きつけている[7]。



30:名無しさん@1周年
19/03/11 04:48:02.90 +2w++Nsr0.net
ローマ法王には何も言わんか?

31:名無しさん@1周年
19/03/11 04:48:43.75 kHVDwCRW0.net
>>26
国学・神道の融合による朱子学化を推進した結果として尊王攘夷運動という時限爆弾が荒れ狂い自滅することになった水戸藩は、
弱小国の分際で世界最強国アメリカに無謀な戦争をしかけた戦前日本に重なる
http s://ja.wikipedia.org/wiki/諸生党
戊辰戦争以後
慶応4年1月(1868年2月)、戊辰戦争が始まると、諸生党に対する追討命令が朝廷から出された。これにより水戸藩に戻った本圀寺党を
はじめとする天狗党の残党と諸生党の間で再度抗争が起こり、今度は賊軍となった諸生党はたちまち勢力を失い、市川らは水戸を脱して
会津へ向かった。武田金次郎ら天狗党が藩内での権力を掌握すると、諸生党やその家族に対して激しい報復が行われ、各地で多くの
諸生党士民が処刑されたり投獄されたりした。
https ://ja.wikipedia.org/wiki/松山戦争
背景
元治元年12月(1865年1月)に関東を劫掠していた水戸藩天狗党の乱が鎮圧された後、水戸藩の藩政は市川弘美ら
中心とする諸生党が掌握し、水戸に居た天狗党の関係者は諸生党によって次々と処刑された。
ところが翌年将軍徳川家茂が死去すると、翌年には天狗党本隊のうち武田金次郎ら遠島に処される予定であった者共
が赦免され、さらに孝明天皇崩御の後、天狗党と共謀関係にあった長州藩が鳥羽・伏見の戦いで勝利すると、天狗党・本圀寺党
の訴えにより諸生党が一転して朝敵に指定された。
経過
天狗党は翌7日から9日にかけて八日市場近隣の村々に押入って金品を強奪し、各村の名主・組頭を縛り上げて拉致し
身代金550両を奪取した上、銚子など周辺の町を次々と襲撃して略奪を繰り返した後、水戸へと戻っていった。飯高寺
の『向城庵記憶帳』は、この時の有様を「辰年十月中旬、水戸藩士天狗共国元にて戦争の上~八日市・佐原・銚子・東金
などの町家へ乱荒し必死難渋の沙汰」と記している。
https ://ja.wikipedia.org/wiki/武田金次郎
1864年の天狗党の乱には、祖父や父と共に参加する。のちに乱が鎮圧されて祖父など376人が死罪に処せられたが、若年を理由に遠島処分となる。
1866年、金次郎ら110名は小浜藩に預けられ、佐柿(福井県美浜町)の屋敷に収容されて謹慎したものの、准藩士格として厚遇される。1868年、
王政復古によって朝廷から罪を許され、水戸への帰藩を命ぜられた。
帰藩した金次郎らは、朝廷の威光により藩の実権を掌握。通称「さいみ党」と呼ばれた金次郎らは、仇敵であった諸生党残党に復讐をすべく、
白昼堂々に襲撃・暗殺し、藩内を極度の混乱状態に陥れた。
香川が栃木県の塩原温泉を訪れたとき、物乞い同然のみすぼらしい小屋で暮らす、体の不自由な金次郎と出会った。驚き哀れに思い、香川が金銭を渡すと、
金次郎は喜び、ひれ伏したという。このあと、金次郎は水戸に戻され、3か月後に亡くなった。
https ://ja.wikipedia.org/wiki/武田耕雲斎
家系
武田耕雲斎の家系は清和源氏のひとつ、河内源氏の傍系である跡部氏の一族であるという。

32:名無しさん@1周年
19/03/11 04:48:50.81 wxNrHJbz0.net
まあ、創◯学会を解体しないと日本がダメになるのは確か

33:名無しさん@1周年
19/03/11 04:49:05.72 kHVDwCRW0.net
>>28
福沢諭吉「我が国の人民は、数百年の間、天子あるを知らず、唯これを口碑に伝ふるのみ。維新の一挙以て政治の体裁は数百年の古に復したりと称すと雖も、王室と人民との間に至密の交情あるに非ず」

34:名無しさん@1周年
19/03/11 04:49:09.04 C/g5cb8o0.net
朝鮮半島系のキリスト教でしょうかね

35:名無しさん@1周年
19/03/11 04:49:35.70 WSCV2hD30.net
寒 河 江 伝 説 w

36:名無しさん@1周年
19/03/11 04:49:36.81 kHVDwCRW0.net
>>30
戦前の皇族の資産は、日本一の金持ちだった徳川家の資産を強制的に返上納地させ皇室が(徳川家の視点からすると)奪ったものが大半とされる
違法資産を接収するなら国庫に入れるべきだが、皇室の資産に移転されたようだ
皇族資産は財閥資産と同じく課税対象にされ大半が徴収された
https ://kotobank.jp/word/%E7%9A%87%E5%AE%A4%E8%B2%A1%E7%94%A3%E8%A7%A3%E4%BD%93-1313818
…終戦時の皇室財産の総額は総司令部発表で約16億円(美術品,宝石等を含まない),財産税納付のさいの財産調査(1946年3月3日現在)
によれば約37億円と評価されている。かくして皇室財産解体の第1段として,47年2月財産税法が適用され皇室財産の90%にあたる
約33億円が徴収された。ついで財産税納入後残る10%の皇室財産は,憲法第88条の発効とともに国に帰属することとなった。…
https ://history.state.gov/historicaldocuments/frus1947v06/d178
The application of the capital tax levy law to Imperial Household property will result in the formal transfer to the State by 15th
March upwards of 80 to 90 percent of the total assets of yen 1,675,267,073. The remainder consisting of Imperial palaces, villas
and preserves to a value of yen 169,299,890 will become automatically State property on 3rd May 1947 and will be designated
as State property assigned to the throne to be administered and accounted for to the Diet in accordance with the provisions of
the Imperial House Economy Law and the State Property Law.
URLリンク(ja.wikipedia.org)日本のインフレーション
日本国政府は、1945年(昭和20年)12月に預金封鎖と新円切替など立法化し(翌2月に緊急措置)通貨の流通量を強引に減らして物価安定に努めたが、
傾斜生産方式による復興政策が始まると、復興金融金庫から鉄鋼産業と石炭産業に大量の資金が融資された結果、復興インフレが発生した。
インフレーションを抑えるために融資を絞ると生産力が鈍るために、融資を絞ったり拡大したりする不安定な経済状態が続いた。結果的に、
1945年10月から1949年4月までの3年6か月の間に消費者物価指数は約100倍となった(公定価格ベース、闇価格は戦中既に高騰していたため戦後の
上昇率はこれより低い)[14]。敗戦後のインフレは年率59%であった[15]。1947年のインフレ率は125%となった[16]。
戦前の(皇居や御用地を除いた)皇族財産は皇居の土地(帳簿は5000億円だが、皇居を1平米1000万で換算すると10兆円になる)の約10倍という計算なので
現在価値で5兆円〜150兆円近くの資産があったと考えることもできるが、昭和20年の国家予算歳出(一般会計)が215億円となり、終戦時37億円保有(〜46年3月3日調査)していたとのことで
現代で言えば一般会計約100兆円を基準とすると17兆円程度となる
1947年はかなり悪質なインフレとなるので、それ以降の数値は信頼しないとすると、昭和20年の一般会計と1946年3月(敗戦後半年経過以内)の調査を微調整するとマイナス数兆円に再評価しても良いかもしれない
なお戦後まもなく大量に保有していた国債の価値は、先行して暴落したはずで数兆円多めに補正をしても良いかもしれないが、さらなる調査が必要だろう
プラスとマイナスを相殺すると17兆円程度の金融資産ではないかと予想(主な大企業の大株主、国債の大量保有)する
(終戦時には財閥の保有財産は破壊しつくされ株式価値は相当毀損しているだろうから、戦前の株資産価値がはるかに高いと想定すると17兆円どころではない)

37:名無しさん@1周年
19/03/11 04:50:10.68 kHVDwCRW0.net
>>33
>明治天皇は儒教的専制君主となるよう積極的に動いていた時期があった
象徴制の「象徴」という用語は辞書的な定義とはかなりずれる
君主のsymbolとしての象徴化は19世紀の段階で議論されているわけで、海外からすると象徴も君主・元首のダウングレード版となる
実体として権力・権威を取り除かれた君主が象徴制君主であるため、象徴は「君主・元首」のダウングレード版と考えれば良い
識字率が低い19世紀イギリスにおける象徴の機能の骨子は、19世紀の文盲で教育がなく情報もない大衆が権利を行使しやすい直接民主制(国民投票による大統領選出等)の道理・正当性に対抗して
「間接民主主義で選ばれたエリートが国民を円滑に支配するための手段」となる
ウォルター・バジョット「イギリス憲政論」(19世紀イギリス)によると、最底辺や中間レベルの大衆はエリートに対して忠誠を示さないが、高貴な君主がいれば社会体制に対する支持を得やすく
有用な政治的ツールである。そして選挙によって選ばれた賢者たるエリートの代議士が効率的に支配するという考え方において、「象徴」はエリートの使いやすい道具と言える
19世紀イギリスの一般人は文盲でろくな教育も受けず貧しく愚かであり、威厳のある高貴な天上人である象徴があることで、(政治思想による)主義(-ism)から独立した国民の効率的な支配ができるという説に依る
これに対して日本ではエリートの質が著しく劣り(科挙や利権権力維持しか能がなく、一般人の方がよっぽどましなぐらい使命感・専門的知識・献身的資質が欠如)、
緊急事態や国が急激に衰退している状況でも日本に四季や国体があるから大丈夫程度で済ませてしまう愚物が大半のため、
これであれば直接天皇が責任を取る親政のほうがましという投げやりな圧力が底辺から湧いてきた。天皇親政運動の根本には、天皇が儒教君主の徳を体現しエリートの
悪政から解放してくれる救世主という意味合いが強く、エリートがどうしようもなく腐敗し堕落した国家における儒教原理主義の一形態と言える(市民革命ならぬ儒教革命・朱子学革命)
象徴はエリートの質が担保できた場合にのみうまく作用するが、日本人の精神的文化には一時的に良いものに飛びついても外部のものであれば悪いところばかり貶して良い面をポジティブ
に捉えず、内部のゴミのような欠陥品をあがめる素質があるため直接民主主義には向かず、大統領制よりはるかにマシな選択と考えることはできるため一定の合理性は認められる
URLリンク(ja.wikipedia.org)象徴天皇制
ヨーロッパの君主制との比較
君主制をとる国で、日本の天皇のように君主に政治的な権限がない国は、北欧やオランダ、スペインなどが挙げられる。
日本の天皇以上に政治的な権限が制限されている君主として、スウェーデン国王があげられる。1979年の憲法改正以後、
首相任命権などの形式的な国事行為すら認められていない。政治から完全に分離され、国の対外的代表としての地位しかない。
そのため、象徴君主制という新たな区分を設けるべきではないかとする意見がある。
その一方で、リヒテンシュタイン家は、象徴・儀礼的存在にとどまらず、強大な政治的権限を有している。そのため、
ヨーロッパ最後の絶対君主制と言われる。
ウォルター・バジョットは「イギリス憲政論」で成文法の憲法を持たないイギリスでヴィクトリア女王をsymbolと位置
づける憲政論をしている。
URLリンク(en.wikipedia.org)
England had a ‘double set’ of institutions – the dignified ones ‘impress the many’ while the efficient ones ‘govern the many’.
The dignified or ‘theatrical’ parts of the system played the essential role of winning and sustaining the loyalty and confidence of
the mass of ordinary people whose political capacities were minimal or non-existent; they helped the state to gain authority and
legitimacy, which the efficient institutions could then use. Bagehot was an unashamed elitist who believed bleakly that the ‘lower orders’
and the ‘middle orders’ were ‘narrow-minded, unintelligent, incurious’. Throughout The English Constitution, there are references to
‘the coarse, dull, contracted multitude’, ‘the poor and stupid’, ‘the vacant many’, ‘the clownish mass’.

38:名無しさん@1周年
19/03/11 04:50:34.45 kHVDwCRW0.net
>>34
海外だと王族が多すぎると王族のなりそこないが、正統な王と主張して他国の力を借りて侵略してくることがあるので現王族を除いた王族の系譜の親族は皆殺し・根絶やしにすることは結構ある
ヨーロッパでは宗教的に一夫一妻しか許されないため、王族の絶対数が少なく不要な政策だったが、皇位継承者の多いオスマン・トルコやその他の多妻制があった国では良くある話だ
日本は島国のため、遠島に追放された場合でも海外から援助を受けるのは難しく懸念は全く無かったが、これだけ交通手段が発達し移動が簡単になると中国・ロシアあたりの
援助を受ける旧皇族も現れる可能性がある(中国に移住した西園寺公一の実父は毛利元徳なので天皇家との関係は薄かったが、養父の西園寺公望の実父は東山天皇の男系五世子孫である徳大寺公純だった)
現状は問題ないとしても皇位継承者がいなくなり揉めるような事態となった場合は、新たに皇位を得た二・三等親内の皇族を除いた「皇位継承の要求者」(pretender)となりうる旧皇族や縁者は
処刑(血を流さずに陰で殺処分)根絶やしの検討をすることもありえる(旧王族や王族のなりそこないの支援者・関係者も根絶やしとする事もある)

39:名無しさん@1周年
19/03/11 04:50:57.05 kHVDwCRW0.net
>>100 >>101 >>102 >>103 >>104 >>105 >>106
水無月尽@minaduki__jin
2012年12月22日
平安貴族の場合も、女側の親が許していないのに、あるいは決まった夫の正妻になっているのに、
勝手に男に侵入された、という話はたくさんある。女側に親がいなかったり、侵入・強姦した男が権力者だったりしたら、
女は泣き寝入り。侵入を受けたり噂が立てば女は「傷もの」。決して「おおらか」ではない

40:名無しさん@1周年
19/03/11 04:51:20.59 kHVDwCRW0.net
>>110 >>111 >>112 >>113 >>114 >>115 >>116
中国をお手本とした結果、「女三界に家無し」なんていう蛮族の因習が作られた
「女三界に家無し」
《「三界」は仏語で、欲界・色界・無色界、すなわち全世界のこと》女は幼少のときは親に、嫁に行ってからは夫に、老いては子供に従うものだから、広い世界のどこにも身を落ち着ける場所がない。
【日中】安倍首相「漢字や仏教、社会制度、都市づくりは 中国から日本に伝わった」「中国は長く日本のお手本」北京のフォーラムで★2
スレリンク(newsplus板)
「三従四徳」
昔の中国の女性への教え。
「三従」は従うべき三つのことで、幼い時は父親に従い、嫁いだ後には夫に従い、年老いたら子どもに従うべきであるということ。
「四徳」はいつもの生活で心がけるべき四つのことで、女性としての節操を守ることをいう婦徳、言葉遣いをいう婦言、身だしなみをいう婦容、家事をいう婦功のこと。

41:名無しさん@1周年
19/03/11 04:51:30.88 WSCV2hD30.net
つーかこのコピペしてる奴もグルだよな
5chに転載すること前提で活動してるんだよね

42:名無しさん@1周年
19/03/11 04:51:45.24 kHVDwCRW0.net
>>120 >>121 >>122 >>123 >>124 >>125 >>126
>忠君愛国はある意味世界標準な概念
これは言うまでもなく誤解だ
儒教・朱子学の君主、神権主義の君主、古代王権神授(absolutismや絶対王政の前)の君主では似ているようで異なる
日本では江戸時代に朝鮮朱子学をベースにした国学が流行し儒教・朱子学と原始宗教(実際は相当前から儒教化)の神権主義が習合した
(水戸学によって神授仏から廃仏毀釈で神儒に移行、江戸時代から廃仏毀釈は行われる)
欧州の古代王権神授説であれば、王は神の使用人、世話人であり、国民に対して奉仕し、客観的な真実に基づく説明責任を負う
君主が責任を負えないのであれば裏で殺処分をすることもある
他国で戦争に命をはる場合のスローガンも日本とは異なる
親兄弟、姉妹、子供・孫、親戚、友人、コミュニティー、資産、自由を守るために、命をかけて戦おうというのが一般的なスローガンだ
つまり他国の奴隷には決してならない、そのためには死を厭わないという理屈だ
ただこれは主君や貴族の奴隷にもならないという意味も背後にあり、国民は自由であるべきということだ
(誰が国民かというのは古代では色々とかわってくるが、アリストテレスはエリート・富裕層以外に投票権を与えるのは無政府状態と断じており、
今日の民主制に進化したのは人類文明の進歩の成果といって良い)

43:名無しさん@1周年
19/03/11 04:52:07.56 kHVDwCRW0.net
>>130 >>131 >>132 >>133 >>134 >>135 >>136
忠君と愛国は別個の思想であり、同じではない。また忠君の最大の根拠であった神風・神州不滅伝説が崩壊したことで、忠君によって
国が滅びる事例を、膨大な死者を生み出した社会実験によって身を持って証明した
>君臣一体、忠孝一致
君臣一体は朝鮮朱子学に由来するものだが
おそらく戦後になってさえもそれが日本人や朝鮮人特有の精神不安障害だと認識できなかったのは
自称有識者が「united」を「一体」として強引な翻訳をしたからだろう
確かに(国王が女王がいる体制下では)王室と国民が一致団結(unite)して自由を守るというのは当たり前だ
しかし「一体」という言葉は明らかに「一致団結」とは異なる意味を持たせられる
英語では「united under one banner」とか「united under one king」は一つの旗のもとに団結や、一人の王のもとに団結という意味がある
これは君民一体に似ているようで全く違うニュアンスがある。英語圏ではあくまでも独立した個人が集まるチームの団結をとなえる修辞を
こえた意味はもたないが、北朝鮮や戦前日本、李氏朝鮮のような儒教圏では民は君主の子供として一体となる
同質性不安症、集団中庸パニックといった朝鮮人や戦前日本人国家主義者に共通した欧州と全く関係のない用語として
定義された君主と臣民一体という標語の結果は、北朝鮮の金王朝を見れば明らかだ

44:名無しさん@1周年
19/03/11 04:52:32.63 kHVDwCRW0.net
>>140 >>141 >>142 >>143 >>144 >>145 >>146
明治維新の前哨戦において薩摩藩は勅令と軍を使い幕府老中の(殺害)脅迫・強要をして要求をのませたという(文久の変)
さらに小御所会議では優勢な論を展開した山内容堂に対して殺害をほのめかして黙らせた。この当時、勅令・勅書はヤクザ顔負けの強引で理不尽な要求を
押し通すための恐喝・脅迫に使用された小道具だったが、長州は平気で朝敵・賊軍となり戦争を継続し薩摩も裏で強力をしているため勅書など全く意にかいしないものが多くいたということだ
今なら勅書など発行しても銃弾・爆発物で消し飛ぶ、頑張って劣化楠正成を探そうとしても勅書程度に自らの人生を振り回され、生命の危険のリスクをとるのは相当な知恵遅れだけだろう
科学的軍事理論を学んだ連中に勅書などは到底通用する理屈ではなく、血統世襲理論で印象は最悪になるので効果はむしろマイナスとなる
山内容堂や老中の例でも分かる通り武家の名門・門閥一族は自らの命が危機に瀕すると見るや下級武士の脅迫に対してあっけなく屈する腰抜ばかりで、名門の誇りもあったものではない
薩摩藩と長州藩の強さは青白い顔の名門では思いつきさえしない、下級武士ならではの脅迫や暗殺、テロを平気でやってみせる決断力と実行力にあった
つまり薩長の物理的脅迫は現代でも十分に通じる表現方法だということだ
だが薩長の下級武士も道徳面では特権に安住して腐敗しきった公家よりはおそらくマシだった。そして没落する上級武士を横目に下級テロリスト武士が栄達し実権を握ったのは
武士どころか下民出身の伊藤博文と山県有朋という有様だった
URLリンク(ja.wikipedia.org)猪熊事件
公家衆乱行の発覚
左近衛権少将・花山院忠長は、ある時後陽成天皇の寵愛深い広橋局(武家伝奏・大納言広橋兼勝の娘)に懸想した。
そこで宮中深くまで出入りを許されていた歯科医の兼安備後(妹の命婦讃岐も宮中に仕えていた)に仲介を頼んで文通を始め、
それをきっかけとして二人で逢瀬を重ねていた。その話を漏れ聞いた猪熊は、俄然興味を持ち、かねてから懇意の飛鳥井雅賢
をはじめ、言葉巧みに他の公卿・女官をも誘い出し、様々な場所で乱交を重ねることとなった。
しかし、このように大人数の乱行が発覚しないわけはない。飛鳥井には恨みを含む女性がいた

45:名無しさん@1周年
19/03/11 04:52:36.57 kplUk+Tf0.net
前スレもコピペ300連投超えてたけど
このコピペ連投を規制しないってことは
運営がコピペ連投してるってこと?

46:名無しさん@1周年
19/03/11 04:52:59.43 kHVDwCRW0.net
>>150 >>151 >>152 >>153 >>154 >>155 >>156
(流した血に比例する)力の理論による軍事クーデターによって反キリスト教・反自由主義者を駆除してから、キリスト教を受け入れさせることで、皇室と現皇族は自由主義(自由と正義)の象徴となれるだろう(水戸学国体の幼児妄想から皇室は脱皮させねばならない)
品性下劣で野卑であり品格欠如の俗悪神が登場するために学校では教えられない日本神話を知れば、排泄物の神達が生殖し、犯罪し放題の暴れん坊(自称)神の子孫がいる島国の土人習俗・因習のために数百万人が死んでいったことに無知だった連中は驚くだろう
過去の失敗の学習能力があるのであれば繰り返すわけはないが、日本には今だに中世儒教土人が住み着いているようで、こうした連中は成長がみられないなら精神レベルが同じ隣国に国外追放をするか、殺処分しか処理方法がないだろう
共産主義者が資産の平等と主張するなら脊髄反射で詐欺と批判するのは理解できるが、普通の学生やまともな学者が法の下の平等や自由主義国家の常識である人権を語るだけでもチョンとか共産主義者と
レッテル貼りをするような連中がいることで、まだ日本に儒教土人が多くいることが確認でき、その中に自称特権階級がいたことは意外な発見と言える
日本国憲法第14条
すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。
旧門閥貴族・旧皇族の平民の中に、いまだに身分や血筋、性別や出身で特権があると主張したり、人間を分類して差別するような連中が一部いるが、これの幼稚さに気づけない点で精神修養の余地は多いにあるだろう
向学心の無い血筋しか誇れるものがいない劣等感の持ち主だから改善はおそらく見込めず精神修養をしても無駄かもしれないが、それでも魂が生まれ変われる可能性はゼロではない
身分差別のない法の下の平等とは恩恵であり、これを罵ったり男女同権を制定したGHQに呪詛を吐くようでは、日本神話に出てくる生活廃棄物の自称神と大して変わらない古代の土人酋長の幻想と過去の栄華にいまだに生きているということだ
現行憲法の法の下の平等、身分・性別・その他差別の禁止、貴族の禁止をどうしても受け入れられないなら、朝鮮朱子学を奉じるお隣の国にいけば良いのだが、儒教土人の自称門閥一族の国外出奔を誰も止めはしないだろうし二度と返ってくる合理的必然は現行憲法の日本にはない
日本中から煙たがれも、どうしても日本に住みたいなら、未来は決して低能中世土人に優しくないことを理解すべきだろう

47:名無しさん@1周年
19/03/11 04:53:19.98 WSCV2hD30.net
ネットニュースもそうだけど
ニュー速+に転載すること前提で記事書いて
5ch記者に金払ってステ立てしてもらう
これが常態化してる

48:名無しさん@1周年
19/03/11 04:53:22.66 C/g5cb8o0.net
いろいろ封じられてきてるね
朝鮮に逆らうな差別だ
女性差別だ
って外堀埋められて手をこまねいてるうちに天皇制解体
政治も法曹界もメディアも乗っ取られてる程度の間抜け日本人にはお似合いの亡国ですね

49:名無しさん@1周年
19/03/11 04:53:25.34 kHVDwCRW0.net
>>160 >>161 >>162 >>163 >>164 >>165 >>166
創生紀はパウロの時代からファンタジーとして認識されている、アウグスティヌスも数学的直観や自然科学と合致しない解釈を否定している
URLリンク(en.wikipedia.org)
Christian Bible reference to an Old Testament story as allegorical
In the King James version of the Bible, Galatians 4:21-31, Paul describes the Genesis story of Abraham's sons as an allegory. Other translations convey a similar sentiment: Galatians 4:21-31.
日本神話と旧約聖書を比べたところで、比較対象はユダヤ教の教条原理主義であって、キリスト教との比較にはならない
キリスト教の神は宇宙に遍在する(意思を持つという意味で)「人格を持つ」物理エネルギー体であるため、他の原始宗教と比較するのは無理があるが、二元論解釈の余地があるネストリウスや
ギリシャ正教であるならキリスト教との部分的な比較神学は不可能ではない
日本神話にもイデア―の世界があるという解釈は可能であり、ゾロアスター教や仏教、マニ教等の東洋系の二元論(イデア―と物理宇宙論との対立)に近い
特に仏教はグノーシス主義と親和性が強く、物理世界を低俗と見なす傾向が強く、仏教と結びついた日本神話は反科学的、反物理学的な教条主義に陥りやすくなる
URLリンク(en.wikipedia.org)
ただし先祖霊宗教の要素を持つことで、マニ教、仏教、ゾロアスター教と比べて著しく教義が幼稚で不備であると言える

50:名無しさん@1周年
19/03/11 04:53:26.89 6Afb17sc0.net
日本の国家神道というのはですね、
成り立ちを考えると、
王権が神権を兼ねるという形なんですよ。・

ですから、
聖公会(英国国教会)と同じなんですよ。
これは統治上、何ら問題ないことなんです。
問題なのは、国に属しない宗教が
国政を意のままに操ることなんです。
いわば国の中に国を作る、
一国二制度のようなことになっていくこと。
むかしからいろんな宗教が発生して、
国からの弾圧を受けていて、
中には武装して戦う人たちもいたんですが、
それはなぜかというと、
彼らの信仰する「神の教え」というのが、
国の法律と食い違うからなんですよ。
そして、どちらが偉いのか、となるわけなんです。

51:名無しさん@1周年
19/03/11 04:53:56.86 Mlw1MExl0.net
糞スレは消せ

52:名無しさん@1周年
19/03/11 04:54:00.21 msGmeMCh0.net
北朝鮮が交渉失敗してカリアゲが致命的な大ピンチなのと関係あるのかな

53:名無しさん@1周年
19/03/11 04:54:06.39 6Afb17sc0.net
当時、内田氏は  
都議会自民党幹事長として売り出し中だったが、  
今ほどの権力はなく、公共工事の仕切り役は、  
都議会公明党のドン・藤井富雄氏だった。  
藤井氏は、05年に政界を引退し  
仕切り役、調整役の座を内田氏に禅譲。  
(中略)  
老朽化した築地市場の移転は、  
石原氏の前任の  
青島幸男知事の時代に持ち上がったが、  
その構想を推進したのは、  
東京都港湾局長時代の石川雅已・現千代田区長で、  
臨海副都心開発部長として石川氏を支えたのは、  
前川あきお・現練馬区長だった。  
山田氏は、後述するように  
両氏をOBとなっても物心ともに支えた。  
つまり豊洲移転は、  
石原都政の前に都の官僚が  
議会や市場関係者に対する根回しを行い、  
推進してきたのだ。  
URLリンク(gendai.ismedia.jp)
公共事業絡みで口利き  
公明・藤井都議が都幹部などに  
コンサルタント会社を紹介 長男が「顧問料」もらう  ・
URLリンク(www.jcp.or.jp)

54:名無しさん@1周年
19/03/11 04:54:14.40 7TbMjgIB0.net
> ID:kHVDwCRW
連投&長文は読まない
とうめい あぼ~ん 登録 しといた

55:名無しさん@1周年
19/03/11 04:54:20.59 kHVDwCRW0.net
>>170 >>171 >>172 >>173 >>174 >>175 >>176 渡来思想である仏教に挑んで敗者となり奴隷となった神の子孫物部氏や、世界を霊力で征服する予定だった「神の子神武天皇」の子孫である「現人神」が 天候関係なくサングラス着用で田舎者が好きそうなコーンパイプでタバコ中毒の肥満中年の一軍人に、取り巻きの高齢者重臣と一緒に命乞いをして身分維持・制度維持 のバーターとして憲法9条という信じがたい悪法を制定し国を売り渡すとは、反科学的で合理的な思考のできない頭の出来が悪い愛国火病には到底予想できず、戦後70年経過しても理解できないのだろう まさに神話が作られた瞬間と言える 人間なら失敗するので敗北後に命乞いのため売国をした点は理解できるが、神の子孫がこの体たらくなら「自称神の子孫」「偽の神の子孫」だったと判断すべきなのか、 排泄物、目くそ・鼻くそや嘔吐物で出産し嬰児を殺害するイザナギ・イザナミの子孫であればこの程度で納得と思うかは信仰心にもよるだろう ちなみにイザナギからアマテラス、間をはさんで神武天皇という系譜なので神武天皇は女系から正統性を得たと言えないでもない https://ja.wikipedia.org/wiki/現人神 なお陸軍中将であった石原莞爾は日蓮主義の見地から独特の終末論的な世界観を持っていたが、著書の 『戦争史大観』(1941年)には「人類が心から現人神の信仰に悟入したところに、王道文明は初めてその真価を発揮する。」 「更に端的に云えば、現人神たる天皇の御存在が世界統一の霊力である。しかも世界人類をしてこの信仰に達せしむる」としている。 本書は用紙統制・出版統制が行われている中で検閲を通過して出版されている。 https://ja.wikipedia.org/wiki/日本国憲法第9条 本条の淵源 本条の淵源については、立法経緯が複雑であることもあって様々な議論がある[12]。憲法9条の発案におb「て、その背景bノあった、 主な動機は、「連合国が参加する極東委員会の中の、中華民国・オーストラリア・フィリピン・ソビエト社会主義共和国連邦などの 国家や、アメリカ国内世論[13][14]からの『天皇制の保持』に対する批判を逸らす為であった。」という見解で、日本人もアメリカ人 の学者も一致する傾向がある、とされる[15]。



57:名無しさん@1周年
19/03/11 04:54:36.37 c96RS88H0.net
北朝鮮の将軍様システムには何も言わないウリスト教徒やからねw
馬鹿チョンの戯言ですわ

58:名無しさん@1周年
19/03/11 04:54:44.63 kHVDwCRW0.net
>>180 >>181 >>182 >>183 >>184 >>185 >>186
URLリンク(ja.wikipedia.org)奴婢
ヤマト王権では、もともと奴隷階級であったものを「ヤツコ(夜都古)」と呼び[1]、奴婢はそ
の子孫であるか、前述の捕虜や帰化人、あるいは罪人で奴婢に落とされた者であった。律令法
においては、良民を奪って奴婢とすることは賊盗律で禁じられていたが、逆に言えば誘拐して
奴婢とする習慣があったということである。経済的理由で奴婢となる者もおり、債務返済では
役身折酬と呼ばれる返済方法が認められていたので、多額の負債を背負わされて奴婢に落とさ
れて使役される者もいた。
奴婢はもともと売買の対象であったが、律令が整備される過程で田畑と同じような扱いを受け
るようになり、弘仁式によると持統天皇4年(690年)に、いったん奴婢の売買が禁止されたが[2]、
翌691年2月にはあらためて詔を発して官司への届出を条件に売買が許可されることになった[3]。
...
律令制崩壊後
律令制での身分制度としての奴婢は消滅したが、その後も日本では下男下女など隷属的な
年季奉公人が、奴婢と称された。また経済的な奴隷は中世を通じて存在して広く売買され、これら
は用途によって様々な呼称があるが、総称としては同様に奴婢と呼ばれた。平安時代以降の歴代政権
も奴隷や賤民の存在を否定することはなく、法的に公認していた。人身売買はたびたび禁止されたが、
それはあくまで自由民の売買を禁じたものだった。戦争による捕虜や拉致された非戦闘員など、多数
の奴隷が発生した戦国時代には、スペインやポルトガルを通じて海外への輸出も行われた。このよう
な身分制度は明治4年(1871年)の解放令まで続いた。

59:名無しさん@1周年
19/03/11 04:54:55.19 6Afb17sc0.net
「公明党、創価学会よどこへ行く」( 週刊東洋経済 eビジネス新書 )  
与党協議に関わった横山氏は  
「自民党の北海道連の意見が  
まとまっていなかったこともあるが、  
札幌延伸をリードしたのは明らかに公明党。  
函館に新幹線を上陸させれば、後はなんとかなると、  
『青函(青森と函館)同時開業』を公明党が言い出したときが  
(事態が動き出した)転換点だった。」と振り返る。  
URLリンク(56285.blog.jp)
国土交通省で「天下り」が完全復活した。  
その中心的人物が、石井啓一国交相だという。  
要するに「バリバリの元国交省キャリア」が、  
かつて自分が勤務していた省で大臣となり、  
天下りを復活させたことになる。  
URLリンク(www.yellow-journal.jp)

60:名無しさん@1周年
19/03/11 04:55:03.84 kHVDwCRW0.net
>>190 >>191 >>192 >>193 >>194 >>195 >>196
URLリンク(www.andrew.ac.jp)
前期倭寇は食糧の他に人々を捉え, これを奴隷として使役したり売却したりしたと述べた。
後期倭寇はさらに大規模な奴隷貿易を行っている。中国東南部の江南・淅江。福建などを襲
撃し人民を拉致した倭寇は対馬・松浦・博多・薩摩・大隅などの九州地方で奴隷として売却
した。これらの奴隷は, 牛馬の飼育や薪取り, 水汲みなどの仕事をさせられた。さらに彼ら
の一部はポルトガル商人によってマカオに転売され, そこから東南アジア・インドに送られていった。

61:名無しさん@1周年
19/03/11 04:55:22.77 WSCV2hD30.net
いつも「寒河江伝説」とか
「ハルビンカフェ」とか
賞味期限切れた小説の宣伝しまくってるアイツなんだわ
このコピペ連投
なんか商売してるらしいのよ

62:名無しさん@1周年
19/03/11 04:55:26.99 kHVDwCRW0.net
>>200 >>201 >>202 >>203 >>204 >>205 >>206
URLリンク(ja.wikipedia.org)律令制
身分制度
日本の律令制における身分は、良民と賎民に大別される。良民は、高級官僚である貴族を初め、
下級官人、一般の百姓(公民と呼ばれることもあった)、雑色人(品部・雑戸という工芸技術を
持つ半自由民)があった。賎民は五色の賎と言われ、陵戸(天皇・皇族の陵墓を代々守る家系)、
官戸(諸官庁に属し公用に従事)、公奴婢(官有の奴隷)、家人(貴族や有力者に属し雑用に従事)、
私奴婢(私有の奴隷)があった。
賎民のうち、公奴婢と私奴婢は売買の対象とされるなど、奴隷として位置づけられていた。この
ように、律令制下では奴隷制が存在していた。

63:名無しさん@1周年
19/03/11 04:55:32.43 acCwNceE0.net
政教分離せよと政治声明を出す宗教団体とか
ギャグか

64:名無しさん@1周年
19/03/11 04:55:51.19 kHVDwCRW0.net
>>210 >>211 >>212 >>213 >>214 >>215 >>216
聖徳太子の憲法17条も論語の学而や礼記のコピーとされている
URLリンク(ja.wikipedia.org)学而
有子曰:「禮之用,和爲貴;先王之道,斯爲美;小大由之。有所不行,知和而和,不以禮節之,亦不可行也。」
(有子曰く「礼の用は和を貴しと為す。先王の道も斯れを美と為す、小大これに由るも行なわれざる所あり。
和を知りて和すれども礼を以てこれを節せざれば、亦行なわるべからず。」)
『中庸』は中華主義者がしばしば引用する
日本中華主義・日本型華夷思想
URLリンク(ja.wikipedia.org)中華思想
江戸期日本の中華思想
明が異民族王朝の清に支配されると、日本の朱子学者の一部、林羅山などは、日本の
天皇家は中華正統王朝である周王朝の分家である呉の太伯の子孫であるから、日本こ
そは中華であると主張し始めた。更に、明の遺臣の一部は清に仕えることを潔しとせ
ず抵抗もしくは亡命し、そのうちの一人である朱舜水は、夷狄によって治められてい
る現在の中国はもはや中国でなく、亡命先の日本こそが中華であると述べた。日本の
江戸時代の儒学者山鹿素行も著書『中朝事実』の中で同様の主張をした。また、国学
者本居宣長も日本外交史を扱った歴史書『馭戒慨言』おいて、世界の国々は日神の子
孫である天皇に朝貢してその暦を奉じるのが正しい姿であり中国皇帝は「戎王」に過
ぎないとして、中国中心の華夷秩序を反転させて日本中心の華夷秩序をあるべき姿と
して描いている[12]。これが後に水戸学や平田派国学へも思想的影響を与え、幕末の
尊王攘夷論に結びつくこととなる。
太平洋戦争中に天皇を現人神として崇め奉り、軍 部が敗色濃厚になるや神州(中華正統王朝)
不滅を唱えるに至ったのも、朱子学に基づく中華思想に影響されたものであるという[13]。

65:名無しさん@1周年
19/03/11 04:56:00.81 6N53EC7J0.net
>>44
ほんこれ
それな

66:名無しさん@1周年
19/03/11 04:56:01.20 6Afb17sc0.net
池田氏の「香港並びにアセアン3ケ国」訪問の模様を報じる
「聖教新聞」を検証すると、以下の結果が判明した。
 昭和63年(88年)1月~池田大作東南アジア訪問
  1月27日・香港 出迎え=松浦晃一郎総領事、富田晃次副領事
  1月28日・香港 香港大学図書贈呈式=松浦晃一郎総領事他日本大使館代表
URLリンク(56285.blog.jp)

ということで、メンバーは、
池田大作創価学会インタナショナル会長・創価学会名誉会長、
池田かね同夫人、池田博正同子息、創価学会副青年部長。
これは、何か奥さんと家族ぐるみで訪問をするから、・
外務省の官房長によろしく頼むと言っているんですね。
URLリンク(kokkai.ndl.go.jp)

67:名無しさん@1周年
19/03/11 04:56:10.47 kHVDwCRW0.net
>>220 >>221 >>222 >>223 >>224 >>225 >>226
日本式朝鮮朱子学を導入した林羅山の林家は徳川幕府に長きにわたり仕え身分差別制度を促進した
身分統制令を発した豊臣秀吉も藤原惺窩を用いたため、徳川家康より秀吉が先に朝鮮朱子学を導入したとの説もある
URLリンク(ja.wikipedia.org)上下定分の理
その羅山が打ち出したのが「上下定分の理」である。羅山は寛永6年(1629年)に著し
た自著『春鑑抄』[注釈 4]において、「天は尊く地は卑し、天は高く地は低し。上下差別
あるごとく、人にも又君は尊く、臣は卑しきぞ」と記している。
羅山によれば、天が上にあり、地が下にあることは時代の転変いかんによらない絶対不変
の天理なのであり、それは君臣、父子、夫婦、兄弟などあらゆる人間社会の上下関係[注釈 5]
をも貫くものである。そして、士農工商の身分秩序もまた、天理によるものであるから不変不滅
なものである、と述べる[1]。朱子学の理気説にあっては、「理」とは本来万物のなかに存在し、
万物を存在たらしめる根源・原理である[4]。したがって、それは人間社会のなかにもあって、
人間関係を秩序づける原理・法則として機能する、と羅山はとらえたのである[4]。
そして羅山は、上述の『春鑑抄』において、国をよく治めるためには「序」(秩序・序列)を
保つため、「敬」(つつしみあざむかない心)と、その具体的な現れである「礼」(礼儀・法度)
が重要視されるべき、と説き、とくに身分に対して持敬(心のなかに「敬」を持ち続けること)
を強調した(存心持敬)。羅山は、宇宙の原理である理をきわめれば、内に敬、外には礼とし
て現れると説き、敬と礼が人倫の基本であり、理と心の一体化を説いたのである(居敬窮理)[2][注釈 6]。
林羅山は、江戸幕府の徳川家康・秀忠・家光・家綱の将軍4代に仕え、その侍講として儒書や
史書を講じて幕政にも深くかかわった。その活躍は、『寛永諸家系図伝』『本朝通鑑』など
の伝記・歴史の編纂、「武家諸法度」「諸士法度」などの撰定、外交文書の起草、朝鮮通信使の
応接など多岐にわたっている[5][注釈 7]。また、かれの努力によって朱子学は幕府の「正学」
[注釈 8]とされ、かれの子孫は林家として代々朱子学を講ずる家としてつづいた[3][注釈 9]。

68:名無しさん@1周年
19/03/11 04:56:13.85 NV4TenFC0.net
天皇制のない国でも性差別をはじめ様々な差別が横行しているから
>>1は論理破綻している。

69:名無しさん@1周年
19/03/11 04:56:16.47 c96RS88H0.net
日本でキリスト教徒が少ない理由の1つはチョンが多くてイメージ最悪だからだろうなw
トンイル教会とかあるし

70:名無しさん@1周年
19/03/11 04:56:25.99 6Afb17sc0.net
何が何でもブロッキングを法制化したいドワンゴ川上量生。
違憲であり、なおかつ、
既存法でも対処できることが証明されたのにもかかわらず、
いまだにブロッキングにこだわる川上。
しかしよく考えたら、
ドワンゴには、護憲派で知られる創価学会の
星野康二という取締役がいるではないか。
しかもこの人、池田先生マンセーだから、
きっと護憲派に違いないのだ。
そう、彼ならなんとかしてくれる。

なんて思ってる人は、外務省のあの話を思い出してみょう。
そう、憲法20条にひっかかったアレである。

71:ちんぽう次郎
19/03/11 04:56:30.93 7jWA33tq0.net
まずおまエラが不可逆的に霊的に馬」変わったらな

72:名無しさん@1周年
19/03/11 04:56:37.97 kHVDwCRW0.net
>>230 >>231 >>232 >>233 >>234 >>235 >>236
日本とは戦争をするよりも、戦争継続のための資源を干上がらせて
大陸から撤退させるというのがドイツとの戦争を目指した勢力(ユダヤ人が筆頭)を除いた戦前のアメリカ側の見立てだ
あえて戦争を仕掛けたのに自国の無力を嘆き悲しみ、敵国に対し道徳と情けを求めるくらいなら、はなから
世界最強国に戦いを挑むなんて考えなければよかった
そもそも1942年には鬼畜米英なりを言い始めた朝日新聞・軍部等が、情け容赦のない相手


73:だからと負け戦に国民を引きづりこみ玉砕自殺を強要するのは喜劇そのものだ 最後は無様な命乞いで終わったが、より悪いシナリオもあり得た 脳なしが描く儒教パターリズムが産んだ悲劇だが、いまだに道徳的勝利と中庸を追求し負け犬が戦争の正義と聖戦を主張して 泣き喚いたところで虚しいだけだ https://ja.wikipedia.org/wiki/日本の分割統治計画 三ヶ月目からは、米軍を撤収させ、各国軍に占領させる。 ソ連:北海道、東北地方。 アメリカ:本州中央、関東、信越、東海、北陸、近畿。 中華民国:四国。 イギリス:西日本(中国、九州)をそれぞれ統治 東京は四カ国共同占領。 ソ連や中国の脅威によって、アメリカの戦後政策は共産主義の駆逐にシフトしたため日本を3分割、4分割する ような事態にはならなかった



74:名無しさん@1周年
19/03/11 04:56:44.87 V9PQ10Os0.net
キリスト教徒なのに聖書も読んでないのか?
女もLGBTも全否定しているのは聖書だぞ

75:名無しさん@1周年
19/03/11 04:56:59.77 kHVDwCRW0.net
>>240 >>241 >>242 >>243 >>244 >>245 >>246
中国共産党と精神同レベルの愛国火病は朝鮮朱子学に先祖帰りをして攘夷活動中らしいが、誤りに気づけ無いなら過去の王朝と同様に自滅するだろう
URLリンク(ja.wikipedia.org)攘夷論
一方、国学の発展によって、日本は神国であるというナショナリズム(神国思想)が次第に力
を増し、勤皇思想(尊皇論)もまた力を得ていたが、これが現実の外国勢力の脅威下で攘夷論
と結びついて尊皇攘夷論が形作られた。尊皇攘夷の思想は、特に 嘉永6年(1853年)の黒船来航
(マシュー・ペリーの来航)によって開港された後、日米修好通商条約締結反対を主張する反幕勢力
の思想的支柱となり、鎖国を維持しようとする諸藩の下級志士や公卿たちによって支持された。
そして、開国後から明治維新直後にかけて攘夷思想による外国人襲撃・殺害事件が頻発する。
しかし、文久3年(1863年)に薩摩藩が攘夷を実行した薩英戦争や同時期の長州藩による下関戦争
は日本側の大敗北に終わり、外国艦隊との間の圧倒的な軍事力の差に直面したことにより、鎖国政策
の維持に固執した攘夷論に対する批判が生じた。

76:名無しさん@1周年
19/03/11 04:57:06.53 6Afb17sc0.net
(´・ω・`)「いじめっ子へのネットいじめは、公明党が対策してくれたから安心してやれたYo!」
「青年よ、仏敵を打ち砕け。学会迫害の悪人は厳罰で野たれ死ぬまで攻め抜け」(聖教新聞)
URLリンク(iwiz-chie.c.yimg.jp)

”脱会者は自殺に追い込め” 脱会めぐり嫌がらせ 学会側は否定 熊本市
URLリンク(www.beach.jp)

77:名無しさん@1周年
19/03/11 04:57:22.09 kHVDwCRW0.net
>>250 >>251 >>252 >>253 >>254 >>255 >>256
朱子学もこじらせると、関連性のないものに「身分を発見する」
例えば自称愛国保守なるものは、まだ冷戦時代の人口増加と共産主義に対抗するためのアメリカの同盟国優遇政策
によって日本が強かった時期に国勢を自らの身分・序列として錯覚した手合も含まれるだろう
まともな思考回路と一貫性をもつのであれば国の競争力が落ちるなら、落ちぶれたと考えるはずなのだが
自称愛国のように朝鮮朱子学をこじらせると、この身分・序列なるものが落ちることを決して認めなくなる
一種の没落士族のような末期的精神状態にあると言えるだろう
脳が「タコつぼ」にとどまる危険な兆候であり、自己客観視ができなくなり、冷静な分析能力を司る
脳領域は壊死し、情動のみに支配され、脊髄反射的に反米と反キリスト教を唱える
国の競争力は個々の人間が向上心をもって専門を磨かなければ上がるわけもないが、そうした努力を完全に放棄し
裏道を正統と錯覚し、努力など全くせず一方的な道徳的勝利に絶頂の喜悦を覚えるカルトだ
事実を直視することを放棄するのは、朝鮮朱子学に多い傾向がある
大嫌いなはずの朝鮮人に洗脳されて愛国火病・愛国自慰を発病すると、事実ではなく妄想の方が重要となるのだろう

78:名無しさん@1周年
19/03/11 04:57:35.88 6Afb17sc0.net
(*´ω`*)「ああ先生!師弟にもっと頑丈な鎖と絶望をお与え下さい!」
(・∀・)「師弟不二のためには、絶望の行き渡る国にしないといけないよ。」
(*´ω`*)「中国が攻めてきたら城門を開いて歓迎しましょう。 
      そうすれば日本も、北朝鮮みたいになりますね。」  
(・∀・)「世界平和を阻む者は仏敵!ぬっ殺してよし!」 
(*´ω`*)「しかし先生。これからは独居老人が増えます。 
      年金暮らしで身よりもないなら、奴らは無敵です。」 
(・∀・)「じゃあねぇ、それなら、年金、社会保障、ぜんぶ下げて、
     もっともっと追い込んじゃおう。」 。
(*´ω`*)「さすが先生。アタマ良過ぎでしゅぅ。」
中国の自治区のなう。↓
URLリンク(twitter.com)
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79:名無しさん@1周年
19/03/11 04:57:48.58 kHVDwCRW0.net
>>260 >>261 >>262 >>263 >>264 >>265 >>266
日本が弱体化しているのは向上心を持たず、専門を磨く努力もせず
ひたすら根拠もなく日本人の優越思想、日本中華主義・日本型華夷思想を説く連中がいる
尾崎秀美のような立派な愛国反米保守の極左・極右として日本解体に励んでいる反米選民主義者からすると
容易にコントロールできる連中も含まれるだろう
愛国心と馬鹿の一つ覚えを連呼する朝鮮朱子学に洗脳された連中であり
日本の先行きに一切ビジョンもなく、ひたすら念仏のように日本中華主義を繰り返す
冷静な自己分析ができない点は、慰安婦連呼と同レベルの幼稚さだ
だが無能なだけでなく反米、反キリスト教をこじらせており、アメリカやキリスト教のことになると
朝鮮人に変貌する
有事の際のリスクは計り知れないために駆除されるだろう

80:名無しさん@1周年
19/03/11 04:58:08.36 kHVDwCRW0.net
>>2


81:70 >>271 >>272 >>273 >>274 >>275 >>276 反米愛国カルトは朝鮮朱子学の亜種のため精神的には韓国と同レベルの火病持ちだ スペイン商人の奴隷貿易を21世紀でも持ち出すのであれば、原爆やシベリア連行は1000年恨むだろう キリスト教国とキリスト教は16世紀よりはるかに強大になっているというのに、頭の中がいまだに中世・近世の勢力図に囚われているのも滑稽だ もはや海が国を守ってくれる時代ではないのに、5世紀も前の勢力図から脳がアップデートできておらず、情勢変化を直視することを頑なに拒否する 自衛隊の研究では日本列島の防衛には同盟国は必須だ 地図を見れば分かるが、日本に隣接しているロシア、中国、北朝鮮は同盟国どうしだ 韓国も信頼ならないし、北朝鮮の核をアメリカが認めて撤退すれば赤化統一する可能性もある フィリピンも将来的に中国の圧力に屈して、露中と同盟する可能性もある (キリスト教化したロシアについては自己改革を促す方針であり滅ぼす対象からは外れる) 現代の日本のような立地で孤立していれば、中国一国の通常戦力でさえ持て余す 中国には、中国を一度でも侵略した国家は中国の一部になるという思想がある 中国に支配されれば圧倒的な人口数を背景に漢民族が移住し、日本人の土地や資産は全て漢民族が所有することになり、現地の一部族である日本人は文字通りの奴隷となるだろう (清王朝が滅亡した際に女真族が中国で虐殺された故事もある) 中国が日本を侵略するのであれば戦闘機の補給線を狭め、滞空時間・航続距離を長くするために、五島列島、沖縄から徐々に侵略し九州に上陸するだろう また島国である日本は潜水艦や機雷による海上封鎖に弱く、文字通り経済は壊滅状態になり長期的な戦争継続は不可能だ 中国はロシア等の伝統的な同盟国から資源や支援を得られるだろうし、ロシアも日本が不利と見るや北海道や東北、関東に進軍するだろう それで中国やロシアと戦いたいから同盟を組みたいと日本がオファーして受けいれてくれる国は存在するのかという問題が残る そんな国は自由主義国のリーダーであるアメリカ以外に存在しない



82:名無しさん@1周年
19/03/11 04:58:18.26 6Afb17sc0.net
日本人の約0.6%が信じているとされる「牧口価値論」について説明してあげよう。
「利・善・美」

これだけきくと、何だかいいことずくめのようにも思える、が、
この言葉の元ネタである偉大な哲学者カントの言葉はこうである。↓
「真・善・美」


83:名無しさん@1周年
19/03/11 04:58:23.55 acCwNceE0.net
>>44
マクロ荒らしが放置されてるのってそういうことか

84:名無しさん@1周年
19/03/11 04:58:25.85 WSCV2hD30.net
東京スタンピード宣伝しまくってる寒河江伝説くんが連投コピペ始めたら
「ああ、また仕事入ったんだな」と思うね
いくらもらってるのか知らないけど

85:名無しさん@1周年
19/03/11 04:58:30.07 42Q9/BA10.net
日本ほど宗教や言論に寛容な国はないというのに。

86:名無しさん@1周年
19/03/11 04:58:33.20 kHVDwCRW0.net
>>280 >>281 >>282 >>283 >>284 >>285 >>286
イザナギの逃走秘話には小便をして川を作り「小便大河」によってイザナミを阻もうとしたとされる�


87:烽フも含まれる 日本の神話・伝説やらを調べた連中は、新生児殺しや、小便や大便の子孫(金山彦?ミヅハノメ?) と考えるのは嫌だったので、古来からそっと記憶を封印(禊?)していたと想像する 天皇家だけでなく、数千年間の血の攪拌によって日本人もイザナギ・イザナミの子孫と言えるため 日本人の先祖の中には直系ではないものの大便や小便、嘔吐物から生まれたものがいたと類推できる ベルギーの小便小僧は爆弾の火消しをした英雄らしいが、大人が小便大河で妻の霊と配下のモンスター軍団から逃げ切ろうとしたという挿話が記憶から消去されたのは致し方ない部分もある 神道が先祖霊信仰であるのに仏教と習合し、さらに儒教、そして明治に朝鮮朱子学と取り入れていったのは、ある意味では教義が開放的であったとも言えるが、裏を返せば古代・中世の日本人は割り切っていた部分があったと考える https://ja.wikipedia.org/wiki/イザナミ 火の神軻遇突智(迦具土神・カグツチ)を産んだために陰部に火傷を負って病に臥せのちに亡くなるが、その際にも尿や糞や吐瀉物から神々を生んだ。 そして、カグツチはイザナギに殺された。 https://ja.wikipedia.org/wiki/イザナギ アマテラスやスサノオ等多くの神の父神であり、神武天皇の7代先祖とされている。




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