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八鹿高校事件 - Wikipedia
八鹿高校事件(ようかこうこうじけん)は、
1974年11月22日、兵庫県立八鹿高等学校で、
集団下校中の教職員約60名を部落解放同盟の同盟員が学校に連れ戻し
約13時間に渡り監禁、暴行し[20]、
教師48名負傷、内29名重傷、1名危篤となった事件。
刑事裁判では部落解放同盟の被告人13名が
拉致・監禁(致傷)・強要・傷害の罪で起訴され、全員の有罪が確定した。
民事裁判は3000万円の損害賠償判決で決着したが[21]
糾弾に荷担した兵庫県と県教育委員会は
被害者全員に謝罪し慰謝料を支払った。
解放同盟兵庫県連も21年間の遅延利息を含む慰謝料全額の賠償に応じたが、
判決については「差別弾圧判決」であると非難し、
現在も自らの非を認めていない[22]。