【昭和史】二・二六事件巡る3人の写真発見 発生100日前の天皇、鈴木貫太郎侍従長らat NEWSPLUS
【昭和史】二・二六事件巡る3人の写真発見 発生100日前の天皇、鈴木貫太郎侍従長ら - 暇つぶし2ch440:名無しさん@1周年
19/03/01 22:10:13.95 7Dh0BOrO0.net
>>402
明治維新という水戸朝鮮朱子学が巻き起こした狂騒は宮家や公家、門閥一族・宗族にとっては最初で最後の復権チャンスだった
葵の御紋の権威は維新戦争での敗戦で失われたが、菊の御紋や血筋で全ての欲望が満たすことができる時代は無様で悲惨な敗戦と共に終わった
門閥貴族の特権意識で戦後資本主義を生きるのは大変な困難だったろうが、それでも縁故資本主義の日本では何のバックもいない貧乏人に比べれば遥かに生きやすかったことだろう
しかしその門閥のアドバンテージも日本の豊かさの源泉であった技術競争力の低下によって経済が崩壊する見込みのある現在では無効となる見込みであり、従来の利権を守ろうとすればするほど
あらがいようのない運命・対流によって深い沼に引きずり込まれ徐々に落ちて、もがき苦しんで死ぬことになる
URLリンク(ja.wikipedia.org)水戸黄門
この講談話の始まりについては、一橋慶喜を将軍職に就けるため、父である水戸斉昭が裏で動いて、水戸徳川家は「天下の副将軍」であるという話を世間に広めようとしたのだという説がある。
しかしながら光圀が正すのは局所々における役人の不正であり、時には身分制度の掟で結ばれない恋人同士に粋なはからいを示すことなどはあるが、身分制度の矛盾を根本的に正す社会改革にまで踏み込んだ対応を試みようとすることはない。
印籠で平伏するような人間は今の時代いないし、存在しない権威を振り回して暴れたり、洗脳やビジネスツールとして低能を信じさせるための詐欺に使うのは本質的に退行であり、現実逃避に過ぎない
悔しいなら門閥・貴族の一族が本気を見せて日本の経済や競争力を回復させれば良いだけだが、そんな実力がないのは本人達が重々承知しているだろう
なぜ安定して繁栄してきた日本が不運に見舞われ、失敗し続け、衰退中かということだが、それは国民を家畜にしてきたからだ。自由と正義を自ら放棄するような国民は自ら考えることをやめて家畜化され、
上位者である無能で下劣な品性しかない門閥や宮家の残りかすである愛国自慰廃棄物を模倣する。二言目に忠君や国体を連呼するような無能体質が下の重層的身分階層に下方伝播・伝染するという至極当然な道理に過ぎない
つまり底辺まで腐りきった儒教的衰退と言える
皮肉なのはアメリカは真剣に日本人が自由を持ち人間としての尊厳を取り戻せるよう願っていたことであり、それが実現すれば門閥一族は一定の権威を保つことも可能だったかもしれないことだ
しかし所詮は飼いならされた家畜しか望まない儒教政府では限界があり、自らの無能という印籠紐によって首がしまって窒息寸前という実に同情が不可能な醜態をさらしているのが現在の状況だ
国難時の力の源泉は皇室や国体の失われた権威ではなく、優れた武器と金となる。それを誰よりも持っているのは言うまでもなくアメリカであり、日本がアカく染まって中国の属国となり日本の血の中国人化が進む前に
アメリカは介入するだろう

441:名無しさん@1周年
19/03/01 22:15:29.95 7Dh0BOrO0.net
○印籠で平伏するような人間は今の時代いないし、存在しない権威を振り回して暴れたり、洗脳やビジネスツールとして低能を信じさせるための詐欺に使う内質は幼児退行であり、現実逃避に過ぎない
○二言目に忠君や国体を連呼するような無能依存体質が下の重層的身分階層に下方伝播・伝染するという至極当然な道理に過ぎない

442:名無しさん@1周年
19/03/01 22:23:39.91 7Dh0BOrO0.net
>>402
皇室が現状の実質的(教義が排泄物誕生説の稚拙な土民酋長の選択では宗教と認められない)無神論からキリスト教に改宗することは、国難・危機時において
皇室の命綱であり、それによって皇室が生まれ変わり古代王権神授の名目と、象徴としての名分を更新するための必要条件と言える

443:名無しさん@1周年
19/03/01 23:32:44.16 7Dh0BOrO0.net
>>415
力と血の理論による軍事クーデターによって反キリスト教・反自由主義者を駆除してから、キリスト教を受け入れさせることで、皇室と現皇族を自由主義(自由と正義)の象徴となれるだろう(水戸学国体の幼児妄想から皇室は脱皮させねばならない)
品性下劣で野卑であり品格欠如の俗悪神が登場するために学校では教えられない日本神話を知れば、排泄物の神達が生殖し、犯罪し放題の暴れん坊(自称)神の子孫がいる島国の土人習俗・因習のために数百万人が死んでいったことに無知だった連中は驚くだろう
過去の失敗の学習能力があるのであれば繰り返すわけはないが、日本には今だに中世儒教土人が住み着いているようで、こうした連中は成長がみられないなら精神レベルが同じ隣国に国外追放をするか、殺処分しか処理方法がないだろう
共産主義者が資産の平等と主張するなら脊髄反射で詐欺と批判するのは理解できるが、普通の学生やまともな学者が法の下の平等や自由主義国家の常識である人権を語るだけでもチョンとか共産主義者と
レッテル貼りをするような連中がいることで、まだ日本に儒教土人が多くいることが確認でき、その中に自称特権階級がいたことは意外な発見と言える
日本国憲法第14条
すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。
旧門閥貴族・旧皇族の平民の中に、いまだに身分や血筋、性別や出身で特権があると主張したり、人間を分類して差別するような連中が一部いるが、これの幼稚さに気づけない点で精神修養の余地は多いにあるだろう
向学心の無い血筋しか誇れるものがいない劣等感の持ち主だから改善はおそらく見込めないから精神修養は無駄かもしれないが、それでも魂が生まれ変われる可能性はゼロではない
身分差別のない法の下の平等とは恩恵であり、これを罵ったり男女同権を制定したGHQに呪詛を吐くようでは、日本神話に出てくる生活廃棄物の自称神と大して変わらない古代の土人酋長の幻想と過去の栄華にいまだに生きているということだ
現行憲法の法の下の平等、身分・性別・その他差別の禁止、貴族の禁止をどうしても受け入れられないなら、朝鮮朱子学を奉じるお隣の国にいけば良いのだが、儒教土人の自称門閥一族の国外出奔を誰も止めはしないだろうし二度と返ってくる合理的必然は現行憲法の日本にはない
日本中から煙たがれも、どうしても日本に住みたいなら、未来は決して低能中世土人に優しくないことを理解すべきだろう

444:名無しさん@1周年
19/03/01 23:33:22.43 7Dh0BOrO0.net
○力と血の理論による軍事クーデターによって反キリスト教・反自由主義者を駆除してから、キリスト教を受け入れさせることで、皇室と現皇族は自由主義(自由と正義)の象徴となれるだろう(水戸学国体の幼児妄想から皇室は脱皮させねばならない)

445:名無しさん@1周年
19/03/01 23:38:21.88 7Dh0BOrO0.net
○向学心の無い血筋しか誇れるものがいない劣等感の持ち主だから改善はおそらく見込めず精神修養をしても無駄かもしれないが、それでも魂が生まれ変われる可能性はゼロではない

446:名無しさん@1周年
19/03/02 00:05:57.40 0CwM8X0e0.net
ヴィルヘルム2世読むと、
WWI「こんなに用無しなら、ドイツに帰った方がましだ」
「参謀本部は何も話さないし、何も尋ねない、
もし私が作戦を指揮しているとドイツで考えるものがいるとすれば
飛んだ見込み違いだ。
わたしはお茶を飲んで、木を伐って、散歩をする、
時折あんなことやこんなことがあったと、報告を受けるがすべて
将軍たちの都合いいことだ。」
ただし潜水艦無差別攻撃に関しては、ヴィルヘルムが反対した、
政府宰相ベートマン、外務省がアメリカの参戦を決定づけると反対して、
ファルケンハイン陸軍参謀総長、ティルピッツ海軍大臣が
イギリスを降伏させるために必要だと推進し、
政府、大本営で意見がまとまらなかったから、ヴィルヘルムに
伺いを立てた。

447:名無しさん@1周年
19/03/02 03:15:52.37 zdkKQ/FA0.net
>>416 >>940 >>941 >>942 >>943 >>944 >>945
明治維新の前哨戦において薩摩藩は勅令と軍を使い幕府老中の(殺害)脅迫・強要をして要求をのませたという(文久の変)
さらに小御所会議では優勢な論を展開した山内容堂に対して殺害をほのめかして�


448:ルらせた。この当時、勅令・勅書はヤクザ顔負けの強引で理不尽な要求を 押し通すための恐喝・脅迫に使用された小道具だったが、長州は平気で朝敵・賊軍となり戦争を継続し薩摩も裏で強力をしているため勅書など全く意にかいしないものが多くいたということだ 今なら勅書など発行しても銃弾・爆発物で消し飛ぶ、頑張って劣化楠正成を探そうとしても勅書程度に自らの人生を振り回され、生命の危険のリスクをとるのは相当な知恵遅れだけだろう 科学的軍事理論を学んだ連中に勅書などは到底通用する理屈ではなく、血統世襲理論で印象は最悪になるので効果はむしろマイナスとなる 山内容堂や老中の例でも分かる通り武家の名門・門閥一族は自らの命が危機に瀕すると見るや下級武士の脅迫に対してあっけなく屈する腰抜ばかりで、名門の誇りもあったものではない 薩摩藩と長州藩の強さは青白い顔の名門では思いつきさえしない、下級武士ならではの脅迫や暗殺、テロを平気でやってみせる決断力と実行力にあった つまり薩長の物理的脅迫は現代でも十分に通じる表現方法だということだ だが薩長の下級武士も道徳面では特権に安住して腐敗しきった公家よりはおそらくマシだった。そして没落する上級武士を横目に下級テロリスト武士が栄達し実権を握ったのは 武士どころか下民出身の伊藤博文と山県有朋という有様だった https://ja.wikipedia.org/wiki/猪熊事件 公家衆乱行の発覚 左近衛権少将・花山院忠長は、ある時後陽成天皇の寵愛深い広橋局(武家伝奏・大納言広橋兼勝の娘)に懸想した。 そこで宮中深くまで出入りを許されていた歯科医の兼安備後(妹の命婦讃岐も宮中に仕えていた)に仲介を頼んで文通を始め、 それをきっかけとして二人で逢瀬を重ねていた。その話を漏れ聞いた猪熊は、俄然興味を持ち、かねてから懇意の飛鳥井雅賢 をはじめ、言葉巧みに他の公卿・女官をも誘い出し、様々な場所で乱交を重ねることとなった。 しかし、このように大人数の乱行が発覚しないわけはない。飛鳥井には恨みを含む女性がいた



449:名無しさん@1周年
19/03/02 04:20:33.40 zdkKQ/FA0.net
>>289 >>290
生瀬騒動では400人程度を無差別に皆殺しにしたとの伝承が残る。つまりこの程度では公的記録に残らないというわけだが、これを「大日本史」は藩史に書けないところが
朱子学朝鮮坊侍達の限界と言える。不祥事を隠蔽したら、失敗を繰り返さないための分析と進歩もないわけで、これでは都合の良い情報だけを収集するいかさま考証と言われても反論できないだろう
水戸藩はその他にも農民に対する秘密警察なみの監視をしたり、徳川光国から想起される水戸藩のイメージからはかなり逸脱する
朝鮮朱子学による神道の改造によって作文された国学によって水戸藩は廃仏毀釈の先駆者となった。天狗党の乱以前から藩内は些細なことや家格の差で
内ゲバをしている。天狗党の由来は成り上がり者が生意気という意味らしいが、徳川


450:斉昭を擁立した下士派となっている主なものは儒学者である藤田・会沢を除き血筋は上士以上の没落士族もいるため 藩内序列と朱子学序列による特権意識マウンティング合戦が起きていた可能性もありそうだ https://ja.wikipedia.org/wiki/水戸藩 1607年(1602年、1615年とも)の秋に、小生瀬村(現:大子町小生瀬)で、年貢を巡る農民と藩役人の行き違いにより、 藩が小生瀬村の住人を皆殺しにする事件が起こった(生瀬騒動)。藩の役人が年貢を取りに来て農民は納めたが、また 別の役人が年貢を取りに来たこと(年貢の二重取り)に対して怒った農民たちが、後から来た役人を偽物と判断してその一人 を殺害した。これに対し10月10日、蘆沢信重が藩兵を出兵させて生瀬村の農民を皆殺しにしたという。この事件に関しては、 藩の公式記録には一切触れられず、伝承と関連した地名が残るのみである。 https://ja.wikipedia.org/wiki/結城朝道 かつて朝道によって失脚させられた斉昭や改革派の恨みは凄まじく、彼らがやがて復権を遂げると、嘉永6年(1853年)10月16日に 朝道は拘禁されることとなった。やがて朝道は水戸藩の支藩の筆頭・高松藩の藩主で、幕府内においては譜代大名の井伊直弼ら保守派 との関係が深い松平頼胤が宗家の家督を欲しているのを知り、慶篤を暗殺して頼胤を藩主に迎えようと画策した。しかし計画は露見し、 その3年後に死罪に処せられた。享年39。子・種徳も拘禁され、絶食のために獄死した。



451:名無しさん@1周年
19/03/02 04:42:52.53 7IUec74w0.net
>>15
今でも近い事してるよね
日本も平和ボケ酷すぎるな。

452:名無しさん@1周年
19/03/02 10:16:18.78 yNZj/Kw/0.net
決起将校「国家作新のため推参仕った。閣下、昭和維新断行のため、お命頂戴」
鈴木貫太郎「話せばわかる。まず靴を脱がんか。官姓名を名乗りなさい。安藤大尉は居らんのか」
決起将校「もう待てない」 ズドーン

453:名無しさん@1周年
19/03/02 10:27:32.25 maLohvvX0.net
>>1
なんで元号で言わないんだ?
日本の話なのに

454:名無しさん@1周年
19/03/02 13:04:37.31 zdkKQ/FA0.net
>>421
水戸藩の佐幕派は門閥で、尊皇攘夷派は下級武士という説があるが、これは血筋とは無関係の水戸藩における家柄のことであり
(儒者を除外した)正統な血筋による序列主義を重んじる朱子学においては、血筋・血統マウンティング抗争が発生する余地は十分にあった
尊王攘夷派
https ://ja.wikipedia.org/wiki/田丸稲之衛門
田丸氏は村上源氏の名門北畠氏の庶流である。田丸氏は、戦国時代初期の伊勢守護・北畠政郷の四男・顕晴が度合郡田丸城に入り、田丸の苗字を称したことにはじまる。
https ://ja.wikipedia.org/wiki/武田耕雲斎
武田耕雲斎の家系は清和源氏のひとつ、河内源氏の傍系である跡部氏の一族であるという。
武田金吾 耕雲斎の七男。慶応元年(1865年)3月25日、水戸で斬首。享年3。靖国神社合祀[4]。
https ://ja.wikipedia.org/wiki/戸田忠太夫
清和源氏の一門にて河内源氏の棟梁・鎮守府将軍・源義家の七男・源義隆(陸奥七郎義隆)を祖とする。
https ://ja.wikipedia.org/wiki/安島帯刀
本姓は藤原氏。家系は贈正二位鎮守府将軍・藤原秀郷を祖とする安島氏。
戸田三右衛門忠之の次男に生まれ、母方の叔父・安島彦之允信順の養子となった。三河譜代の名門戸田氏の嫡流・戸田松平家の分家の出自であるが、佐竹氏旧臣の血筋である母方・安島氏の家督を継いだ。
https ://ja.wikipedia.org/wiki/里見四郎左衛門
四郎左衛門の祖は清和源氏新田氏流里見氏の一族の里見義成の四男・義直を初代とする家系である。
佐幕派
https ://ja.wikipedia.org/wiki/市川弘美
水戸藩士・市川弘教(1000石)の二男として生まれる。弘教の長男・弘業の死去後の1843年に家督を相続。
水戸藩名門
https ://ja.wikipedia.org/wiki/小田氏
小田氏は鎌倉時代、源頼朝に従って功績を挙げ、常陸守護に任じられた藤原道兼の玄孫、八田知家(八田太郎、宇都宮宗綱の子)を祖とする。
https ://ja.wikipedia.org/wiki/結城朝道
本姓は藤原氏。家系は鎮守府将軍・藤原秀郷を祖とする小山氏の同族・結城氏の血筋。

455:名無しさん@1周年
19/03/02 13:33:50.39 zdkKQ/FA0.net
ことわざ辞典@kotowazajiten0
■家柄より芋茎
落ちぶれて実力もないのに、旧家、門閥といった家柄を誇るのをあざけったことば。

456:名無しさん@1周年
19/03/02 15:19:30.68 zdkKQ/FA0.net
>>426
後醍醐天皇が重用した文観の真言立川流はオウムや後期密教の教義に近いとする説もあり弾圧され消滅した
公家・武家による無礼講(乱交)や破戒僧による無礼講という乱行騒ぎであり、立川流のタントラの実体を問わずとも猪熊事件や花園天皇宸記から朝廷の腐敗・腐臭は十分に推測できる
日本神話の乱痴気騒ぎと一致する点においても、朝廷や京が必ずしも道徳の府でなかったことが分かる
https ://kotobank.jp/word/無礼講・不礼講-2080806
花園天皇宸記‐元亨四年(1324)「不レ着二衣冠一、殆裸形、飲茶之会有レ之〈略〉此衆有二数輩一、世称レ之無礼講〈或称二破礼講一〉之衆云々」
太平記「能く能く其の心を窺ひ見ん為に、無礼講(ブレイカウ)と云ふ事をぞ始められける」
https ://ja.wikipedia.org/wiki/密教
https ://ja.wikipedia.org/wiki/無上瑜伽タントラ
後期密教
中期密教ではヒンドゥー教の隆盛に対抗できなくなると、理論より実践を重視した無上瑜伽タントラの
経典類を中心とする後期密教が登場した。後期密教では仏性の原理の追求が図られ、また、それに伴っ
て法身普賢や金剛薩埵、持金剛仏が最勝本初仏として最も尊崇されることになった。
また、インドにおいてヒンドゥー教シャークタ派のタントラやシャクティ(性力)信仰から影響を受け
たとされる、男性原理(精神・理性・方便)と女性原理(肉体・感情・般若)との合一を目指す無上瑜
伽の行も無上瑜伽タントラと呼ばれる後期密教の特徴である。男性名詞であるため男尊として表される
方便と、女性名詞であるため女尊として表される智慧が交わることによって生じる、密教における不二
智[注釈 20]を象徴的に表す「歓喜仏」も多数登場した。無上瑜伽タントラの理解が分かれていた初期の
段階では、修行者である瑜伽行者がしばしばタントラに書かれていることを文字通りに解釈し、あるい
は象徴的な意味を持つ諸尊の交合の姿から発想して、女尊との性的瑜伽を実際の性行為として実行する
ことがあったとされる。そうした性的実践が後期密教にどの時期にいかなる経緯で導入されていったか
についてはいくつかの説があるが、仏教学者の津田真一は後期密教の性的要素の淵源として、性的儀礼
を伴う「尸林の宗教」という中世インドの土着宗教の存在を仮定した[23]。後にチベットでジョルと呼
ばれて非難されることになる性的実践[24]は主に在家の密教行者によって行われていたとも考えられて
いるが、出家教団においてはタントラの中の過激な文言や性的要素をそのまま受け容れることができな
いため、譬喩として穏当なものに解釈する必要が生じた[25]。しかし、時には男性僧侶が在家女性信者
に我が身を捧げる無上の供養としてそれを強要する破戒行為にまで及ぶこともあったことから、インド
の仏教徒の間には後期密教を離れて戒律を重視する部派仏教(上座部仏教)や、大乗仏教への回帰もみ
られた。

457:名無しさん@1周年
19/03/02 18:23:19.93 aQ2ynP400.net
青年将校たちは天皇の取り巻きが悪いやつらでそいつらを倒せば天皇は自分たちがめざす
より公正な社会にしてくれるはずだと思ったのかもしれないけど
天皇が腐敗の親玉だったっていう悲しいはなしだね
天皇は国民から絞りとったお金で日本一の金持ちだからね

458:名無しさん@1周年
19/03/02 18:30:27.80 aQ2ynP400.net
軍部の上層部ですら困窮して事件を起こした青年将校に同情的だったのに
困窮する青年や困窮する農村のことを一番なんとも思ってなかったのが昭和天皇ってね
事件が失敗したことで青年将校がめざしたより公正な社会の実現だけが置き去りにされて
天皇と政財界と軍部の一番汚いところが結びついて国民により苦しみを強いた戦争へ突き進んでいったのでした

459:名無しさん@1周年
19/03/03 00:25:47.98 fplGGpde0.net
>>428
そうそう。
結局、鉄砲玉だったんだよね。

460:過去ログ ★
[過去ログ]
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています


最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch