19/02/18 19:24:05.69 rzIb1ylA0.net
>>923 >>924 >>925 >>926 >>920 >>921 >>922
中庸なる思想は、マルクス・エンゲルスの史的唯物論の弁証法におけるアウフヘーベンに該当する儒教理論といってよいだろう
疑似科学的な思考停止という点は双方に共通する
マルクス疑似科学を否定するのであれば、朝鮮朱子学の中庸も否定すべきだろう
日本の朝鮮朱子学にそまった愛国火病カルトがマルクス主義者や朝鮮人とそっくりな理由は儒教の反分析的、疑似科学的な
論拠を基礎とするために、一致する部分が多いというのはあるだろう
一部の企業の衰退には中庸の誤用・誤解釈に大きく左右されている可能性もあり、中庸の害悪は計り知れない
誰もが争って中庸に偏る状況に、そもそも中庸などありえない。「対」が何かを冷静に議論することさえ
抑圧するからだ。対がないなら「中」は消滅し、自ずと中庸も無くなる
すると上下関係と徳治主義が幅をきかせ、ひたすら中華皇帝の権力がつなげるように願うかのように
徳のあるもの(地位のあるもの、身分が高いもの)が保身し、馬鹿の一つ覚えのように万歳突撃させて
人材不足になる軍事組織やヤクザ組織のようになる
徳のある上司(参謀本部と陸軍省)を無思考で(時には体罰などの恐怖によって)忠実に支える部下達という構図になっていく
マルクス主義・国家社会主と儒教が悪政を行う歴史の一つにこうした対を許さない独善的な政治収束がある