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朝鮮の教育史
李氏朝鮮では、1895年近代教育制度が始まった。
日本の保護国となった(1897年)
初代統監として着任した伊藤博文は
李氏朝鮮時代に全国で小学校が40にも満たない実情を見て
大韓帝国の官僚を集めた席で「あなた方は一体何をしてきたのか」と叱責し、
朝鮮半島での学校建設事業を最優先してすすめた
そのため1906年(光武10年)には韓国統監府より普通学校令が公布され
朝鮮人を対象とする第一次「朝鮮教育令」を公布(1911年)して普通教育を進めた。
李氏朝鮮時代には一般人(特に女子)を教育する機関はなく、
7割程度の朝鮮人が読み書きができず、また朝鮮では漢字が重視されハングルは軽視され教育されることはなかったため
ハングルを必修科目とした日本の教育により、朝鮮民衆にハングルが広まったとも言われる。
恩人である博文公を殺した韓国人! z
■韓国皇帝の言葉
伊藤を失った事で、東洋の偉人がいなくなった。
伊藤は我が国に忠実と正義の精神で尽くしてくれた。
自分の骨を長白山に埋める覚悟で、韓国の文明発達に尽くすと言っていた。
日本に政治家はたくさんいるだろう。
しかし伊藤のように国際政治を理解し、東洋の平和を祈った者はいない。
本当に伊藤は韓国の慈父だった。
その慈父に危害を加える者があるとすれば、物事を理解できない流浪人だろう。
10月27日 韓国皇帝(高宗)
「韓日合邦を要求する声明書」
日本は日清戦争を通じて韓国を独立させ、日露戦争でロシアに食われかけていた韓国を救ってくれた。
それでも韓国はこれをありがたく思うどころか、あの国にくっつき、この国にくっつきし、結局は外交
権を奪われることになったが、これは我々が自ら招いたことである。丁未条約を締結することになった
のも、やはりハーグ事件をおこした我々に責任がある。
伊藤博文公が韓国国民を見守ってくれ、太子を導いて我々韓国のためにご苦労されたことは忘れられな
い。にもかかわらずハルピンの事件がおきてしまった以上、こんごいかなる危険が到来するのかわからな
い。これもまた韓国人自らそうしてしまったのである。それゆえ劣等国民として保護されるよりは、いっ
そ日本と合邦し大帝国をつくって世界の1等国民として日本人とまったくおなじ待遇をうけながら暮らし
てみよう。1909年 12月4日一進会(百万の朝鮮人会員)