19/02/05 13:57:41.06 7GhH4H1f0.net
「意識」というもので考えた時に、「蟻」というのは共通意識のもとに
生きているわけである。群れという大きな目線で物事を見ていると。
人間は「個」という意識をもっているが、それは相対的なものであり実際には
存在しない。エゴと呼ばれるものは、共通意識、つまり大きな目線でものを
見ることの妨げになる。
今言われるような人間の進化というのは、人間の進化のようであって
人間自体の進化ではない。
まず文明の発展、これは大きな進歩とはいえるが「進化」とはいえない。
それにこれは仮に進化だとしても「道具の進化」でありヒトのものではない。
例として、反響定位と呼ばれるものがある。イルカやコウモリなどが使う、
超音波を使った反射音などを利用して位置を特定したり、
コミュニケーションに用いられたりするものである。
人間もソナーと呼ばれる超音波技術を用いて水上船舶や潜水艦から探知・測距など
が可能になっている。イルカやコウモリは目が退化する代わりに、
反響定位という形で進化したわけだ。しかし、人間の方は只の道具の進化である。
じゃあ人間は反響定位を使えないのかというと、音で世界を見ている人も
世界にはたくさんいる。これは盲目の人が使用している例があり、
進化ともいえるし適応ともいえる。これが人間の進化と道具の進化の違いである。
もう一つは、「知的進化」である。人間の考え方は時代の移り変わりとともに
変わってきた。しかし、これも「道具の進化」に合わせた「知的進化」
というだけのものである。それらが無駄だったとはもちろん思わない。
今までがあっての今であるし、全ては一つの流れだから。
しかし今、必要なのは「意識の進化」であり人間、それ自体、そのものの進化である。