19/01/27 08:43:20.25 ql8zAvE/0.net
>韓国で桁外れに偽証罪が多いのは、「誣告(ぶこく)」文化だからだ。
中国や韓国には、事実を偽り他人を罪に陥れる「誣告(ぶこく)」という概念があることを、
日本人は知らなければいけない。
>まさに小さな怒りを大きな恨みに仕立て上げ、過去の古い案件を新たに蒸し返し、
大げさに言うのが「誣告(ぶこく)」の手法である。
>「誣告(ぶこく)」という概念は、「虚偽の事実で訴える」ことである。
虚偽の申請、虚偽の訴えをして相手を貶めるという意味だ。
>●「伝統的に嘘つきだ」と理解した上で対する
>中国で教学の観念としてある「誣告(ぶこく)」という行為、
つまり意図的に事実を偽り、他人を罪に陥れるために告訴する、
ということは日本の文化に相いれないものだった。
>一方、中国や韓国では「同国人同士で「誣告(ぶこく)」し合ってきた長い歴史があり、伝統となっている。
それが日本に対して向けられたのが南京大虐殺であり、慰安婦強制連行であるということだ。
>さらに北村教授は朱子学には、「性即理」という基本原理があることを指摘する。
性とは人間の本性、すなわち主観的願望であり、その性に客観的世界を律する理が一体化することで、
自分たちの主観的願望に限りない客観性がもたらされる」という考え方である。
>それゆえ中国人や韓国人にとって、「誣告(ぶこく)」とは自らの主観的願望を客観的事実だと強弁することに同義だ。
主観的願望ありきだから、主観的願望が変われば、「誣告(ぶこく)」の内容も変わっていく。
>そして、「誣告(ぶこく)」や「避諱(ひき)」が韓国の恨の文化に結びついたらいったいどうなるのか、
火を見るより明らかだろう。
(>儒教の後継変種である朱子学に含まれている、「避諱」という教えがある。
避とは、都合の悪いことを隠す、という意味で現在も使われているそうだが、
もともとの意味は、「徳のある人間の過失を隠すことは尊い行為だ」という教えである)
(以上、★『日本よ、情報戦はこう戦え!』(育鵬社)URLリンク(www.amazon.co.jp)
より、抜粋引用、順不同)