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URLリンク(ja.wikipedia.org)八イツ
「其或繼周者。雖百世可知也。」と100世後のことでさえも予期できるという孔子だが
「或問「」之。子曰:「不知也。知其者之於天下也,其如示諸斯乎?」指其掌。」
と自分の専門分野である祭りについて、知っている者から問われると、そんなものを知らぬ、知ってるなら天下を操れると言い訳する孔子
「子入太廟,事問。或曰:「孰謂人之子知禮乎?入太廟,事問。」子聞之曰:「是禮也!」」
と 太廟の中での儀礼について知っているとの話しは明らかに嘘だと見抜かれて問い詰められると、知らぬふりをするが礼儀と開き直る孔子
議論をするものを小人と見下すがこの節に限れば揚げ足どりにすぎず、自らの無知を指摘するための非難を交わすための方弁に使っていると言えるし
そうでなくとも批判に正面から向き合わないのは不誠実だろう。相手を信用しない猜疑心も行き過ぎだ
むしろ上から目線で相手を試すことで無用なストレスを与えて気遣いがない
『史記』孔子世家によると孔子は天子になれなかったことを嘆きながら失意のもとで死んだとされる
弟子や他者に自らの批判をさせない姿勢や、議論から逃げる姿勢は、過度な自尊心とマウント的気質が自らの徳を弟子をして天子座位と同一視するまでに至ることに繋がる
孔子には、なまじ中年になってから出世できたからこそ、若き日と晩年(君主にさえなれると弟子から持ち上げられる)の落差によって様々にこじらせた感情があるという指摘がある