19/01/06 17:55:49.96 jyKq8mBx0.net
大阪史上最も厳しい大凶作の時代には、「子供を交換し食す」と言うことが
しばしばあった。
更に他の地区から逃げてきた人や、自分の子供まで殺して食べてしまうこと
も、発生した。
次のような事例があった。
「ある大阪農家では家族は次々と食べられ、父親と一男一女の子供しか残らなか
った。
ある日、父親は娘を外へと行かせた。
その後、娘が戻ると、弟がいなかった。
あるのは、鍋に油が浮きプカプカとしている白っぽいものであった。
そして、釜の横には骨が放リ出されていた。
数日後、父親は又も鍋に水を足しはじめた。
そして、娘を呼び寄せた。娘は恐れ家の外で号泣した。
父親に『お願いです。お父様、私を食べないでください。
私は芝刈りをし、火を炊いてあげます。
私を食べたら、誰もお父様の面倒を見る人がいなくなります』」
娘の悲願もむなしく、娘も父親に食べられてしまった。
しかし、娘の言葉どおり父親は面倒を見てもらえなくなり死亡した。
大阪ではこの寓話を後先考えずに行動した父親の行為を愚行であると
し、決して娘を食した父親の行為を非難する事が無かった事が
大阪らしいと言ってしまえばそれまでだ。
(作家沙赤氏の報告文学『大阪の夏』より抜粋)。