【憲政史上初】新元号、現天皇が改元政令を公布 天皇退位は約200年ぶりat NEWSPLUS
【憲政史上初】新元号、現天皇が改元政令を公布 天皇退位は約200年ぶり - 暇つぶし2ch191:名無しさん@1周年
19/01/06 11:44:55.53 lzjesv5I0.net
>>142 >>143
皇族復帰には皇族が不祥事や政変で臣籍降下した後に復帰した事例が多くある
臣籍に生まれたが皇籍に「復帰」した例は平民ではない上級公卿だった「源朝臣忠房」(順徳天皇の孫)の1件となる、あえて含むなら源朝臣定省の子供も含まれる
源朝臣定省
源朝臣忠房
源朝臣定省は光孝天皇の子であり宇多天皇となり、宇多天皇の子である醍醐天皇は臣籍から天皇になったただ一つの例となる
上級貴族でなく平民で生まれたものが皇族になった前例はない
URLリンク(ja.wikipedia.org)臣籍降下
一度臣籍に降下した後には皇族に復帰することは許されないのが原則であるが、皇籍に復帰する事例も比較的多く見られた。
なお、以下の例の内、源朝臣定省の子達や源朝臣忠房の例は、臣籍として生まれながら、皇籍に移行した例である。
源朝臣定省(884年降下・887年復帰)
光孝天皇子。 源姓を賜って臣籍降下後に皇族復帰し、践祚する(宇多天皇)。宇多天皇即位後、源是忠ら同腹の兄弟達も皇籍に復帰している。
源朝臣忠房(1319年移行)
順徳天皇曾孫。臣籍として生まれたが、後宇多上皇の猶子となり、皇籍復帰する。
URLリンク(ja.wikipedia.org)忠房親王
出生 弘安8年(1285年)?
忠房親王(ただふさしんのう)は、鎌倉時代後期から南北朝時代の皇族・公卿。親王宣下を受けるまでは源 忠房と記される。
順徳天皇の曾孫。正三位・源彦仁の子。臣籍時の官位は従二位・権中納言。
忠房親王の父は源彦仁
URLリンク(ja.wikipedia.org)源彦仁
生誕 不明
死没 永仁6年3月23日(1298年5月5日)
源 彦仁(みなもと の ひこひと)は、鎌倉時代中期から後期にかけての皇族・公卿。順徳天皇の第五皇子・岩倉宮忠成王の子。
官位は正三位・左近衛中将。
忠房親王の子は源彦良
URLリンク(ja.wikipedia.org)源彦良
源 彦良(みなもと の ひこよし)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての公卿。忠房親王の子。官位は従二位・左中将。


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