18/12/23 02:21:30.23 NIZApvbJ0.net
>>298
「都と特別区の間では、1986年前後から児相の事務を移管することが議論されてきました。」
「国と都による折衝の結果、権限移譲が困難であるとの理由から区は断念させられました。それでも特別区は繰り返し要望を出してきました。」
「そうした移管の議論を積み重ね、準備を進めていた過去があるので、すぐに動ける態勢が整っていたのだと思います」と話すのは、特別区長会児童相談所事務局移管準備担当課の担当者です。
いったんは児相の設置を断念した特別区ですが、風向きが変わったのは2000年です。
東京・江戸川区で凄惨な児童虐待死事件が起こったのです。
この事件では、関係機関の連絡・調整に齟齬があり、それが最悪の結果を引き起こしました。
その教訓から、きめ細やかで機動的な体制づくりが求められるようになったのです。