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つぎに、麻生系炭鉱に朝鮮半島から直接連行された朝鮮人の証言をみてみよう。
連行は一九三九年後半から「募集」のかたちで始まっていく
日本に行けば働き口があり生活も楽になるという噂が農村の若者にまことしやかに広まったが、
それは人狩りのための甘言だった。面事務所に呼び出され、翌日警察署に出頭するように言われた。
翌日警察署には一五〇人ほどが集められ、点呼を受けたのち、内地への連行を告げられた。
監視されて質問ができる状況ではなかった。三台のトラックで立ったまま大邱へと運ばれた。
汽車で釜山に行き、釜山から下関を経て、麻生吉隈炭鉱へと連行された。
鄭さんの記録から、甘言が流れされるなかで警察署に出頭させられ、質問さえできない雰囲気
の中で連行されたことや、連行現場では粗末な食事と暴力によって労働を強いられたことがわかる。