【日中】安倍首相「漢字や仏教、社会制度、都市づくりは 中国から日本に伝わった」「中国は長く日本のお手本」北京のフォーラムで★3at NEWSPLUS
【日中】安倍首相「漢字や仏教、社会制度、都市づくりは 中国から日本に伝わった」「中国は長く日本のお手本」北京のフォーラムで★3 - 暇つぶし2ch380:Kれた。 173年 倭の女王卑弥呼が使わした使者が訪れた。(「二十年夏五月。倭女王卑彌乎。遣使来聘」) 193年 倭人が大飢饉となり千余人にも及ぶ避難民到来。 208年 夏4月、倭人が国境を侵す。奈解王は将軍利音に反撃させた。 232年 夏四月に倭人が金城を包囲。 233年 五月 倭兵が東辺を攻めた。 249年 夏四月に倭人が舒弗邯、于老を殺した。 287年 夏四月に倭人が一礼部を襲う。1千人を捕虜にして立ち去った。 289年 夏五月に、倭兵が攻めてくるということを聞いて、戦船を修理し、鎧と武器を修理した。 292年 夏六月に倭兵が沙道城を攻め落とす。 294年 夏 倭兵が長峯城を攻めて来た。 295年 春 王が臣下に向かって「倭人が、しばしばわが城邑を侵して来るので、百姓が安じて生活することができない。 私は百済と共に謀って、一時海を渡って行って、その国(倭)を討ちたいが、皆の意見はいかがか?」ときいた。 これに対して、舒弗邯、弘権が「われわれは海戦に不慣れでございます。冒険的な遠征をすれば、不測の危険があることを恐れます。 いわんや百済は偽りが多く、常にわが国を呑み込もうと野心をもっておりますから、かれらと共に謀ることは困難だと思います」と答えた。 新羅の王はこれを聞いて「それもそうだ」といった。 300年 春正月に、倭国と使者を派遣し合った。 312年 春三月に、倭国の国王が使臣をつかわして、息子のために求婚したので、王は阿飡の急利の娘を倭国に送った。 344年 倭国が使者をつかわして、婚姻を請うたが、すでに以前に女子を嫁がせたことがあるので断った。 345年 二月に倭王が、書を送って国交を断ってきた。 346年 倭兵が風島に来て、進んで金城を包囲して攻めて来た。 364年 倭人は多数をたのんで、そのまま直進して来る所を伏兵が起ってその不意を討つと、倭人は大いに敗れて逃走した。 393年 倭人が来て金城を包囲し、5日も解かなかった。 402年 三月に倭国と通好して、奈勿王の子、未斯欣を人質として倭に送った。 405年 倭兵が明活城を攻める。 407年 春三月 倭人が東辺を侵し、夏六月にまた南辺を攻める。 408年 春二月、王は、倭人が対馬島に軍営を設置し、兵器・武具・資財・食糧を貯え、 我が国を襲撃することを企てているとの情報を手に入れた。 倭兵が出動する前に、精兵を選んで兵站をしようと考えたが 舒弗邯の未斯品曰く「兵は凶器であり戦は危険な事です。ましてや大海を渡って他国を討伐し 万が一に勝つことができなければ、後で悔やんでも仕方ありません」王はこの意見に従った。




次ページ
続きを表示
1を表示
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch