18/08/16 20:17:26.59 6Ol84kmL0.net
>>1
弥生中期以降、朝鮮半島の弁韓の位置、
つまり弥生末期に狗邪韓国と呼ばれた地域には
列島で最も先取り気性の縄文系和人 弥生系和人
が支配層であった地帯。
1980年代後半から縄文土器や弥生土器が多量に
出土している。
むこう千年以上朝鮮半島で暴れ回った北方の
扶余系の族達が直接支配を及ぼせなかった地域で
この30年で20基ほどの前方後円墳が見つかって
いるところ。まだまだ見つかる勢い。
西暦107年に半島の扶余族の頭越しに後漢に
朝貢した倭人勢力の半島半部への入植組で、
水耕技術と養蚕、織物と、扶余系に南東部に
追い込まれていた韓人とも協力的に地域を
支配していた。
その場所が現在のプサン周辺の狗邪韓国の地域で
遠賀川に劣らない半島唯一の肥沃な水稲地域。
ゆえに、北九州西部の支石墓の被葬者が全て
縄文人骨なのである。
ただ半島南部も文献資料が記す破滅的な天候不順の
AD世紀に逆倭寇のように日本海岸の地域を何度か
襲っている可能性は高い。
日本列島の旧石器時代人や縄文人の特質である
海人族よろしく航海や造船技術に優れていたので、
軍事的な能力も高かった。
長引く天候不順の中で生きるために自らの出身地の
離地を襲った可能性がある。