【お江戸の人らは稗や粟を食べてはるらしいどすなぁ】江戸時代の毛髪分析で食生活判明 上方人は江戸っ子より米を多く食べていた可能性at NEWSPLUS
【お江戸の人らは稗や粟を食べてはるらしいどすなぁ】江戸時代の毛髪分析で食生活判明 上方人は江戸っ子より米を多く食べていた可能性 - 暇つぶし2ch511:婆
18/08/15 12:01:21.08 WKSC1CCf0.net
>>509
水の便が悪い武蔵野台地あたりは麦作地帯だもんな。
武蔵野うどんはおいしい。

512:名無しさん@1周年
18/08/15 12:01:59.60 mSNmv06l0.net
江戸患い対策で雑穀食べる様にと
タイムリープした奴が教えたんだよ

513:名無しさん@1周年
18/08/15 12:04:16.42 EUSiCfcJ0.net
>>510
幕府は農村から江戸に流入してくる人を追い返すのに苦労してたもんな

514:名無しさん@1周年
18/08/15 12:07:26.48 zA6Eo+UU0.net
米買う金を本代に注ぎ込んだから
雑穀ばっか食ってたんじゃねえの?

515:名無しさん@1周年
18/08/15 12:08:54.95 1vdPGILD0.net
>>506
盆地だから米無いとかかつてのブランド江州米ディスるのも大概にしろ。

516:名無しさん@1周年
18/08/15 12:11:16.62 R4r206oP0.net
紙漉き職人の食事情はわかりそうですね。

517:名無しさん@1周年
18/08/15 12:14:05.42 s+NZTnEs0.net
また頭蓋骨一つで縄文人全員の顔に一般化する議論を

518:名無しさん@1周年
18/08/15 12:16:40.81 YBdoZr+v0.net
このデータだとハゲの人の食生活がわからないから偏るよ

519:名無しさん@1周年
18/08/15 12:16:55.11 kGwjJEq00.net
群馬の三日月村も食べ物あったのか。

520:名無しさん@1周年
18/08/15 12:19:40.27 LPhO0mCI0.net
江戸は昔から今の派遣社員みたいな、働くために生活してた人が多かったんじゃね。

521:名無しさん@1周年
18/08/15 12:20:55.59 Sj5fl6Y30.net
>>514
庶民は酒だと思う。酒ってもみりんだけど

522:名無しさん@1周年
18/08/15 12:21:07.82 Q+95Wb1s0.net
ヤバいな、俺が毎日ラーメン食ってたことも22世紀の連中にバレてしまうかもしれない・・
愛蔵書は残らず焼却処分だな

523:名無しさん@1周年
18/08/15 13:02:31.62 mZy4QuGZ0.net
香川はうどん食ってそう

524:名無しさん@1周年
18/08/15 13:26:25.99 FNEl7lFV0.net
第8代将軍徳川吉宗の時代に行われた享保の改革では、年貢の強化と新田開発が
進められて米の生産量が増え、江戸では庶民も白米を食べるようになった。
江戸時代には、成人男子は1日5合の米を食べていたということだ。
これは 3000kcal に相当し、少量の漬け物をいっしょに食べる程度では
ビタミンB1不足から脚気を多発し、「江戸患い」と呼んで恐れられた。
地方では玄米に近い分付き米に雑穀などを混ぜて食べるのが主流のままで、
農村部でも白米を食べるのが当たり前になったのは明治になってからのことであり
その結果、明治時代になると全国的に脚気が多発することになる。

525:名無しさん@1周年
18/08/15 13:46:28.89 2FMhF9Jz0.net
>>524
七代将軍までは足りてなかったのね。

526:名無しさん@1周年
18/08/15 13:46:30.57 2XtVq5LE0.net
江戸は脚気が流行ったから白米食べてたって言う奴いるけど
白米の栄養価が原因で
白米を早くから食べていた大阪や京都は脚気にならなかったのか
これ研究した人がいて

527:名無しさん@1周年
18/08/15 13:58:12.21 EUSiCfcJ0.net
白米に偏った食事で、副菜が貧弱だったからビタミンが不足した、て話でしょ
江戸だっておかずがまともなら、脚気にはなってないはず

528:名無しさん@1周年
18/08/15 14:03:30.07 2XtVq5LE0.net
途中送信してしまった
白米の栄養価が原因で江戸に脚気が流行った言うのは二つの矛盾がある。
一つは、京都、大阪では白米を江戸同等に食べられていた事
もう一つは、精製されたパンやゆで蕎麦もビタミンB1が多くないのに関わらず、
食の殆どを小麦や蕎麦、芋で賄っていた人は脚気にならなかった。
近年分かってる事で原因はカビ
関東は米が取れないから、他方から輸送で買い付ける物が殆ど
水濡れした沢手米とか古米を食べてカビ毒の中毒になった。
御家人などの武家は見栄もあっただろうし、米も食べれた
国を売って出てきた貧乏人は元より、
同心ですら毎食白飯にありつけない事も多々あった。
なぜか江戸は素晴らしく裕福だったと言うイメージをつけたがる人がいて不思議だ
オナティッシュのような不潔な和紙も水で溶かすだけの再生をし、
風呂も殆ど入らない無く貧しい地域だったのに

529:名無しさん@1周年
18/08/15 14:09:11.95 2XtVq5LE0.net
>>511
水の便と言うか、水はけが良すぎたから。
麦が沢山育てられるようになったのも江戸中期あたり
火山灰がうっすら乗ってたおかげで、
栄養がいきわたるからアブラナ科などの作物は良く育つ

530:名無しさん@1周年
18/08/15 14:17:01.24 2FMhF9Jz0.net
>>528
東北よりましだったのを、ずーっと引きずってるんじゃないの?

531:名無しさん@1周年
18/08/15 14:37:21.05 +NDzyCCJO.net
庶民や百姓が稗や粟しか食ってかなったというのは左翼系社会学者のプロレタリアート革命史観の妄想。
収穫された米は米として食べるしかない。現金なら富裕層(ブルジョア)は、搾取された庶民の何百倍でも浪費できるが、米は何倍も食えない。
結局は年貢として取り立てられた米は、鎖国で海外へ輸出できないので、腐って捨てたのでなければ、廻り巡って百姓の口に入った。

532:名無しさん@1周年
18/08/15 15:05:17.45 VtOG4sgB0.net
>>165
鯨飲馬食?
もしかして、牛飲馬食と言いたかったのか?
まずは、きちんと国語を身につけてからおいで。

533:名無しさん@1周年
18/08/15 15:17:27.83 2XtVq5LE0.net
>>531
>稗や粟しか食ってかなった
そんなこと言ってる奴がいるのか・・・
戦国期の貧しい土地や飢饉のときは、
食べれない事もあっただろうけど、普通に食べてただろうね。
石高って結構曖昧だし、嘘申告みたいなのも多かったし
実質人口/石高が一致してなかっただろうし
米だけじゃなくて、野菜や木や魚や工業製品、金銀、武士の給料まで石高にしてたから
足りない事もあったんじゃないかな?
何より米の価値を上げる為に捨てる奴もいたと思うわ
米相場が変わって借金しなくちゃならなくなっり
百姓一揆が起こったり・・・

534:名無しさん@1周年
18/08/15 15:18:31.62 f5KwiwfE0.net
>>532
たぶん鯨飲馬食のほうが言葉としては古いよ

535:名無しさん@1周年
18/08/15 16:02:41.45 2FMhF9Jz0.net
石高はとれた量を言うのではなく、外形標準課税みたいなぐあいで、同じ○万石でも、とれるところと、とれないところは随分違った。

536:名無しさん@1周年
18/08/15 16:10:06.59 lTqcmaqN0.net
>>400
煎り酒は醤油が庶民に降りてくるまで使われてた調味料で、煎り酒に醤油が入り始めたのは普及後だぞ

537:名無しさん@1周年
18/08/15 16:11:24.45 ET5OGwic0.net
江戸しぐさとかないものをあるように言うよりも
変態文化をもっと堂々と言ったほうがいいぞww

538:名無しさん@1周年
18/08/15 16:20:35.83 lTqcmaqN0.net
>>432
天文学も数学も当時の西洋文明より進んでたし絡繰り人形や時計も精緻で精巧なものがいくらでも有った、挙げればきりがないくらい
江戸時代の科学が目に見えて発達しなかった一番の理由は戦争がなかったからだろ

539:名無しさん@1周年
18/08/15 16:23:16.71 twvd9V7BO.net
ひゑ~

540:名無しさん@1周年
18/08/15 16:32:16.52 jFtNPuhQ0.net
京人の東京コンプは異常

541:名無しさん@1周年
18/08/15 16:56:53.98 nRMVn78o0.net
>>524
そこで大阪の武田薬品工業が世界初のビタミンB1誘導剤アリナミンAを発明し脚気をなくしたのであった

542:名無しさん@1周年
18/08/15 17:05:20.64 5oJ72m/X0.net
今でも精米食でビタミンb1不足してるから日本人は癌になりやすい
わざわざ剥かずに玄米とか胚芽米とか食べればいいのに馬鹿だよね

543:名無しさん@1周年
18/08/15 18:51:12.40 c2pOdyVR0.net
>>400
煎り酒に醤油は使わないよ
それと醤油が江戸の庶民に降りて来たのは水路が整って醤油の生産地の千葉から、
醤油が傷む前に江戸まで大量に運べる様になってから。それで醤油屋がボロ儲けして小江戸が出来た。
今の江戸前は、江戸時代の養殖技術や物流の進化で出来た物で全部、理由がある。

544:名無しさん@1周年
18/08/16 01:23:01.18 bvdHbOEZ0.net
>>252
落語だとうどん食いは病人かって馬鹿にされんだよな
まあ落語だと時代背景がごちゃ混ぜになっている話しも多いけど

545:名無しさん@1周年
18/08/16 01:36:51.11 bvdHbOEZ0.net
>>334
そもそも旗本や御家人とか倉米取りな侍が江戸には大勢居るんだから、その米が市中にあふれていたのでは?

546:名無しさん@1周年
18/08/16 01:44:24.64 bvdHbOEZ0.net
>>415
上方落語は一回死んでるから

547:名無しさん@1周年
18/08/16 02:19:25.35 bvdHbOEZ0.net
大坂腫れとか西洞院紙とか湊紙は無かったことですか
はぁ( ´Д`)

548:名無しさん@1周年
18/08/16 03:36:58.28 WjXzYdDH0.net
>>432
蘭学の知識はオランダ経由で入ってきてるよ
杉田玄白とか平賀源内とか学校で習うやん
からくりでは田中久重が有名だし

549:名無しさん@1周年
18/08/16 03:39:41.62 bnzOJiW70.net
雑穀ご飯はいまだと健康食

550:名無しさん@1周年
18/08/16 03:54:14.21 CJJ6Yl1l0.net
コメを重要視してるのは古事記みたいな昔からだし
京の貴族は土地持って農民を抱えて貴族やってたわけでしょ。コメだよやっぱ
>>528
貧しいの基準が限定的だな

551:名無しさん@1周年
18/08/16 03:58:12.50 WjXzYdDH0.net
>>528
そえいえば、戦後ですら黄変米でこんな騒動あったっけ
URLリンク(ja.wikipedia.org)
昔の人だとカビてても勿体ないとかいって食っちゃうのかな

552:名無しさん@1周年
18/08/16 04:04:33.17 WjXzYdDH0.net
>>528
紙が貴重品だったのって別に日本だけじゃなく
当時のヨーロッパとか他の国でもじゃなかったっけ?
あっちのリサイクル事情は知らないけど
それに風呂はちゃんと銭湯があって入ってたよ
個人の家に風呂がないのは火事を避けるために
作ってはいけないと法で決められていたからで
風呂が作れない、入れないほど貧しかったってことではないのでは?

553:名無しさん@1周年
18/08/16 04:26:30.73 u/Y/JNus0.net
江戸は仙台米、大阪は出羽米(山形)

554:名無しさん@1周年
18/08/16 04:49:33.24 QlqMNBgH0.net
>>18
米を常時食えるのは上流階級だけだよ。TVドラマおしんを見た事ないのか?
大根飯が有名になっただろ、明治時代ですらあの情況だったんだが、
因みに叔母も貧農(当時実家の耕作面積は4反)出身だったが、嫁入りした時白いご飯が食べられると喜んでご飯ばかり食べていたら。
姑から「ご飯は芋を食べた後口直しに少しだけ頂くものです。」と嗜められたそうだぞ。

555:名無しさん@1周年
18/08/16 05:07:41.28 3nx1qOOM0.net
江戸の職人は色々いたけど面白いのは米搗き職人がいたことだな
玄米で流通してたのを白米として常食してた
そのおかげで脚気が蔓延したけど

556:名無しさん@1周年
18/08/16 05:14:53.78 QlqMNBgH0.net
>>534
俺はどっちでも良いと思っていたが、気になって手元の辞書を調べて見た。
牛飲馬食が古い様だね、藤堂漢和辞典では牛飲馬食は載っているが鯨飲馬食は載ってない。
昭和44年発行の角川国語辞典でも牛飲馬食は載って居り説明があるが鯨飲馬食は載っているが、
例示として載って居るに過ぎない。

557:名無しさん@1周年
18/08/16 05:16:58.72 1ARCQ1VVO.net
>>1
あの龍谷大学?
やたらと日本を貶める事に腐心している連中が集う変な大学だろ
あの名前を聞くと全てが眉唾に見えて
コイツらの逆が正解と考える

558:名無しさん@1周年
18/08/16 05:20:15.34 QlqMNBgH0.net
>>542
それは初耳の珍説だね(^o^)

559:名無しさん@1周年
18/08/16 05:22:22.40 1ARCQ1VVO.net
>>123
酒造りに原材料を潰す工程は在りません
妄想と捏造は止めましょう

560:名無しさん@1周年
18/08/16 05:24:40.59 2ddwpKwr0.net
この手法、現代人にもつかってみては?
矧げは放置でw

561:名無しさん@1周年
18/08/16 05:26:59.90 NrX65eRP0.net
どす黒くて、どんがらい出汁でうどん食べるとか
300ねん続く味覚障害

562:名無しさん@1周年
18/08/16 05:28:54.96 2ddwpKwr0.net
韓国の唐辛子
東日本の塩
まあ、部落つっか未開地域

563:名無しさん@1周年
18/08/16 05:35:40.99 YtBmj6LX0.net
米の先物取引所の堂島があったからでないのか?

564:名無しさん@1周年
18/08/16 05:38:04.82 Xl8iLtJb0.net
>>36
田中角栄が新潟を関東に近つけただけで、最近の話

565:名無しさん@1周年
18/08/16 05:39:39.81 2ddwpKwr0.net
米作の北限がいまと違うんじゃ?

566:名無しさん@1周年
18/08/16 05:42:11.86 1ARCQ1VVO.net
>>139
本は当時手作りで貴重な物です

567:名無しさん@1周年
18/08/16 05:44:58.03 2ddwpKwr0.net
上方が白米で東は玄米って話もあったね

568:名無しさん@1周年
18/08/16 05:57:34.14 j80t2h5qO.net
京都の餅は丸く、東京の餅は丸いという文化の対比は面白いね
何代か東京で生まれ育った俺の価値観でも江戸っ子気質ってスパッとしたものを好むかも
京都の表現ははんなりみたいに柔らかな印象で、その内情は別にして雰囲気はとても好き

569:名無しさん@1周年
18/08/16 06:48:37.53 5xf84EvS0.net
そんなもん、毛髪なんか調べなくてもわかるだろ
ヒント>塗り壁

570:名無しさん@1周年
18/08/16 06:51:34.47 rQfMuVQ50.net
粟餅(きな粉餅)、麦焦がし、あられ、など雑穀を使ったお菓子は多い。
ちょい調べてみたら雑穀などを使ったお菓子が駄菓子の始まりらしい。

571:名無しさん@1周年
18/08/16 06:53:29.44 5xf84EvS0.net
>>73
今みたいにポンプや耕運機がある時代じゃないからな
米の収穫量なんて現代の日本とたいしてかわらんだろよ

572:名無しさん@1周年
18/08/16 07:19:52.42 5xf84EvS0.net
>>552
URLリンク(ja.wikipedia.org)
印刷技術がこれだけ発展している時点で、紙がそれほど貴重なものなら技術が発展するわけがない
今に比べれば高価なものだったかもしれないが、貴重というほどのものではないとおもわれる

573:名無しさん@1周年
18/08/16 07:48:45.12 fanAhogx0.net
>>544
上方落語の演目を江戸落語に移植したものが多い。
「時うどん」は東京に持ってくると「時そば」になったが、
「かぜうどん」は東京でも「かぜうどん」なんだよね。

574:名無しさん@1周年
18/08/16 08:30:20.07 IR3vXcfc0.net
>>554
おしんは人口比上のボリュームゾーンに位置してないだろ
最貧困層では?
勿論平均的な庶民層も365日3食白米を食っていたわけではないかもしれないがそれはまた別の話

575:名無しさん@1周年
18/08/16 08:31:51.25 QlqMNBgH0.net
>>571
江戸時代の水田面積は中期以後300万町歩弱、
一石の定義は一人分の年間消費量を生産できる反当りの収量で約180kg、
現代の反収は約500kg、江戸時代の約3倍ね。
因みに支那では反収1tを達成した事を20年ぐらい前に報じていた。

576:名無しさん@1周年
18/08/16 08:33:50.66 Q7oXqctW0.net
京都の人は何食べてたの?

577:名無しさん@1周年
18/08/16 08:34:18.88 4KsT3WA70.net
そりゃまあ江戸時代は大坂が経済の中心だったしな

578:名無しさん@1周年
18/08/16 08:35:54.87 1Qfjpo4p0.net
東日本人の精神性が朝鮮半島人と同じなのも
コメを食わずにこうりゃんを食ってたせいと思われ

579:名無しさん@1周年
18/08/16 08:36:09.31 Q7oXqctW0.net
経済の中心地だから問y一般人は関係ないだろ
関西の人は何を食べてたの?

580:名無しさん@1周年
18/08/16 08:40:12.32 RJjbbGIE0.net
>>572
それは逆。
紙が貴重というのは印刷や製紙技術が未発達ということと=ではなく、
むしろ逆の時にもまた紙は多くの人が必要とするために貴重なものになる。
江戸時代は印刷技術が発達し、識字率が高まり、人口が増加し、
本や紙が人々にとって、それまでとは違い民衆にとっても身近なものになるほど普及した、
からこそ紙の需要が増え、需要が大きすぎるために貴重だった。
だから江戸時代でも紙は何度も書いたり反古をまた他のことに使ったり、
質の悪い安価な紙を使ったりと色々な方法で対応していた。
江戸時代に紙が貴重で、反古がリサイクルされていたのも、
印刷技術が発達して本が普及していった時期なのも、どちらも矛盾しない。

581:名無しさん@1周年
18/08/16 08:44:30.09 QlqMNBgH0.net
追加
農地改革で小作人に激安で払い下げられた農地は220万町歩、本来農家の半数は小作農で有った。

582:名無しさん@1周年
18/08/16 08:58:24.83 GzSXN6/90.net
>>552
紙が貴重品だったのは江戸初期くらいで、後期には結構出回ってた
コウゾとか紙原料をエタや貧困地域で栽培する事が推奨する藩がおおくなったし
再生紙も広まったから
ヨーロッパは紙すきの方法も違ったし、材料も違ったし人件費も違ったから日本ほど紙が流通してなかったね
藍染めの藍も同じで、昔は貴重だったけど、
徳島藩が推奨し成功した事を知ると、
各地域で特定身分の人が藍を作る事を始めた
結果、江戸時代では庶民も藍染めを着るようになった

太い水道が引かれている地域では銭湯に入れたが
太い水道が無い地域は銭湯が遠かった
法律で家風呂が禁止されていた防火は
水不足、薪不足の理由づけ
防火ならば行燈、かまど、炭団、火鉢など禁止にしなくてはならない
江戸の水料金は高く、庶民が手軽に持てるものでは無かった
家風呂があると、贅沢独り占めと勘違いされ嫉妬と道徳心をとがめられることになる

583:名無しさん@1周年
18/08/16 09:02:01.39 4P0lAa/h0.net
えらい健康的で、よろしおすなあ(笑)

584:名無しさん@1周年
18/08/16 09:02:46.79 rupyE3Wl0.net
>>575
農業技術も未熟で、ちょっと寒いと東北なんかたちまち飢饉だもんな

585:名無しさん@1周年
18/08/16 09:07:44.73 GzSXN6/90.net
>>561
昆布の海運ルートがよく言われるけど
うどんの質も調理法も違うから、醤油での旨味を活かすのが一番だったのでは?
大阪のうどんはダシで食べるけど、讃岐なんて醤油だけかてたし
関東の黒い奴も、関西のうっすいやつもどっちも美味しいけどなぁ

586:名無しさん@1周年
18/08/16 09:08:29.05 BaDUGn8n0.net
稲って元々は南方の植物だからな

587:名無しさん@1周年
18/08/16 09:12:32.62 aTElz6vI0.net
しかものっぺり顔だったっていう
【話題】 「西日本より東日本の人の方がのっぺり顔だった」 ~骨分析、明治以降に“立体化” ★2
スレリンク(newsplus板)

588:名無しさん@1周年
18/08/16 09:12:48.45 nn5UTAf00.net
髪の毛の入手経路、つまり本に紛れ込んだ過程やサンプル数も考慮に入れたら?
持ち主がどれだけ裕福だったかは重要だと思う。
ひとり者が多い江戸の場合、生活習慣や調理の仕方もポイントではないか?
鍋一つで簡単安価な食事。外で酒飲んで金使う。っていうイメージ。

589:名無しさん@1周年
18/08/16 09:12:56.81 Pypzcnpb0.net
>>546
花月派(吉本)が三友派、反対派を吸収して大阪の演芸界を支配するように
なったら吉本は落語を粗末に扱うようになったので上方落語は衰退して
消滅しかけたが大看板の五代目松鶴、二代目春團治らがいてたので耐えた。

590:名無しさん@1周年
18/08/16 09:16:17.24 MJUtrHMJ0.net
今も昔も江戸は墓場同然で食事は不味い
何も変わってないよ

591:名無しさん@1周年
18/08/16 09:18:27.74 rupyE3Wl0.net
上方落語の見台と拍子木ははじめて見たときビックリした

592:名無しさん@1周年
18/08/16 09:21:36.51 w9hZdq2u0.net
なんで今の大阪はスラムになっちゃったの?

593:名無しさん@1周年
18/08/16 09:27:31.44 XVypkNUZ0.net
>>588
>ひとり者が多い江戸の場合、生活習慣や調理の仕方もポイントではないか?
火事が多かったし、自宅での煮炊きはしない単身世帯も多かったろう
あと雑穀を栽培する東北が近かったから
コメより延びる稗粟の藁はカイバに適してたんだよ
東北は場産地でもあったから、馬の食料にも転用されていた

594:名無しさん@1周年
18/08/16 09:31:04.47 XVypkNUZ0.net
>>585
>昆布の海運ルートがよく言われるけど
鉄道網が貧弱な時代は圧倒的に海運、しかも
日本海が物流の主役だったからなあ
京都、新潟、北海道と飛び石のようにルートが
構築されていたわけで
太平洋ベルトが主役になるのは工業化が進んだ時代の話だよな

595:名無しさん@1周年
18/08/16 09:35:58.39 RJjbbGIE0.net
>>582
そもそも江戸が裕福だったとか肯定的にみられるのは、
同じ時代の外国と比較しての話では?
今と比べて貧しかった、裕福だったという話をしても意味がないし
紙などの物の(リサイクルが必要という意味で)不足や貴重も、
風呂が今のように何処の個人宅にもあって毎日入れるわけじゃないというのも、
江戸時代と同じ時代の外国と比較しないと

596:名無しさん@1周年
18/08/16 09:39:20.26 RJjbbGIE0.net
レス失敗
>>595>>528
>>582
再生紙が必要とされる程度に貴重、って意味なので、
再生紙が広まることで需要に対応できるようになった後、それは同じ
時代が進むにつれて紙の生産自体も進んでいったけど、
江戸後期でもすき返しはかなりの規模だったみたいだし

597:名無しさん@1周年
18/08/16 09:41:07.30 rupyE3Wl0.net
農民もいろいろで、天領は年貢も安くて富農も生まれたけど、
紀州藩や薩摩藩は苛政で農民は貧しかったみたいだしな

598:名無しさん@1周年
18/08/16 09:52:03.56 9NPqsbcI0.net
>>573
そりゃ移植の時に江戸風にするから
蕎麦が粋でうどんが野暮ってなる

599:名無しさん@1周年
18/08/16 09:53:42.41 vgDWIYId0.net
よく言われるのが人口の1割満たない武士が集めた米がどこに流れたのかの不思議

600:名無しさん@1周年
18/08/16 09:56:28.93 QlqMNBgH0.net
>>597
薩摩の場合は全九州を支配した時期の武士団をそのまま維持したからな。
武士であり百姓でもあった訳だ。全人口の4割が士分・・・

601:名無しさん@1周年
18/08/16 10:00:51.37 /xtPvySwO.net
>>576 白米に漬け物 季節の野菜

602:名無しさん@1周年
18/08/16 10:02:52.00 /xtPvySwO.net
>>592 半島人が住み着いたから 金儲けの為に

603:名無しさん@1周年
18/08/16 10:09:12.83 /xtPvySwO.net
再生紙を作る際に被差別部落の人の毛を混ぜただけじゃないの?
ナチスみたいなトンキン
東京行って一番びっくりしたのはそばがきね、あんなん喰ったことないわ
蕎麦より夏は素麺や冷やし中華だし、蕎麦屋って結構高いのよね、
西日本では 天ぷらそばとかじゃなくても普通の蒸籠にのったそばも千円近い
だからあまり食べる習慣がない。オッサンの昼飯だと思ってたわ
んでそばがきみたとき、情緒もくそもあったもんでねーなと感じた
粘土丸めたみたいなん誰がくうねん、

604:名無しさん@1周年
18/08/16 10:13:35.56 /xtPvySwO.net
>>524 話違うけど、平将門も戦さ前に脚気になったらしいね
バランスの取れた食事は大事ですね

605:名無しさん@1周年
18/08/16 10:16:23.96 /xtPvySwO.net
>>542 主治医がワシに玄米食にしなさいといったので
玄米フレークを買ってきて牛乳かけてくったら調子良くなった
仄かな甘味がおいしかった
雑穀米もおいしいよね

606:名無しさん@1周年
18/08/16 10:16:28.70 FgRjM0Se0.net
>>168
素晴らしい推論だ。

607:名無しさん@1周年
18/08/16 10:21:02.25 /yOixTYQ0.net
>>395
やっぱりそうなんだ?
俺も薄々そうだと思ってた

608:名無しさん@1周年
18/08/16 10:22:06.34 FgRjM0Se0.net
>>204
> 玄米だと、使う水と薪の量多くなって結果的に高くつく
なるほど! 合点がいきます。以前、玄米を食べてたけど、
事前に水に半日つけてふやかしたり、
圧力鍋を使ったり、けっこう手間がかかりました。
江戸時代には圧力鍋も無いし、玄米の常食は
無理だったんじゃ無いかな? 
ヒエとかアワは、料理しやすかったのかな?
あと、薪を使うコストだけで無く、時間も減らすことで、
火事のリスクも減りますよね。

609:名無しさん@1周年
18/08/16 10:23:44.03 BYnZkOK70.net
百万石とかコメ取れて、大名が食いまくってたのか?あり得ない。そんなに食えない。
国民が食ってたんだよ、白米を。
そしてそれが流通するから経済的価値を持ち、GDP同様の指標になる。

610:名無しさん@1周年
18/08/16 10:26:05.70 /xtPvySwO.net
友達(金持ちのお嬢さん)がケコンしたのはいいが、
義理のお母さんが東京の下町育ちでとにかくドケチで
顔も見たくないといってた。
当然食糧難だったので凄いチビなのに乳だけでかくてはキモいとかいってた。
水も我慢するんで、しょっちゅう膀胱炎になって薬飲んでると言ってた。
本末転倒だよね。おまけにアル中だから余計脱水症状になり、まあ
小便は出るんだろうが、身体ボロボロなんじゃまいか?と心配してるのか呆れてるのか、
早よ死ねおもてるのか知らんが、そんな話だった。

611:名無しさん@1周年
18/08/16 10:26:16.89 IxnIIDiu0.net
あれ 江戸患いとか何なの?

612:名無しさん@1周年
18/08/16 10:30:01.94 jPb3Mdas0.net
当然疑問に思うはずだけど、、、
紙を江戸で作ってた証拠あるの?

613:名無しさん@1周年
18/08/16 10:31:00.49 /xtPvySwO.net
昔は加賀百万石とか肥後五十四万石とかいってたしな… やっぱり金沢は趣が違うわな
兼六園とか
やっぱり石高が高い領主がどや顔できるんだろね
肥後は細川の殿様w

614:名無しさん@1周年
18/08/16 10:40:32.02 xtiVsa650.net
>>612
そこ検証しないと地域性とか無茶苦茶になる
稗や栗を食べてた人、本当に江戸に住んでたの?

615:名無しさん@1周年
18/08/16 10:47:14.16 XVypkNUZ0.net
>>168
>信州辺りの山里で作られた可能性高い
多摩の奥、五日市でも和紙を作っていたよ

616:名無しさん@1周年
18/08/16 10:48:59.73 +FMg5yM40.net
当時の日本人にマカロニ食わせてやりたい
意味はないけど

617:名無しさん@1周年
18/08/16 10:49:26.54 XVypkNUZ0.net
>>200
>同じ時期、日本でも大きな飢饉が起きてんだよな。
>太陽黒点とかによる、世界的な低温だったらしいな。
火山の爆発が相次いだんだよな

618:名無しさん@1周年
18/08/16 10:52:24.72 5JfSyZSb0.net
>>17
ホントはミネラル豊富な穀物なのにな
おれ白米だと食後血糖値が急上昇するから粟や稗を食べたいのにそこらのスーパーに売ってないから食べられない

619:名無しさん@1周年
18/08/16 11:16:01.89 EcYLF1R90.net
大名が集めた米は商人に売却してたんだよ
こんなシステムじゃ商人と大名のパワーバランスが崩れるのも仕方がないね

620:名無しさん@1周年
18/08/16 11:18:33.13 rPBhelF60.net
面白い研究だと思うが、なぜイギリスの雑誌に投稿するのかと。。。

621:名無しさん@1周年
18/08/16 11:20:17.54 rupyE3Wl0.net
>>619
八戸藩なんて、領民が飢えるのがわかってるのに藩財政が苦しいから少ない米を売却して、
大量の餓死者を出したもんな 飢饉も人災

622:名無しさん@1周年
18/08/16 11:25:57.22 EEV9fe800.net
>>511
世田谷区で、今でも武蔵野うどん用の小麦を作ってる農家があるよ
武蔵野うどん美味しいね

623:名無しさん@1周年
18/08/16 11:26:15.43 o71E0S150.net
同じ江戸時代、同じ日本国内でも藩によって経済状況も食生活も大きく異なる
毎日米5合や新鮮な魚食ってた地域もありゃ雑穀で食いつないだ地域もあるし飢饉に喘ぐ地域も同時に存在していた

624:名無しさん@1周年
18/08/16 11:28:02.94 lvyQC8zH0.net
米ばっかりがつがつ食ってたから糞大阪人がバカになったんだな

625:名無しさん@1周年
18/08/16 11:31:29.25 YbHI8RDL0.net
そら米市場は大阪にあったからな

626:名無しさん@1周年
18/08/16 11:31:44.05 hceE4e130.net
江戸より上方のほうが白米食っていたとしたら、上方で脚気で死ぬ人は半端な数じゃなかっただろ
そんな話今まで聞いたことがなかったけど?

627:名無しさん@1周年
18/08/16 11:32:17.60 +N7lpE/70.net
>>12
牛や豚は人より穀物を食うから食用としては飼えないよ
野生のイノシシとるのもたいへんだ

628:名無しさん@1周年
18/08/16 11:35:41.41 PaS5AlMJ0.net
誰でも上方が豊かだったのは知ってるだろ…
商人が金持ってた時代なんだから
上方の若旦那の方が、一国の主より贅沢してた時代でながなまんがな

629:名無しさん@1周年
18/08/16 11:41:59.74 PaS5AlMJ0.net
>>626
米食えるってことは、他の食材も沢山食えるってこと
脚気になるはずないだろ
関東で貧困に喘ぎ、侍屋敷も瓦葺きできなかった頃、
関西では金の使い道に困って仕方ない商人がいた

630:名無しさん@1周年
18/08/16 11:51:35.77 y+JyB19Q0.net
粉もんと米ばっかり食ってるから顔がデカいんやな
江戸の人はみんなシュッとしてる

631:名無しさん@1周年
18/08/16 11:54:04.02 tTzKrVsS0.net
何食ってたかはもっとサンプルが無いと判らんのでは
階層や地域でも相当違うだろうし

632:名無しさん@1周年
18/08/16 12:12:08.06 ebV1OnmJ0.net
明治10年の段階で、米の生産高は3000万石に足りていない
石高は玄米換算なので、白米にするともっと減る
江戸時代の庶民は毎日米を食べられなかったというのは嘘だか、
雑穀で分量を増やすのが多くて、
江戸時代の庶民は毎日白米を食べられなかったというのが正しい

633:名無しさん@1周年
18/08/16 12:14:21.74 zCBvYSCw0.net
>>554
江戸には税金としてコメが集まり、武士が集まり、それを相手に庶民が商売をして暮らしてたから
普通の農民の事情とはちがうでしょ?
>>572
印刷は紙の量ではなく機械の発展でしょ。文字の種類少ないからとかじゃね
そもそも日本は国土の6~7割が森林で資源量から多いし
慶長遣欧使節がわざと鼻紙を捨てて国力を見せた話だとか
今でもティッシュの品質がいいうえにタダで配っているとか

634:名無しさん@1周年
18/08/16 12:20:49.40 7feYjLUi0.net
当時って小麦はあったの?

635:名無しさん@1周年
18/08/16 12:49:59.26 51Vn4RmE0.net
明治初期の『全国農産表』による日本の米の収穫高
2575万2378石 明治7年
2474万3791石 明治9年
2659万9181石 明治10年
2528万2540石 明治11年
3167万8289石 明治12年
2876万7729石 明治13年
2991万2029石 明治14年
3045万2220石 明治15年
明治10年頃の日本の人口は3500万人なんで、1人あたり1人年間1石弱の米の収穫高はあったが、
白米化すると玄米から2割3割減ってしまうし、実際に3食白米にするには、
成人女性で玄米1.2石、成人男性で玄米1.8石ぐらいは必要なので、
玄米換算で最低でも4500万石ぐらい取れないと国民皆白米化は無理
「米はまったく食べられなかった」も「白飯を全員食べていた」も両極端

636:名無しさん@1周年
18/08/16 12:55:44.45 eK4pS9TU0.net
>>635
明治時代なんかには、兵隊に行くと銀シャリ食べれてうれしいなんて話あったから、普通の人は白米たべてないだろうな

637:名無しさん@1周年
18/08/16 13:00:29.81 EyvmWymr0.net
>>633
西洋人って70年代あたりまでハンカチで鼻かんでたもんな
超貴重品だった歴史が長すぎて紙の使い方にバリエーションが無いというか…
羊皮紙だからしゃーないけど

638:名無しさん@1周年
18/08/16 13:06:41.02 GLCjAOlO0.net
>>118
魚が丸々一匹載っているようなのは、江戸前のすしではないだろ。
落語でも、布団をかぶったような寿司を江戸っ子が食えるか、と
いうのがあるよ。向こうが見えるぐらい薄く切ったのがイキでよかった
んだって。上方から見ればそれが貧乏くさく思えた。
京・大阪では外食の習慣がなかった。仕出し屋というのが発達して、
料理人のつくった料理を町家に出前してくれた。今でもあるよ。

639:名無しさん@1周年
18/08/16 13:08:22.44 fanAhogx0.net
>>634
弥生時代の遺跡からも小麦が出土している。
その後も奈良・平安期には五穀の1つとして作られているし、
平安時代には中国からうどんやそうめんが伝来しているが、
製粉技術が未発達だったので、それほど普及していない。
江戸時代になって碾き臼が普及してから、小麦食が広がっている。

640:名無しさん@1周年
18/08/16 13:09:05.88 51Vn4RmE0.net
>>634
明治初期の統計だと麦類の収穫高は
明治9年 889万石(大麦504万石+小麦165万石+裸麦221万石)
明治10年 962万石(大麦503万石+小麦177万石+裸麦282万石)
明治11年 941万石(大麦458万石+小麦179万石+裸麦304万石)
明治12年 989万石(大麦495万石+小麦193万石+裸麦301万石)
明治13年 1223万石(大麦584万石+小麦227万石+裸麦412万石)
明治14年 1056万石(大麦525万石+小麦204万石+裸麦327万石)
明治15年 1247万石(大麦579万石+小麦239万石+裸麦429万石)
当時は小麦よりも大麦がメインですいとんを作っていた
なおこの頃に一番小麦の収穫が高かったのは、意外にも武蔵(20万石)
ヒエはどちらかというと奥州の雑穀
そして温暖な地域で圧倒的な収穫高を誇ったのが、サツマイモ

641:名無しさん@1周年
18/08/16 13:24:02.93 5LWfOgsO0.net
貧乏くっさいのは穢土からの伝統かトンキン

642:名無しさん@1周年
18/08/16 14:04:13.05 GLCjAOlO0.net
>>640
サツマイモは18世紀中頃に蘭学者の青木昆陽(甘藷先生)が日本で
普及させてもので、白米食の食習慣ができて脚気病がひろがったが、
幕府が対策にのりだし、彼の説を取り入れた。薩摩芋というのは、
鹿児島でこの芋を食っていて、脚気にならないことを知ったからである。
この芋を鹿児島では琉球芋と呼んでいた。つまり、琉球経由の南蛮芋
なのである。原産地は南米か?

643:名無しさん@1周年
18/08/16 14:11:25.50 51Vn4RmE0.net
>>642
どっちかというと北米だと思う

644:名無しさん@1周年
18/08/16 14:42:31.13 EqtubBev0.net
>>615
奥多摩なんて実質山梨
山梨も長野も大差ないくね?

645:名無しさん@1周年
18/08/16 15:06:07.05 tJQq54tg0.net
>>622
武蔵野うどんが一番マズい

646:名無しさん@1周年
18/08/16 15:09:44.45 eigNZF8I0.net
>>1
粟や稗は家の犬用ざます!

647:名無しさん@1周年
18/08/16 15:59:25.74 lTYWbyi/0.net
それよりも本が一般向けに出版されて庶民が日常的に読書してる事に驚こう

648:名無しさん@1周年
18/08/16 16:03:44.80 oJ5TFLEA0.net
>>631
その通り。
だからこの手の記事は鼻くそほじりながら読むのが正解だよ。

649:名無しさん@1周年
18/08/16 16:18:27.78 IB4llaHq0.net
>>642
鹿児島では唐芋の筈だが・・・
因みに我故郷の島ではウムといい、大島ではハヌスという、
確かトンという地方もあった。
アメリカ探検から帰国したコロンブスがスペインイサベル女王に黄金食物として献上したらしい。


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