【歴史】徳川三代将軍、家光の駕籠が福井県の寺で発見される。専門家「大変な驚き。近世交通史の貴重な資料」at NEWSPLUS
【歴史】徳川三代将軍、家光の駕籠が福井県の寺で発見される。専門家「大変な驚き。近世交通史の貴重な資料」 - 暇つぶし2ch194:名無しさん@1周年
18/07/31 12:51:12.42 NpstFlnKO.net
>>179
福井ならまだマシ
津軽の殿様も薩摩の殿様もずっと籠で江戸―領国を移動

195:名無しさん@1周年
18/07/31 12:54:10.89 J4k5RZSu0.net
駕籠か。ワイの家にもあるわ。

196:名無しさん@1周年
18/07/31 12:55:36.01 y75PmxUE0.net
地元民が見てないところでは歩いてた殿様もいるんじゃないか

197:名無しさん@1周年
18/07/31 12:55:42.95 lpxtkCBi0.net
こういうの研究してる学者は馬鹿。無意味
そもそも将軍なんかより俺の方が偉いし
今だと政治家みたいなもん?
でも選挙で決まったわけでもないしなぁ

198:名無しさん@1周年
18/07/31 13:01:02.10 r3yixNSu0.net
>>92
因縁つけるわけじゃないが、どう「否定された」の?

199:名無しさん@1周年
18/07/31 13:03:17.58 SdYndvfC0.net
>>197
歴史は観光資源になるんだぞ
末長く外貨を稼げるから無意味な研究じゃないよ

200:名無しさん@1周年
18/07/31 13:05:24.42 oBH0VymA0.net
>>199
そいつにそんな価値なんか分かるわけない。

201:名無しさん@1周年
18/07/31 13:10:33.76 DEJg/SF00.net
>>2
遅くなってごめんな
評価するよ

202:名無しさん@1周年
18/07/31 13:13:02.66 VwAe9Ier0.net
これ駕籠じゃなくて‘乗物’だろ。駕籠って、出入り口のカバーが簾になってるやつのこと。
比較的低俗。今回みたいに横にずらす扉みたいのがついている高級なのは乗物。

203:名無しさん@1周年
18/07/31 13:13:20.29 txsPu2r10.net
日本に来た西洋人が肉食いてえと言うまで
日本では馬も牛も田を耕したり荷物運ぶ為の動物だったからね
日本の馬は西洋の様な足長さんじゃ無かったし

204:名無しさん@1周年
18/07/31 13:15:27.59 R6XC3bHz0.net
>>23
思ってたのと違う

205:名無しさん@1周年
18/07/31 13:17:28.94 8kZgaf4Y0.net
>>197
凄まじい低知能臭を撒き散らしてるよ
お前の書き込み(笑)

206:名無しさん@1周年
18/07/31 13:19:34.60 TfeRgmgg0.net
時代劇そのまんまや

207:名無しさん@1周年
18/07/31 13:19:45.99 lpxtkCBi0.net
は?文系の学者が無意味な仕事をしてるのは本人も分かってる
自分の金やってるならいいが、税金でやってるわけだからな
もっと意味のある事をやらないといけない
>>205
馬鹿は死ね

208:名無しさん@1周年
18/07/31 13:20:16.76 8kZgaf4Y0.net
>>203
実は日本でも肉食ってたんだけどね
あの赤穂浪士の大石内蔵助は牛肉の味噌漬けが大好物だったw

209:名無しさん@1周年
18/07/31 13:21:22.51 PKFVvHJa0.net
「14世紀のハンガリーでは、紐や鎖で座席を吊り下げた懸架式の馬車が登場し、17世紀にはバネによるサスペンションを備えた馬車が登場した。」
乗り心地を良くするために不断の努力を重ねたんだな、やっぱ大したもんだ
で、駕籠は何か改良を加えたのwww?

210:名無しさん@1周年
18/07/31 13:22:46.46 fNiFy06j0.net
担いでる人足は本当に大変だったろうな

211:名無しさん@1周年
18/07/31 13:23:14.11 /x6XdgFZ0.net
明治維新になって駕籠から一気に鉄道にシフトしたんだよな・・・w
日本の鉄道がぶっ飛んでる理由はこれ。

212:名無しさん@1周年
18/07/31 13:24:00.68 LNsny9kT0.net
キーワード
徳川家康 大麻で検索してご覧あれ
URLリンク(plaza.rakuten.co.jp)

213:名無しさん@1周年
18/07/31 13:26:11.60 nwP/jWGM0.net
なんで今まで分からなかったんだろう?
寺が隠してたわけでもないだろうし。
今まで調査されてなかったのか。

214:名無しさん@1周年
18/07/31 13:26:20.45 3dotWOKq0.net
>>44
これはもっと評価されて良いはず

215:名無しさん@1周年
18/07/31 13:26:35.17 8kZgaf4Y0.net
何か江戸時代までの日本の乗り物は駕籠しかなかったとか思ってる凄まじい馬鹿が湧いてるが
日本にも馬車や牛車があったのも知らん低知能低学歴のゴミなんかね?(笑)

216:名無しさん@1周年
18/07/31 13:26:43.39 lpxtkCBi0.net
歴史とか好きな奴でまともなやつ見たことないな

217:名無しさん@1周年
18/07/31 13:27:44.91 lpxtkCBi0.net
おまえはザ庶民なのに将軍の話なんかして何の意味があるんだって
庶民だからこそ、そういう上に憧れてるのかねぇ・・・

218:名無しさん@1周年
18/07/31 13:28:12.20 SdYndvfC0.net
>>207
君がニンジャやサムライより外貨を稼いだ商品の開発者なら謝るよ

219:名無しさん@1周年
18/07/31 13:29:05.45 8kZgaf4Y0.net
>>216
でも歴史の素養も無い奴でまともな知能持ってるのも見た事無えわ
だいたい教養人はみな歴史に造詣が深い

220:名無しさん@1周年
18/07/31 13:29:47.23 OWisbryW0.net
>>194
途中馬に乗ったろ? 

221:名無しさん@1周年
18/07/31 13:29:48.92 KY+Tgq6W0.net
小学校の体育館倉庫にあったなあ

222:名無しさん@1周年
18/07/31 13:30:45.02 XDo/WSxY0.net
>>165
建前上は石高に応じた軍役義務があってそれ相応の部隊編成で入府する必要はあったけど小藩ではそうも言っておれず真ん中は端折ってた。
国から出発するときと江戸入府の時だけ面目ないがあるから隊列を組んでいた。
そして専門に大名行列要員を石高に応じて用意する口入れ屋もあった。

223:名無しさん@1周年
18/07/31 13:31:04.20 Lcsn1zoY0.net
>>215
家光の時代に馬車は無いぞ

224:名無しさん@1周年
18/07/31 13:32:03.34 ogIjoTwq0.net
>>39
個人的にその辺の事を調べているものです。
理由は色々あるけど、
・当時は、人の往来よりも兎に角荷物の往来の方がグンバツに多く、荷物>>>人という時代だった。
・馬は武士が乗るもの、農民が乗るなんて恐れ多い時代だった。
・当時の馬は、激しい気性の馬が好まれたので、手なづけるんpは至難の技だった。
など、っぽいです。

225:名無しさん@1周年
18/07/31 13:33:50.78 xDyEfI3x0.net
>>224
まんが日本昔話だと農民も馬使ってたよ
だいたいアオって名前

226:名無しさん@1周年
18/07/31 13:35:34.93 fNiFy06j0.net
荷車はあったらしいね

227:名無しさん@1周年
18/07/31 13:36:04.62 VKBu6Ja50.net
歩くのは免除されるが糞暑そう

228:名無しさん@1周年
18/07/31 13:36:05.82 gVQxJTh80.net
ホモォ将軍

229:名無しさん@1周年
18/07/31 13:37:00.22 TMURKYP80.net
>>91
これ、素直に後1つでも車輪つけた方が、まだ安定するだろ。
何なんだ?この罰ゲームはw

230:名無しさん@1周年
18/07/31 13:39:33.57 iuX/Jyy80.net
>>228
衆道は基本成人したら攻め側に回るものなのだが、家光さんは受け側が大好きであった。女装癖もあったしな。

231:名無しさん@1周年
18/07/31 13:40:28.87 MDkLRq5o0.net
>>182
水道トイレなど明らかに江戸の方が進んでるわけだがw

232:名無しさん@1周年
18/07/31 13:41:44.70 XDo/WSxY0.net
>>209
駕籠かきの強靭な足腰だろ。
大名の駕籠かきって2交代もしくは3交代制だからな。
交代要員が同行して並歩する。
定期的に交代して無駄に疲れないようにしている。

233:名無しさん@1周年
18/07/31 13:42:35.66 RWke/Q2p0.net
>>230
男性は自分で勝ち取るべきものが何も無かったら、そういう
期待に背く道選んでバランスとるのかしらん。

234:名無しさん@1周年
18/07/31 13:43:42.87 8nomwuDg0.net
>>72
慶喜は当時目新しかった自転車で移動してたんだよ

235:名無しさん@1周年
18/07/31 13:43:49.13 txsPu2r10.net
江戸時代の農民は微分積分をして遊んでたくらいだよ

236:名無しさん@1周年
18/07/31 13:46:05.62 Gn2w7lrx0.net
写真
URLリンク(amd.c.yimg.jp)
URLリンク(lpt.c.yimg.jp)
URLリンク(lpt.c.yimg.jp)

237:名無しさん@1周年
18/07/31 13:46:23.98 XDo/WSxY0.net
>>224
日本人は動物の去勢をしないからね。
オス馬は凶暴なままだ。

238:名無しさん@1周年
18/07/31 13:47:38.15 PKFVvHJa0.net
>>236
貧乏くさ
オワイでも運んでるみたい

239:名無しさん@1周年
18/07/31 13:48:23.08 XDo/WSxY0.net
>>229
人夫が4人で乗るのが一人ならカーブとか考えてこれが良いのでは?
まあ安定性はゼロだけどね。

240:名無しさん@1周年
18/07/31 13:48:58.94 VKBu6Ja50.net
>>236
肩食い込むわ

241:名無しさん@1周年
18/07/31 13:51:42.55 J26Hi3xB0.net
酒井忠勝とは
一瞬目を疑う名前だな

242:名無しさん@1周年
18/07/31 13:55:05.00 7eTnLyQ50.net
>>188
江戸幕府は五街道を整備していただろ

243:名無しさん@1周年
18/07/31 13:57:11.51 4BFMNTjr0.net
>>220
薩摩とか普通に船乗ってる

244:名無しさん@1周年
18/07/31 14:01:40.93 7eTnLyQ50.net
>>229
凸凹の不整地では、複数の接地点があると不安定になる
一本脚なら、どんな不整地でも直立できるけど、二本脚だと二本の脚が接地している面の高さが違うと傾いてしまう。
三本脚だと三本の脚が同じ高さでないと傾く。
工事現場で物を運搬するのに一輪車が活躍するのと同じ。
カメラで撮影するときに不整地に三脚を立てると傾くから、不整地では一脚を使うのと同じ。
つまり、朝鮮では首都の道も凸凹だったということがうかがえる。

245:名無しさん@1周年
18/07/31 14:02:04.81 iuX/Jyy80.net
>>241
同時代に四天王の酒井忠次系の酒井忠勝もいるしな。
こっちは雅楽頭家正親系だが。
忠勝の忠は、秀忠の忠の拝領じゃろう。

246:名無しさん@1周年
18/07/31 14:02:23.01 /iGZVdSA0.net
>>1
徳川家光ってコロッケのイメージしかない(´・ω・`)

247:名無しさん@1周年
18/07/31 14:07:58.19 7eTnLyQ50.net
>>223
馬車は昔からあったよ。
行軍で荷物を運ぶ荷駄は馬車だよ。
でも、荷駄は上り坂になると、何人もの人手で押必要があるし、下り坂では転げ落ちないように縄で引っ張る必要があって、
坂道の運搬は大変
重い荷物の運搬ではなく、人間だけの移動で、坂道があるとわかっているなら、歩いた方が楽

248:名無しさん@1周年
18/07/31 14:11:00.75 Lcsn1zoY0.net
>>247
戦国時代は、牛馬の背中に荷物をくくりつけて物資を輸送していました
馬車なんて有りません

249:名無しさん@1周年
18/07/31 14:11:33.72 ZovJHJLn0.net
>>72
慶喜は乗馬が得意。
幕末の駕籠なら、篤姫のが現存している。徳川に近衛に意匠がキラキラし放題で普通乗り仕様ではない。嫁入り用だね。

250:名無しさん@1周年
18/07/31 14:15:53.70 VZgheZ0L0.net
>>1
>先日、中国に行った人から聞いたが、北京の国際空港のパスポート審査のところには、
「中国人」「外国人」というどの空港にでもある区別以外に、
「Air China Easy Way Beijing-Frankfurt」という窓口があるそうだ。
そればかりか、北京~フランクフルト間を移動する人専用のチェックインカウンター、
荷物のターンテーブルなども整備されているという。
中国とドイツの親密度を考えると、さもありなんとも思える。

>「北京の国際空港のパスポート審査のところには」

当たり前やがこういうのがあるのは北京空港だけで
ドイツには中国人に便宜を図る施設などどこにもない
つまり そういうこった (´・ω・`)

251:名無しさん@1周年
18/07/31 14:15:59.92 MQfcPSfS0.net
行きは籠で来て
帰りは歩きかね?

252:250
18/07/31 14:16:44.15 VZgheZ0L0.net
すまん 誤爆した (´・ω・`)

253:名無しさん@1周年
18/07/31 14:19:10.94 2hLzPvfl0.net
けっこうな大きさななのに今まで見つからなかったのか

254:名無しさん@1周年
18/07/31 14:23:54.98 7nLo0Eou0.net
皇女和宮もカゴに乗ったが、中仙道の難関の鳥居峠だったかは、歩いたらしいね

255:名無しさん@1周年
18/07/31 14:25:29.64 7eTnLyQ50.net
>>248
あるよ。
リヤカーのような車を牛馬で引いていた

256:名無しさん@1周年
18/07/31 14:31:43.27 fs/6+92p0.net
大八車は江戸時代からあるよね。
時代劇にもよく出てくる。
驚くのは荷台の幅の狭さ。
細く路地でも通れるように後のリヤカーなどよりはるかに狭い。
軸受なんでベアリングもない時代だからさぞかし摩耗しただろう。

257:名無しさん@1周年
18/07/31 14:34:21.30 lxAfS3SD0.net
よくそんなでかいものが今まで放置されてたなw

258:名無しさん@1周年
18/07/31 14:36:02.82 kaVN56KJ0.net
駕籠は駕籠かきによって前後左右に揺れるから乗ってるやつも
その動きに合わせて揺れてやらないと駕籠かきが疲れてしまう
だから上からさがったひもにぶら下った中腰にならないといかん
疲れて時々、歩くのも双方のため

259:名無しさん@1周年
18/07/31 14:38:01.10 ivJplbVk0.net
韓国ドラマ見てたら朝鮮国王の籠って10人以上で四方八方から担いでたな
あれだけの人数で担げばあまり揺れずに快適だったろうと思う

260:名無しさん@1周年
18/07/31 14:38:58.05 ZovJHJLn0.net
大八車が消えたのは重心が高かったという理由もある。
両輪の間の軸の上に板を敷いたから。
リヤカーでは鉄パイプと両輪をつないで、鉄パイプを地面近くまで下ろして板を敷く。

261:名無しさん@1周年
18/07/31 14:39:23.01 7eTnLyQ50.net
>>256
近況用だと、車輪なしで荷台の片側を引きずる方式もあったみたいだな

262:名無しさん@1周年
18/07/31 14:45:39.91 yUQnxoPy0.net
お宝発見みたいな番組で、結構、色んなところで見たような気がするけど
勘違いかな?

263:名無しさん@1周年
18/07/31 14:54:11.75 Eu168Ee70.net
>>188
東海道は牛車対応で一部区間敷石舗装されてましたが?

264:名無しさん@1周年
18/07/31 15:01:47.44 8kZgaf4Y0.net
>>254
街道と言うと現在の国道の様な舗装されては無くても少なくとも開けた道がずっと繋がってるんだろう
と現代の人間はイメージするが
江戸時代の幕府が整備した五街道のひとつである甲州街道の旧道をちょっと歩いてみた事があるんだけど(小仏峠あたり)
細くて険しい登山道みたいな道が途中で普通にあるんだよなw
峠越えなんてそんなとこばっか
だだっ広い平原がどこまでも続いてる様なヨーロッパと違って日本の道は馬車なんかでずっと移動できるような地形じゃなかったんだよね

265:名無しさん@1周年
18/07/31 15:03:51.78 ukKq1gbW0.net
筆おろしは春日だったのかな

266:名無しさん@1周年
18/07/31 15:06:43.86 3KeHZ1cK0.net
でもエアコン付きじゃないときっと暑いよね

267:名無しさん@1周年
18/07/31 15:09:59.95 PuvsFr7/0.net
しょぼい
将軍用なんだからもっと金銀や漆をあしらった豪華なものかとおもった

268:名無しさん@1周年
18/07/31 15:10:17.28 7eTnLyQ50.net
>>265
水戸徳川家初代の徳川頼房だった説がある。

269:名無しさん@1周年
18/07/31 15:14:19.32 PKFVvHJa0.net
レベルが低いのは陸だけじゃないよな
航海術もお粗末で、常に陸を見ながらの地乗り航法、逆風でも吹きゃその辺の島影に逃げ込みやり過ごす有様

270:名無しさん@1周年
18/07/31 15:17:27.43 Zn4kuY3Z0.net
>>1
手放しで、信用すんなよ

271:名無しさん@1周年
18/07/31 15:20:21.72 Zn4kuY3Z0.net
>>1
鑑定したのか?用途は?近場用なのか、遠乗り用か?

272:名無しさん@1周年
18/07/31 15:23:27.94 8kZgaf4Y0.net
>>269
大航海できる大型船の建造をわざと禁止してたのも知らん低学歴のゴミ(笑)

273:名無しさん@1周年
18/07/31 15:24:52.15 c97ROUKt0.net
>>269
そりゃ徳川幕府が遠洋航海を禁止したからな
おまけに大型船の保有も禁止されてしまったし

274:名無しさん@1周年
18/07/31 15:26:46.55 XDo/WSxY0.net
>>262
身分の高い人の駕籠である乗り物(引戸がついていて部屋のようになっているタイプ)は金持ちの商人だからといって勝手に作って乗るわけにはいかなかった。
侍でもある程度高い身分でないと乗ることができない特権階級の乗り物であった。

275:名無しさん@1周年
18/07/31 15:29:22.69 7sREWHFYO.net
>>245
関ヶ原で徳川四天王の内井伊直政と本多忠勝は家康本隊にいて井伊直政は家康4男忠信と共謀して
福島正則に先陣を切らせないよう福島軍の前面に鉄砲隊を置いて対峙する宇喜多軍をゲリラ銃撃して
戦いの戦端を切ったが、酒井忠次 榊原康政は徳川主力部隊の秀忠軍3万8000にいた上に川止めと上田で真田軍に
ボコられて間に合わず。無論家康は顔も合わさんと言った位に激怒!。
ちなみに秀忠は大坂冬ではあわてて来るなを無視して10万を東海道経由でほぼ休まず行軍して二条城に
来たことにまたも家康に激怒されてる。

276:名無しさん@1周年
18/07/31 15:30:12.52 8kZgaf4Y0.net
船舶の規模や遠洋航海術なら戦国時代後期と安土桃山時代の方が江戸時代より優れてただろうね
江戸時代は徳川家への反乱に利用されるのを恐れわざと禁止してた
馬鹿は日本の技術が劣ってたから、とでも思ってる様だが(笑)

277:名無しさん@1周年
18/07/31 15:32:58.22 DPhF4PbM0.net
外人から見たら籠はどう思うんだろうか
やっぱり車輪が無いから遅れてると思うのかな

278:名無しさん@1周年
18/07/31 15:33:03.53 XDo/WSxY0.net
>>273
鎖国している200年の間に航海術は失われてしまった。
もっとも大きな実用船である千石船の船頭達でも稚拙な磁石を頼りに陸地を見ながら若しくは島伝いの航海が基本だった。
天測航法も知らず海図も無く経験則だけの航海なので一度流されるとお手上げで外国船に救助されるか島に流れ着くしか生き延びる道はなかった。
一番流された千石船でシアトル沖で救助された例がある。

279:名無しさん@1周年
18/07/31 15:33:29.99 FL1u3RpA0.net
高校を卒業した学生の語学能力が、これほど貧弱で物の役に
立たないのは何故なのか。抜群の語学力を誇り、東大文学
部長までつとめた筆者が、外国にいる若者が外国語を習得する
困難さを正面から取り上げ、正則(期待されるような)
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280:名無しさん@1周年
18/07/31 15:35:07.88 XDo/WSxY0.net
>>277
外国人は正座ができないので乗れなくて困ったらしい。
椅子タイプも外人向けに少数作られ横浜などで使われた。

281:名無しさん@1周年
18/07/31 15:36:32.86 xGR1BZkR0.net
>>269
戦国時代にすでに西洋並みの複帆船作れたけど、
幕府が単帆だけの規制を敷いた。
何石船、とかいわれるように排水量まで厳しく規制して大型船と遠洋航行を封じ込め。
おかげで不安定な単帆船のおかげで、たくさんの人が海難に遭ったな、
愚かだと思うわ。

282:名無しさん@1周年
18/07/31 15:36:56.29 c97ROUKt0.net
>>277
そこはどう考えるかで変わって来るな、密集地帯で人をひかないように考えるなら
人が担ぐ籠の方が安全だし、権力や富の誇示なら人を使役する意味でも有効

283:名無しさん@1周年
18/07/31 15:37:30.90 92bupfwx0.net
こんなのに何時間も座ってられるんだもんな
昔の人は凄いね

284:名無しさん@1周年
18/07/31 15:38:08.61 xGR1BZkR0.net
せめて複数の帆を利用した航法だけでも残しておけば、
向かい風でも操舵できるから、海難は激減していただろうにな。

285:名無しさん@1周年
18/07/31 15:40:00.39 c97ROUKt0.net
>>284
海運が未発達だったからこそ、あえてリスクを冒した紀伊国屋のみかん船は大成功したわけで

286:名無しさん@1周年
18/07/31 15:40:58.56 7eTnLyQ50.net
車だと玄関までしか入れないから、貴人も玄関まで赴く必要があるけど、
駕籠なら座敷まで上がれるからな
江戸城大奥では、正室や側室が外出するときには、駕籠が座敷まで入っていた

287:名無しさん@1周年
18/07/31 15:44:23.82 FL1u3RpA0.net
日本民法の父、穂積陳重の『法窓夜話』を現代語に完全改訳
法律エッセイとして異例のベストセールスを続けた名著を
手軽に読みやすく。短編×100話なので気軽に読めます。
法窓夜話私家版
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288:名無しさん@1周年
18/07/31 15:45:46.34 b5ZFXa7M0.net
>>44
座布団1枚やってーw

289:名無しさん@1周年
18/07/31 15:46:29.81 g2ZGroDE0.net
こんなでかいのなんで今まで見つからなかったの

290:名無しさん@1周年
18/07/31 15:46:41.31 hLIEdp120.net
まあ日本は山だらけだったからな

291:名無しさん@1周年
18/07/31 15:53:46.57 XDo/WSxY0.net
>>284
実は江戸中期に工楽松右衛門が専用の丈夫な木綿帆布を開発して帆の下桁をなくしヨットのセールのように帆の下を窄めることで単帆和船でも向かい風に向かってジグザグ航法で進めたのよ。
それより和船独特の箱型の舟底形状が逆走の妨げになって浅い角度でしか逆走出来ず効率は悪かったということ。

292:名無しさん@1周年
18/07/31 15:54:33.62 7sREWHFYO.net
>>281
伊達政宗が支倉常長をスペインに送った時の船は当時としてはかなり大きな帆船だったよね。
大砲も数門積んだっていうし。
出島のみになった時のオランダ船も比較的大型船だった。

293:名無しさん@1周年
18/07/31 16:09:24.48 SwepZS4L0.net
>>42
信長が日本を統一してりゃ北から西まで車が走り易い道造ってたかもね

294:名無しさん@1周年
18/07/31 16:11:03.43 KhvXr2Lg0.net
駕籠の中でSEXってあのシチュエーション可能なのかねえ

295:名無しさん@1周年
18/07/31 16:13:42.34 ogIjoTwq0.net
>>225
それについても。
この辺りは、まだ調べ上げてないので憶測ですが、
私は、馬というものは今でいう外車クラスの高級品だったのではないかと思っています。
例えば、同じまんが日本昔ばなしの「潮吹きうす」という
話では、主人公が石臼を使って米→塩鮭の次に馬を出して、
その次に家を出しています。このことから見て、馬は庶民の憧れなんじゃないかなぁと思います。
又、その他の昔話を見ていると馬方は、馬を使って荷物を運んだり、代掻きを手伝ったり、して駄賃を貰って生活をしていますが、これも結構広範囲に借り出されたりしているので、やっぱり村に馬方が1人いるかいないかの状況での高級品だったんじゃあないかな?と考えます。
亀レス、乱文すみません。

296:名無しさん@1周年
18/07/31 16:22:48.74 QbjHPVHb0.net
>>188
道中奉行はどんな仕事をしてたの?
街道の石畳は自然にできたの?

297:名無しさん@1周年
18/07/31 16:23:02.59 0caMMZ1V0.net
>>14
駕籠はある意味義務だったからな
公務での外出では身分によって鋏持ちや草履取り、家来の数も決まりがあったから

298:名無しさん@1周年
18/07/31 16:25:20.22 0caMMZ1V0.net
>>225
塩原太助か

299:名無しさん@1周年
18/07/31 16:25:54.75 P3ZiAPE10.net
>>94あんな中で長時間いるぐらいなら自分も歩いた方が楽だよな。

300:名無しさん@1周年
18/07/31 16:29:41.54 unv7y6Po0.net
>>62
ホント

301:名無しさん@1周年
18/07/31 16:32:20.18 p28ypMOH0.net
福沢諭吉は欧米で馬車を見て、その発想は無かったとか言ってたな

302:名無しさん@1周年
18/07/31 16:36:58.38 lLknUYui0.net
俺は牛車が好きだ

303:名無しさん@1周年
18/07/31 16:39:03.41 +wzrgfTx0.net
>>297
その通り。籠一つ止めると、籠担ぎで代々食ってる一族郎党は一挙に職を失う。
これが封建社会の本質。故に物事を動かすのがほんとに大変。

304:名無しさん@1周年
18/07/31 16:39:21.11 Lcsn1zoY0.net
日本人は関東大震災まで、交通や都市計画の重要さを知らなかったからね

305:名無しさん@1周年
18/07/31 16:40:51.97 0caMMZ1V0.net
>>302
公家じゃないと乗れないんじゃなかったかな?

306:名無しさん@1周年
18/07/31 16:41:07.77 U93rOj/X0.net
現存してる江戸時代の駕籠を見ると、当時の日本人がいかに小さかったかよくわかる

307:名無しさん@1周年
18/07/31 16:42:53.77 c97ROUKt0.net
>>304
東京にしろ大阪にしろ本格的な都市計画で変わったのは戦争後の話
東京も大阪も運河が多くて運河で物を運んでた
空襲の後の残土の処理もあったが、運河を埋め立てて道路を作って
整理したのが現在の東京と大阪
名古屋福岡も中心部が廃墟になったおかげで都市計画を一から立てられた

308:名無しさん@1周年
18/07/31 16:44:24.28 U93rOj/X0.net
>>305
今川義元が輿に乗ってたのは、乘れる身分を誇示するためだったらしいな

309:名無しさん@1周年
18/07/31 16:44:41.82 c97ROUKt0.net
>>306
当時の日本人って160を越えるのはほとんどいなかったらしいからな
その前の平安鎌倉時代と比べても低い

310:名無しさん@1周年
18/07/31 16:47:37.66 WEsCfgaN0.net
>>304
江戸は大火でなんども焼けて
その度に少しずつ都市計画的なことをしてるよ
延焼防止のエリアを作ったり

311:名無しさん@1周年
18/07/31 16:49:26.69 7sREWHFYO.net
>>308
輿に乗って指揮したと言えば関ヶ原の大谷吉継も病で顔に面を被って輿に乗りながら藤堂高虎軍と激戦。

312:名無しさん@1周年
18/07/31 16:49:48.51 MDkLRq5o0.net
エコノミー症候群になりそう。(´・ω・`)
img.news.goo.ne.jp/picture/jiji/m_jiji-0027824121.jpg

313:名無しさん@1周年
18/07/31 16:52:14.50 /qeod9tQ0.net
>駕籠は箱状の座席に担ぎ棒を渡した乗り物で、明治期に人力車が普及するまでは広く利用された。
時代劇が殆ど無くなったから、こうやって説明しないといけないんだな。

314:名無しさん@1周年
18/07/31 16:53:18.26 pD2ypE3T0.net
>>312
狭いとかきついとか暑いとか苦しいとか「甘え」で片づけられてしまう超絶ブラック時代やぞ。

315:名無しさん@1周年
18/07/31 16:56:27.20 wW7fG9dj0.net
>>3
四代、五代将軍は家光の子供、六代将軍は家光の孫で七代は曾孫
七代が幼少で夭逝したため、ここで直系が絶え八代が紀州家の吉宗となった

316:名無しさん@1周年
18/07/31 17:05:12.45 wW7fG9dj0.net
>>32
あったけど主に荷物を運ぶ用だった

317:名無しさん@1周年
18/07/31 17:05:46.10 7sREWHFYO.net
>>315
9代 10代は吉宗の子供(9代は病気持ち)で、10代で吉宗の子も途絶えてあらかじめ吉宗が作っておいた
御三卿の一橋家の家斉が11代になり、大量に子を作ったために12代 13代と家斉系が続いた。
さらにそのせいで12代家治が家斉がずっと大御所にいたために50歳近くまで実権握れなかった。
14代は紀州 15代は一橋家。

318:名無しさん@1周年
18/07/31 17:09:47.23 QbjHPVHb0.net
ID:7sREWHFYO
スレタイ読めないひとかな?

319:名無しさん@1周年
18/07/31 17:14:18.10 7eTnLyQ50.net
>>308
戦場における輿は身分は関係ない
馬に乗れないご老体などは輿で参戦することも珍しくなかった
馬なら視線が高いから戦場を見渡せるが、駕籠だと低いから戦場が見渡せない
馬と同じ視野を確保するなら輿に乗ることになる

320:名無しさん@1周年
18/07/31 17:15:02.45 V/ztO9mB0.net
>>302
面堂終太郎の母ちゃん乙

321:名無しさん@1周年
18/07/31 17:15:57.25 6L7I7XcP0.net
>>269
陸を見失うと髻切って神仏に祈るんだぜ

322:名無しさん@1周年
18/07/31 17:17:29.40 iuZKfHki0.net
>>29
平安時代は牛車に乗ってたんだがな
まぁ京都は広大な平地だったが

323:名無しさん@1周年
18/07/31 17:18:47.88 7eTnLyQ50.net
>>299
読書にしろ、手習いにしろ、茶の湯にしろ、公式行事にしろ、何時間も正座で過ごすなんて
幼少期から当たり前として育っているから、駕籠の中で正座するなんて大して辛くもないんじゃないの?

324:名無しさん@1周年
18/07/31 17:26:19.97 FQHZcrwX0.net
こんなの交通手段じゃないよたいした資料じゃないよ。交通資料と言うんなら牛車や馬車のほうが理にかなってる。

325:名無しさん@1周年
18/07/31 17:26:50.23 wW7fG9dj0.net
>>317
15代は一橋だけど水戸家の血筋じゃん
>>304
江戸の街並が何故土蔵造りになったのか知らないの?

326:名無しさん@1周年
18/07/31 17:28:48.95 iMcjgZTC0.net
いくら歩かんでもエエ言うても、真夏は暑いし真冬は寒いがな

327:名無しさん@1周年
18/07/31 17:35:22.63 vFE4kOtJ0.net
>>68
スキー場で見掛けるな

328:名無しさん@1周年
18/07/31 17:43:58.39 c97ROUKt0.net
>>326
江戸時代は寒冷期で江戸の最高気温は30度を超えたか怪しい所

329:名無しさん@1周年
18/07/31 17:51:50.62 7eTnLyQ50.net
>>328
28℃くらいだとしても、炎天下にあの箱の中に入っているのは
かなり暑いんじゃないか?

330:名無しさん@1周年
18/07/31 17:58:06.98 c97ROUKt0.net
>>329
8月いっぱい(旧暦だからそれに相当する期間)は乗らなければいいんじゃね?
バブルの頃の関東って、7月下旬までは梅雨寒で8月に入ってようやく暑くなり9月にはすぐに涼しくなってた
寒冷気候だった江戸時代だったらなおさらで一番暑い時期は20日もなかったと思う

331:名無しさん@1周年
18/07/31 17:58:48.37 0caMMZ1V0.net
>>323
ドラマだと正座だけど実際には男も女も胡座が多かったんじゃね?

332:名無しさん@1周年
18/07/31 18:02:10.14 56lbRHO30.net
しかしこんな駕籠かきのような人権侵害・ブラック労働の塊が江戸時代だったんだな
これらを打破した明治の 御一新は畏れ乍らありがたいです

333:名無しさん@1周年
18/07/31 18:06:47.19 NpstFlnKO.net
福井県て言うから徳川一門の越前松平家かと思ったら、若狭の酒井か
譜代大名だが徳川四天王だから格高そう

334:名無しさん@1周年
18/07/31 18:06:58.50 56lbRHO30.net
日本は奈良時代までは世界水準の交通レベルだったが
足利・徳川という左翼独裁政権時代に世界最低水準の交通レベルにさせられて
現在に至る

335:名無しさん@1周年
18/07/31 18:07:56.61 0D4BB6AZ0.net
>>229
思うに車輪製作は手前だからでは?
熱を要する。

336:名無しさん@1周年
18/07/31 18:14:03.49 DP5tRSB80.net
>>68
こんなデカいものが今更発見されたってどういうこと?
どんだけデカい蔵やねん

337:名無しさん@1周年
18/07/31 18:14:37.19 qF8VyPAG0.net
>>333
四天王は酒井左衛門尉家、こっちの酒井は酒井雅樂頭家。

338:名無しさん@1周年
18/07/31 18:14:38.74 56lbRHO30.net
>>306
山岡鉄舟は188センチ105キロで西郷どんは180センチ130キロ大久保どんは178センチ
むしろ今のマッチョ青年よりガタイが良いよな
だから駕籠は乗せる人は超ブラックなのは当たり前だが
乗る人も箱根越えなんてなると難行苦行体中ボコボコになるだろう

339:名無しさん@1周年
18/07/31 18:15:28.85 0caMMZ1V0.net
>>332
飛脚の話だが江戸~京都へ三日で手紙を届ける三日飛脚は料金が今の金額で140万相当だったらしいから
駕籠掻き人足の手間もそう悪くはなかったと思われる
ちな距離が長くなると昼夜を問わず進める駕籠の方が馬より早かったそうだ

340:名無しさん@1周年
18/07/31 18:16:35.52 hcMiweBj0.net
人生、楽ばかり~

341:名無しさん@1周年
18/07/31 18:18:26.84 NpstFlnKO.net
>>334
平安時代中頃からの藤原氏による摂関政治から、中央集権はグダグダ
続く平氏・源氏政権も街道の改良なんてカネのかかる土木工事はやりゃしない
徳川政権は東海道整備したり沿道に一里塚作ったり、まだ仕事した方

342:名無しさん@1周年
18/07/31 18:20:34.10 0NXrOxUf0.net
権威付けのために籠に乗った

343:名無しさん@1周年
18/07/31 18:20:45.68 56lbRHO30.net
>>339
ベアトが幕末に写した駕籠かきの写真はいずれも上品げな女性を乗せているが
駕籠かきはTバック褌だけで全裸に近い。いまだともちろんこれでは刑務所いきだが
あまりにも超重労働だから着物ももひき(今でいうスキニーパンツ)なんて着たら
体がもたなかったのだろう

344:名無しさん@1周年
18/07/31 18:21:17.75 NpstFlnKO.net
>>338
悪路では舌噛まないように口に手ぬぐい咥えたらしい

345:名無しさん@1周年
18/07/31 18:22:01.69 0caMMZ1V0.net
>>341
利根川東遷は今じゃ出来ないだろうな

346:名無しさん@1周年
18/07/31 18:34:33.68 TSzgF20KO.net
【新型車発売】
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347:名無しさん@1周年
18/07/31 18:35:08.72 H/KdRIhM0.net
>>308
昔は義元が太り過ぎて馬に乗れなかったからと言われてたのにね
今では名門今川家の権威を利用した制圧用精神攻撃兵器。

348:名無しさん@1周年
18/07/31 18:39:33.35 6tVE+PtT0.net
日本は車輪の文化か鎌倉以降に無くなったもんな

349:名無しさん@1周年
18/07/31 18:43:49.58 RWke/Q2p0.net
>>49
禁制しくのって気分いいんだろうね
5chでもすきあらば禁則作るやついるもん
主人になった気分なのかな

350:名無しさん@1周年
18/07/31 18:44:13.74 0caMMZ1V0.net
>>348
別になくなってないけど?

351:名無しさん@1周年
18/07/31 18:46:56.96 45dGeiL30.net
>>27
石が道を作るほどなかったからだろ
江戸城だってせいぜい砂利を敷ければ御の字で
ほとんど土w

352:名無しさん@1周年
18/07/31 18:49:43.00 NpstFlnKO.net
>>343
全身に刺青入れて半裸で疾走してたらしい
刺青入れないと籠かき仲間から小馬鹿にされたとか

353:名無しさん@1周年
18/07/31 18:52:39.82 z9g7vaRq0.net
>>330
>8月いっぱい(旧暦だからそれに相当する期間)は乗らなければいいんじゃね?
お殿様とはいえ、そんなわがままはできないのよ。
特に江戸在府中は、大名といえども公方様の一家来だから、決まった日には登城しないといけないし、
何より幕府からいろんな仕事を押し付けられる。
江戸城の石垣の修築をしろだとか、堀の泥をさらえとか、両国橋を架け替えろとか、水道管が劣化したから更新しろだとか。
それに、ご先祖様の年季法要があれば菩提寺に赴かなきゃいけないし、大名同士の付き合いも多い。
江戸も末期になると、各大名家とも江戸時代初期から数えても10代を超えているので、年季法要も頻繁にある。
自分の家の法要だけならまだしも、分家の大名ともなれば、本家の法要にも赴かないといけない。
お殿様はかなり多忙を極めていた。だから、嫡男が元服を済ませたらとっとと隠居したがる大名が多かった。
国許にいればトップだから比較的自由がきくけど、江戸在府中は中間管理職なので真夏だから駕籠に乗りたくないなんて
わがままは許されない。

354:名無しさん@1周年
18/07/31 18:57:07.91 1qzW3xop0.net
渋いデザインでカッコいい

355:名無しさん@1周年
18/07/31 18:58:20.19 z9g7vaRq0.net
>>336
駕籠は分解可能だから、バラバラに分解されていて駕籠だとは気づかなかったんじゃね?

356:名無しさん@1周年
18/07/31 19:02:47.79 RWke/Q2p0.net
>>353
誰も書かないけど、五輪を猛暑にさせるのも、日本の金力財政圧迫する手段だと思うけどね。
脅威は取りのぞけ、という思考にひれ伏した歴史なのに
他国の兵法として全然考えないんだな。

357:名無しさん@1周年
18/07/31 19:03:20.16 g0HF7inu0.net
江戸時代の日本は車輪の無い朝鮮と変わらんなw

358:名無しさん@1周年
18/07/31 19:05:29.35 z9g7vaRq0.net
>>343
現代でもマラソンランナーのシャツやパンツは極限まで軽くしてあって、面積も小さいし生地もスケスケ
生地が厚いと汗を吸って重くなって、長時間走ってると乳首とか襟元とか、袖口とかがスレて血だらけになったりする
江戸時代にはそんな汗を吸わない軽い素材なんてないから、裸じゃないとダメかもしれん。

359:名無しさん@1周年
18/07/31 19:06:30.06 z9g7vaRq0.net
>>356
そんなトンデモは誰もかけないわな

360:名無しさん@1周年
18/07/31 19:07:59.90 wkSI2kS00.net
>>357
大工の技術が半端ないことに気づかないなんて気の毒な朝鮮人w

361:名無しさん@1周年
18/07/31 19:17:27.44 45dGeiL30.net
>>93
駅のラッシュのときのバイトの押し込みだって日本くらいだろwww

362:名無しさん@1周年
18/07/31 19:17:44.27 RWke/Q2p0.net
>>359
だろうね。
私、早いからね。
トランプは「アメリカは被害者だー」言い立ててるよ。
これはここでよく見るやり口と思考回路。
自分以外は防備を弱らせるために叩くのが常套手段だよ。

363:名無しさん@1周年
18/07/31 19:18:38.10 7Qv39xS00.net
寺の人はそんな大事なものを今まで黙ってたんだ。
逮捕だ!

364:名無しさん@1周年
18/07/31 19:21:02.40 45dGeiL30.net
>>87
始皇帝は部屋みたいな馬車で巡幸したて話だけど
どういうつくりだったのだろうなw

365:名無しさん@1周年
18/07/31 19:26:35.25 45dGeiL30.net
>>181
3大飢饉が起きているだろwww

366:名無しさん@1周年
18/07/31 19:33:20.01 z9g7vaRq0.net
>>365
>>129の「江戸時代は人口が一定」というのが大嘘だから
江戸時代が始まった1600年当時の人口は1800万人程度
幕末期の人口は3200万人程度
どこが一定なんやら

367:名無しさん@1周年
18/07/31 19:35:08.19 IZoNpuPh0.net
車を制限されてたのはクーデターを防ぐためだよ

368:名無しさん@1周年
18/07/31 19:36:52.99 u7SjZvny0.net
>>145がお怒りだぞ
まぁそんなもんだわな

369:名無しさん@1周年
18/07/31 19:44:52.36 PKFVvHJa0.net
>>364
チャリオットに天蓋を付けたような物だろうね
始皇帝陵兵馬俑坑からミニチュアが出土しているよ

370:名無しさん@1周年
18/07/31 19:49:46.19 bp/Kdd+N0.net
平安貴族も牛車使ったのは洛中だけで洛外に出る時は輿を使ったみたいね
機能性より権威付けのためだったらしい

371:名無しさん@1周年
18/07/31 19:54:05.73 5yK/e2Gh0.net
>>181
安倍政権と同じだな
セルフ経済制裁してる

372:名無しさん@1周年
18/07/31 19:54:12.08 XDo/WSxY0.net
>>369
ツタンカーメンのチャリオットの軸受ってどんな構造なんだろ?
時代考えて鉄は無いから青銅製なんだろうけど耐久性とか興味あるわ。

373:名無しさん@1周年
18/07/31 20:01:26.71 1rG+kbu20.net
>>135
目黒のさんまは、徳川将軍でなくてどこかの大名

374:名無しさん@1周年
18/07/31 20:10:57.77 8OfVAmpf0.net
>>344
食事後に乗るのはキツそうw

375:名無しさん@1周年
18/07/31 20:13:23.03 y75PmxUE0.net
>>373
徳川将軍のバージョンもある

376:名無しさん@1周年
18/07/31 20:14:43.17 45dGeiL30.net
>>347
太り過ぎて馬に乗れなかったのは
龍造寺隆信だろ。
輿担いでいた下人がみんな逃げて
最後逃げ遅れて島津に首をチャンパされたw

377:名無しさん@1周年
18/07/31 20:19:07.76 45dGeiL30.net
>>366
徳川幕府支配のため
他国を攻めて領土を広げることが
できないから新田開発が江戸時代初期さかんだったらしいな
だから公式の石高より実高が高い大名もいた。毛利とかな。

378:名無しさん@1周年
18/07/31 20:23:04.18 yIYaXQSa0.net
江戸時代は百姓一揆が3000件くらいあったんだっけ?
俺たち民草はお上からそうとう搾取されてきたのな。

379:名無しさん@1周年
18/07/31 20:25:21.44 7sREWHFYO.net
>>376
今川義元と大谷吉継は知ってたがもう一人輿に乗りながら指揮したのがいたの知らなかった。
大相撲の白鵬並みの体格だったらしいね。
沖田畷は深追いしすぎて迷路になってるようなところに入り込んだところを島津軍の伏兵が襲撃。
輿を担いだ兵は逃げて首ちょんぱされちゃった。

380:名無しさん@1周年
18/07/31 20:37:37.09 45dGeiL30.net
>>379
主君でも信望のないのは見捨てられるな
井伊直弼も供回りがほとんど無傷で逃げている。
まああとで斬首お家取り潰しだけどよw
大谷吉継は首のありかを知っている徳川方の武将が口を閉ざすほどなんだけどな
(ありかを言えば褒美で大名にもなれたかもしれないのになw)

381:名無しさん@1周年
18/07/31 20:38:21.40 CF695JVc0.net
>>379
九州なら雷神ことベッキーが輿に乗って指揮していた。

382:名無しさん@1周年
18/07/31 20:46:50.02 D7gsDv8X0.net
葵徳川三代では丹波哲郎の息子さんがやった役だな

383:名無しさん@1周年
18/07/31 20:51:51.61 NpstFlnKO.net
>>378
それが薩摩藩だけは、ほぼ一揆がなかった
理由は薩摩武士が怖すぎて、百姓も一揆やってもムダだと諦めてたから
薩摩藩はイロイロと異質

384:名無しさん@1周年
18/07/31 20:54:04.10 QWzOyerG0.net
>>311
竜造寺隆信w
太ってて重かったから輿に乗ってたけど、家臣から嫌われてたので最期は輿を捨てて兵士が逃げて首取られたっていうアレが好きw

385:名無しさん@1周年
18/07/31 20:56:46.88 lzqv8kmY0.net
>>7
ヘリで帰った

386:名無しさん@1周年
18/07/31 20:59:06.56 U93rOj/X0.net
薩摩は他より武士の割合が高くて年貢も厳しく富農がほとんどいなかったと司馬さんが書いてたよ

387:名無しさん@1周年
18/07/31 21:06:06.87 NPN/WyD80.net
西洋人からしたら日本の駕籠にはどう思うんだろう

388:名無しさん@1周年
18/07/31 21:07:51.15 1rG+kbu20.net
博物館なんかで見た駕籠はとても小さく感じたけど
アレに本当に乗れたのかなって思うくらい

389:名無しさん@1周年
18/07/31 21:08:23.45 fs/6+92p0.net
>>383
薩摩って息がつまるような所だったんだろうな。

390:名無しさん@1周年
18/07/31 21:11:03.44 U93rOj/X0.net
>>387
馬の仕事を人にやらせてる! とかかな
幕末に来日した西洋人に評判が悪いのは既婚女性の眉剃りと鉄漿だね
不気味 と書き残してる

391:名無しさん@1周年
18/07/31 21:11:24.68 Zn4kuY3Z0.net
>>388
逆に、幕末の写真で見る駕籠は、かなり大きい
人物と映ってる対比で見ても

392:名無しさん@1周年
18/07/31 21:20:17.16 NpstFlnKO.net
>>387
長崎のオランダ商館長一行も江戸参府の道中は、駕籠に乗ったり馬に乗ったりだったらしい

393:名無しさん@1周年
18/07/31 21:27:43.92 8kZgaf4Y0.net
そう言えばチョンってこう言う歴史的遺物とが残ってるんかね
例の猫車とかw

394:名無しさん@1周年
18/07/31 21:33:04.31 s8H5uC4M0.net
福井は県庁の近くの神社に三つ葉葵がついた神社があるよね。

395:名無しさん@1周年
18/07/31 21:52:04.81 O/Idjk2F0.net
去年だったか納屋で発見されたフェラーリ並みに凄いこと

396:名無しさん@1周年
18/07/31 21:52:29.44 NpstFlnKO.net
>>394
福井藩祖の結城秀康祭った神社だと思う
お城の近くには藩主祭った神社が明治以降によく建てられた

397:名無しさん@1周年
18/07/31 22:07:51.82 K669N3ca0.net
小浜城跡(天守台跡しか残ってない)の隣だったか、酒井家祭る神社あった

398:名無しさん@1周年
18/07/31 22:19:20.94 eYuuc+9i0.net
竹千代

399:名無しさん@1周年
18/07/31 22:20:46.81 /3zbk1Hr0.net
他にもありそう

400:名無しさん@1周年
18/07/31 22:47:20.21 KJLPocb10.net
>>7
君だって乗ってきた自転車をスーパーに忘れて帰ってしまうことがあっただろう?

401:名無しさん@1周年
18/07/31 23:16:47.69 2D6LRucS0.net
結構でかいなwww

402:名無しさん@1周年
18/07/31 23:43:27.46 QWzOyerG0.net
>>400
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

403:名無しさん@1周年
18/08/01 00:09:37.45 ADt6++ZB0.net
宿場事に専用の人員が待機していて名うての担ぎ手がリレーして運ぶ早駕籠は
馬で移動するよりも遙かに早く移動できてたで(どう考えても酔うと思うが)
実際馬で移動したら途中で何度も休憩が必要だし
早足以上を続けてたら潰してしまうし
人間なら組合でダイヤグラムのような往復運用もできるし、
必要なメンテは自分でするし、遙かに現実的で費用対効果も高いわな
平地で石畳がしけるとかなら馬車もありえたかもしれんけど基本峠ばっか
結果として当時の庶民はお伊勢参りとか大山参りとか徒歩で行くのが当たり前に
宿場と街道があるからそれで困らないんだけどさ

404:名無しさん@1周年
18/08/01 00:33:20.20 xfagkxxu0.net
>>403
赤穂事件の時に江戸から赤穂の国元に事件の発生を伝えたのも早駕籠リレーだしな。

405:名無しさん@1周年
18/08/01 00:33:39.61 Otntk1T+0.net
>>400
駕篭かきは忘れないだろ?

406:名無しさん@1周年
18/08/01 00:47:38.62 ADt6++ZB0.net
>>7
ディーラーに新しい駕籠を発注してあった
または現地で新車が献上されたとか
ってボケてたら、股肱の臣を移封する際に贈ったものなのね
貿易港を含む商業地の治政(特に対外貿易)を掌握させたかったんかな

407:名無しさん@1周年
18/08/01 02:57:09.67 iE+shqz40.net
カゴをプレゼントしたとしてカゴを持つ人間はどうしたんだろ?帰ったの?
>>400
スーパーからカゴを持って帰ってしまうこともある

408:名無しさん@1周年
18/08/01 03:13:58.85 m3JXngHP0.net
孝明天皇が乗って加護が京都のお寺でみたが
金ピカで驚いた

409:名無しさん@1周年
18/08/01 03:28:14.53 SP/Ny36s0.net
>>404
忠臣蔵を見ると早駕籠のシーンはなぜか海岸を駕籠で走るんだよな
距離を稼げてなおかつ電線やビルが移らないアングルだからなんだろうが

410:名無しさん@1周年
18/08/01 04:37:45.04 wl/3oGq/0.net
将軍や殿様って行列の中で籠で移動するけど、
「狭いの飽きた、俺は馬に乗りたい」とか「やっぱりしばらく歩くわ」とかは
逆に身分のある人はだめって言われるんかな

411:名無しさん@1周年
18/08/01 04:38:51.21 4BjviR2U0.net
>>23
長いけど2人じゃなくて4人とかで担いでたのかな?

412:名無しさん@1周年
18/08/01 04:52:32.75 tf74+94f0.net
なんで日本に馬車がなかったの?

413:名無しさん@1周年
18/08/01 05:09:39.19 turjhagC0.net
>>286
ちったあ運動しろ!

414:名無しさん@1周年
18/08/01 05:12:34.66 turjhagC0.net
>>294
毎晩やってるから、そんな想定はしてないw

415:名無しさん@1周年
18/08/01 05:35:29.08 NPYlscbV0.net
>>14
大八車っていつごろできたんやろ
ちうか道がわるいのか

416:名無しさん@1周年
18/08/01 05:49:49.49 turjhagC0.net
日本人が発明した物、リアカーと人力車だけ?

417:名無しさん@1周年
18/08/01 06:09:47.61 kOQm5wjJ0.net
>>412
平安時代までは牛車はあったのにな

418:名無しさん@1周年
18/08/01 06:33:36.72 JwEPngsQ0.net
>>389
今でもじゃないか


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