18/05/17 08:11:20.58 zi0W7Zfq0.net
>>412
余命関連のサイトでいろいろ見た。
その中で不作為について書いていた者がいた。
つまり弁護士という社会的な地位にいて、
所属の団体(弁護士会)が朝鮮学校の補助金要請をした。
もしも反対なら(自身の社会的地位に鑑み)きちんと反対の意思を示すべき、という意見があった。
私はそれについてしばし考えてしまった・・・
「沈黙は了承の意」について
いわゆる「沈黙は了承」「沈黙は同意」などと言われるが、
この始まりは何かというと、私が知っている限りにおいては釈尊です。
御釈迦様です。
たとえば仏教(正確には釈迦の教え)の支持者からのお誘い「今度私たちの村に来て教えを説いてください」
と言われた場合、釈迦は沈黙を以て了承される。
これは何かしらの事情で行けなくなった場合「嘘をついた」というのを避ける為だ。
(嘘は十戒によって禁止)
つまり沈黙は何かしらの事情がなければ「行く」(承認・肯定)という意味になった。
行けないのならきちんと「否定」する、という事
その人の文章を読んでいたら、この事が頭をよぎった。