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頼朝の死とも因縁のあるまち、川崎市w
かの源頼朝は、部下であり重臣の稲毛三郎重成が
亡き妻の供養のため、相模川に架けた橋を見物に赴き、
その帰り道で、馬から落ちて死亡した、とされています。
稲毛三郎重成は、現在の多摩区、生田緑地にあった
枡形城を居城とし、北条政子の妹を娶るなど栄達を極めますが
頼朝の死から7年後、謀反を問われ、あっけなく斬首されています。
政子の妹を妻に迎えるほどの人物の、ありえない最期。
実は、稲毛三郎重成が、頼朝暗殺の実行犯であり、
その口封じで暗殺されたとの説もあります。
たまには生田緑地で、頼朝の死をめぐる陰謀に
思いをはせてみるのも面白いかもしれませんw