18/02/27 22:22:28.50 oTJ2LqGk0.net
そもそも理解されたいとか認められたいと期待すること自体間違いなのかもしれない。
人間は結局本質的には孤独で自分を真に理解する人は現れない。
100%理解されることはあり得ない話で、自分もまた他者を理解できない。
むしろ誰も理解できない領域を追求する、それが古来から哲学や学問として発達してきたのだろう。
誰にも理解できない領域や境地のようなものを目指すことの方が自分のような人間にとっては幸せなのかもしれない。
NHKの「こころの時代~宗教・人生~」というお爺ちゃんしか見てなさそうな対談番組を自分はしばしば見ているのだが、
山折哲雄という宗教学者が出演した回はとても興味深かった。
『ひとりゆく思想』というサブタイトルだったのだが、その中で「蓄えた知識はいつしか重みになる」という言葉は自分の心に響いたことを覚えている。
しかしそれでも親鸞の書籍だけは今も捨てられないとも語っており、現代人の心の拠り所となるのはむしろ古代の思想家の言葉との問答のような時間なのかもしれない。
.,,..,,,,_
/ ,' 3 `ヽーっ
l ⊃ ⌒_つ
`'ー---‐'''''"