18/02/17 19:31:31.71 CAP_USER9.net
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続き
ある捜査関係者は「渡辺さんと同じ状態になっていても不思議ではなかった。よく助かってくれた」と話す。
凄惨な暴行の数々
捜査の過程で徐々に明らかになったのは「リンチ」ともいえる渡辺さんへの暴行の数々だ。木刀で殴る▽縄跳びの縄で叩く▽吐き出したものや排泄(はいせつ)物を食べさせる-。サバイバルゲームで使用するエアガンで至近距離からBB弾を撃ち込んだこともあった。5人は日常的に暴行を加えていたとみられる。
渡辺さんは所属していた堺市のムエタイジムで、井坪被告と2年前に知り合ったとみられ、当初は井坪被告らと同等の立場だったという。井坪被告らと行動する中で「次第に車の運転など使い走りをさせられるようになっていった」(捜査関係者)という。
5人は渡辺さんが衰弱しぐったりした状態になると、全裸にオムツを履かせた状態で、監視カメラ付きの部屋に監禁していた。近江八幡市に移したのは、「もう1人の男性の監禁を露見させないためだった」(捜査関係者)とみられている。
近江八幡市に移した後も同様に監禁し、インターネット電話サービス「スカイプ」を使って中継しながら監視していたという。
押し入れで約4年
一方、男性は約8年前に趣味のレゲエ音楽を通じ、SNSの動画サイトで井坪被告と知り合い、5、6年前に井坪被告を頼って住んでいた新潟県から堺市内へ移った。当初は井坪、宮崎、飯星の3被告と堺市内で同居していたが、手狭になったことなどから、飯星被告と生活するようになった。
男性も使い走りをさせられていたが、ほどなく3人から暴行されるように。暴行で足をけがして動けなくなった男性は、平成25年ごろから押し入れに閉じ込められた。
食事はほぼ毎日、ラーメンにご飯を入れたもの。風呂にも入れず、オムツも毎日は替えてもらえない状態だったようだ。冷暖房など空調設備もない中、監視カメラが設置された押し入れで過ごした。男性は「言う通りにしておけばこれ以上ひどい目にはあわないと考え、押し入れでの監禁生活を続けた」などと話しているという。
男性は現在も入院中。回復しつつあるが、自力歩行は困難な状態だという。捜査関係者によると、男性は障害年金を受給していたが、グループに取り上げられていたという。
一連の事件では、井坪被告と共謀して渡辺さんに排泄物を飲ませたとして、強要容疑でムエタイジムの経営者の男性(39)も逮捕されたが、大津地検が処分保留で釈放後、堺市内の自宅で自殺しているのが見つかった。
標的になるのを恐れた?
捜査はほぼ終了したが、捜査関係者によると、井坪被告以外の4人は容疑を認め、井坪被告は犯行や動機について口を閉ざしたままだという。
謎が残るのは5人の関係と、成人男性2人を暴行、監禁し続けた理由だ。暴行の発覚を恐れたことも監禁理由の一つとみられるが、監視カメラの設置、インターネットでの中継など、「なぜそこまで手間をかけるのか」(捜査関係者)分からない状況もある。