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サヨクの政策【 伝統的秩序の解体 = 国家の解体 】
ソ連の「革新」的な実験がもたらした大惨事の例
1917年、ロシアの共産革命によって政権を掌握した共産党及び革命政府の施策は多くの抵抗に遭遇した。
ソ連政府はその原因を家族、学校、教会にあると考え、革命を成功させるため、
家族の絆を弱め、教会を破壊し、学校を革命の担い手に変えることとした。
「旧秩序の要塞・伝統文化の砦」とされた家族に対する攻撃は次のように行われた。(中略)
こうした反家族政策の狙いどおり、家族の結びつきは1930年頃には革命前よりは著しく弱まった。
しかし、彼らが予想もしなかった有害現象が同時に進行していた。
1934年頃になると、それが社会の安定と国家の防衛を脅かすものと認識され始めた。すなわち、
一、堕胎と離婚の濫用(1934年の離婚率は37%)の結果、出生率が急減した。
それは共産主義国家にとって労働力と兵力の確保を脅かすものとなった。
二、家族、親子関係が弱まった結果、少年非行が急増した。1935年にはソ連の新聞は愚連隊の増加に関する報道や非難で埋まった。
彼らは勤労者の住居に侵入し、掠奪し、破壊し、抵抗者は殺戮した。(中略)
三、性の自由化と女性の解放という壮大なスローガンは、強者と乱暴者を助け、弱者と内気な者を痛めつけることになった。何百万の少女たちの生活がドン・ファンに破壊され、何百万の子供たちが両親の揃った家庭を知らないことになった。
【立憲民主党】辻元清美【民進党】
「国民の生命と財産を守るつもりはない。私は国家の枠をいかに