17/11/05 21:41:27.70 lA7a4por0.net
社会学には「主体性」の概念がある。
人間の「意識」は3000年ほど前に「文字」の普及によって生まれた。それ以前も「言葉」はあったが、歌や踊りとともにあり、ダイレクトに感染を引き起こす道具だった。
文字が普及すると、ダイレクトな反応に代わって、自分の反応に対する自分の反応に対する自分の……といった反応の再帰性(折り返し)が生じるようになる。
これが「意識」だ。
たんに怒ったり悲しんだりするのではなく、怒っている自分を見て悲しんだり、悲しんでいる自分を見て怒ったり。
そのぶん具体的反応を相手に返すまでに遅れが生じ、再帰性の高次化に伴う個性が「主体性」を与え、抽象的思考が可能になる。
絵文字やスタンプを使った即時のやりとりは、「主体性」を抹消した「自動機械」を生む。個性はなく入れ替え可能だ。
むしろコミュニケーションに遅れが生じると「意識」や「主体性」の働きを目ざとく見つけられて叩かれる。それを恐れるから「意識」を禁圧、「自動機械」に埋没したがる。
その結果、昨今の若い世代は、文脈を分析して「他者に対して想像力を働かせる」ことができなくなった。