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明治新政府は会津戦争における戦死者を「賊徒」として埋葬を許さず、この為に長期間に渡って放置された
遺体は風雨にさらされ、鳥獣に食い散らかされる悲惨な状況だったと言う。見かねた近所の村人が遺体を
埋葬しようとした為に処罰を受けた事も在ったと言う。
実際には疫病の元になるという理由からようやく処理が許されたのだ。
また、長州・薩摩藩兵による
会津若松城下での略奪や強姦・虐殺も激しく(特に、長州人は気性が荒いことで当時から有名であった)
会津藩兵の死体から性器を切り取って口に含ませ放置したり、
薩摩藩兵が食人行為を行ったという記録まである。
その凄惨さは、(彼らの味方である)新政府軍側の
土佐藩兵や従軍僧侶が日記に批判的に書き記すほどであった。