17/09/05 00:42:15.59 FsImC/tC0.net
1869年、スエズ運河の開通後からのビルマ米の市場需要のニーズに対して、広大な土地がビルマで開墾される
イギリス、耕作のための開拓準備資金を農民に高金利でチチアールと呼ばれるインドの栽培者を経由して貸し出すこととし、ビルマ住民は土地と家畜を差し押さえられながら凋落
イギリス、植民地経営の雇用にはグローバル化させたビルマ社会に送り込んだインド(インド・匹スタン・バングラデシュ・スリランカなどの領域)労働者を大規模運用し、ビルマ村落社会は疲弊していった模様
イギリス、ビルマ経済は高成長させ、権力と富は、異民族衝突を巧みに取り入れた英国企業に収束し、アングロビルマ人、公務員として移民させたインド人によって吸い上げるシステムを構築
ビルマ地域、グローバル化で経済成長、しかし、ビルマ人は貧困化をたどりこれが独立運動への原動力となっていった模様