17/09/04 22:02:11.55 Dx3GnuQj0.net
イギリス東インド会社による、ベンガル湾のチッタゴン付近のビルマ支配のShalpuri島をめぐって、アングロビルマ戦争が起こるが、ビルマの領域に在るマニプール・アッサムなどのインド東部へのイギリスとの覇権争いが原因みたいだね
1824年3月5日、アラカン方面で武力衝突が起こり、ベンガル方面でビルマ方が優勢に展開し、イギリスは海路、旧ペグーのあった下ビルマに上陸作戦を展開、
そのなかで、1825年2月〜4月に、リソン大将の指揮、11,000兵でアラカンに侵攻して征服に成功
1826年2月にヤンタボ条約
英国のアッサム、マニプール、ラカイン(アラカン)、サルワン川の南にあるタンテサリ(テナセリム)の海岸へのセード。
①CacharとJaintia Hills地区の全干渉を停止
②100万ポンドの賠償金を4分割支払
③アヴァとカルカッタの間で外交代表者の交換を許可する。
④商業的条約に正式に署名する。
大英帝国インド植民地史の中でも最大の人的消費をし、15万人のイギリス側白人兵士とインド人兵士が戦死、それ以上のビルマ人が戦死した模様
イギリス側署名 英国側のキャンベル将軍
ビルマ側署名 レガマハ・ミン・ハラ・キュウ・ヒン知事
大英帝国インド植民地の経済は破たんして、あまたの現地商会は破産したりした模様、
それを回収するために莫大な賠償が課されたビルマ側は、アラウンパヤー朝の武威を失ったうえ多額の賠償を義務付けられたが、全土から壮健な男性が全滅したような状況に成っていた模様
ここで構築された不均衡な力関係は第二アングロビルマ戦争への伏線となる