17/08/30 17:04:03.04 S+iVdRxCO.net
>>648
もっと歴史を勉強したほうが良い。
家康が江戸詰めを秀吉から命じられた頃は、江戸なんて殆ど人のいない過疎地。
しかも今の23区なんて治水・埋め立て・地盤改良しなきゃその後の江戸や東京庶民を受け入れられなかった。
何しろ小さな砦に過ぎなかった江戸城界隈は沼地や葦の生えた干潟、そして直ぐに海だった。
それを現在も続く江戸・東京の地に作り変えたのが大阪を中心とした関西から家康が集めた労働者達。
その労働者達はわずかな江戸土着の農民や漁師達と共に、家康統治の新生江戸の最初の住民として根付いた。
故に都内の地名には大阪や関西ゆかりの地名があちこちにある。江戸っ子の古里とも言える神田や佃なんてのが有名所。
つまり家康以降の江戸の言葉は関西から移住して来た労働者の言語がベースとなっている。
そこに周辺諸国や三河の言葉が混ざり合って江戸弁になって行ったんだよ。