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ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は共産主義者ではなかったから
社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった
私は社会民主主義ではなかったから
彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は労働組合員ではなかったから
そして、彼らが私を攻撃したとき
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった
基本的な内容は、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)が迫害対象を徐々に拡大していく様に恐怖を感じつつも、
「自分には関係ない」と見て見ぬふりをしていたら、己がいざ迫害対象になると、社会には声を上げる人は誰もいなかった
というもの。
強いメッセージ性を内包するため、政治への無関心層へ向けた呼びかけとして世界各国で広く引用されてきたが、
ニーメラー自身もしばしば言い回しを変えたことや、引用者によって修正・付加されたりしたため、多くの版が存在する。
こうした版では新たな迫害の対象に追加される集団には、共産主義者、社会主義者(社会民主主義者)、労働組合員、
ユダヤ人、障害者、カトリック教会、エホバの証人、都市労働者などが挙げられ、順序も前後する。
ニーメラーは1976年のインタビューで、「共産主義者、労働組合、社会民主党、ユダヤ人」の順序で言及したものが
最初であると回答しているが、1946年には「共産主義者、不治の病の患者、ユダヤ人やエホバの証人、
ナチスによって占領された国の人々」の順で言及したスピーチがあり、彼の回想は正確ではないと見られている。
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