【歴史】阻止しても阻止しても日本に密入国してきたくせに「強制連行」とのたまう韓国の虚構 [05/18]at NEWSPLUS
【歴史】阻止しても阻止しても日本に密入国してきたくせに「強制連行」とのたまう韓国の虚構 [05/18] - 暇つぶし2ch1:◆CHURa/Os2M@ちゅら猫φ ★
17/05/18 08:31:51.15
★日本統治下の朝鮮に蔓延した「内地密航」が表す強制連行の虚構
2017年5月17日 19:30

韓国の『対日抗争期強制動員被害者連合会』(日帝強占期被害者全国遺族連合会)
という団体が、ソウルと釜山、光州に『徴用工像』を設置しようとしている。

徴用工像とは、日本の朝鮮統治時代、労働者として強制連行されたという“不幸の像”のことだ。

しかし、当時の朝鮮総督府は、1922年12月5日に『府令第153号』を出し、
渡航制限制度を撤廃している。それでも、韓国から日本への密入国が殺到したことから、
朝鮮総督府と日本の警備当局が協議し、再度の渡日制限を敷いた。
働けば対価が自分のものになる“夢の国・日本”を朝鮮の人々は目指したのだ。

1925年の在日朝鮮人は13万人弱だったのに対し、1933年には46万人にまで増加した。
1930年代に入って密航は激増し、毎日のように摘発されるようになった。

このため、1934年の岡田啓介内閣は、朝鮮人の密航の取り締まりを強化するために、
『朝鮮人移住対策ノ件』を閣議決定した。それでも密航は止まらなかった。
日中戦争に突入後の1938年4月、国家総動員法が成立し、翌年の7月
『国民徴用令』が施行されたが、それは内地の日本人に対してであり、
朝鮮には適用されなかった。財閥など内地企業が自由に朝鮮人労働者を
募集できるようになったのは、そののちのことで、これを“統制募集”と言う。

しかし、“内鮮一体”のスローガンの下で、朝鮮人の渡日取締撤廃と規制緩和を
要求する声はしだいに大きくなり、こうしたことから1934~1937年までの渡日者数は
10万人を超えるようになった。

■ 最終的には210万人にまで増加

「1942年2月からは、朝鮮人に対して『官斡旋』が始まったのは事実ですが、
これは強制ではなく、斡旋に応じるか否かは自由、日本での転職も自由でした。
朝鮮に、日本人と同じ徴用令が適用されたのは1944年9月からですが、
日本と朝鮮間の航路は危険水域を通過するため、この徴用令による人的な
流通はそれほどでもなかったのです」(日本の朝鮮統治研究家)

不法密航を含めた渡日は増え続け、1940年に渡日した朝鮮人は119万人、
1945年には210万人と急増していく。こうした密航朝鮮人のなかには、
旅費負担や高賃金などを謳った甘言募集に乗せられ、低賃金の中で宿代や
食費などさまざまな名目で天引きされ、実際に自由に使える金はほとんどなかった
という人がいたのも事実だろう。しかし、戦中の朝鮮人鉱夫が高待遇で雇用されていたことは、
日本が“強制連行”を行ったと追及する朝日新聞でさえ報じていることなのだ。

URLリンク(woman.excite.co.jp)


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